自然の道
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INNER LIFESTYLE DESIGN<br />
〜ナチュラルに生きる方法論序説
ja
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ときたま映画日記●大失敗を含む3日間の撮影、終了しました
まず大失敗の話から。
時間の読みが甘かった。全然足りない。
結果、2つのシーンの撮影がこぼれました。
なぜ読みが甘かったかというと、前回のロケが野外だったからです。
野外には照明という要素がない。
あってもレフ板その他くらい。
でも全然使わなかった。
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時間の読みが甘かった。全然足りない。
結果、2つのシーンの撮影がこぼれました。
なぜ読みが甘かったかというと、前回のロケが野外だったからです。
野外には照明という要素がない。
あってもレフ板その他くらい。
でも全然使わなかった。
今回の室内撮影では、照明が6割7割以上の要素を占めるのです。
倍以上の時間が掛かりました。
室内でもピカピカに明るい室内とかであれば、ある程度安定した照明でいいでしょうけれども、暗い部屋の設定が多いのです。
暗いと映像の画質が落ちるそうで、そういう面の配慮をしなければなりません。
人物の配置やアングルが変わるたびに照明の設定をしなおさなくてはなりません。
ロケ場所も決して広くないので、見切れないようにアングルを撮ろうとすると、かなり限られてきます。
その中で試行錯誤していると、どんどん時間がかかる。
そういうことを撮影始めてから知るという(笑)、プロに笑われるようなネタです。
今回のスタッフ、映画撮影のプロいません!(役者さんと音楽にはプロがいます)。
全員手探りであります。
それでグレードが低いかというと、そうも言えない。
自己評価では、30点から40点のラフな映像もあるかもしれませんが、120点の映像もある、という感じ。
プロは合格ラインが80点だとすると、安定してそれを出しますが、たぶんそういう発想やルーティンでは撮れない映像を苦し紛れに撮っているはずです。
撮影が長引くと何が辛いかといって、何時に終わるか見えなくなることです。
2時間で終わる予定のシーンが4時間かかっても終わっていない、ということになると、「あと2シーン終わるのいつだ?」と考えてもわからない。
前回の記事の楽観ぶりと大違いです。
映画撮影の現場ではこういうことは当たり前で、プロが集まっていても予定通りいかないことが多々あるでしょう。
それで簡単に「早朝から夜中まで」ということになります。
僕は7時8時には終わって、みんなでいっぱいやる気でいるから(プロもいませんが、酒の嫌いなメンバーもいません)、長引くと「あー、あー、あー」と心の中で嘆くのです。
態度にも十分に現れているらしいです。
撮影は長引き、いくつかのシーンはこぼれましたが、それでも3日間、しっかり飲み会はあったのです!
撮影についてはいくらでも書くことがありますが、これくらいにしましょう。
次の撮影の準備に心を移さなくてはなりません。
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映画撮影
2023-10-05T12:07:00+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
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●ときたま映画日記 / 撮影準備
来週末に第2期の撮影がある。
この映画はロケ地ごとにほぼ3期に分かれていて、その間に2ヶ月程度のインターバルをとってある。
最初から狙って台本を書いたわけではないが、3期に分かれることで考え事や準備をする期間がそれぞれ確保されてよかった。
もし全部団子で撮...
この映画はロケ地ごとにほぼ3期に分かれていて、その間に2ヶ月程度のインターバルをとってある。
最初から狙って台本を書いたわけではないが、3期に分かれることで考え事や準備をする期間がそれぞれ確保されてよかった。
もし全部団子で撮影となったら、頭の中も外も大混乱になっただろう。
本日は第2期の撮影のための考え事に、星野珈琲で2時間ほどお高い珈琲を飲みながら過ごしました。
台本とノートを広げて、あれこれメモして、メッセージ3本。
映画は細かい準備や連絡の集積といえる面がある。
細かい詰めをしていないと現場で考えることが多くなって、時間が取られ、リズムが
悪くなる。
細かいことをきちんと詰めて考えておく。
そうしておいても、現場で考えることはたくさんある。
だからなるべく前倒しで考え、現場を軽くしておく。
頭の中のモヤモヤをあれこれメモして整理すると、気持ちがすっきりする。
そのあと、100円ショップで必要なものを買う。
作らないと行けないものが2.3ある。
すませてしまおう。
ときたま映画日記●撮影初日
第2期の撮影の初日です。
今日から3日間撮影。
映画の撮影というと、早朝から夜中までというイメージがあるかもしれません。
僕らの映画はあれこれの事情でそこまで詰め込む必要がありません。
昼くらいから浅い夜までの予定です。
そのあとたぶん飲む(笑)。
わくわします。
あれこれ衣装や小道具、買ったり作ったり試したり、整えてきました。
いろいろ工夫しがいがあって楽しいものです。
たぶん見る人も楽しめるのではないかな。
撮ってみないとわかりませんが、ぼくらの映画はたぶん2時間を超えます。
意外に本格的だと驚かれます。
しかし、商業的には2時間はあまりいいことではなくて、1時間半に詰めるのがいわば職人的なあり方です。
しかし、商業映画でもなく、職人でもないので、仕方ありません。
台本などで詰められるところは詰めたのですが、骨格の部分を切るわけにはいきません。
で、今回の撮影が終われば、撮影半分くらい終わったことになるかな。
第1期は、僕は監督業でしたが、今回は出演もあります。
セリフは7割くらいしか入っていない(笑)。
監督として準備とやることがあるので仕方ない、ということにします。
緊張は目に見えるものはあまりないです。
うまくやらなきゃ、というのがあまりないからです。
うまいの反対には下手があるけど、うまさを目指さなければ、うまいも下手もない世界で
できるでしょう。
いちばん怖いのは忘れ物です。
あるべきものがないと最悪撮影ができません。
ごまかせるものと、そうでないものがあります。
まあ、たぶん大丈夫でしょう!
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映画撮影
2023-10-05T12:05:39+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
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陰謀論基礎●小説DS(ディープステーツ)
陰謀論基礎●小説DS(ディープステーツ)
陰謀論は100パーセント近く信じてしまう人と、100パーセント否定する人が多いような気がする。そこにどのような心理的な背景があるかは興味深いがここではおく。
僕は中間的な立場である。
わりと陰謀論はチェックする。
...
陰謀論は100パーセント近く信じてしまう人と、100パーセント否定する人が多いような気がする。そこにどのような心理的な背景があるかは興味深いがここではおく。
僕は中間的な立場である。
わりと陰謀論はチェックする。
しかし、マニアックではない。
わからないから陰謀なのである。
キリがないし、自分が「突き止めた!」と思っても、それで人を説得できるわけでもなし。
世界が変わるわけでもない。
*
陰謀論の中でも、DSという言葉はあまり好きではない。
wikiによればディープステーツとは、
「闇の政府、地底政府とは、アメリカ合衆国の連邦政府・金融機関・産業界の関係者が秘密のネットワークを組織しており、選挙で選ばれた正当な米国政府と一緒に、あるいはその内部で権力を行使する隠れた政府として機能しているとする陰謀論である」
ということである。
陰謀論者の何割か、あるいはこの言葉を聞いた人の大部分は、この言葉で非常に固定的な意志決定のための組織を思い浮かべるのではないかと思う。
もともと「Q」の用語だろうか。
DSは陰謀がなんでも入る万能の箱のように使われる。
つまり、007で言えばスペクターのような意志統一された機関が全世界で陰謀を巡らせているように想像が行く。
それは荒唐無稽のように思われても仕方ない。
だから、あまり好きではない。
しかし、僕は「DS的な存在」がないとは思っていない。
たとえば、「岸田は財務省の言いなりだ」というとき、すでに選挙によって選ばれた政府を超えた意志がそこに存在する。
その他、財界や宗教界などさまざまな圧力があるだろう。
そのエネルギーは個々の思惑のベクトルの統合されたものに過ぎない。
それをDSという言葉で一つの意志としてくくるのはどうであろうか。
しかし、彼らのおよその利害は一致しているようにも見えるのだ。
金持ち喧嘩せず。
およその落とし所は共有しているのだろう。
日本には日米合同委員会というものがある。
これは日本の進路を決める。
政府を超えた影の決定機関であるから、日本のDSといって過言ではない。
だから、アメリカ、あるいは全世界におよそDS的存在はある。
しかし、それはスペクターのような固定した機関ではない、というのが僕の見解だ。
固定的なDSのイメージが一部の陰謀論者を暴走させ、また陰謀論など頭からバカにする連中を生んでいるのではないか。
ここで一つの可能な、それほど非現実的でないDS像を提示してみることを思いついた。
それはアメーバのような形の定かでないメカニズムである。
本家アメリカのDSであるが、僕はこれはたいへんサロン的なものではないかと想像している。
サロン的といっても、「なんのこっちゃ?」と、人々の想像は及ばないだろうと思う。
だったら、これを小説、一編の戯作にしてよいかなと考えた。
考えたらその世界が動き出して止まらなくなった。
こういうときは書いてしまうに限る。
書いていてわかったこと。
彼らは「陰謀」を企んではいない。
「陰謀」などない。
ただ彼らの事業を、ゲームを、そのルールに従って進めているだけだ。
それは彼らのレベルでは「陰謀」ではない。
いくつかのグループ、社会的地位や財産の階層があって、そのグループや階層ごとに薄いベールがかかっている。
どんなに薄いベールでも10枚も重なれば中を覗き見ることはできなくなる。
結果的に隠されるので、下から見上げれて透かしみようとすれば、それは陰謀なのである。
我々はいつも「世界的な陰謀を企む組織」をいわば「下から見上げている」。
これはDS側から「下を見下ろした」ときの眺めを体験できる小説である。
そして、上に書いたようにDSがスペクターのような組織でなくても存在しうる、という感覚を持ってもらうための小説である。
かなり漫画チックに描いているが、これに類することは実際にあると思う。
では、はじめよう。
*******
……。
たとえば、ニューヨーク時間の日曜朝8時。
アメリカを中心に選ばれた超大金持ち、実力者たちのTV電話ミーティングが始まる。
ZOOMミーティングのようなものだが、かつてのアメリカ、ソ連の間のホットラインのようなもので、決して外部からハッキングできないラインが特設されている。
ここで話されることが外に漏れることはない。
そこは治外法権、司法、立法、警察、軍などの掣肘を超越した世界なのだ。
誰かが自分の関わる殺人や小児性愛その他の世間で悪徳、また犯罪とされることについて語っても、メンバーは「ふーん」以上の反応はしない。
「人を殺してはいけない」などは彼らに言わせれば奴隷道徳に属する。
このメンバーたちは、どこかで奴隷道徳を超越する経験を経ている。
彼らの資産が膨れ上がっていく過程で自然に獲得されたものものである。
しかし、それだけではない。
メンバーは彼らに匹敵しようとする力のある存在、「正しい資質」を備えた者をつねにチェックしている。
一度見出されると、彼はメンバーの候補となる。
パーティ、会合などの会話を通じて資質がさらにチェックされる。
メンバーによる誘導、指導によっていくつかの経験をし、最終的に彼らは奴隷道徳を超越する。
奴隷道徳から抜け出せない者たちは、メンバーとして不適とされた。
メンバーになる直前に彼らが経験することは一種の通過儀礼なのである。
「汝の欲することをなせ」
自らの意志や欲望を満たさないこと。
これが彼らの最後の悪徳になる。
道徳律が階層によって違うのはむしろ当然ではないか?
貧しい者はジャンクフードの新製品に飛びつき群がる。
我々はトップクラスのシェフを高額の給料で雇い、健康と美食を追求する。
それぞれの階層にふさわしい楽しみがある。
もちろん、メンバーになっても旧道徳の尻尾を失いきれない者もいる。
そういう者たちは発言が少ない。
メンバーのふるまいに無意識の反感を表してしまって、メンバーから外されたり、仲間外れにされたら困る。
それは「転落」を意味する。
メンバーの内部には最上級の「情報」と「世界観」がある。
それは純粋な「金」のように精錬されたものだ。
それを錬金術の実現と呼ぶ者もいる。
道徳律と同様に情報にも階層がある。
この「金」の情報に慣れてしまうと、その下の「銀」の情報(ときには銅や鉄クズの混じった〕の世界は耐えがたい。
「金」の情報が具体的に投資で莫大な富を産むからだけではない。
それは山頂からの眺めなのだ。
八合目からでは決して望めない絶景なのである。
だから、メンバーは誰もが目に見えないメンバーの道徳に従っている。
彼らの犯罪や悪徳をリークするなど、考えられもしない。
リークしたところで陰謀説と笑われるだけだ。
その対価として彼らは転落し、命さえ奪われかねない。
むしろ、メンバーとしての中核に近づくには進んで悪徳の共犯になって見せなければ信用を得ることはできなかった。
チンピラの仲間になるときに、最初に言われるがままに万引きや強盗などをして度胸を見せないといけないのと相似形である。
フリーメーソンやイリュミナティのような明確な位階や儀式はない。
完全に自由な雰囲気だ。
ただ中核メンバーに近づいて信用を得るほど、自然に情報の質も高く濃くなるのではないかと新入メンバーは感じていた。
悪徳に手を染めるといっても、一部の快楽殺人を除いては、彼らが直接手を下すことはない。
むしろ、彼らの意志はいくつもの企業や組織を経由して闇の中につながっていく。
その支払いも全く関係のない商取引の中で精算された。
万が一にも彼らと犯罪が直接結びつくことはない。
仮に誰かがよほどのヘマをしても検察・警察・マスコミは彼らの「磁場」によって歪んでいるので違う結論に導かれる。
、
良心の痛みというものが最初から欠けているメンバー、「向上」することによってそれを失ったメンバーは株の売買と同様にほんの指先の動きで何人かの命を奪うことすらできた。
彼らの基本的な共通認識は「人類は多すぎる」である。
あるとき、「地球上に人類は何人くらいが適正なのか」というテーマが話題に上がったことがある。
彼らはそれぞれが自らのラボ、シンクタンクにこのテーマを持ち帰り、最新AIによってそれぞれに結論を出した。
どこでも現状の人口を肯定する結論は出なかった。結論の多くは現在の人口の半分以下であり、10分の1でいい、という研究もあった。
人口を半分にするといって、現に生きている人間をどうするのか? という問題は不問にして最適人数を出せばそのようになる。
人数を最適化すれば、地球温暖化や食料問題も簡単に解決する。
まさにソリューションという言葉にふさわしい解決である。
そのときから人類を削減するのは、彼らの共通の善となった。
メンバーは40人以上いる。
自家用ジェットでランチに行くようなセレブたちは(日本のように自家用ジェットを持たない者がセレブと呼ばれることはない)、もともと貴族的な選良意識を多かれ少なかれ持っている。
しかし、メンバーはそれ以上の選良意識のエッセンスを共有していたし、さらに求めていた。
メンバーの存在は基本的に秘密厳守だが、セレブたちの社会は薄々その存在を知っている。
そして誰がメンバーかについても「当たらずとも遠からず」の憶測を持っていた。
メンバーは羨望の対象である。
たいへんな名誉と言えた。
彼らは選ばれた者の中の選ばれた者である。
そこから外されることをメンバーは恐れている。
他にもセレブたちのつながりやグループはあったが、彼らほど強力でも秘密でもない。
遊びや趣味を共有するグループが多かった。
また〈メンバー〉は強い目的意識を持った集団だと思われていた。
メンバーは毎回ミーティングに顔を出すとは限らない。
参加が義務でもない。
イーロンなどは、最初一回顔をだしたきりで二度と来ない。
「自分が中心ではないミーティングなど数分も耐えられない!」ということらしい。
メンバーは多かれ少なかれそういうタイプだが、イーロンは極端だ。
そのように籍があるだけでほとんど参加しないメンバーと、常連、その中間のようなメンバーがいて、毎回10人ほどが顔を出す。
今日はビルが参加するというので、20人近くが参加していた。
ビルは月に一度は参加する。
参加するときはあらかじめ予告するのが彼のやり方だ。
朝食を食っている者もいれば、薄着の若い女房?の尻を撫でていちゃつく者、ワークアウトする者、他のパソコンと向かい合いながらときどき反応する者と、それぞれが遠慮がない。ふだんから人に配慮するという習慣がないからだ。思い思いの姿である。
軽くおはようの挨拶が済むと早速会話が始まる。
ビルをはじめ「時間を無駄にしたくない」というメンバーは多い。
ゆっくり挨拶をしたいメンバーは裏でチャットを始める。
小児性愛者のグループなどは、このときチャットで盛んに情報交換をする。
この情報交換のほうが大切なメンバーもいる。
小児性愛には長い歴史がある。
倫理観を超越した者たちは体験することに何の躊躇もない。
体験しない者、体験したけれども、「もうけっこう」だという者、他のセックスよりも痛烈に快感を感じ、それにハマる者がでてきた。
いちばん後者がグループを形成していた。
あらゆるセックスは金で買える。
だからグループを作る必要はない。
小児性愛だけは合法の範囲を逸脱している。
それゆえに同好の士が集まり、情報交換しあう。
金さえあれば、需要に対して供給する仕組みは十分にできていた。
「何か面白いニュースはあるかい?」誰かが始める。
「CIA方面から聞いた。D国でそろそろクーデターが起きる。やっと工作が実るようだ」
「いつ?」
「3か月から半年後の予定」
「あ、それ俺も聞いた」
「大きな戦争になる?」
「いいや。すぐ収まるだろう」
「となると、どこに投資すればいい? 穀物か?」
「うちのラボですでにシミュレーションしているからあとで全員にデータを送る。いつものように連動しようじゃないか。動かす金はデカいほうがいい」
戦争は彼らの中で主要な話題の一つである。
『よく管理された戦争』、これが彼らの合言葉である。
万が一にも本格的な核戦争は困る。
制御できない世界大戦になるのも困る。
戦争は何より企画と根回しである。
それから準備、実行。
CIAは広告代理店のように戦争の企画を持ってくる。
彼らはつねに下ごしらえをして、戦争の火種を絶やさないようにする。
彼らは平和になれば用済みになる。
巨大産業である軍需産業も同様である。
メンバーのほとんどは軍需産業かその関連の株や会社を持っている。
軍需は隠れた世界を動かす巨大なエンジンである。
したがって武器が消費され、需要が喚起されること自体が喜ばしい。
というより絶えない戦乱は必要なマーケティングであった。
戦争には、政治、軍事の背後に経済がある。
これらのコンビネーションが最近格段によくなっているのは、メンバーの米軍に対する影響力が強まっているためだ。
軍隊は閉鎖的な組織だが、ブッシュ時代、9.11の成功前後から経済界との結びつきが強くなった。
高位の軍人には引退後の顧問のような役職に高額のオファーがある。
お堅い軍人にとっても蓄財のチャンスは見逃せなかった。
見返りを用意して周到に準備すれば、経済界の要請でそれなりの規模の軍事作戦を起こすことができるようになった。
CIAは潤滑油のようなものだ。
もともと軍隊はミッションを求めている。
そこに善悪の判断はない。
あとは、大義名分を作り出すことだ。
それは主にCIAが演出し、お膳立てする。
戦争の主導は必ずしもメンバーではない。
誰かが決断して命令するというより、戦争という巨大な目に見えない機械(メカニズム)があって、それ自身が生命を持っているかのように有機的に動いていく。
人が動き、金が動き、政治が動き、軍が動き、いつか機が熟していく。
メンバーはその動きに乗り、ときにはいくつかの仕組みや演出プランを考えることがある。
彼らの主導でなくても戦争の情報は遅くとも数ヶ月前にはメンバーに入ってくる。
彼らはもはや自分の事業を大まかにしか把握していないが、戦争のときだけは、たいへん鷹揚に少しばかり「資産の移動」を行う。
下がりそうなものから金を引きあげ、上がりそうなものに移動する。
メンバーが金を動かせば、そのこと自体が市場の波を作り出す。
しかし、それを利用して相場を作りはしない。
彼らは戦争の情報のタイミングで少しだけ金を動かす。
戦争は激動である。
それを予知できる。
そして彼らがそれぞれに持つシンクタンクは、その影響を俯瞰的に分析することに長けている。
それだけでいつの間にか金は膨れ上がる。
メンバーはそのことに慣れきっている。
だからメンバーはやめられない。
もうすでに何回生まれ変わって湯水のように使っても使いきれないほどの金はある。
しかし、財産は減るよりも増えるほうがいいだろう?
戦争を金にするのはロスチャイルド以来の伝統である。
その精神とノウハウは今につながっていた。
どこまで財産は増え続けるのか。
彼らが金を世界から吸い上げ続けるとどうなるのか?
日本円にして何十兆という彼らの資産は、あちこちに配置され日々膨れ上がっている。
いったいいくら持っているのか。それすら彼らにもぼんやりとしかわからない。
湯水のごとく金をばら撒いても、爪の垢ほどしか減らない。
うなるような金は快楽や快適の追求だけではとても使いきれない。
慈善はよくできた儀式である。
端金を払って節税にもなるし、名声も上がる。
世界には善意があると《羊たち》は信じることができる。
しかし、メンバーに本気で《羊たち》の幸せや福祉を考える者はいない。
彼らの中で「人々」という言葉はいつしかしっくりこなくなっていた。
誰かが一度冗談で《羊たち》と呼んだらそれが定着した。
それは犠牲の羊であり、導いてやらねばウロウロと自分の方向も決められない愚か者の群れであった。
《羊たち》は〈世界の本質〉も知らず、目の前の幸福や不幸に没頭していた。
メンバーはそれが自分と同じ人間とは見ていない。
羊は羊の世界で一喜一憂していればいい。
〈世界の本質〉が何か、彼らにも見えているわけではない。
しかし、彼らは世界でいちばん高度で影響力のあるゲームに参加しているというプライドがある。
メンバーになるまでは、ありあまる富を持て余すような気持ちもあった。
しかし、メンバーになると、まだまだゲームの途中に過ぎないと感じることができる。
自分たちは世界を見下ろし、把握し、偉大な目的に向かっている。
ゲームが終盤を迎えれば目的もはっきりしてくるだろう。
それまではメンバーはただ同調してコマを進めていけばいい。
〈世界の本質〉が何かは知らないが、それを最初に知り、眺め渡すことができるのは自分たちだ。
メンバーは同調的なメンバーとアクティブなメンバーに分かれる。
ビルや少数のアクティブなメンバーは次々に新しいイベントや企画を考える。
それはエキサイティングだ。
地球と人類の方向を自分たちが作り出していると思えるものだ。
「マウイはやり過ぎじゃないのか?」
「あれはうまくいった」
「やり過ぎなんてことはもうこの世にありゃしないさ」
「あのやり方は他でもできるんじゃないか?」
「ブラジルの貧民街とかどうだ?」
「同じやり方が通用するだろう。すでにみんな考えているよ。あれこれ現在進行形だ。現在準備中の計画もあるから、リポートを送っておく」
「台湾はどうだ?」
「習近平はなかなか挑発に乗らないようだ」
「奴は毛沢東主義だろう」
「毛沢東は『1の敵に10であたれ』というタイプだ。内弁慶で、いわば弱い者いじめが得意なのだ。国内の少数民族は弾圧するが、我々を敵に回すのは、得策ではないと見ている」
「後継はどうだ?」
「みんな小粒だ。戦争を起こすなら習近平のほうがまだ簡単かもしれない。まあ、ぼちぼち煽っていけばいいだろう」
「しばらく戦争はウクライナでいいだろう」
ウクライナは、CIAが8年がかりで整えた自慢の企画だ。
誰もが潤っていた。
ビルなどは、
「自分の身を削るようにして戦争しているプーチンは哀れな愚か者だ」と言った。
我々は戦争のたびに肥え太るのだ。
二度とベトナムのような利益のない戦争はやらない。
もちろん戦争であるからには、損耗しているもの人命を含めてたくさんあるだろう。
しかし、それらは彼らには無縁で関心がなかった。
なにしろ、人口は少ないほどいい。
戦争で損耗していくのは歓迎だった。
戦争に伴う貧困や混乱も、彼らの目的を損ねるものではなかった。
貧困は問題ない。
やがて世界は一握りの持つ者と、貧しい者にくっきりと分かれていくだろう。
戦争の混乱はいくらでも安い労働力を生み出す。
仮に餓死するような者が出れば、それはまた彼らの目的に適う。
人口の削減はなるべく自然な変化として行われていくのが望ましかった。
貧困なものたちは目の前の現実で手一杯で、正確で十分な情報もなく混乱していた。
万が一にも反乱を起こすようなことはない。
強力なリーダーが現れれば別だが、リーダーが現れればそのときに懐柔してしまえばいい。
弱みのない者も欲のない者もいなかった。
弱みも欲もない聖者のようなものが現れたら、潰してしまえばよかった。
要するに貧困な者が増えることは、必然であり、メンバーにとってもどちらかと言われれば好都合だった。
戦争の話がひと段落すると、食糧の企画の話になった。
「僕のほうでは牛の遺伝子と豆をかけあわせて、牛の味のする豆を作った。味はまあまあだが、ハンバーガーのパティくらいには使える」
「うちの研究はもっとすごいぞ。前にも言ったかな? 『自己増殖する肉』が完成した。工場で水と光、栄養を与えれば、どんどん分裂して大きくなる。世話がいらない。完全に自動化できる」
「それはすごい」
「遺伝子組み換え食品は将来、従来の30倍以上の生産効率を達成するだろうと考えている」
「もう実用化できるのか?」
「もう可能だが、遺伝子組み換え食品には《羊たち》にも若干の抵抗がある。これを慣らしておく必要がある。それから旧来型の畜産業を処分する必要もある。……いまは、この肉を腐りにくくする研究をしている。輸送費と保管費の大幅なコストダウンになるのでね」
「俺はそんなものは食いたくないな」
「我々は別さ。こう見えても私はナチュラリストだ。私には各地に原種の植物の広大な有機農園がある。また放し飼いの牧場もね。みんなも用意しておいたらいい。もちろんジェット機でランチにきたら、いくらでも御馳走する」
彼らの多くは核戦争にも耐えられる広大なシェルターを準備していた。
シェルターで退屈せずに快適に暮らす環境を作るには莫大な金がかかる。
それは彼らが求めている間違いなく価値のある金の使い道であった。
また世界のさまざまな汚染から免れる場所も世界中に確保してあった。
これはひどく難しいことになりつつあったが、小さな国ほどの土地を買えば、その中を比較的清浄に保つことはできた。
そのような準備こそ、工夫のしがい、金の使いがいがあった。
メンバーに環境汚染を心配する者もいたが、それは口に出しにくかった。
全体にそのことを気にする雰囲気はなかった。
彼らが動けばそれなりに効果が上がるだろうが、他の事業家たちは環境を汚染し続けるだろう。
なぜ我々が損をしてその尻拭いをしなければならないのか?
メンバーが「善玉」になるのは御免だった。
それに人類を削減していけば最大の環境浄化になった。
人類が半分になれば使うエネルギーも半分、生産物も半分、ごみ、廃棄物も半分になる。
人類こそ最大の汚染源である。
人類を数分の1にしてから本格的な環境浄化に取り組むほうが資本効率がよかった。
そういうわけで環境が気になるメンバーはせいぜい環境団体や環境ビジネスに寄付や投資をしたが、人類を削減しない限り気休めでしかなかことを知っていた。
「食糧といえば日本がたいへん興味深い」
ビルが手元のノートパソコンから顔を上げて話に参加してきた。
ビルはネクタイこそしていないが、ジャケットを着ている。
ビルが一度話始めると、そのまま全部話は持って行ってしまうことが多い。
ビル「日本は放射能汚染水を垂れ流し始めた。中国は日本の水産物の禁輸措置を取った。これは漁業に壊滅的な打撃を与えるだろう。漁業も工場生産化を進めるべきだろう。
我々の食糧産業が発展しきる前に海の汚染が進んでしまうことは避けなければならないが、食糧の供給を一元化することは我々の目的に叶う。
日本政府は今、畜産農業漁業に圧力をかけて旧来産業を潰そうとしている。
食生活を変えていくのだ。
今回はコオロギを食べさせる、という企画を試しに米政府が日本に持っていったら、抵抗するどころか丸呑みにしてしまった。さすがに日本人にも虫を食う食習慣はほとんどない。しかし、勧められたものを食べないのは失礼だ、と彼らは考える。
信用ある大手の食品メーカーまでが、抵抗なくコオロギを扱うようになった。
彼らはじつによく教育されて礼儀正しい。
教育されることによって自分が何者かを見失う。本来の自分を失うのだ。
昔の日本の政治家は教育程度は低かったが、性格はゴツゴツしていて、アメとムチで動かさなければならなかったが、今やこちらが小指の先を動かすだけ、眉をぴくりとさせるだけで意を汲んでくれる」
「それはソンタクという美徳らしい」
「彼らはサッカーを観戦にいってスタジアムを掃除して帰るらしいじゃないか」
「ほんとか。考えられんな。掃除夫が失業してしまうぞ」
ビル「日本の教育こそ、すばらしい。無駄な個性を削ぎ落とす。彼らは理想的な《羊》を作り出す。自らを平均化しようとする。つねに平均値と比べて自分と他人を判断する。そして、自分たちと違う黒い羊は社会からいびり出してしまう。そうして粒を揃えてから改めて個性を出せ、という。たいへん計算しやすい導きやすい民族だよ」
どうやらビルは日本に彼なりの関心があってチェックしているらしい。
「計算しやすいといえば、《世界コンピュータ》はどうしたね?」
誰かが尋ねた。
《世界コンピュータ》は、世界の主要なできごとを予測するコンピュータである。
ビルは数年前からこれに注力していた。最高のスタッフを揃え、可能な限りの有用と思われるデータを蓄積し、最高機能のコンピュータを使って分析したが、結果は思わしくなかった。
ビルの苦戦にみんな面白半分の興味を持っていた。
ビル「一致率は、27パーセントから43パーセントに上がった。これには日本の将棋AIの考え方を取り入れた。3つの別々のシステムを作り、この予測を戦わせるのだ。この結果の相互分析によって一致率を70パーセント近くまではあげられるだろう。
しかし、このやり方は予想以上に金がかかる。金がいくらあっても足りないよ」
メンバーは、ビルの「金がいくらあっても足りない」という口癖にニヤニヤした。
足りないはずがないのは、メンバーはみんな知っている。
金が足りなくなるほどの使い道で、意義のあること、そしてさらに富を産むもの、それこそ彼らが求めているものでもあった。
ビルはこの口癖は歓迎されていた。
ビルはこれを口実に、しばしばメンバーに投資を求めた。
そして、ビルは自分のプロジェクトへの投資に関しては義理堅く、投資した以上のものを返してくれる。
金で返せないときは、情報やその他の形で。
ビルの影響で、メンバーは自分の持っている有望な事業、儲けが確実な事業についてメンバーの投資を募った。それが一つの挨拶、マナーとなっていた。
相互投資はメンバーにとって、お互いを理解することであり、交友や絆を作り出す機会だった。
そして多くの投資が実際に新たな利益を生んだ。
そして、彼らの利害はより一体化していった。
ビル「《世界コンピュータ》は、そもそも気候分析のモデルから始まっている。気候、自然もなかなか手に負えないが人間はもっと手に負えない。気候については近頃さまざまな人的干渉の方法が実用化されてきた。米軍の気象兵器のことだ。
人的な干渉を行って、その結果を観測するという手法を取ることによって予測精度は飛躍的にアップした」
「近頃では、その人的干渉をやり過ぎたせいで災害を呼んだり異常気象をもたらしているとも言われているぞ」
ビル「それはデマだ!」
ビルの気分は急に氷河期のように冷え切り、氷の刃で異論を断ち切った。
ビルの特質として感情はなだらかな曲線を描かない。
デジタルに断崖絶壁のように変化した。
一回氷点下の温度に下がってもすぐに元の温度を取り戻す。
ビル「とにかく。今は人間の行動を予測することのほうがはるかに難しい。態度のバラつきが多すぎる」
世界コンピュータは、気象、エネルギー、株価、為替など経済の動き、軍事、政治、工業、農業、水産業、畜産業などあらゆる産業の動きを網羅している。
情報の精緻化や日々のシステム改良に伴い、個々の予測精度は日々上がっているが、それらを複合させると予測精度は下がってしまう。
ビルの抱える優秀なスタッフたちも四苦八苦するところであった。
ビル「人間というやつはいまいましい」
計算できない動きをする人間たちほどビルの嫌いなものはなかった。
コンピュータで世界の完全なシミュレーションを作り出す。
そのためには、人間もデータ化されなければならなかった。
世界はコンピュータに似てくるべきだ。
計算できない人間たちはビルをイラつかせた。
マウイのロコなどは典型だ。
古臭いものにしがみついて、進歩を阻害する。
情報につながり、それに左右される者たちこそが新しい時代にふさわしい。
確固とした自分を持つ者、変わろうとしない者、周囲と違う判断をし行動する者、こういう者をふるいにかけて排除していくべきだ。
ビルは古いコンピュータを次々に陳腐化させて、新しいコンピュータを売ってきた。
それと同様に自らをアップデートしようとしない者たちは次第に居場所を失うように仕向けるのだ。
習近平の少数民族に対する迫害をビルは支持していた。
しかし、中国そのものは情報がいびつで少ない、という意味で処理しなければいけない対象だった。
何をするかわからない勢力はいらない。
中国、ロシア、イスラム圏は、少しずつその力を削いでいかなければならない。
キリスト教はアフリカをかつて「暗黒大陸」と呼んだ。
暗黒の世界をキリスト教と文明の力で教化し、光を入れて切り刻んだように世界はまだまだ暗黒だ。均質化させ、一元化する必要があった。
「貧乏人と病人、弱者は把握しやすい」
それがビルの考えである。
国、民族、個人を把握しやすくなるまで弱らせる。
それを推し進めなければならない。
利益を出しながら。
なぜなら利益は人と人、国と国とを最も簡単に結びつける。
win-winの形を作っていくだけで文明の方向は決まっていく。
ビル「もっとワクチンを打つんだ!」
ビルは唐突に自分の内なる言葉を口に出してしまった。
「コロナ騒動も頭打ちで、ワクチンの害毒も広まってしまった。そろそろ難しいのではないか」
ビル「日本などまだまだ買う気でいる。それに今度は……、少し致死性の高いウィルスを撒くことを考えている」
「おいおい、俺たちまで死んでしまったら元も子もないぞ」
ビル「いま、研究しているのはウィルスに時限装置をしかけることだ。1ヶ月半から2ヶ月で極端に弱毒化するウィルスができる。しかし、2ヶ月もあれば《羊たち》がパニックを起こすのに十分だろう。《羊たち》は、1,2年はワクチンに殺到する」
「俺たちは大丈夫なのか?」
ビル「特効薬がある。イベルメクチンだ。……それともみんなには僕の特性ワクチンを配ろうか?」
「ビル、それは遠慮しておく」
ビル「あはは。それは残念だ」
ビルは近頃では珍しく少年のような笑顔になり、愉快そうに笑った。
ビルが武漢ウィルスの発案をしたのは、コンピュータ・ウィルスからだったという。
ビルはコンピュータ・ウィルスにたいへん興味を持ち、全種類を収集している。
ウィルスとワクチン、それぞれの相関と進化が彼の好奇心を刺激した。
無限のイタチごっこ。
そして、マッチ・ポンプ・ビジネス!
しかし、彼の立場で本腰を入れてマッチ・ポンプ・ビジネスに参入するわけにも行かず、やがて彼は欲求不満となり、そのアナロジーで人のウィルスとワクチンの関係に興味を持った。
今でもコンピュータ・ウィルスにはインスパイアされ続けている、と彼は語る。
ビル「みんな健康に感心があるよね? 僕はいまDNA医療を研究している。DNA医療一般ではなく、僕個人のDNAを研究して、そこから最適な医療を導き出すんだ。いわばたった一人のための医学だ。世界の最前線の研究者、医者を引き抜いてきて、必要な機器をすべて備えてね。世界最高の医療施設だろうね。金がいくらあっても足りないんだ。みんなのDNAでもできるよ。少しばかり投資してもらえればね」
何人かがもぞもぞと身じろぎしたので、投資する気十分と見たビルは続けた。
ビル「これであと150年ほど生きられないかと思っている。100年くらいならメドがつくかもしれない。……といっても、人間の身体のことだからね。来月に死んでしまう可能性だってなくもないけれどもね」
メンバーはビルはあと150年生きるつもりでいるのか、と衝撃を受けていた!
快楽を思いのままにする大富豪にとって不老不死こそがテーマであった。
ビルはメンバーが衝撃を受けた部分を勘違いした。
ビル「僕が一ヶ月後に死んだからといって心配はいらない。僕はまたここに何事もなかったかのように現れるよ。というのは、僕は自分自身をかなりの精度でAI化したんだ。事業に5つの選択肢があるとして僕ならどれを選ぶか、というテストをしたんだ。このAIはすでに97%の一致率に至っている。さらにデータをインプットしているから日々僕自身に近づいている。映像も準備してあるから、君たちはきっと何も気づかないに違いない。一度テストしてみるかな?」
メンバーたちはしげしげとビルの映像を眺めなおした。果たしてこれが本物だと確信していいのか。幻を見ているような気分になった。
ビル「僕はこのAIに全事業を継がせるつもりなんだ。これには3つの方法がある。一つは別の人間を代表に立てておいて、実際の決定はAIにくださせるということ。もう一つは、法を改正してAIが法人の代表権を持てるようにすること。もう一つは僕が死んだことを秘密にしてAIが生き続けることだ。それぞれ一長一短なので考えているんだ」
やはりこれは未来世界なのだ、人類の未来はここにある、とメンバーたちは思った。
次第に興奮して目をキラキラさせたビルは叫んだ。
ビル「君たちのAIも作ることができるよ! 僕らは不滅の存在になれる!」
珍しくビルが少し間を置いた。
ビル「そして、《世界コンピュータ》が90パーセント以上の精度になったとき、僕らのAIと《世界コンピュータ》をリンクさせるんだ。それで僕らは《世界の意志》になれる。いや、《世界》そのものになるんだ!」
沈黙がその場を支配した。
ビルは神か?
さもなければ……。
たぶん「さもなければ……」のほうだが、それは別に構わなかった。
メンバーの多くは子どもの頃、『モノポリー』のボード・ゲームに夢中になったことがある。
ゲームは資本を持って戦いあい、たった一人が資本を独占したときに終わる。
この世界のゲームオーバーを目撃したい。
誰かがコマやカードをざらざらと集め、ゲーム盤を畳むだろうか。
ゲームオーバーは無理でも最終盤を自分の生きているうちにこの目で見たい。
ビルや数人のリーダーは、間違いなくその世界に導いてくれる。
なんともいえない静寂がメンバーたちの液晶バネルを支配したとき、ビルの机上で電子音が鳴った。
ビル「時間だ」
それまでギラギラと光っていた目が冷めた目に戻り、すっと部屋の温度が下がるような感覚を誰もが味わった。
ビル「では、また」
ビルは家族との語らいの時間も15分、20分と時間を区切っているという。
去るときはメンバーが挨拶を返す暇もなく消えた。
それにつれて多くのメンバーが去り、気心の知れた連中だけが残って世間話をした。
-先週シェフをクビにしたんだが、どこかにいいのはいないか?
-新しいクルーザーを作ったんだが、お披露目パーティにぜひきてくれ。
-名の知れた女優が大きな失敗をしでかして、パトロンを求めているらしい。
-今度某島に新しいレストランができたんだが、ランチをしないか?(世界各地に自家用ジェットが数機発着できるセレブ専用のレストランがあった)
-何か目新しい遊びはないかな?
そんないつもと変わらない話だ。
完
**************************
このお話は完全なフィクションであり、実在の人物、団体とは何の関わりはありません。
全くの想像力で書かれており、事実と勘違いしないようにお願いします。
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2023-09-07T15:46:44+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
-
http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=289
「コロナの世界から何を学ぶか」真理について
最近出したメルマガを転載いたします。
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●みなさまごぶさたしています。だいぶ発行間隔があいてしまいました。
[ZONE22]の情報論を書こうとして、何週間も書きあぐねていました。
壮大なテーマで、しかも細部がややこしい。筆が進みません。
今回、この原稿は宿題にして、短いメルマガをお送りします。
コロナという現象とはいったい何か? について書いています。
そして「真理」というものについて。
重苦しい状況が続きますが、少し違う観点を提供できればと思います。
******「コロナの世界から何を学ぶか」*******
「群盲、象を撫でる」という格言がある。
この格言は差別語狩り、差別に人々が敏感になって以降、だんだん使われなく
なっているだろう。日本ではやがてこの言葉の存在を忘れていくのではないだ
ろうか。
ところが私はこの言葉が大好きで、深いと思っている。
だから必要な場面では使っている。
この格言は歴史的にも地理的にも、広がりがあるようだ。
歴史的淵源は古過ぎてわからないが、ペルシャの昔話にあると聞いたことがあ
る。
あるいはイスラム秘教スーフィと関係があっても不思議ではない。
たいへん由緒ある格言である。
知らない人のために解説すると、たくさんの盲人が象を撫でて、足を撫でた人
は「柱のようだった」、耳を撫でた人は「扇のようだった」、尻尾を撫でた人
は「紐のようだった」、胴体を撫でた人は「壁のようだった」とバラバラのこ
とを言うという格言である。
では、象の全体像はどこにあるのだ?
彼らの言うことをまとめても、まるで象という全体が浮かんでこない。
この格言は「真理」についての知恵なのである。
人が「真理はこうだ」と語るとき、つねにある断片を語っている。
自分が手探りして得た部分的な認識がすべてだと思い込む。
そこに執着するなら、むしろ真理からは遠くなる。
そういう教えをたいへんわかりやすい喩えで表したものだ。
では、真理をつかむにはどうすればいいか。
まず謙虚でなければならない。
真理とは本質的に人には知り得ないものである、という謙虚さだ。
そして、自分が知り得たものは、部分に過ぎないと知れば、全体に対する畏敬
が生まれる。
その中で人の言葉にも耳を傾けることができる。
「柱のようだった」と体験した人も、「扇のようだった」という人の言葉に耳
を傾けることができる。
そして、自分の期待、利害や思惑、思い込みなどから自由な人だけが、少しだ
け全体像に近づける。
*
これを現在のコロナの状況に当てはめてみる。
コロナがどんなウィルス、どんな病気、どんな現象であるか。
これが象である。
みんな口々に「コロナはこうだ!」と口にしている。
しかし、多くの人にとって、どれを取り上げても納得できる全体像にはならな
い。
「象は柱のようなものだ」と決めつけてしまう人もいるだろう。「コロナは風
邪のようなものだ」、「コロナは陰謀だ」それで生き方ははっきりして簡単に
なるが、真理に近いかどうかはわからない。
もともと世界は人にとって、わけのわからないものだったのである。わからな
いものは怖い。
そういう怖いものと向き合う恐怖から、人はおまじない、迷信や、宗教などを
作った。そこに法則的なもの見出し、「未知のもの」を「既知のもの」、「扱
い方を知っていれば怖くないもの」に変換しようとしてきたのである。
そういうおまじないの集大成が科学や医学、さまざまな学問である。
それらは、全ての自然現象を自らのマトリックスの中に取り込んで、「我々は
すべてを知っている。対処できる。未知の部分はわずかでそれを全て征服する
日も近い!」と叫び続けてきたのである。
しかし、医学がすべての病気・症状を治したことは一度もない。
経済学が何かを予見して経済を救ったことは一度もない。
気象学も地質学も台風や地震の被害を軽減することはない。
すべてのおまじないの網目の隙間から、「未知のもの」「制御できないもの」
が顔を出す。
これこそ、人にとっての本来の怖い「世界」である。
それが怖いから世間の人は、学問の権威にすがる。
彼らの後ろにつけば、「未知のもの」に自分自身が出会わなくて済むからだ。
しかし、これから未知のものが台頭してくる。
その名は「自然」である。
当たり前のことをいうが、人類は自然を征服などしていない。しかし、なんと
なく「だいぶいい線行っている」と思っていただろう。
その隙間からいろいろなものがでてくる。
過剰に怖れる必要はない。
人も自然に属している。
そのことを思い出すのだ。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━……・・ ・
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文章×表現《秘伝スクール》 第14号(通算289号) 2020/07/21 発行
編集責任者:村松恒平
発行:創作する人のための文章学校 http://www.hiden.jp/
Copyright (c) 村松恒平 All Rights Reserved. 禁複製。
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言葉と心
2020-07-26T16:48:13+09:00
村松恒平
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村松恒平
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新世界のデザイン[ZONE22]
私のメルマガの転載です。
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私のメルマガの転載です。
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┃文章×表現《秘伝スクール》 第13号(通算288号)
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┃ 「新世界のデザイン[ZONE22]」
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●「何かしたい」人のために始めた
最初、私の飲み友だちの女性があるとき、日本社会、日本政治に憤って、「何
かしたい。だけど何していいかわからないのよ」と言ったのです。
私は「なんだ、同じ気持ちなんだ」となんか繋がった気がして、うっすらとし
たアイデアだったものを形にしようと思いました。
それが前号でお伝えした新しいニュース・メディアです。
[みんなのニュース]
https://minnanonews.com/
クリックすると、こんなに早く形になるものかとびっくりするのではないかと
思います。
驚くほど多くの方が共感・賛同してくださって、早くもしっかりと動き出して
います。
*
1つの挿話を紹介します。
リーズスペースという面白いサイトをされているタマオさんから、私のメルマ
ガに心動かされた。ついては自分のサイトに転載したいと連絡がありました。
ありがたいことです。
ここに転載されています。
転載された記事。
https://reedsspace.com/hiden/#comment-40459
コメントで論議も起きています。
論議には私もちょっと参加したのですが、本気になるとこのメルマガを書く時
間がなくなるので離脱しました(笑)。
このあと、ブログでとりあえずニュースをスタートしようとしたのですが、タ
マオさんからwordpressというソフトを使ったほうが将来に拡張性がある、と
言われました。
これはサーバーから立てるもののようなので、全く私には手が出ません。
タマオさんに立ち上げお願いしたら、快く引き受けてもらいました。
そのあともドメインをとったり、引越ししたり、さまざまなことをリードして
もらって、次第に使い勝手のいいサイトに育ちつつあります。
また寄稿者、編集人も力強く集まり始めました。
私の旧友にも声をかけて、協力してもらっています。
昭和の将棋に升田幸三という個性的な大棋士がいました。
彼がこう言っています。
「駒をうんともったときは、おくれている。三歳の童子とはちがうのだから、
足りないところで精いっぱいの仕事をしなければならない。僕はいつも、足り
ない、足りないという感じをもちながら、そういうところで仕事をしてしまう」
「足りないところで仕事する」
[みんなのニュース]も構想段階から、全然いろいろなものが足りないのです。
近頃の言葉でリソースといいますか? そういうもののメドを全くつけないま
ま踏み出しました。
足りないまま、一歩踏み出したら協力者が現れて形になりました。
私は今までこういうやり方をしたことがなかったです。
頭の中でもっと計画を固めたいと思っていました。
1人で全部計算しようとしていました。
しかし、頭の中でいくら設計図を作ってもその通りにはならないのだから、こ
れでいいのです。
まだこれからです。進み続けないと整ったものも崩れてしまいます。
ぜひみなさんの力を貸してください。
投稿必要です。アイデア必要です。読者、賛同者を増やすアクションが必要で
す。
気に入った記事を簡単な感想つきでSNSにシェアしてくださるとうれしいです。
電凸で取材してくれる人も募集中(ギャラでません)。
その他、あなたの力もこの流れに合流していただければうれしいです。
協力の申し出は、
news@hiden.jp
原稿の投稿は
post@minnanonews.com
投稿の方法と基準は
https://minnanonews.com/page-223/
●さらに新しい大きな計画
じつは、このニュースメディアは、さらに壮大な計画の一部なのです。
その計画、デザインは、あまりに大きすぎてある意味で漠然としたものです。
あまり大きすぎて、こちらの「足りなさ」と言ったら、ニュースメディアの比
ではないのです。
しかし、足りない分だけいろいろな人を受容する大きな器があります。
こちらも発表したほうが全体のエネルギーがうまく回るかもしれないと判断し
ました。
[みんなのニュース]に協力を申し出てくれた方々に勇気をもらって、ここで
一歩を踏み出そうと思います。
長い文なので、今回のQ&Aはこの件にいたします。
Q.
今計画し、読者のみなさんに呼びかけようとする巨大な計画とは何ですか?
A.
●その名は[ZONE22]
[ZONE22]という名称です。
これは精神的なエネルギーフィールドであると同時に、象徴であり、運動であ
り、人のネットワークです。
非常に高度で抽象的な提案になります。
あまりいろいろいうと、わからなくなりますね。
これは今までにない「運動」の提案です。
運動というと、政治運動、社会運動を思い浮かべるでしょうか?
それとも運動会のように身体を動かすこと?
電子の運動?
これは電子の運動のようなミクロレベルから、社会運動のようなマクロレベル
までをシームレスに連動させる運動です。
今までにないものなので、私にもまだ全貌はわかりません。
走り出してみないと、わからないのです。
22とは、22世紀です。
2101年。今から81年後の未来とつながるゾーンを作り出すというテーマです。
このゾーンは7つの波、7つの層からなっています。
波と層というのは、同じものを指しています。
波というと、あまりに一過性の運動としてとらえられてしまう。
層というと、固定したものと捉えられてしまう。
同時にどちらでもあるということです。
固定した層であると思っていると、波が止まると無くなってしまう。
そういうものだと思ってください。
物理学で光が波動性と粒子性があると言われてキョトンとしたことがあるでし
ょう?
それと同じようなことです。
私たちは、今日の破滅的な(そう思っていない人もいるでしょうか?)社会の
マトリックスから抜け出すためには、2つの目に見えないものを確実に扱って
いかなくはいけません。
目に見えないもの。
1つは精神です。精神の世界にある法則性や要素を、扱います。
2つ目は可能性です。
今の政治は可能性に対応していません。災害に対する備えに現れています。
今回のコロナ禍の混乱に現れています。
千葉の台風被害のときもそうです。
そして、原発です。多くの原発が大地震があれば、大きな災いをもたらすと警
告されています。
実際、福島の原発に対しても、地震・津波に対する備えが不十分だという警告
があったにも関わらず無視されています。
なぜ原発を再稼働するか?
数々の「大人の事情」もあるでしょう。
しかし、それ以上に目の前にあって触れる「現実」以外の可能性がまったく見
えなくなっているのだと思います。
たとえば、電力会社や行政の中のある個人が地震の心配をすることはあるでし
ょう。
しかし、その想像力で見たものは組織の中で全く共有されない。
誰の心にも頭にも響かない。
目に見えない可能性に対して、何の人的エネルギーも使わない、想像力を働か
せない、お金も使わないことで、「合理的」に「コストカット」していくので
す。
それは目先の利益を生み出し、定着します。
そういう経験の中で、個人の想像力は失われ、組織の中で等質化していくので
す。
ですから、私たちは、そういう組織の人たちの同類にならずに動き出すために、
目に見えないものを物質と同様に「見る」能力を育てないといけません。
あやふやなものとして扱うのではなく、きちんと「見て」「共有する」のです。
7つの波、7つの層はそういう意識で読んでいただけるとよりわかりやすいと思
います。
[ZONE22]の目的を改めて申しましょう。
それは人の生命の可能性を最大限に開花させることです。
人の可能性を開花させるためには、自由であることが必要です。
前回のメルマガで書いた通りです。参照してください。
「生命の開花・自由・自然」を実現する。
個人的に実現し、社会にもその環境を広げていく。
このシンプルなことが目的です。
道に迷ったり、間違えそうになったらここに立ち返ります。
[ZONE22]の7つの波を順に説明します。
**
第1の波
想像。意識の層
これは個人の精神領域を何十倍にも拡張します。
2100年。正確には22世紀は2101年からだと思いますが、きりのよい2100年でも
いいです。
この年を想像することがありますか?
多くの人はもうその年には生きていないでしょう。
今20歳の人でも100歳ですからね。
私は145歳になります。たぶん生きてます。
無理かな(笑)。
実際は、80年後のことどころか、来年のことも考えにくい時代になってきまし
た。
新コロナの環境下では、来年どころか、来月、来週のこともわからない、とい
う人もいるかもしれません。
しかし、それでも敢えて遠い未来に目を向けてください。
昔は100年の計と言いました。今は80年くらいでも十分でしょう。
80年後に「生命の開花・自由・自然」が実現している社会を想像してください。
最初は抽象的な言葉でしか浮かばないかもしれませんが、1日に1回、2回とそ
の世界を想像して深呼吸してください。
今のあなたが1か月後のことしか頭に心に浮かんでいないとすると、1年で12倍
に想像力の射程距離を伸ばすことになります。
80年だと960倍に伸びることになります。
これを三角形の底辺だと思ってください。
底辺×高さ÷2が三角形の面積です(懐かしい)。
これであなたの心の1つの機能の面積は960倍(1年後を思える人は96倍)に拡
張されるのです。
心の中の空間を物質のように思い浮かべるのです。
そして、ここに生き生きとしたイメージを持てる人は、イメージの広がり、自
由な発想、心の柔軟性と強さを手に入れるでしょう。
もし私たちの寿命があと1か月と決まっていれば、可能性はかなり限られてい
ると感じるでしょう。80年あると思えば可能性は大きく広がります。
それと同じことなのです。1か月後しか想像しないのと、80年後を想像するの
では、使えるスペースが変わるのです。
私たちは3次元世界に住んでいますが、意識の世界では時間という第4の要素を
導入できるのです。
余談になるかもしれませんが(すでに十分に長くなりそうなのに)、私は人が
3次元も十分に生きていないのではないかと最近考えることがあります。
私たちは両目の映像の視差によって、バーチャルに3次元を作り出しているけ
れども、身体感覚としての3次元は生きていない。
自分の身体の厚みなどは感じていないのです。
そこを開発すると心身がもっと活発に健康に創造的になるのではないか、とい
うアイデアです。
ITや素材などテクノロジーの進歩は凄まじいですが、その歩調に合わせて私た
ちのインナースペース(心身)への理解も何段階もバージョンアップしていか
ないといけないのです。その準備はもう十分できているのです。
次元感覚は新しい鍵として、扉として使えるでしょう。
三角形の底辺をそれだけ拡張できるなら、高さも拡張できるのでは?
そう考えた人はいますか?
それはすばらしいセンスです。
底辺が時間だったから、高さは空間です。
しかし、実際の土地ではなく、ここではつかみやすいように人々にします。
私は日本人、それから海外に住んでいる日本人、日本に住む外国人、日本語の
できる外国人、日本の好きな外国人に意識を広げます。
そういう人々といつか友人として交流したり、言葉をかわすことがある。
そういうイメージをします。
この設定は、国を超えていることが私には重要です。
そこに拡張があります。
全地球人にしてもいいけれども、それでは想像が届かない感じがします。
実際に外国語が使えて、異国の人と交流している人にはあまり拡張にならない
かもしれません。その方たちは自分なりに工夫してください。
この拡張は、太陽系、銀河系と宇宙に飛び出してもいいのです。
イメージの中でリアリティを持てるのであれば。
時間(底辺)の拡張だって、地球の誕生の頃まで遡ることもできるでしょう。
しかし、それではあまりに無限大で瞑想的になってしまうので、ここでは、現
在から2101年までに設定します。
よく「子どもや孫の世代に美しい地球を残そう」的なスローガンがありますが、
それとは違います。
ここでは、未来の実際の計画を立てることより、今すぐに私たちの中にこの三
角形を作り出すことが重要なのです。
この三角形を思い浮かべて、それを黄金(きん)色にイメージしてください。
黄金色の三角形を自分の中に作り出したら、その時空の中でいろいろなことを
考えましょう。
あるいは、この三角形は窓で、青空に白い雲が流れていってもいいです。
とにかく命のあるイメージを作ります。
今まで心の中で反射的に処理していたものごとをこの三角形の中に持ち込み、
新しい光を当てましょう。
三角形にインプットする。
三角形の中で処理する。
2101年に向けてこのものごとはどうなのか。
この考えは世界中の友人と共有できるものなのか。
それは人を自分を自由にするものなのか。
結論がでなくてもかまいません。
とにかく光を当ててやると、自然に変わっていきます。
そして、三角形が力を持ち始めます。
だんだんに新しい原動力となり、あなたを自由へと導いてくれます。
そして、この三角形を持った者同士が共鳴していくことがあるでしょう。
第2の波からは、内面から離れていきますが、この段階ができていないと意味
がありません。1日に何度かこの場所に戻って来てください。
**
第二の波
象徴の層。
象徴とは何でしょう?
私はときどきシンボリストと名乗ります。
シンボルを操作する者というほどの意味です。
象徴には、言葉や理屈では掴めない、やはり次元を超えたようなところがあり
ます。
私はあるとき、京都で枯山水を眺めていました。
そこには仏教の巨大な世界が表現されていると言います。
銀河系も小石の一粒くらいの世界観でした。
そのときに不遜な考えが頭をよぎったのです。
「壮大な世界を象徴が集約できるなら、逆に象徴を使って世界を操縦できるの
では?」
これはいわば魔術の原理です。
それを枯山水を見ていて再発見したのです。
呪文は言葉を象徴的に使用します。
魔法陣も象徴図形です。
さまざまな象徴によってこの世のものならぬ力を呼び出す、それが魔術です。
ピラミッドパワーが一時期流行ったのは、ご存知でしょうか。
ピラミッドの形の中に入ると、そこはパワースポットだというのです。
エジプトの古代の王は、そのことを知っていて、いちばんよい位置に自分の棺
を置いたのです。
形象にも象徴としての力があります。
アルチュール・ランボーは象徴派の詩人と言われますが、彼は明らかに魔術を
意識していました。
日本の丑三つ参りのわら人形なども象徴です。
男性器は、「男の象徴」と呼ばれます。
天皇は「日本の象徴」です。
マリリン・モンローやマドンナは「セックス・シンボル」です。
こう並べてみると、象徴とはなんとなくこういうものかと思いますが、説明す
るのは難しい。
あえていえば、
「巨大なものを小さく集約したもの」
「エネルギーの焦点のようなもの」
ということになります。
[ZONE22]では、まずロゴとシンボルマークを作ろうと思います。
ロゴとシンボルマーク、そして[ZONE22]という言葉そのものをこの世に生み
出したいのです。
この登場は唐突なほうが面白い。説明は一切なしです。
ただ[ZONE22]と書いたTシャツやトートバッグやワッペンをなんか街で見か
けるな、あれはなんだろう? ということにしたい。
ファッション・ブランドと間違われるかもしれませんが、それはかまいません。
間違われるほど流行ることはないかもしれません。
それでいいのです。
このロゴとシンボルマークでTシャツやグッズを作ること自体が象徴行為なの
で、結果は問わないのです。
問わないというより神様に委ねます。
象徴的な行為はそれ自体が意味から独立していないといけない。
いわば「無意味であることに耐える」必要があるのです。
その点でアートに似ています。
ただし、アートは人の心に訴えますが、象徴は直接にエネルギー界に働きかけ
ます。
その分、純粋なのです。
ロゴ、シンボルマークなど作ってくれる方がいたらご連絡ください。
今のところ、すべての連絡先は、
z22center@hiden.jpです。
またデザインだけでなく、Tシャツやグッズの製作や販売、クラウド・ファン
ディングなどをしてみたい方もご連絡ください。
これが事業のように立ち上がるようであれば、[ZONE22]の運営費にいたしま
す。
運営が回り始めれば、手伝ってくれる方にお礼を出しますが、当面それはない
ので、「象徴的な行為」としてご参加くださぃ。
**
第3の波
哲学の層
第3の波は、第1、第2の波からはっきり独立していなければなりません。
第1は、個人の内面です。
第2は、言葉を超えた働きかけです。
第3は、考えを表出、共有していくことです。
まず個人の中で確立し、シンボルを拡散します。
そしてシンボルを見て初めて知り、[ZONE22]とは何だろう? と疑問に思っ
た人は、この第3の波によって、蓄積・深化・進化した哲学の層に入れるよう
になります。
そのようにテキストを蓄積し、閲覧できる場所を作らなければなりません。
その運動の全体が第3の波です。
哲学は、いちばんシンプルにすると、「言葉をきちんと使う」ことです。
これは、いわば「言葉の力を取り戻す」運動です。
今の日本は言葉を踏みつけにしています。
何が踏みつけているかというと、エゴです。
今の国会中継を見たことがありますか。
安倍首相の答弁、あるいは官僚の答弁などで、「聞かれたことに答えず、違う
内容で無意味なことを繰り返し話す」という手法が定着しています。
これは前代未聞です。
自分と相手の尊厳を同時に貶める最低の手法です。
まともな人間のすることではありません。
どちらかというと自分自身の尊厳を泥まみれにしているのですが、その自覚は
ないようです。尊厳とか恥の感覚が庶民とは違うようです。
こんなことを許してしまう土壌は、徐々に培われていたと考えています。
いわゆる官僚答弁と呼ばれる空疎な紋切り型の答弁は、ずっと以前からありま
した。
言質をとられないように、きれいにそれらしい言葉を並べながら何も言わない
という手法です。
総理大臣とは子どもからみたら、いわば「日本のいちばん偉い人」です。
こんなことをしたら大ブーイングで即時に首が吹っ飛ぶのが本当のあり方です。
しかし、そこからあまりに遠い……。
それでなくても私たちは、子どもの頃から、校長先生の中身のない講話を聞か
されたり、心のこもらない言葉をずっと聞いていなければいけないことが多い
のです。
あるいは私たち自身も日常的に慣用句としての「すみません」や「よろしくお
願いします」などの慣用句を多用して、物事を表面的に円滑にやり過ごしてい
ます。
言葉については、もう1つの観点があります。
ツイッターです。
私は、3.11以来、ツイッターを観察しています。
非常に不快になるときがありますが、その刺激も含めてけっこう中毒になりま
す。
最近、ツイッターは、単なる言論の相殺装置だと思うようになりました。
というのは、ツイッター上で議論して「相手の考えのほうがすぐれている。だ
から、私は自分の考えを改めた」という人を見たことがないのです。お互いが
自分の立場はピクリとも動かないところで言葉の石を投げ合っている。
相手をやっつけることが目的ですが、論理的におかしいことを指摘された人も
絶対敗北を認めないので、泥仕合になります。
これは時間とエネルギーの相殺です。
その先の創造がありません。
プラトンの書いたソクラテスの対話篇が私の議論の理想なのです。
対話することによって真理に近づこうとするのです。
ソクラテスの論敵は必ず負けるのですが、論点をずらしたりせずにソクラテス
の会話のルールに乗って、たいへん潔く負けるのです。
実際はこんなきれいに決まることはないと思います。
理想化されたフィクションでしょう。
しかし、議論に共通の基盤があり、お互いの利害勝ち負けでなく、真理を探そ
う議論はうらやましい。
ツイッターの中の論争は仮に言い勝ったとしても、それが政府などの政策に取
り入れられるわけではありません。
力強い仲間や友人、同志ができるわけでもありません。
(今回検察庁の定年延長問題では活躍しているように見えますが)。
むしろ政府が莫大な(私たちからしたら)予算、何億、何十億という金を投入
して動向をコントロールしようとしているのです。
ツイッターを全否定するわけではありません。
ただ言論の場としてはさまざまな歪んだ圧力がありすぎて、有効ではないでし
ょう。
言論の場としてでなければ、ときどき面白い情報を拾ったり、楽しむことがで
きましょう。
しかし、なんか刺々しいやりとりがいつもあるので、近づかないという人も遠
ざかる人も多いです。そういう人たちの気持ちはよくわかる。
私もときに疲れて見なくなります。
人が何かを話す、聞く、書く、読むときに、国会のやりとりも、ツイッターの
やりとりも全く健全ではありません。筋のよい話し合いのできる場所が必要で
す。
この哲学の波では、2つのことを実現します。
[ZONE22]についての情報が集約される場所があり、新しい人に紹介されます。
[ZONE22]に興味がある人が集まり、いろいろな角度から考え、語り、概念を
深めていきます。
[ZONE22]では、[ZONE22]に関心がある人同士が話し合う場所を確保したい
と思います。少なくとも7層に対応する拡張可能な掲示板が必要です。
小さなSNSのようになるかもしれません。
この立ち上げをしてくださる方がいたらうれしいです。
話し合いに必要なことは、わりと単純です。
次のような条件を考えました。
1.自分自身と相手に対して敬意を持つ
2.「生命の開花・自由・自然」の尊重を起点とする
3.トゲトゲしい言葉を使わない
4.感覚や考えが違っても論争を避けて共有できる創造的な方向を探す
5.具体的な行動や自分の生活に結びつけて発言する
6.最終的には管理人が裁定する
1は、敬意があれば失礼なことは言わないということ。言葉尻もていねいに。
2は、出発点が共通であること(内容については前回のメルマガ参照)。
3は当たり前。
4.5は、必ず実のある話し合いができるということ。全員が基本的に同じ方向
を向いている。未来を創造しようとしている。だから、ぶつかり合うとしたら、
そこにはなんらかの基本ルールからの逸脱があると思います。
旅行の計画などと同じと考えてください。どこに行こう、あそこに行こう。
行きたいところに全部は行けないかもしれないけれども意思統一はできる。
どうしても波長があわなければ別の旅行をすればいいのです。
別のグループを作ってもいいし、ひとり旅でもいい。
個人の自由は尊重されます。
そういう精神で出発しましょう。
すぐに旅行にでなくても、もっと素朴にどこに行きたいか、という話でもいい
のです。
2101年に「生命の開花・自由・自然」の社会が実現するというヴィジョンがあ
れば。
川が合流してより大きな川になるようなイメージです。
流れる方向は決まっているから淀まないし、とどまらない。
そして大河となり、広大な海へと注ぐ。
一人一人がバラバラに考えるより、足し算にしたい。
広い角度から物を考えられる。知識や経験が集められる。
よい情報が集まる。
これらの集合知がまるで1つの頭脳のように働くのです。
そういう場を作り出す作法、流儀、気風ができないか、と考えています。
簡単にはできません。これには、訓練や習熟、経験が必要です。
音楽のオーケストラだって、見事なハーモニーを生み出すには、個人の資質と
信じられないような修練があって成立します。
人の文化は蓄積の上にしか生まれないのです。
第一歩から始めてみましょう。
6は、ニフティのシスオペ(懐かしい……知らないよね?)的なものを考えてい
ます。
サッカーや野球のレフリーの裁定は絶対です。
しかし、だからといって、選手より審判のほうが偉いということはありません。
役割です。
そういう存在がいたほうがいいなと感じます。
言葉は道具ですが、道具以上のものです。
なぜなら道具を使う私たちが言葉でできているからです。
言葉のつながり、私たちの中の慣用句が私たちの部品となっています。
慣用句が私たちの生き方を規定しています。
私たちは、「お世話になっています」と「よろしくお願いします」と言い合う
ことで、社会のマトリックスに従順であることを確認しあいます。
無意識に慣用句を話すことで私は私を演じ、私はこういう存在だとフィードバ
ックしています。
新しい人のつながりを得るためには、私たちは新しい言葉のつながりを探しま
しょう。
なめらかに慣用句を語るより、訥々と新しい言葉を選び始めましょう。
**
第四の波
経済の層
経済とは幻想である、と多くの人が言っています。
お札に価値があるのも、信用経済がこんなに発達したのも、世界中の人が共通
の強固な幻想を持っているからです。
経済学というのは、そのニギヤカし、誤魔化しであって(学者、学徒はまじめ
にやっているにしても結果的に)その幻想を強化するのに役に立っているので
す。
私は経済については、自分なりに考えたことだけで、このメルマガ一号分くら
い書くことがあるのですが、それではさすがに長すぎるので先のお楽しみにし
ます。
経済がいかに幻想的か、1つの話だけします。
れいわ新選組の山本太郎氏が、このコロナ対策として「金を刷れ、皆に配れ!」
と叫んでいます。100兆円以上の予算執行を求めています。
そんなことして大丈夫なのか。国の金がなくなってしまうではないか、と心配
する人がいるでしょうが、大丈夫なのです。
国の借金がどうとかいうのも、私たちが考えるようなことではないのです。
それがMMT(Modern Monetary Theory)理論です(厳密にはれいわ新選組の政
策はMMTとイコールではないという話がありますが、細かいことはよくわから
ないのでおきます)。
簡単にいうと、日本のような通貨発行権のある国では、ハイパーインフレを招
かない限りお金を刷って配っていいのです。
本はインフレどころか、20年もデフレです。
理想は2〜3パーセントのインフレと言いますから、たいへんな余力があるので
す。
専門的な議論は私の範疇ではないので、れいわ新選組の大西つねき氏に任せた
いと思います。
最初の20分だけでも聞いてみてください。
目から鱗が落ちて愕然とすることを語っています。
いま220兆円を配らなければいけない理由
https://www.youtube.com/watch?v=dawE3Kjgmbg
国にはたいへんな借金があるから、緊縮財政にしないといけない、という考え
と、余力があるから、どんどん金を刷って民のために使いなさい、という考え
では180度近く違いますね。
経済の世界は、幻想でできているから、読み方を変えただけで全く違う世界が
生まれます。
今の一元化した経済観ではなく、複数の経済の読み方、動かし方を作っていけ
るのではないか、と考えます。
私はお金の流れは、国家を人体に例えれば、「血流」だと思っています。
金が血液だとはよく言われることですが、これをもう少し深く考えてみたいの
です。
人々の間を巡ることで、暮らしを潤す。
毛細血管までよく回ったほうがいいのです。
人体全体を考えれば、細かいところまでお金が回らないのは、万病の元。
人の体だと冷えや高血圧に結びつきます。
「生命の開花・自由・自然」を実現するには、貧富の差は少ないほどいい。
ですから、これが[ZONE22]の基本的な経済観になります。
今は世界に超お金持ちがいますね。
一生使いきれないほどの莫大な蓄財している人は動脈瘤か静脈瘤みたいなもの
です。
病的な状態です。
経済自体が病んでいます。
現在の新コロナ騒ぎの日本には、一部で血流がほとんど止まっている業界があ
る。
ここが壊死すると、周囲の細胞も死んでいきます。
容易に再生しません。
廃業したお店は二度と蘇りません。
ですから、国は一刻も早く大きな財政出動をすべきなのです。
経済は幻想なのです。
ですから多様な読み方ができるはずです。
「生命の開花・自由・自然」のために経済が何ができるか。
考えて行きましょう。
**
第五の波
情報の層
私は3.11のときから、専門家不信になりました。
放射能の危険性を訴える科学者がいなかったからです。
たまにいると、その人は「特殊な人」として科学業界からはじき出される。
テレビには出れないし、世の中の大部分の人は耳を傾けません。
もともとそれなりの地位の人は、業界にどっぷり絡め取られてしまって、発言
しません。
発言しないどころか、「放射能は怖くない」キャンペーンをしたりするのです。
ですから、知識経験の量がどれだけすごくても正しい判断をするとは限らない。
すぐれた人格を持つとは限らない。
当たり前のことです。
今回のコロナ騒ぎでも、専門家は全く信用なりませんが、私はまったく驚かな
いのです。
そうではありませんか?
自宅のちょっとした工事をするにも、ただ業者に丸投げしては大損することが
あります。
自分でよく調べて考えておく。よくよく業者の話を聞いて判断するということ
をしないと、騙されたり、無駄なことをされたりします。
どんなことも専門家に丸投げしてはダメなのです。
自分でできることは自分でしたほうがいい。
それでニュースメディアに着目しました。
ニュースメディアは、巨大な産業、巨大なシステムです。
だから人は彼らに任せておくしかないと思っている。
そして報道が偏向していると文句を言います。
私はそこにちょっとした隙があるのではないかと感じたのです。
[みんなのニュース]は、それで誕生しました。
https://minnanonews.com/
金の流れが血流ならば、情報は神経系です。
健康な神経系とはどういうものか。
これは脳からの命令が行くだけでなく、1つ1つの細胞から情報が行き交うも
のでなくてはいけない。
今は情報もすべてトップダウンで、しかも政府にコントロールされています。
政府自民党は何十億もの予算をネット対策につぎこんでいるというではありま
せんか。
いわば毒を流しているようなものです。
どうすれば健康な情報系ができるのか。
自律神経系的なニュースはできないか。
ニュースを作りながら考えています。
蟷螂の斧という言葉があります。
大きな車に対してカマキリがカマを振り上げている様子です。
それに近いですが……このカマキリは考えるカマキリです。
考えて理解するカマキリです。
最大の果実は理解することにあります。
理解するために「書く人」を激しく募集中です。
ぜひみなさんも合流してください。
情報の波は、[みんなのニュース]以外にもいろいろな形がありうると思いま
す。
まだまだ不十分で模索中です。
**
第六の波
社会の層
[ZONE22]の社会運動には、2つの大切なことがあります。
1 「反」ではなく「非」であること。
私自身は、ご存知のように、どちらかというと、反体制、反権威、反権力的な
体質の人であります。
しかし、「反」はつねに反作用に「相殺」される傾向にあります。
同じマトリクス上で同じルールで戦うのが「反」です。
[ZONE22]は、「反」ではなく「非」を原理とします。
今の言葉でいうと、「斜め上」なのが「非」です。
塗り絵でいうと、クレヨンが絵の枠からどんどん溢れ出してしまう。
世の中のマトリクス、格子じまがあるとすると、その中をきれいに埋めて絵を
描こうとすると、その意図があろとなかろうと、マトリクスを強化してしまい
ます。
マトリクスから自由なアクションは何かということです。
マトリクスは轍なのです。
私たちは轍から外れようとしても、また戻ってしまいます。
そのほうが効率がいいからです。
しかし、何か創造的なものはここから自由です。
2 「問題」ではなく「解決」であること
「問題」意識を持つということがいいことのように言われています。
しかし、もう「問題」意識は要らないのです。
それはあらゆる分野で山積みになっています。
そして、自分の危機感を、新たな「問題」意識としてなんとか広めようとする
人がつねにいます。
しかし、社会問題と言われる問題の大部分は解決していないのではないか、と
思います。
たとえば、「いじめ問題」は、言われ始めて何十年も立ちます。
「問題」という名前がつく前からあったのではないでしょうか。
つまり学校でのいじめに限定すれば、学校ができたときからあったでしょう。
いま「いじめ問題」の状態を見れば、
*誰も解決できると思っていない
*誰も自分の仕事だと思っていないし、本気ではない
*解決するための努力は局部的にしか起きていないし、全体には波及しない
*解決する主体、責任がどこにあるかも曖昧
*原因の分析もなければ方針もない
*以前より悪化陰湿化していて、学校、教育委員会も全体的に事なかれ主義に
なっている。
上記のような状態が「問題」のあり方になっています。
全然解決に向かっていないどころか複雑化しています。
「問題」は「解決」とセットでなければいけないのです。
試験勉強でも問題集だけがあって解答集がなければ困ってしまいます。
問題を解決しようと思ったら、
*原因を特定する
*対策を練り、実行する
*うまく行かなければ、原因をもう一度確認して他の方法を試す
これを繰り返すしかないでしょう。
いじめ問題と言っても、それを問題にしたい当事者は、いじめられた当人とそ
の家族しかいないのです。
あとは知らないふりをしたい。ないことにしたい人ばかりなのです。
それをマスコミが「いじめ」があった、問題だとして取り上げて、見た人が「
ふーん、よくない、けしからん」と言いますが、だからといって何も起こらな
いのです。
こういう「問題意識」の構造には、入っていきたくないのです。
「解決意識」が大切だと思います。
問題はすっとばして解決、あるいは問題とセットで解決。
「問題」とカッコでくくって、放置することはよくない。
では、いじめ問題どうするか、といったら、とりあえず「学校行かなければい
いのではない?」ということから始めるでしょう。
学校という狭い場に閉じ込められなければ、いじめはありません。
「学校って本当に必要なの?」と3分の1くらいの親子が考えだしたら、違う形
が見えてくるでしょう。
学校に行かない子どもたちの受け皿を作るというアクションも出てくるでしょ
う。
既存の学校教育という枠組みを絶対視しないというところから始めないと解決
はありません。
(これは一例であって、必ずしも[ZONE22]がいじめに取り組むということで
はありません。)
解決意識、ということでいうと、たとえば「子ども食堂」の活動は、とても具
体的な解決へのアクションだと思います。
利益が目的ではなく、それどころか持ち出しで、子どもの食事を支えるのはす
ばらしい。
子ども食堂は善意に支えられた活動です。
[ZONE22]で、別に善意の運動を推奨したいわけでもないのです。
しかし、収益を上げる活動となると、誰もが考えて実行しているので、似てき
ます。
似ていれば激しい競争があり、既存の枠組みから自由になりにくいものです。
収益もないけど、持ち出しもない。自分自身の活動だけは無償でする。
という領域は自由性が高く継続可能な領域です。
必ずしも成果を求めないという点では、アート活動に似ているからもしれませ
ん。
あるいは趣味やボランティア活動にも似ている。
何をするのか、今のところわかりません(笑)。
ただ社会運動という領域を作っておきます。
**
第7の波
多核化の層
結局[ZONE22]とは、何なんだ?
それはデザインです。
可能性、創造性、想像力のデザイン。
普通デザインは形のあるもの、目に見えるものになされます。
これは目に見えない領域のデザインなのです。
見えない人には永遠に見えないデザインです。
デザインであって、組織ではないのです。
このデザインに共鳴した人、インスパイアされた人が動き出すとデザインが生
きた形に現れます。
最後の波はこれらの動きの核が無数にできて共鳴する層です。
[ZONE22]は、組織ではありませんから、運動のメインはそれぞれ自立した動
きになります。
もともと人間の可能性の開発という1つから出発していますから、てんでんば
らばらに動いていても、つながり共鳴し合うのです。
そして、3の哲学の波と、5の情報の波で相互に干渉し合うことになります。
何が起きるか?
まだわかりません。
何も起きないかもしれません。
**
まとめ●最後にもう一度、波と層について
1つの運動のデザイン、可能性のデザインについて発表しました。
第1の波は、心の内面の運動の拡張から始まり、最後の第7は社会的な諸運動ま
でつながるラフデザインです。人の可能性に、未来に希望を持つとしたら、こ
ういう方法しかないと考えました。
7つに分かれていますが、1つの光がプリズムで分化するようなものです。
周波数が違うだけで同じものです。
私という個人は、ラフデザインを描くくらいしかできないのです。
行動を新しく始める必要はありません。いまあなたがしようとしていることを
[ZONE22]に照らしていただければいい。
そうすると、微妙に変化して新しい和らいだ光が現れるでしょう。
疑問も多々あると思いますが、もう十分に長く書きました。
疑問は改めて質問などしていただけるとありがたいです。
7つの層に分けたので、多層構造についてもう少しだけ。
ダンスにアイソレーションという動きがあります。
首、肩、胸などを平行移動するのです。
この動きは独立したものです。
首を動かすときに、肩を動かしてはいけません。
胸を動かそうとして腹を動かしてはいけません。
やってみるととても難しい。
難しいというより、少しずつ訓練していかないとまったく動かないのです。
身体にはたくさんの癖と、筋肉の硬化があって、どうしても他の部分が連動し
てしまいます。
これは私たちの精神生活も同様です。
例に出して恐縮ですが、会社員のことを考えましょう。
会社員はお金を稼ぐために会社員です。
会社員の生きがいは仕事です。
会社員の人間関係は会社中心です。
会社員の発想は会社員です。
会社員の行動様式は会社員です。
会社員は家庭でも会社員です。
会社員は余暇も会社員です。
試みに会社員を7つの層にわけてみました。
これらは全部1つにもなります。
でも全部がバラバラにも動きます。
会社員が仕事以外は少しも会社員らしくなくてもかまわないのです!
7つ全部がつながっている人は、糊付けされたように全身が連動しています。
仕事が生きがいの人は、他に生きがいを見出せと言われても困るでしょう。
少しずつ糊を剥がしていかないと、急にはできないのです。
そこがアイソレーションと同じ(ぜひ動画検索して見て試してみてください)。
私たちは自由を得なければなりません。
それは連動性からの自由です。
多層的な認識は、この日本の糊付けされた閉塞を打ち破って、新たな時代を拓
くのに絶対に必要です。
「芸能人は政治的発言をするな」という人がいるでしょう。
他人を糊付けしようとする。
こういう発言をする人は心も頭も糊でガチガチに固まっている人です。
糊で固まっている人には、自由の概念はわかりませんから、議論しても仕方な
いのです。
先ほど論じたいじめ問題にしても、「子どもは学校に行かなければならない」
と糊付けされている限り、絶対に解決しません。
糊でガチガチに固まった人たちはここに置いていきましょう。
私たち自身が自由へのMOVEを始めることです。
MOVE! MOVE! MOVE!
*
[ZONE22]に興味を持ってくれた人はメールをください。
z22center@hiden.jp
これは専用メルアドですから[ZONE22]というタイトルは要りません。
【質問】【感想】【何かしたい】【情報がほしい】など、何でもいいです。
簡単な自己紹介などをつけて、自由に書いてください。
【質問】【感想】などは、このメルマガで採用するかもしれません。
なんらかの形でメールをくださった方には、[ZONE22]に動きがあれば情報を
送ります。このメルマガではフォローしきれない情報はそちらで流します。
このメルマガは転載可です。
クレジットを入れてくださることが条件。
転載したよと教えてくだされば見に行きます。
みなさまの反応をお待ちしています。
では、また次号で!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━……・・ ・
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まぐまぐ http://www.mag2.com/ [ID:0000068978]
]]>
自分・自由・自然
2020-05-16T19:51:50+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
-
http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=287
1月の領収書
JUGEMテーマ:心
領収書をもらう。
来年2月の確定申告のために。
なんとイヤなこと。
心はいまここにある。
しかし、領収書が役にたつのは、来年の2月。
遅延。
魂から遠いことを平然と押し付けてくるシステムが国家。
いらん書類を作らせて、肝心の...
JUGEMテーマ:心
領収書をもらう。
来年2月の確定申告のために。
なんとイヤなこと。
心はいまここにある。
しかし、領収書が役にたつのは、来年の2月。
遅延。
魂から遠いことを平然と押し付けてくるシステムが国家。
いらん書類を作らせて、肝心の書類は廃棄。
書類の王はクソ野郎だ。
税金を払うよりましだから、私は領収書をもらう。
]]>
言葉と心
2020-01-23T10:36:31+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
-
http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=286
[シンクローム]の最近
先日、[シンクローム]の弟子を取りました。
[シンクローム]を知らない人に一口で言うならば、昨日思いついたのですが、【真空活法】というようなものです。
説明すると長い。
こういうキャッチフレーズが要ります。
長い話は、人は聞いていないもので、「要す...
[シンクローム]を知らない人に一口で言うならば、昨日思いついたのですが、【真空活法】というようなものです。
説明すると長い。
こういうキャッチフレーズが要ります。
長い話は、人は聞いていないもので、「要するになんだ?」ということになるのです。
相手が知らないものを概念的に伝えるのは、たいへんです。
コップを知らない人にコップを伝えるのもたいへん。
「主に液体を入れる容器で、主に人が液体を飲むために使うので、大きさは手のひらに入るくらい。素材はガラスが多いけれど、紙やブラスチックもあって、これらは使い捨ても云々……」
これ絶対人は聞いていない。
コップなら「コップ」といえばわかりますが、新しい概念というのは、伝えにくいのです。
まあ、もし知りたいと思ったら、サイトを見てください。
http://synchrome.asia/
*
弟子をとった話に戻ります。
FBに書いた自分の記事から引用します。
------------------
●[シンクローム]とスポーツ障害
京都に2日間行ってきました。
目的はずっと行きたかった大本教の亀岡。
橘川幸夫さんの案内でディープに潜ってきました。
*
1日目は、『未来フェス』に参加。
これは自分のしていることを10分間でブレゼンするもので、[シンクローム]の理論を5分。
実践を5分しました。
今までで最も短いセミナー(笑)。
その場に、右肩その他を傷めた学生の女子ハンドボールの選手がいて、10秒ほどの施術ではっきり効果を感じたようです。
膝、かかとなどにも自分でして効果があり、「習いたい!」と弟子入りしそうな勢いです。
2時間ほどして、彼女の右肩が左肩より2センチくらい落ちているという指摘あり。
筋肉の余計な緊張が抜けたようです。
左肩も施術すると、同じ高さになりました。
[シンクローム]の普及はスポーツ障害のケアから始めるのがいいようです。
内臓の病気などに比べて効果がわかりやすい。
関係者の方がいましたら、ご相談、ご紹介ください。
そのあと、亀岡を運転案内してくれ曹洞宗の僧侶の方の腕の痛みも治して、今回は[シンクローム]大活躍しました。
----------------------------------------
上記記事にでてくるハンドボール選手が「ぜひ習いたい」ということで、試験的に遠隔の弟子にしました。
ハンドボールは怪我が多いスポーツらしいので、まずぜひクラブで実験、普及してもらいたいと思っています。
また僕も機会があれば、スポーツのサポートをしてみたいので、チーム、クラブなど故障が多くて困っている場合はご相談ください。
試験的に実費で施術、講習を行います。
さて、話は変わりますが、最近の顕著な治癒例を体験談でご紹介します。
****『父親の足の痛み、腸の不具合』
父の年齢は80代半ば、数年前までは年の割には元気で畑仕事に毎日のように通っていました。しかし、昨年末に持病の心臓病が悪化してからというもの、すっかり元気がなくなってしまいました。
一か月程入院生活を送り、退院はしましたが、自宅に籠りがちで食も細くなり、かなり痩せこけてしまいました。頸椎、腰椎にも問題があり、本人は両足裏が痛く、歩くのがつらい、足も冷たい。さらに毎日便も緩く、突然トイレに行きたくなったりするので、外出も控えている、と訴える電話が別居中の私に掛かってきました。
入院前は毎日のように、習い事、畑に買い物、と行動的であった人物とは思えないような変わりようでした。
父はマッサージや整体の類が嫌いで、シンクロームなんて怪しいものは一切受け付けない人物でしたが、弱っていた父を見かねて、私は本人に内緒で30日間のシンクロームを村松さんにお願いしました。別居中でしたので、父の様子は電話口で本人の話す内容、声の調子で体調の変化を判断して、その都度村松さんに報告していました。
“出歩くのが億劫、気力がない”と訴え、父は病院を受診するだけではなく検査も申し込んでいました。
そんな父でしたが、シンクロームセッションを開始した翌日から「足の調子が良くなった」と言い、外出も徐々に増え、日が経つごとに、父の電話口で話す声は張りが出始め、3週間後には緩い便の出る症状が治まった、と言い始めました。この間シンクローム以外でしたことは、便が緩くなる副作用がありそうなアレルギーの薬だけは止めているくらいです。本人は“(腸の調子が)良いんだよ。薬を止めただけでこんなに違うんだな〜”と上機嫌で話し、久しぶりに私が父の顔を見に行ったら、肌の色つや良く、確かに調子がよさそうでした。シンクローム開始前は、家の中を歩くのも辛そうでビッコを引いて歩いていましたが、普通に歩いていました。
30日セッションを終える頃には毎日のように外出できる状態に戻っていました。病院に検査結果を聞きに行きましたが、もちろん結果に問題はなく、“なんで病院で検査しようなんて思ってたんだろうな〜”と、 父はシンクロームのことはずっと知らないので、とても不思議そうな顔をしていました。
その30日セッションを終えてから2か月経ち、夏の暑い最中ですが、父は元気に毎日を送っています。村松さん、ありがとうございました。
こういう体験談がサイトにはたくさん載っています。
http://synchrome.asia/stories/
これはとくに、娘さんが心配して本人も知らないうちに治っていた、という話です。
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2019-09-12T11:32:23+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
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http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=285
【首相の器】「山本太郎の政治家としての天才性 その4 完結」
*メンタルの達人。無私と赤心の人。
山本太郎氏は、参院選前から時間があれば辻立ちをしていろいろな人と話してきました。
その中でも、すごいのは、集まった人の質問や意見を聞いてその場で答える、ということです。
これができる政治家が日本にどれほどいる...
*メンタルの達人。無私と赤心の人。
山本太郎氏は、参院選前から時間があれば辻立ちをしていろいろな人と話してきました。
その中でも、すごいのは、集まった人の質問や意見を聞いてその場で答える、ということです。
これができる政治家が日本にどれほどいるでしょうか?
(世界の一流政治家はできます)。
どんな質問が来るかわからない。
すべて勉強していなければ恥をかきます。
もちろん「山本太郎は、すべてにお答えできるわけではありません。知らなかったら教えてください」と、謙虚に前置きしますが、まともな質問にはおよそ答えられる。
知識があるだけではなく、その場で語るべき優先順位を組み立てて淀みなく答えます。言うまでもなく頭脳明晰。
誰かが用意した作文を読むことしかできない、それすらもまともにできない首相とは多いに違います。
「安倍はダメだが、代わる人がいない」という人がたくさんいるのは不思議です。
それは「自民党内がカスばかり」という意味でしかない。
面の皮の厚さだけは、立派な政治家ですが、これ以上無能なアンポンタンはいないです。
山本太郎の演説、参院選に入ってから、たくさんの支持者、サポーターが集まるようになりましたが、それ以前の辻立ちはかなりアウェーな状況とも言えたのです。
その中でなんでも質問してくれ、ご意見も拝聴すると言ったわけです。
近頃は「クソ左翼死ね」という暴言を浴びました。
それでも山本太郎は、少しもひるまず
「ありがとうございます。クソ左翼死ねというお言葉をいただきました。ありがとうございます。死にたくなる世の中を変えたいために私は立候補してるんだ。みんなに生きていていただきたい。」
そして、そのあとに演説に激しい怒りの調子が出てくるのです。
その怒りは、ヤジの本人に向いたものではなく、今までの政治と世の中に向けたものです。
これはさらなる暴言を祓うためでもありますが、僕は違う面も見ています。
怒りのエネルギーを転換しているのです。
ヤジられれば誰でもムッとする。
でも太郎氏は、そのような方向に怒りを向けないで暴言のエネルギーを受け止めてよい方向に流してしまう。
およそ、役者というものは、架空の感情を生きることができます。
台本に書いてある架空の人物の役柄の感情を生きる。
そう感じているように演じるのではなく、本当にその感情を生きるのです。
そういう訓練があります。
太郎氏は当然のそのような訓練を受けて、能力も持っているでしょう。
しかし、その域をはるかに超えて、感情をセルフコントロールしています。
それができるから、ハードな政治の世界、選挙戦を疲れを見せることなく生き残れるのです。
多くの政治家は、無神経、厚顔、ルーティン、都合の悪いものの無視によって、政治の世界をサバイバルしています。
しかし、太郎氏は、誰よりも細やかに気を配り、つねに工夫して創造的であり、自分に都合の悪そうな小さな声にも耳を傾けて活動しています。
政治の世界新しい集団を立ち上げて、そのリーダーとして活動するのは、どれほどの激務でしょう。
それができるのは、明晰な頭脳とともに、メンタルの転換の速さと強さがあるのです。
そうでなければどんなに恵まれた資質を持っていても疲れ果ててしまいます。
その根底には、無私と赤心の2つがあります。
私というものがあっては、とてもこれだけのエネルギーは出てこない。
これが無私。
そして、いつも心から思っていることをいう。
きれいごとではなく、相手に心を通じさせる。
これが赤心。
山本太郎は生意気だ、嫌いだ、という人はここが見えていないのだろうと思います。
自分の人生観という狭い窓からしか人が見られない。
しかし、太郎氏のサポーターたちは、こういう人たちにも話しかけて変心させています。
今まで政治を諦めていた人たちが、そこまでのアクションを起こしています。
それが無私と赤心の力です。
僕は山本太郎氏が首相になって、外交をする姿を見てみたい。
G20に山本太郎が首相として立っていたら、どんなによかっただろうと思います。
いまれいわ新選組が重点的に語っていること以外に、日本には2つの棘が深く刺さっています。
一つは日米安保。
もう一つは原発の廃炉。
どちらもたいへん重大なテーマです。
そして、どちらも放置しておくとどんどん深刻な事態になる。
今までは野党も含め、推進、無策、膠着、隠蔽、弥縫、要するになすすべがありませんでした。
その道はこれから先も茨の道でしょうが、無私なる天才、山本太郎氏には、もっともっと仕事をしてもらわないといけません。
安保や原発を正面から見据えて、適切かつ創造的な努力をしてくれるのは、山本太郎とれいわ新選組しかありません。
一朝一夕に片付くようなことではありませんが、きっと常人では気づかない新しいアプローチを与えてくれると思うのです。
山本太郎が最後の希望であると気づいている人たちは
熱烈に動き出しています。
あなたも一票。あるいはもっと。
お願いします。
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2019-07-17T13:08:57+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
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http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=284
◆山本太郎氏の不正選挙に対する態度
まだ参院選に突入する前に、赤羽で太郎氏の辻説法に出くわし、聞き入ってしまったのですが、質問コーナーで不正選挙について聞かれていましたので、これをお伝えします。
*
太郎氏の返事は「まだ国会で質問したり、法的に動いたりするほどのファクトが出てきて...
まだ参院選に突入する前に、赤羽で太郎氏の辻説法に出くわし、聞き入ってしまったのですが、質問コーナーで不正選挙について聞かれていましたので、これをお伝えします。
*
太郎氏の返事は「まだ国会で質問したり、法的に動いたりするほどのファクトが出てきていない」
ということでした。
不正選挙の話は「では、投票しても無駄じゃない」ということになるので、太郎氏としては望ましくない。
今はとにかく投票率をあげることが大切なのです。
「もし不正選挙ですべての票を支配できるなら、玉城デニーさんは沖縄知事にはなっていないでしょう」
不正選挙についてあまりナーバスになるべきではないのです。
ぼくも不正はあるのではと疑っていますが、まだ小規模でしょう。圧倒的な投票があれば、選挙結果を左右できません。
不正選挙を摘発するときには、完全に首根っこをおさえて、捕まえるべきで、影に怯えるべきではありません。
投票はボールペンで書く方がいい、といいますが、あるサイトでは、ボールペンの方が謀略で鉛筆のほうがいいと書いてありました(笑)。
それくらい憶測レベルのことが流通しているということです。
とりあえずナーバスにならない。
これでお願いします。
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2019-07-16T09:18:52+09:00
村松恒平
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村松恒平
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http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=283
【首相の器】山本太郎の政治家としての天才性 その3
山本太郎の見ている世界の広さは類がない。
視野が広いということはよく言われるが、太郎氏の場合は、広いだけでなく深い。
またその視界には曇りがなく、乱視や盲点がない。
そこに懐の深さと寛容性がある。
*
れいわ新選組の比例候補特定枠は2人とも全身...
視野が広いということはよく言われるが、太郎氏の場合は、広いだけでなく深い。
またその視界には曇りがなく、乱視や盲点がない。
そこに懐の深さと寛容性がある。
*
れいわ新選組の比例候補特定枠は2人とも全身麻痺である。
1人は障害者、1人は難病。
この人たちは誰の目にも入らない。当事者だけが苦しんでいる。
しかし、太郎氏については「見えない人たち」ではない。
障害者を候補者に立てることは、各党も始めている。しかし、全身麻痺となると、その視線は通り過ぎてしまうだろう。まさに候補者として、議員として活動する障害はたくさんあるわけだから。
太郎氏はそこを選ぶ。彼らが議員になれば、一悶着も二悶着もあるだろう。
それでこそ彼らは「見える人たち」になる。
与党議員は自らの差別感情を隠すのに苦労するだろうし、何人かは失敗するだろう。
日本には精神的なものも含めて障害者は900万人もいるとどこかに書いてあった。
だから、その人たちが国会に「見えない」のはおかしいことだ。
単なるセンセーショナリズムではなくて、今まで起きていなかった当たり前のことが実現するのである。
*
大西つねきさんという人も、大した人物で、フェア党という名前で自分で政治活動をしていて、すでにたくさんのファンがいる。
しかし、彼はれいわ新選組の公募に応募したことを事前に動画で語っている。「受け入れられなければ独自でやるしいっしょにやれればそれに越したことはない」的な。
公募で落ちたらかっこ悪い的なレベルの心の動きはない。
そして山本太郎はもちろん彼を受け入れた。
太郎氏の世界は、このように人を全部吸付け、引きつけ受け入れてしまう。
*
視野の広さは空間だけでなく、時間についてもある。
未来を見通し、シミュレーションしてすばやく判断する能力は尋常ではない。
れいわ新選組の名称については、変だという人がいる。
これは与党が「令和」と連呼できなくしたのだと書いていた人がいて、なるほどと思った。
「元号が変わって新しい時代が来た」的なあまり中身のない話は、与党有利であろう。
中身のない作文にたいへん便利な「令和」をあらかじめ独占してしまったわけである。
アベや与党候補者が令和という言葉を使えないと思うと愉快で仕方がない。
太郎氏はこういうことを見ている気がする。
深謀遠慮ともいえるが、動体視力のよさともいえる。
太郎氏が政治家としてフル回転で働いているのは幸せなことだ。
日本は変わる。
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2019-07-16T08:24:41+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
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http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=282
【首相の器】山本太郎の政治家としての天才性 その1
山本太郎は天才だとつくづく思う。
マイケル・ジャクソンが音楽とダンスの天才であるように、政治の天才である。
これについては、すでに一冊の本が書けるくらい観察している。
どこが天才か少しだけ例をあげよう。
ほぼ徒手空拳でれいわ新選組を立ち上げて、...
マイケル・ジャクソンが音楽とダンスの天才であるように、政治の天才である。
これについては、すでに一冊の本が書けるくらい観察している。
どこが天才か少しだけ例をあげよう。
ほぼ徒手空拳でれいわ新選組を立ち上げて、これだけの熱狂の渦を作っている。
これは誰もが知るところだ。
そこに隠れた天才性の一つは、候補者一人一人を輝かせる力だ。
れいわ新選組の準備、候補者選びに「選挙5回やったくらいのエネルギーを使った」と太郎氏は述べている。
結果的にこれ以上ない、すばらしいメンバーだと思うが、オファーは何人にも断られている。
いわば残った寄せ集めメンバーでもある。
この軍団が輝いて見えるのは、中心に山本太郎がいるからだ。
それぞれ1人で出馬していたら、これだけのスター性は発揮できない。全く当選ラインは覚束ないだろう。
そこに太郎マジックというものがある。
このこと詳細に分析して述べると長いのでやめる。
このような天才が365日、命がけでまったく無駄のない活動をしているのである。
そして、天の時がある。
プレスリーやビートルズが登場するときに、時代は「用意されて」いた。
圧倒的に広がるブームは誰にも止めようがなかった。
同様のことが起きている。
安倍政権の自民党政権としても前代未聞の堕落、日本全体の危機と沈滞が「時代」を用意してくれた。
あと、2.3回の選挙で、れいわ新選組は、与党になる可能性が高いと感じている。そのとき山本太郎は首相になる。
(野党共闘を超えて、参院選後は、連立や統一名簿などを探る動きが激化するだろう)
次の選挙は、今回の選挙には似ていないだろう。
今回の熱いサポーターたちが、いわば基盤になって機能する。
資金も潤沢になる。
他党から議席を持って流入してくるものもいるだろう。
今回の選挙が1から始まったとするなら、15くらいから選挙を始めることができる。
そういうエネルギーを太郎氏は決して取りこぼさない。
テレビも報道しないわけにはいかなくなる。
負ける理由がない。
今回の参院選で怒涛の勢いを見せつけたい。
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2019-07-16T08:21:00+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
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http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=281
◆山本太郎氏の不正選挙に対する態度
まだ参院選に突入する前に、赤羽で太郎氏の辻説法に出くわし、聞き入ってしまったのですが、質問コーナーで不正選挙について聞かれていましたので、これをお伝えします。
*
太郎氏の返事は「まだ国会で質問したり、法的に動いたりするほどのファクトが出てきて...
まだ参院選に突入する前に、赤羽で太郎氏の辻説法に出くわし、聞き入ってしまったのですが、質問コーナーで不正選挙について聞かれていましたので、これをお伝えします。
*
太郎氏の返事は「まだ国会で質問したり、法的に動いたりするほどのファクトが出てきていない」
ということでした。
不正選挙の話は「では、投票しても無駄じゃない」ということになるので、太郎氏としては望ましくない。
今はとにかく投票率をあげることが大切なのです。
「もし不正選挙ですべての票を支配できるなら、玉城デニーさんは沖縄知事にはなっていないでしょう」
不正選挙についてあまりナーバスになるべきではないのです。
ぼくも不正はあるのではと疑っていますが、まだ小規模でしょう。圧倒的な投票があれば、選挙結果を左右できません。
不正選挙を摘発するときには、完全に首根っこをおさえて、捕まえるべきで、影に怯えるべきではありません。
投票はボールペンで書く方がいい、といいますが、あるサイトでは、ボールペンの方が謀略で鉛筆のほうがいいと書いてありました(笑)。
それくらい憶測レベルのことが流通しているということです。
とりあえずナーバスにならない。
これでお願いします。
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2019-07-15T19:24:16+09:00
村松恒平
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村松恒平
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http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=280
【首相の器】山本太郎の政治家としての天才性 その2
今日も一つの要素を書きましょう。
数字に強い! データ主義。
政見放送でたくさんの数字をメモも見ずに話しました。
頭脳の働きも記憶力もすごい。
ふだんの演説においては、図表をモニターに映すことが多い。オフィシャルな数字を使って、政策の矛盾を単...
今日も一つの要素を書きましょう。
数字に強い! データ主義。
政見放送でたくさんの数字をメモも見ずに話しました。
頭脳の働きも記憶力もすごい。
ふだんの演説においては、図表をモニターに映すことが多い。オフィシャルな数字を使って、政策の矛盾を単純に理解させることができます。
それから選挙情勢も独自調査しているようです。
これは千万単位の金がかかりそうですが、たぶん3億円の中に含まれているでしょう。
それによって作戦を変えていく。
生き金です。
政策の優先順位も、選挙民の強い関心をデータとしてとらえて、そのベースで作ってあります。
ですから広く心を捉える。
野原さんの政見放送には、公明党批判はでてきませんでした。創価学会を前に出すのは得策ではないのでしょう。そこらへんの作戦も太郎氏が立てていると思います。
こういうデータに基づく方針決定実行は、有能なマーケッターや、ビジネスマンなら当たり前にするでしょうけど。
太郎氏の場合は、それぞれ他にもAクラスの能力を備えていて
なおかつこれもできるというのが天才です。
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2019-07-15T10:27:00+09:00
村松恒平
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村松恒平
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http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=279
⬛️ウヨも納得?! ウヨの完璧分析 1.なぜウヨは大半がバカなのか。
左翼は理論、理性に依拠しているから(正しいという意味ではない)、理論闘争、分派がある。
ウヨは、心情に依拠しているから、内ゲバ的なことがほとんど起こらない。
雑なこと、間違ったことをいっても、同じ心情を共有しているもの同士として、微笑ましくスルーする...
左翼は理論、理性に依拠しているから(正しいという意味ではない)、理論闘争、分派がある。
ウヨは、心情に依拠しているから、内ゲバ的なことがほとんど起こらない。
雑なこと、間違ったことをいっても、同じ心情を共有しているもの同士として、微笑ましくスルーする。
頭が悪くても一途に信じ込む心情こそが尊いのだ。
どんな妄想も冷笑されたり、矯正されたりしない。
考えが次第に深くなっていったりもしない。
妄想と確信は深まる。
したがってウヨの世界では、バカでも居場所がある。
左翼はマルクスを読まないと威張れない(近頃はほとんど誰も読んでいないと思うが)。マルクス読まないまでも、なんとか体系的に世界全体を理解しようとする。
間違うと善意でやっていても、徹底的に叩かれる。
バカと義理人情は抑圧される。
義理人情を無理に権利に置き換えようとする。
ここに左翼の居心地の悪さがある。
左翼には『資本論』のようなバイブルがあるが、右翼にはない。
いや、あると思うが読まれないだろう。
本居宣長や平田篤胤、賀茂真淵をウヨの誰が読むだろう?
読んだとしても原典がすでに理論体系的というより心情的であろう(読んでないから知らないけど)。
本を読むとすると、ポップ右翼書である。これらの著者は心情を鼓舞すればいいのであるから、いい加減なことを吹きまくっている。
百田某や、田母神某(いまやウヨ界でも信用失墜かもしれないが)の言説をみれば、いかにすぐに調べれば嘘とわかる不正確なことをいっても、整合性がないことを言っても、その世界では信用を失わないか、むしろ、人気が上がり続け支持され続けるかがわかる。
これらのポップウヨの言説は、ネットでこそ批判されるが、著書では批判されることがない。左翼は読まないし、右翼同士は相互批判しないからだ。
どんなに間違っていても、妄想的でも「その志や善し」というわけだ。
たとえば、ウヨになりたてのまだ妄想が頭の芯まで沁みていない、頭の切れる櫻井よしこがウヨ仲間の事実誤認や言っていることの矛盾をばっさばっさと切り捨てたらと想像してごらんなさい。それは強い。もうズタズタになってしまうでしょう。それをやったらもうウヨではない。櫻井よしこはサヨの朝鮮人になってしまう。
こう考えると、ウヨの相互批判はまったく存在しないことが理解される。
批判した途端にウヨの外に出てしまうわけだから、その途端に相互ではなくなってしまう。
籠池さんへの手のひら返しをみれば、ウヨを抜けるということがどういうことかわかる。
それまでちやほやしていたものが、超法規的に拷問的で理不尽な監禁をされてしまう。
少しでも逆らおうとした者は仲間ではなくなる。
友人も支援者もゼロになる。
「彼の人物はすばらしい」という人は1人もいなくなる。
個人のオリジナルな価値はなくて、ただウヨの同志であるから価値がある。
サヨ、反体制派のほうは、相互批判で疲弊していく。
反反原発とかいって、中には、「自分は原発にはいちばん反対だけど、反原発運動は頭が悪すぎて我慢ならん。中でもデマがいちばん有害だ」とかいって、反原発の間違いを叩いて回る人がいる。
それを専門にやっていて、自分自身が原発に反対だということは、まったく表明しない。自分のタイムラインでは、全然関係ない自分の趣味や飲んでいるビールを載せている。
それってどちらかというと、原発推進派を利するだけだけれども、本人はそうは思っていない。つまり、敵よりも自分に似ていて、捉え方や方法論が違う人間のほうが憎い。間違いが許せない。
それくらい反体制派は相互で仲が悪くなって屈折していく。
それは新左翼の内ゲバ以来の伝統なのです。
まあ、こちらもバカですな。
サヨはさておき、ウヨ。
そして多くのウヨは、ポップ右翼書すら読まない。ネットで必要な主張のテンプレートは一通り以上揃うからだ。ネトウヨという所以である。
もともと左翼嫌いという心情は十分にあるので、これでテンプレートやパターンさえ与えられれば、左翼やリベラルに対する嫌がらせの書き込みは十分にできる。
彼らの多くは匿名であるので、論争らしい論争はしない。
都合が悪くなったら、沈黙、無視、スルー、論旨のすりかえなどをすればいい。
ちょっかいを出して嫌がらせをできれば、彼らは正義を執行したと感じられるのだ。短い言葉で相手を苛立たせ、本気に怒らせれば大満足である。
自分よりも知識があり、自分より賢いだろう人間が本気になっていることを邪魔して存在感を示せればいいのである。
それだけで自分は賢いし、正義の人間だと思える脳なのである。
彼らが守るのは、自分の心情であって、理論の体系性ではないから(元々理論も体系性もないから)、論争としてアンフェアであることなどは気にもとめないどころか、むしろ美意識に適うのである。
かつて右翼の宣伝カーはスピーカーの音質が例外なく悪かった。あれも美意識だろうと思うのである。自分より賢く自由で穏健で豊かで平和な人々の生活感を逆なでできればいいのである。
なんというルサンチマンであろうか。
でも彼らの心情を他に受け入れてくれるところがないんだから仕方ないのである。
とにかくスピーカーの音質は悪い。言っていることは悪意に満ちて、無責任支離滅裂。それでも仲間がいる! 日本という大きな美しいものに帰属していて、つまはじきにされない感じがある。(感じがあるだけで本当は超孤立している!)
自分はバカでも、有名人や地位のある人、自分より頭のよさそうな人も同じことを言っているので安心なのだ。
そういう意味で、ウヨ文化人はウヨが寄ってくるのでお金や仕事になるのだ。
このようなウヨの言説の育成に政府が何億か何十億かわからない予算を注ぎ込んで、とにかくすごい量に増幅している。だいたいネット工作費などは数百万もあれば相当な効果が出そうなものである。それを電通や博報堂のマージンが相当あるにしても、何億も注ぎ込んでいるのである。
いわば戦艦がサヨという島に向かってバンバン艦砲射撃をしているのである。ウヨはそれに混じって、ピストルで人を後ろから撃つという具合で、誰でも安全に簡単に参加できるのである。これほど安易に自己主張できる場は他にないと言っていい!
自己主張といっても、自己というほどのものはない。ただのテンプレートだが、それでも気持ちいい。
ウヨほどオリジナルという概念から遠いものはない。誰が誰か見分けがつかない。相互批判がないので、洗練されることもないし、より自分の本質に近づくということもない。したがってイトミミズのようにだいたい似たようなことを言いながらウヨウヨしている。
先に進もうと思ったら、妄想の度を深めていくしか道がない。
ウヨがこんなに発生するのは日本社会がバカを孤立させるからいけないのです。
学歴社会もどんどん根深くなって、もはやめったに問題意識にすら上らなくなっている。
そして、 IT社会も目端の利く商才のある人間はチャンスがあり、成功するかもしれないが、そこでも以前より激しい選別がある。
そこで落ちこぼれる人々にどんな希望があるか。
バカは孤立し、絶望し、バカなだけでなく精神的にも貧しくなり、ネトウヨに光明を求めるのです。ネトウヨになるとさらに激しくバカになる。でも気持ちよくなれる。
バカ養成強化ギブスなのです。
日本社会自体がバカ養成社会、しかし、大量のバカを生産したとき、これが流動化して、不満が溜まり、社会主義化しては権力者にとっては困る。
そこでウヨという存在形態が求められる。
しかも左翼は利口ぶってバカをバカにするから、こわくて近寄れない。それでより安易なウヨに人は流れるのです。
バカというのは、交換可能な存在として扱われるすべての人のことです。
そこに悲しみや怒り、わだかまりがある。
「なんか違うんだよ!」と叫びたくなる。
そのときにたとえば、過去にはパンクロックという反抗のテンプレートがあった。
でも、そのテンプレートは難しい。勇気や行動力がなければいけないし、3コードでも楽器が弾けなくてはいけない。創造性もいる。努力もしなければいけないし、人前にもでなくてはいけない。ウケなくてもめげてはいけない。
これをウヨと比べてみればわかる。
まず体制翼賛だから、反抗のようなこわいことをしなくてもいい(本人たちは赤化と朝鮮人の陰謀が世界をおおい、自分たちは勇気ある少数派だと思っている。しかし、もっと奥底では体制側だという安心感がある)。
簡単だから努力いらない。匿名だから勇気いらない。卑怯なほどいい。ネット上に書くだけだから、ひきこもりでもできて行動力いらない。人とうまくつきあえなくでもいい。楽器弾けなくていいし、文章力も人を不快にさせればいいだけ(性格が歪んでくるので簡単)。創造性いらないし、勉強もいらない。自分で考える必要ない。ネットで仕入れた嫌悪や憎悪を吐き出せばいい。
この文でバカをたいへんバカにしたが、筆者も大して頭がいいわけではない。普通くらい。ただ長いこと自分でものごとを観察して考えてきたので、この程度の文章は書ける。
人のテンプレートは使わない。
ここでいうバカとは、最終的には、オリジナリティのなさ、のこと。
お前は誰だ? と聞いたときに精神に「ウヨ」という属性以外に活き活きとした領域がない。
ネジが利かなくなることを「バカになる」、というでしょう。
交換可能でない自分が愛しくない人は、バカになったネジと同じなのです。
人がオリジナルでなくなって、交換可能な存在に自らなったとき、それをバカというのです。交換可能なのに自分の主張があると思い込んでいるのはね。
純粋に頭の良さという意味でいうならば、人はピンからキリまでグラデーションなのです。
その中で筆者はわりと真ん中辺だろうと思うのです。
ですから、バカになろうと思えばなれた。チャンスはあったし、じっさいバカなときもあったし、今でもかなりバカですが、それでもネトウヨは「救いようのない」バカだと思うのです。
つまり話し合いのできないバカで、人の話を聞いて少しずつ賢くなるということがないのです。
仲間内の情報だけで外の話を聞かないから、世界が一面的に見える。宗教と同じ。より純粋なバカか狂信者になるしかない。
ウヨの人は長い文章を読む力がない。
たぶんこの文章を読み取る読解力はない。
読解力があっても、理解したら自分の価値観が崩壊してしまうから、ますますもやがかかったように頭や心に入ってこない。
それでももしここまで読み進むことができたウヨの方がいたら申し上げたい。
ウヨは脳と心を蝕む。
自分でバカバカしくなってやめるしかないんだよ。
君は外から言ったって聞きはしない、「手のつけられないバカ」なんだからね。
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2018-05-04T10:37:57+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
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http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=278
山澤清さんに会いに行った話
山澤清さんに会いに行った話
本年6月くらいに、こんな記事を読んだ。
「金がないなら稼げ」元ヒモのマッドサイエンティスト農家が語る人類改造計画
http://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/dango07
この記事おもしろい。
「元ヒモのマッドサイエンテ...
本年6月くらいに、こんな記事を読んだ。
「金がないなら稼げ」元ヒモのマッドサイエンティスト農家が語る人類改造計画
http://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/dango07
この記事おもしろい。
「元ヒモのマッドサイエンティスト農家」とは、どんな人だ? と思うでしょう。
読んでみると、なんとも魅力的な人物で、底が抜けたバケツのように深い。
隙だらけのように見えて、やっていることは大変理にかなっているように思われる。
ブログをFBでシェアして、この人、一度会いに行ってみたい、と思った。
この人のすごいところは、自分の原理で動いていること。
それも頭で考えた原理ではなくて、生き方が根っから違う生物みたい。
世の中の原理とは大きくズレているはずなのに、生命力が強過ぎて、押さえ込まれることがない。
自由自在に生きているように見える。
坂口恭平さんにも、同じ印象を持つが、こちらは、何か悩みとか、相談とか、用事とかないと、漠然と会いにいくのはややためらわれる。
Facebookで「会ってみたいなー」と書くと、仙台の鈴木琴似さんから、やはり「会ってみたいですね」とコメントがついた。
では、会いに行こうか、となりました。
ただ、それだけのことから会いに行ったのです。
するべきことをする、義務を果たすより、こういう思いつきを実行に移すのは快感です。
自分の世界が広がります。
立派な人でも、隙のない人であれば、いきなり会いにはいけない。
多忙な人に、「何しにきた?」と言われると困りますからね。
記事から漂う空気感は、そういうものがない。
そこも魅力だったのです。
自分で作った野菜のレストランをしているので、そこで食事をして、少しお話をうかがえますか? とメールしたら、スタッフの方からのメールで快諾をいただきました。
そんなことで8月14日に仙台からKさんのクルマに乗せていただいて、鶴岡のレストランを訪ね、会見が実現したのです。
僕に執筆の時間がないので、さらなる道中のいきさつなどは省きます。
ただ少しだけ。
レストランの料理は、肉魚使わず、調味料最低限。それで滋味豊かで、ゆっくり味わいたくなる満足のいくものでした。
レストランには、多種多様な作物を育てている巨大なビニールハウスを通ります。お話はそこの一角に座ってお聞きしました。
ここには、ひっきりなしに来客があります。
山澤さんは、わけへだてなく、いろいろな人と話し込んでいます。
山澤さんの話は、水量の多い河の流れのようで、とどまることがありません。
話と話の合間にわずかに質問などをはさむこともできますが、質問しなくても話は途切れません。
今回は商業媒体に発表するなどの目的のあるインタビューではないので、ほとんど質問ははさまず聞く一方でした。
それでも2時間止まりませんでした。
こちらの都合で退去したので、それがなければ、もしかすると、さらに数時間続いたかもしれません。
深い意図もなしに、気楽に会いに行きましたが、お世話になった琴似さんはじめ、数人の友人にレポートを促されました。
稀有な人物にせっかく会ったので、ブログ記事に書くことにしました。社会的にも意味あることと思います。
録音はもとよりメモも取っていませんので、記憶、印象での再生となります。
精度の保証はないということですが、インタビューは仕事でしていたので、さほどひどくはないでしょう。
ただ独特の早口の口調は、再現できません。適当な口語になります。
—————————山澤さんとの会見要旨------------------------------
▶︎話の順番は覚えてない。適当なところから始める。
●心は赤ちゃん ハルシオンと酒
「俺は身体は年寄りだけど、心は赤ちゃんなんだよ。いつも何しようかって考えてる。24時間暇で暇で」
24時間といっても寝る時間があるでしょう (by 琴似さん
「俺寝たくないないんだよ。ほっとくといつまでも目がぱっちり開いて起きているの。仕方ないから、ハルシオンを酒で飲んでシャットダウンするの」
それめちゃくちゃ身体に悪いですよ!
「平気だよ。もう20年もそうやっている」
▶︎身体は老人というが、そうは見えない。70歳くらいなのに、たくましい40代くらいに見える。お肌つやつや。これも原種の野菜パワーのおかげだろうか。「身体にいいことは何もしていない」というが、両足に2キロの重りをつけていると冒頭の記事にある。
山澤さんの「何もしていない」はどういうレベルかわからない(ちなみにこの日はつけていなかったから、やめたのかもしれない)。
「24時間暇で暇で」というのも、文字どおりに受け取ることはできない。たしかに僕らに話をしてくれたことを含めて、4時間ほどの滞在中、見ている限り、ずっと接客をしていた。
それも仕事といえば仕事で、きっと他の仕事も「暇だから」すごい集中力でしているに違いない。
酒とハルシオンは、よいこのみなさんは決して真似してはいけない。ハルシオンだけでもいけない。山澤さんはたぶん肉体も特殊であると思う。
琴似さんはハルシオンに酒は、「嘘でしょう」と真に受けていなかったが、僕はありうると思う。
身体ごと原理が違う。
太陽の中で核融合が起きているように、この人の中では夾雑物のない創造性がつねに爆発していて、それが超人的なエネルギーを生んでいる。そういう印象を受けた。
身体に悪い話をさらにしよう。
「俺は1日60本タバコを吸うの。2年前から始めた。俺の仕事は嗅覚が大事だ。指先にタバコの匂いがつくとそれが鈍る。でも、いいやと吸うことにしたの。60本のノルマ吸いきれなくて、夜中に3本いっぺんに吸うこともある。……俺は人との約束はどうでもいいが、自分との約束は守るの。60本吸うと決めたら吸う」
▶︎どうやらいわゆる禁煙ファシズム的なこと、世の中が一つの方向に傾いてしまうことに頭に来て始めたらしい。
だからといって60本吸わなくてもいいと思うが。
「副流煙がどうの、という人がいるが、お前が食ってるポテトチップスのほうがよほど身体に悪いってぇの。ようするに今をとるか、100年後をとるか、2つに1つなんだ。今をよくしようとするのにみんな頑張ると、100年後のことは誰も考えなくなる」
▶︎100年後とは、野菜の品種の改悪と食べ物の劣化が子どもたちに与える影響のことを主に言っている。嫌煙権で自分のいまの健康をうるさく気遣うくせに、未来のこと、全体のことを少しも想像しない精神に対して憤っている。今か未来か。両方ではなぜダメかはわからなかった。
聞けばロジックがあったと思うけれども。
「だから俺はタバコを吸うことにして、ピアスの穴も開けたの」
▶︎金の丸いピアスは、白金台のマダムからのプレゼントだという。イエローダイヤがどうしたとかで、数十万円するという。
ピアスも、「今なんかどうでもいい」という表現なのだ(たぶん)。
にしきのあきらから壷をもらった、とも言っていた。
全国にファンがいるのだろう。
レストランを開くに当たって、投資家を募ったときも、東京に説明会に行って必要資金のうち800万円(だったと思う)を調達した。資金のごく一部だ。
投資家は億の単位で出したがったが、「農業やるのにそんな金いらない」と断った。
結局カネでしばられることになるからだ。
●自立している
「俺の会社は35年やっているけど、ほとんど横這い。ほんの少しずつ右肩上がりで、つぶれもせずに続いている。こんな会社ないよ。野菜食べれば生きていけるから、何が起きても困らない。どんな政府になってもいいんだ。なんならイスラムの政権でもいい。だから、俺、選挙権いらないんだ。いらないから返します、と返還にいったら、それは困ります、と断られた」
▶︎選挙で棄権する人は多いが、権利を返還しようとする人はいないだろう。
なんとも過剰で、山澤さんらしい。
さきほど「人との約束はどうでもいい」と書いたが、山澤さんは何より束縛を嫌う。たぶん「他人との約束は破ってもいい」ではなく、約束めいた関係はできる限り作らないで生きている。
大きな利益を生むような構造は、できても作り出さない。
およそ事業家で億単位の融資に心を動かさない人間はいないだろう。
でも山澤さんは違う。
それではカネの動きのほうがメインになってしまうからだ。
そして野菜という食べ物があれば、カネにはほとんど依存しなくていい。
そういう安定と自立を確保して生きている。
それは上手に商売をして荒稼ぎをしているより、ずっと自然で賢く見える。
*フォトリーディングと料理
「化粧品の免許を取るには、こんなに(両手を40〜50センチくらい広げて)資料を読まないといけない。俺は写真を撮るみたいに記憶できるんだ(フォトリーディングができるらしい)。それでも1年半かかった」
「資格は他も調理師免許の他、いくつももっている。(なんかニッチな資格をいろいろ言っていたが村松が忘れた)。普通の人は職業の足しにするんだろうが、俺はほとんど使わない。持っていても役に立たないと証明するために持ってる」
「俺はもともと料理人だが、レストランのスタッフに料理は教えないよ。料理は理を料る(はかる)と書く。どの野菜をどれくらい加熱したらうまいか、それを調べることは教える。
原種の野菜は、アクが強かったり、癖がある。そして収量も少ない。それをおいしく食べるには、どれくらい加熱したらおいしいか、一つ一つ調べないといけない。あとは全部任せている」
▶︎山澤さんは、600種類の野菜の原種を集めて育てている。原種は作物からタネがとれる。そのタネから野菜を育てることができる。しかし、いまはタネができないように品種改良された種類の野菜が農業の主流だ。農家は毎年タネを買ってこなければ仕事ができない。
モンサントのような企業が野菜のタネをパテントのように権利化しようとしている大きな流れの中にある。
原種を集めるのはたいへんだったのでは? と聞くと「いや簡単だったよ」という。
早口で説明されたが、村松の聞き取りと解釈が正しければ、次のようである。
原種のタネは、全国のタネ屋に普通にある。
ただ売れないから主流ではないし、ほうっておけば滅びる。
要するに原種はまだ十分にあるけれども、散逸して存在していて滅びる運命にある。
それを山澤さんは、一人で集めて育て、データを集積している。
どこにいけば何のタネがある、というリストを見せてくれた。
これを作るのが常人にとって簡単なことだったとも思えないが、山澤さんの集中力の前には何事でもなかったらしい。
「このリストをもう少し整えたら無料で公開しようと思ってる」
彼をフォローする農家は全国に800人ほどいるらしい。その800人と具体的にどういう関係かは聞けなかった。とにかく彼の話は水量が多く、どんどん流れていってしまう。
しかし、無料で情報を流しているようだ。
そのあとに次のようなやりとりが続く。
「権力ってなんだと思う?」
珍しく彼のほうから琴似さんに質問した。
「権力ってのは、情報を流さないことによって、自分の優位性を確保することなんだよ。それ以外にないんだ。俺はそのことを植物(生物)から学んだよ」
この権力論は、シンプルで斬新で魅力的だ。
情報だけではなく、カネやエネルギー、そしてタネ。
独占することによって支配しようとする力が権力。
生物から学んだという部分が気になるが、話はどんどん流れていく。
彼自身は惜しげも無く自分の情報を公開しているようだ。
ノウハウや情報をカネに変える気はない。
タネを独占して巨利を得ようとするモンサントのような会社に対して、考えたことかもしれない。
*悩み買います
「俺には悩みというものがないんだよ。悩んでみたい。どうやったら悩めるのか、知りたいんだ。だから、悩み買います、って言っているんだ。悩んでいる人が売ってくれればいいんだけど、『じゃあ、その悩みいくら?』って聞いても値段がつかないんだよ。いざ売ろうとすると、値打ちがないんだ。買ってみたいよ」
*息止めて死ぬ
「あんまり悩みがないから、俺、ときどき息止めて死んでみようかと思うんだ」
と山澤さんは何度か言った。
なんで悩みがなくて死ぬの? と思う人が世の中の大部分ではないかと思うので解説する。
三島由紀夫風にいうと、『生の充溢のあまりの虚無』ということではないかと思う。
事業は順調。
心身は極めて健康で創造力と生命力が溢れている。
悩みはない。
最初に書いたように、太陽の核融合のように生命力が完全燃焼しているとすると。
それは地球に大きな恩恵をもたらす。
しかし、太陽自体には人は住めない。
そして太陽自体が100億年の寿命に倦んでしまうことがあるかもしれない。
だから、酒とハルシオンで強制終了しないと1日が終わらないように、自分の寿命も強制終了しないと終わらない。そう感じているのではないか。
それくらい強い生命力だということだ。
ちなみに自分で息をとめて死ぬことは、常人にはできない。
昔、ミステリ雑誌で「自分で自分の首を絞めて死ぬことができるか?」という記事があった。
「もしも自分の手で紐を使って本気で首を絞めるなら、どこかで気を失って力が抜けてしまう。
ただ紐に摩擦の力が残って首を絞め続けるなら絶命するかもしれない」という論旨であった。
首を絞めてもダメなのだから、自分で息を止めて死ねるものではない。
そんなことができたら、やはり超人という他ない。
*料理チェックの現場にでくわす
帰る頃になって、運のいいことにレストランの女性スタッフが数種類の野菜のエキス、スープを山澤さんに味見してもらおうと持ってきた。このような飲み物を我々もいただいたが、本当においしかった。
野菜だけなのだが、シンプルというより複雑精妙な味がする。
山澤さんは、一口飲んで納得していない顔をした。
「これいくつもの野菜を使っているな。一つ一つ別々に作って混ぜてみな」
たぶん山澤さんの感官は人よりすぐれているはずだ。
タバコを吸い始めても、なお。
山澤さんには、科学者的な実証的・実験精神があるようだ。
一つ一つの野菜が最適な温度で調理されていることの確認。
そのようにして抽出したエキスをどの割合で混ぜたら、いちばんよい味になるのか、いくつも実験してみることだ、と言っているように見えた。
いくつもの配合を作り、メモし、その中からベストのものを選ばなければならない。
それは単純に感覚に頼るより、はるかに手間がかかることだろう。
スタッフの帰り際に、
「いや、これは一般受けするよ。北海道の人間にはこれで十分だろう。でも一般受けするけれども、すぐ飽きられる」
北海道というのは、このスタッフが数年後に北海道でレストランを開く修行中だからだ。
山澤さんは、軽い毒舌を吐いたわけだが、スタッフは慣れているのかけろっとしている。
だいたい味見にサンプルを持ってきたのも、オーナーの承諾を得るためというより、純粋な基準を持つ山澤さんがなんというか、ぶつけてみようと、参考のために試しに来たという風情であった。
▶︎以上、駆け足でのレポートを終わる。
2時間ほどの会見だけをベースに書いているので、解釈について想像力で補った部分がたくさんある。
僕にとって想像力で把握したものは、目でみたもの、耳で聞いたものとさほど違いがない。
もちろん不正確な部分もあるだろう。
そういうものとして読んでほしい。
総じて、注目すべき人物の存在とその発想をさらに広く知らしめたいという善意に基づいて、見たまま感じたままを正直に書いたことだけは間違いない。
追記*
おそるおそるブログに書いたことをご本人にお知らせしたところ、いつも対応してくださるスタッフの方からご返信をいただきました。
ご紹介します。
村松恒平様
メールをありがとうございます。
早速拝見いたしました。
山澤所長が「おれよりおれのこと知ってんじゃないか!」と大変感心いたしまして、
村松様の思ったこと、思ったようにおっしゃっていただいてまったくもって結構なことだ!
と申しておりました。
また機会がございましたら遊びにいらしてください。
どうぞお元気でお過ごしください。
取り急ぎお礼まで
ハーブ研究所スパール
ベジタイムレストラン「土遊農」
山澤 清
代 佐藤
]]>
2017-09-04T12:16:00+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
-
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女性のための[愛の哲学] (再録)
今回から、少なくとも2回、「愛」について正面から書いたものをお送りします。
愛という言葉は、たいへん多様に使われていて、僕はあまり好きな言葉ではあ
りませんでした。
つまり曖昧な言葉なのです。
でも、女性の立場から書くという切り口を見つけて、そこから...
愛という言葉は、たいへん多様に使われていて、僕はあまり好きな言葉ではあ
りませんでした。
つまり曖昧な言葉なのです。
でも、女性の立場から書くという切り口を見つけて、そこから語りだせばいい
んだと思うようになりました。
それについて書いたり語ったりすることはとても重要だと思うようになりまし
た。
愛について考え、書くことは、たいへん面白いものですが、きっとみなさんは
あまり抽象的な概念には興味ないと思うのです。
抽象的な概念も、どのように愛すべきか、愛されるべきかに根底的に考えるに
は大切です。
筋のよい考え方や判断ができるようになって、トラブルが減るのですが、それ
が実践につながるまで待てない、すぐに役立つ情報がほしい、という人が多い
と思います。
今回は僕としては珍しく、極めて具体的な話から書き始めましょう。
それから、4月8日に行う「愛のワークショップ」が女性向けであるために、
女性を中心に書くことをお断りしなければいけません。
しかし、男性にも全く同じことが言える部分も多く、また女性独特の部分も男
性にもいわば「敵情視察」的に面白く読めるのではと思います。
さらに女性専用については二つのことを断り書きする必要があるでしょう。
【なぜ女性専用?】
1つは「なぜ女性専用ワークショップなのか」です。
これは女性参加者に自分を解放してリラックスしてもらうためです。
いま、女子会が流行っていますが、これは女性にとってたいへんな開放感であ
ると思います。男性が混じるとさまざまな配慮から、また男性はノリが違うた
めに、女性たちが充分に自分を解放できない面があるのです。
女性は何かを演じなければならなくなり、ふだんと同じになってしまいます。
ですから混合ではないのです。
その2は、なんで僕が男なのにそれを主宰するのか、女の仲間に混じるのか、
という当然派生するであろう質問に答えましょう。
かなり個人的な話になりますが、僕は週に一度陶芸教室に通っています。この
日は、教室でご飯とお汁を作っておかず持ち寄りでご飯を食べる日なのです。
僕も余裕があるときには、何か一品作って、そうでないときは買って参加しま
す。なにしろ、野菜料理を中心にたいてい十以上も料理が並びます。食いしん
坊としては参加しないわけにはいきません。
この昼食会のメンバーが、先生も含めて五、六人くらい全員女性なのです。
僕の子どもの頃には「女の仲間に男が一人♪」という囃し言葉がありました。
まさにそういう状況です。
これは貴重な体験です。
最初はおとなしく肩身狭くしていました。
でも、だんだん慣れますね。
そんなことを何年もやっていますので、女性の話を黙って聞いていることもで
きるし、流れに合わせて話に参加することもできるようになったのです。
今は普通に料理の話や世間話に参加しています。
本来の人というのは、女性性も男性性も両方持っているものと思います。
魅力的な男性には女性性が、魅力的な女性には男性性がバランスよく現れてい
ます。
僕は最近、自分の中でずいぶん女性性が強くなっていると感じるのです。
さて、本論に入りましょう。
【女性はたくさんの男性とつきあったほうがいい】
具体的な愛の話の第一は、「女性はたくさんの男性とつきあったほうがいい」
ということです。
つきあうといっても、飲み友だち、映画やコンサートを観に行く友だちなども
あります。
必ずしも恋愛やセックスと結びつける必要はありません。
これはとりわけ新しい説ではありません。先行していろいろな人が言っていま
す。
ただ現実に一人の男性にとらわれている女性が多いので、僕なりに書く意味が
あるでしょう。
たとえば、ラーメン屋を開くときに日本中のラーメンを食べ歩く、という人が
います。「いちばんおいしいラーメンは何か」を追求するためです。
このラーメンを男性にあてはめると、「自分にとっていちばんいい男はどんな
男か」ということになります。
もし、おいしくないラーメンしか知らないでラーメン屋を開業すれば、「井の
中の蛙」で、あとでたいへん後悔するかもしれません。
しかし、数を知っていればいいというものでもありません。
日本全国を旅しなくても、健康な感覚があれば、おいしいラーメンは作れます。
作るラーメンの味が食べたラーメン屋の数に比例するのではないことは言うま
でもありません。
いわば直感的で勘のいい人は、一を聞いて十を知るということがあるのです。
しかし、一を聞いてせいぜい一か二しか知ることができない人は、ある程度経
験を積んだほうがいい。
一を聞いても0,5くらいしか知ることができない人は、経験を積むほど屈折し
た考えになってしまうかもしれません。
まあ、つまり一般、「普通」の圏内の人は、ある程度のおつきあいは経験した
ほうが賢くなる、と言えるのです。
ですから、恋愛という枠組みではなくても、気楽にいろいろ接点を増やすよう
にすると、いいですね。
その点、音楽や美術などの芸術や、さまざまな趣味、なんとかソムリエとか、
自分の興味のあるものに対しては腰が軽いほうがいいです。
【セックスはマネジメント】
前の項で書いた広くつきあおうというおつきあいには、必ずしもセックスも恋愛も
含みません。
セックスが絡むと話がややこしくなるので、ガツンとまとめて書いておきます。
現代では、セックスは単なる欲望でも、本能でもありません。
それは多大なマネジメントを必要とする「何か」です。
マネジメントとは、お金に変えるという意味ではなくて、自分の目的や方向性
によって管理・制御しなければならないもの、という意味です。
たとえば、女性が多くの男性とセックスしようとすれば、避妊に気をつけなけ
ればなりません。
また男性同士の嫉妬もうまくかわさなければなりません。
つきあった男性をストーカー化させるのなどはもっての他です。
たいていの場合、世間の評判も気にすることになるでしょう。
これらをうまくやるのは、高度なマネジメントが必要でしょう。
それと対極には、セックスは男性を結婚につり上げるための餌と考えている
「安売りしない派」がいます。
こういうことを書くとどうしても通俗的になりますが、ここでは一つの類型と
して取り上げます。
というのは、欲望に基づく人の行動はとても類型的で、さほどオリジナリティ
はないのです。
「安売りしない派」は、自分の若さ、美貌、魅力といったものは、売り時があ
り、時期が過ぎれば衰えてしまうと考えています。
だから、株でいうと、いちばん「高値で手放す」ことを狙っています。
高値で手放す、ということは、結婚相手に値打ちがある、ということです。
それは心がきれい、とか、やさしいとか、そういうことではなく、収入が多い、
お金持ち、かっこいい、背が高い、学歴が高い、という人と比べて自慢できる
価値になっていきます。
そういう外面的、物質的なことにこそ客観性があると考えています。
これはマネジメントそのものです。
これは愛にまつわることでも、恋愛にまつわることでもなく、セックスにまつ
わることです。
この愛についてのシリーズで、最初に愛はリラックスを前提にする、と書きま
したが、これは全くリラックスしません。
まるでビジネスです。
アンディ・ウォーホルは「セックスはビジネスだ」と言いました。
この彼らしい言葉の真意も、言われた文脈も知りませんが、言い得て妙。
まさにこういう姿勢にはビジネスという側面があります。
また恋愛でもない、というのは、こういうパートナーの探し方には、「比較す
る」という行為がつきまとうからです。
パートナーとしては、年収300万円よりは、600万円のほうがいい。600万円よ
りは1,000万円のほうがいい、ということになります。
恋愛は、このように比較するものではなく、オンリーワンのものです。
そういうものを愛というひとくくりの箱に入れているから話がややこしくなり
ます。
前者のフリーセックス派と安売りしない派、多くの女性はこの両方の要素を持
っているでしょう。
この両極の中間あたりで、揺れている人もいるのではないでしょうか。
もちろん全く違うところに力点がある人もいると思います。
ただどちらにしても、セックスにはマネジメントが必要だということです。
恋愛を純粋なものと考えていると、このマネジメントをなりゆき任せにしてし
まうこともあるかと思います。
愛は純粋でいいけれども、セックスには知恵やマネジメントが必要、それがこ
の項で言いたいことです。
そして、愛とセックスはレイヤーが違う。
それをいっしょに考えると、混乱してしまうでしょう。
【恋愛、結婚、セックスは全く別のもの】
僕がほとんど初めて編集者らしきことでギャラをもらったのは、人類学者の西
江雅之さんのインタビューのテープ起こしでした。
その中で、彼は「人類全体を見渡すと、恋愛とセックスと結婚は、必ずしも結
びついていない」と言っていたのが今日まで印象に残っています。
アフリカのある部族では、ごく年少のときに集団的に最初のセックスを済ませ
てしまう風習か儀式があり、それは恋愛とも結婚とも関係ない、ということで
した。
そもそも人類の半数以上は一夫一婦制でない、ということも言っていました。
これは、ずいぶん前の話ですが、イスラムもヒンズーも一夫一婦制ではないで
すからね。
今日でもそうかもしれません。
僕らは日本以外では、主にアメリカやヨーロッパの映画を観て世界観を作って
いますから、どうしてもキリスト教下の一夫一婦制のもとで恋愛や結婚をイメ
ージします。
しかし、それは人が作ったルールに過ぎません。
人が作ったルールである、ということは、空間や時間がズレると違うというこ
とです。
国や民族、宗教によって違うだけではなく、時代によっても違います。
先日、バリ島で僕が聞いた話で印象的な話があります。
バリの空港の送り迎えなどしてくれるドライバーの友人がいますが、彼が言う
には、「一時期、一人でバリに来る女性とは100パーセント、セックスできた」
というのです。彼のほうから強引に誘うようなことはなく、向こうから食事な
どに誘ってきたというのです。
ところが2000年を境に「5パーセントくらい」に激減したというのです。
まあ、男としてちょっとくやしい話ですが、それは置いときまして、時代の変
化が、気分、行動、モラルなどの大きな変化を生むという一つの例だと思いま
す。
バブルの崩壊は、もう1990年頃だったようですが、まだ回復に希望を持ってい
たり、すみずみにまで波及していなかった。
しかし、2,000年くらいには、女性の気分もたいへんな低成長型にチェンジし
ていったということでしょうか。
ここで言いたいことは、恋愛、結婚、セックスについて何も当たり前のことは
ない、ということです。
ただ時間と空間の文化的要素が支配しているということです。
それからだんだん自由になりましょう。
自由になるというのは、何も反発したり、攻撃的になる必要はありません。
日本の今の時代の雰囲気に適応してうまく行っているのなら、それでいいので
す。
ただ当たり前とされていることで、自分の感覚にそぐわないものがあったら、
それを広い視点から本当に必要か考えることです。
何かを我慢しているということは、それだけで愛を阻害しますから、自分の感
覚で納得いかないことにはとことん対処することです。
【恋愛において没個性化戦略は苦戦する】
最近のブログ記事には、
「男性がいやがるあなたの7つのクセ」とか、「誰にでも好感をもたれる8つの
言い方」とか、そういう記事多いですね。
思わず読んでしまうけれども、内容はあまりないよう。
こういうのを真に受けてはいけません。
誰かが嫌がるのではないか、好かれないのではないか、こうしたら好かれるの
ではないか、そういう視点を中途半端に持つのはよくありません。
残念ながら好かれる人は自然にしていても好かれるのです。
自然にしていては好かれない人が、「こうしたら好かれる」という記事を読ん
でそれを表層的に実行しても不自然に見えるのです。
したがって、こういう記事は自然に好かれる人にも、自然にしていては好かれ
ない人にも役に立ちません。
こういう記事をたくさん読んでも好かれる人にはなりません。
本当に所作を美しくしようと思ったら、茶道でも華道でも着物の着付けでも、
日本古来のものを習えばいいと思います。
伝統的なものには、こうするんです、と決まったことがたくさんある。
最初は言われた通りにするしかない。
やっているうちにその意味がわかってくる。
そういうものには深い栄養があります。
「7つのクセ」的なものを愛読する人は、そういう面倒なことはしたくない。
文化の美しさとかもわかんない。
だから、ただですぐに読めるブログで間に合わせる。
そういうニュアンスしか感じないのです。
そもそも、こうしたら好感を持たれるのではないか、と考えていくと没個性化
するのです。
なにしろ、万人に好かれようとする努力するわけですから、角が丸くなってく
る。
この没個性化戦略は、有利でない、ということを書こうと思います。
面白いから戦略といってみますが、要するにいちばん安易に流れるとこうなる
わけで、何も考えていない人はこの作戦をとるわけです。
僕は編集者をしていたので、売れる小説について考えたときに、このことに気
づいたのです。
誰にでも70点で評価される小説と、8人まで0点の評価でも、2人が100点の評価
をする小説。
人が小説を買うときはシビアなもので、自分にとって85点以上でなければ買わ
ないとする。
そうすると、前者は一冊も売れない。
後者は2冊売れる。
平均点でいうと、前者は70点。後者は20点。でも結果は後者がいい。
人が交際相手を選ぶとなると、小説を選ぶよりシビアですから、理想的には90
点以上取ったほうがいい。
だから平均点にとらわれ、嫌われることを恐れている場合ではないのです。
もちろん、言葉遣いが美しくないとか、がさつなことを直さなくていい、とい
うことではないのです。
欠点は「和らげ」ながら、でも長所をのびのび発揮できるようにしないといけ
ません。
没個性化のこと、違う観点で続きます。
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4月8日土曜日は、「愛のワークショップ」!
ここに書いてあることを「立体的に」理解するチャンスです。
ぜひご参加ください。
またお友達にシェアしていっしょに来てください。
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【女性のどんぐりのせいくらべは大粒から取られる】
没個性化というのは、個性のとんがりを見せないということですから、日本社
会の同調圧力に負けている、あるいは進んで同化していると言えます。
これは叩かれない、という防御的な反応としては一定の効果がありますが、積
極的に行動に出る自由性は次第に失っていきます。
日本にはそういう人はたくさんいますから、ある意味でどんぐりのせいくらべ
に参加することになります。
出ない杭は打たれない、一見安全策に見えるこの作戦が大きな墓穴を掘ること
があります。
だって、どんぐりのせいくらべというのは、すごい競争ですよ。
男性から見れば、女性に個性がなければ、美人のほうがいい、若いほうがいい、
料理が上手なほうがいい、やさしくて性格がいいほうがいい、というごく一般
的な物差しで女性を測るようになるからです。
容姿は生まれつきのものが多いし、若さは一時期だけ。
料理はできる人はできるし、できない人はしない。
結婚準備のために料理教室に行くなど、例外的なケースでしょう。
性格のよさについては、自分の性格を変えられるなどと思っている女性はいな
いでしょう。
あるいは変えたいなんて思わないでしょう。
ただ人あたりはなんとか柔らかくしておきたい、と思うのがせいぜいでしょう。
努力しても仕方ないものか、努力するのがめちゃ面倒くさいものばかり。
非常に手も足も出にくい状況だから、一歩でも前に出るために、エステや新し
い化粧品やら美容器具などでおまじないをかけるのでしょう。
そういう涙ぐましい倒錯的な努力にも関わらず、どんぐりのせいくらべは大粒
から取られるのです。
大きい粒から拾われていって、小粒が残る。
小粒が残る頃には、男性もだいぶ小粒化しているわけで、「ロクな男がいない。
こんなはずではなかった」と嘆くことになるのです。
つまり、目立たない、という作戦を取りながら、小さな差をつけようという姑
息な手段はじつは想像以上にリスキーなのです。
しかも、その結果が出るまでにぼやぼやと時間がかかる。その間に若さを浪費
してしまう。
そういう価値観では、若さには価値があるわけですから、3年前、5年前よりも
自分の値打ちは落ちたと考えることになります。
実際は年齢は関係ありません。何歳でもすてきな人はすてきです。
でも、若さに価値を感じて、それを自分は失ったと考えている人はそこに引け
目が入り込んでしまう。
実際の年齢よりも、この引け目のほうが働くのです。
そんなことにならないためには、普通はこうだ、平均値はこうだ、相場はこう
だ、という物差しで自分を測らないことです。
比較があるところに愛はないのです。
では、個性化したらモテるのか、どうしたら個性化できるのか。
というように疑問が膨らむわけですが、これは生き方全体に関わること。
一口に答えるわけにはいきません。
【ディズニー・デートは0点/結婚の4つの試練】
ディズニー・デートはよくない、という論旨ですけれども、まずディズニーラ
ンドは、最高峰のエンターテイメントである、ということは認めなくてはいけ
ないでしょう。
しかし、デートはせいぜい若いうち、1年に1,2回にしておいたほうがいいので
す。
それ以上ハマるようだと先が思いやられます。
ディズニーランドは至れり尽くせりで、人が楽しむ環境を作り出してくれます。
いわば工場で工業製品が作られるのと同じように楽しみが生産されるのです。
どんな人でも楽しめるように作ってあるのだから(楽しくない人もいるが)、
そこで楽しむことに何の芸もありません。
だいたい数分のアトラクションに1時間も待つ、というのが僕には信じられま
せん。
しっかりお金を払うのに待たされるのはいやですね。
並ぶ人から見れば、バカバカしくないのだと思います。
これだけおおぜいの人がおとなしく並んでいるからには、並ぶ値打ちはあるに
違いない、とお互いを見て思っているに違いないのです。
僕も若い頃、人でごった返した海水浴場に行くと、何か楽しいような気がしま
した。
逆に海の家もないような人のまばらな海岸は何かさびしかった。
今は誰もいない海岸で浜辺を歩くだけでも楽しいのです。
新宿や渋谷のような雑踏、盛り場もできれば避けたくなりました。
盛り場、というのは、盛りがつく、犬が盛る、というのと同じ盛りなんだな、
とあるとき気がつきました。
ざわざわしてなんか興奮する。面白いことがありそうな気がする。
若いときは、そういうところに何かありそうな気がするものです。
ディズニーランドも、人気があるからますます加熱して楽しい気分になるので
しょう。
若いときは人は尖った強い刺激を求めます。
成熟するにつれて、淡い小さな刺激からもしみじみとした喜びを感じられるよ
うになります。
だから、若いときに興奮を求めるのは仕方ありません。しかし、そういう気分
でわさわさしているだけでは、恋人たちは成熟しないのです。
なんとなく、おつきあいってこういうものかな、デートってこういうものかな、
セックスってこういうものかな、と思って、それらしいことに参加しているカ
ップルは、成熟しないままに、なんとなく結婚してみたりするでしょう。
ところがそこに数々の試練が待ち受けています。
まず第一の試練は、結婚式前後です。
ディズニーランドでは、二人きりでせいいっぱいおしゃれしていたものが、相
手の親やら親戚やら、泥臭いものがぞろぞろと出てきます。
相手のご両親にも気に入られなければなりません。
彼が両親とあなたと同時にいるときに、どういう態度を取るかも初めて知るこ
とになります。
いろいろな思惑の中で、結婚式について、場所、日取り、費用、その他、じつ
にさまざまなことを決定しなければいけません。
ディズニーランドは、ヴァーチャルなスペースだから、せいぜい、どうアトラ
クションを回るかくらいを決めればよいでしょう。
しかし、ここで初めて意見の食い違いに出会うかもしれません。
相手が投げやりだったり、強引だったり、自分の趣味と違ったり、考えている
ことが雑だったりすることを初めて知るかもしれません。
さらには相手のことをじつは何も知らなかった、ということに気づく可能性も
あるのです。
成田離婚するカップルは、二人きりの旅行で、どんな激突があるのでしょう?
そういう相手の欠点や、本当の姿をあらかじる知る機会はディズニーランドに
はありません。
夢の国だからです。
第二の試練は、日常生活です。
今は世の中厳しいものです。
彼の帰りはいつも遅いかもしれません。
帰ってきても、仕事で疲れているかもしれません。
イライラしていたり、何か気がかりなことがありそうかもしれません。
あなたも仕事しているかもしれないし、慣れない家事や近所づきあいで聞いて
もらいたいことがあるかもしれません。
そういうときに、お互いに相手に甘えるつもりだと、相手が自分のことばかり
言っていると爆発してしまうかもしれません。
相手のことは、いろいろな場面で出会わないとわからないものです。
結婚前は、話題が携帯から流れてくるニュースとか、そんなのばかりでも済む
でしょう。
でも、それでは相手のことを知るきっかけは少ないでしょう。
デートは楽しさだけで測ってはいけません。
デートでは、
相手のことを理解することができます。
相手に自分のことを知ってもらうことができます。
二人の違いを理解して、いちばんいい接点の持ち方を探すことができます。
次第に大切な深いことも話せる関係を作っていくことができます。
そういうだんだん深くなっていくプロセスがないと関係は成熟しません。
そして、何か大きな話題がなくても、話しているうちに面白くなってくるよう
に息を合わせられるようになるでしょう。
それから、話題が途切れたとき、沈黙の時間があるときにいい感じかどうかは
とても大切。
沈黙が流れると気を使って、なんとか話題で埋めようと頑張るようではしっく
りしていないのです。
二人でぼーっとしていても、リラックスできる。
なんか楽しい。
それが理想です。
いつまでもダラダラといっしょに居られる相手は、結婚しても安心です。
楽しいけれども、用が済むと気を使って疲れてしまうような相手は遊び相手に
とどめたほうがいいでしょう。
ふだんのデートで、そういう関係を深めておけば、疲れているとき、言葉であ
れこれ言い合わなくても、お互いに癒し、和むことができます。
忙しい日常生活の合間で心を通わせ合うには、デートのときに練習しておかな
くてはいけません。
あなたがそのように誘導するのです。
第三の試練、それは妊娠・出産です。
妊娠中は、男には体験できない特別な期間です。
それを楽しく喜びを持って過ごせる人は、健康でとても賢く、女性としての自
信を持っている人と言えます。
妊娠中の体感は、千差万別のようです。
だから、「みんなはどうなの?」という平均値は、参考にはなってもそれ以上
ではありません。
ディズニーランドでは誰もがほぼ均質の体験をしますが、妊娠ではたった一人
の体験をするのです。
自分が感じていることをそのままに受け取らないといけません。
妊娠・出産は病気ではありません。
動物病院に産科はありませんね。
自然のままに生きれば生まれるのが子どもです。
しかし、ペットも年々過保護化しているので、そのうち産科ができても不思議
ではないかもしれません。
つまり、妊娠中にさまざまな困難が生じるとしたら、それは人工的な環境によ
るものなのです。
心理的な不安や恐怖も悪い影響を与えるでしょう。
自分が生きていることの本質にどーんと腰を据えているかどうか、問われる期
間であると思います。
第4の試練は子育てです。
ディズニーランドでは、全て自分の周囲の環境を整えてくれていましたが、今
度は自分が赤ちゃんにとっての環境になるです。
ディズニーランドでは、全て自分が主人公でしたが、子どもが赤ちゃんのうち
はあなたは脇役に回らなければなりません。
生まれたばかりの頃は、夜中に三時間おきくらいに起きて、おっぱいを欲しが
って泣きます。
単純なことをいうと、そういうことに対応しないといけない。
黙って、と言っても泣き止むことはないですから。
言葉を持たない生き物の要求に答えてやらなければいけません。
この主人公から脇役へのシフトを上手に行えるかどうかも、女性としての賢さ
が問われる場面です。
シフトできないと、ブルーに、あるいはヒステリックになってしまいます。
このときに、パートナーがどれほどあなたの状況に寄り添ってくれるか、とい
うことでも気分はずいぶん違うでしょう。
そういう目で今の彼氏を見てください。
*
女性はこのような試練を経て、成熟していくのです。
おわかりでしょうか?
女性は恋愛中も、というより、恋愛を通じて個人として成熟していかないとい
けないのです。
そこでシミュレーションを済ませておかないと、誰かといっしょに暮らし始め
たときに、試練を乗り切るのに要らざる苦労をしないといけません。
ディズニーランドは、個を埋没させる楽しさ(つまり「誰でも楽しめる」空間
であることにおいて)なのです。
自然な場所、たとえば、海辺にいけば、貝や石を拾ったり、泳いだり、魚をと
ったり、スポーツをしたりいろいろな楽しみ方があります。
そこに個性的な体験が生まれますが、ディズニーランドにはそれがないという
ことです。
ディズニーの悪口が目的ではなくて、女性の幸せには個であることはとても大
切だ、と言いたいのです。
ともすると、個であることを抑えたり、ただ大勢に従っていることが女性らし
さだと思われている面があります。
しかし、そこから人生を組み立てるのはとても筋が悪くて苦労することになる
でしょう。
(愛の哲学 続きます)
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恋愛
2017-04-03T09:28:12+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
-
http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=276
女性のための[愛のワークショップ]4/8
2017年4月8日土曜日 14時から18時。(後半2時間はお茶会)。
場所、東京山手線目白駅から1分。
豊島区目白3-2-9-4階 会議室。
*******
愛こそは、現代のいちばん深いテーマであることは誰でも感じることではないかと思います。
しかし、愛って何でしょう? ...
2017年4月8日土曜日 14時から18時。(後半2時間はお茶会)。
場所、東京山手線目白駅から1分。
豊島区目白3-2-9-4階 会議室。
*******
愛こそは、現代のいちばん深いテーマであることは誰でも感じることではないかと思います。
しかし、愛って何でしょう? と聞けば、正確な定義については、誰しもちょっと考えこんでしまうかもしれません。
とても身近で、とても遠く、つかみどころがないもの。
それが愛ではないでしょうか。
そして、いちばん深い悩みも愛。
「愛だけが俺を迷わせる」と桑田くんの歌詞にもありますね。
「愛こそがすべて」とビートルズも言っています。
「ないと困る。あると悩む」
それが愛かもしれません。
この講座はちょっとビットなレクチャーと、楽しいゲームで愛の輪郭をつかんでいくものです。
愛を伝える、愛を受け取る、そんなことが遊びを通じて上手になります。
*
この講座は「恋愛がうまくいく」「上手になる」というような目的に限定されません。
愛といっても、恋愛から家族愛、隣人愛、友愛、人類愛といろいろありますね。
人と人との間に潤滑油のように必要なもの、それも愛です。
年齢も関係ありません。
10代から60代、70代まで歓迎いたします。
*********
なぜ僕が愛について語るのか? という話を少しだけしましょう。
僕のテーマは「生命」と「自然」です。
この2つは、人にとっていちばん根源的なものです。
太陽、大気、海、大地、動物、植物、微生物、私たちの環境を支えているものは、自然なのです。
地球上の自然の営みがなければ、生命がありません。
生命がなければ、お金があっても使えません。
ですからこの2つが根源なのです。
今はテクノロジーの進化によって、どんどん先端化された知識が増殖していきますが、それによって根源の感覚が失われては元も子もないのです。
ですから、僕はその根源の感覚を取り戻すことを仕事にしているのです。
愛もまた人が生きる、人が生かされる根源です。
その中身については講座で具体的に語ることにしますが、愛もまた生命と自然に結びついています。
愛は「開かれたエネルギーの系」なのです。
それを閉じるものは、エゴや恐怖や不安……です。
ワークショップで何をするかというと、エネルギーを流す練習をします(僕は人の中のエネルギーの専門家なのです)。
主にちょっとしたときに対人的な不安が顔を出さないようにします。
人生の中では、それは怖い人でも、ゲームの中で自然にできるようになります。
「愛」という言葉はちょっと大げさなのですが、コミュニケーションとかいう言葉よりも、やはり正面から「愛」と言ってみたいのです。
**********
内容
ワークショップを2時間。
内容は秘密。
ゲームを5つくらいします。
企業秘密でもあるし、来てのお楽しみにします。
2時間くらいで打ち解けたところでお茶会にします。
コーヒー、紅茶、日本茶、お抹茶。
軽食、たぶん何種類かおいしいサンドイッチを作ろうと思います。
前回は、ホンネ・トークが炸裂しました。
お酒もでます。
おつまみは乾きものくらいなので、お菓子やおつまみの持ち込みを歓迎します。
忙しい方、2時間以降は退室自由です。
参加費ワークショップとお茶会で4,000円です。
お茶会不参加の方は、1,000円引き。
お申し込みは、entry@hidenまで。
「愛のWS参加」と書いてお申し込みください。
折り返しお返事差し上げます。
]]>
2017-04-01T19:51:48+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
-
http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=275
マインドゲームス+新年会 1月7日(土)
みなさまあげましておめでとうございます。
新年の快調なスタートに、新企画〈マインド・ゲームス 〉に参加しましょう!
1月7日土曜日15時から。
凧揚げも、福笑いも、百人一首も、すごろくも、羽根つきも、なくしてしまった僕らのために。
新年を新しいゲーム...
新年の快調なスタートに、新企画〈マインド・ゲームス 〉に参加しましょう!
1月7日土曜日15時から。
凧揚げも、福笑いも、百人一首も、すごろくも、羽根つきも、なくしてしまった僕らのために。
新年を新しいゲームで始めましょう。
表現力、直観力、想像力、創造力を問われ、刺激されます。
●3大特典
【パフォーマンス】
*今回、テレビで有名な石花ちとくさんに縁起のいい「石花」のパフォーマンスを見せてもらう予定です。
【相談コーナー】
*新年会では、「一言質問コーナー」を設けます。人生について、表現について、悩み事を一人一つだけ相談することができます。
ただし、ひそひそ話はできません。みんなに聞かれてもいい公開質問だけです。
【新年の門出にお清め】
*新年なので珍しい火打石によるお清めをします。
▪️▪️▪️▪️詳しい内容▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️
●ふだん使わない内面の力を発揮するように開発されたゲームをします。
といっても難しいものではなく、かなり遊びです。
大人の遊び。
●遊びとは、求心力を一度外して、遠心にふること。遠心にふったものが還ってくる。プーメランのように。それをまた遠心にふる。その繰り返しが楽しみになるのです。そうすることによって中心がどこにあるかがわかります。
●子どもたちは発達段階によって、自分の能力ギリギリのものを遊びに選ぶのです。赤ちゃんがはいはいの次に立とうとするのも、遊びなのです。
そのようにして人は成長します。
●現代社会では、人は一面的な情報、一面的な刺激しか受けません。
それでは十分に遊べないのです。
●大人にも発達を促す遊びが必要です。
忘れていたものを思い出し、自分の中に新しいsomethingを発見しましょう。
マインド・ゲームで。
***********************
●ゲーム詳細
内臓ダンス
30ドル
マンダラ
10秒演劇
他 (個々の内容は参加してのお楽しみです)
************************
参加費 4,000円
**************************
そのあと2時間強程度の新年会。
参加費2,000円。お酒飲まない方1,000円。
お申込みは、entry@hiden.jp
お名前
年齢
都道府県
新年会も参加かどうか。
ひとこと〈何かあれば)を記載してお送りください。
(新年会のみの参加は3.000円になります。定員あり)。
]]>
ワークショップ
2017-01-01T13:59:00+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
-
http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=274
年末年始のセミナー、WS 参加者急募
12月25日(日)の[シンクローム]セミナー。
参加者緊急募集。
難しい日程のせいか、参加者数、物足りないのです。
ちょっと気になっている方。
「クリスマスと言っても何もない!」方。
ぜひ来てください。
新年7日からは、[大人の成長塾]Rが始まります!
●1...
参加者緊急募集。
難しい日程のせいか、参加者数、物足りないのです。
ちょっと気になっている方。
「クリスマスと言っても何もない!」方。
ぜひ来てください。
新年7日からは、[大人の成長塾]Rが始まります!
●12/25日(日)。[シンクローム]セミナー。『[シンクローム]VS.チャクラ』
http://synchrome.asia/2016/11/21/1263/
身体自然還元術、[シンクローム]。
セミナーは、初歩から遠隔まで。さらにチャクラへの施術を実験します。
手ほどきから始めますので、どなたでもどうぞ。
●[大人の成長塾]R 2017年1月7日(土)
[大人の成長塾]リアル版を始めます。
楽しいゲームを使って眠っている感覚を開発します。
予備知識なしで、どなたでも参加できます。
レクチャー&ワークショップ。15時から2時間半。
参加費 4,000円
そのあと2時間程度の新年会。参加費2,000円。お酒飲まない方1,000円。
以後の[シンクローム]セミナー予定日。第二土曜日です。
時間を早めて14時からです。お話会も開催します。
2017年1月14日(土)
2017年2月11日(土)
2017年3月11日(土)
今すぐにカレンダーにチェックを!
申し込みは、 entry@hiden.jpまで。
セミナー名と日付を書いてお申込みください。
その他に
*お名前
*年齢
*住所
をお書きください。
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[大人の成長塾]
2016-12-17T11:30:00+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
-
http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=273
[大人の成長塾]クロニクル第6号 「お医者嫌い/膝をヤラれて整形外科に行った話」
●こんにちは。村松恒平です。
今回は、僕がお医者に行った顛末です。
読みやすくて面白いのではないかなあ。
本文は珍しく「ですます」ではなく、「である」「だ」調で書いています。
なんかそういう気分だったので。
ハードボイルドというか。
●[大人の成長塾...
今回は、僕がお医者に行った顛末です。
読みやすくて面白いのではないかなあ。
本文は珍しく「ですます」ではなく、「である」「だ」調で書いています。
なんかそういう気分だったので。
ハードボイルドというか。
●[大人の成長塾]、そろそろ始めたらいかがでしょうか?
http://seicho.hiden.jp/s_test.html
●[シンクローム]が誰でもできるようなるワークショップ。
[シンクローム]を普通に使える人を100人くらい育てようと、かなり本気で
毎月やっていきます。普及のために参加費もたいへんリーズナブルだと思いま
す。
http://synchrome.asia/2016/11/04/1252/
初めての方もすぐに打ち解ける楽しい雰囲気です。ぜひご参加ください。
********************************************
お医者嫌い/膝をヤラれて整形外科に行った話
病気や怪我は勉強になる。
今回は【教訓】を含めて、その話を書こう。
『薬を飲まずに2カ月でγ-GTPが1500から50に下がる』
http://synchrome.asia/2015/09/07/1054/
は、読んでくれたかな?
γ-GTPは、高いほど悪い。
500だと肝硬変が疑われるような事態なのね。
だから1500とはなかなかぶっ飛んだ数値なのだ。
眼に黄だんも出てたし。
僕はときどきそういう状態になっては生還している。
このときも薬飲まないで自然に治した。
健康をふだんから節制したり養生したりして守ろうという気はない。
好きなように生きて、悪くなったら徹底的に節制養生して戻ってくる。
そういうほうが性に合う。
このときは一週間もやしだけ食って暮らした。
1か月、酒は一滴も飲まなかった。
10キロ痩せた。
こんな乱暴がいつまで続くのかはわからないけど、今のところ快適に生きてい
る。
今回は膝をやっちゃった話。
僕は19のときに母のつきそいで野口整体に行って以来40年、ほとんど薬を飲ん
でいない。
ゼロではないけれども、常習者の世間の人からみればゼロに等しい。
身体についても、40年、アンチ薬品の立場、自然の身体を探求する眼で観察・
研究してきた。
そして、2011年以来この5年間、[シンクローム]でいろいろな人の身体をみ
てきた。
だから、身体についてはある種の専門家と言ってもいいのだ。
でも、身体には何層かあって、自分の関節とか、筋肉のレベルは全然ダメなの
だ。
筋力はとても弱いし、関節は硬い。
ここ数か月、その弱点を克服しようと武道系のトレーニングをしていたのだ。
これでもなかなか研究熱心なのだ。
しかし、先日、筋のいい教えてもらったトレーニングでなく、ちょっと聞きか
じったトレーニングっぽいことをしたら、膝がぴきっといった。
そのときは違和感だけだったのだが、一週間ほどして痛くなってきた。
2、3日経つと、寝床から起き上がるのに、何かに捕まってしかも5分も苦闘する
ようになった。
痛みがあるので、体重をかけたくないのだ。
階段も交互に脚を出しては上り下りできない。
一段ずつ脚を揃えてノロノロと歩かなくはいけない。
僕は「あと何年生きるつもりか?」という話題になると、「300年」と答えるこ
とにしている。
何歳くらいでどれくらい老け込んで、何歳くらいで死ぬ、というのは固定概念
のような気がするのだ。
そして、その意識は実際に身体に反映される。
そういうものを外したらどこまで元気で行くか、という人体実験を自分で行っ
ているのだ。
しかし、こうして脚一本不自由になってみると、急にそこから老いが現実にな
る。
痛い脚を庇うと、別のところに余計な力がかかり、不自由だし、疲れやすい。
いろいろな仕事をする気力もでない。
これではすぐに老け込んでしまう。
身体の不調が勉強になるとは、こういうことである。
人の身体はふだん絶妙のバランスを保っているのだ。
それが一つ欠けると、ふだんの生活のありがたみがわかる。
もっとも「喉元過ぎれば熱さを忘れる」で、元気になったらほとんど忘れてし
まうのだが。
●象徴とは何か?
あまりに情けないので、観世流能楽師の中所さんに[シンクローム]をお願い
した。
[シンクローム]のサイトを見てくれていれば、彼がトップページに体験を寄
稿してくれているのを知っているだろう。
[シンクローム]サイト
http://synchrome.asia/
中所さんから僕は能を習っているが、僕は[シンクローム]を教えた。
それで、ときどき[シンクローム]の交換をする。
お互いに調子が悪いときに、何日分、と貸し借りするのだ。
これはたいへん便利だ。
自分で自分をするのは、可能だが、限界がある。その理由は専門的になるので
ここには書かない。
中所さんの[シンクローム]は効く。
とても感覚がよく集中力がある。
能と[シンクローム]には共通性がある。
それは[象徴性]である。
[象徴性]とは、簡単にいうと、意識の形を明瞭化し、形象化することだ。
くっきりした形象化は力を生み出す。
京都の寺の石庭。あれは、象徴そのものだ。
仏教的な宇宙観を形象化したもの。
宇宙を言葉で説明されるより明瞭になる。
あの広さで、全銀河系を含んだ物理的に知られているすべての宇宙を包含して
いる。
あるいは、それ以上の次元の宇宙をも包含している。
このように[象徴]には集約的機能もある。
宇宙のすべてをコンパクトに集約して見せてくれる。
ここで想像力の豊かな人は、次のように考える。
「[象徴]が宇宙を集約するなら、[象徴]を操作することによって宇宙を動
かせるのではないか?」
これは魔術の始まりである。
おおげさな話ではなく、たとえば、天照大神が天の岩戸に籠ったとき、天地は
闇に閉ざされた。
八百万の神は、じつにさまざまな対策を取るのだが、アメノウズメが踊ったエ
ロチックなダンスが決め手になって、天照大神は天の岩戸から出てくる。
こういうのも一つの象徴、ダンス、芸能によって、気象を動かそうとしたこと
の表れである。
雨乞いにも儀式がある。儀式とは象徴を作り出すシステムだ。
だから、能にも象徴を形象化し、宇宙を動かす力が脈々と流れている。
宇宙を動かすといっても、たとえば、地球の自転、公転を遅くしたり止めたり
したら、人類滅亡の大パニックになってしまうし、そんなことはできはしない。
しかし、身体という閉じられた特殊な宇宙は、秘められた感受性を持っていて、
そこに働きかけるのは難しくない。
強い力は全く必要ない。治癒そのものは身体がする。
身体の自然の中に治癒力は秘められている。
ほんのわずかな不調和がその治癒力を押しとどめているので、そこに働きかけ
る。
それが[シンクローム]だ。
●病院における検査は必要悪●
[シンクローム]を依頼して2日目くらいに、整形外科に行った。
何が起きているか、医学の診断も確認しておきたかった。
何か簡単に治るオマジナイでもあればしてもらいたかった。
近所の整形外科はたいへん繁盛していた。レントゲンを撮って診断を受けるの
に1時間半もかかった。
大きな病院ではないが、なんとレントゲン室と並んでMRIがある。
相当高価な機械である。
5,000万円の安い物があるようだが、だいたいは億。
こんなものを買ったら、どんどん患者を放り込まないといけない。
普通の人は、「こんな機械があって立派な病院」と思うだろうが、僕は嫌いだ
からね。
造影剤なんか冗談ではない。
造影剤使わなくても、強い磁場の中に人が入るので、生体磁場が大きくかき乱
されるはずだ。
そういうダメージで何か障害が起きた場合、全く因果関係は証明されないし、
たいていは意識すらされないだろう。
医師や患者の頭や心の中では、検査による干渉はゼロに等しいと計算されてい
る。
こんなことを心の中で毒づきながら、僕もレントゲンを撮ったわけだが、費用
対効果を考えている。少量の被曝を避けるよりも、情報がほしい。
僕の大学時代の友人は、股関節が悪くて一時期よくレントゲンを撮っていた。
たぶんそのせいで無精子症になったと言っていた。
どれほどレントゲンを撮ると無精子症になるのか。
何十回か、何百回か。今だったら聞くと思うが、当時は聞かなかった。
まあ、大小に関わらず影響はあるということだ。
そして、多くの人はそれは計算外にするけれども、僕はもっと繊細に考える。
必要悪と思って最小限にする。
●医者とのやりとり
まあ、そういう必要悪と思われるレントゲンを見て、「原因は簡単ですね」
とお医者は言った。
「骨と骨の軟骨がなくなっています。軟骨は映りませんが、骨と骨の間に隙間
がないでしょう。そこが軟骨なのです」。
たしかに隙間がない。あとで画像検索しても、どうも世間より圧倒的に少ない。
あれだー。
テレ東なんかでよく宣伝している「ヒアルロン酸」とか「グルコサミン」とか
バカにしてたけど、ターゲットになってしまった! 飲む気ないけど。
(あとで調べると、どうも経口摂取では効果がない、というほうが正しそう)。
「これ、炎症は何ヶ月も治りませんよ」
と医者は無情なことを冷淡に宣告する。
たくさんの人に同じことを言っているのだろう。
何ヶ月も治らない、ということは、一生治らないということに限りなく近いの
だろう。
「あなたはこれからずっと僕(お医者)のお客さん」と言っている気がした。
こちらは半分しか信用していない。その通りになる可能性もあるけれども、
[シンクローム]もあるから。翌週には[シンクローム]セミナーもある。
びっこひいてたら格好悪いな、と頭をよぎる。
「お薬が嫌いなんですねー。でも、2週間だけ出しましょうね。最初が大事で
すからね」
聞き分けの悪い老人に噛んで含めるような調子で言われた。
どうも電子カルテに前回薬を拒否したことが申し送りで書いてあるようだ。
前回は痛風で行った。「尿酸値を下げるお薬出しましょうね」というから「要
らない」といった。
尿酸値、生活で下げないで薬で下げたら、一生飲まなければいけない。
一生一つの薬を飲むなどは、僕にはありえない。
命がけでも絶対にほかの手段を探す。
「薬要らない」と言ったときの医者の鳩が豆鉄砲食らったときのような顔は忘
れられない。
誰も言わないのだろうな。
γ-GTP1500のときも、薬を出すといわれて「要らない」と言ったのは、同じ理
由だ。
さらに薬品を分解するのに負担がかかるのはどこかといえば、肝臓だ。
肝臓の薬を飲んで肝臓を消耗させたら世話はない。
今回は2週間限りと言われたこともあり、また鎮痛はともかく消炎剤はいいか
な、と思ったこともあり、「何の薬ですか?」と聞いて買うことにした。
ロキソニンより弱い薬だという。
もう薬も説明書も捨ててしまったので、薬品名がわからないが、帰って検索す
ると胃を荒らさないと書いてある。
薬は自分がこんな調子でもらうときも、[シンクローム]のクライアントのも
のも、すべて検索する。そうすると、びっちりと副作用が書いてある。
それなのに胃腸薬まできちんと2週間分売りつけられていた。
胃腸薬捨てました。
薬自体も3日ほど飲んで捨てた。
湿布薬も3日ほど。これは何かのときに取ってある。
医者はまたどうせ近く「痛ぇ痛ぇ」と泣きついてくるだろうと思っているよう
だった。
治療手段はといえば、ヒアルロン酸の注射、手術、投薬だ。
野蛮かつ無能だ。
僕にとって、役に立つオマジナイはなかった。
こうして書いているのも、よくなったからである。
その話を書こう。
●一週間で回復する
中所さんに[シンクローム]を依頼した話は書いた。
2日目くらいに、「調子はどうですか?」とメッセージをいただいた。
何か自信ありげだ。
あとで聞くと「手応えがあった」という。
僕のほうは、痛みはちょっと和らいだかなあ、というくらいでまだはっきりし
なかった。
ところが寝るときに、微妙に違った。
なんか脚の痛い角度が限定されたような感じがした。
脚にあてものをしてよい角度で寝た。
すると翌日、少し軽くなっている。
この傾向はだんだんはっきりして回復に向かっているという安心感が出てきた。
その前、数日は、寝るたびに新たにひねって負担をかけているような気がして
いたが、明らかに寝るたびに回復する。
これは大きな差だ。
もう一つ面白いかもしれない現象は、膝が炎症というより、水を含んでむくん
だような感じになっていたことだ。何か保護的な作用があったかもしれない。
ちょうどその時期に陶芸の薪窯が3日間あった。
最初は脚をかばって疲れる感じだったが、みるみる回復して、最終日は4時半
起きで昼前まで薪をくべる係ができるくらいに回復した。
階段も一段ずつでなく、交互に降りられるようになった。
ざまあみろである。何が「何ヶ月も炎症が続きますよ」、だ。
もう行かないよ。
……とまあ、たいへん強気な気持ちであるが、今も痛みや歩行に影響はないが、
微妙なひっかかりはある。あまり負担はかけたくない感じ。
[シンクローム]をしたからといって、こんな短期間に軟骨が復活するとは思
えない。
これはどういうことか。
つまり、軟骨が少なくなっても、いつも痛いわけではない。
痛くなったり小康状態になったりする。
あるいは誰でも痛みを感じるわけではない。
そこには確実に別の要素がある。
しかし、医者はその微細な要素には踏み込めない。
だから、注射と薬と手術という手段しかない。
[シンクローム]では、なぜこれが可能かというと、人為でよくしようという
のではないから。
ただ自然に還す。身体の自然の働きの中に、さまざまな手段が秘められている。
それを発露させる。
肝心の部分は人為でないから、微細な要素を調整してくれる。
結局8日間、[シンクローム]をお願いした。
日常生活に差し障りがないところで、あまり借りが増えすぎてもいけないので
ストップした。
もし、[シンクローム]がなかったら医者のいうように何ヶ月も辛い炎症に苦
しんだ可能性が高い。
**
TPPが発効すると、外圧によって医療保険が崩壊すると言われている。
一説によれば、盲腸の手術で数百万円の医療費になるとも。
アメリカでオバマケアによって国民皆保険がようやく実現したのと逆行して、
日本では貧しい人が医療を受けられなくなる可能性が高い。
[シンクローム]が医療すべての代替になるとは言えないが、身体と精神の基
本的なSelf-defenseになる。
これを知っておくと知らないとでは、大きな違いが出る。
全国民に普及すれば、薬の消費はたぶん今の20分1くらいになるだろう。
**
[シンクローム]は、身体自然還元術だといえる。
[大人の成長塾]は、精神、考え方、生き方を自然に還元する原理と方法論を
説いている。
この両輪が必要とされる時代がすでに来ている。
]]>
[大人の成長塾]
2016-11-08T00:00:00+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
-
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[大人の成長塾]クロニクル第5号 「不思議な話。不思議の話」
■村松恒平です。
ずいぶん久しぶりのクロニクルになります。というのは、[大人の成長塾]の
執筆がまだ終わっていないのです。本当は3か月くらいで書き上げて、次の仕
事に行きたかったのですが、そんなにきれいに行きませんでした。
いまも1か月分の原稿のストッ...
ずいぶん久しぶりのクロニクルになります。というのは、[大人の成長塾]の
執筆がまだ終わっていないのです。本当は3か月くらいで書き上げて、次の仕
事に行きたかったのですが、そんなにきれいに行きませんでした。
いまも1か月分の原稿のストックもありません(笑)。
[大人の成長塾]には、あれも書こうこれも書こうというアイデアがたくさん
あるのですが、書いているうちに、どんどん膨らんだり、予定と違う道に進ん
だりします。
予定と違う道ではあるのですが、脇道にそれたのではないのです。
いわば地球儀のような立体を文章という線的な手段で表そうとしているので、
一筋道がとりにくいのです。
伝えるべき内容を一覧にして各回に振り分けるようにして書いているのではな
いのです。
最初そうしていましたが、書いているうちに予定がどんどん壊れてしまうので
す。
それは内容が自らもっともっと書いてくれないと困る! と訴えて膨れ上がる
ような感じなのです。その結果、中身は非常に濃く深くなっております。
なるべく短い文章の配信の積み重ねにしたかったのですが、文章が長い回が増
えています。
フォーラムという[大人の成長塾]専用の掲示板で読者の反応を知ることがで
きます。
内容についてきて、すごい! 得した! と言ってくれる人もいます。
自分の問題と絡めていろいろ質問する人もいます。
そういうことで理解の程度を測っています。
ここに何も書いてくれない人の反応はわかりません。
途中でついてこれなくなった人もいるかもしれません。
それは「わからん」と言ってもらわないとこちらにもわからないのです。
なるべくわかりやすく書いていますが、抽象的思考に慣れていない人は疲れる
かもしれません。
たぶん、何年か経ってから、「あ、そういう意味だったのか!」と気づく人も
いるでしょう。
合計すると80通くらいのメールになりそうです。
これは、本にまとめてもダメなのです。
時間をおいて配信されるというふくらみの中で、読者の経験と一つになって織
物のように形成されていくのです。
内容の深さには、自信があります。
いますぐにでも入塾できます。
無料のテストくらいしてみてくださいね。
面白いですよ。
成長力基礎テスト
http://seicho.hiden.jp/s_test.html
やはり無料のステップメールが15通ついていますから、これも必読。
自分自身の状態を知れる独立したコンテンツになっています。
■[シンクローム]サイト。大リニューアル!
[シンクローム]サイトを久しぶりに新しくしました。
http://synchrome.asia/
今回は有名なアート・ディレクター、元岡本太郎美術館の副館長、能の観世流
シテ方の3人の方にそれぞれ体験談をいただきました。トップページにありま
すので、ご覧ください。
■シンクローム・セミナー再起動! &ボランティア募集!(1名)
お待たせしました! [シンクローム]セミナー再起動。
10月11月12月にそれぞれ一回設定しました。
毎月一回やります。
たくさんの人に[シンクローム]を使えるようになってもらいたいです。
http://synchrome.asia/2016/10/01/1244/
また当日、開場の1時間前に来て、受付その他手伝ってくれる人募集。
申し込みのメッセージください。
先着、若干一名です。
いつも友人に頼んでいますが、今回公募してみます。
資格はドタキャンしない人。特典は楽屋裏が覗けます(とくに何もないけど)
。
参加費が無料になります。
セミナー、お話会は普通に参加できます。
今回のシリーズは普及のために料金安めに設定しています。
この機会にぜひご参加ください。
――――――――――――――――-
『不思議な話。不思議の話』
[シンクローム]は、不思議です。
いまだに不思議。
今回は、[シンクローム]5周年で、サイト・リニューアルとセミナー起動を
記念して不思議の話をします。
*
不思議という言葉を不思議に思ったことがある人はいますか?
不思議とは、科学や人間の常識からは外側にある現象をいいますね。
不・思・議。
これでどうして「ふしぎ」という意味になるのでしょう?
と思って調べてみました。
そうすると、「思議する」という言葉があったのです。
「思議する」は、「思いはかること。考えめぐらすこと」
もともとは不可思議だったようです。
「思議する」べからず。
神秘現象を言葉で推し量ろうとしてはいけない、という仏教用語だったようで
すね。
神秘の現象を人間の浅知恵のレベルに落として紐解こうとしてはいけない、と
言っているのです。
通常使われるケースでは、考えてはいけないというより、考えてもわからない
からそのまま受け取る、というニュアンスが強い氣がします。
というわけで、不思議という言葉については「思議」してしまいました。
もう不思議ではなくなりました。
*
[シンクローム]のトップページに登場するヒロ杉山さんを見ていただけます
か。
http://synchrome.asia/
彼は、非常に尖ったアート・ディレクターとして、またアーティストとして独
特の活動をしている巨匠です。
彼のイマジネーションはファッショナブルですが、本質的なものと結びついて
いて強力です。
エンライトメントという集団を率いています。
http://elm-art.com/
文中、僕のことを先生と呼んでくれていますが、それは彼のサービスで、昔、
エディトリアルの仕事をいっしょにした仲間です。
彼がもう一生治らないと諦めていた膝が、[シンクローム]でひょいっと治っ
てしまったのです。
彼は3回と書いていますが、たぶん1回です。
1回だと信憑性が薄いので、配慮して3回にしてくれたのではないかと思います。
あるいは2人の記憶が食い違っているかもしれません(笑)。
僕の記憶では1回だけして、そのときに彼は座り仕事が多いので、「椅子の高
さを調節してぶら下がりもせず、余りもしないジャストにしたほうがいいよ」
とアドバイスしました。
それだけで数ヶ月後、「治りました」と言われたので、僕のほうがびっくりし
ました。
[シンクローム]は手も器具も身体に触れない施術なのです。
物理的接触なし。
もちろん薬もなし。
触れていないのによくなる。
こういう奇跡的なこと、わりとあります。
これは不思議でしょう。
ところが実際に起きると少しも不思議でない。
自然に治ったのと見分けがつかないのです。
でも、そう簡単に結果がでないこともあります。
結果が出る、出ないはどう違うのでしょう。
サイトをリニューアルしたときに、こういう説明を考えました。
「コップに一定量の水が流れ込んでいます。
でも人は気づきません。
コップから水が溢れたときに、人は気づきました」
働きかけは一定量なのです。
効果がすぐに現れるかどうかは、その人の状態によるのです。
コップのへりまで水が入っていた人は、すぐに溢れます。
かなりよい説明だと思うのですが、誰も感心してくれません……♪
さて。
たとえば、薬品の効果をみてみましょう。
強い毒薬であれば、誰でも死んでしまいます。
強い睡眠薬であれば、誰でも寝ます。
強い鎮痛剤であれば、誰でも痛みがとれます。
強い自白剤であれば、自白がとれます。
そのように一律に効果があるものはとても考えやすい。
自分を科学的だと思っている人は、こういうものを基準にしていることが多い
ですね。
科学実験は、複数の同一のものに対して、違う条件を与えて結果を比べますね
(この領域に関しては正式な術語やスマートな表現を知りません)。
しかし、人には同一の個体は決して存在しないのです。
同一人物でも、ショックなことを聞かされた数秒後には全く違う身体になるで
しょう。
人の中には記憶があり、精神活動の内容が身体の緊張としていつも現れていま
す。
また遺伝的要素も複雑で、全く同一条件の身体を揃えることは難しい。
これは生体の場合です。
死体はもっと近似性があるでしょう。
一律でない個体に、一律でない効果を生むものに対して科学がどういうアプロ
ーチをしているのか僕は知りません。
前述のように薬品は一律の効果を生むものがあるのでわかりやすいのです。
あまりに強力に人為的な介入をするので、個体差が問題にならない場合がある
のです。
青酸カリを飲んで死なない人はいないように!
でも、実情は、同じ薬、同じ療法でも効く人と効かない人がいるように、大き
な個体差があるのです。同じ病名でも身体の状態は違います。
同じものを同じ量食べて、1人は太り、1人は太らないというようなことは当た
り前にあるのです。
実験用のラットの場合は、年齢と体重が同じものを揃えれば、個体差は問題に
ならないレベルだと思います。
しかし、人は違うのです。
[シンクローム]は、一律に「こうだ」、という効果を生み出すわけではあり
ません。
ですから、変化の観察にはていねいに一人ずつ見ていくことが必要なのです。
それはメールでします。会って話を聞くよりもどかしいのですが、時間をかけ
て、ていねいにしていきます。
一冊の本になるほど多くの要素があるので、説明は省きます。
一律にこうなる、とわかっているものはわかりやすいですが、そうでないもの
を理解するには知性が必要です。
[シンクローム]は、不思議といっても、体系だった理論はあるのです。
ただ、「なぜ遠隔でできるのか?」と聞かれると、量子力学とか、宇宙物理学
とか、そういう説明になります。
物理学の世界では、「時空」という概念があるのです。時間と空間はもともと
1つのエネルギーなのです。分かれていません。
そう考えると、「ここ」と「あそこ」という物理的な距離も存在しない次元が
あるとわかります。
これが怪しい、インチキだ、と言ったり考えたりするのはとても簡単なことで
す。
僕も別に量子力学を体系だって説明できるわけでもないし、ましてシンクロー
ムを数式で証明することなどできないのです。
ですから、最終的にそこには論理の飛躍、あるいはギャップがあります。
しかし、論理よりも現実に起きた現象のほうが優先されます。
その部分は不思議というしかありません。
全部言葉で説明できることなんて、何の魅力もないのではありませんか?
名画『モナリザ』の魅力を語る言葉は、千万言も集めることができるでしょう。
でも、本物の一枚の絵がそこにあることがなければ意味がないのです。
いくら語っても、語りつくせない。
だからこそ、あの微笑は『謎』の魅力を秘めているのです。
「謎なんか存在しない。あれは平らな板に一連の絵の具を塗ったものだ」と主
張して、自分の知性を勝ちほこる人がいたら、オツムの程度が知れますね。
ですから、[シンクローム]を「それは論理的にありえない」と否定すること
は自分の限界を示しているにすぎないのです。
偶然とはとても言えない濃度で、さまざまな治癒現象が起きているので、シン
クロームは5年も続いているのです。偶然であれば、リピーターもいないし、
僕自身のモチベーションももちません。
あるびっくりする不思議なできごとが目の前で起きた。
そのときにあなたはどうしますか?
「これは何だろう?」と立ち止まり考えるあなた。
あなたはすばらしい。
「こんなことは起きるはずかない。なぜならば……」と考え出す人。無視する
人。
その人はすばらしくない。
自分の感覚が、「教え込まれたこと」に逆らえないのです。
頭の中の枠組みが目の前の現実より先行するのです。
ある人物がこんなことを言っていました。
「信じない人は目の前でコップが浮遊しても信じない。『こんなことは現実で
はない』と主張する」
あなたは種もしかけもないコップが目の前で宙に浮いていたら、不思議だと思
うでしょう?
あるいは合理的説明を求めて、種やしかけを探すかもしれません。
手品の種が見つからなかったときの態度が分かれ道です。
「不思議だけど、こんなことあるんだなあ」
という人と、
「これはありえない。何かの間違いだ」
と目の前の現実を打ち消す人がいます。
打ち消す人は弱い人、精神の構造が硬直してもろい人なのです。
それを受け入れると、既存の構造が壊れて耐えられないから拒否するのです。
その柔軟性がないからです。
イエスかノーか、黒か白かでいつもジャッジしている。
柔軟な精神は、その中間に「わからない」「グレー」という箱があります。
すぐには飲み込めないけど受け取っておこう、という。
この中間の箱がない人は処理に困ると、既存の構造を維持するジャッジをする
のです。
いわゆる半信半疑という状態にもしなったとしたら、悪い状態ではないのです。
中間の箱をちゃんと持っている証拠です。
むかーし。
糸井重里さんはコピーライターとして1980年に、「不思議、大好き。」という
コピーを西武百貨店のために書きました。
これはあざやかなコンセプトのキャンペーンとして一世を風靡しました。
時代の気分を射抜いていたのです。
2016年には、このコピーはヒットしないでしょうね。
みんな日々のジャッジに忙しく、情報は洪水で慌ただしく、「不思議」なんか
にかまっているヒマはなさそうに見えます。
あなたはいま「不思議、大好き。」ですか?
**
第2部♪
気分を変えて。
ちょっとだけ不思議な話を書きましょう。
すごーく地味な話です。
じつは僕はUFOも霊も見たことがありません。
とくに霊感はないのです。
かろうじてスプーン曲げを見たことがあります。
[シンクローム]は霊能ではないのです。
むしろ電気に近いものだと考えています。
つまり、それはあるのです。
しかし、人の役に立つように取り出すことができるようになるまでは、「存在
しなかった」のです。
だから、電気が当たり前ならば、[シンクローム]も当たり前と言いたいので
す。
でも、まだ普及していないから、不思議と言わなければいけません。
電灯だって初めて灯ったときには不思議だったに違いありません。
では、不思議な話を。
ある知り合いの陶芸家の方を中央線沿線のある街に訪ねていったときの話です。
彼は近所の温泉に連れていってくれました。そこで湯に浸かりながら聞いた話
です。
彼の周辺にどうもなにかのドラッグを常習しているグループがいて、彼は苦々
しく思っていたのだそうです。
「それであるとき説教してやったのよ」
と彼は言いました。
「ドラッグというのは、一回はいい(彼の意見です)。意識の拡張、特殊な状
態はこういうものであると知れば、一回でたくさんなんだ、と言ってやった。
それで証拠を見せてやったのよ。じつは僕、空中浮遊ができるの」
意外な秘密を打ち明けられました。
「僕は昔カソリックだったんだけど、あるとき、瞑想室で瞑想していたんだ。
そしたら、通りかかった先輩があとで、『お前あのとき空中に浮いてたぞ』と
いうんだ。自分では全然そんな意識がなかったし、浮遊したいとも思っていな
かったんだけれども自然に浮いてたらしい。それで先輩が『何を言われるかわ
からないから、周りには秘密にして他人には見せるな』と忠告された。それか
ら僕、空中浮遊しようと思えばできるのよ」
どうやら宗教の世界でも、空中浮遊は、神の奇蹟の証明とされるよりは異端と
して排除されるようです。
そのドラッグ集団は、意識について一家言あるヒッピー的な人たちだったよう
ですが、空中浮遊を見せると「ははーっ」と恐れ入ったようです。
どれくらい本質的に反省したかはわかりませんが。
この話を聞いたとき、すぐ「空中浮遊見せてもらいたいなあ」と思いました。
でも、先ほどの「目の前でコップが浮遊しても信じない」という話が頭に浮か
んだので、言うのはやめました。
見ても信じない、という態度があるなら、見なくても信じる、という反対の態
度もありうるわけです。そちらのほうがかっこいい。
相手の人柄も知っているし、その人が「空中浮遊できる」と言ったら、それは
本当だろうと受け取ったわけです。
疑いはほとんどありませんでした。
ただ一度実際に見てみたいという好奇心はありました。
でも、「見せて」というのは、僕の感覚ではダサいのです。
温泉に浸かりながら、そうかあ、浮けるのかあ、と不思議な気分にも浸ったの
です。
実際、オームの麻原はできたそうですが、これは怪しいから勘定に入れないで、
他にもできる人の話を2,3聞いたことがあります。
「誰々(固有名詞忘れた)が浮くのを何度も見た」というような親しい友人の
話ですから、僕は本当だと思います。
「うちのじいさんは座布団ごと浮いてすっと移動できた」という話も聞きまし
た。
人が浮くのが不思議なら、座布団もいっしょに浮いても不思議はありません。
スプーンを曲げた話なら、10回くらい聞きました。
お母さんとか、おばさんとか、お祖母さんとか、女性のケースが多いです。
テレビ見て真似したらできちゃったみたいな、考えすぎない素直な人がいいよ
うです。
あるセミナーで指導したら、大部分の人が曲げたみたいな記事も読んだことが
あります。
誘導次第では、そういうこともありうるでしょうね。
あとは、人と違うものを見る人はたくさんいます。
しかし、言うと仲間はずれにされるから、子どもの頃から親しい人にしか話さ
ないのです。
美術関係にはとても多い。
そういう感覚をベースに他の人は思いもつかないような表現をしている人がい
ます。
二人きりになったときに、あるいは親しい人だけになったときに、ぼそっとそ
ういう話を聞くことがよくあります。
あるいは僕のほうから「何か見えてる?」と聞くことがあります。
他の人と共通ではない色や形が見えているのです。
たぶんピカソや岡本太郎も、何か特異な視野を持っていただろうと想像してい
ます。
それは、現代医学でいうと、統合失調症という病気に分類されてしまうかもし
れません。
でも、僕はそれは一つの感覚だと思っています。
人の感覚はとても限定的な使われ方をしているのです。
お面をかぶると、目の穴からしか覗けなくなって、人の視野は狭くなりますね。
そのような視野狭窄が人同士の共通項になっているのです。
それに慣れてしまうと、お面を外した広い視野は脳で処理できなくなってしま
います。
そうすると病気という形で現れるのです。
何かが見えるアーティストの人たちは、このお面に普通の人と違うもう一つの
穴が空いているとか、穴が普通の人より広いとか、そういう感覚の違いがある
のです。
それを病気というネガティブな方向ではなく、ポジティブに使っているのです。
本来、人はお面をかぶらない全面的な視野に耐えられるのです。
適切な理解と教育、トレーニングがあればです。
(しかし、国はそういう創造的な人が増えてしまうのを望んでいません。
建前では、創造性と言いながら、画一的な人間が大部分なのが、労働力として
都合がいいのです)
つまり、物質的な視野とは違う何かが見えるというのは、人の可能性なのです。
可能性の一部が露出して来ているのです。
芸術表現、小説も含めてを上手になりたいと思うなら、この感覚の開発に意識
的でなくてはなりません。
どうしたら開発できるかは、一冊の本になってしまうのでパス。
([大人の成長塾]は、表現論ではありませんが、これに役立つ基礎的な考え
方があります。興味ある方はどうぞ)
空中浮遊もスプーン曲げも、それ自体が有用なことはなく、ただ人の「可能性」
を示しているのです。
スプーン曲げたって不便になるだけだし。金属加工に使えるわけでもありませ
ん。
空中浮遊で海外旅行に行ったという話も聞きません。
もっとも仙人は雲に乗ってどこにでも行けたようですから、そういうこともで
きるかもしれません。
仙人の話は明らかなファンタジーだと思うかもしれませんが、僕は現実とファ
ンタジーに線引きをしたくないのです。
実際のところ、現代は僕が子どもの頃のファンタジーを実現しているSF社会な
のです。
スマホのような携帯通信機器プラスコンピュータのようなもの。これはSFでし
た。
将棋や囲碁で人間を打ち負かす人工知能、ヴァーチャルリアリティ、高機能ロ
ボット、インターネット、遺伝子操作、すべてがあっという間に実現してしま
ったのです。
ファンタジーには人を導く機能があるのです。
科学技術はむしろ危険なくらいの勢いで、ファンタジーの領域に突入していま
す。
AIはあと10年で人間の仕事をほとんど奪うと言われています。
そうなると、ブラック・ファンタジーが実現していきます。
そうならないためにはどうするか。
人の内的な可能性を新たな開拓地にしていくしかないのです。
そういう可能性の拡張をしないままでは、多くの人は格差の広がりの中でたい
へん行きづらい思いをするでしょう。
あらゆる面で効率があがり、生産性が上がるのに、人が生きて行く環境は苛酷
で貧しくなっていくのです。
ホイミ! ベホイミ! 私たちは、ゲームの中では、魔法の世界に生きています。
しかし、ゲーム以外の世界では、まったく保守的に等身大の既存の現実しか信
じようとしません。幸せでない人ほど目の前の現実で頭がいっぱいなのです。
まるでそこにしがみついていれば何かが保障されているかのように。
しかし、現実は次第に激流になり、滝壺に落下していくかもしれません。
不思議領域、ファンタジーの領域をまじめに開発しましょう。
[シンクローム]セミナーは、そういう仲間達が集まる入り口です。
**
不思議話どうだったでしょうか?
自分のほうがよほど不思議な話を知っている。自分も人は言えない感覚や能力
を持っている。
そういう人もたくさんいるのではないでしょうか。
何か言いたくて、むずむずした方は、文章に書いてメールをください。
面白いのが来たら、このクロニクルで取り上げたいと思います。
匿名、ペンネームがよい人はそれを明記してください。
では、不思議の世界に少しばかり自分の生活と意識を拡張したい人!
セミナーでお待ちしています。
]]>
[大人の成長塾]
2016-10-12T00:00:00+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
-
http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=271
[大人の成長塾]クロニクル第4号 「うまくいっていないなら変化しなさい」
■みなさん、こんにちは。
GWは、いかがお過ごしでしょうか?
僕はフリーランスの頃から、日曜祝日ってあまり関係ないのです。
平日も遊んでいるし、逆に日曜祝日も原稿を書いていたり仕事をしています。
日曜祝日はどこに行っても混んでる可能性があるし、宿泊費な...
GWは、いかがお過ごしでしょうか?
僕はフリーランスの頃から、日曜祝日ってあまり関係ないのです。
平日も遊んでいるし、逆に日曜祝日も原稿を書いていたり仕事をしています。
日曜祝日はどこに行っても混んでる可能性があるし、宿泊費なども高いことが
あるので、むしろ仕事していることが多いです。
みなさんの過ごし方もさまざまではないかと思います。
バリバリに充実した計画を立てている方は、楽しんできてください。
「とくに何もやることないなー」という方は、[大人の成長塾]入塾を検討し
ましょう!
と、話はそこにオチました。
■[大人の成長塾]は、連休明け5月7日に値上げをいたします。
1万円が1万2,000円になります。
どういう値上げかと言いますと、
*内容が質量ともに当初の予定より充実してきたこと(まだ書いているのです)。
*1万2,000円のほうが月1,000円でわかりやすい。
*今後提携や、宣伝のことを考えるときに、単価が安いと作戦が限定される。
などなどです。
今後上がることはあっても下がることはないので、GWに「[大人の成長塾]ど
うかなあ?」とちょっと考えみてください。
WEB上の診断テストをやってみる⇒ステップメールの解説で理解する♪
⇒[大人の成長塾]無料体験版(無料のステップメール[15のヒント])
は↓こちら。
http://seicho.hiden.jp/s_test.html
――――――――――――――――――――
●[大人の成長塾]塾生体験
[大人の成長塾]の中身が自分に合うだろうか?
今さら自分が成長なんかするんだろうか?
と気になっている方はまだまだいると思います。
今回は、[大人の成長塾]の塾生、たまがわさん(女性・38歳)が紹介コメン
トを書いてくれたので紹介します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
わたしが大人の成長塾に参加することを決めた動機は
『しあわせに生きていきたい』と心から思ったからです。
成長塾の教えは、易しいです。
努力や頑張り、とは違う世界のお話です。
しかし、ひとは易しいことをややこしく受け取る。
その、『シンプルなことを複雑にしている自分』
に気づいたあたりから、変化は始まります。
長年背負い込んだ荷物をおろすのは勇気がいるけど
それは敗北でも、失敗でも、キツイ事でもない。
その重さを、テコのように使えばいいんです。
疎ましかった荷物のすべてが学びの種になります。
人生に無駄はない、と心から実感できます。
成長塾への参加に必要なものは、以下3つ。
□一歩踏み出す勇気(命まではとられません!)
□素直なこころ(誰もが持っているので心配無用!)
□自分への期待(ゴールを描かず、過程を楽しむ!)
まったく異なる人生を歩んできたであろう
住む場所も年齢も職業もバラバラな人たちが、
それぞれの、ささやかで貴い冒険を共有する場所。
それが『大人の成長塾』です。
================
たまがわさんは、入られた当初、心の中にあれこれこだわり、ひっかかりがあ
る感じでした。
おっかなびっくりでためらいがあったと思います。
仕事でも消耗して悩んでいました。
でも、そういうことをフォーラム([大人の成長塾]専用掲示板)にどんどん
書く積極性がありましたから、みるみる元気になりました。
シンクロームも3ヶ月申し込まれて、まだ途中ですが、身体の健康についても
大きく回復しています。[大人の成長塾]もまだ3分の1を過ぎたところですか
らね。
1年経ったらどこまで成長するでしょう。
『しあわせに生きていきたい』、そう「心から」思ったら、あとは[大人の成
長塾]に任せてもらったらいいんです。心からというところ、意外に大切なの
です。
本人にしっかりした動機があれば、[大人の成長塾]は機能します。
でも、ちょっとした意地とか、こだわりとか、自尊心とかが『しあわせに生き
ていきたい』よりも大きな要素になることが多い人は時間がかかります。
「うまくいっていないなら変化しなさい」、今回そうタイトルをつけてみまし
た。
*あれこれ悩みがある。
*けっこうな頻度でどよ〜んと落ち込む。
*未来のことを考えると憂鬱になる(実際は不安なだけで「考えて」はいない
ですけどね)。
*楽しい充実した時間が少ない。
*これでいいのだろうかと不安だ。
そういう悩みを持っている人はかなりの割合いるのではないでしょうか。
それどころか、複数があてはまる、全部あてはまる、という人もいるのではな
いでしょうか。
そういう状況は変えられます。
女性誌などの見出しを見ると「違うわたしになりたーい!」的な見出しがよく
あります。
[大人の成長塾]の場合は違う人になるというより、その人の本来自然に戻る、
ことになります。それがいちばん大きく、本質的な変化なのです。
本来に戻ると、人は成長するのです。
ワキ筋にそれると、成長は止まるのです。
いちばん元気で活き活きしていたときを思い出してください。
小学校でも中学校でもいいのです。
それが本来の姿です。
人はどんよりしたものではないのです。
小さいときからいじめられて、「一度も活き活きしたときはなかった」という
人もいました。
でも、あなたは違うでしょう? 自分が輝いていたときのことを思い出してく
ださい。
いま、それよりもどんよりしているとしたら、それにははっきりした要素があ
るのです。
どんよりしているのに行動を起こさないのには、言い訳があります。
いろんなバリエーションがありますが、つきつめると次の2行です。
*自分なりにやってきたけど、ダメだった。
*きっと何をやってもダメなのではないか?
自分なりのやり方、判断に偏ったところがあるから、いつも同じパターンには
まってしまって、「やっぱりダメだ」となるのです。
自分はダメダメだ、とときどき落ち込むけれども、自分の判断は頑固に手放さ
ない、というのが変化しない人の典型です。
心理学でいうと、人は自分が投資したものを無価値と思いたくないらしいので
す。
つまり、自分の判断のクセでたいへん無駄な苦労をしたり、トラブルを招いた
りした。
ちっともうまくいかなかった。
でも、それは一つのエネルギーの投資だから、それを無価値だと思うことには、
たいへんな抵抗があるのです。
だから、そういう状態になったら、自分自身で自分をよくすることはできない
のです。
いつも今までの努力は価値があるという合理化をしてしまう。
そこには、他人の言葉、他人の発想を取り入れて、違う原理を導入していかな
いといけないのです。
でも、自己啓発書の類は、自分の都合のいいように読んでしまう可能性が高い。
最近は自己啓発書を「キャリアポルノ」と命名した人がいます。
「自己啓発書を読み漁っては実際に行動しないで満足する」人たちがいて、あ
る種の興奮状態に導き、マスターベーションさせるポルノに過ぎない、という
意味でしょう。
[大人の成長塾]は、一年という期間の中でじわじわと侵食(笑)します。
興奮して読み捨てにすることができません。
いつも自分の発想と照らし合わせてもらうような働きかけがありますから、読
んでいくとともに血肉化します。
自分を変えたい、変化したい、という声が少しでも心の奥底から聞こえたら、
[大人の成長塾]に申込みましょう。
考え込んだら、先ほど書いた合理化が働きます。
何もしないほうが古い自分を温存できる。
あなたの中にもそういう変化への「抵抗勢力」がいるのです。
考え込むと彼らが強くなります。
純粋な衝動を感じたときに動くのが吉、です。
値上げ前に申込みましょう!
WEB上の診断テストをやってみる⇒ステップメールの解説で理解する♪
⇒[大人の成長塾]無料体験版(無料のステップメール[15のヒント])
は↓こちら。
http://seicho.hiden.jp/s_test.html
⇒[大人の成長塾]申し込みは↓こちら。
http://seicho.hiden.jp/entry.html
]]>
[大人の成長塾]
2016-05-01T00:00:00+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
-
http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=270
[大人の成長塾]クロニクル第3号【秘伝・複数の年齢を持つ】&価格改定
●【秘伝】公開の儀
今回は[大人の成長塾]の【秘伝】を1つ公開します。
【秘伝】というと僕の文章秘伝のことを思い出してくれる方が多いと思います。
もちろん、そこから拝借?しました。
[大人の成長塾]のメールには、【秘伝】、【チェック】、【ミッション】...
今回は[大人の成長塾]の【秘伝】を1つ公開します。
【秘伝】というと僕の文章秘伝のことを思い出してくれる方が多いと思います。
もちろん、そこから拝借?しました。
[大人の成長塾]のメールには、【秘伝】、【チェック】、【ミッション】と
いう3つのポイントがときどき出てきます。
【チェック】は、自分のことを振り返ること。
【ミッション】は、実際に少し行動してもらうことです。
本文の流れの中にこの3つの要素が入って、書いてあることを「身体化」「血
肉化」してもらうように工夫しています。
【秘伝】は、僕の長年愛用している考えの「道具」のようなものです。
材木を加工するのに電動工具があると超便利なように、生き方を考え、成長を
促すにも目に見えない道具があったほうがいいのです。
昔、幾何の問題を解くときに「補助線」というものを引いたでしょう。
図形そのものの線ではないけれども、そこに内在する線を引いてやると見えな
かった形がはっきり見えてくる。ずっと考えやすくなってスルスルと問題が解
ける。
僕としては、【秘伝】は、そういうものと考えています。
で、この【秘伝】を成長塾の塾生たちに惜しみなく伝授しているのですが、今
回は内部でも公開していない【秘伝】を書きます。たぶんこのメルマガでの
【秘伝】の公開は今後あまりありません。
[大人の成長塾]本体を充実させたいのです。
今回公開するのは、[大人の成長塾]って一体何やっているの? と思ってい
る人も多いと思うからです。
その文字通りの【秘伝】を公開します。
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「気づき」という言葉はあまりに便利過ぎて好きではないのですが、その「気
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ステップメールを60通と書いていたのですが、どうやら予定より増えて70通か
ら80通の間くらいになりそうです。最初の頃に気前よく配信設定をしてしまっ
たので、60通では足りなくなってしまったのです。
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●大人になること
みなさんは大人という自覚がありますか?
僕はふだん大人という言葉でものごとを考えませんが、改めて考えてみました。
若いときの恐るべき考えの足りなさを思い出すと、相対的には大人だろう、自
社比では大人だろう、ということができます。
一方ですごく子どもの部分もあります。
そして、どこでいつ大人になったか、なんてことはわかりません。
いろいろな要素が混じりあっています。
社会が高度化するほど、成人年齢は高くなると言われています。
江戸時代の日本では、元服は10代半ばくらいだったようですね。
アフリカなどでも多く10代前半くらいで通過儀礼があると思います。
ふりかえって現代日本はどうでしょうか?
現代日本のような高度化した社会で、20歳で成人というのは、たぶん無理なの
です。
早熟な人もいるでしょうが、たいていはまだ何もコントロールできません。
さらに根源的に考えて成人とは一体なんでしょうか?
何をもって成人とするか、皆さんもちょっと考えましょう。
……3
……2
……1
考えた?
僕の考えを書きますよ。
いちばん短くいい変えると「一人前」になること。
僕のイメージはまず漁師さん。
2人で舟に乗ってする漁があるとすると、大人2人がちゃんといて、お手伝いで
乗っているときは、半人前。
2人のうちの1人になったら一人前。
だから、身体がしっかりしてきたら、15,16でも一人前の仕事ができるかもし
れませんね。
しっかり1人分の稼ぎもできる。
権利とともに義務も与えられる。
一人分の場所を与えられて、「いないと困る」人になる。
これが本来の成人だと思うのです。
農業や自営の商業にも一人前はあると思います。
仕事を覚えて全体に目が届くようになる。
先輩たちのようにすぐにはできなくても、いずれ仕事の全てを受け継いでいく
ことになります。
コミュニティの中でもそのように頼もしい未来のタネとして受け入れられます。
しかし、現代の都会の雇われ仕事では、もっと部分的な仕事しか与えられませ
ん。
いなくては困る、といっても交換可能です。
派遣や臨時雇いも多いし、むしろ消耗品。
コミュニティ的な暖かさやケアもありません。
ときどき子どもは、海で魚が切り身で泳いでいると勘違いしています(僕も小
さなときありました)。
現代の仕事は、そういう頭も尻尾もわからない切り身の状態なのです。
これでは一人前の要件を満たしません。
成人式は挙げても実際には社会は成人した役割を与えていないのです。
一人前の世界は、義務もある代わり、自負心もあります。また報酬もあります。
先輩や仲間もいます。いくらでも先輩に仕事のコツを聞くことができます。
仕事の安定もあります。
その中に成長の栄養がすべてあるのです。
現代の会社組織の与える労働は、人をいつまでも一人前にしません。
それは30代になっても同じです。
ひょっとしたら40代になっても。
かつて終身雇用制があった時代には、雇用された人々は安定感と前進感を持つ
ことができました。長く勤めていれば、給与と地位が少しずつ上がったのです
から。
今は安定感も前進感も多くの仕事でなくなりました。
それに代わるものを企業も国も用意してくれません。
収入的なこともありますが、それにリンクして精神的な充実も、個人が自分で
ケアしなくてはいけなくなりました。
それがうまくいかずに、精神を病む人が多くなったのです。
あなたがその立場だったら(実際のところすごくこういう立場の人が多いので
す)いったいこの事態をどうすればいいでしょう?
再びthinking time.
3
2
1
今度は短い。
かなりじっくり考えないと、数分考えても答はわからないと思うからです。
でもちょっと立ち止まって考えていただきたかった。
僕の意見は、第一感は「人々の意識が変わり、社会の方向が変わり、選択肢が
豊かにならないと解決しない」ですけど。
これは失格ですね。
求められているものと違う。
答は、いま僕がどうするか、いまあなたがどうするか、という形で出さねばな
りません。
実際的に今すぐできることで、何かしなければいけません。
完全な解決ではないかもしれませんが、その解答が今回の【秘伝・複数の年齢
を持つ】です。
複数の年齢を持つとはどんなことでしょうか。
僕はいま実年齢は61歳です。しかし、僕はこれ以外の年齢を意識的に持つよう
になりました。
僕のある部分は2011年の3月11日に生まれたということは何度か書いたかもし
れません。そのとき生まれた僕は5歳なのです。
複数の年齢を意識したのも、成長を実感したのもこの年齢がきっかけですが、
他の年齢について書きましょう。
陶芸を始めたのは、6年前です。複数の年齢はそのときを誕生日0歳として数
えます。
ですから陶芸年齢は6歳です。
陶芸歴6年というのとの違いがわかりますか?
陶芸歴6年というと足し算のような感じがするでしょう?
「多趣味でけっこうでございますなあ」といわれるような。
そうすると61歳の趣味、ということになります。
陶芸年齢6歳、というような生き物がここにいると考えると全く違う発達にな
るのです。
20歳から小説を書いて今35歳の人がいるとすると、「35歳で小説を書いていま
す」と考えるでしょう。そうではなくて、小説家年齢15歳なのです。
そう思って振り返ると、自分がちゃんと発達してきたかどうか、違う目で見ら
れるのです。
「小説家になりたい人」を15年間やってきた。
でも本当は15年前に「小説家0歳」になっていたほうがよかったのです。
全然違うことなのです。
絵は10数年前に描き始めました。子どもの頃に絵の塾でイヤなことがあって長
く中断していたのです。ですから、僕は絵を描く年齢も10代。育ち盛りです。
美術館に足を向けるようになったのも、10数年前です、この美術年齢も絵描き
年齢とはちょっと違うカテゴリーです。
1年少し前から月に一度ですが、能を習っています。ですから、能年齢は1歳で
す。
先日、お芝居の演技のワークショップに行ってきました。
これがかなり面白かったので、演技年齢0歳が新たに加わりました。
別のワークショップにも行ってみる予定。
演劇自体は20歳のときに台本を書いて、そのとき以来4本の戯曲を書き、五回
上演されていますから、演劇年齢40歳といえるのです。
でも、自分が演じるのは全く別の世界で新鮮です。
それからスポーツジム年齢も2年になります。
体重が10キロ。体脂肪率が6くらい減りました(かなり太ってたのです)。
以前は15分で根をあげていた肉体労働が1時間半できるようになりました。
編集者、出版関係の年齢も40歳くらいになります。
あとバンド年齢とかもありますね。
年齢の高いものは、判断力や経験はありますが、活力はそんなに高くありませ
ん。
生まれたばかりの領域は、たいへんエネルギーと好奇心に満ちています。
幼い年齢では、どんどん外の情報を吸収し、また発信します。
自分の実年齢にその活発さを積み重ねていくことで成長を確保できます。
このように複数の年齢を意識することで、私たちは「外から見られる年齢」か
ら自由になることができます。
読者のみなさんのほとんどは僕より若いと思います。
それでも自分の年齢を重く感じていませんか?
僕は自分の年齢は軽いです。
ほとんどのとき忘れています。
僕の年齢、61と言えば、還暦すぎとか、昔でいえば定年過ぎとか、映画が安く
なるとか、つまりは「老人」という領域です。
終活という言葉も最近あって、これは「死の準備」です。自分が死んだあと、
周囲の人が困らないようにあれこれ後片付けをして、遺産のことや何がどうな
っているかを書き記しておくことのようです。
いかにも日本人的な配慮です。
そんなことすると、一気に老け込むか死んでしまいそうなので、僕は嫌ですね。
僕が生きていることは整理される気配がありません。
老人という烙印を外から押されるのは跳ね返せますが、自分自身で押してしま
うと逃げられません。いちばんコワいことです。
しかし、それが外から見た僕の年齢なのです。
これに同調しないためには複数の年齢が必要なのです。
【秘伝・複数の年齢を持つ】には、さらに奥行きがあります。
それぞれの年齢が溶け合うのです。
たとえば、絵を描く私が陶芸をインスパイアする。これはまあ当たり前ですね。
でも、能で育った私が陶芸にその発想やパワーを持ち込むということもあるの
です。
演技を勉強したことが絵に役立つということもあるでしょう。
そうすると、生きているエネルギーをみんな上手に使えるのです。
趣味と呼んでしまうと別々の部屋に分かれていますが、その間の敷居をぶち抜
いて、次第にワンルームになっていくのです。
これが【秘伝・1つの部屋】です。これはたいへん面白いことですが、ここで
は詳細に立ち入りません。たぶん[大人の成長塾]後半で扱います。
僕は僕の中の老人は知識と経験と落ち着いた態度のために使い、生き生きとし
た活力のためには、まだ育ち盛りの年齢を使います。
意識の持ちかただけの話ですが、それでおおいに違います。
幼い年齢には、強烈な成長力があります。
可能性がたくさん開けています。
これを使って、あなたも成長し前進し続けることができます。
「外から見た年齢」には、女性がより多く縛り付けられているのではないでし
ょうか。
結婚を中心に何歳はこういうものだ、という社会通念を押し付けられています。
押し付けられているうちに、自分自身もその縛りの中で自分を見るようになり、
発想や行動が縛られてしまいます。
本当に素敵な女性は、そのような年齢を超越していきます。
40代、50代、60代とどんどん魅力的に成熟していきます。
外から見た年齢の若さだけを売り物にした人は、それを失っていくことに恐怖
します。
しかし、複数の年齢を持った人は、違います。
自分の中で次々に成長していく複数の自分を楽しみにすることができます。
自分の中に種を蒔きましょう。
それを育てていつもエネルギーと実りをもらいましょう。
【チェック】
あなたはいくつの年齢を持っていますか?
振り返って数えてみましょう。
音楽年齢や武道年齢、ヨガ年齢、あれこれあると思うのです。
できればメモしてみましょう。
その一つ一つに成長の楽しみを吹き込みましょう。
【ミッション】
新しい年齢、新しい0歳を自分の中に生み出すこと。
*
新しい0歳。
[大人の成長塾]はオススメです(そこかっ!? って言われるかな)。
全く新しい概念の生き方を0歳から1年間始めませんか?
それは今後の人生を左右し、ナビゲートする基準、頼りになる地図とコンパス
になります。
何年も立ちすくんでいる人も腕組みをとき、楽しく歩き出すことができます。
さあ、0歳になりましょう!
]]>
[大人の成長塾]
2016-04-03T15:51:00+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
-
http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=268
苫米地英人氏を論ず / 虚無について
メルマガから転載。
超大作。
第一部は苫米地英人論。
第二部は現代を覆い尽くす虚無について。
『コーチングの徹底ネタばらし(後編)』
第一部
『苫米地英人氏は、多重スタンダードのつぎはぎであって、人をバカにしている』
コーチング・シリ...
超大作。
第一部は苫米地英人論。
第二部は現代を覆い尽くす虚無について。
『コーチングの徹底ネタばらし(後編)』
第一部
『苫米地英人氏は、多重スタンダードのつぎはぎであって、人をバカにしている』
コーチング・シリーズ第3弾として、予告通り苫米地英人氏について、書きま
す。
個人的には氏に恨みや批判があるわけではないのです。
個人についてあれこれ言及するのは、ややためらうのですが、氏も著書のたく
さんある影響力の強い有名人ですから、批評の対象となるのは仕事の一部とい
う面もあるでしょう。
もう一つは、コーチングについて語って苫米地氏に言及しないのは、
むしろアンフェアで失礼なのではないかと思ったのです。
氏について他の論に混ぜて断片的に評価することが難しいので、まとめて書く
ことにしました。
僕はここ2年ほどスポーツジムに通っています。
今はランニングなどの機械にモニターがついています。
便利なもので、それで運動しながらyoutubeが見られるのです。
昨年2015年に、これで苫米地英人氏の公開された映像はほとんど見たのです。
たくさんありますから、1日30分から1時間くらいみても何か月か見続けたと思
います。
ここで語ることは、それがベースになっていることをお断りします。
非常に限られた資料で語ってみるということです。
本については、『洗脳原論』を半分しか読んでいません。
あとは、インターネットの情報を一かじり。
映像は氏の語る内容が新鮮で面白かったので見たのです。
いわゆるコーチングの業界で、氏の存在や影響がどれくらい大きいのか僕には
よくわからないのですが、僕には透徹した理論が勉強になりました。
最初の僕の苫米地氏に対する印象は、胡乱、ウロンな人物ということでした。
しかし、話を聞いてみるとたいへん賢い、明晰で優秀である、まあ天才に類す
ると言っていいかもしれない、ということがわかりました。
また知見も広く、たぶん世の中の上の方や裏側にもあれこれ通じている。
時事問題に対するコメントも、非常に根源的に切れ味がいい。
TOKYO MXの『バラ色ダンディ 木曜日』という番組で時事問題の解説をしてい
ますが、数あるコメンテーターの中でも日本一明快で鋭いものです。
原発やTPPにも反対しているし、体制派ではないところもたいへんありがたい
のです。
そういう代え難い美点にも関わらず、やはりその存在自体の胡乱な印象はあま
り変わらなかったのです。
以下、そのことを書きましょう。
『苫米地英人氏は、多重スタンダードのつぎはぎであって、人をバカにしている』
という仮タイトルをつけたのですが、まあ、そういうことなのです。
*
苫米地氏の名前を初めて知ったのは、やはりオウム信者の脱洗脳のときです。
アメリカの有名大学のかなりよい待遇の教授職(具体的に覚えていません)に
つこうとしていたときに脱洗脳をしてほしいと呼び戻された、と氏は言ってい
ます。
脱洗脳に興味があったから職を棒に振ったのか、他のからみがあったのかは、
僕の知る範囲では語っていません。半分、強引に巻込まれたようなことかもし
れません。
しかし、これは、幸運というか、氏の天命であったのではないかと感じられま
す。
かなりの人数の脱洗脳に関わったようです。
洗脳の浅い信者から順にあてがわれたと言います。
これは世界的歴史的にも稀有な機会だと思います。
洗脳された人物が大量にいて、それを脱洗脳する環境があるということは滅多
にないことだと思います。
洗脳された人々たちの集団ならあちこちにいるでしょうが、彼らを集団から引
き離して1人1人脱洗脳していくお膳立ては、なかなかあるものではありません。
そういう意味で、この仕事が氏の本意であったかどうかは別として、今日の氏
のあり方をよしとするならば、幸運であったと思うのです。
もう一つの幸運は、アメリカのコーチングの大家、ルー・タイス氏との出会い
です。
いきなり呼び出されて、かなり親密に、いわばいきなり右腕としての仕事を依
頼されたようです。
もし、洗脳だけでコーチングという窓口がなければ、洗脳が専門の尖った変人
という世の中のポジションはなかなか変わらなかったでしょう。
コーチングというもう一つの枠組みができて、ずいぶん真ん中にでてきて、広
い間口で世の中と接点を持てるようになったはずです。
いわばルー・タイスという一大ブランドの(といっても苫米地氏から聞くまで
は知らなかった)日本の代理人として振る舞えるようになったのです。
苫米地氏のコーチング理論の骨子は、ほとんどルー・タイス氏だと思われます。
訳書が多くないので確認しづらいのですが、肝心の部分は苫米地氏が自分の本
として書いたしまったのでしょう。
しかし、苫米地氏の脳科学理論は、見事に明快に、このコーチング理論を裏打
ち、解説、展開しています。その件に関してはまったく申し分がありません。
では、どこらへんが多重スタンダードなのか、という話に移りましょう。
まず「洗脳」というものが、市民社会的にはかなりまずいものなのです。
つまりテクニックを知れば人を支配できてしまう、ということですからね。
一般人の反応としては、視野にも入れたくない反則技という感じではないでし
ょうか。
しかし、それを使えれば特権的な立場に立てる、と知れば、高い金額を払って
も手に入れたいという層もいるはずです。
それが氏の商売相手なのです。
苫米地氏はこれについて、「これから洗脳を悪用してくる層もいるので防衛の
ためにも洗脳について知る必要がある」ということを言っています。
これはかなり無理がある論理です。
アメリカでは、銃器を「自衛のために持つべき」という論理で売っていますが、
実際に犯罪に使われた件数に対して、自衛に使われたケースは50分の1なのです。
どう考えても自衛のために洗脳を勉強する人間はそんなに多くないのです。
洗脳という方法をリークしながら、それが防衛のためだ、というのは、矛盾と
いう言葉の語源を思わせるなかなかの逆説です。
そういうジレンマは、氏自身、最初の著書『洗脳原論』の頃は、シビアに考え
ていたと思います。
しかし、だんだんどうでもよくなって、節操がなくなって来たようです。
節操がないといえば、たとえば、有名なのは氏の商品の中には、『巨乳になる
音楽』というものがあるようです。
なんですか、それ? と公共の場でつっこまれても氏はヘラヘラしています。
なんでも音源に赤ちゃんの鳴き声がサブリミナルで入っているそうで、それを
聞くとおっぱいが大きくなるという仕組みらしいです。
僕はそういうの嫌いではありません。
しかし、これは学者や科学者のすることではありません。
実証の裏打ちがまったくないはずです。
この一事をもっても、氏は学者とはいえません。
しかし、本人はこのような通俗的な企画にもつきあうのは、「脳科学を普及す
るため」と言っています。
アメリカの大学に帰る気もなさそうだし、日本のアカデミズムの中心は彼のよ
うな存在を受け入れないでしょう。それで学者としての節操や境界線は必要な
くなったのでしょう。
*
また彼にはSMの性癖があると書かれたブログがあります。リンクしませんので
興味がある方は検索してください。
このブログ主は、ハプニングバーなる怪しい場所で氏と「50回は会っている」
と書いています。
美しい奴隷たちを引き連れていて、彼女たちを支配するのにどうやらマインド
コントロールを使っている、とかなり強烈なことが書かれています。
現在、そのようなブログがあるのは事実ですが、ことの真偽はわかりません。
もし、真であれば、マインド・コントロールで女性を支配し、思うがままにす
るなど、世間の道徳とは大きくかけ離れたことだと言えます。
性犯罪に近いと言えますが、しかし、もし女性も氏に興味を持って近づいたと
したら、合意の上であるかは否かはたいへん難しい立証になるでしょう。そも
そも催眠や洗脳に適合する法律があるのかどうかも僕は知りません。
男性が女性を洗脳によって思いのままにすることなどできるのでしょうか?
苫米地氏は、ある動画でこともなげに「できます」と断言しています。
洗脳の中でも比較的簡単な領域のようです。
ただそのあと、
「しませんけどね。だって面白くないでしょう?」
と続けています。
僕はこれを聞いてそのときは納得しました。
たしかに、これはゲームで言えば「無敵モード」です。
何でも思い通りにできてしまう。
面白くもなんともないでしょう。
しかし、しばらくして「待てよ」と思ったのです。
「無敵モード」でときどきは遊んでみたい人もいるでしょうし、いつまで遊ん
でも飽きない人もいるな、と思いついたのです。
「しません」と言っているのだからしてないかもしれませんが、仮にしていて
も「しています」と言ったら大問題になってしまいます。
したがって、していても、していなくても、発言は「しません」となるのです。
したがってこの言明には、意味がないことになります。
ここまで読んで気分が悪くなった人がいるのではないでしょうか。
洗脳の技術が導入されると、個人の意志の尊厳が薄紙のように弱々しく脆いも
のになってしまうのです。
この技術を、苫米地氏はセミナーで教えています。
ひとめ惚れさせる技術みたいな名称で、一人歩きを始めています。
どのレベルまで教えるかということはあるでしょうが、勘のいい人なら悪用で
きるかも知れません。
このように書くことが氏の宣伝になってしまいそうで、イヤなのですが、仕方
ありません。
氏は、人の欲望に迎合して利用するということにまったく節操や躊躇がありま
せん。
「年収一億円になるマインド・セット」などということもときどき言います。
結局欲につられて人が集まってくるのです。
氏はそれを十分に金儲けに利用しています。
氏の哲学的認識は、相当根源的で深いのです。ときどきびっくりさせられます
が、それには人は反応しないのでしょう。
氏の視点からは、日本人はバカ(氏に比べれば誰でも)と欲にかられた俗物に
見えているだろうと想像します。
そういう人間から金を巻き上げるのに躊躇がないのかもしれません。
実際、ネット上では、彼の高額なセミナーについての体験者の報告があります。
相当なお金をつぎ込んで借金を作ったが何も身に付かなかった、目が覚めるま
でに3年かかったというような記述があります。
「年収1億円になるマインド・セット」は大切かもしれませんが、いくら高額
なセミナーに出ても、セットできない人もいるでしょう。マインド・セットが
できても、他の条件が揃わなければダメでしょう。そもそも働いていないニー
トがセミナーに出ても儲かる道理がありません。
その他、いろいろな条件が必要だと思います。
また別の報告では、セミナーでは、まず弟子たちが指導をして彼自身は遅れて
くる、という書き込みがあります。
また会場は禁煙だけど、苫米地氏だけは葉巻を吸っている、という書き込みも
ありました。
そう書かれているということが事実なだけで、これも真偽はわかりませんが、
ありそうなことです。僕の想像はこうです。
これは、何十万かのセミナー料を払った人間に対して「お前たちは十分に金を
払ったつもりかもしれないが、オレにとってははした金だから、勘違いしない
でね」というメッセージなのです。
それをガツンと喰らわせて、心理的ショックを与え、そこからより高額なセミ
ナーに誘導するマインド・コントロールをかけていくのです。
しかし、そこにさらに「バカで俗物」である参加者たちへの軽蔑が透けて見え
ます。
もちろん優秀な人も中にはいるでしょうけどね。
苫米地氏が人をバカにしている、と感じたのは、別のきっかけです。
僕はYouTubeで動画を見ていたわけですが、噛んで含めるような調子で語る動
画では、同じ話の繰り返しが多いのです。
3回くらい同じ事を繰り返しているケースがいくつかありました。
明晰な氏にしてどういうことかと考えますと、一つには聞き手、リスナーと番
組の進行役を軽く見ているということのように思われるのです。
もう一つの理由は、この番組ではここまで語ろう、という情報内容を決めてあ
って、あまり早く本題に行きたくない。それまでは時間を稼いでダラダラする、
ということがあるようです。
話は基本的にうまいので、密度高く話そうと思えばすごい密度になります。
水道橋博士と宮崎哲弥の番組に出たときなどは、すごい密度の内容の濃い話を
しています。
そういうことを考えると、元々、知的なレベルの高い人々と洗練された高度な
会話をしていたい、という面が当然あるのです。
その一方で通俗的な欲望を手玉に取るところもあります。
このような二面性がどこから来たのか、と考えるといくつかの推論があります。
まず日本社会の通俗性に嫌気がさして、真面目にやることがバカバカしくなっ
たかもしれません。
あるいは、二面性は氏の元々の資質かもしれません。
やはり洗脳という技術は、トランプでいえばジョーカー、ワイルドカードなの
です。
ババ抜きでは、悪役の嫌われ者。
七並べでは、両面的。
そして、別のゲームではオールマイティ。
これが通常の倫理観を超越させてしまい、二面性がきれいに花開いた、という
当たりが僕の本命の推測です。
正確にいうと、二面性ではありません。
*学者・研究者としての知的卓越性があり、それが狭い範囲に留まらず、世の
中の裏側にも精通していること。
*洗脳と脱洗脳の第一人者。
*ルー・タイスのコーチングの正統な(たぶん)継承者であること。
この3つは、それぞれ違う要素なのです。
1人が1つだけ持っていても十分に存在感があるし、仕事にもなるでしょう。
しかし、ここにもう一つ
*通俗的に金儲けに走る男
というキャラクターがいちばん中心にいると言えます。
しかし、あまりに多面的に過ぎるために、胡乱だと遠ざける以外には評価が難
しいことになっています。
『苫米地英人氏は、多重スタンダードのつぎはぎであって、人をバカにしている』
という理由はおわかりになったでしょうか。
僕は氏の中にすごい善意もあるような気がするのです。
氏のゴールは、「戦争と差別のない世界を作る」です。
ゴールは自分のことではないのです。
さすがに文句のつけようのない究極のゴールです。
しかし、この線に沿って自分の持っている知恵や才能を社会に還元する、とい
うことにおいては、表向き努力も成功もしているようにはあまり見えません。
あるいは、「戦争と差別のない世界を作る」は表ゴールであって、裏ゴールも
あるのかもしれないと勘ぐってしまいます。
たいへんな能力と魅力と多面性を持つ人物なので、評価が難しい面があります。
僕は僕の読者にはあまり深入りすることはお勧めしません。
著書を数冊読んだり、僕のようにYouTubeを見たりするのはいいですがね。
多くの人が胡乱な印象を持って敬遠するのは、正しいでしょう。
素朴に観察すると、そういうわりと普通の結論になりました。
**
第二部
『個の尊厳と4つの虚無』
●[大人の成長塾]の場合。
対比的に[大人の成長塾]のことを書きます。
苫米地論でお腹いっぱいかもしれませんが、もともといわゆるコーチングと
[大人の成長塾]がどう違うか、ということを強調する企画なので、僕として
はこれからが本番なのです(笑)。
[大人の成長塾]では、脱洗脳ではなく、脱教育ということを考えています。
教育も洗脳です。テクニカルに洗脳と呼べるかどうかの評価は苫米地氏に聞か
ないとわかりませんが、結果的に人の心を本来のあり方から逸脱させていくも
のです。
大学まで出ると、6,3,3,4の16年間、大きくいうと一つの思想に偏った教育を
受けるわけです。
文科省というフィルターを通っていて、日本の現代的価値観にどっぷり浸かっ
ているわけですからね。
日本の教育を無批判に受けてきた人は、自分に自信を持っていない人が多いの
です。
全員とは言いませんが、かなり多いです。
他人に評価され、他人と比べられることをずっと続けられてきたのです。
だから、自分がどう評価されるかをいつも気にして行動します。
自分で自分をつねに評価しようとします。
ところがその評価の基準は他人のものなのです。
生命的なものは、もともと自己評価しないのです。
植物も動物も、自己評価しないで立派に生きています。
植物が「自分は生えていいのか」と考えることはありません。
ライオンが「シマウマを食べていいのか」と考えることはありません。
先生や親に「お前はダメだ」と言われることも一度もありません。
全部肯定です。全部自己肯定して、うまく行かなかったところを自分で修正す
るのがいいのです。
ところが、日本の教育では、先回りして「あれはダメ、これはダメ、これはい
い」という結論を刷り込んで行くのです。
自分の体験から学ぶ、ということから遠ざけて、世の中一般と同調することだ
けを善とするのです。
それでは個というものが育たない。
だから、教育され終った人は、自分の生命の中心にいません。
他人にインプットされた判断基準のほうが自分より強いのです。
他人に評価され、それに慣れてしまったがために、他人が評価しない場合でも、
常に人がどう見るかという自己評価をしています。
最近、能を習っているのですが、謡のときに教わったことは、「自分の声を聞
かないでください」ということでした。
「ちゃんと声が出てるかな?」と確かめることは、謡うことと違うことにエネ
ルギーを割いていることになるのです。
習字や絵でもそうなのです。線を引いている最中に「ちゃんと書けてるかな」
と意識を動かしてしまうと、その分エネルギーが淀んでしまいます。
そのことは知っていましたが、やはり謡うときには、自分の声を聞いていまし
た。
応用できていなかったのです。
生きて行くのも同じなのです。
行動するときは、さっと動く。
反省はその結果が出てからでいいのです。
失敗したら、次回は同じ失敗はしない。
途中で「失敗するのではないか」と考えると、集中力が失われた結果、失敗す
る率が高くなります。
そういう心理的なクセが、人を生命の中心から外してしまいます。
「したいから、する」という単純な回路が錆び付いているのです。
そこに余計な心理的な葛藤や圧力が結びついています。
それが成長を阻害するのです。
成長点は自分の中心にありますからね。
成長のエネルギーの波に乗れなくなってしまうのです。
「三つ子の魂百まで」と言います。
生まれついた魂は変わりません。
その魂を育てていくのです。
知識や能力を足し算していくのではありません。
魂そのものが成長するのです。
成長するとは、サイズが大きくなることとは限りません。
人の本質的な成長は、よりシンプルに本来の存在に戻っていくのです。生きる
経験は、自分が何者であるかを知る過程なのです。
自分が何者であるかを知る過程で、より洗練され自由になります。
その自分を中心として、何を感じ、何を考え、何をするかを組織していきます。
知識もそうです。他人にインプットされた知識の断片や概念を要らないものを
捨てて、すべて自分を中心に再組織するのです。
教育によって、自分の生命のセンターから外れてしまっている人は、この編集
作業が思うようにできないのです。センタリングがうまく行っていないからで
す。
教育が知識を教えてくれるからいいものだ、と単純に考えてはいけません。
毒まんじゅうを喰うよりは、飢えていたほうが、身になるものを吸収できます。
不登校の子どもたちは、本能的にそのことを知っているのです。
だから、ご両親は子どもが求めているものが何かを探す精神的な旅に子どもと
共に出ないといけません。
遅れるとか、そういうことはないのです。何が速いかなんてことは人生にはな
い。
そうして子どもが居場所を見つけたときに、ご両親もまた成長しているのです。
そういうきっかけなのです。
[大人の成長塾]は、魂のあり場所にセンタリングをし直すことをいちばん大
切にしています。しかし、そのことは限りなく長い話になりますので、ここで
は扱いません。
ここでいう魂は、心とその生まれついての性質、くらいの意味でよいと思いま
す。
霊とかいうとまた話が難しくなりますからね。
ただ顔や指紋や声紋が1人1人違うように、生まれついての魂もそれぞれの個性、
方向性を持っていると僕は考えています。
花のタネが何色の花を咲かせるか決まっているように、みんなそれぞれの花が
ある。
それを気持ちよく発露できる社会がよい社会だと思っています。
シュタイナー教育などは、一つ一つの魂を発芽させる教育理念を持っています。
「教育は芸術だ」と明言しております。
しかし、日本の学校教育は子どもを一律なサイズ、能力と方向性を持った素材、
あるいは持つべき素材として扱います。工場生産の原料と同じなのです。均一
に製品を作ろうとしている。
規格はずれは、はじき出されます。大量生産の不良品と同じです。
僕が魂とか、個性とか、オリジナリティとかいうと、ときどき冷笑的なコメン
トをする人がいます。ちらほらいるので、ある比率でいるのでしょう。
こういう人たちについて語りましょう。
たぶん今の教育や世の中にすんなり順応した人たちだと思います。
頭がよくて、能力があり、それなりに収入がいい仕事があり、満足している。
そういう人たちは、一度も社会の枠組みからはみ出したことがないから、「自
分とは何か」と悩んだことがないのです。
外国に長く滞在すると、日本人としての自分を意識することがあります。
自己認識は異質性から始まるのです。
社会に同化してしまえば自分はなくてもいい。
日本社会と等質の人たちは、自分というものを意識する必要がないのです。
社会と一体なのですから。
でも、意見は持っているのです。
意見があるから「自分がある」と思い込んでいる。
「我意見あり。故に我あり」。
でも、意見なんてものは世間にいくらでも転がっています。
その中で自分の性質に合うもの、都合のいいものを蓑虫のように身にまとえば、
一丁上がりです。それは一つの傾向性を示していますから、それが自分だと思
えるのです。
でも、それは他人のものを上手に身にまとったに過ぎません。
本当に自分てなんだろう、と考えるのは、一体感から疎外されたときです。
うまく行っていた筈の人生で挫折を感じたときです。
ある人には、そういうときが訪れるかもしれないし、ある人は一生うまくやる
かもしれません。
それも一つの人生です。
[大人の成長塾]の対象は、そういう人たちではありません。
子どもの頃から、ちょっとはみ出していて、それは自分が悪いんじゃないかな、
と感じている人。学校教育では、評価されなかったけど、何か自分の可能性が
あるんじゃないかと思いながら、上手に発芽させられない人。
若いときには、もっと自分の方向が見えていたように思うのに、だんだん流さ
れてわからなくなってしまった人。
もっと自分の元々の可能性に戻って、感じたり考えたり行動したい人。
僕自身が微妙にはみ出して生きてきたので、いわばそのはみ出し部分とのつき
あい方は、何十年も考えてきたエッセンスがあるのです。
ようやく折り合いがついて感じること。
自分というのは、強化したり武装するものではなく、鍛えたり否定したり肯定
したりするものでもありません。ただそこにあるもの。一生つきあっていかな
くてはいけない他人。
でも、何者かいちばん知りたい人。
大切な人です。
自分とのつきあい方を知ると生きるのが楽になります。
自分を愛せない人。
自分を感じられない人。
自分なんてものがあるかないかもわからない人。
自分を否定して憎んでいる人。
そういう人がいまの日本には多すぎます。
自分とのつきあい方を知らないのです。
自分を愛せないまま成長することはできません。
なぜかというと、愛とは太陽の光のようなものです。
これなしでどんな植物も育ちません。
(もやし〜とか、例外はあるかもしれないけど)
自分を愛せない人が増えると、個の尊厳が軽んじられるようになります。
「個の尊厳」は、堅い言葉だからピンと来ないかもしれませんね。「個の尊厳」
は、外から見た言葉、社会的な言葉であって、内側から見ると、「人として楽
しく自由に創造的に生きること」です。
個の尊厳が失われる4つの虚無について書きましょう。
個の尊厳が失われた世界は虚無の世界です。
「楽しくない。自由でない。創造的でない」世界です。
一つは洗脳。
人が人を洗脳するときに、個の尊厳はありません。
お互いに洗脳しあうことを狙って相手を支配しようとする世界は、僕にとって
は虚無の世界です。教育も洗脳であれば、世の中は洗脳汚染だらけです。
テレビや映画もそうです。
MKウルトラ計画
https://goo.gl/Dg9vhu
CIAは、1950年代に洗脳に関わる実験をMKウルトラ計画と称して、集中的に行
いました。
LSDは、このときに開発され、使用されたようです。
それが後に、サイケデリック文化のシンボル的な薬として登場するのです。
共通項は変性意識状態です。
この計画の内容はきれいに揉み消されたようですが、その成果や人脈は、裏で
脈々と生きているとみるべきです。政治体制に不満を持たせないで支配したい
人、自分の商品を疑問なく何回もリピートして買わせたい人などにとっては、
夢の技術です。
研究に関わった人間は、引く手数多(ひくてあまた)だったでしょう。
彼らは引き取られた先でまた研究を始めたでしょう。
二つ目の虚無は暴力。
シリアの破壊された街の映像を見ましたか?
ドローンで撮影された街は行けども行けども爆撃で廃墟と化しています。
SFで見たような廃墟が現実のものとして生々しくそこにあります。
ここにもほんの1,2年前まで普通の生活があったのです。
日本に投下された原爆や東京大空襲もそうです。
あっという間に人の生命や生活を奪います。
やさしい人も気難しい人も、まじめな人もふまじめな人も、父親も母親も子ど
もも、祖父や祖母やペットも、何の見境もなく一瞬で命を奪われてしまいます。
死んでしまった途端に、戦死者何千人、何万人という数字になって個人性は一
切なくなるのです。
ISの台頭に底なしの虚無が増殖していると感じた人は僕だけではないでしょう。
暴力は人の小さな営みを全て無に帰してしまいます。
だからといって、暴力に人の本質があるとは言えないでしょう。
ジョン・レノンは数発の銃弾で生命を奪われました。
だからといって、暴力のほうが音楽より本質的だとは言えないのです。
人の営みは暴力の前にはあまりにも脆いけれども、暴力に対して暴力で対抗す
れば、ますます大切なものが失われます。それが底なしの虚無です。
虚無の3番目は経済です。
最近、好奇心7、研究3くらいの気持ちで、facebookで見かける無料でメールや
動画が見られる、というサービスに登録するのです。
一度試しにしてみてみたら、そんなに押し売り的なことはなかったので、最近
は安心してみています。
(アダルトサイトとか、怪しいのは知りませんから自己責任にしてください)
先日は、資産数十億、年収十数億という31歳の青年実業家のものに登録しまし
た。
内容の感想は、まあ、よくお金稼いだのね。いろいろな人がいるものだな、と
いうくらいでした。でも彼のしている講演の映像で、聞き捨てならない台詞が
出てきました。
郵便貯金を株式市場にぶち込めば、株は上がる、という話です。
郵便貯金は、日本で最も保守的な預金と言われていて、お年寄りの預金が多い
のです。
数百兆円というお金ですから、たしかに短期的に株は上がりますが、そんな分
かりやすくて動きの鈍い金は、海外のハゲタカのような投資家の餌食になって、
あっという間に溶けてしまいます。
安倍首相が年金資金を株にぶちこみまして、数十兆円の損失を出しているのと
同じことです。
郵便貯金は最も保守的であることで、日本の基盤となっているのです。
それを投機の資金に流し込んで溶かしてしまいたい勢力はずっといるのです。
しかし、年金にしても郵便貯金にしても、誰かがいいように使っていいお金で
はありません。
大切な預かり金です。
しかし、僕が呆れたのは、その傲慢ではありません。さらに暴言を吐いたので
す。
郵便貯金が動かないことに苛立ち、その31歳は「年寄りはバカだから」投資を
しない、バカ呼ばわりをさんざんした挙げ句、「年寄りは早く死ねばいい」的
なことを言うのです。
年寄りたちが老後の頼りにしている資金を株式市場に導入したくて、老人たち
は早く死ねばいい、というのです。
会場には軽く笑いが広がりました。同類が集まっていると見えます。
それが株式投資、経済というフィールドなのです。
既存の用語法では、「人間性を疑う」というところですが、僕はもう「人間性」
という言葉を肯定的に使うことは難しい時代に入ったと思います。
洗脳、暴力、戦争、経済は、動物にはありません。
だから、「人間性」とは人間にしかないこと。
人間しかしないことの中に底なしの虚無が生まれつつあるのです。
経済については、リーマン・ショックの引き金になったサブプライム・ローン
や、デリバティブ。今から研究してみれば、それがいかに愚かしいことか客観
的に見えるでしょう。
愚かしいというより、壮大な詐欺と無責任なのです。
サブプライムローンは、頭金なし。預金証明なし。収入証明なしで貸し付ける
ローンだったのです。しかも初期は金利ほとんどなし。
これなら誰でも家が買えるので、収入が少ない、不安定な人々が大量に買った
のです。
そのローンを証券会社が、債券として売り出した。
これはすぐに焦げ付くクズです。
ただし、他の優良債券と混ぜて商品を作った。
ここにたぶん高等数学を使うデリバティブという煙幕を張って人を騙したので
す。
クズだとわかっていて人に売りつけたのです。
3月公開の『マネー・ショート』という映画は、そのことを扱ったコメディだ
と町山智浩さんがラジオで話していました。
日本のバブル経済とその崩壊とかもありました。
景気の本質とは、上がれば下がる、ということなのです。
上がることだけが善で、下がると大騒ぎする、という態度が何も学習させない
のです。
このようなことを経済の本質とみることにいろいろ反論もあるかもしれません。
僕のいう経済はたぶん「経済の人」の「経済」とは違います。
「金融経済」というように限定すべきかもしれませんが、よくわかりません。
これを書いていて思いついたことなので、規定が厳密ではないかもしれません
が、論じてみましょう。
僕にとって経済とは、「お金の流れとお金が作り出すエネルギーの流れの総体
です」。
お金の流れには性質があります。
1, お金があるところにお金が集まる
2, お金がいちばん! 人々の生きる目的の優先順位の1位になろうとする
他にもあるかもしれませんが、とりあえずこの2つで十分です。
お金はつねに優先順位の1位になろうとします。
それは比重が軽いものが水に浮くのと同じように観察される現象です。
ということはお金は、つねに個の尊厳よりも優位になるのです。
実際に私たちは、経済が個の尊厳を犯している場合を日々目撃しています。
福島の核の事故とその処理。その後の老朽化した原発の再稼働の動きなどは、
「命より金が大事」というメッセージそのものです。
またブラック企業や非正規雇用の拡大、格差社会化の流れなども、まさに経済
の働きです。
「経済のプラスの側面はどうした? 経済がなければ生きていけないではない
か?」
というご意見があれば、ごもっともです。
しかし、心配しなくても、僕が批判したくらいでは経済はなくなりません。
強大なものに螳螂の鎌を当てているだけです。
で、別に経済を全廃したいわけではなくて、負の側面を検討して可能であれば、
経済をよりよいものに再定義・再編していきたいのです。
経済の言葉のもとは、江戸時代の「経世済民」「経国済民」という言葉に遡れ
るようです。
wikiによると、「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」という意味です。
今日の経済の他に「広く政治・統治・行政全般を指示する語」であったと書い
てあります。
これが、今日的な純粋な金をめぐる技術や、システム、数字を扱う経済という
言葉に転用されてきたのです。
僕は経済は、そんなに数学的に、あるいはテクニカルに純化してはいけないと
思います。
いま、東京で大きなビルを建てるときには、一定のスペースを広場として提供
しなければいけませんね。もし、施主の都合で建ててよければ、敷地いっぱい
の建物だらけになって、街にうるおいも余裕もなくなってしまいます。
経済も、それと同様に負荷をかけ、ハンデをつけてちょうどいい。
「経世済民」という観点が足枷(かせ)になっていてちょうどいいのではない
かと思います。お金が儲かった人や企業は人を救ったり、住みやすい世の中に
するために何かの働きをする。
それが義務や美徳になればちょうどいいと思うのです。
先日、友人と飲んでいて、彼が村上ファンドの村上さんと会ったことがある、
という話になりました。村上さんは金持ちになったら、いいことをしようと思
っていたそうです。
村上さんにとって、何が善なのか、そういう細部はわからないのですが、いざ
お金ができると「よいことをするのは諦めた」そうです。
巨大な金額になると、自分の善とか不善とかの思惑で動かせるものではなくな
ってしまうようです。
「まず大金持ちになって、そのあと、お金の力でいいことをしよう」と思って
いる人がときどきいますが、それは嘘だし、無理なのです。巨額の資金には想
像以上の思惑や圧力がかかるのです。
弱い者のことを考えていたのでは国際競争に勝てない?
真剣に考えれば、案外別の道が開けると思います。
本来、富の再配分は税で金のあるところからとって、福祉を手厚くすれば、あ
る程度可能ですが、実際は反対の方向に進んでいます。
日本社会の経済的人間の間では、経済で成功したものを讃えて、生活保護を叩
くことが正義になっています。
貧乏人や努力をしない資質の低い人間に社会的資本を振り向けるのは無駄だ。
強い者を優遇したほうが国際的な競争力がついて、「日本」が繁栄するという
意見に先日FBで出会いました。
ある一定の割合でこういう意見の人たちがいると思います。あるいは今日では
支配的な意見かもしれません。立場が違うとしかいいようがないのです。つま
り、貧しい人、弱い人、怠け者の人には、個の尊厳を認めなくていい、という
意見です。それらは単に社会の重荷であり、認めれば、国際的経済競争に負け
てしまうというのです。
それが経済的な考え方の本質です。
弱い者を切り捨て、踏みつけて競争に参加していった果てにあるものは、限り
ない弱者の拡大です。そんなことを続けた社会が本質的な強さを持つとは僕に
は思えないのです。
人生が競争だけになってしまいます。
強者を自任する人はそれでいいでしょうが、競争が続けば、強者も弱者にいず
れ転落していきます。タコは自分の足を喰うと言いますが、それと似た自壊的
な方向性です。
考えを進めると「お金がいちばん!」の世界の第3の性質が出てきます。
短期的な視野しか持たない人のエネルギーが支配することです。
年金を株式にぶち込み、郵便貯金を溶かそうとする。
マイナス金利にする。
すべて目先の対応です。
少しでも株価が上がり市場がにぎわえばいい。
そのあと、社会がどうなろうと関係ない。
後は野となれ山となれ。
つまり、それが「お金がいちばん!」の性質なのです。
たいへん破壊的なのです。
語源の話をしたので、economyの話も。
経済というときは、経世済民関係ない、economyだ、という人もいるかもしれ
ません。
economyは、元々ギリシャ語が語源で、家政、家の管理のことだったと言いま
す。
もともと、家の話。とても小さな話だったのです。
僕はこういう比喩を語ろうと思います。
野山を流れる小川は、人々の生活を潤します。
しかし、いったん洪水になって暴れ河になれば、人の生活や生命すら押し流し
ます。
今の経済はもう洪水、奔流状態なのです。
小川も洪水も「水の流れ」ということでは共通していますが、人との関係はお
おいに変化します。
情報化や、金融スキルの多様化、国際化、資本の集中化などで、経済は奔流化
しているのです。
求められているのは「治水」の技術なのです。
スローダウンし、細分化する。流れを限定し、大切なものが押し流されないよ
うにする。
必要なところに行き渡るようにする。
「治水的な経済学」が必要なのです。
ところが実際の経済政策は、とにかく流動性を高めるしか能がないように見え
ます。
景気の上り下がりだけを見て一喜一憂するだけで、金がどこにどのように流れ
るか、ということには関心がない。自分の短期的利益に適えばいいという視野
に見えます。
それが安倍政権が株式市場で年金を溶かしてしまい(溶かすは博打用語です)、
青年実業家が郵便預金もぶっこめ、虎の子の貯金を守る老人は死ね、と叫ぶ理
由なのです。
教育(洗脳)、暴力、経済より個の尊厳を優先する、というのは、僕の精神の
基本的な立場です。
3.11以降の論争をずっと見ていて最近やっと思ったことは、人の基本的な立場
はほとんど変わらないということです。
変わらない以上、立場が違う同士の話し合いは意味がありません。
目的が違うゲームをしているのです。
囲碁と将棋では勝負になりませんね。
僕は「個の尊厳を守るにはどうすればいいか」、ということから考え始めれば
いいので、「個の尊厳を守るべきかどうか」という議論には加わる必要がない
のです。
平和を守るには、どうすればいいかということから考え始めるので、「戦争か
平和か」ということは考えなくていいのです。
戦争には個の尊厳がありません。
最も個の尊厳が失われる時間と空間です。
戦争という選択肢も持たなくてはいけない、という人は、国という単位に感情
移入しているのです。国という単位に同化しやすい人は、自分をなくしたい、
見たくないという人です。
国に同化するのを国家主義、あるいは全体主義と言います。
これが第四の虚無です。
僕の父は戦艦武蔵に乗っていて、撃沈され数日海を漂流しました。
通りかかる船に拾われて九死に一生を得ました。
ところが内地に帰る船を輸送船をバシィ海峡というところでまた沈められて、
再び海を漂ったのです。
父はそれでも生き残ったので、僕がいるわけですが、戦後ははっきりとした平
和主義、反戦主義者でした。
最近、ネット上の記事を見て驚いたのですが、バシィ海峡のことが書いてあり
ました。
父の輸送船が沈んだ海峡です。
ここを通る輸送船は7割が沈没させられていたというのです。
それでも平気で船を送り出す神経はどういうものでしょうか。
ネットには日本の戦死の7割は餓死だということが書いてあります。
補給を軽視したために、多くの兵士が餓死したのです。
作戦は軍部や官僚が決めるのでしょう。
いい加減なものです。
最近、マイナンバーが始まって、住基ネットは全廃だと聞いて驚き呆れました。
血税1兆円をドブに捨てた「住基ネット」〜元祖マイナンバー、あれはいった
い何だったのか?
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47571
この記事によると、住基ネットにかかった税金は一兆円。
マイナンバーも近い将来廃止するかもしれないし、その費用は住基ネットどこ
ろではない、ということが書いてあります。
税金の無駄遣いに何の痛痒も感じない。誰も責任を取らないような体制。
それが戦争すると、7割を餓死させ、7割が沈む海に帰還兵を送り出す、そうい
う体制になるのです。
命すら使い捨てにするのです。
戦争は勇ましい以前に、こういう粗雑な精神の指揮のもとに行われるというこ
とを強調せずにいられません。
戦争は人々の生命と尊厳を呑み込む虚無以外の何者でもありません。
僕の母は、戦争で妹を失っています。東京大空襲のときです。
自分の乗っている船が沈んで、生死の境目で二度も漂ったり、家族を爆弾で失
ったりした人の戦争体験があります。僕の両親は戦争を憎んでいました。
それに対して、国と同化して戦争を辞さない精神があります。
これが国家主義です。
国家主義者は個人の体験に同化しないのです。自分を失って国という集合に同
化します。
愛校心とか、愛社精神というものがありますね。
学校や会社に同化する、一体化することに快感があるのです。
大学の応援団は、真夏にも暑苦しい長い学ランを着て、重い旗を持って、ずっ
と立ちっぱなしで声を枯らします。苦しい自己犠牲を払うことで、愛校心を自
他に証明するのです。
愛社精神は、進んでサービス残業するような精神です。
こういうのを滅私奉公と言います。自分を滅して全体に自分を捧げるわけです。
個の尊厳を自分から差し出して失うことで何かを証明してみせるわけです。
僕は一度も味わったことがありませんが、そういうことには快感があるのでし
ょう。
愛校心や、愛社精神は、まだかわいいものです。
その人が好きなら、とめるわけにも行きません。
しかし、愛国心となると、そうも行きません。
愛国心を持つ人は、たいてい他の国を憎んでいます。
日本が好きで、他の国も好きな人は愛国者とは呼ばれません。
愛国者は、アジアの他の国を激しく憎み、蔑み罵倒することで、自分の愛国心
を際立たせ、証明します。
(日本に核爆弾を落としたアメリカを憎む愛国者はなぜかあまりいません)。
愛国心が困るのは、他の人間にも強制することです。
隣国との緊張が高まって、戦争に向かうときに、「戦争反対」という人間は邪
魔者なのです。
日本でも安保法制に反対したキャスターが3人がレギュラー番組を降板させら
れました。
「キャスター3人の降板が首相官邸の圧力によるものだ、と海外メディアは断
定した」
http://ysugie.com/archives/4892
言論がどうのというより、異物・異論を少しずつ潰して行くのです。
他国と戦争をしようというときに、「それはどうなの?」という意見は足を引
っぱるのです。
国民が「一丸となる」のが好きな人たちなのです。
いよいよ開戦が近づくと、戦争に反対することは「利敵行為」となり、「スパ
イ行為」となるのです。
いまの言葉で「在日認定」というのもとてもよく似ています。
そのようなレッテルを貼って、断罪し、排除するのです。
イメージが湧かない方は、『蟹工船』の作家、小林多喜二の死について知って
ください。
作家・小林多喜二 壮絶すぎる拷問死事件の真相
http://matome.naver.jp/odai/2142881833527510301
一人の作家が、反国家的であると見なされて、とても残酷に殺されました。
戦争状態に向かうときに、個の尊厳は最も軽視され、踏みにじられるのです。
このときも拷問は禁止されていましたが、作家を残虐非道に殺した者たちは警
察・検察・報道によって庇われ、一人として裁かれることがありませんでした。
全体に自分を投影・同化してしまう者と、個の尊厳を守る者の道は、やがてこ
んなにも分かれるのです。
いま、日本はとても大きな岐路に立っています。
僕の読者に殺す側に回りたい人はいないと信じます。
だからといって、殺される側にもなりたくないでしょう。
人を呑み込む虚無があちらこちらで増殖しています。
虚無はここに数え上げただけではありません。
他にもあって、これに4つと絡んでいるのです。
M・エンデや、宮崎駿さんにも虚無が人を呑み込むというテーマがありますね。
それに対抗するものは、個の尊厳です。
遠回りのように見えますが、それしかないのです。
「自由で楽しく創造的な生き方」、それを知らない人が全体主義に吸い寄せら
れて、麻薬のように中毒するのです。
今から自由に生きましょう。
今から楽しく生きましょう。
今から創造的に生きましょう。
たった今からです。
個に尊厳を感じるためには、自分自身に尊厳を感じなければいけません。
とても当たり前のことなのですが、まずそれを回復するところから始めます。
自分自身に尊厳を感じる方法を基礎づけていきます。
僕が[大人の成長塾]を始めたのは、そういうわけなのです。
思わぬ大作になってしまいました。
まとめます。
教育(洗脳)を含む4つの虚無が個の尊厳をおびやかしています。
そういう危機の中で、僕の[大人の成長塾]は、虚無の1つである教育の悪影
響を無効化して、生命の中心にセンタリングするためのものです。
何か1つの運動や政党が今の状況を救ってくれることはないのです。
1人1人が粒だって、自分の生命のまっただ中に向かっていくしかないのです。
あなたの参加をお待ちしています。
●今すぐ!
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[大人の成長塾]
2016-03-29T13:34:00+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
-
http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=269
[大人の成長塾]クロニクル第1号 『コーチングの徹底ネタばらし(中編)』
●コーチングは漏斗型のマーケティングである
web上のコーチングでは、無料で数日間メールを配信してくれるものが多いで
す。
僕も研究のためにfacebookで眼についたものを最近数件登録してみました。
いろいろなヴァリエーションがあるのですが、驚くほど共通のと...
web上のコーチングでは、無料で数日間メールを配信してくれるものが多いで
す。
僕も研究のためにfacebookで眼についたものを最近数件登録してみました。
いろいろなヴァリエーションがあるのですが、驚くほど共通のところもありま
す。
その共通点の分析結果を前回と今回で書いています。
この無料メールは何かというと、まあ、撒き餌のようなものです。
これに喰いついた人の何パーセントかは……その歩留まりがいいように彼らは
最善を尽くすのですが、有料のセミナーなどに申し込みます。
コーチングはマーケティングとものすごく近い関係にあります。
マーケティングは、まず大量にDM、チラシ、広告などをうって、それに反応し
て来た人を「見込み客」として確保するところから始まります。
こ見込み客から一定の割合でお金を使うカスタマーになります。
そして、まず最初は安いものを買ってもらう。
安いものである程度の満足を与え、信頼を得て、でも、もっといいものがあり
ますよ、といって、次にもっと高い商品へと誘導するのです。
そのようにだんだん薄い関係から、濃い関係に誘導する網を漏斗(じょうご)
型に作って絞っていくのです。
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それから、コーチングの世界では、安いといっても、最初のセミナー8万円と
か、ざらにあります。来る人は、何かに強く惹かれたわけなので、お金は問題
じゃない人もいるし、高いほうが内容に自信があるんだろうと思わせる効果も
あります。
そうなると、2万円の参加者を4人集めるより、8万円で1人呼ぶほうが効率がよ
くなるのです。
広告をうって大きく広げるのにも、高い方が好都合なのです。
ですから、自信や実績が出てくると、高くなっていくのです。
そして、これは入り口であって、「あなたもコーチになれますよ」というセミ
ナーは、数十万円、あるいはもっと高いセミナーがある、ということになるの
です。
●[大人の成長塾]の場合
[大人の成長塾]は、システムも違うし、1年間で1万円!と強調しておこうと
思います。
それでもっと高額な何かに誘導しようという意図もないのです。
普通の人が気軽にちょっとした人生のバージョンアップができる機会です。
●コーチングはけっこう苦労話である
コーチの人は、特殊な経験をした人が多いです。
その中には、数年間逆境にあって、歯を食いしばって耐えた、という人が多い
です。
そして、自分は今経済的に成功して、やりたいことをやっているけれども、も
ともとは苦手なものがたくさんあるダメダメ人間だった、という話も多いです。
そういう芽が出ない時期を長く耐えていて、あるとき一つの気づきがあって、
それに気づいてからはトントン拍子、自由自在の人生が始まりました。
「あなたよりダメだった人間がこの通り成功したよ」という話になるわけです。
そのとき気づいた原理と、そのあとの蓄積したものを教える、という構造にな
るわけです。
あなたもそのようになれるなら、何万円払っても惜しくないでしょう? とい
うわけです。
実際、幸福や健康、自分のしたいことを実現できる人生というのは、プライス
レスです。
無限大に近い価値がある。
では、コーチングや情報商材は、それを与えてくれるか?
僕は無料のものをチェックしているだけなので知りません(笑)。
でも、玉石混淆だということは、想像がつきます。
玉といっても、たぶんすごい宝石はないと感じます。
それと、とにかく申し込んでお金を払ってもらうのが先決ですから、いちばん
いい部分はかなり無料のところで露出していると考えていいです。
ある有名なテレビ・プロデューサーに聞いた話ですが、昔、縁日のショーで
「大イタチ」というのがあったそうです。
巨大なイタチがいるというので、お金を払って入ってみると、大きな板に血が
ついていた、という……。
そういうことにならないように気をつけてください。
とくに「これを読むだけですぐに月収100万円」的なものは、絶対に大イタチ
です。
まあ、それはコーチングとは言わないでしょうけどね。
それから、苦労話をするコーチの人は、自分で苦闘し工夫して何かを手に入れ
たわけです。
あなたはそれをお金で買おうとする。
そこにすごく大きな差があるのです。
つまり世界をバックパック一つで貧乏旅行して歩いた人が体験やコツを伝授す
るとします。
でもあなたは旅人ではないのです。
体験のエッセンスだけを買おうとしている人です。
あなたが同じような旅人であれば、彼のアドバイスはとても役に立つでしょう。
しかし、海外に一度も行ったことがなければ、夢物語を買っていることになり
ます。
自分で生きること、自分で工夫すること。
お金で経験をショートカットしようとすることは、自分で現実と向かい合うこ
とから少し遠ざかることです。
そのようなお金の使い方をしてはいけません。
●[大人の成長塾]の場合
僕にはあまり苦労話的なものはありません。
でも、どこで成長という概念が始まったかという話をします。
3.11ですべてが始まりました。
前回書いたコンフォート・ゾーン、つまりぬるま湯的心理環境が3.11で完全に
崩壊してしまったのです。
3.11以前も、僕は心情的に反体制、反権力だと思っていたのですが、それでも
ものすごく日本という国を信じていたんだな、と愕然としました。
3.11以降露出してきた国の形は、僕にとって本当に恐ろしい絶望的なものでし
た。
恐ろしい、絶望的とかは後からまとめた言葉であって、言葉にならない衝撃が
ありました。
毎朝身体の芯から震えが来て止まらないのです。
あえてコーチング用語を使うと、それがコンフォート・ゾーンのかなり壊滅的
な崩壊であったのです。
そのときは何がなんだかわかりませんでしたが、半年か一年経った頃、あれは
出産だったのだな、と気づきました。
産むほうではなくて、生まれるほうです。
母親の暖かい胎内から、無防備で不快な世界に生まれ落ちたのです。
それは苦痛に似ていましたが、まだ苦痛という呼び名すらない体験でした。
そういうわけで僕の本質は3.11で0歳になったのです。
でも、この0歳児は、60歳近いもう1人の自分の経験に守られていたのです。
僕は2つの年齢を持ったのです。
人は0歳から3歳くらいまで特別な成長をします。
僕は年齢相応の眼で世界を見ていたのではなく、0歳児の眼でもう一度世界を
掴み直したのです。
2015年の今は、僕は4歳児。もう1人の僕は61歳です。
そういう二重の視点でものごとを見るようになりました。
生まれたばかりの苦痛を過ぎると、世界はとても新鮮です。
4歳児の僕は好奇心と活力に満ちているし、あれもこれもしたいとワクワクし
ています。
毎日のように発見があり、見るもの聞くものの刺激が血となり肉となる感じが
しています。
さまざまなアイデアも、自然に自由に湧いて来ます。
日本の政治・社会情勢は僕にとって怒りを通り越して、いちいち怒っていられ
ない最悪な感じですが、個人的には元気さのピークといってもいいのです。
このような成長の要素をシェアしたい、というのが、[大人の成長塾]を始め
た理由です。
既存の価値観の全面的な崩壊そのものはシェアできません。
そんなものは、体験しないでいいです。
外からの衝撃によって破壊されるのではなくて、自分の自由意志によって、少
しずつ自分の行動の選択基準を再編集していきます。
そして小さな行動を起こし、感じたことをもう一度フィードバックしていきま
す。
その繰り返しによって、成長を押しとどめている惰性の殻に隙間を作っていき
ます。
その隙間から成長の芽が育って行きます。
やがてその芽が自分の限界の殻さえ打ち砕きます。
すべてを意識的に行います。
成長の力は無意識的なものですが、それを意識的に導く、という原理や方法論
があるのです。
このプロセスを厳密を言いましょう。
成長の力は自然なものです。
みなさんのコメントを読んで、成長は努力をして獲得するものだ、と考えてい
る人が多くて驚きました。
植物の成長を見てください。
彼らは努力していません。
ただ成長する環境や条件があればいいのです。
ところが日本社会では、その環境や条件を阻害する力が大きく働いている、と
いうのが僕の認識です。それをすり抜けるためには、成長の条件を正しく理解
する必要があります。
理解して少しばかり働きかけ、条件を整える。
そこまでは全く意識的である必要があります。
成長の力は明るく希望的なものです。
もし来年も再来年も成長していない自分がいると想像すれば、時代が世知辛く
なっていく流れの中で未来は不安に満ちたものになるでしょう。
[大人の成長塾]は、最後の希望です!
●コーチングは、幻想産業である
前回、このようなメールの内容をご紹介しました。
「ビジネスの現場において『コーチング』という言葉が流行り(?)始めたの
は、4〜5年前だっただろうか。
その手の書籍も目に付くようになり、私の知り合いの経営者も数人、コーチを
付けたと自慢げに云っていた。
が、次に会ったときにはすでに、離れていた。全員がである。
(うろ覚えだが、そうちの1人はクビにしたという表現をしていたように思う)」
この文章からみなさんは何を読み取りましたか?
僕は編集者で文章読みだから、とても深く現場の様子が想像できてしまうので
す。
眼光紙背に徹す、一を聞いて十を知る、です。
コーチをつける、というのは、とても高価なものです。
依頼するのは、金銭的に余裕のある人、余裕はなくてもお金を稼ぐための「投
資」としてなけなしのお金をつぎ込む人の2つに分かれます。
この文に出てくるのは前者でしょう。
企業の経営者です。
企業を余裕で回している人は、それなりの経験、人生観、ポリシーを持ってい
ます。
経験、人生観、ポリシーとは、それ自体メタ認識です。
したがって、経験の浅いコーチがメタなゲームに引き込もうとしても、相手の
ほうが上なのです。
それで全く通用しない、「クビ」ということになるのです。
たいていのコーチは、経験を積んだ経営者にとって「若造」に過ぎないのです。
企業の経営者に対しては、マーケティングのコンサルテーションくらいしない
と通用しないのです。コンサルは、とても具体的なものです。
年商1億円の企業を2億円にする。
それを実現すれば、実労1か月であろうと3日であろうと、500万円、1,000万円
と要求することも可能でしょう。
いくつかのアイデアを提供するだけで、それが可能なケースがあるのです。
どうすればそんなことができるかといえば、他の会社、他の業界に精通してい
て、そこから最適なアイデアを流用してくるからできるのです。
マーケティング界のカリスマ、ジェイ・アブラハムスは、450以上の業種のコ
ンサルをしていて、そこから自由にアイデアを流用していると言います。
450というのは、会社ではなく業種ですよ。
他の会社、他の業界に精通している人は、他の会社でも仕事をしたことがある
のです。
それが財産、実績になります。
では、最初の仕事はどうするんだ? どこの会社も知らないゾ、となりません
か?
そうなのです。
最初は何も知らない。経験の元手がない。
その空虚をどう埋めるかが大問題です。
不可能を可能にする「何か」が必要なのです。
その「何か」が先ほど書いたコーチは「苦労人」である、という話につながり
ます。
ある企業の中で辛酸を舐めるほどに、厳しい体験をします。
光の見えない完全に行き詰まった数年を過ごします。
まだ何もない部署で右も左もわからない状態から、事業の立ち上げをさせられ
たりします。
経理から何から全部一人で勉強し、考えなくてはいけません。
そういう体験を通じて、少なくとも自分のいる会社、業界については身にしみ
て精通し、また会社経営の基本構造は理解します。
それだけでは十分ではないけれども、その経験の元手を使って、仕事を始めれ
ばぽつぽつと仕事が来るうちに、経験の元手は膨らんでいきます。
つまり、コーチはそういう経験の元手がある人が始める仕事です。
元手があって、それだけでも人に伝えたい、教えたいという人が、ビジネスの
フォーマットや、ノウハウのヴァラエティを手に入れるためにコーチングを学
ぶのは意味があります。
何も元手がない人がコーチになろうコーチの講座に出ても何にもなりません。
何の話かというと、コーチングの数万円の初歩セミナーの後は、「あなたもコ
ーチになりませんか?」という誘いが続くことが多いのです。
こちらは、うまくいけばそれが職業になるものですから、何十万円というセミ
ナーになります。
その何十万のセミナーに何人もの人が応募しているように見えるので、「コー
チはおいしい職業」のように見えるのです。
しかし、主たる収入はコーチをすることではなくて、「コーチになれますとい
うセミナー」をすることなのです。
コーチそのものではなくて、コーチを養成する講座が大きな収入になります。
コーチのコーチが儲かるのです。
ただのコーチで喰える人は、よほど実力がある人で、でもそういう人は実績を
元にして、コーチを育てるコーチを始めるのです。
そちらのほうが儲かるから。
したがって飯が喰えるのは、コーチではなく、コーチを育てるコーチである、
と言えるのです。
ですから、自分が家元になるほどに自分に強い自信がなければ、コーチを育て
る講座などに高いお金を払うなどはやめたほうがいいのです。
最初に書いたようにこの文章は、話を単純化して面白くしてありますから、例
外はあるかもしれません。ただコーチングに興味を持つに当たっては、この程
度のことは想像しておいたほうがいいのです。
企業相手のコンサル、起業家相手のコーチング、個人相手のコーチなど、いろ
いろなレベルや方向の話もいっしょになっています。構造はよく似ているから
です。
利益をもたらそうとすれば、企業相手のコンサルのように規模が大きいほうが
じつは簡単な面があると思います。
というのは、企業は多くの資産を持っているからです。それを忘れていたり、
価値を理解していなかったりすることがあります。
それを掘り起こせばダイナミックな構造が出てきます。
しかし、個人は資産や元手(先ほど書いた能力や経験のことです)あるいは職
業すらも持っていない場合があります。そういうときに、コーチングやある種
の情報商材を売るような仕事は、「元手なしで始められる」ような幻想を持ち
やすいのです。
ほとんど幻想を買って、幻想を売るような商売だと言っていいのです。
長続きはしないでしょう。
しかし、個人としての元手を持っていないほど、このような幻想を持ちやすい
のです。
なんか営業妨害してるみたいで、申し訳なくなってきましたけど、実態は明ら
かに悪質なものから、それなりに誠実なものまでいろいろあると思います。
よく見極めていただきたいということです。
●[大人の成長塾]の場合
[大人の成長塾]は、特別な新しいビジネスを勧めることはありません。
今いる場所から始めます。
アプローチを変えれば、今いる場所で成長し続けることができるかもしれませ
ん。
あるいは成長を阻害する場所に長くいるようならば、動く勇気を与えるかもし
れません。
また必要なだけ成長すれば、次のステージが見えてくるかもしれません。
主体は自分です。
大切なのは、自分の内側に成長のエネルギーが満たされていることです。
成長すれば、自然に選択肢が増えるのです。
成長が止まっていれば、選択の余地も少ないのです。
●コーチングは、結局お金である
コーチングは、結局、「どうしたら今より多額のお金を稼げるか」、「どうし
たら自分のやりたいことだけして、経済的に成功するか」というようなテーマ
に収束します。
それは必ずしもコーチングの罪というより、世の中の強い潮流なのです。
世の中の9割の人は、「どうしたら楽をして稼いで、自分のしたいことができ
るか」と考えているのです。
コーチの人が自分のセミナーに人を集めようと思ったら、その欲望を満たしま
すとアピールするしかないのです。
ゴールを設定してくださいといったら、9割の人は経済的な成功や、収入に関
わるゴールを設定するでしょう。
こういう人々の欲望に働きかけるのに、いちばん露骨なのは、「月に200万円
の収入がほしくないですか?」というようなものです。
そういう怪しい広告をときどき見かけるでしょう。
それに比べると「どうしたら絶対に失敗しない起業ができますか?」というの
はまともに見えます。
ここには成功の絶対の秘訣がありますが、それをわけてほしくはないですか?
と囁きかけるのです。
本当は自分で試行錯誤して学ぶべきところを、それなりのお金を出せば、その
時間と苦労とリスクをショートカットできますよ、というわけです。
それなら安いものではありませんか? と。
では、その売り文句は本当でしょうか?
それを教えられて成功した人が1人もいなければ詐欺といっていいでしょう。
では、1,000人に1人が成功したらどうでしょう?
それでは高額の謝礼を取ったら詐欺っぽいですね。
300人に1人では?
100人に1人では?
と考えて行くことができます。
10人に1人が成功しても、残りの9人は期待を満たされなければ不当ともいえま
す。
集客のために欲望を煽れば煽るほど、かなりきわどい商売になります。
●[大人の成長塾]の場合
お金の世界は、基本は競争の世界です。
シェアの奪い合いです。
それは大資本のしていることを見ればわかります。
弱肉強食で、弱い者は潰れて、強者が巨大化します。
個人が起業するときも、それはあまり変わらないのです。
たしかに個人は小回りが利くので、既存のビジネスの隙間を見つけることがで
きるかもしれませんが、あるレベルまで行けば競争の中に組み込まれます。
そういう生き方もけっこうですが、僕は競争は苦手なので、昔からあまり燃え
ないのです。
[大人の成長塾]では、個人のエネルギーの開発、回路を整えることをします。
これは、競争でも奪い合いでもありません。
ある人が成長すれば、周囲も恩恵を受けます。
仕事や人間関係が円滑になります。
ギスギスしていたものが円やかになります。
周囲の人も影響されて成長するかもしれません。
あるものを奪い合うのではなく、そのようにお互いに豊かになるものが好きで
す。
[大人の成長塾]は、お金よりもエネルギーに注目します。
身体をめぐるエネルギーがあります。
心をめぐるエネルギーがあります。
それらが円滑に動き出す回路を作ることによって、成長が成し遂げられます。
成長の過程で、心と身体が統合されたもっと高次のエネルギー場がある、こと
がわかってきます。もっとシンプルに力強い生き方が見えてきます。
個人のエネルギー場が整うと同時に、人と人との関係、社会のエネルギー場も
整い始めます。
この社会のエネルギー場において、血液のように巡っているものがお金なので
す。
ですから、このエネルギー場を整えれば、自然に必要なお金は巡ります。
お金だけにフォーカスしていると、他のエネルギー場が歪んでくることがあり
ます。
そして、肝心なお金すら望んだようには手に入らないことがあります。
[大人の成長塾]には、失敗はありません。
多くの人は少しずつ成長しているからです。
しかし、十分に力強い成長を遂げるには、いくつもの要素を理解する必要があ
ります。
僕はそれを【秘伝】と名付けてみました。
古い読者には懐かしい言葉でしょう?
何十もの【秘伝】をお届けします(現在も執筆中)。
内容はちょっと難しいかもしれません。
しかし、このメルマガを読めている人なら大丈夫です。
何十もある【秘伝】の中から、2つか3つの【秘伝】に感応しただけで、新しい
生活が息吹始めます。
●コーチングは、それ自身1つのストコーマ(盲点)である
知り合いに、もう10年近く、苫米地氏や「引き寄せの法則」やらに、はまって
いる女性がいます。いっこうに経済的な成功をする気配を感じませんが、彼女
は「一度はヒルズ族になってみたい」と言っていました。
ヒルズ族になったら、人々のために何か還元する仕事をしたいと言っていたよ
うに思います。
なかなか面白い女性なのですが、僕は彼女はこの10年間経済的成功というメタ
なゲームにはまって、大切な可能性を失ったように思います。
ちょっと忠告したくらいで止まるようなものではないので、本人が納得するま
でやってみるしかないでしょう。一生納得しないかもしれませんが、それは僕
が関われるようなことではないのです。
コーチングの主流?は、ゴールを設定してストコーマ(盲点)をなくすことだ
と前回書きました。
しかし、ゴールが経済的な成功に置かれれば、それ自体が他にないくらい巨大
なストコーマになるのです。
それは現代日本社会を見ればわかります。
世界史上でも最悪の原発事故が起きても、原発を再稼働し、あまつさえ、海外
にまで売りに行っています。
オリンピックでも、盗作騒動がありましたが、その周辺の騒ぎは、あまりにも
利権的で醜いものです。
世界を見ても、ISの背後にイスラエル、アメリカ、トルコなどがいるという構
図が次第に明らかになってきました(知らない人は検索してください)。
権力欲、金銭欲がとめようもないような、ねじくれた巨大なエネルギーとなっ
て現れています。
お金という糊で、全てが癒着して、自由性、柔軟性を失っているのです。
こんな世の中で、「自分だけが思い通りの生き方をして、経済的な成功(余裕)
を手に入れる」ことを善とするゲームに参加するのは、盲点以外の何者でもあ
りません。
社会の現状を肯定し、補完するものです。
しかし、経済的な成功というゴールをちらつかせなければ、誰も高額なセミナ
ーは受けないでしょう。他のことはみんな自分でなんとかできると思っている
からです。
そういうわけで、コーチングは永遠に盲点であり続けるでしょう。
●[大人の成長塾]の場合
だんだん書いているうちに、[大人の成長塾]はコーチングじゃないじゃん、
とも思い始めてきました(笑)。
でも、まあ、みなさんがプレイヤーで僕がコーチ、という単純な意味でコーチ
ングと呼ぶのはいいかなと思います。
もちろん、狭義の定義を持つ人からは、[大人の成長塾]はコーチングではな
い、と言われるかもしれません。それで構いません。
日本社会の批判を書きましたが、[大人の成長塾]の中には、社会批判もイデ
オロギーも一切でてきません。扱う領域が違います。人の内的なエネルギーに
ついての新しい概念を扱います。
[大人の成長塾]が依拠するのは、イデオロギーではなく「生命」と「自然」
です。
生命が自然な状態にあれば、そこには成長があるのです。
原発や戦争に反対するのも、生命と自然に反するものだからです。
そこには破壊があって、成長がありません。
今の日本社会は人の可能性を閉塞させるような力が強く働いているという認識
があります。
人の中にある生命、自然、成長、それらの可能性を発動させない社会である、
ということです。
教育は本質とズレたことを教えて、自分で考える力を育てません。
企業は目先の収益の数字にとらわれて、人を育てず使い捨てにする方向を強め
ています。
恐ろしいことは、社会がその方向に傾斜していくと、人の心もその相似形にな
ってしまうことです。
たとえば、格差社会になって、貧富の差が激しくなり、しかも貧しさから浮か
びあがるチャンスさえ失われつつある状況があります。
そのときに、自分さえ貧しい側にいなければいい、という心持ちにみんながな
っていくのです。
そして、ひどく小さく閉じた個人ができ上がります。
本人は閉じていることは自衛のつもりだけれども、内面的には少しも満足して
いない、という状況があるのです。
それを打開したいけれども、方法がわからない、と多くの人が思っています。
[大人の成長塾]は、それに対して僕が出した最善の答です。
個人個人が自分のさまざまな可能性に気づくこと。
その可能性を一つ一つ現実にしていくこと。
一人一人が動き出すための大きな設計図を提供したいのです。
人が可能性を発揮できる宇宙の設計図です。
短い言葉で説明するのは、とても難しいのです。
ですから1年という期間をいただくのです。
***
長くなったので、
『苫米地英人氏は、多重スタンダードのつぎはぎであって、人をバカにしてい
る』
の項目は次号に回します。
読者にとって苫米地氏の存在がどれほどの比重を占めるかよくわからないので、
扱うのはやめようかと思ったのですが、苫米地氏の熱心な読者の方などから、
「楽しみにしています」というメールをいただいたのでやはり書くことにしま
す。
けっこう黙って気にしている人は多いのではないかと思うのです。
怪人苫米地氏を僕がどのように分析するか、お楽しみに。
]]>
[大人の成長塾]
2016-01-01T00:00:00+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
-
http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=267
[大人の成長塾]、始めます
メルマガの転載です。
メルマガをとっていない人用に。
人の可能性について書いています。
11月末日までの割引情報あり。
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村松恒平のシークレット・ドクトリン
...
メルマガをとっていない人用に。
人の可能性について書いています。
11月末日までの割引情報あり。
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村松恒平のシークレット・ドクトリン
第16号 ●[大人の成長塾]、始めます
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【始まりとおわび】
[大人の成長塾]、始めます
また村松が変なことを始める、と思うかもしれませんが。
たぶん、これが僕の仕事の集大成になると思います。
このメルマガはもともと文章のメルマガだったわけですが、そこから僕は『心
が大事』(『自然の道』に改称)というブログで心理的なことがらを追及した
り、原発事故に憤ったり、『DRAGON ART CREATOR'S REVIEW』というアートの
投稿誌を作って、美術について書きまくったり、『GOLD2012』という有料メル
マガを作ったり。
やや神秘主義に傾倒したり。
自分でアートやったり、詩を書いたり、小説を書いたり。
その後、身体に興味を持って、シンクローム、内臓ダンスという2つの面白い
発明をしました。
どれも大切なことを言っていたと自分では評価していますが、エネルギーが散
逸していました。
友人に「元『宝島』編集者って紹介するのやめてくれない? もう何十年も前
の話だから」と言ったら、「はて、ではなんと紹介すればいいのやら」と言わ
れました。
自分でも自己紹介に困っていたのです。
これからは胸を張って「[大人の成長塾]を主宰しています」と言えます。
僕の中では、手を出したことは「あれもこれも」ではなく、同じ一つのことの
断片なのですが、出会った人や、読者にはわからなかったと思います。
それぞれ別の読者に興味を持たれるだけで、統合されることがありませんでし
た。
その長い放浪の果てに、「成長」というテーマですべてを統合できそうだと気
づいたのです。
これはとても奥深く広いテーマです。
今回その話のごく一部を書きます。
とてもエキサイティングです。
塾そのものは準備中で開始は来年なのですが、皆さんは僕の大切な読者なので、
最初にお知らせしたかったのです。
そして、お詫び。
「女性のための愛の哲学」は、塾の準備が忙しいので中断となります。
反響はありませんでしたが(笑)、愛読されていた方がいたらごめんなさい。
これもいちばん面白いところはこれからなので、いずれ単行本にする所存です。
では、成長塾の最初の最初の話を致しましょう。
*
【人は自分の可能性の99%を使っていない】
いまあなたは自分に成長の可能性をどれくらい感じていますか?
それを最大限に感じてもらうところから始めましょう。
「人は自分の可能性の99%を使っていない」というタイトルをつけてみました。
人は可能性を1%も使えないのです。
たぶん可能性という言葉を正しくとらえている人は少ないのではないでしょう
か。
可能性は無限大だと慣用句でよく言いますが、本当に無限大なのです。
お休みの日、あなたは何をしようかと考えます。
図書館に行く、ゲームをする、誰かに電話して会う、スポーツをする、料理を
作る、あるいは何もしない、テレビを見る、寝てる、などの選択もあります。
誰かに電話して会うを選んだとして、気楽でバカをやれる相手と、緊張するけ
れども何かを与えてくれる優れた人物などなどの候補があります。
後者に電話したとして、「今日は忙しい」と言われたとします。
そのよう実際に行動することで、見えてくる情報があり、選択の条件が変わり
ます。
そして、「忙しい」と言われたときに、その日に会いたかっただけだから、そ
のまま電話を切ることもできます。「いつがヒマ?」と聞いて約束を取り付け
ることもできます。
あるいは、電話を切ったあと、「本当は忙しいのではなくて、自分のことを嫌
っているのではないか」とクヨクヨすることもできます。
わかりますか、最初に列挙しただけで8つの選択肢がありました。そのあと、
電話する相手の選択肢が2つ、電話したあとの選択肢を3つ書いてみました。
最初の選択肢も8つより多いかもしれないし、捨てた7つにもそれぞれ膨大な分
岐があります。
図書館に行って何の本を借りるか、5冊借りてくるだけで膨大な組み合わせに
なってしまいますね。
そのような選択肢の枝分かれが無限に延びた図を考えてください。
それが単純化された、あなたの可能性です。
こんなに分岐の多いゲームは面白そうでしょう。
何を選択するかで結果があれこれ違うのも想像がつくでしょう。
あなたは、その無限の分岐の中の一つの点であって、一つの道しか選択して通
れないのです。
そして通った道を戻ることもできません。
その一つの道を通ることが無数の選択肢を捨てていることになるのです!
だから、実際は1%どころではないのです。分母が無限で、分子が1。
これは数学的にはゼロということになるのかな。とにかく限りなく小さい。
いずれにしろ、可能性というものはそういうもので、生きることは無限に対す
るゲームなのです。
その分岐の先によい結果と悪い結果、たとえば、快適な人生と不快な人生があ
るとします(幸福とか成功という言葉より、成長という面からは、この言葉を
選びたいのです)。
あなたの可能性の分岐の先にどれくらい快適な人生があると感じますか?
どれくらい不快な人生が?
いや、快、不快は人生そのものではなく、その場その場の体験かもしれません。
しかし、不快の量が多い生活、不快に満ちた生活を僕らはときどき目撃するの
です。
自分の人生はできれば、愉快で快適、喜び多く、苦しみや不安や心配事が少な
いものにしたいですね。
あなたは喜びに満ちた生活を選択できると感じていますか?
多くの人は可能性があることは認めるでしょう。
しかし、自信はない、という人が多いでしょう。
と予想します。そういう時代だからです。
実際、将来喜びに満ちた生活を送れると感じている人は、いまもそれなりに充
実しているはずなのです。
なぜなら今も選択肢の出発点ではなくて、途中だからです。
そして、あなたは選択肢を選ぶときにあるクセがついています。
そのクセの結果が今なのです。
だから、今が充実していれば、未来も充実しています。
では、今充実していない人はどうすればいいでしょう?
選択肢を選ぶ基準を変えていけばいいのです。
「成長」は、ここでは今までの基準をよりよい基準に変えることを言います。
しかし、生活に不満そうな人ほど、頑固に自分のありかたに固執します。
将来が不安なのは当たり前なのですね。
だってどんどん不満が溜まるほうを選択し、向かっているのだから。
では、どのように選択肢を変えていったらいいのか?
その部分を大人の成長塾では扱います。
無限の選択肢を少しでも上から眺め、自分の未来、現在、過去に対する視野を
広げて行きます。そして、自分にとって何がよい選択かを客観的に「見る」の
です。
「見えない」ことが選択を誤らせているので、「見る」だけで変わるのです。
そして、選択肢の中で最善のものを選ぶようになれば、人は自由自在に生きら
れます。
実際、可能性の全てを見渡せるようになれば、それは神と呼んでもいいような
視野ですね。
成長はそのような視野の拡張を伴います。
では、どうすれば成長するのか?
成長は総合的なものです。頭で考え方を変えただけでは選択肢は変わりません。
上記の一連の話は、選択肢が紙に書いてあるとすると、それを上から眺めてい
ます。
しかし、実際の生活はどうでしょうか?
選択肢の断面図は、今のあなたの目の前にあります。
そこにいろいろな選択肢を感じることができるでしょうか?
図書館? 疲れていて本なんか読みたくない。あるいはそんなこと思いつきも
しない。
友達に連絡するのも、みんな忙しいようでおっくうだ。
たまの休みくらいゴロゴロしていたい。
それで結局、ネットの情報やゲームにはまる、という選択もあります。
体調や、眼に見えない感情、ただのクセ、新しいことをするのは面倒くさい、
などなどがあなたの選択を規定して、そこに選択があることすら意識しない、
という場合が多いでしょう。
つまり、選択の基準は頭で考えるものではなく、もう全身に染み付いているも
のなのです。
それが自分だと思って、それから抜け出せないと思っているもの。
そのソフトを入れ替えないといけません。
ソフト全体の入れ替えなしに、よしやるぞ、とときどき発奮努力しても、どこ
かで挫折します。
つまずいてうまく行かなくなる。そうすると、どうせやってもムダだ、とさら
に失敗体験を重ねて、臆病におっくうになっていきます。
成長に努力は要らないのです。
成長という概念のいいところは、「自然」なところです。
家庭菜園をやったことがある人ならわかると思いますが、植物が成長するのに
努力はしていないのです。
ただただ生命力が自然に発露して成長していきます。
とくに育てようと思った植物ではなく、雑草を見ているとそのことがよくわか
ります。
おわかりでしょうか。
この成長塾では、自然の生命力を用います。
ほっといても成長するもの。
それを使っていきます。
ただ現代生活には、成長を阻害する要因がたくさんあります。
それを取り除いていきます。
エネルギーをインプットするのではなく、邪魔するものをどけます。
そして、本来の生命力を発露させ、意識的に成長をイメージし、フォローしま
す。
小学生が中学生になれば、解けなかった問題も解けます。
高校生になれば、それはすでに問題ですらなくなってしまいます。
大学生になれば、もっと自由に自分のテーマを追求できるでしょう。
そのようにして、選択の基準を変えて行きます。
あるいは、選択肢を見下ろせるような視点を持てるようにします。
みなさんは20歳前後から、なんとなく自分がもう完成してしまったようなイメ
ージで生きてきたのではないでしょうか。
そうだとすると、みなさんの「伸びしろ」はだいぶ使われないままに溜まって
います。
使われないで腐っていると、心や身体がいつもモヤモヤしているかもしれませ
ん。
その成長エネルギーを爆発的に解放します。
それが[大人の成長塾]です。
ご期待ください。
●終わりに
今回は可能性という切り口で一つのたとえ話をしましたが、成長概念の考察は
とても多面的で奥深いものです。
心だけでなく、身体の内的成長も含んでいたり。
たくさんのことをまだまだ語りたくてウズウズして仕方ないのですが、成長塾
本体のためにも書くエネルギーはとっておかなくてはなりません。
今回はこれくらいにしましょう。
最後に[大人のための成長塾]とはどんなものか、お話しましょう。
いちばんの柱は60通ほどのステップメールです。
ステップメールは、まず概念、それから方法論、ヒント、ミッション(課題)
などからなっています。メールによるコーチングです。
感想を書いたり、交流や質問のできる専用SNS。ここで質問したり、他の方の
応答を読むことで、理解が立体的多面的になり、いろいろな場面に応用して発
想できるようになります。
関連のワークショップやセミナーがスクーリングに当たります。これは大幅な
優待を考えています。ですから、参加するとすぐに元がとれてしまいます。
期間は1年間。
費用は年間1万円(税別)です。
月にすると800円強。タバコ2箱分。ケーキ2個分くらい。
それで日常にコーチングのメールが届く「ときめき」が手に入ります。
手に入る成長や充実は、あなたの可能性を爆発的に拡張するものですから、十
分値打ちがあると思っています。
コーチングの世界を見回すと、何万円から10万円以上のセミナーはざらにあり
ます。
正直[大人の成長塾]ももう少し高くてもいいかな、と思いましたが、多くの
人に参加していただける価格を選択しました。世の中の煮詰まり具合を見てい
ると、日本人全体がもっと成長しなければいけないと思っています。
内容は本格的です。
一人でも多くの方に「大人になってもこんなに成長できるんだ」と自分で驚い
ていただきたいのです。
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年間10,000円のところが8,000円です(税別)。
11月いっぱいに申し込んでください。
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事前登録には、
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それから「成長」について読んで思ったことを書いてください。
個別にお返事はできないと思いますが、すべて読んで参考と準備の励みにさせ
ていただきます。
送り先は、↓専用アドレスにお願いします。
seicho@hiden.jp
タイトルは、[大人の成長塾 事前登録]としてください。
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またご意見や質問は、それとは別に歓迎します。
有益な質問には、このメルマガでお答えすることがあると思います。
その場合は匿名にさせていただきます。
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[大人の成長塾]
2015-11-28T17:19:33+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
-
http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=266
反「反戦争法案」な人たち
反安保の動きを牽制しようという言論がニョキニョキと出て来た。
こんなものにいちいち応対してはいけない。
話が些細なところに持っていかれてはいけない。
原発のときに科学論議がそうだったように(この件は長く憂鬱なので、そしてまた些細な反論を招くので書かない...
こんなものにいちいち応対してはいけない。
話が些細なところに持っていかれてはいけない。
原発のときに科学論議がそうだったように(この件は長く憂鬱なので、そしてまた些細な反論を招くので書かない)。
結果的に、原発は人類を滅ぼすクソだ、という本体を取り逃がした。
原発は危険だ。もう要らない。
それだけでよかったのだ。
議論の戦線拡大は不利なほうがすることだ。
情勢を混沌とさせる。
本筋の急所をおさえて、それに答えるまでテコでも動かないのがいい。
*
しかし、目障りなので、反反安保の主要な傾向をあげて分析しておく。
それにあてはまったら性格の悪い馬鹿だから、相手にしなくていい。
**
1.
まず、反戦争法案で動く人々をたいへん類型的で、雰囲気に煽られている人だとレッテルを貼る。
これの延長線上に、民青だとか、共産党に動員されているというもっと極端で下劣なレッテルがある。
2.
そのように類型的で乗せられやすい人と見下げた上で、自分は高見に立ったようにナニか言い出す。
「ボクはそんな雰囲気に流されるような馬鹿じゃないからね。そういう経験や見識豊かなボクみるところ、政府に悪いところもあるよ。でも、なんといっても安保的なナニか必要でしょう……」
のような。
一見中間派のように見せながら、明らかに現体制を補完しています。
これは無邪気にやっていたら、相当馬鹿です。
意図的にやっていたら、相当ねじけています。
戦争法案に賛成ならば最初からそう書けばいいのです。
3.
馬鹿というのは、自分の言論がどう働くか知らない場合です。
いちばん性質が悪いのは、自分も安保法案に反対だが、と思っていながらごちゃごちゃ言うヤツです。
結局、言いたいことは「自分は賢い」ということであって、話をごちゃごちゃさせて邪魔極まりありません。
こういう人のタイムラインを見に行くと、たいてい戦争法案に対して何の反対発言もありません。
ただ他の人を批判して、自分はそれより賢いと主張しているのです。
矮小な自意識のために全体の状況を台無しにしているのです。
4.
さらにもっと悪いケースが顕著にあります。
それは「昔自分はナニナニの運動をしていたが」というヤツ。
こういう人間の反動性がいちばんひどい。
そんなに賢いなら、反対のためになることを言えばいい。
そんなに正しいなら、本当の運動はこうやるんだって見せてから言えばいい。
何もしないで昔話をしたいヤツは去ね、ということです。
目の前の状況を素直にみて、「おかしい」と言える人、行動を始めた人たちだけがただ尊い。
昔何かをした人は、関係ないのです。
すっこんでいればいいのです。
一人で自意識にひっからまって、黙って、暗い部屋で若い人のやることに嫉妬していればいいのです。
自分が何のために何を書いて、どういう影響を与えるのか、誰を利しているのか、きちんとわかってモノを書かなくてはいけません。
戦争法案に賛成であれば、旗色を鮮明にすればいいのです。
ちなみに僕は戦争法案を廃案にする、廃案にしようとしている人たちを応援する。ただその目的のために書いています。
*
「昔、ナニナニをした人」が威張っていたら、この文をシェアしてあげてください。
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2015-07-29T12:14:15+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
-
http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=265
後方支援・三国志・安保法制
またまた女性のための愛の哲学は先送り。
愛のためには、基本環境に平和がなければいけません。
緊急度の高い、そちらのお話です。
**
後方支援というのは、兵站、ロジスティクス、戦争に関わる主に物流のことです。
安保・対米従属戦争法案では、これを主...
愛のためには、基本環境に平和がなければいけません。
緊急度の高い、そちらのお話です。
**
後方支援というのは、兵站、ロジスティクス、戦争に関わる主に物流のことです。
安保・対米従属戦争法案では、これを主に米軍に対して自衛隊が担うことになり、それが危険か危険でないか、という議論が国会でなされました。
もしもあなたが一度でも三国志を読んだことがあるなら、「危険だ」と一瞬で見抜くでしょう。
三国志には、諸葛亮孔明のような軍師がたくさんでてきます。
その作戦には、必ず兵站に対する攻撃が検討されます。
自国に強国の大軍が迫るような場合。
敵は数十万、自軍は数万という圧倒的な戦力差があるときに、兵站を襲い、奪い、また焼き払うのは最も有力な作戦です。
敵の軍勢が多ければ多いほど、兵站を失えば飢えるのが早いのです。
中国の広大な土地を数十日もかけて行軍している場合、兵站を失えば致命的なダメージとなります。
また兵站を支えている部隊は戦闘部隊ではありませんから、護衛がついているとはいえ、本格的な戦力に襲われればひとたまりもありません。
そのように兵站は作戦上の急所なのです。
襲撃に成功すれば、作戦を失敗させ、情勢を変える大きな戦果を得ることができます。
兵站を狙うには、日本本土へのテロ、という形で国民を人質にとることもできます。デパートや映画館などの無差別爆破などで脅されれば、平安は失われます。
米国への軍事的忠誠をとるか、国民の安全をとるか、苦渋の選択を強いられます。
自民党政府はどちらを選ぶでしょうか?
もちろん、原子力発電所を占拠して自爆テロの脅迫を行うことも可能です。
自国が理不尽に(と少なくとも当人たちに思われ)大軍によって蹂躙されそうになったとき、そのようなことをするものが現れないは言い切れません。
自衛隊はたいへんに強い戦力を持っていますが、交戦権に関してはいわゆる軍隊のように振る舞うことはできません。
また自衛隊員が捕虜になったときに、軍ではないので、ジュネーブ協定での捕虜の扱いには当たらないといいます。
民間人として捕虜になることになります。
それがどういうことを意味するのか。議論はいろいろあるでしょうが、あまりいい感じは浮かびません。
法律上のことでは、自衛隊の脱走や規律違反のケースなども可能性があります。
法律上の不備、ほころびがいろいろ出てくるのです。
従って石破という人は、軍法の整備をすでに心配しています。
つまり、後方支援でも、交戦権や軍法、国際法のさまざまな問題が出て来ます。
つまり、法的に軍という体裁を整えないと具体的な状況に対して全く整合性がないことになるのです。
つまり安保法案が通れば、自衛隊を軍にする方向で動くことになるのです。
安保法案が通ってしまったら、これはもう止められません。
戦争法案と言われる所以です。
止まらないといえば。
要らないダムや河川敷の建設が止まらないでしょう。
核発電所の再稼働も止まりません。
リニアモーターカーの開発も止まりません。
新国立競技場という、誰が見てもアホらしい、まだ始まってもいないものでも、ブレーキをかけるのにたいへんなエネルギーが必要だったでしょう。
この国は歯車が回り始めたらどれほど理性を欠いていても止まらないのです。
自衛隊が軍になれば、徴兵がテーマになるのは妄想とは言えません。
「暮らしの手帳」を作った花森安治氏は、「一銭五厘の旗」という本を書いています。
一銭五厘というのは、ハガキの値段で、つまりハガキ一枚の召集令状で兵隊はいくらでも集められる。「お前らは消耗品だ」という言い方があったらしいのです。
これに対して、軍馬は何円か何十円かしたので、兵隊よりよほど大切だ、と言われ、そのように扱われたらしいのです。
しかし、前回の戦争では、兵站の部門は、兵隊のように勇ましく戦わないということで、そのハガキ一枚の兵隊よりさらに軽く見られていたようです。
その結果、軍人の死の7割近くは戦死ではなく餓死であったと言います。
兵站は勇ましくないからと軽視した軍部の責任です。
年金情報の漏洩やら、官僚、行政、またその天下り機関のいい加減さ、無能さ、無責任は日々腹の立つことであります。
日本が戦争に突入しても、同じレベルのハンドリングになると思っていてください。
戦争そのものが愚かであるだけでなく、戦争の中に大小さまざまな愚かさが詰め合わせになって、国民の生命と生活を圧迫するのです。
今、税金を湯水のようなムダにするように人の命も浪費されます。
前回の戦争で兵站を軽視したように、今回の法案でも、またアメリカの使い走りで兵站を簡単に引き受けてしまいそうです。
どちらも軽視です。とても悪いカルマを感じます。
後方支援は、今回の法案の一端でしかありません。
日本会議、自民党、公明党は、こういうことを含む11の法案を一括審議で通そうとしています。
十分な議論はありません。ただ数の力です。
安倍首相は、アメリカへの追従の他に、近隣諸国と一戦交えたいのだ、とも言われています。
そちらはそちらで恐ろしいことです。
どこかで自衛隊員の血が流れれば、好戦的な人々はアドレナリンを沸騰させ、より声高に軍事強化を叫ぶようになるでしょう。
そうなれば、言論はますます不自由になり、歯止めはまったく利かなくなるでしょう。
ここでストップできなければ、急流を止めることはできなくなるとわたしは思っています。
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2015-07-20T21:28:54+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
-
http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=264
6/11日木曜、内臓ダンス+シンクロームのワークショップします。
詳しくはシンクロームのサイトを見てください。
http://synchrome.asia/2015/06/01/1042/
http://synchrome.asia/2015/06/01/1042/
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2015-06-01T20:52:47+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
-
http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=263
美術教育で評価をしてはいけない件。反響がありました
前回の記事に関連して、あるお母さんから次のようなメールが来ました。
**以下引用。前略。
……。
ブログの記事で、美術の教育のあり方についてかかれておられましたけれども、先ほど息子が図工が嫌いだ。と言い出しました。
図工大好き人間だったので、理由を...
**以下引用。前略。
……。
ブログの記事で、美術の教育のあり方についてかかれておられましたけれども、先ほど息子が図工が嫌いだ。と言い出しました。
図工大好き人間だったので、理由を聞いてみると
「きれいなはなの絵を描きましょう。って先生が言うんだよ。きれいな花なんて俺、描けないよ。きれいな色使ってとか、濃淡をつけて、とか丁寧にとか色々言われる。女子じゃねぇから、俺(そんなの無理)。
俺は雑草を描きたい。雑草って、先生に怒られている子どもたちみたいじゃん。じっと先生のお怒りに耐えていて。でも、先生に許してもらえなかったら引っこ抜かれちゃうんだよ。」
うわー、ブログに書いてある通り!
と思ってしまいました。
****
こういう話、たくさん転がっていると思うのです。
いい先生もいるだろうけど、よくない先生もいる。
でも、いちばん大切なことはそこに「理念がない」、ということです。
いい先生もよくない先生もたまたまいるだけで、芸術教育の方法論とか根本的な発想がないのです。
それが、先生の勝手な思いや理屈でどうとでもできるという現状を作っています。
こんな返事を書きました。
**以下返事。
すばらしい自分が何をしたいのか明確な自覚を持っている息子さんではありませんか。
次のように伝えてください。
・・・
今回のことは先生のエゴである。
表現は強制されるものではない。
しかし、生きて行く上で他人のエゴとは必ず出会うものであるから、よい機会だ。
よく観察し、上手に切り抜けなさい。
ある一人の先生のエゴによって、図工や絵を嫌いになるのは筋違いだ。
それはそれとして、好きな絵を描きなさい、
*****
多くのお母さん、お父さんがこういうの変だよ、とわかれば、少しずつ変えていけるかもしれません。
そのために書いています。
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2015-05-13T10:21:33+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
-
http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=262
どうしたら自分を愛せますか? 3(自分を育てる方法)
JUGEMテーマ:恋愛/結婚
自分を愛するには「自分」について真剣に考えないといけません。
前回、こう書きました。
**
「2,000円の生活費があるとします。
1,000円を自分を責めるのに使う。
850円を自分を責められることから守るのに使う。
残りは150円です...
JUGEMテーマ:恋愛/結婚
自分を愛するには「自分」について真剣に考えないといけません。
前回、こう書きました。
**
「2,000円の生活費があるとします。
1,000円を自分を責めるのに使う。
850円を自分を責められることから守るのに使う。
残りは150円です。
他の人は2,000円のエネルギーで生きているのに、わずか150円のエネルギーしか自分のために使えないのです」
**
こういう状態の場合、自分はどこにいるでしょうか?
1,000円の部分でしょうか?
850円の部分でしょうか?
150円の部分でしょうか?
それともそれを合わせた全体の2,000円でしょうか?
世間では、この2,000円の混乱状態を自分と呼ぶことが多いでしょう。
しかし、自分を愛するときには、150円の分だけを自分と考えるのです。
その理由はこういうことです。
私たちが生まれ、育ったのは自分の力ではないのです。
精子と卵子が結合して生命として誕生する。
それは神様の力、自然の力です。
そして、両親が愛し合ったのは、両親の力です。
育ててくれたのも親です。
それから学校の先生にいろいろなことを習います。
こうして考えると、外の影響を受けたことばかりで、生まれ育つ間には何一つ自分でしたことはないのです。
では、どうすれば自分が何かをしたと言えるようになるでしょうか?
いつから自分を持ち始めるでしょうか?
ちょっと考えてみてください。
とても単純なことです。
単純すぎて誰も言っていないことかもしれません。
その答えは、
1.自分の動機で何かをすること
2.その結果を自分で受け止め評価すること。
この2つです。
簡単で当たり前のことでしょう?
1について。
意外に私たちは自分の動機で何かをしていません。
親に言われたから。先生に言われたから。会社の仕事だから。世間ではみんなそうしているから。
そういう他人の動機だけでも一定の期間生きていけるのです。
でもあるとき、ふと苦しくなります。
他人が要求することとは何か違うことを自分が求めているような気がする。
そういうことは若いときに確かめてみるべきなのです。
あまりに長いこと自分の動機で動いたことがない人は、自分が何を感じているのか、はっきりつかめなくなってしまいます。
2についても同様です。
言われたことを言われたからする。
言われた通りにする。
言われたことを守れば責任は発生しません。
言われた通りにしないと、不良になります。
評価も親がします。
先生がします。
世間がします。
自分自身が評価をくだし、受け止める時間はありません。
いつも誰かが評価してくれる。
評価を待つようになる。
自分自身で受け止めるという習慣がなくなってしまうのです。
誰かがほめるか、評価してくれないと不安になる。
自分が何をしているのかわからなくなる。
それで、すぐにモチベーションを失ってしまう人が多いのです。
僕だって、こういうブログを書いたら誰かに褒めてもらったり、しっかり読んだ感想なり意見なりの反響がほしい気持ちはあるのです。
実際は反響は期待の100分の1もないです(笑)。
それでも書くのはやめない。
それは書く理由が自分の中にあるからです。
僕はかつて「自由とは自分の理由で生きること」と書きました。
他人が評価してくれなかったらやめるんだったら、それは自分の理由とは言えません。
もちろん他人の評価の中には、していることに意味があるかどうかの指標も含まれています。
それを重視する人は多いでしょう。
たとえば作家や画家で、作ったものが片端から売れて行くなら、作る人にはたいへんありがたい。
それでお金を稼げば世間も評価するでしょう。
中には「お金の儲け方を教える」といってお金を儲けている人もいます。
中身は何もない俗流錬金術ですが、それでも何万人、何千人というファンがいます。
僕はそんなことは書けないし、書きたくないのです。
だからこれでいいのです。
他人の評価を得るために自分を変えられない人もいます。
ゴッホの絵の話を持ち出すのはあまりにベタですが……まあ、そういうことです。
自己評価が絶対ではないけれども、世間の評価もまた絶対ではありません。
僕も自由に書くけれども、世間の評価を期待していないわけではありません。
そういう割合の「塩梅」がその人の生き方のバランスをとって選択肢を広くします。
オール・オア・ナッシングで中間がないと非常に生きづらくなります。
自分で行動し、自分で評価する。
それを一定以上の割合でしないといけない。
そして、他人の評価もある割合でしか受けつけないことです。
芸術教育はとくにこの認識が重要です。
絵を描くことなど、絶対他人が評価してはいけない。
とくに子どもの絵はそうです。
勇気づけたりヒントを与えるのはいいけど、評価してはいけない。
自分で描いたものを自分で受け入れて、次にどうしようかと考える繰り返しが必要なのです。
他人が評価するのは、そのサイクルを破壊することなのです。
僕も子どもの頃、二度に渡って先生の評価ですごく迷わされました。
二度目のときなど、すっかり絵に嫌気がさしてその後30年くらい絵を描かなかったのです。
小中学校の美術の先生というのは、悪くいえば「作家になりそこねた人」ですから、謙虚にしていただきたいのです。
評価することよりも、子どもに絵の楽しさを教えることです。
子どもに絵を描かせて描くことを好きにさせるだけで、とてもいい仕事なのです。
いろいろなケースを書きましたが、元に戻りましょう。
自分の理由で行動する。
自分で自分のしたことを評価し受け止める。
これが一つのサイクルです。魚で言ったら「尾頭つき」です。
美術教育だけではなく、日本の教育にはこのサイクルがありません。
動機も評価も全部誰かが持って行ってしまいます。
中間の面白くもない努力だけが生徒に残されます。
しかし、教育がおかしいといってもよくなった試しはありませんから、自分たちはどうすればいいのか、という話をしましょう。
わたしたちが、他人の理由で行動するのに慣れてしまったこと。
これが「150円」の原因です。
150円というのは、先ほどの
**
「2,000円の生活費があるとします。
1,000円を自分を責めるのに使う。
850円を自分を責められることから守るのに使う。
残りは150円です。
他の人は2,000円のエネルギーで生きているのに、わずか150円のエネルギーしか自分のために使えないのです」
**
このことです。
この150円のエネルギーでは自分を愛せないのです。
では、どうすればいいでしょう?
この150円を投資するのです。
わざわざお金の比喩にした理由はここにあります。
投資とは、先ほどの「尾頭つき」のプロセスを小さなことでいいからしていくことです。
難しい言葉では、「投企」、あるいは「自己投企」と言います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/投企
Wikipediaの説明では、「投げる」ほうはあっても回収する、評価するほうがあやふやですね。
僕はハイデッガーなど面倒くさくて読めませんが、同じようなことを言っていると思います。
ハイデッガーの場合は、150円のことを「主体」というでしょう。
そこから話がどんどんややこしくなる。
私たちが生きていくのに役立てるには、150円でいいのです。
話を進めましょう。
150円を投資したら2割ついて180円で戻ってきます。
実際の投資話では、2割つくと言われたら騙されると思ったほうがいいです。
でも、この話の比喩では本当です。
損することもないし。
この投資で失敗するとしたら、誰かに否定されたときなのです。
しかし、自分自身を投資するのに本来人に干渉されるべきではありません。
もし干渉する人がいるなら、その人に見つからない小さなことから始めましょう。
何度か投資していくうちに、150円は複利で増えて行きます。
150円で2割だと30円ですが、500円だと100円利子がつきます。
だんだん自信がついてきます。
どうしてそんなに利子がつくかというと、
「本来自分のものであったものを取り返している」
からなのです。
自分の行動はもともと自分のものですからね。
自然に戻ろうとしているエネルギーがあるから、そちらには大きく転がるのです。
自分が雪だるま式に増えて行くわけです。
こうして150円だったものが、2,000円のうちの1,000円近くになりますと、「自分は自由だ」という感覚が芽生えます。
自分が愛せるのは、この自由な自分です。
他人の動機や評価でまぜこぜになった自分ではなく。
自分自身が外からの影響と対等になったくらいから、そのような変化が生まれます。
それでも自分自身はまだ半分。
自分はさらに1,000円を越えて全予算の2,000円に近づいてきます。
9割以上が自分のものになると「自由」という状態から、僕が「自然」と呼んでいる状態に移行し始めます。
全く別の変化が起きます。
日々の予算が2,000円であったものが、じわじわと増えて行くのです。
内部の割合ではなく、枠組み自体が拡大して行くのです。
このブログのタイトル「自然の道」とは、そういう意味です。
しかし、このことに深く立ち入るのは今はやめておきましょう。
「どうしたら自分を愛せますか?」がテーマでした。
まず他人の影響と自分を分ける。
次に自分自身を育てる。
そうすると、自分自身を自然に愛せるようになる、ということが答なのです。
「自分探し」が一時期流行りましたが、これからは「自分育て」で行きましょう。
*********
ワークショップ「自然の道」『アートの日』のお知らせ。
自分育てに最適であります!
2015年5月23日14:00
東京都
豊島区目白3-2-9-4階 東社協保育士会会議室
久しぶりに書道をやります。
参加費 3,000円。
腸の感覚を使って書道をします。
自分でやってけっこう面白かったので、みなさんにも楽しんでいただけると思います。
初めての方、歓迎です。
第一部
内臓ダンス+マンダラ+書道。
内臓ダンスで喚起した感覚を使って書を書きます。
面白いものが書けます。
いわゆる書道とは全然基準が違います。
だからしたことがない人でも大丈夫。
習っている人も、違う感覚から書を見直す機会になるでしょう。
筆という道具、墨という液体、これがあると白い紙に無限の広がりが出ます。
お手本のように書くのではなく、そういうアートとして、書を見直します。
必要なものは用意しますので手ぶらで参加できます。
**
第二部
この日の特別イベントとして、終了後、僕が習っている陶芸「サカイ工房」の展示を見に行きます(一部のみ参加も可)。
すぐ隣の池袋駅直近のギャラリーでなので、移動は5分くらいです。
実用的な陶器がほしい方、販売もしているので、けっこう掘り出し物があります。
陶芸のプロではありませんけど、皆さん個性的な作品を作ります。
もちろん、僕の作品もあります!
**
第三部
中華懇親会。
展示を見るのは20分前後。
興奮さめやらぬまま、池袋でおいしい中華を食べて懇親会を予定しております。
予算は食べて飲んで2500円。
内容盛りだくさんです。
ぜひご参加ください。
懇親会参加の方はその旨、お知らせください。
お申し込みは、entry@hiden.jpまで。
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2015-05-11T14:11:00+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
-
http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=261
原発事故で経済が終わること
愛の哲学、続きますが、今回はちょいと社会的なことを書きます。
3.11以降、ずっと政治や社会を見てきたけれども、ようやくそうだったのか、というところに収まったので。
**
ようやく3.11以降の政治家、官僚の動きの全貌が見えてきたように思う。
彼らは最...
3.11以降、ずっと政治や社会を見てきたけれども、ようやくそうだったのか、というところに収まったので。
**
ようやく3.11以降の政治家、官僚の動きの全貌が見えてきたように思う。
彼らは最初から福島一発で経済が終わることに気づいていて、そのことだけに対応していたのだ。
生命より経済が大切、というのは、じつは国民の生活のことではなかった。
日本経済がまもなく原発事故によって破綻する、その延命をどうするか、ということであった。
うかつにも、僕は3.11以降のどうにも焦点がズレたような動きは彼らの鈍感さからくるのか、と思ってイライラしていた。
しかし、彼らは自分の利益に関しては十分過ぎるほど頭が回る。
そして、僕らに隠して、生の質のいい重要な情報をつかんでいる。
原発が使い物にならないとなると、今まで資産であったものが、おそろしく危険な金食い虫になる。
+100が-100に逆転するのだから、日本国は倒産するのである。
先日、IMF管理の記事がでていたが、倒産するとIMFから金を借りる。
そうすると、日本全体が差し押さえられる。
公務員給与のカット、退職金ゼロは、ざまあみろな要素もあるが、国民の預金、不動産まで管理下におかれ、IMFに吸い上げられるということが起きるようだ。
このときに自民党の中枢は何を考えたか。
自分と自分の一族の特権、資産を増やすことだ。
実質的な対策よりも、除染のほうがてっとり早く金になる、というようなことだ。
自民党の一年生議員に近い連中は付和雷同しているだけだろうが、世襲議員たち、権力の中枢にいる者は、一様にこの認識を持ったはずだ。
戦争成金、戦後のどさくさに財をなした者。
戦犯ですら、処刑されなかった者は、戦時中のコネクションを活かして財をなした。
とにかく放射能対策よりも、利権があれば、自分も一枚噛むということに忙しかったに違いない。
事故の報道について、大本営発表という言われ方をしていたが、まさに、これから戦争が始まるのではなく、いまは戦時中なのだ。
古株の政治家たちは、原発に関する利権を探して鵜の目鷹の目であろう。
仮に日本が倒産しようと、自分たちは海外に預金や不動産を持ち、日本で利権をあさるだけあさったら、いつでも逃げられる選択肢を持っているはずだ。
とにかく彼らは国民から吸い上げるだけ吸い上げる。
もういわば使い捨てなのであるから、絞れるだけ絞る。
マスコミは押さえたので、他に抵抗してくる基盤はない。
政治家が忙しいのは、権力内部で自分の取り分を確保することであろう。
日本の経済は終わる(倒産する)。
もし開催できる状況であれば、たぶんオリンピックの直後くらいではなかろうか。
オリンピックで最後の金をかき集める。
経済以後に、一般人がどう生きるのか、どう備えるのか、というのは、僕のテーマの一つだが、まだ話についてきた人は一人もいない。
みんな目の前の生活で忙しいのだろう。
僕のような閑人が一人で考えないといけない。
とにかくもはや怒ったり、苛立ったりしている場合ですらない。
戦えると思う人は戦ったほうがいい。
逃げられると思う人は逃げたほうがいい。
自分も成金になれると思う人は権力に媚びたほうがいい。
信じない人、あきらめている人、どうにもできない人、面倒くさい人はいままでと何も変わらずに生きて行くだろう。
そのようにして時代は進む。
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2015-04-17T12:16:23+09:00
村松恒平
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村松恒平
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どうしたら自分を愛せますか? 2(自己愛の強い人について)
自分を愛しているとは、どういう状態だと思いますか?
自己愛? ナルシスト? それはここで語ろうとしていることとは、また別の領域です。
母親が子どもを愛するのは、ちっとも大げさなものではないでしょう。
たんたんと静かに日常を送る。
その中にひたひ...
自分を愛しているとは、どういう状態だと思いますか?
自己愛? ナルシスト? それはここで語ろうとしていることとは、また別の領域です。
母親が子どもを愛するのは、ちっとも大げさなものではないでしょう。
たんたんと静かに日常を送る。
その中にひたひたと愛は満ちているのです。
自分を愛するというのは、じつはぼーっとしているようなことです。
*他人が自分をどう思うかに余計な気を使わない。
*他人の基準で自分を測らない。
*自分がしたいことがわかっていて、可能な限りそれを実現する。
*人に何か言われても大して落ち込まない。
*褒められても過剰に舞い上がったりもしない。
そういうある意味、ぼーっとした状態が自分の中に愛があるということだと思います。
自然な状態では、愛は血液のように自分の中をめぐっているのです。
だから、自分を愛している状態とは、「当たり前の状態」であるわけです。
だいたい自分を愛する自分と愛される自分に分裂することが不自然、不健康と言えるのです。
自分を責める自分と、責められる自分が分裂しているのと同様に不健康です。
裁く自分と裁かれる自分。
正しい自分と間違った自分。
みんな分裂です。
人には60兆の細胞があると言われていますが、僕が自然と呼ぶ究極の姿は、60兆の細胞が全部一つの意志で動く状態です。
会議でも、意見が半々に分かれていては、ムダに疲れるだけで、何もできませんね。
全員一致であれば、思った事は瞬時に行動に移せるのです。
一つの意志というと、北朝鮮のような独裁国家を思い浮かべるという反応が現代では多いと思うのです。
しかし、ああいう国家は異端者を投獄したり、処刑したりしないと成立しません。
それは僕の60兆の細胞が全部生き生きした状態とは違うのです。
一つの生命、一つの身体ですから、本来利害の対立はないのです。
イデオロギー、考え方の対立もありません。
では、なぜ現状私たちがいくつもの価値観に分裂しているかといえば、外からインプットされたものに影響されているからです。
頭脳は矛盾した価値観を抱えているのです。頭脳とは、つまり言葉の世界です。
本来統合されえない複数の価値観の断片を私たちはインプットされているのです。
しかし、身体は言葉を抱え込みませんから、一つなのです。
ですから、私たちは身体の声を聞くことで、自分の中の混乱を鎮めていくことができます。
心で心を押さえ付けることはできません。
言い換えれば、言葉で心を押さえ付けることはできません。
一つに統一することができません。
不愉快なことがあって、「怒るな怒るな」と念じても、考えているうちに、かえって火がついて爆発してしまうことがあります。
それは取り扱いを間違えているのです。
身体と心が一致して、分裂が少ない状態、それが自分に対して「愛がある状態」であるととりあえず定義しましょう。
じつは、世間でいわゆる「自己愛の強いタイプ」に分類される人は、内部に分裂を含んでいます。
これには二つのタイプがあります。
一つのタイプは、外では超強気で振る舞うけれども、一人になった途端にどぉぉよよよぉぉぉん、と落ち込むタイプです。
これは、ジェットコースターみたいに無理にアゲるから、その分、落ちるのです。
自信満々と裏腹に自己嫌悪も強いです。
もう一つのタイプは、自分を愛する自分と、愛される自分とがラブラブなタイプです。
これは幸せですが、やはり分裂していると、前者と同じ要素を持っています。
自分を愛するといっても、ぼんやりしたものではなく、たいてい具体的な長所を愛している。たとえば、美貌、頭の良さ、芸術的才能、スポーツ能力、仕事の手腕、何かそういうものに対してナルシスティックになっているのです。
しかし、才能でも何でも上には上がいる。
またそれまでは順風満帆でも、壁にぶつかるときもある。
こういうときに、がーんと落ち込むと最初のタイプに似て来ます。
もう一つの反応は、自己合理化する、ということです。
現実を見ないで自分の都合で世界観をねじ曲げてしまう。
こうなると、「あの人はアレだから」と周囲からも距離を置かれてしまいますが、そういう現実すら見なくなります。
スポーツや、囲碁、将棋のような勝負事は、いやおうなく、自分の相場、限界がわかってしまいます。
しかし、芸術活動などは、「理解しない周囲が見る目がないヤツばかりだ」と合理化することができるのです。
一回自己合理化の回路ができてしまうと、ほとんどそこから抜け出すことはできません。
だから、自分が分裂している状態は、たいへんに不安定で、本当に自分を愛していることにならないのです。
これで、ようやく「どうしたら自分を愛せますか?」に答えられます。
やはり次回に続く。
**
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習った日から、自分に恋人に、家族に、ペットにしてあげられます。
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2015-04-09T17:25:32+09:00
村松恒平
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村松恒平
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http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=259
どうしたら自分を愛せますか? 1
どうしたら自分を愛せますか? について書くと予告したけれど、もう少し、自分を愛せない人について書く必要があるようです。
先日、スピリチュアル系?の記事にこんなことが書いてありました。
二枚の紙を用意します。
一枚には感謝の言葉を書き、一枚には否定的な罵...
先日、スピリチュアル系?の記事にこんなことが書いてありました。
二枚の紙を用意します。
一枚には感謝の言葉を書き、一枚には否定的な罵倒辞を並べます。
それをそれぞれ果物と同じ容器に入れておくと、罵倒辞のほうが早く腐るのだそうです。
また血液も同じようにして変化を観察すると、罵倒辞のほうは顕著に悪い変化が現れる、というようなものでした。
本当かどうかわかりません。しかし、そういう結果が出ても不思議ではない気がしますね。
心の中では、もっと明快です。
悪い言葉、否定的な言葉は自分を痛めつけます。
言葉が物質に作用することには否定的な人がいるでしょうが、言葉が心理に作用することは毎日私たちが体験していることです。
ちょっとイヤなことを言われてどーんと落ち込んだり。
自己否定的な人は、毎日それを自分でしているのです。
自分で自分を殴るようなものです。
バカバカしい。
ところがその人は、「自分を否定しているのではなくて、ダメな自分を正しているのです」というでしょう。
しかし、こんなのは30秒で論破できるのです。
そもそも「自分を正す」ことができる自分がいる、というのが嘘なのですからね。
その嘘に陶酔しているのです。
もし自分で自分を正すことができるなら、とっくに正しくなっているでしょう。
正すことができないのは、認識や方法が間違っているからです。
しかし、そのことは正そうとしない。
正されるほうの自分は激しく否定するのに、正すほうの自分は正しいと信じ込んでいる。
10年以上も同じことで自分を否定し続けている人がたくさんいます。
10年以上一つのことをして、何の効果もなかったらどうですか?
とてもムダなのです。
部屋の中で暖房をつけていて、暑すぎるからと同時に冷房をつける、それはムダだと誰でもわかります。
生きて行くのに、自己否定をするのも同じくらいムダです。
2,000円の生活費があるとします。
1,000円を自分を責めるのに使う。
850円を自分を責められることから守るのに使う。
残りは150円です。
他の人は2,000円のエネルギーで生きているのに、わずか150円のエネルギーしか自分のために使えないのです。
では、どうしたらいいでしょうか。
今すぐばかばかしさに気づいてやめることです。
どうしたら自分を愛せますか? の答は、「自分で否定するのをやめること」、なのです。
自分でする。
無責任のようですが、何人ものそういう人と話してきて、いろいろ奮闘努力した上での結論です。
その人は、まず「どうしたらできますか?」と聞きます。こうしたら、というと、「それができないです」というのです。
では、こうしたら、というと、「それもできないです」といいます。
どこまでいっても、「それならできます」「それならできました」という言葉はでてきません。
自分で自分を正そうとするのは無理だ、と書いてあるのを読んだら、「ああ、バカバカしい。やめよう」とすぐにやめればいいのです。
しかし、真剣に読んでいないのです。
自分の都合のいい世界でしか読まない。
自己否定を「やめられません」と言った時点で、もう僕が何を言ってもムダなのです。そこでやめない人はもうやめません。
どうも、あれこれ聞いてくのも、やめることが目的ではなくて、「やめられない」ということを僕という道具を使って証明しようとしているようなのです。やっぱりダメだった、ということを証明するために「どうすればいいですか?」と聞いてくるのです。
ですから、自分でできない人はダメなのです。
ダメと見捨てられて、「ほらみろ、やっぱりダメだ」とますます今いる場所に安住するのが重症の人です。
しかし、そこまで重症でない人のために、どうしたら自分を愛せますか? について考えたことがあるので、次回こそ書きましょう。
(懲りないですね、僕も)
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2015-03-28T21:20:28+09:00
村松恒平
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村松恒平
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http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=258
【まず自分から愛すべし】
【まず自分から愛すべし】
愛にはいくつかの基本があります。。
今まで書いて来たことは、ずいぶん変なことを書くなあ、と思われているかもしれないけれど、全部基本なのです。
日常生活でなんなとなく身に付いたクセが基本であるとは限りません。
何か習い事をした...
愛にはいくつかの基本があります。。
今まで書いて来たことは、ずいぶん変なことを書くなあ、と思われているかもしれないけれど、全部基本なのです。
日常生活でなんなとなく身に付いたクセが基本であるとは限りません。
何か習い事をしたときに、基本姿勢が日常動作と違ってとまどうことがあるでしょう?
しかし、その基本姿勢の上に、合理的な体系が組み立てられるのです。
基本は、わかっているかどうかで、大違いの結果を生みます。
基本を外れていると結局遠回りをします。
遠回りをしただけでなくいい結果を生みません。
土台が歪んだまま上に家を立てるようなものです。
さんざん自分で苦労した結果、帰ってくるのが基本です。
帰って来られればいいですが、ひずんだ形のまま、一生ごまかしごまかし生きなくてはいけなくなるかもしれません。
愛なんてめいめい勝手でいいだろうと思っていませんか?
めいめい勝手でいいんですけど、やっているうちにそこに合理的な筋道が見えてくるのです。
男の世界の喧嘩でも、「勝てばそれでいいだろ」という生き方もあります。
腕力や体力が強いだけの乱暴者もいます。
しかし、素質や腕力だけでは、系統だった武道や格闘技を習った人にはやがて勝てなくなります。
あまりいい比喩ではないですけどね。
前置きはこれくらいにして、もう一つの基本を書きましょう。
愛の基本は、まず「自分を愛すること」です。
愛に生きるためには、自分を好きになるって大切にすることです。
自分自身を大切に扱って育てることです。
いつも身辺をきれいにし、気がかりなことを残さない。
自分を高めるチャンスを探し、いつも心を生き生きとさせておくことです。
自分が愛せない自分を他人に愛してもらうことはできません。
自分でまずいと思っている料理を人に出せないのと同じです。
まずい料理で人をもてなせばどうなりますか?
自分でまずいと思っている料理は、器や盛りつけに気を使うことができません。
相手の好みを考えに入れる余裕もありません。
出したあとの会話もぎこちなく盛り上がりません。
相手が顔をしかめるのではないかと心配し続けないといけません。
これでは愛はありません。
自分で自分は愛せない、だからこそ、人の愛がほしい、という人はけっこう多いのではないでしょうか。
しかし、それは無理筋です。
さびしさを他人で埋めようとして、ずっとうまく行くケースはほとんどありません。
なぜなら、そういう女性が慰められるのは、会って楽しいそのときだけだからです。
一人になると急にさびしく不安になる。
だから頻度高くメールや電話をせずにいられない。
毎日のように会わないと気が済まない。
いわゆる依存です。
そういう女性とつきあえるのは、やはり依存性の高い男性であるか、心よりも若さや身体に惹かれた男性ということになります。
どちらも行く末を考えるとさほどよいことがありません。
だいたい想像がつくでしょう?
たいへん類型的なできごとが起きるのです。
「わたし」が楽しい、「わたし」が苦しい、と切実に感じているけれども、外から見れば、よくある愚かさでしかない。
その決まりきったコースから逸脱できるかどうかが、その女性の賢さなのです。
外からみれば、と書きましたが、その「外から見る」という冷静な視点を自分の中でもてないのです。
外からみようとすると、自動的に自分を叱責したり、否定したりしてしまう。
それはかなり高いパーセンテージで幼いときに母親から言われたことの口真似なのです。
自己否定のシステムについては、それだけで独立して一冊の本が書けるほどなので、いつまで書いてもキリがない。
ここでは、これ以上深入りしないことにしましょう。
愛は血液のように自分の中を循環しているものです。
それがほのかな暖かさとなって人に伝わります。
いずれ詳しく述べますが、愛とは激しいものではなく、そのようなものです。
自己否定は愛の流れを止めてしまいます。
自分の中の愛せない一部について、恋人が癒してくれることはあるでしょう。
しかし、8割くらいは自分が好きでないといけません。
自分が嫌いな人は、4割くらいしか自分のことが好きでないとします。
数字は便宜ですが。そして、生きているからには、たいてい4割くらいは自分が好きなのです。
そうすると、6割を人に負わなければなりません。
6割を男性が負うには、自分を犠牲にしなければなりません。
自分を犠牲にするのは、身体目当ての男か、自分をまだ確立していない男です。
依存性の高い女性が、自分のある男とつきあえば、自分が思うほどかまってもらえないので「冷たい」とうらむことになるでしょう。
精神的に自立した男女が惹かれ合うことのほうが、依存し合うよりずっと品があって、質の高い喜びがあるのです。
日本には「割れ鍋に綴じ蓋」という言葉もあり、そんなに完璧に自立した者同士を考えるのは難しいかもしれません。
それでも、まず8割くらいは自分のことを愛せることは大切なことです。
それをせずに外に愛を求めても失敗します。
どうしたら自分を愛せますか? という質問も当然でてくると思います。
それについては次回書きましょう。
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2015-03-26T11:38:31+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
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http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=257
ブログタイトル「自然の道」にしました
本当はもっと早くすべきだったんですけど。
旧題「心が大事」は、いわば心理の領域について言語化する「運動」だったのです。
しかし、心と身体の境目は世の中で思われているほどはっきりしたものではなくて、分けて考えるのは不健全であるという考えに至りました。
...
旧題「心が大事」は、いわば心理の領域について言語化する「運動」だったのです。
しかし、心と身体の境目は世の中で思われているほどはっきりしたものではなくて、分けて考えるのは不健全であるという考えに至りました。
身体について考えると、今度は身体と宇宙もつながっています。
そういうことの探求の全体を「自然の道」と呼ぶことにしたのです。
したがって、この「自然」の中にはアウトドア志向はほとんどありません(笑)。
あえて同語反復的なサブタイトルをつけてみました。
自然というより、ナチュラルと言ったほうが、たぶん素直に受け取られやすいのは不思議です。
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2015-03-17T09:50:56+09:00
村松恒平
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http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=256
愛のワークショップ報告
愛のワークショップ報告
3月14日開催の『愛のワークショップ』、とてもいい感じでした。
レクチャーはかなり概念的で深かったのですが、全体にまろやかで、温泉に入ったような温かい愛のエネルギーが流れました。
……というのは、主催者の自己評価ですが(笑)、...
3月14日開催の『愛のワークショップ』、とてもいい感じでした。
レクチャーはかなり概念的で深かったのですが、全体にまろやかで、温泉に入ったような温かい愛のエネルギーが流れました。
……というのは、主催者の自己評価ですが(笑)、参加者にも同様に感じてもらえたと思います。
女性の力はつながることで強くなる、と感じました。
その他、新しいヒント、アイデアなども浮かんだので、機が熟したら第2回を企画したいと思います。
今回も参加者数は多くなかったので、苦しいのですが、少人数でもつないでいきたい企画です。
4月の話。
4月18日14時から2時間、『自然の道 * 内臓ダンスとシンクローム』を行います。参加費は5,000円。懇親会つきです。
今回は内臓ダンスとシンクロームに絞って、濃いめにやります。
とくにシンクロームは、一回で実践できるようになるので、たいへん有用なものだと思います。
こんなに簡単に教えていいのか、とときどき自問します…(笑)。
体験者の方も繰り返し共有することで理解が深まり、施術が安定して他の人にもしてあげられるようになりますので、ぜひご参加ください。
初めての方は、自分や家族のちょっとした身体の不調に対応できるようになって、本当にお得だと思います。
内臓ダンスは、CD(12曲入り2,000円)も完成し、ファンが激増中であります。
**
そして、『言葉のクロッキー』いよいよ2015年度版が4月から始まります。
ピカピカの一年生! 一年に一回の始まりです。
今回は課題を10年ぶり(くらい)に3問増設!
ますますハードな文章虎の穴になりました。
どんなのかはこれがわかりやすいです。
参加者のブログ/『言葉のクロッキー』とは?
http://hirotograph.com/2015/03/13/kotobano_croquis2014/
『言葉のクロッキー』申し込みサイト
http://croquis.hiden.jp
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2015-03-16T17:50:00+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
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http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=255
「愛のワークショップ」は何をするのでしょう?
「愛のワークショップ」いよいよ今度の土曜です。
みなさん様子を見ていますか?
人数今のところかなり少なめです。
あなたが埋没してしまう恐れはありません。
でも目立ちすぎることもありません。
みなさん、このプログラムは初めてですから、なんだかわからない...
みなさん様子を見ていますか?
人数今のところかなり少なめです。
あなたが埋没してしまう恐れはありません。
でも目立ちすぎることもありません。
みなさん、このプログラムは初めてですから、なんだかわからないのは同じです。
僕も初めてだし!
自分だけ様子がわからないと思う必要はありません。
予備知識や準備も要りません。
どんなワークショップでしょう?
ここに長い文章を書いていますが、レクチャーはちょっとだけで、7,8割はワークショップになると思います。
たぶん、心のいろいろなところを刺激されているうちに、あっという間に時間が経ってしまうでしょう。
いっしょにゲームをしたあとは、ビールやワインで愛について語り合いましょう。
たぶん懇親会になる頃にはみんな仲良くなっています。
3月14日14時開始!
今すぐ「愛のWS参加」と書いて
entry@hiden.jp
にメールしましょう。
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2015-03-10T17:38:14+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
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http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=254
【男は「生理のない女」である】
【男は「生理のない女」である】
僕は女性にもっと自信を持ってもらいたいし、女性同士がもっと力強く賢く暖かくつながってほしいと思っています。
それは僕の願望というより、そうあることが自然で健康であると感じるからです。
孤立して相談できる相手がいなか...
僕は女性にもっと自信を持ってもらいたいし、女性同士がもっと力強く賢く暖かくつながってほしいと思っています。
それは僕の願望というより、そうあることが自然で健康であると感じるからです。
孤立して相談できる相手がいなかったり、孤独になりたくないがゆえに派閥を作ったりするのは本当にもったいない。
女子会が流行っていますが、仲のいい女性同士が本当にリラックスして盛り上がっている姿はとてもよい熱気を感じるのです。
女性と男性は、対立しているのではなく、補いあっています。
女性が元気になれば、男性が引っ込むということはなくて、両方がより高め合うことができます。
哲学者のボーボワールは、「人は女に生まれない、女になるのだ」という有名な書き出しで始まる『第二の性』を書きました。
つまり、自分の本性を生きているのではなく、文化的な抑圧によって女としての生き方を強いられている、というのです。
フェミニズムの先駆ともいうべき作品です。
ボーボワールは、サルトルのパートナー、恋人でしたが、結婚せず、それぞれにまた別の恋人を作ったりする生き方でも先駆的でした。
『第二の性』は、つまり第一の性は男性である。女は第二の性に貶められている、という意味を含みます。
イブはアダムの肋骨から作られたとかですね。
僕は高校生のときに年長のいとこの影響で背伸びして読んだので、途中までで放り出してしまったし、覚えていないことが多いのですが印象には強く残っています。
ボーボワールは古今の文献の中で女がどう語られているかを執拗に検証していきます。
その手法があまりにまわりくどくて、なかなか「こうだ」と断言しないので、若くせっかちな僕はいやになったのだと思います。
しかし、その中で印象に残っているのは、「女は去勢された男だ」という言い回しです。
ちんちんを切られた、あるいは持っていない男、女はそのように扱われていると書いてありました(僕の記憶の中では)。
ボーボワールはあるいはちんちんがほしかったかもしれません。
最近の僕の目から見ると、そんなことが想像されます。
そう思っている女性もいるはずです。
直接聞いたことは一度しかありませんが。
しかし、男性だって女性器(ろくでなし子さんの登場に関わらずその名称は書きにくい)がほしい人はたくさんいます。
いわば対象形なのです。
凸と凹どっちが本質的で優れているかなんてこと考えても仕方ないですね。ボリューム的には字でも凹のほうがむしろありそうです。
女性にはおっぱいやお尻がありますからね。
僕が最近考えているのは、むしろ、男が「生理のない女」だということなのです。
女性は月に一度、生理を体験します。
これによって、毎月自分の身体の内なる営みを確認しているのです。
毎月一度、身体、生命、地上的、具体的なものに引き戻されるのです。
男はそれがないから、ふわふわと夢の世界、観念の世界をさまよいがちなのです。
歯止めがないから、原発を作ったり、戦争をしたりするのです。
原発が深刻な事故を起こしたのに、「原発を止めれば経済が止まる。だから原発は推進する」というのは典型的男の論理です。
子どもたちの命がなくなったら人類は滅びて経済はありません。
しかし、経済がなくなっても生命はあります。
自然の恵みを採集して食べるのは経済ではありません。
もともと金の動きは生命に必須ではないのです。
社会が経済が回らないといけないように発展してきたので、実情はもちろんあらゆる人に経済、お金が必要です。
しかし、少しずつ経済に大きく依存しないで生きようとする人々が出て来ています。
現代社会のあり方は、屋上屋を重ねるという言葉通り、どんどん制度、システム、法律を上塗りしていくだけです。
よくないとわかった組織、制度を反省し、壊して別のデザインに変えるということができないのです。
何十年も前に計画されたダムや、高速増殖炉の「もんじゅ」、リニア新幹線など、素朴に感じることができれば、バカバカしく有害であるとすぐにわかることも止めることができません。
そういう社会を止めることができるとすれば、女性の力であろうと僕は思っています。
男社会は「原子力ムラ」というように全部が連動していますから、強大です。しかし、逆に一つを止めれば全部に波及します。
そういう機運は高まっていますが、具体的に方法、出口は見つかっていません。
僕はその糸口は女性の力だと思っています。
男にはあまり期待できません。
そして、女性の力を社会につないでいくものは愛だと思って、ワークショップを始めるのです。
だからといって、これは社会運動でもないし、フェミニズムでも政治でもありません。
難しいかもしれないことを書きますが、それらのものは、「言葉の運動」になってしまうのです。
運動とは、エネルギーが動いた現れです。
つまり、本質は言葉以前のエネルギーや感覚なのです。
しかし、それを継続させよう、広げようとしたときに、言葉で定義や方針や説明をすることになります。
そうなったときに運動は早くも死にかかります。
言葉は、固定し限定するためのもので、運動ではないのです。
愛はそのようなものではありません。
つねに運動であり、エネルギー、感覚に留まります。
そして、個人をうるおし、人とつながります。
そのような愛が海のように世の中に広がったときに、世の中は動き始めます。
でも、まず一人一人が愛の波動を生きなければなりません。
【生理はバージョンアップである】
生理が重い、つらい、という人はたいへん多いと聞きます。
なんかたいへんネガティブな、女に生まれたことの重荷、税金のように感じている人が多いのではないでしょうか。
でも、実際はそれは違います。
女性の身体は月に一度リセットされるのです。
更新、バージョンアップされます。
経血は使用済みの血です。
月に一度更新されることによって、女性の心身はつねに新鮮な状態を維持しているのです。
生理を悪者にして考えるのは、たいへん逆立ちした考えなのです。
生理が重い人は、どこかで我慢したり、無理をしたりして、生命のエネルギーのめぐりが悪くなっている人が多いのです。
人の身体にはいろいろ例外がありますが、これはおおよそ言えることです。
しかし、逆は真ならずで、生理が軽い人でも心にいろいろ重荷を抱えている人はいます。
女性の身体はそれだけタフなのです。
そして、生理は軽くなります。
僕のしているシンクロームという施術で結果的に軽くなった人は何人かいます。
鎮痛剤を飲まなくて済むようになった人がいます。
僕のしていること以外にも、方法はたくさんあると思います。
苦痛に耐えるのが当たり前と思い込まないでください。
毎月イヤなつらい思いをするだけでなく、女性としての生命が輝きだしているかどうかのバロメーターなので、真剣に考えてみてください。
女性の身体は月の周期と同調しています。
その波にうまく乗れば、女性は自然の力を味方につけることができます。
若さや美しさはそこから来るのです。
いつも自然で愛の力に満ちあふれている。
それが女性の本来の姿です。
*今回はとても大事なことを書きました。
共感された方はぜひシェアしてください。
納得いかない方はぜひコメントを。
そして、今週土曜はワークショップです!
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2015-03-09T15:01:18+09:00
村松恒平
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村松恒平
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http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=253
【女性から別れを告げるとき】
【女性から別れを告げるとき】
カマキリの雌は産卵のために用の済んだ雄を食い殺す、という話がありますね。
ホントかな、と思ってwikiをチェックしたのですが、そういう行為はあるようです。
ただ全てそうするわけではないし、日本産では少ないそうです。
雌...
【女性から別れを告げるとき】
カマキリの雌は産卵のために用の済んだ雄を食い殺す、という話がありますね。
ホントかな、と思ってwikiをチェックしたのですが、そういう行為はあるようです。
ただ全てそうするわけではないし、日本産では少ないそうです。
雌のほうが身体が大きくて強いのです。
共食いもよくあることと、あまり特別視しないように書いてあります。
でも、雄が雌を共食いの対象にすることはないとも書いてあります。
自分のDNAを遺していくには合理的なのです。
「極端な種においてはオスはメスに頭部を食べられた刺激で精子嚢をメスに送り込むものがある」というのは凄まじいですね。頭がなくなってもしばらく下半身は生きているようです。
生命というものはまことに面白い。生き延びるためにいろいろな形を取るのです。
DNA、利己的な遺伝子の説(知らない人はググってください)になんでも還元してしまうのは、面白くありませんが、例外はあるにしろ、やはりかなり当たっていると思います。
またそういう本能のシステムに素直に生きたほうが、より自然であろうと思います。
愛とは、そういう自然な生き方の中に流れているエネルギーです。
愛のエネルギーが血液のようにあなたには流れていると考えてください。
人間的な事情、しがらみや執着や思惑などは、血液をドロドロにして、血流を滞らせてしまうものだというのが僕の考えなのです。
メロドラマというのは、愛よりもそういうドロドロを描きます。
それをみんな愛と勘違いしてしまうのです。
愛はそういうドロドロではないし、だからといって、甘い甘いシロップのような夢の世界でもありません。
今回のワークショップは、愛をドロドロから救い出して、リアルでクリアなものにしていこうという主旨です。
カマキリの生殖のように愛は厳粛な側面があります。
前項で、「成長しない男とは別れてしまえ」という内容のことを書きました。
今回は「お前のせいで別れようとしたらたいへんなことになった」と言われないように別れの作法について書きます。
僕はフラれた経験はたくさんありますから、信用してくれて大丈夫です。
さて、別れについて最近いちばん怖いと思っていることがあります。
それは、携帯番号を変えたり、ネットやラインでアカウントを変えたり、何も言わずに連絡手段を断ってしまう、というやり方をする若い人がいるらしいということです。
こういうやり方は、その場はいちばん心理的に楽かもしれませんが、禍根を残します。
相手が暴力的なDV男とかでない限り、こういうやり方をしてはいけません。
なぜかというと、別れを告げられるほうは、「何で?」と思うからです。
疑問もあるし、言い分もある。
そういうモヤモヤを残していると、不満のエネルギーが溜まります。
それが相手をストーカー化させることがあります。
連絡を断って、相手から自分が見えなくなったと思っても調べる手段はたくさんあります。
相手が執着を持っている場合、何をしているかわかりません。
とくにSNSなどに何か書いている人は、行動が丸見えになってしまいます。
相手から自分を見えなくなるより、自分から相手が見えなくなることのほうが大きいのです。
一度は好きになった相手に対して非礼である、と言えます。
礼儀を知らない人に人は悪意を持ちますね。
わざわざ悪意を作り出すことになります。
また相手を好きになった自分に対しても、掌を返すのは失礼です。
そういうわけで、別れるときは一度は対面して話し合いましょう。
そのときに大切なことは、
1 なるべく相手を傷つけないようにする
2 本当のことを言う
の2つです。
1は、相手を傷つければ、傷つけ返そうとするからです。
相手からあなたを傷つけようとしてくるかもしれませんが、反撃してはいけません。
クールにしていましょう。
あなたの目的はきれいに別れることです。
相手が悪意のあることを言えば言うほど、つきあう値打ちがないということを証明してしまっているのですから、その言葉は宙に浮かせておけばいいのです。
2の本当のことをいうのは、嘘をつくと後が面倒臭いからです。バレたときの心配をしないといけません。それから相手のためにも本当のことを言ってあげたほうがいい。
相手の態度が原因であれば、それを指摘すれば彼にはそれを改めるチャンスがあります。
でも、「その欠点は直すから」と言われても本気にしてはいけません。
とにかく一度は別れることです。
彼が失恋のショックで成長すれば、何か月かしていい友達になれるかもしれません。
あるいは、本当に反省すれば、いずれ復縁もあるかもしれません。
嘘をつくのは、そういうチャンスを失ってしまうことです。
乱暴にしたことは、あとで必ず何倍も面倒な後片付けがめぐってきます。
別れ話をこじらせたことがある方は、思い当たることがあると思います。
僕の経験では、女性はこういうことは腹を決めるととても強いです。
自信を持ってできるはずです。
そんな冷静な話ができる彼ではない?
何をされるかわからない?
それはもう人を見る目がなかったのです。
次はもっとよい男とつきあおうと決めてがんばってください。
なお、この別れの作法は、男性から女性にはあまり妥当しないと思います。
男性から別れを告げるのによい方法は、僕は知りません……(笑)
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愛のワークショップ、楽しいはず!
何かためらいがある方は気軽に下記にお問い合わせください。
村松恒平
entry@hiden.jp
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2015-03-06T11:06:03+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
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http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=252
質問・感想受けつけます
愛についての一連の投稿について、また個人的な悩みについて、質問や感想を歓迎いたします。
コメント欄、あるいはentry@hiden.jpにお送りください。
メールの場合も、多くの人に参考にしていただくために、お返事はコメント欄または本文でさせていただきます。
ま...
コメント欄、あるいはentry@hiden.jpにお送りください。
メールの場合も、多くの人に参考にしていただくために、お返事はコメント欄または本文でさせていただきます。
また性質のよくない投稿とこちらが判断した場合は、無視または削除することがあります。
あしからず。
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2015-03-06T09:24:34+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
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http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=251
【成長しない男はまたぎ越せ!】
【成長しない男はまたぎ越せ!】
すてきな男性だと思っていたけれども、つきあってみたら急に色褪せた、女性ならそういう体験をすることがあるでしょう。
そんなとき、失敗した、と思ってはいけません。
だって、つきあってみるまではわからなかったんだから。
わ...
すてきな男性だと思っていたけれども、つきあってみたら急に色褪せた、女性ならそういう体験をすることがあるでしょう。
そんなとき、失敗した、と思ってはいけません。
だって、つきあってみるまではわからなかったんだから。
わかったことに本質があります。
わかったことによって、あなたは一皮剥けた、脱皮して成長したのです。
わかったら、その男のもとは去ることです。
「用が済んだ」のです。
その男性は、成長するためのある種の摩擦材であったと考えることです。
株のような投資では「見切り千両」と言われます。
自分の買った株が下がったときに損をしても小さな損のうちに手放せば、傷が少ないということです。
5〜10パーセントくらい下がったときに決断するのが最良です。
40〜50パーセントも下がったら、悔しくて、あるい取り返す算段が考えにくく、もう売れなくなります。
そういうのを塩漬け状態といいます。
男性の値打ちが暴落したときには、塩漬けにしてはいけません。
あなたの成長、生命、愛が塩漬けになってしまいます。
愛は成長や生命と結びついています。
欲望や執着と結びついたもの(ドラマではこういうものが愛めいたものとして描かれますが)は、堕落した形態です。
自分が成長することが大切で、ある意味で非情なものです。
甘いだけの恋は一面でしかありません。
恋愛には陶酔がありますが、その本質はかなり残酷なものではないかと思います。
ある人に恋をして、それが失われたときに、自分の生きている意味すらも失われたように感じることがあります。
まだ恋愛の麻酔がかかっているから、それに耐えられるのかもしれません。
たぶんすごく変わったホルモンがでて、心身は特殊な状態に置かれているのです。
そのときの陶酔感は至上のものですが、その対象が失われたときには禁断症状が出るのです。
それは一つの試練、イニシエーションです。
人はそれを越えて成長していかないといけない。
近頃の若い人でそこまでの深い感情体験としての恋愛をする人は少ないかもしれませんが、ある比率ではいるでしょう。
僕の長年の自他の観察によれば、このような恋愛の喪失のショックは最も重症な場合、癒えるまでに半年かかります。
なぜかみんな半年なのです。
人の細胞がすべて入れ替わるまで昔は6年かかると言われていたと思うのですが、近頃では半年でほとんどの細胞が入れ替わると言われているようです。
そういうことと関係あるかもしれません。
半年以上という人は、その状態に執着しているといえます。
和田誠さんに『お楽しみはこれからだ』という映画の名台詞を集めたイラスト入りの本がありました。
その中に失恋した男にバーテンダーが「だんな、海には魚がたくさんいますぜ」と言うのがありました。記憶なので正確な言葉ではありませんが、たいへん印象に残っています。
恋愛の主観性と客観性を短く言い切っていますね。
一人に執着しなくても、他にも女性はいますぜ、と言ったのです。
海には魚がたくさんいて、特別なお魚なんていないのです。
あるいはあんまりいない。
少しはいるかな……?
10年以上も前の好きだった人のことを「あれ以上の人はいない」と言っていた女性がいましたが、そんなことでは成長が止まってしまうのです。
長くて半年です。
できれば、3日くらいで切り替えてもいい。
相手に幻滅するのは、つきあい始めとは限りません。
ある人とつきあったとして、男性はあるレベルに留まっているのに、女性はどんどん成長してしまうということがあるのです。
もちろん逆もあるでしょう。
レベルといってもいろいろなレベルがありますね。経済もあれば知性もある。精神性やセンスもある。僕としては、その人の本質的なもの発露して生きるレベルを重視したいですが、まあ、他にもいろいろなレベルがあるわけです。
女性のほうが男性より収入がよくなったら、男性が非常に不機嫌になってうまくいかなくなったなんて話をよく聞きます。
収入で社会的に優越していると思っていたから男に余裕があった。
それが失われたときに、男の限界が急に見えてくることがあります。
つまり、男は意識的、無意識的に主導権争いをしていて支配的な立場にあったのです。
それが崩れると立て直せない。
別に優位に立たなくても対等でいいと思うのですがね。
収入で負けたら卑屈になる、ということは、勝っているときはいばっていたわけです。
男と女の生活には他にもいろいろな面があります。
そんな一つのものさしなどで全ては測れない。
日本的な単純な言葉でいうと、「器が小さい」ということになります。
そういう器の小ささも含めて愛せるなら、あらかじめこっそり収入で勝たないようにしておくことです。
愛せないなら、あるいは自分の仕事が大事なら別れるしかない。
金銭的な例はわかりやすいから上げましたが、つきあい始めたときは、まだお互いに同じようなレベルで波長があっていたものが、数ヶ月、数年のうちに、どちらかが成長してしまう。あるいは潜在的な差が顕在化してくる、ということがあるものです。
そういうときに別の面でそれを補いあうものがあるかどうかということです。
収入が少なくても、やさしくて誠実であればそれでいいとか。
他人から見てどんなに理不尽に見えても、本人同士が納得していればいいのです。
本人同士が納得しているようにみえても、DVやヒモのような場合は同じではありません。
このような場合は、心理的に、あるいはホルモンの分泌的に強力なクセがついてしまっていて、本人の意志よりも支配的です。
簡単にいうと依存ということです。
これは周囲が忠告したり助けたほうがいいです。
ただやはり最後は本人の意志が発動しなければ、周りがやきもきしてもどうにもなりません。
期間が長いと手遅れになります。
宗教の洗脳か、一生治らない病気のようになってしまいます。
恋をしても自分の意志を保ち続けることです。
恋愛や結婚はゴールではなく、プロセスなのです。
「早く結婚を決めて楽になりたい」なんて思っていたらダメです。
結婚などは想像以上に修行の始まりに過ぎません。
女性がいつオバサンになるか、考えていたのですが、今わかりました!
「楽になりたい」人がどんどんオバサン化していくのです。
あれは、ある意味ではとても楽な存在形態なのです。
オバサンという存在に脱落せずに女であり続けるためには意志が必要です。
意志を保っていると、恋愛も結婚もよい張りを保って成熟していきます。
惰性に流れれば、そこにいろいろな澱(おり)が溜まってエネルギーが淀んでいきます。
そうすると成長が止まるのです。
理想はカップルが女性も男性もともに成長していくことです。
そのことについてはまた書きます(たぶん)。
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2015-03-05T21:44:00+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
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http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=250
結婚の4つの試練 違うサイトに上げました!
愛について、さらに深〜い原稿を書いたのですが、NGワードが入っているとかで、どうしてもここに上げられませんでした。
こちらで読んでください。
http://synchrome.asia/2015/03/04/1015/
NGワードが何かは明示されませんが、きっとアレでしょう。
伏せ字にして...
こちらで読んでください。
http://synchrome.asia/2015/03/04/1015/
NGワードが何かは明示されませんが、きっとアレでしょう。
伏せ字にしても言い換えてもダメでした。
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2015-03-04T18:05:27+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
-
http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=249
【女性のどんぐりのせいくらべは大粒から取られる】
【女性のどんぐりのせいくらべは大粒から取られる】
没個性化というのは、個性のとんがりを見せないということですから、日本社会の同調圧力に負けている、あるいは進んで同化していると言えます。
これは叩かれない、という防御的な反応としては一定の効果がありま...
没個性化というのは、個性のとんがりを見せないということですから、日本社会の同調圧力に負けている、あるいは進んで同化していると言えます。
これは叩かれない、という防御的な反応としては一定の効果がありますが、積極的に行動に出る自由性は次第に失っていきます。
日本にはそういう人はたくさんいますから、ある意味でどんぐりのせいくらべに参加することになります。
出ない杭は打たれない、一見安全策に見えるこの作戦が大きな墓穴を掘ることがあります。
だって、どんぐりせいくらべというのは、すごい競争ですよ。
男性から見れば、女性に個性がなければ、美人のほうがいい、若いほうがいい、料理が上手なほうがいい、やさしくて性格がいいほうがいい、というごく一般的な物差しで女性を測るようになるからです。
容姿は生まれつきのものが多いし、若さは一時期だけ。
料理はできる人はできるし、できない人はしない。
結婚準備のために料理教室に行くなど、例外的なケースでしょう。
性格のよさについては、自分の性格を変えられるなどと思っている女性はいないでしょう。
あるいは変えたいなんて思わないでしょう。
ただ人あたりはなんとか柔らかくしておきたい、と思うのがせいぜいでしょう。
努力しても仕方ないものか、努力するのがめちゃ面倒くさいものばかり。
非常に手も足も出にくい状況だから、一歩でも前に出るために、エステや新しい化粧品やら美容器具などでおまじないをかけるのでしょう。
そういう涙ぐましい倒錯的な努力にも関わらず、どんぐりのせいくらべは大粒から取られるのです。
大きい粒から拾われていって、小粒が残る。
小粒が残る頃には、男性もだいぶ小粒化しているわけで、「ロクな男がいない。こんなはずではなかった」と嘆くことになるのです。
つまり、目立たない、という作戦を取りながら、小さな差をつけようという姑息な手段はじつは想像以上にリスキーなのです。
しかし、その結果が出るまでに時間がかかる。その間に若さを浪費してしまう。
そういう価値観では、若さには価値があるわけですから、3年前、5年前よりも自分の値打ちは落ちたと考えることになります。
実際は年齢は関係ありません。何歳でもすてきな人はすてきです。
でも、若さに価値を感じて、それを自分は失ったと考えている人はそこに引け目が入り込んでしまう。
実際の年齢よりも、この引け目のほうが働くのです。
そんなことにならないためには、普通はこうだ、平均値はこうだ、相場はこうだ、という物差しで自分を測らないことです。
比較があるところに愛はないのです。
では、個性化したらモテるのか、どうしたら個性化できるのか。
というように疑問が膨らむわけですが、これは生き方全体に関わること。
一口に答えるわけにはいきません。
次回に続きます。
*3月14日、愛のワークショップの詳細はこちら http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=244
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2015-03-02T21:29:50+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
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http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=248
【恋愛において没個性化戦略は苦戦する】
【恋愛において没個性化戦略は苦戦する】
最近のブログ記事には、
「男性がいやがるあなたの7つのクセ」とか、「誰にでも好感をもたれる8つの言い方」とか、そういう記事多いですね。
思わず読んでしまうけれども、内容はあまりないよう。
こういうのを真に受けて...
最近のブログ記事には、
「男性がいやがるあなたの7つのクセ」とか、「誰にでも好感をもたれる8つの言い方」とか、そういう記事多いですね。
思わず読んでしまうけれども、内容はあまりないよう。
こういうのを真に受けてはいけません。
誰かが嫌がるのではないか、好かれないのではないか、こうしたら好かれるのではないか、そういう視点を中途半端に持つのはよくありません。
残念ながら好かれる人は自然にしていても好かれるのです。
自然にしていては好かれない人が、「こうしたら好かれる」という記事を読んでそれを表層的に実行しても不自然に見えるのです。
したがって、こういう記事は自然に好かれる人にも、自然にしていては好かれない人にも役に立ちません。
こういう記事をたくさん読んでも好かれる人にはなりません。
本当に所作を美しくしようと思ったら、茶道でも華道でも着物の着付けでも、日本古来のものを習えばいいと思います。
伝統的なものには、こうするんです、と決まったことがたくさんある。
最初は言われた通りにするしかない。
やっているうちにその意味がわかってくる。
そういうものには深〜い栄養があります。
「7つのクセ」的なものを愛読する人は、そういう面倒なことはしたくない。
文化の美しさとかもわかんない。
だから、ただですぐに読めるブログで間に合わせる。
そういうニュアンスしか感じないのです。
そもそも、こうしたら好感を持たれるのではないか、と考えていくと没個性化するのです。
なにしろ、万人に好かれようとする努力するわけですから、角が丸くなってくる。
この没個性化戦略は、有利でない、ということを書こうと思います。
面白いから戦略といってみますが、要するにいちばん安易に流れるとこうなるわけで、何も考えていない人はこの作戦をとるわけです。
僕は編集者をしていたので、売れる小説について考えたときに、このことに気づいたのです。
誰にでも70点で評価される小説と、8人まで0点の評価でも、2人が100点の評価をする小説。
人が小説を買うときはシビアなもので、自分にとって85点以上でなければ買わないとする。
そうすると、前者は一冊も売れない。
後者は2冊売れる。
平均点でいうと、前者は70点。後者は20点。でも結果は後者がいい。
人が交際相手を選ぶとなると、小説を選ぶよりシビアですから、理想的には90点以上取ったほうがいい。
だから平均点にとらわれ、嫌われることを恐れている場合ではないのです。
もちろん、言葉遣いが美しくないとか、がさつなことを直さなくていい、ということではないのです。
欠点は「和らげ」ながら、でも長所をのびのび発揮できるようにしないといけません。
没個性化のこと、違う観点で続きます。
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2015-02-28T22:12:48+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
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http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=247
【セックスはマネジメント】
【セックスはマネジメント】
前回書いた広くつきあおうというおつきあいには、必ずしもセックスも恋愛も含みません。
セックスの話は愛を考えるとき避けて通れません。
しかし、セックスが絡むと話がややこしくなるので、ガツンとまとめて書いておきます。
現代...
【セックスはマネジメント】
前回書いた広くつきあおうというおつきあいには、必ずしもセックスも恋愛も含みません。
セックスの話は愛を考えるとき避けて通れません。
しかし、セックスが絡むと話がややこしくなるので、ガツンとまとめて書いておきます。
現代では、セックスは単なる欲望でも、本能でもありません。
それは多大なマネジメントを必要とする「何か」です。
マネジメントとは、お金に変えるという意味ではなくて、自分の目的や方向性によって管理・制御しなければならないもの、という意味です。
たとえば、女性が多くの男性とセックスしようとすれば、避妊に気をつけなければなりません。
また男性同士の嫉妬もうまくかわさなければなりません。
つきあった男性をストーカー化させるのなどはもっての他です。
たいていの場合、世間の評判も気にすることになるでしょう。
これらをうまくやるのは、高度なマネジメントが必要でしょう。
それと対極には、セックスは男性を結婚につり上げるための餌と考えている「安売りしない派」がいます。
こういうことを書くとどうしても通俗的になりますが、ここでは一つの類型として取り上げます。
というのは、欲望に基づく人の行動はとても類型的で、さほどオリジナリティはないのです。
「安売りしない派」は、自分の若さ、美貌、魅力といったものは、売り時があり、時期が過ぎれば衰えてしまうと考えています。
だから、株でいうと、いちばん「高値で手放す」ことを狙っています。
高値で手放す、ということは、結婚相手に値打ちがある、ということです。
それは心がきれい、とか、やさしいとか、そういうことではなく、収入が多い、お金持ち、かっこいい、背が高い、学歴が高い、という人と比べて自慢できる価値になっていきます。
そういう外面的、物質的なことにこそ客観性があると考えています。
これはマネジメントそのものです。
これは愛にまつわることでも、恋愛にまつわることでもなく、セックスにまつわることです。
この愛についてのシリーズで、最初に愛はリラックスを前提にする、と書きましたが、これは全くリラックスしません。
まるでビジネスです。
アンディ・ウォーホルは「セックスはビジネスだ」と言いました。
この彼らしい言葉の真意も、言われた文脈も知りませんが、言い得て妙。
まさにこういう姿勢にはビジネスという側面があります。
また恋愛でもない、というのは、こういうパートナーの探し方には、「比較する」という行為がつきまとうからです。
パートナーとしては、年収300万円よりは、600万円のほうがいい。600万円よりは1,000万円のほうがいい、ということになります。
恋愛は、このように比較するものではなく、オンリーワンのものです。
そういうものを愛というひとくくりの箱に入れているから話がややこしくなります。
前者のフリーセックス派と安売りしない派、多くの女性はこの両方の要素を持っているでしょう。
この両極の中間あたりで、揺れている人もいるのではないでしょうか。
もちろん全く違うところに力点がある人もいると思います。
ただどちらにしても、セックスにはマネジメントが必要だということです。
恋愛を純粋なものと考えていると、このマネジメントをなりゆき任せにしてしまうこともあるかと思います。
愛は純粋でいいけれども、セックスには知恵やマネジメントが必要、それがこの項で言いたいことです。
そして、愛とセックスはレイヤーが違う。
それをいっしょに考えると、混乱してしまうでしょう。
【恋愛、結婚、セックスは全く別のもの】
僕がほとんど初めて編集者らしきことでギャラをもらったのは、人類学者の西江雅之さんのインタビューのテープ起こしでした。
その中で、彼は「人類全体を見渡すと、恋愛とセックスと結婚は、必ずしも結びついていない」と言っていたのが今日まで印象に残っています。
アフリカのある部族では、ごく年少のときに集団的に最初のセックスを済ませてしまう風習か儀式があり、それは恋愛とも結婚とも関係ない、ということでした。
そもそも人類の半数は一夫一婦制でない、ということも言っていました。
これは、ずいぶん前の話ですが、イスラムもヒンズーも一夫一婦制ではないですからね。
今日でもそうかもしれません。
僕らは日本以外では、主にアメリカやヨーロッパの映画を観て世界観を作っていますから、どうしてもキリスト教下の一夫一婦制のもとで恋愛や結婚をイメージします。
しかし、それは人が作ったルールに過ぎません。
人が作ったルールである、ということは、空間や時間がズレると違うということです。
国や民族、宗教によって違うだけではなく、時代によっても違います。
先日、バリ島で僕が聞いた話で印象的な話があります。
バリの空港の送り迎えなどしてくれるドライバーの友人がいますが、彼が言うには、「一時期、一人でバリに来る女性とは100パーセント、セックスできた」というのです。彼のほうから強引に誘うようなことはなく、向こうから食事などに誘ってきたというのです。
ところが2000年を境に「5パーセントくらい」に激減したというのです。
まあ、男としてちょっとくやしい話ですが、それは置いときまして、時代の変化が、気分、行動、モラルなどの大きな変化を生むという一つの例だと思います。
バブルの崩壊は、もう1990年頃だったようですが、まだ回復に希望を持っていたり、すみずみにまで波及していなかった。
しかし、2,000年くらいには、女性の気分もたいへんな低成長型にチェンジしていったということでしょうか。
ここで言いたいことは、恋愛、結婚、セックスについて何も当たり前のことはない、ということです。
ただ時間と空間の文化的要素が支配しているということです。
それからだんだん自由になりましょう。
自由になるというのは、何も反発したり、攻撃的になる必要はありません。
日本の今の時代の雰囲気に適応してうまく行っているのなら、それでいいのです。
ただ当たり前とされていることで、自分の感覚にそぐわないものがあったら、それを広い視点から本当に必要か考えることです。
何かを我慢しているということは、それだけで愛を阻害しますから、自分の感覚で納得いかないことにはとことん対処することです。
小さな違和感でも放置しておくと、やがて大きな悩みやトラブルになります。
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ワークショップ
2015-02-27T23:20:00+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
-
http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=246
愛の3【女性はたくさんの男性とつきあったほうがいい】
具体的な愛の話の第一は、「女性はたくさんの男性とつきあったほうがいい」ということです。
つきあうといっても、飲み友だち、映画やコンサートを観に行く友だちなどもあります。
必ずしも恋愛やセックスと結びつける必要はありません。
これはとりわけ新しい説で...
つきあうといっても、飲み友だち、映画やコンサートを観に行く友だちなどもあります。
必ずしも恋愛やセックスと結びつける必要はありません。
これはとりわけ新しい説ではありません。先行していろいろな人が言っています。
ただ現実に一人の男性にとらわれている女性が多いので、僕なりに書く意味があるでしょう。
たとえば、ラーメン屋を開くときに日本中のラーメンを食べ歩く、という人がいます。「いちばんおいしいラーメンは何か」を追求するためです。
このラーメンを男性にあてはめると、「自分にとっていちばんいい男はどんな男か」ということになります。
もし、おいしくないラーメンしか知らないでラーメン屋を開業すれば、「井の中の蛙」で、あとでたいへん後悔するかもしれません。
しかし、数を知っていればいいというものでもありません。
日本全国を旅しなくても、健康な感覚があれば、おいしいラーメンは作れます。作るラーメンの味が食べたラーメン屋の数に比例するのではないことは言うまでもありません。
いわば直感的で勘のいい人は、一を聞いて十を知るということがあるのです。
しかし、一を聞いてせいぜい一か二しか知ることができない人は、ある程度経験を積んだほうがいい。
一を聞いても0,5くらいしか知ることができない人は、経験を積むほど屈折した考えになってしまうかもしれません。
まあ、つまり一般、「普通」の圏内の人は、ある程度のおつきあいは経験したほうが賢くなる、と言えるのです。
ですから、恋愛という枠組みではなくても、気楽にいろいろ接点を増やすようにすると、いいですね。
その点、音楽や美術などの芸術や、さまざまな趣味、なんとかソムリエとか、自分の興味のあるものに対しては腰が軽いほうがいいです。
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2015-02-27T10:23:00+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
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http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=245
愛のワークショップはなぜ女性専用なのか?
愛について考えることは、たいへん面白いものですが、きっとみなさんはあまり概念には興味ないと思うのです。
抽象的な概念も、どのように愛すべきか、愛されるべきかに根底的に考えるには大切です。
筋のよい考え方や判断ができるようになって、トラブルが減るのですが...
抽象的な概念も、どのように愛すべきか、愛されるべきかに根底的に考えるには大切です。
筋のよい考え方や判断ができるようになって、トラブルが減るのですが、それが実践につながるまで待てない、すぐに役立つ情報がほしい、という人が多いと思います。
今回は僕としては珍しく、極めて具体的な話から書き始めましょう。
それから、3月の「愛のワークショップ」が女性向けであるために、女性を中心に書くことをお断りしなければいけません。
しかし、男性にも全く同じことが言える部分も多く、また女性独特の部分も男性にもいわば「敵情視察」的に面白く読めるのではと思います。
さらに女性専用については二つのことを断り書きする必要があるでしょう。
【なぜ女性専用?】
一つは「なぜ女性専用セミナーなのか」です。
これは女性参加者に自分を解放してリラックスしてもらうためです。
いま、女子会が流行っていますが、これは女性にとってたいへんな開放感であると思います。男性が混じるとさまざまな配慮から、また男性はノリが違うために、女性たちが充分に自分を解放できない面があるのです。
女性は何かを演じなければならなくなり、ふだんと同じになってしまいます。
ですから混合ではないのです。
その二は、なんで僕が男なのにそれを主宰するのか、女の仲間に混じるのか、という当然派生するであろう質問に答えましょう。
かなり個人的な話になりますが、僕は週に一度陶芸教室に通っています。この日は、教室でご飯とお汁を作っておかず持ち寄りでご飯を食べる日なのです。
僕も余裕があるときには、何か一品作って、そうでないときは買って参加します。なにしろ、野菜料理を中心にたいてい十以上も料理が並びます。食いしん坊としては参加しないわけにはいきません。
この昼食会のメンバーが、先生も含めて五、六人くらい全員女性なのです。
僕の子どもの頃には「女の仲間に男が一人♪」という囃し言葉がありました。
まさにそういう状況です。
これは貴重な体験です。
最初はおとなしく肩身狭くしていました。
でも、だんだん慣れますね。
そんなことを何年もやっていますので、女性の話を黙って聞いていることもできるし、流れに合わせて話に参加することもできるようになったのです。
今は普通に料理の話や世間話に参加しています。
さて、次は本論に入りましょう。
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2015-02-26T16:58:08+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
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http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=244
3/14土曜日 愛のワークショップ(女性専用)
[愛のワークショップ]女性専用 3月14日
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
彼氏がいない。恋人、夫とうまくいかない。家族に不和がある……などなど、
女性の愛の悩みは尽きません。
このワークショップは、愛し愛されやすい、愛らしい女性のあり方に...
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
彼氏がいない。恋人、夫とうまくいかない。家族に不和がある……などなど、
女性の愛の悩みは尽きません。
このワークショップは、愛し愛されやすい、愛らしい女性のあり方に向うもの
です。
いわば愛情体質を作り出します。
愛という言葉はいろいろな使われ方があり、混乱しています。
この講座は単なる恋愛成就の方法論を提供するものではありません。
愛の促成栽培ではなく、もう少し深く畑を耕して大きな実を収穫します。
愛とはどういう状態でしょうか?
それは緊張がない状態です。
今までの恋愛講座は、「こうすると好かれますよ」、「こうすると嫌われます
よ」と言います。
そうすると、好かれるようにふるまわないと、嫌われることをしてはいけない、とたいへん緊張するのです。
ただでさえ、対人緊張が高い人が多い世の中で、より緊張する要素をインプッ
トすれば、好きな人といるほど態度が硬く不自由になってしまいます。
このワークショップはそういう心身の反応を解きほぐすところから始まります。
人といて、リラックス。
たとえば、なんでも話せる友だちといるときに、あなたはリラックスして生き生きとしています。
生き生きとした表情は魅力的です。
そういう状態を他の人といるときにも作り出しましょう。
新しい友だちを作りましょう。
結婚していても、夫婦の間で緊張している人がいます。
「そんなことは信じられない」、という人と、「うちはそうだ!! 」という人
がいるでしょう。
そんなケースで考えればわかるように緊張はエネルギーの浪費なのです。
生きる喜びはその分、少なくなります。
緊張を解くための講座か、というと、それだけではありません。
あれこれもっと奥行きがあります。
リラックスを前提に、人と仲よくなるためのコミュニケーションを考え、実践していきます。
また具体的なケースも考察していきます。
論より証拠、ぜひご参加ください。
この講座は第一回です。みんな初めての方ばかり、すぐに打ち解けられます。
そこで、「どんな人が来るだろう?」と緊張や警戒をしすぎる方。
肩に力が入っていませんか?
肩に力が入ると自由に動けません。
10代から60代以上まで、恋人や旦那がいる方、いない方、
「私は場違いではなかろうか」という緊張も解いて、ぜひ軽い好奇心で参加してください。
愛に差別はありません。
ただし、女性に思い切り自己解放してもらうために男子禁制にしました。
どんなことになるのか、とても楽しみです。
参加費3,000円。懇親会費を含みます。
ただし、事前に、あるいは当日、メール会員になっていただきます。
会員外は4,000円です。
WSは2時間程度。
そのあと、ワイン、ビール、お茶で懇親会。
持ち込み歓迎。
お申し込みは、entry@hiden.jpまで。
『愛のWS参加』というタイトルでお送りください。
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ワークショップ
2015-02-22T21:30:00+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
-
http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=243
第一回「自然の道」ワークショップ概要
「自然の道」だけだと、わからないと思いますので、内容を公開します。
全部オリジナルなので、公開してもわからないかもしれません(笑)。
1 30ドル 直観と短い文の表現のゲーム
2 マンダラ 美術的感覚と創造のゲーム
3 内臓ダンス 新しい内観芸術
4...
全部オリジナルなので、公開してもわからないかもしれません(笑)。
1 30ドル 直観と短い文の表現のゲーム
2 マンダラ 美術的感覚と創造のゲーム
3 内臓ダンス 新しい内観芸術
4 シンクローム手ほどき 現代の象徴的秘術公開
今回は、一つ一つ独立したワークショップにできるものを、幕の内弁当的にぎゅう詰めです。
全体に人がふだん使わずに眠らせている能力、感覚を喚起します。
難しいことはありません。
二時間あっという間だと思います。
これがどのように一つの「道」に通じるか、ということは、折に触れて少しずつお話します。
老子の「道」と同じで、
道の道とすべきは、常の道にあらず
名の名とすべきは、常の名にあらず
雑巾を縫うときと同じです。
針が表と裏交互に移動する。
実際のワークをして、少し言葉で理解をする。
そのようにして前に進みます。
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2015-02-12T19:28:00+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
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http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=242
『自然の道』村松恒平の新ワークショップ始動!
ここでいう『自然の道』は、
「その人の本来のあり方を最高に表現する道」
です。
自然といってもアウトドアライフを満喫するということではないです。
人の魂と身体の中に最高の自然があります。
その自然の力、感覚を活かして生きていく道(理念)と術(方法...
ここでいう『自然の道』は、
「その人の本来のあり方を最高に表現する道」
です。
自然といってもアウトドアライフを満喫するということではないです。
人の魂と身体の中に最高の自然があります。
その自然の力、感覚を活かして生きていく道(理念)と術(方法)があるのです。
20世紀後半から今に至るまでの時代の変化は激しく、昨日までの常識は今日の非常識になり、非常識は常識になります。
時代は日々荒々しくなり、複雑になっていきます。
我々は何を基準に物を考え、生きていけばいいでしょうか?
その基準が自然です。
自然に生きる、ということに反対の人はいないでしょう。
「いや、自分は不自然に生きたい!」という人は、ひねくれ者です。
自然に生きるなんてできるのか?
という反問は当然あるでしょう。
人に自然という基準はありうるのか?
と問いたくなるかもしれません。
それに具体的に答えるのがこのワークショップです。
:
自然とは何でしょう。
ゲーテは「自然は開かれた秘密である」と言っています。
人の中にこの自然の秘密がたくさん詰まっています。
その秘密をノックし、花開かせてみませんか。
次のようなオリジナルメニューがあります。
謎のメニュー。
しかし、難しかったり、緊張を強いたりするものはありません。
メニューも自然だからです!!
身体、健康の自衛 シンクローム
内観法、瞑想、イマジネーションの訓練 内臓ダンス
哲学・理念 道話 トーク・セッション
芸術感覚の育成 マンダラ(アート・ゲーム)
コミニュケーション・直観 30ドル(アート・ゲーム)
他、いろいろ。
一つ一つ体験すると驚くような感覚があると思います。
現代の日常生活では味わえないない純粋な時間と感覚を体験できます。
毎回、これらのメニューを組み合わせ、ときには新しいことをするかもしれません。
日常とかけはなれた濃密な時間を体験しましょう。
お楽しみに。
・・・・・
2015年2月14日14:00 - 16:00
豊島区目白3-2-9-3階 子どもの文化研究所ホール
終了後、同場所にて懇親会。軽い飲み物、つまみがでます。
つまみ持ち込み歓迎。
参加費は4,000円。
これはメール会員価格で、事前、あるいはその場でなっていただけます。
メールが来るのがイヤな人は、通常価格5,000円。
(メールはイベント告知や、ちょっと書いたことなど送ります。そんなにすごい頻度でメールしません)
お申し込みは、entry@hiden.jpまで。
お名前と住所の都道府県、『自然の道ws参加』というタイトルでお送りください。
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2015-01-26T10:35:00+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
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http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=241
7/12 7/13 連続ワークショップ@大阪のお知らせ
久しぶりにセミナー、WSやります。
むずかしいことや、コワいことは何もありません。
面白いことや役に立つこと、視野が開けるようなことはたくさんあります。
今回のテーマは、「見えない力とつきあう、遊ぶ、制御する」です。
見えない世界を感じる人はたく...
久しぶりにセミナー、WSやります。
むずかしいことや、コワいことは何もありません。
面白いことや役に立つこと、視野が開けるようなことはたくさんあります。
今回のテーマは、「見えない力とつきあう、遊ぶ、制御する」です。
見えない世界を感じる人はたくさんいますが、それは特別な人ではないのです。誰でもじつはいろいろな宇宙と接点を持っているのです。
ただそれとつきあう方法を知らないだけです。
今回、それをいろいろな形で遊んでみます。
12日は本当にいろいろな角度から、見えない世界をいじってみましょう。
13日は、シンクロームという技法です。これは「30世紀へのおまじない」と呼んでいます。身体を元気にする、その場で感じ、その場で覚えられるおまじないです。
だまさないですから、だまされたと思って来てください(笑)。
なお、両日とも、WSの前に楽しいイベントがセットされていますが、それは煩雑になるので、省きます。
お時間が許す方はそちらにもぜひご参加ください。
【その詳細は、世話人の浜田えみなさんのブログをチェックしてください
http://emina21.blog9.fc2.com/blog-entry-663.html】
第一次〆切はもう過ぎていますが、まだしばらくは滑り込めるようになっています(6/28日現在)。お早めにお申し込みください。
◆「表現の会&内臓ダンス」◆7月12日(土)
14:15〜16:50(14:00〜受付)
場 所 くるみハウス →大阪府 枚方公園駅近く
http://npo-kurumi.net/access/
定員 10名
受講料 5000円
持ち物等 筆記用具・ 動きやすく、横になれる服装
備 考 終了後、17:30〜懇親会(枚方市周辺)
経費及び受講料は事前振込とし(参加者にご連絡します)、送金後は、いかなる理由があっても返金されません。
14:00〜14:15に、直接、会場へお越しください。
◆懇親会◆
日 時 7月12日(土) 17:30〜
場 所 枚方市周辺(未定)
経 費 4000円程度(実費ご負担ください)
7月13日(日)開催
◆「シンクローム」◆7月13日(土)
14:20〜16:50(受付 14:00〜)
場所 SOHO BOX 北浜 フリースペース①
http://www.sohobox.jp/article/355963952.html
定員 20名
受講料 5000円
持ち物 筆記用具
受講料は事前振込とし(参加者にご連絡します)、送金後は、いかなる理由があっても返金されません。
直接、14:00〜14:20に会場へお越しください。
★12日、13日とも参加されるかたへの特典★
村松恒平氏 シンクローム体験セッション(遠隔)
2日間(朝晩の2回、計4回)
1年以内の好きなときに受けられます。詳細は、当日、村松先生にお尋ねください。
申込フォーム
PC・スマホ共用 →http://ws.formzu.net/fgen/S32049227/
携帯用 → http://ws.formzu.net/mfgen/S32049227/
申込期限 6月28日(土) 23時
振込期限 7月5日(土)
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2014-06-28T18:03:43+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
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http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=240
体罰は「問題」なのか?〜言語による世界の分節化について
最近、元学校の先生の話を聞くことがある。定年まで勤めた人たちだ。
先日聞いた話は、元教師同士(どちらも女性)が話し合う「刺されたり殺されたりしないことに精一杯だった」という恐ろしい話だった。
芯がしっかりした人たちだと思っていたが、そこまでハードな世...
先日聞いた話は、元教師同士(どちらも女性)が話し合う「刺されたり殺されたりしないことに精一杯だった」という恐ろしい話だった。
芯がしっかりした人たちだと思っていたが、そこまでハードな世界を生き抜いたとは想像していなかった。
ある割合で、そういう学校、地域もあり、教師は日々、暴力やその可能性に直面しているのだ。
僕の行っていた都立高校はわりと穏健であったと思うが、それでも、「オレ、卒業式には××(教師の名前呼びつけ)シメるからよ」とか「体育館裏に呼び出してバットでなぐってやる」とか不穏な発言をする者がいた。
実行はしなかったと思うが、教師の立場であったら聞くだけで冗談ではない。
体罰について考えるときは、こういう学校環境も照らし合わせないといけない。
「だからこそ体罰やむなし!! 」と声を大きくする人もいるかもしれないが、それでも僕は体罰はいけないと思う。
命の危険を感じていた二人の元教師も「だからといって体罰で何かを変えられるものではない」、という意見だった。
教師が命の危険を感じるという現実があって、体罰も肯定しない、という二つの離反しがちな方向を受け入れるとする。
では、どうする?
そこからが創造、思考、工夫の領域なのである。
教師の安全と体罰の否定、これを同時に実現せよ、と考えたときに、ようやく話は本質的領域に入る。
体罰に賛成、反対を言って、その根拠を持ってくることには何の矛盾もない。したがって創造の芽もない。ただ自分の既存の意見を強化しているだけだ。
これに対して、上記の二つを同時に考えて行くとどうなるか? 「体罰」の「問題」にとどまることなく、「教育」について人は考えざるを得なくなる。
体罰は教育の一部で起きる現象である。それは教育界のさまざまな要素とつながっている。
体罰を「問題意識化」することは、その部分だけを切り取ることだ。
医学でいうと、患部は切り取って捨てろ、という考えだ。橋下徹知事の発言などはそういう場当たりのイージーさに満ちている。
しかし、体罰は昔から何度も「問題」として浮上したが、何十年も解決していない。
だから、体罰だけを切り取ることなく、教育全体を見渡していかなくてはならない。
ところが教育を「問題化」すると、行政や官僚制度まで視野を広げることになる。
やがて国とは何か、まで考えないといけなくなる。
さらには世界規模でいま何が起きているのか、ということも視野に入ってくるだろう。
そうなると事態は容易に動かないとわかるから、人は絶望的になる。そして、体罰という「問題」の中で論じることに閉じこもる。
教育や国家を論じるには我々の議論の仕方はあまりに未熟である。
実のある議論は期待薄だし、議論できても結論はでない。結論が共有できても、それを実現する手段がない。実現する運動を始めても、拡大するにつれて、いつか所期の理念とは違うさまざまな原理が働きだし、あらぬほうへ行ってしまう……。
世の中の矛盾について考えるとき、我々はいつもそこで壁に突き当たって、またすごすごと個別の「問題」へと引き返してこなかっただろうか。
そこでどうするかが人によって分かれるところだろう。
僕は単純に最も可変的であるのは、我々の思考や意識であろうと思う。
だから、一人で考える。人の意見も聞き、議論もするが、それは相手を打ち負かすためではなく、結論を共有するためでもなく、思考を深めるためのものだ。
個別の「問題」には絶対に思考を分岐・分割しない。
つねに全体を考え続ける。
それは一見徒労のように思えるだろう。しかし、そのようにして練り上げたものだけが、いつか新しい世界が始まるときの設計図になるかもしれない。
今はそういう想いしかない。
その設計図は必要とされるときまでは現実のプロセスに関与しない。
亡くなった偉大な学者、井筒俊彦氏は、その著書『意識と本質』の中で「言語による世界の分節化」について語っている。
人は言語によって分節化された世界しか受け取ることができない、という所説である。
僕がいま感じているのは、分節化のあり方自体に、すでにこの世の中の仕組みを肯定保全する機能が濃厚に含まれていることだ。
言葉という考える道具自体がつねに既存の現実に吸収されてしまうクセのあるベクトルを持っている。
言葉数が多ければ多いほど、粗雑に使われるほど、既存の原理に回収されてしまう。
SBAで僕が始めたのは、分節化自体を変える運動だ。
変えると言ってもささやかにそのごく一部を揺さぶるほどのことだが。
とにかく揺さぶるのだ。
SBAでは、人の概念の分節化の仕方が二つの領域で違う。
意識/無意識の定義も違う。
そこでは、言葉はつねに体感と結びつけられる。
言葉は言葉以前のものに何度も濡れる。
言葉が乾いた言葉だけの原理で自己組織化されることがない。
あまり長く説明するのはやめよう。
言葉の分節化を変えるということは、世界の骨格をバラして再構成するほどのことだ。
それは世界を畸形化してしまうかもしれない。
99パーセントの人には、「問題が解決しないこと」よりずっと恐ろしいことであるかもしれない。
しかし、目の前の世界はどうか? すでに十分に壊れていないか。
1パーセントの人々は恐れずに進むべきだ。
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2013-01-17T09:41:00+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
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http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=239
僕の年賀状
みなさま明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
*
少し過去と少し未来の話を書きます。
2011年はひどい年でした。
僕は原発には物心ついて以来、反対でした。
3.11の事故後、これほどの過酷事故が起きても、原発推進は揺るがないの...
みなさま明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
*
少し過去と少し未来の話を書きます。
2011年はひどい年でした。
僕は原発には物心ついて以来、反対でした。
3.11の事故後、これほどの過酷事故が起きても、原発推進は揺るがないのか、と震撼しました。
当時テレビは毎日、事故の影響をあきらかに過小評価した報道を流し続けました。最初は事故ではなく事象と呼んでいたのです。
それ以上にマスコミや言論人の発言は僕を失望させました。事故直後、原発へのストレートな批判はほとんど見られませんでした。
それだけでなく、フライング気味であった『アエラ』に対しては激しいバッシングが起きました。
『アエラ』を擁護するものは誰もいませんでした。僕はその状況に対して、このブログに『不安であることの正しさについて』という一文を草し、それに続く一連の原稿で一冊の本を作りました。
http://www.amazon.co.jp/不安であることの正しさについて-村松恒平/dp/4905239044
それは日本へのお別れの歌だったのです。
僕は組織や集団に帰属するのが下手ですが、それでも日本社会にずいぶん同調していたのだと知りました。
僕と日本か癒着した部分の(精神の)皮膚がタダレ落ちていく時間が半年以上続きました。
言葉はその作業の潤滑油となり、癒してくれました。
今、思うとあれは産みの苦しみではなく、生れ落ちる苦しみであったのです。
実際は苦しみではなく、名付けようのない驚愕に全身で反応していたのです。
大量の胎盤とともに僕は生れ落ちました。
生れ落ちた場所の名は「自由」です。
まだ不十分な発育ながら、僕は日本という母胎から自由へと生れ落ちた子どもなのです。
2011年の10月に、SBAが生まれました。
これから一生、これをしていこうと決めました。
2011年はそういう年でした。
3.11がなかったらSBAもなかったでしょう。
2012年は、マヤ暦が終わるから地球も終わるという終末論が一部で盛んでした。
真に受けたわけではありませんが、いつ何が起きても不思議ではない、ということを胆に銘じる年になりました。
実際4号機が倒壊するだけで日本は破滅することができます。
メメント・モリ、死を思え、は手がかりがたくさんある時代になりました。
だから、SBAをプロとして始めました。
躊躇っている時間はなかったのです。
時代はよいほうへ進むとは限りません。
ジェットコースターだって上がれば下がるではありませんか。
バブル崩壊のときに、膨らんだものは破裂する。なんでこんな単純なことがわからなかったかな、と思いました。
そう考えれば疑いもなく、これからは膨らみきったものが縮むプロセスなのです。
それは人として大切なものを学ぶチャンスです。
2012年末の選挙結果は大いに僕を失望させました。そして、政治にはもう何も期待するまい、と決めたのです。
選挙制度には、もう同調しないと思います。
選挙制度は幻想を生む装置にすぎない、というよく言われる考えをようやく体感的に納得したのです。
同調していた分の精神エネルギーをSBAの創造に振り向けます。
2013年は、逆光の年、輝かしい空虚の年になるでしょう。
逆光で未来は見えませんけれども、空虚の中で僕らは人としての働きを取り戻そうとするでしょう。
子どもの頃、宮沢賢治が「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と言ったと聞いて、子ども心にも、世界が全部幸福なんて、そんなの無理だ、と思った記憶があります。
農民芸術概論綱要
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/2386_13825.html
宮沢賢治は僕にとって「純粋すぎてイタイ人」「まぶしい人」なので、正面から読むことができません。
でも、そんな僕でもこの時代に個人に閉じた幸福を願うことは、底に穴の開いた舟で大海に船出するような気分になるのです。
何事にも自己同一化せず、自由な個人であって、なおかつ愛を失わない。
2013年はそういう姿勢で大海に漕ぎ出します。
本年もよろしくおつきあいをお願いします。
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2013-01-01T12:13:00+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
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http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=238
SBAはなぜ無接触・遠隔の身体調整なのか? 【2 遠隔編】
SBAの施術が遠隔でできるというと、「怪しい」「嘘くさい」と思う人もいると思うのです。
今はけっこう「何でもあり」の時代なので、そういう反発を持つ人がどれくらいの割合でいるのか僕には実感としてはわかりません。
「インチキだ」と面と向かっていう人はいなくて...
今はけっこう「何でもあり」の時代なので、そういう反発を持つ人がどれくらいの割合でいるのか僕には実感としてはわかりません。
「インチキだ」と面と向かっていう人はいなくて、態度不明のままスルーされてしまうので、ますますわからないのです。
このような疑いを持つ人を説得する手段はありません。
また、あんまり説得したり証明したりする必要もないのです。
「うちの味噌はうまいよ」と手前味噌なことを言って、「それは嘘だ」と言われたら、「では舐めてみてよ」というでしょう?
「それは遠慮するが、うまいはずがない」と言われたら話が続きません。
興味を持った方だけが対象になります。
SBAのファースト・セッションは、5日間の後払いです。何も感じなければ払わなくてもいい、と言っています。これが「舐めてみて」の部分です。
オープンにやっていて、多くの人が利用していますから、嘘も本当もないのです。
抵抗がない人から体験してもらうということです。
オープンにやっているからといって、何も悩んでいないのに「試してやろう」という人に来られても困りますが、そういう姿勢が基本です。
**
さて、以上はいちばんの前提です。
念のために書きましたが、別にそんなに疑われているわけではないのです。
先ほど書いたように、疑われる以前にスルーされています(笑)。
さて、ここから次の段階の話になります。
今回書きたいのは、「なぜ遠隔調整が可能なのか」「遠隔にどのようなメリットがあるのか」ということです。
【なぜ遠隔調整が可能なのか】
なぜ、と書きましたが、科学的に説明することはできません(きっぱり)。
ただ意識においてこう捉えると説明として腑に落ちる、という話をします。
無接触ということを前回に書きました。
無接触であるとして、気功のようなものは、10センチは離れていても大丈夫なのか。1メートルでは、3メートルでは、どうなのか。
と考えて行くことができるでしょう。
気功はどうかわかりませんが、SBAはどれほど離れていようが同じです。
電波は遠いと弱くなり、届かなくなります。
障害物にも弱いです。
遠隔というと、電波を送るようなイメージを持つかもしれませんが、SBAは違います。
たとえば、「海外にいる家族の安全を祈る」というとき、誰も「遠いから届かない」とは思いません。国内にいようと、海外にいようと、祈りというのは相手とともに同時にあるのです。
僕はセミナーでは、紙の上にA地点、B地点と離れた場所に書いて、紙を折ってA、Bをピタリとつけてしまいます。
なんというか、距離は存在しないのです。存在してもその距離で発生するロスは問題にならないのです。
今は便利な世の中で電子メールがあります。これは海外であっても、正確に発信した通りの情報を離れた場所で再現できますね。
それと同様に考えていいのです。
SBAで送られるのはパワーそのものではありません。
パワーそのものはクライアント(依頼者)の中にあり、SBAが送るのはそれを発動するためのキーワードのようなものです。
ほんのわずかな情報だけが届けばいいのです。
こういう理屈は後づけです。
感覚が最初にあります。
遠くでも大丈夫だ、となんとなく感じるのです。
それは伝わるというより、同期する感覚です。
A地点で象徴的な動作をすると、そのエネルギーと同様のものがB地点で作用を始めるのです。
このとき、二つの地点は地球上の空間では大きく隔てられていても、象徴的な空間においては同一地点かもしれないのです。
こうなると日常の原理を全く離れてしまうので、敢えて説明をつけると……という話になります。
論より証拠、という話をしましょう。
僕は東京に住んでいますが、沖縄の方の身体の悩みをSBAで軽快化させたことがあります。これなどずいぶん距離がありますね。
地球上で日本からいちばん遠い反対側はブラジルです。
大阪で行ったSBAのセミナーでブラジリアン柔術を習っている青年がいます。SBAサイトにも最初に体験記を寄せてもらいました。
彼はブラジルにいる友人に対して施術したそうです。
格闘技は腱などを傷めやすいですから、何人かに施術しているし、自分にもしているようです。ただ、治っているけれど、自然治癒したのか、SBAなのか、いまいちわからない、と言っていました。
でも、僕は届いていると思います。
何年も苦しんだものが、ちょうど施術した時期に治ればSBAの影響だと推測できるけれども、急性のものは見分けがつかないですね。
した場合と、しなかった場合を比べることはできないですから。
【人体は実験の対象か】
同じ条件の人はどこにもいませんから、実験はできないのです。
気になったので、新薬試験をめぐる記事を探してみました。
ここにプラセボを巡る記事があります。
「使った。治った。効いた。」の経験的事実を軽視して、数をとって平均値で検証するということが科学的であると書いてあります。
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/v/10/index3.html
いわゆる科学的な立場は、こういう論法で民間療法、民間薬を異端として排除してきたのです。
ここには、とても興味深く根深いテーマが秘められていますが、現時点で深入りして論じるのは難しいことです。
ただ、この記事は、いわゆる「無作為化割り付けの二重目隠しによる対照比較テスト」なるものが、どれほど厳密なものか、ということに対してもやもやしたものを抱かせないですか?
僕はたいへんもやもやするのです。
たとえば、ある新薬について好結果を得たい場合、操作する余地が随所にあります。多くの人間が関わり、その人々が共通の利害を持っている場合、不正な操作も不正として是正されることがない、ということを福島の原発事故で僕たちはたくさん目撃したのです。
つまり、新薬の実験環境は、人的な構成まで含めて広がっているわけです。これをいくら第三者機関に委ねようとしても、いつかその第三者は第三者ではなくなっていきます。
またこの試験方法は、倫理的な問題があると書かれていますが、短期的な実施において、「あまりいいものではない」と言えるでしょう。
これを長期間の継続的な観察にするなら、あきらかに患者を危険に晒す実験台にすることになります。
したがって、この方法では、長期に渡る効果や副作用の観察はできないはずです。
しかし、どこか裏では行われているでしょう。当然それは後ろ暗い密室の作業になるはずですから、すでに公正な実験をするような環境や当事者の倫理性は失われているのです。
僕はそのような内情を知る者ではありません。
しかし、文章や言葉もまた専門家なので、このコラムを読むだけで、「一を聞いて十を知る」ように著者が書かなかった内情が想像がついてしまうのです。
文章の端々が発する波動がこのようなことを語っているのです。
現代医学は、患者を一人一人の表情のない抽象的な「数」として扱います。
現代医学のそのような態度は、医療従事者もまた「顔」(個人性)のない人にします。
SBAでは、クライアントをこのような「顔のない抽象的な数」としては扱いません。一人一人の身体が個別の宇宙なのですから、その宇宙と一つ一つ対話していくのです。
そのことが実り豊かであると信じます。
話がかなり寄り道をしました。話のついでに、いわゆる「科学的態度」との関係を一部表明して明確にしたかったのです。
元の話に戻ります。
【遠隔にどのようなメリットがあるのか】
単純に時間が節約できることです。
たとえば、大学病院のようなところに行くと、その行き帰りだけで時間がかかる。そして、予約したのになぜか30分も1時間も待たされて。
高価な機械の検査でグルリと回り、問診は5分くらい。
「何か変わったことは? そうですか。同じお薬でいいですね」
……で、そのあと、会計と薬局でまた待たされ。
そんなことで半日が終わりますが、ふだん忙しがりの人も医療だけは聖域で、そういうことは「仕方ない」と諦めています。
鍼や整体でも、評判のいい先生にかかろうと思うと、遠かったりして、施術時間を含めると少なくとも二時間くらいかかります。
その点、SBAは朝晩施術しますが、いつ施術されたかも知らないまま終わっています。
一秒もそのために時間を割く必要がありません。
非常に現代的な方法論です。
施術側も、集中して時間をとればいいし、特別なスペースがいらないので、リーズナブルな料金が設定できます。
SBAのファースト・セッションでは、クライアントもシンボリストも、メールを書くことに時間を使います。症状や悩み事などの相談はメールでします。
むしろ、こちらのほうが時間がかかりますが、忙しいときは簡略でいいのです。
好きな時間に書くことができるので融通性が高いのです。
このメールのやりとりが持つカウンセリング機能もSBAの非常に重要な要素です。
自分の身体は自分が治すのだ、という自信を持っていただくためです。
SBAは、病気を相手にするものではありません。
病気は生命力という光が障害物にあたったときに現れる影のようなものです。
人が本来の自然のあり方に還るとき、その影は消えて行くことを体験していくのがSBAです。
だから、SBAは時間もとらず、物理的な刺激も使わず、遠隔で、人の本来の力が発揮できるように最小限の干渉だけをするのです。
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SBA
2012-10-12T11:01:00+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
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http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=237
SBAはなぜ無接触・遠隔の身体調整なのか? 【1 無接触編】
SBAは、まったく体に触れない身体調整法です。
体に手を触れないで、象徴的動作をします。
さまざまな方法がありますが、セミナーで最初に教える基本は「ねじを抜く」という動作です。
気功などは足りないエネルギーを「与える」というイメージがあります。
SBA...
SBAは、まったく体に触れない身体調整法です。
体に手を触れないで、象徴的動作をします。
さまざまな方法がありますが、セミナーで最初に教える基本は「ねじを抜く」という動作です。
気功などは足りないエネルギーを「与える」というイメージがあります。
SBAでは、エネルギーが足りない、ということに不調の原因を見ません。
エネルギー自体は足りています。
ただそれが浪費されていたり、相殺されていたり、あるところは過剰であるところは不足というように調和されていないと見ます。
だから、何かを足し算するのではなく、「抜く」という形でエネルギーの水位を整えるのです。
体に触れないで宙に向かってねじを抜く、それで身体が変化を始めるというのは、とても不思議ですね。
不思議というのは、もともと仏教用語です。
思議するというのは、それについてあれこれ考えること。
不思議というのは、考えてもわからない現象は、そのまま認めておく、というようなことのようです。
SBAの理論は、体系的なものですが、象徴的動作で身体が整って行く、そのいちばん芯にある不思議はいくら理論化しても不思議のままです。
その理論の全体像はとても一息で書けないので、今日は「無接触」ということの意味を説明したいと思います。
【無接触】
なぜ体に触れないかというと、触れる必要がないからです。
肉体に直接触れることなく、磁気的な身体に干渉します。
磁気的身体に伝わった情報が、次の段階で肉体に伝わります。
触れないことのメリットは、
1.確実に磁気的身体とだけ干渉できる。
磁気的身体はとても繊細で独立した領域です。体に触れてしまうと、余計な強い情報が入ります。
たとえば、指圧の場合、指の温度、何本の指が触れているか、指の大きさ、圧の強さ、といったことを体は正確に感知します。触る人に好意や信頼がもてるかどうかでも、違う反応がでます。
そういう知覚しやすい感覚に体は反応しますから、磁気的身体への干渉を純粋に取り出すことができません。
SBAは日常の刺激よりずっと微妙な領域を扱います。
だから、手を触れないのです。
2.触れないからわかることがある
a. 磁気的身体がわかる
全く手を触れないから、SBAによって変化したということがわかります。
ケーススタディが増えることによって、磁気的身体の実体性が理解されていきます。
b. 身体の自然力がわかる
薬品を投与して症状がなくなれば、「薬で治った」ということになります。
SBAは、世の中で最も「何もしない」調整法です。
何もしないからこそ「自分の内側の力でよくなった」ということがよくわかるのです。
以上が
「無接触」
ということの意味の主なものです。
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SBA
2012-09-19T23:36:15+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
-
http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=236
SBAサイト・オープン
SBAのサイトをオープンしました。
http://sba.hiden.jp/
こちらで告知するのが遅れました。
今後はモニター制ではなく、ファースト・セッションになります。
すでに体験された方は、ファーストの先のメニューからお選びください。
依頼がけっこうあり、処理...
http://sba.hiden.jp/
こちらで告知するのが遅れました。
今後はモニター制ではなく、ファースト・セッションになります。
すでに体験された方は、ファーストの先のメニューからお選びください。
依頼がけっこうあり、処理能力を越えそうなので、ファーストセッションは近いうちに価格を上げるかもしれません。
体験されたい方はお早めにどうぞ。
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2012-09-07T03:57:27+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
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http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=235
SBA講座やります
SBA(象徴的身体調整)とは、何だ、短く言え、と言われるとたいへん困るのですが、一つ間違いがないことは、僕のライフワークの芯になっていくだろうということです。
全く新しい世界で、スキーでいったらまだ誰のシュプールもないバージン・スノーが広がっているので...
全く新しい世界で、スキーでいったらまだ誰のシュプールもないバージン・スノーが広がっているのです。
その新世界を過去の次元の言葉で語ることはとても難しい。
麻雀の点数やルールと同じことです。最初はなんのことかちっともわからない。わかってしまえば、さほど難しくもないのですが、では、麻雀をどうやるか、何が面白いのか、短く言え、とやったことがない人に言われても難しいでしょう。
あえて説明をすれば。
象徴の力、という今まで忘れられていた、あるいはあやふやに思われていた力を、とてもシンプルに現代的に再生する技術です。
先日も、陶芸の年長の友人が腱鞘炎で手に激痛を訴えていたので、SBAをしますと、痛みがその場で消えてしまいました。
全く手は触れずに、象徴的に「干渉」したのです。この干渉は、まず「象徴的身体」に影響を与え、次に磁気的身体を整えます。
最終的に今回のように「肉体」レベルにまで影響が及ぶことがあるのです。
SBAの目的は、病気治しや痛みを取ることではなく、このプロセスにある「象徴的身体」や「磁気的身体」の原理を確定し、人の身体に関する理解を深め、さらに応用的な展開を図ることです。
このSBAを試行的に少人数に実践的に教え始めます。
SBAは、僕個人の特殊な才能ではなく、背後にある世界観を理解すれば、誰にでもできる技術である、という理解でものごとを進めています。
とはいえ、本格的に人に伝授したことはないので、どれほど早く人がそれを習得できるのかはまだわかりません。
試行的という所以です。
最初の講座は、3回連続講座で、3回続けて受講できる人のみ、とハードル高めに設定しました。
一回目で概論をやり、二回目までに誰かに実践してきてもらう。
二回目からは、実践して気づいたことから話し合う、というウルトラ超速成講座を予定しています。予定通り運ぶかどうか。
場所は滋賀県大津。
5月18日金曜の朝10時から。
日程を見て、参加可能な方はご検討ください。
SBA中心の話にしましたが、
「自分らしく自分の夢を実現する会」も5月17日にあります。こちらは、「願望実現系」とは一味違う夢の話をしたいと思います。
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滋賀の講座は、元新橋芸者で売り上げナンバーワンだった千代里さんが僕の愛読者で企画してくれました。
詳細はこちらをご参照ください。
千代里の福ふく日記
http://blog.chiyorin.com/?eid=496
SBA講座は、おそろしく少数になりそうなので、濃くなります。お近くで都合のつく方はぜひご参加ください。
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SBA
2012-05-14T17:19:00+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
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http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=233
ある返事 災難と主体性
久しぶりです。
これは、『銀河の家』という会員制の掲示板に書いたある人へのお返事コメントの転載です。
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災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。
死ぬ時節には、死ぬがよく候。
是ハこれ災難をのがるる妙法にて候
これは良寛さんの有名な言葉ですね...
これは、『銀河の家』という会員制の掲示板に書いたある人へのお返事コメントの転載です。
*
災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。
死ぬ時節には、死ぬがよく候。
是ハこれ災難をのがるる妙法にて候
これは良寛さんの有名な言葉ですね。
これは災難にあった知人にあてた手紙の一節だったような。
出口王仁三郎も
「虎に食われない妙法は、虎に食わせてやることだ」といって、腕を突き出したといいます(人に聞いた話で細部はたぶん違う)
どちらもさりげなく凄まじいことを言っています。
つまり、災難を避けようとすれば、主体性を失って、より不自由な状況に追いやられると言っているのです。
僕が3.11事故後、数日間毎朝震えるほど不安であったのは、事故後すっかり変わってしまった世界への(何も変わらない世界でもあります)同調、チューニング現象であったと思っています。
いま、僕はシフトを終えて、まったく創造的、主体的な状態にあります。
しかし、ここで再び大きな震災やそれに伴う事故が起きたとき、まだあれをしておけばよかった、もっと速く対応すべきだったと思い当たる可能性があります。
しかし、それは間に合わなかった、ということで仕方ないでしょう。
僕がいちばん警戒しているのは、自分の中にうらみが残る、ということです。
東電と保安院に代表される推進派の人々は、今に至るも何の責任もとっていません。
その事態に対して、政治的、社会的になんとかするのは、とてもむつかしいことです。
だから、せめて僕はいまのうちに「馬鹿野郎、原発には反対だ」ということを書いておくのです。
書かないで心のうちに溜めておけば、それはうらみになります。
死んでも成仏できません(笑)。
いわば自分の心の健康のために馬鹿野郎、と言っているわけで、それは聞きたくない人がいても仕方ないことです。
3.11以後、何も自分の生活を変えず、何の批判も口にしない人たちもたくさんいます。
鈍感な人もいるし、もの言えば唇寒し、と思っている人もいるでしょう。
でも、僕は平然としているように見えるそういう人たちの中に、主体的でないものがあるのではないか、と感じるのです。
当然目に入っているものを見て見ぬふりをする心理的な機構が働いているので、無意識に抑圧された部分の圧が高まっているはずなのです。
それが当人の心を壊すように働くこともあるだろうし、家族への八つ当たりになることもあるだろうし、橋下支持のような社会的なムーブメントになることもあるでしょう。
僕はどちらにしろイヤだなあ、と思っているのです。
今回の事故に関して、
1.最悪の事故だ。
2.二度と起こしてはいけない
3.そのためには、事故を起こした責任者はきちんと裁かれる必要がある。
この3点だけは、全国民が一致してもいいと思うのですが、なぜか議論はここを素通りして、もっとややこしい分裂化個別化の方向に向かうのです。
マスコミが隠蔽したの、嘘ついたの、いろいろ言われますが、じつはこの素通りが最大のミスディレクションであるかもしれません。
この3つが素通りしたまま、話が進むなら、日本はまったく本質的な議論ができない国ということになってしまうで
しょう。
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2012-03-12T10:26:53+09:00
村松恒平
JUGEM
村松恒平
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http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=232
バリで10万ルピアを不当に払わされたトラブルとブラックマジック情報
バリで10万ルピアを不当に払わされたトラブルとブラックマジック情報
ツイッターを読んでくださっている方ならご存知と思いますが、僕は今バリにいます。
今回はその中でのちょっと面白い珍しい体験を書きます。
・
さて。
ここのところ、けっこう意識してし...
ツイッターを読んでくださっている方ならご存知と思いますが、僕は今バリにいます。
今回はその中でのちょっと面白い珍しい体験を書きます。
・
さて。
ここのところ、けっこう意識してしまうほどの肩こりがあるのです。昨年の展示や、秘伝メルマガをたたんでGOLD2012を始めたことなど、いろいろ2011年の疲れが出たのかもしれません。
あるいは、運動不足など他の要因かもしれません。
先日、バリに来てからずっと降り続けていた雨が上がった夕方、「ちょっとでもビーチ行こうかな、どうしうよかな」と一人で自分相談していたところ(よく一人で対話するのです)、「やっぱダルいから行かないほうがいいや」という結論が出たのです。
しかし、この肩こりは寝れば治るというものではなさそう……。
そこで「マッサージに行こう」と思いたったのです。
海外でのマッサージはタイでさんざん行きまして、前回のバリでも温石マッサージ他、少し追加取材すれば本一冊くらいは書けるほどの経験を積んでいるのです。
アジアはなにしろ安い(高級ホテルのスパは別です)。
タイでは二時間で千円ちょっと。それにチップを500円くらいあげるのです。
これを体験すると価格的にも質的にも、阿呆らしくて、僕は日本ではほとんどマッサージ受けません。
なんか千円前後で一時間も二時間も他人が自分にかまけてくれる、ケアしてくれるというのは、すごいと思いませんか。
日本ではいまほとんど他人の身体に触らないでしょう。
握手とか、ハグとか、キスとかあまりしないですよね。
一日中人の身体に触れないことがよくありまん。
下手に触ると、セクハラだ、ホモだ、ロリータだ、変態だ、と言われかねません。
子どもの頭を撫でるというようなことも難しい時代のような気がします。
しかし、人と人が身体を接触するというのは、何か必要な気がしているのです。そこに一種の尖ったものの「中和」が起きるのではないかと感じています。
そして、うまいマッサージは、日常感覚と違う半眠半覚醒の状態にしてくれます。これがたまらないのです。
説明するとそのように長くなりますが、僕の内部は全会一致で瞬時にマッサージに行こうと決めたのです。
ネットで検索すると、マッサージについて少しは書いてありますが、地理がわからなかったり、いまいち決め手に欠けたので、「歩いていて適当に入る」という方針を取りました。
そもそもマッサージは、店によってより人によって決まる部分が多いので、ブログの情報は参考にしかなりません。
しかし、レイキのことを書いたブログがあって、ちょっと気になったのです。レイキって何? まあ触手療法です。公式的なことはwikiで調べていただくとして、僕は名前しか知らなかったので、一度体験してみてもいいと思ったのです。
それでも別にその店を目指すでもなくタンブリンガン通りを歩き始めました。すると、トラブルが訪れたのです。
スクーターに乗った男性と後ろに乗った女性が目の前をよぎりました。とくに用がある相手がいるはずもないので、通り過ぎようとしましたが、「ハロー」とか「エクスキューズ・ミー」とか呼びかける声がします。
物売りの類いにしてはしつこいので、振り向きますと、女性が伝票に細かい札をホチキスで留めたものを持っています。
黒地にRIBと書いた制服を女性は着ていて、それは入った覚えのあるレストランです。
「昨日、こちらのものを食べましたね? 勘定が10万ルビア足りないです」ということを彼女は英語でいうのです。
たしかに、前の記事に書いたステーキの英語名が伝票にあります。
そこに綴じられた札に10万ルピアの札はないのですが、そんなはずはないのです。総額で14万ルピアほどです。
間違えるわけはありません。
しかし、僕にも弱点がありました。店の人が受け取って確認するところを僕は見ていないのです。
よく外国映画で主人公の男性はさっと勘定をおいて出て行くではありませんか。あれをイメージして金額をおいて出たのです。それが失敗でした。
もちろん、店の人の確認なしで出るのですから、二度、三度と金額は確認したのです。
女性は詰問する様子ではなく、余裕で微笑みすら浮かべています。バリでは、激昂したり強い感情を現すのは恥ずかしいこととされているらしいです。
しかし、英語で払ったのだといっても全く動じません。
仕方ないからもう一度払いました。
10万ルピアというと、すごい金額のようで皆さんげっと思っているかもしれませんが、今のレートで840円ほどです。
言葉の能力が十分でないのにややこしいトラブルにしたくなかったので払いました。それに確認しないで出たのはこちらに非があります。
とはいえ、あまり愉快ではありません。
彼女は僕が支払うことに満足し、「僕はちゃんと払ったけど、誰かが持って行ったに違いない」という弁明は完全に聞き流していました。
僕は歩きながら、三つの可能性を考えました。
通りすがりの客が!0万札だけを抜いていったこと。
彼女ではない店の人間が途中で抜いたこと。
彼女と男性の2人組が組んだ新手のたかりであること。
最後のケースだったらくやしいですが、女性の落ち着いた物腰からして違うと思いました。
もし、そうだったら相当な役者です。
じつは、この日の帰り、この店の前を通ったときに、店の別の男性から「エクスキューズミー、サー、昨日……」とまた言われたのです。
例の彼女が出て来て、支払ったことがすぐに知れたのでよかったのですが、つまり、このことは店全体で話題になっていたわけで、彼女のたかりの可能性は消えました。
このときも彼女は微笑んでいましたが、どう思っているのか知れたものではありません。バリ人は感情を表に出しませんが、妬みやうらみを持つと、ブラック・マジシャンに呪いをかけさせるのです。
全員がそんなことをするわけではたぶんありませんが、すごく珍しいことでもないようです。
そんなわけで彼女は微笑みの下で、僕がごまかそうとしたと思っているかもしれません。
若いときならどう思われているか、相当に気に病んだと思いますが、今はネガティブな想像に深入りはしません。
しかし、この店の前を通るときは、そういうことで顔を知られていると思うと、いい気持ちはしませんね(サヌールは、このメインストリートとビーチ沿いの道の二本でできている街といって過言ではないのです。だから毎日通ります)。
そんなできごとがあったので、これは本当にマッサージですっきりしたいと思い僕は足を早めました。
それで建物の二階にあるレイキもメニューにあるマッサージに通りかかり入ったのです。
(レイキ体験と、その周辺のことは、『GOLD2012』に続きます)
なんか、大切なところからは有料というのは慣れないので申し訳ない気がします。もう一つネタを。
*
バリ人の友人にブラックマジックで人を呪ってもらうといくらかかるの? と聞いたのです。
すると、具体的な金額は言わなかったのですが、かかる病気などの呪いの重さによって違うというのです。
いちばん高いのは、5年くらい病気で苦しんで死ぬことだそうです。
すぐに死ぬのは、その4分の1くらいの価格らしいです。
病気で亡くなるとお金も散在するでしょう? と言っていました。
金も使わせて家ごと衰えさせてしまおうということでしょうか。
だいたいの金額を聞こうかと思いましたがやめておきました。
あまり深入りすると恐いです。
いちおう、そのような呪殺が迷信ではなく存在するという前提で二人で話しているわけです。
彼には言わせると、かつてのバリでは毎日働いて、農産物などで食べるのに困らないから、人はお金をブラックマジックに使ったそうです。他にお金を使う用途があまりなかったそうです。
ところがお金の経済が発達して、買いたいものが増えたことで、ブラックマジックを依頼する人は少なくなったようです。
この変化はせいぜいここ二十年くらいの話で、経済の波は今も激しい勢いでバリを変貌させているのです。
ティガル・サリの池 ウブド、バリ 2012.1.17
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2012-01-16T10:33:17+09:00
村松恒平
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村松恒平