INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
夢 意識と無意識3
 昨日、

>「夢」も無意識のあらわれの一つですか?


というコメントをいただきました。

たしかに無意識といえば、夢が付き物です。

夢も、あきらかにその個人の心の働きです。
そして、コントロールが利くという意味での意識領域でもありません。
かなりはっきりした無意識領域の露出部分です。

フロイトやユングも深い関心を持って夢を分析していますね。

私は夢には今のところ、あまり深い関心がありません。
夢日記をつけるのが面倒くさいのです。
関心が低いから面倒くさいのでしょうけれども。

しかし、関心があれば夢日記などをつけてみるのは、面白いでしょう。

夜、眠る時間は、無意識の作業時間です。
意識が受け入れた大量の情報を消化しているのです。
どのような作業をしているのかは想像するしかありませんが、一日に入ってきた記憶や印象の振り分けはしているでしょう。
記憶については次回書くつもりですが、人が一日に受け取っている印象というのは、じつは膨大なものです。
ターミナル駅にいけば、何百人という人の顔を見ます。
それは自分にとって意味のない赤の他人の顔なので、意識はすぐに忘れます。
しかし、無意識にはインプットされています。
いわばデジタルの動画をつねに回しているけれども、片端から消去上書きされているような状態ではないかと想像されます。
意識はじつに多くのことを記憶していますが、無意識にはその何万倍、何億倍(比率はわかりません)のものがインプットされ、忘れられていくはずです。
そういう記憶を消去したり、いずれ呼び出す必要があるものはインデックスをつけてしまい込んだり、ということの最終処理は寝ている時間にしているはずです。

それから、外からきたものではなく、自分の内側から湧いてくるものもあるでしょう。
夢で神様のお告げを聞いたりしますね。
そういう内側からのメッセージも入ってくるはずです。

夢は、その処理を行っているときに発生するノイズのようなものです。
あるいは処理の残りカス。
しかし、それを分析していけば、無意識が何をしているかがわかるかもしれないし、宝物のような内なるメッセージが含まれているかもしれません。

しかし、茫洋としていて迂遠な感じはします。

フロイトやユングの夢判断も、背景にキリスト教の強い抑圧があるので、日本人に同じシンボルがそのまま適用できるという気がしないのです。

だから、あまり分析的にならずに夢と戯れるのがいいでしょう。

夢というものは面白いもので、楽しい夢だと、意図して続きが見られるという人がときどきいます。
またマレーのセノイ族は、夢を操り、その中で自由自在に行動できるようになる文化があると言われています。
いま、ネットで検索すると、1951年にスチュアートという人が書いた本は眉唾だとありましたが、これも後に書かれた批判的な本を鵜呑みにしています。
大泉実成さんという方が実際にセノイに会いに行き、1996年に本を出しています。
私は著者にインタビューでお会いしていますが、たいへんにまじめな方です。


だから、根も葉もない話ではないのです。

夢にはまだ開拓されていない部分があります。
何ができるかわかりません。
しかし、たいていの人は方法論を知らないし、ある程度以上の継続的な努力をはらおうとしません。

知っている人は秘かに楽しんでいるのだと思います(笑)。

私が夢をコントロールできるようになったら、仙界に行ってみたいですね。

次回は記憶について書く予定。


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夢を操れる。あの続きが見れる。まさに夢のようなことですね。
from. 泰三 / 2009/10/12 12:01 AM
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