INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
記憶とインデックス 意識と無意識4
 記憶というのはよく考えると不思議なものです。

古い知人にあって、何十年も前のことを聞いて、「あっ、そういうことがあった!」と急に思い出したすことがあります。

これは、「忘れていた」と同時に「覚えていた」という現象です。

何十年も意識に昇ってこなかった事柄。その人に会わなければずっと思い出すこともなかったであろう事柄が、記憶の底にはきちんとキープされていたのです。

私が意識と無意識ということをわかりやすく考えるようになったのは、こういうことからです。

言葉の光が当たっているものが意識、当たらないものが無意識であれば、これは一つのきっかけによって、意識から無意識に沈んでいたものが、無意識から意識の領域へと上がってきたものであるといえます。
無意識そのものは認識できませんが、意識と無意識の間には、交通、交流があるのです。

思い出すことができる、ということは、きちんと無意識領域にはキープされていたわけです。

今は何事も「捨てる」のがブームですが、私はけっこう古い名刺を捨てずに持っています。
住所も電話も役職も変わっていて現実の役には立たないと思うのですが、名刺一枚で忘れていた人のことを鮮やかに思い出すことができます。
思い出せない人の名刺は直近に会った人でも捨ててしまいます。

この古い名刺が何の役に立つかというと、小説を書くときに、キャラクターの下敷きにしようと思っていたのです。しかし、いっこうに小説を熱心に書く気配はありません。『達磨』一編だけです。そういう場所塞ぎの存在ですが、古い名刺はなかなか捨てられません。

部屋の片付けをしていても、過去の仕事やその資料などが出て来て、思い出が蘇り、ぼぅっとしてしまって、その先の片付けが手につかないことなどがよくあります。

私はこういう記憶が芋づる式に出てくる「きっかけになるもの」をインデックスと呼んでいます。
検索すると出てくる見出し、タイトルです。
パソコンでも、検索をかけると忘れていたファイルが出てくることがありますね。
それと同様のことが人の記憶機能にもあるのです。

コンピュータはもともと頭脳を目指しているものですから、たいへんアナロジーとして理解しやすいのです。
たとえば、あるファイルをデリートするときに、ハードディスクから全てを消すのではなくて、インデックス(パソコン用語わかりません(笑))に当たるものだけを消すそうです。
そうすると、もう検索にひっかかりません。
そして、そのデータの上に上書きをしていくらしいです。
頭脳も同様だとすると、インデックスを持たない呼び出せない記憶(それはもう記憶とは呼べないかもしれませんが)もかなり蓄積されているのかもしれません。

ここで断っておかなくてはいけないのは、コンピュータは脳のアナロジーとして語ることができますが、心のアナロジーではないということです。

記憶そのものは脳の機能ですが、それを呼び出して使うのは心の機能です。

コンピュータには、さまざまなデータが入っていますが、その中の何を呼び出してどう編集し、何をアウトプットするかは、人(心)の領域です。
コンピュータが私が書くような文章を書くことはありません。

自動的に文章を作成するソフトも次第に面白いものが出てきていますが、それは類型的な語彙を組み合わせると、意外にそれらしいものが出来てしまうというパロディです。
そこには、意志はないし、本質的なものを創造するということもありません。

意志はとても大切です。
記憶という図書館に似ています。
整えられたインデックスによって、そのとき必要なものを取り出してくる、司書のような機能が心にはあります。
その司書を使いこなすのが意志です。

意志は、司書に対してこういう情報がほしいと命じます。
意志があやふやであると、司書もあやふやになり、混乱します。
明確な意志があり、優秀な司書がいると、図書館は非常に活発に活動します。

意志が不在になると、司書はヒマにまかせて勝手なムービーを放映したりするようになるわけです。
こういう司書に本来の仕事を教え、機能的な図書館にするには、意志が明確な指示を持つことです。

大きい図書館がいい図書館とは限りません。いらない情報をたくさん抱えて混乱した図書館よりも、こぢんまりとしていても、機能的な図書館のほうが役立つでしょう。

記憶というものは、データですから、それを整理メンテナンスしながら活用するのが大切です。

話が違うほうへ流れてしまいました。

無意識に話を戻しますと、忘れかけた記憶、忘れてしまった記憶も、無意識には詰まっているかもしれません。それから、何を忘れて何を覚えているかも、意識的な操作には限界があります。意図的に覚えていることはできても、意図的に忘れることはできません。

ということは、無意識の中にそれを制御するメカニズムもあるということです。
非常に辛い記憶を抑圧しているという話は、よく心理的なドラマに出て来ますね。
それも無意識の働きです。

記憶、夢、身体……3つのもので、無意識の輪郭を探ってみました。
これですべてではないでしょう。
もっと本能的なものもあり、また個人の無意識を超えた集合的無意識のようなこともあるでしょう。
しかし、ここでは言葉で自分が意識する以外の心の部分がある、ということが確実にわかればいいのです。

意識というのは、こういう無意識の構造に支えられた氷山の一角なのです。
心を捉えようとするときに、言葉という水面上に見えているものだけを相手にすると、間違います。

心が自由である、というのは、この無意識の声を聞くということ、意識と無意識が一つに連動するようになっていくことです。



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意識と無意識 / comments(2) / trackbacks(0)
Comment








私も、夢と記憶の複合形というのでしょうか。電車で居眠りしかけた瞬間などに、中学生時代の放課後のひとこまが、本当にその場にいるようにリアルに再生される時があります。

夜眠っている時の夢はもっと現実とかけはなれていて、時代も登場人物もごっちゃになっていますし、起きている時に「思い出す」のは、こんなにリアルではない(遠いチャイムや、枯葉の匂いまではしてこない)ので、居眠りの瞬間だけ、無意識の書庫に顔を突っ込むことができるんでしょうかね?

もっとこの瞬間を極めて、自由自在に無意識に出入りできるようになればスゴイのじゃないか…とも思いますが、そんなことになれば気が狂うかもしれませんね。


from. / 2009/10/13 4:04 PM
こんにちは!2日ほど更新がなかったので風邪でもひかれているのでは・・と心配しました。この「意識と無意識」シリーズになってから私には内容がかなり難しく感じて理解するのにとても時間がかかっています(また全容が霧の中という感じ)。でも今日のお話で今までのお話が「心が自由」というところにつながっていると知って理解に実感がわいてきました。私は遠い記憶を鮮明に呼び起こすものとして「香り」の不思議な存在を挙げたいです。最近香水売り場で「いちご」の香りを嗅いだとき、懐かしく遠い子供時代のことが思い出されました。状況がはっきりと思い浮かぶというよりは、インデックスの部分にまで急に引き戻される感じ。でも確かにそれと同じ香り(匂い)を嗅いだ時代が存在していとということを脳は記憶していて、正確にその時代にまで連れて行ってくれる!とっても不思議な感じ!面白くで何度もやってしまいました(笑)。こんなとき人間(動物もそうなのでしょうか??)って、どんな精巧なサイボーグにも真似できない創りになっているなって思います。(それに近いものは追って創られていくかも知れないですが・・・)引き続きこのシリーズのお話をもっと理解できるように、遡ってじっくりと読み返したいと思います。興味深いお話をありがとうございます!
from. / 2009/10/13 1:40 AM
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