INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
続・お母さんからの長いメール
 不登校の娘さんを持つお母さんから、メールが来ました。
また長い(笑)のですが、いろいろ心境の変化が綴られていてうれしいので、ご紹介します。
今回は前略後略の一部抜粋版です。

読者からのメールが続きますが、大切な理論の実証です。
実際の体験に裏打ちされることで、説得力が増すと思います。

気持ちの持ちようで、生き方はどんどん変化していく、という実例はたくさん読んでほしいのです。


**

(途中から)
 
娘には村松さんがとっても面白い考え方をする人だよ、とか
この人はすごい!とか
いろいろと聞かせています。
 
 
普段新品の本などまず買わない私が
3冊も買ったのを見て
ただならぬものを感じてもいるようです。
 
 
私は
「どうしてもこの人の本の売り上げに貢献したかったんだ!」
(他意はないです。失礼な響きがあったらすみません!)
 
というのを聞いて、
娘が私の真剣な気持ちを理解してくれたら嬉しいと思います。
 
 
8月には娘とたくさんぶつかる機会があったと以前書いたと思います。
そのときには娘が
私は娘の不登校に対して、何も策を講じてない!ってことに
ストレートに不満をぶつけてきました。
 
 
「インターネットで何か調べたことはあるの?」とか、
「そういう本を読んだことはあるの?」
 
と執拗に迫ってきたんです。
 
 
そのお陰で、いろいろと調べる機会を得て、
村松さんのブログに行き着くことになりました。
だから娘には、
村松さんのブログや本との出会いは、
私の彼女の不登校に対する真剣な思いだって
わかってほしいのです。
 
 
面倒なんかじゃなくて、
家族のことは家族で面倒見るのが自然なことだと
私もやっと受け止められるようになったから。
 
 
今一番悩むところなのは、
押し付けにならないように
だけど甘やかしにもならないように
いかに彼女の自主性を育てる(見守る)かというところです。
 
 
ここが本当に難しいし、
根気のいるところでもあります。
 
 
以前の私だったらもうとっくに
がまんできずに
声をあらげていたと思います。
 
 
私もずいぶん成長させてもらっているなと感じます。
 
 
村松さんがよく言ってみえる、
(正確に言えてなかったすみません)
「問題を問題と捉えず、傍観する」
という言葉にすごく助けられています。
 
 
人ごとのように感じるってこと、
気が付けばかなりできるようになってきています。
 
 
村松さんのブログを読むようになってから、
不思議なんですが、
世間と自分とか自分の家族を
比べることがあまりなくなってきているんですよ。
 
 
以前から他人と比べても仕方ないって
前から知ってはいたんですけど、
どうしても比べては不安になってました。
 
 
比べる対象が実在のもののこともありましたが、
もしかすると実在などしないかも知れないもののこともよくありました。
こっちの方が多かったかも知れません。
 
 
それってよく考えると、
自分自身が勝手に作り出した
幻覚(うまく言えてませんが)のようなものなんですよね。
 
 
それって時として
すごくきれいで頭が良くて家柄がよくて
英語もペラペラと話せる帰国子女だったり、
 
小さな頃から教育にお金をかけてもらって
おりこうさんに育った子供だったり、
 
主婦になってもお洒落で、
自分のお店なんか持っちゃったりして
スマートな人生を素敵に生きる主婦だったり、
 
すごくいいパートナーにめぐりあって、
信頼と愛情に溢れた幸せそうな女性だったり、
 
小さな子供がいて
家族仲良く暮らしている若い夫婦だったり・・
 
 
数限りない自分より幸せそうな想像上の人物と自分を比べて
「あー、自分ってそんなものとは大違い」
 
ってうなだれてばっかりだったんです。
 
 
今も確かに、そういうものはどこかに存在するだろうとは
わかっています。
 
 
でも、だからそういうものと自分を比べることは
できないんだし、自分は自分というもので、
その上でも下でもないんだって思います。
 
 
ちょっと前までは本当に馬鹿みたいな考え方をしていたと思います。
 
 
例えば水泳を始めたとしたら、
いきなりオリンピックの水泳選手と自分を比べて、
 
「はぁ〜。私なんて下手くそだしなぁ」
 
なんて思っていたんですよ(笑)。
 
 
比べる対象が遠すぎるし、
そんなんじゃ何をしても楽しくない(笑)。
 
 
今は・・というと、
自分は自分の人生を生きるだけだ!って思っています。
 
 
そして自分は自分なりに
自分に対して尊い気持ちを持つべきだと思っています。
 
 
今私は自分に対して
「私なんて・・・」
 
っていう卑下した気持ちを持たないようになってきています。
 
 
実は普段、特に最近は家の中で私はとても明るくて、
(って自分でいうところがかなりずうずうしいですが)
冗談ばっかり言っているんですよ。
 
 
これは例の、父親にSOSを出した高校生さんの
親御さんが愚痴るっていうところにも通じるものがあると思いますが、
私は最近までどちらかというと
普段からブツブツ言う母親だったんです。
 
 
それもストレスがたまって我慢の限界に来たときに
全部ぶちまける!みたいな感じで
またそのときには、思っている以上のことを言ってしまったり。
 
 
それはうちの母親がまさにそんな感じで、
それをずっと見ていたのでそうしてもいいものだと思っていたところもありました。
 
 
でも子供はかなりそれで混乱するんですよね。
普段ニコニコしてても、
何かの拍子で怒ると、
普段言わないことまで言われてしまう。
 
じゃ、普段はどうだったの??ってなりますよね。
じゃ、いつもそう思ってたの?って。
 
 
そこの矛盾は、今不登校の娘からも指摘を受けました。
そんなんじゃ信用したくてもできない!って。
 
 
そういうときに言う言葉は、
売り言葉に買い言葉みたいなものなんだ!って
私は言い訳を大義名分みたいにしていたんですけど、
実際、それってやっぱりしてはいかんことだと
今になって反省しています。
 
 
子育ての本を読んだときには
わかってたはずなんです。
「一貫性のないしつけはいけない」
とか、
「気分のムラにまかせて叱るのはダメだ」
とか、
「脅して動かそうとしてもだめ。言葉にうそがあってはいけない」
 
ってことは。
 
でもかなりそういうものを
乱用していたという実感があります。
 
 
そして、そういうものをしないように気をつけてみると、
けっこう気安くそういうことをしていたんだなぁと
あらためて気づかされます。
 
 
子育ては日常だから、
ついついいい加減な気持ちで
親の立場にあぐらをかいてしまうんですね。
かなりとんでもないことを平気でやっていたんだろうなって
恥ずかしく思います。
 
 
・・で話が逸れましたが、
今子供が不登校な状態だから余計に、
家の中が深刻になってはヤバいぞって思ったんですね。
 
 
それでも、正直、まともに現実を見ると
めっちゃ情けなくなることはあるんですよ。
だから、今考えても仕方ないことはとりあえず棚上げにする意味でも
カラ元気でも何でもいいから・・・って感じで
とにかく冗談言ってバカやっているうちに、
その状態がだんだん普通になってきて、
 
 
子供の前でも、自虐的ジョークを逆手に取って
 
「あーら、こんなことをしたら私の美しさにさらに磨きがかかってしまうわ〜」
 
とか、
 
「ちょっとこの色気にはマドンナもまっつぁおね〜」
 
 
とか言って笑いを取るようにしていたら、
いつの間にか謙虚に自分をマジで卑下するっていうモードが
どこかに行ってしまったんです。
 
 
うそばっかりついているうちに、
言葉に自分の脳みそがだまされて、
どれが本当かうそなのかが
わからなくなってしまったみたい(笑)。
 
 
そういえば村松さんが本の中で、
読者の方が鏡に映る自分に対して
会いたくなるくらい素敵・・と言い聞かせているということに対して、
それよりは「自分を許す、受け入れる」というメッセージを
かけてあげた方がいいというようなことを言ってみえました。
 
 
あなたを許すよ。
あなたを受け入れるよ。
 
 
今まで私は本当に自分にすっごく厳しくて、
いつも自分の何かにイライラしていました。
 
でも、この年になってやっと、
どうしてだか、自分に対して
そう言ってあげたい気持ちになっています。
 
 
自分って世界に一人しかいないんですよね。
それも数多くの他に淘汰されたものから生き残って
この世にこうして生きている。
 
 
前は、自分よりもっともっと優れた人がこの世にはゴマンといるのに、
自分ってなんてちっぽけで意味がないんだろうって思った。
こんな自分、生きている価値なんてあるのかな?って思いました。
 
 
例えば、事故か何かに遭ったら
血の流れも心臓の動きも
ぱたっと止まってしまってもう元に戻らない。
 
体を作っているものの中には、
目に見えないような小さな組織で構成されているものもあって、
そんなものも死んでしまったら全部おしまいです。
 
 
でも、生きているって、そういうものが何も言わずに、
日々静かに刻々と動き続けていて、
体が正しく動くようにってしてくれてるんですよね。
 
 
何かの拍子に今死んでしまったら簡単に壊れてしまうくらい
命なんてデリケートなものなのに、
でも今ここに自分として生きている。
 
 
なんだか、それだけでもうすごいじゃないか!って
思う今日この頃なんです。
 
 
私が誰よりも上で誰よりも下であろうとも、
私は私でしかないし、私でいいじゃないかと。
 
 
そしてそういう気持ちはもちろん、
子供に対しても同じであると思います。
 
 
子供は親を選んで生まれてくるというお話がありました。
 
 
だったらなお更、その子が授かった意味が
あると思うのです。
 
 
だったらなお更、その子が
「どうして私なんて生まれてきたんだろう」
 
と嘆くよりは
 
自分が存在する意味を肯定できるように
育ててあげたいし、そうしなくてはいけない!って
思います。
 
 
自分がこの世で唯一の存在であるのと同じように、
子供に対してもそういう気持ちで
子供の存在に対して敬う気持ちを持つことが
とても大切だと思います。
 
(いまさら何を言っているんだろう?と思われるかも知れませんが・汗)
 
 
でもそんなことも立ち止まって考えられなかった
今までの日々でした。
 
 
村松さんの本の中にはまた、
「健全な自己愛」
というのがありました。
 
 
うまく言えないですが、
自分を大切に思うことは
やっぱり大切です。
 
 
自分を愛せない人は
人を許せない、受け入れられない、愛せないと
ずっと聞いてはいたけど、
じゃあどうすればいいの?って思っていました。
 
 
今はなんとなくですが、
わかるような気がしています。
 
 
自分を信じる。
自分の子供を信じる。
 
(信じたい、ではなくて、あえて言い切ってみました!)
 
 
根拠はないですが、
何とか生きていける、
明るくしていれば、
大丈夫だって思いがしています。
 
 
 
そして関係あるかどうかわかりませんが、
娘がこのごろメキメキとお洒落になってきました。
 
 
ちょっと前までは
引きこもっているんだから、
新しい洋服とか
必要ないだろう・・・って思っていました。
 
 
大きな間違いでした。
 
 
娘が
「服がないから外に出られない」
と言ったんです。
(買い物くらいは出ていましたが)
 
 
その頃私の仕事がまだうまく言っていなくて
生活がかなり厳しい状態で
新しい洋服を買ってあげるとかっていう時期じゃなかったのですが、
 
 
(それにいつも、学校にも行ってないくせに・・・っていう気持ちがありました)
 
 
ちょうどいいタイミングで、このところ仕事もだんだんとうまくいくようになってきて、
少し贅沢ができるようになってきました。
 
 
それで安くでも意外とお洒落なものが買えるお店
 
(しまむらという、知る人ぞ知る有名なお店です。
地方にしかないらしいのですが、東京の若い女性の間でも
ひそかなブームになっているらしいです)
 
をはしごして
二人であれやこれやとやっているうちに
二人ともみるみるとセンスがよくなってきたんですよ。
(自分で言うとはやっぱりずうずうしい?)
 
 
実は私もここ半年くらい隠匿生活をしていて
美容院もまともに行っていなかったりで
久しぶりにカットをして、家で娘に髪を染めてもらったら
つき物が落ちたみたいにさっぱりして
 
「やっぱりお洒落したほうがいいね〜」
 
って実感しました。
 
 
あのとき娘が服がないから外に出られない!って言ったのは
核心をついていました。
逆説みたいだけど、結果的に正しかった。
 
 
子供もまだ中学生の分際ですが、
別に学校へ行っているわけじゃなし・・ってことを利用して
髪をちょっと軽い色に染めてみたいというので
私がやってあげました。
 
 
そうしたらいい感じの色になって、
自分も気に入っているらしく、
買ったばかりの服とかを自分なりにアレンジして
なかなかセンスよく着こなしができるようになっているんですね。
 
一人ではあまり出かけない娘が、
私とだとお洒落をしてどこへでも喜んでついて来るという感じです。
 
 
これは少し前、
「自分なんて生きている価値もない」
 
と言ってた娘にとっては
自分を大切にするという意味で
とても大きな進歩じゃないかなって
私は肯定的に捉えています。
 
 
 
お陰で私の美しさにも磨きがかかりましたし(笑)。
 
 
 
 
 
またまたうまく言えないのですが、
村松さんのお話を拝見しているうちに、
 
自分が今までは2次元の世界にいて
身動きのとり方がわからなかったのが、
3次元の世界を教えてもらって
そこに行ってみたら分けわからないけど
自由になれた・・みたいな気持ちになっています。
 
 
え、こんな世界もありなんだ〜?
みたいな。
 
 
なんか、不思議な世界に入るための
なんとかドアを教えてもらったみたいで、
ちょっぴりお得な気分なんです。
 
 
だから自分を許したいとか、
受け入れてあげたいと思えるようになってきたのだと思います。
 
 
 
私には本当に嬉しいことです。
 
 
 
だから村松さんには、元気で書き続けてほしいのです。
 
 
 
ブログをあのペースであの密度で更新するって
どなたかも言ってみえましたが、
すごいエネルギーがいるんだろうなと想像します。
 
 
だから体に気をつけて、
がんばってほしいです!


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●村松コメント●

娘さんがおしゃれをしたいって気持ち、いいですね。
そういう変化を積み重ねていけば、いいほうに流れますよ。
人は自由であれば強いものです。

>自分が今までは2次元の世界にいて
身動きのとり方がわからなかったのが、
3次元の世界を教えてもらって
そこに行ってみたら分けわからないけど
自由になれた・・みたいな気持ちになっています。

ここは、我が意を得たり、です。

創造的に自由に生きていけば、人の可能性は無限に広がります。
まさに2次元から3次元に広がるような無限性があります。
それが人の自由であり、自然なのです。

また変化があったらメールください。


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Comment








はじめまして。
この部分を読んで、なんだか、自分の子どもの頃を思い出しました。
>一人ではあまり出かけない娘が、
>私とだとお洒落をしてどこへでも喜んでついて来るという感じです。
私も、中学生の頃、いつも母にくっついていました。
何も言わずに連れて行ってくれていた母ですが、後で聞くと、すごく心配していたそうですが。
それなりに友達はいましたが、何となく、学校にも友達の中でも居場所がない時期でした。
私はそんな事をしている自覚がなかったのですが、大人になってから母からその話を聞き、もし、母があのとき私を突き放していたら…………と想像して、自分は母に守られていたことを実感しました。
あの頃、一緒にいるのは「お母さん」じゃないとダメでした。「お母さん」の存在が、私の居場所でした。
色々意見がぶつかることもありましたが、もし何かあれば、必ず母は私の味方になってくれる、味方になってくれないときは、私が考え直す余地がある時だ、という気持ちがものすごくありました。
その頃のことを思い出しました。
お嬢さんも、もしかしたら、そんな気持ちなのかなぁ、なんて思いました。
from. / 2009/10/07 3:24 PM
次元を変えないと超えられない問題はありますね。そして、それをするには外から刺激を受けるしかないように思います(もちろん受け止める準備ができていることが大事ですけど)。
自分の中でぐーるぐーるというのが一番キツいですから、お母さんが村松さんという窓を通して自由に踏み出せたのは、本当にいいことだと感じます(僕がその口でしたし)。
多分、次元をいったりきたりすると、いろいろ見えてくる!
from. 海巳 / 2009/10/07 3:06 PM
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