INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
均質化の圧力

前の項目では、心が弱っている人は、情報とエネルギーのインプットを自覚的に制御したほうがいい、ということを書きました。
この制御には、量のコントロールと同時に質のコントロールが重要です。

そして、外との窓口はネットはダメだ、ということを書きました。
リアルで人と会うときの栄養がいろいろ欠けているということを一つの理由として書きました。

ほかにも理由はいろいろあります。
いちばん大きいもう一つはネット自体が人を均質化する圧力を持っているということです。
このことをよく理解してください。

たとえば、このブログがいま人気ブログランキングのスピリチュアル部門に乗っていて個人的には喜んでいます。
ランキング制度というのは、ランキング上位のものがますます人気を集め有利になっていく制度です。

本当にオリジナルなものより、よりキャッチーで欲望を刺激するようなものに人気が集まります。そして、全体的な評価もよりアクセス数が多いところが信用できるという判断基準が生まれます。
行列ができているラーメン屋を見ると、「おいしいのではないかな」と人が並ぶようなものです。
だから、内容はよくなくても、SEO(アクセスアップ)を上手にやろうと頑張る人がいます。つまり、テレビの視聴率と同じで数字がたいへん大きな要素を占めるのです。
サイトやブログの中には、もちろんユニークなものもありますが、全体としては、ビジネスの世界でいう、いわゆる一人勝ちという現象が起きるのです。

一人勝ちで何が悪いか、というと、文化の多様性がだんだん失われていくのです。
僕は出版物も出していますが、出版界では『ハリー・ポッター』や村上春樹だけが怪物的に売れるという現象が起きています。
悪い本ではないから、売れてけっこうなのですが、他に同じくらい面白い本があっても話題になりにくいですから、近い時期に発売された本は明らかに売れなくなっています。
売れた本は、映画化やテレビ化のメディアミックスも起きて、広告費も集中的に投入され、ますます光があたり加熱します。
一人勝ち現象が強くなると、結果的に出版物の多様性が保証されなくなってくるのです(もちろんこのことは例外もあるし、全部いっぺんにそうなってしまうということではありません)。

ネットを別の面からみましょう。
ミクシィのニュースにいつも心理学もどきのコラムのようなものが乗りますね。
そうすると、「異性の心理というのは、こういうものか。では、このように振る舞わなければいけないな」ということが何百万人の人に刷り込まれるわけです。

そうすると、それを読んだ人の中に「今度はそのように振る舞おう」という気持ちが生まれるし、そこで書かれた行動から逸脱した人には、なんとなく排除的な気持ちが働くようになります。
これが均質化の圧力になります。
KYという言葉が大流行したように、例外になったらはじき出されるという恐怖と、例外に対する差別的な気持ちが、日々、うっすらとプリンティングされていくのです。

この均質化の圧力は、つねにある一定量のエネルギーを人の心から削ぎ続けます。

田舎で農業や漁業に従事していてテレビもそんなに見ない老人など、無口で口べたでも、言葉の力がたいへん強いでしょう。あれが心の本来の姿です。あまり情報が入りすぎていろいろなモノに配慮しすぎるより、心という観点では、そういう人たちは健康なのです。

均質化と正反対の方向にあるベクトルは何か、と言いますと、個性化です。
バラバラであること、共通の価値で測られないこと、個人として独自の判断と行動を持つこと。
今の世の中は均質化の圧力はたいへんに高いです。
逆にいうと、個性化を助ける環境はとても少ない。
自分自身で環境を作り実現しなければいけません。

これについても、三元論で考えてください。
個性化が善で、均質化が悪ということではありません。
両方必要ということです。
しかし、いま個性化ということの意義を誰も真剣に考えていません。
そこに心の危機の大きな原因があります。

引きこもる人というのは、本来強い個性を持っています。しかし、それをうまく世間と摺り合わせられないのです。だから、均質化の圧力はいちばん逃れたいものであるはずなのです。本質的には(つまり本人が意識しているかどうかはわかりませんが)引きこもって、その時間と場所で自分の個性を確認し、確立したいと思っているのです。

ネットではそれは実現しません。

ネットはたしかに便利だし、楽しみも勉強になることもあります。私もこのようなブログを書いているわけで、全面否定するわけではありません。しかし、リアルなアクションとの割合は、せめて1対1、できれば生活の半分以下にしなければいけません。

1日誰とも口を利かなかったけれども、サーフィンやチャットやゲームは寝ずに朝までやっていた、という人がいますが、これは不健康といわざるを得ません。

では、ネットをやめて何をすればいいのかを書こうと思いますが、その前に均質化の圧力がこの時代いかに強烈であるか、ということをもう少し見ていきます。










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よりディープなカルマ概念
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心の中で生じた感情のエネルギーは、どこかに放出されるか変換されない限り消えない、ということをきちんと観察しますと、次の疑問が出てきます。

では、心で最初に感情が波立つとき、その感情はどこから来るのか?

エネルギー保存則が成り立つなら、無から有は生じません。

そうすると、その感情の原因はまた過去の潜在的な要因の顕れということになります。

では、そのまた前の原因は?
と遡っていくと、すぐにその人の生まれる前にまで遡ってしまいます。

前世の因縁がどうした、という壮大な話になっていくのですが、このサイトではそこまでは扱いません。そういうことを信じるべきだ、とも言いません。

前世という話になると、「見える」と自称する特権的な人々の世界、あるいは妄想的な人々の世界になってしまいます。
それはいろいろな意味で危険です。
ここでは、特別な霊能者とかに依存することなく、普通の人の判断の範囲で心のことを考えていきます。

しかし

1 反復する
2 潜在的な要素は現れる

という現世でもはっきりわかる因果関係は、ひとつのパターンとして理解してもらったほうがいいのです。

そのようなカルマのわかりやすいパターンを理解すれば、その悪循環に陥ることはなくなります。









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カルマの概念
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宗教用語でいうカルマについても最もシンプルな概念を示しましょう。
幽霊が恨みの具現化である、という話は、説明にとても都合がいいのです。

カルマというと、いたずらに神秘的に語られたり、恐ろしいものと思われたりしますが、私が認識の道具として用いる概念は、とても単純です。

カルマは2つの要素があります。

1 反復する
2 潜在的な要素は現れる

この2つがあると、カルマの原型が観察されるのです。

1の反復は

恨みが噴出する
噴出した恨みが抑圧される
恨みの圧が高まる
恨みがきっかけを得て再び噴出する

これが無限に反復、循環します。
いわゆるカルマです。

カルマは、必ずしもネガティブなものではなく、もっと広い概念として捉えうると思いますが、ここでは、わかりやすく恨みの話に限定しましょう。

2の潜在的な要素は現れる、というのは重要です。

「忍ぶれど色に出でにけり我が恋は ものや思ふと人の問ふまで」

平兼盛の隠していても、気持ちは現れてしまう、という歌です。

誰かに恋をしていて、それを言葉にも表情にも出さずにおこうと思っていても、現れてしまう。
これも潜在的な要素が顕在化する姿です。

恋しているだけではなくて、嫌っていても、ちょっとした表情や言葉尻で、わかってしまうときがありますね。

物質の世界には、エネルギー保存の法則、というものがありますが、いったん生じた感情のエネルギーも、どこかに消えてなくなるということはありません。
それはつねに現れるチャンスをうかがっています。

【精神的エネルギーは物質界のエネルギー同様、保存される】

この法則もまた、心の世界を観察するときの大切なカギになります。

だから、生まれた感情は、なるべく上手にその場その場で表現していったほうがいいのです。
いわゆるガス抜き、ということが大切なのです。
そのまま出せなければ、他のエネルギーに変換して出すということがあります。
電気エネルギーを光や熱に変えるようにです。
エネルギーを放出できる表現法を探すということです。

さて、恨みというレベルの感情のしこりになりますと、顔や態度に出る出ないではなくて、本人の心の中でさらに抑圧されて、無意識に押し込められてしまう、ということが起きます。

(無意識という概念が出てきましたが、これについては後で詳しく書きます)

意識から無意識に押し込められたものは、例えていえば、空気の入った風船をお風呂に沈めたようなもので、強く押さえつけていなければ、あっという間に飛び出してきてしまいます。
本来のエネルギー以上のエネルギーが溜まるのです。

つまり、心の世界で「臭いものにはフタ」では、何も解決しないばかりか、事態を複雑化するということです。
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家族の心の膠着4(心のエネルギー性)


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 ここで、心の性質を一つとらえておかなくてはなりません。

心は、ある面でエネルギーです。

光には、粒子性と波動性が同時にあるといいます。そういう意味では、心はエネルギー以外のものでもあるかもしれません。しかし、少なくともエネルギーでもあるのです。

なぜエネルギーかといえば、心は止まった個体ではなく、それはつねに流れているからです。

「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまる例しなし」

方丈記に鴨長明が書いたことは、心にもあてはまります。
心はいつも流れています。
しかし、川の水がいつも同じでなくても、同じ川と認識されるように、心のエネルギーはいつも流れて更新されていても、同じ心と思われているのです。

心のエネルギーは、2種類に分けることができます。
流れているエネルギーと、流れが堰き止められたエネルギーです。

流れているエネルギーは自覚されることがありません。
心の自然な状態です。

この流れを自覚するには、流れを堰き止めようとしてみることです。
1分でいいから心をストップしてみてください。

無念無想ということです。
訓練なしでは、きれいには止まらないでしょう。
そして、さまざまなイメージや言葉、雑念が意識されるでしょう。
人の心は、そういうものが絶えず流れている川なのです。

座禅とか、瞑想というのは、その流れをストップさせたり違う状態にすることによって、心を客観的につかんでいく手段とも言えます。

さて、もう一つの「流れが堰き止められたエネルギー」を見ましょう。
不満というのは、この滞留するエネルギーです。

相手に意見を言って、相手が態度を変え、事態を改善されれば、そのエネルギーは流れていき、忘れられます。
しかし、それが聞き入れられないとき、川は淀んで、うまく流れなくなります。

家族間では、同じことが繰り返されますので、淀んだエネルギーが出口を求めてさまよい、圧力を高めていきます。

あちこちに淀みができて、一触即発となり、ときどき暴発します。

暴発しても、それは余剰な分のエネルギーを吐き出しただけで、淀みそのものは温存されていますので、何の解決にもなりません。

そうして、長い間解消されない淀んだエネルギーは、次第に「恨み」という形で固形化し定着します。

恨みがあると、その部分は心の川が素直に流れなくなります。

そして、流れてきた些細なゴミも、その恨みの周辺に集積していき、川の流れ自体が勢いを失い、他もつまりやすくなります。

それが家族の心の膠着において「不満、不和、怒りの感情が蓄積される」と起きる第2の事態です。


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