INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
変化のプロセス
昨日の記事について、何度かコメントをいただいている海巳さんからメールをいただきました。
内容はとてもいいし、いろいろな意味でフォローが利いています。
なので、私としては、改めて注釈することやコメントすることはありません。
そのまま、ご紹介します。

本日もコメント不可の設定にしますので、感想などはkokoro@hiden.jpにメールでください。

明日から3日間福岡です。
いろいろ書きたいこと溜まっていますが、来週にします。

留守番よろしくお願いします。

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こんにちは、海巳というものです。「心が大事」楽しませて読ませていただいています。今回の記事「SOSの本質」の中で、清掃のバイトをしていたというコメントを取り上げて頂きました。まず、「的外れなことを言っていなくてよかった」と思いましたね。

記事を読んで、コメントのようなものを残しておきたいと考え、メールしました。村松さんの返信のように、鋭い視点で書けるといいんですけれど。言葉に関しては僕も修行中です。

まず、白状しなければいけないこと。それは、「清掃のバイトは自分から見つけたわけではない」ということです。母が知人に頼んで斡旋してくれたのです。仕事も全部ちゃんとできたわけではなくて、遅刻したりもしました。
どう考えても格好悪い告白ですが、「はじまりはそんなもんだった」ということです。段々、自分から仕事を貰いにいったり、他人のヘルプに入ったり、責任を増やしていったわけです。
重心を持たない紙飛行機がロクに飛ばないように、ある程度の責任・不自由を持つこと抜きに、自由にはなれませんね。自分の思考の殻に囚われないために、他人から不自由を譲って貰うのです。変な表現ですけど、僕の直観だとそういうイメージです。

ここで一つ、当時のバイトのエピソードを紹介します。

僕が清掃の仕事を始めたとき、教育係として、10歳年上の男性がついてくれました。よく働くし、遅刻もしないし、愛想も悪くない良い人でした。大学も卒業しています。
僕は初め、「不況のあおりを食らってしまったのかな。こんなに良い人なのに、少し要領が悪かったんだろうな。気の毒に」なんて思いました。
ほとんどの仕事は、彼と二人三脚でした。疲れたらお互いの肩を揉んだり、インスタントコーヒーを作ったり、休憩時間にほんの少し雑談をして……2週間もするとすっかり打ち解けました。

多分、僕はずっと誰かに優しくしたかったのだと思います。色々なしがらみがあって、家族にはそれがどうしてもできなかった。それが一番つらかったのかな、と今では分析します。「誰からも愛されない」は、相手を憎めば戦える辛さですけど、「誰も愛せない」は、戦えない。
本当に、耐えられないんです。

そんな僕がすごく衝撃を受けた出来事があって、(と前振りしておいて地味な話です)ある日相方の彼が、携帯の画面をぼおっと眺めているのを見たのです。それも、一日に何度もです。
それまでもそういうことはあったと思うのですが、関心がなかったので見過ごしていました。少し親しくなっていたので、僕は「メールかな、聞いてみようかな」と興味を抱いたのです。
彼にコーヒーを差し入れたとき、その画面がちらっと目に入り、僕は体が凍ったのを覚えています。彼はメールなんか読んでませんでした。待ち受け画面にした奥さんと子供の写真を見ていたんです。一日に何度も。
ショックからさめて僕は、「ああ、軽はずみな気持ちで聞かなくてよかった」と心の底から思いました。実際のところ親に養ってもらい、金銭的なものについて無頓着な僕が、踏み込んで良い部分ではないと感じたのです。
奥さんとお子さんの話は、時々ありましたから、それは十分予想できる光景でした。でも、僕は打ちのめされたのです。

その日、家に帰った僕を襲ったのは、自分に対する痛烈な「恥ずかしさ」でした。自分はあの人をなんだと思っていた? 要領が悪い? どの口で言っていた? 人をそんな風に量れるようなものを、自分は一つでももっていたか――。

というエピソードがあって、これは衝撃的でした。ただ、これ一つで人生変わったとは言いません。
重要なのは、ここです。この光景に衝撃を受けられるだけの準備が、その時の自分にやっとできた。そして、それを逃さずに捕まえることができたのは、「他人を気遣いたい」という責任を引き受けたからだった、ということです。

その時からでしょうか、学校の問題や、家庭の問題が、「自分の問題」として目の前に迫ってきました。
もう、いい学校に行きたいとか、家族から好かれたいとか、やめよう。不格好な今を、ほんの少し良くするためだけに、全部注ごう。そう思いました。
すぐに行動を大きく変えることはできませんでした。でも、僕が思っていたよりもずっと早く、周りは僕の決意を感じ取ってくれたように思います。すごく優しくしてもらえた気がするのです。
多分、僕の周りを見る目と、周りの人の僕を見る目、両方変わったのです。

僕はカウンセラーにかかったこともあるのですが、あれはやはり人を選びます。心の病気という蓑をあげることは、万人に良い方法ではないです。
ちょっとお薬の助けで精神を安定させるくらいなら悪くないと思います。でも、最近のカウンセリングは「自分を肯定させる」という結果を得るために、「君は間違っていないよ」という方向へと、傾きすぎている気がします。
バランスを取り戻すのが最終目標なんだから、村松さんのように「しがみついている『それ』から、一度離れろ」という方向にいったほうが、万人向けです。(まぁ、抽象的ですけど)

なんか話が色々な方向へ飛行しだしたので、ここらで一度やめます。結論みたいなものが出ませんでしたが、プロセスが結構大事ですので、と言い訳します(笑)読み返すと結構な量ですね……。ほとんど自分語りですし。恥ずかしい……。でも、大事なことを丁寧に思い出す時間がとれて、僕も良かったです。情熱の一部でも伝わればいいな。

僕も文章を趣味で書いていますから、この密度のブログを毎日更新するのが、どれだけヘヴィか少しは分かるつもりです。このブログを村松さんが書きながら、毎日普通にご飯食べて、寝たり起きたりしてると思うと、余計すごい気がします。
僕も普通に頑張ります。応援していますー。


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