INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
お母さんからの長いメール
不登校の娘さんのお母さんからメールをいただきました。

長ーいです。

けれども、素直に感じたことを書いておられるので、参考までにアップします。

本日はセッションが一件あり、これから出かけなくてはなりません。

博多セミナーの準備もあり、あれこれなんか忙しいです。






***

 村松恒平様
 
こんにちは。
 
以前15歳の娘の不登校について書いた私のメールを
村松さんのブログで紹介してくださってありがとうございました。
 
 
載せていただいたと知ったのは
メールをお送りしてから1週間ほどあとのことでした。
 
自分のことを書いたあとって、
なんだかちょっとした脱力感みたいなものがあって、
また私はよく夜中にテンションがあがって書くことが多く
そういうものはよく言われるように
朝になって読み返すとなんだか照れくさい(笑)。
 
そんな感じでちょっと放っておきたい気持ちがしていました。
 
 
もちろん書いたことは全部本当です。
 
 
実は村松さんがじきじきにコメントをしてくださるとは
夢にも思っていませんでした。
 
 
だからとっても嬉しかったです。
 
 
そしてもう少し正直に言ってしまうと、
ブログに載せてもらったこと自体が
すごく嬉しかったです。
 
 
結婚して一時期、
地元の新聞の投書欄に投稿するのにはまったことがあって、
自分の書いたものが載っているのを見て
すごく興奮したのを思い出しました。
新聞取りに行くときからもうワクワクしてました。
回を重ねるごとに、大体載るなぁっていうのまで
予想できてしまうようになって・・・。
だんだんと姑息になります。
 
でも自分が書いたものが人の目に触れるって
ワクワクしますね。
 
 
久しぶりにそんな気持ちを思い出しました。
 
 
 
そして、その後も引き続きブログで、
村松さんからコメントをいただけると知って
楽しみにしていました。
 
 
でもしばらくいろいろと大変な日々があって
その間、村松さんのブログのことを気にしながら
やり過ごしていました。
 
 
その大変になるちょっと前には
(日付でいうと9月12日あたり)
アマゾンで注文していた村松さんの著書が3冊届き、
私は読みたくてウズウズしていました。
 
 
13日に東京へ行く用事があって
(実はその娘と、東京ドームのジャニーズ系グループの
コンサートを観に行ったんです!)
 
3冊の中の1冊をかばんにしのばせて
出かけました。
 
(東京へは私の運転する車で行くことになっていたので、
本が読めるのはコンサート前のグッズ販売の
長蛇の列にいる間だろうな・・・と予想しつつ)
 
でもこれで楽しい待ち時間になるぞ〜って
ワクワクしていました。
 
 
ところがどっこい、
結局東京では、二人とも慣れない土地で失敗続き(泣)。
 
気が付けば、子供と喧嘩になって
マジで私一人名古屋に帰るわけ???
子供は警察に保護・・・??
 
っていうような状況の中、
私一人で都営の電車の中で
村松さんの本を読んでいるありさま・・・。
 
 
あ〜、こんなはずじゃなかったのに!!
と思いながら。
 
 
(結局仲直りをして楽しく帰ってきましたが)
 
 
あの日慣れない東京で
不安げな顔をして分厚い村松さんの本を抱えて歩いていたのは
何を隠そう、この私です!
 
 
 
・・・って誰も気づきはしないですが(苦笑)。
 
 
 
すみません、また自分の話になっちゃいますが、
1冊目に読んだ本には、
私の質問が2つも掲載されていました。
 
 
一つ目のは記憶にあったので、
「あったあった!」
という感じで見つけたのですが、
二つ目のは記憶になく、
最初は人の質問だと思いながら読んでいて、
やけに共感できるなぁと感じて
「もしかしてこれは私の質問か??」
と思いました。
 
 
一つ目と二つ目の質問のテンションが
かなり違うんですよね。。
 
 
でも過去の自分の質問を今読み返してみると、
そのとき等身大で疑問に感じていた自分と、
そのときは背伸びをしないとちょっとわからなかった村松さんのコメントが
数年の時間を経て変化・・・というか熟成しているのが
ちょっぴり感じられて面白いなって思いました。
 
 
こんなこと疑問に感じていたんだなぁ・・・と懐かしく思いました。
 
そして村松さんのコメントは
今の私にもまだ考える余地を残してくれています。
 
 
 
いろいろな質問があって、
どれもしっかりと読む・・というよりは、
折に触れて読んでいきたいと思うものもありました。
今の自分とあまりにかけ離れたものは
読んでもまだまだしっくりと来ない気がするものもあったからです
 
 
それでも、村松さんの回答には
深いものがたくさんあって、
忙しさにかまけつつ一度に全部は読めないなぁというよりは、
一度に読んでしまったら勿体無い気もしています。
 
ワクワクとした気持ちを持ち続けて、
いつもどこのページを開いても
どこかのページを開くだけでも
何か面白い話が読めそうで
久しぶりにどこへ行くにも
 
「あ、本、本!!」
 
と言っている私です。
 
 
もう待ち時間が楽しい。
 
 
この間は仕事がひと段落して、
ちょうど子供たちもいなくて、
一人リビングのテレビを消して、
静かなところで秋の夜長本を読む時間が持てたとき、
幸せだなぁ〜〜って実感しました。
 
 
 
ところでその後ブログが更に熟していて
久しぶりに訪れて嬉しく思いました。
 
 
そして1位に!
 
おめでとうございます!
 
 
私のポチッも効いてますね!!(微笑)
 
 
 
何より、村松さんのモチベーションがUPするのは
読者の私にとっても嬉しいことです。
 
 
 
大げさでなく、村松さんは私には理解のできないほど
すごく深いところにいる人です。
どんな風にしたらそんな人間ができるのか、
人間のしくみってすごいって思うほどです。
 
 
その人しかできないこと、
その人しか作り出せない物って
あるんだなぁと
人間ってすごいなぁと
あらためてジワジワと感じています。
 
 
だから村松さんにはずっと元気で
書いて欲しいのです。
 
 
 
その後も私に対してのメッセージとして
コメントをしてくださってありがとうございます。
 
 
子供にもぜひ読んで欲しいと思いました。
 
 
ぜひ読んで、自分で何かを感じて欲しい。
自分の頭で考えて欲しいと思います。
 
 
 
村松さんが、
「年齢は若いですが、彼女は今、必死で自分を確立しようとしているのです」
 
と言ってくださったこと、親として大切にしないとって思いました。
 
 
「親がそれくらい大きなシフトチェンジをすると、子どもも自分の生き方をじっくりと考えます」
 
「しかし、考えている途中で干渉すれば、子どもは自分の道を見つけられません」
 
 
とありました。
 
 
よく、子育てでは「手をかけないで目を掛けよ」
 
というようなことが言われますよね。
村松さんのブログにも同様のことが書かれていたのを記憶しています。
 
 
大丈夫かなっていつも気を配るけど、
大きくくくって細かいことは気にせず、
子供の自主性に任せるってこと、
今までの自分を振り返ると、
ちっともできてなかったんじゃないか?
って思います。
 
 
いろんなことが当たり前だと思っていたんですよ。
 
 
たとえば学校へ行くってことにしても。
 
 
誰が
「学校へ行かない生活を良しとする?」
と頭ごなしに思っていました。
 
 
理由なんて考えることもなく、行くのが当たり前、だと。
 
 
もちろんその一番の理由は
「みんなそうしているから」
 
「みんながそうしていることが正しいから」
 
 
だから、そうできないことや、そうしないことが
当たり前のように
 
「よくないこと」
「間違ったこと」
「心配なこと」
 
と思っていました。
 
 
自分でも高校のとき、家族や友達関係なんかで疲れてしまって、
学校へ行けない時期があったというのに、
本当にうわべだけでしか子供の不登校を捉えていなかったと
今あらためて思います。
 
 
私はその高校時代に、
結局学校へ戻ることができて
 
「一件落着」
 
と皆(特に両親)が思ったと思いますが、
 
それからも私の苦しみはずっと続きました。
 
 
それはたぶん、村松さんが言うところの、
 
>ドロップアウトするときは、とことん距離をとること
>「一人になること」を恐れない

>一人になって、自分は何がしたいのか、何に向いていて、何に向いていないか、しっかり感じ取る
>早くそれを知った人は人生が充実します。

>自分の時間を有益に使ったほうが、やがて、ずっと意味がある人との出会いができる
>自分を確立するためには、しばしの孤独も甘受しなければならないこともあります
 
 
 
ということを十分にやらずに、社会に順応することで
自分を(周りを)納得させてしまったツケが
ずっとついてまわっているんじゃないかって考えています。
 
 
あとそれには、親(特に父親)が、
学校へ行かせなくては!と
しゃかりきになっていたことも
やっぱり関係しているかなって思います。
 
(両親は時代のせいか、
かなり教育の偏った考えをしていました)
 
 
朝学校へ行きたくないって言っていると、
「行け行け」と
ひきづられましたから(笑)。
 
 
私はそこまではしてなかったにせよ、
本質的なところを見ようとしていなかったのは
同じだなって思いました。
 
 
それにはまず、
人と同じことをしないってことはどういうことか、
じっくり考えないといけないんですよね。
 
 
そして、最終的には
自分の食い扶持を何とか確保して生きていけるようにする。
 
 
そして、私自身がしてこなかったことの一つに、
自分とという人間の価値観を持つってことがあると思います。
 
 
同じことばっかり言ってるような気もしますが、
要するに、自分と言うものを確立していないから、
大人になるまでずっと生きにくさを引きずってしまっているんですよね。
 
 
で、ここで子供が学校へ行きたくないって言っているのに、
学校へ行かないこととか、
他の子と違っちゃっていいと思っているの?とか
いくら表面のことばっかり言ってつじつま合わそうとしても、
 
「子供の価値観や人間性」
 
ってところを全くないがしろにしていたら
本末転倒だって感じました。
 
 
要するに
ソツなく生きているけど実際死んでるみたいに生きていても親はそんなのお構いなし」
 
みたいな感じです。
 
 
でも子供が学校へ行かないってことがない限り、
なかなか考える機会のないことかも知れませんね。
 
だから、大変な中にも、
考える機会を得られることは
幸運なことかなと今思います。
 
 
今大事なことは
学校へ行くとか行かないとか、
もうそんなことじゃないんです。
 
(と断言するとエラそうに聞こえますが)
 
 
それよりも今はもっと重要なことを
育てる時期だって思います。
 
 
そして親の私自身が
自分の生き方をしっかりと見つける時期に
来ていると思います。
 
 
私自身中学生の頃から生きにくさをずっと感じていて、
苦節30年です〜。
 
 
でも本当に不思議なんですが、
子供のことがきっかけで
いろいろな考えに触れる機会があって、
久しぶりに村松さんのご意見を伺って、
村松さんのすごく面白いブログのお話を拝見して、
苦節30年の屈折した私の考え方が
かなりほぐれてきているのを感じるんです。
 
 
結局思うのが、
やっぱり
「自分という人間を自分が理解する」
っていうのが原点かなってところです。
 
 
そして投影するなといういう話には、
私はずっと自分にそうしてきたし、
周りの人間ほとんど全てが、
そして社会全体が
何かを投影することで成り立ってきているなって
実感しました。
 
 
それは自分自身に抱く理想でもありますが、
みな社会から取り残されないようにって
必死になって自分があるべき姿に近づこうと
していますよね。
 
 
何のために、誰のためにがんばるんだろう?
って思います。
 
 
これはずっとひそかに感じていたことなんですが、
自分が何かになりたいって思うとき、
純粋に自分の気持ちやワクワク感だけで
そうなりたいって思っていることって
どのくらいあるんだろう?と。
 
もしかすると、他人から見てどうだからとか、
よく思われたい、よく映りたいというヨコシマな気持ちからとか
ないのかな?って。
 
もう「人から見てどうだ?」とか、
それが当たり前のようになっていて
自分でもわからなくなってないかな?って思います。
 
 
そうやって人のための人生を生きるのを嫌だと思っているくせに、
人の目線や社会に対する自分の理想や
周りの期待に合わせて生きなくてはいけない、
また、そうでしか生きられない自分ってものに、
ずっと居心地の悪さを感じてたような気がします。
 
 
だから、親の私の意識がかなり変わらないと、
子供をそういう風な意識で育ててしまう。
子供を世間のものさしだけではかろうとしてしまう。
 
 
だから自分もかなり変わる時期に来ているって思います。
そして奇しくもそれは私にとっては
すごく願ってもなかった機会でした。
 
 
 
娘と、こんなことも話せるといいなと思います。
普段は楽しくバカやれても、
なかなかひざをつき合わせて
マジに話す機会がないのです。
ちょっと照れてしまうというのもあるし、
せっかくなのに、
簡単に拒絶されるのが怖いっていうのもあります。
 
 
村松さんのリュックのお話、
どういう風にすればいいのか、
今はまだピンと来ていない部分があるのですが、
毎日折りに触れて考えるうちに、
自分なりの答えが見えてくるだろうと思います。
 
 
 
3年後を見据えて、そのくらいの長いスパンで
どんと構えて、子供の自主性が育つのを
待ってみようと思います。
 
 
高校へ行かせるつもりだった?との質問には、
以前だったら当たり前のように
 
「高校くらい出てないと」
 
と言っていたと思います。
 
 
そしてその理由はきっとこうでした。
 
「困るから(恥ずかしいから)」
 
 
でも、高校くらい出てないと恥ずかしい人間性の子供って、
いったいどういうこと?って思います。
高校を出ないと、何かをしないと、
一人の人格を認められない、
その子の価値を見出せないって
何か違うって感じます。
 
 
 
そして甘やかすのとは違うというところ。
 
 
ここは私は肝に銘じてしっかりとやらなくてはならないところです
わがままを容認することは娘のためにはなりません。
はっきりと言ってあげられるのは
私しかいないんですから。
 
 
 
ブログのその他の記事で、
お父さんに怒りを抱えておられる方の書き込みも共感するところがありました。
 
 
たぶん私自身が、
不登校などを経験して、
親のために自分を抑えてしまったところ、
そうしないと親に気に入られないだろうと感じたところ、
でもやっぱりそれは自分にとっては不本意だったということ、
そしてそういういろんな葛藤を親は
たぶん知らないだろうなという気持ち。
 
そういうものがごっちゃになって、
ソツなく育てばそれでオッケーと思ってたら
大間違いなんだぞー!!
という怒りを、
どこにもやれないまま子供を育てる立場になって、
またもやいい親をやらなくてはならず、
子供として老いて行く親に孝行しなくてはならない・・・
 
 
そんな中から来るやるせなさだったと思います。
 
 
でも他の方の体験談を読んで、
自分の気持ちとダブるとことを知ることで
ちょっと客観的に見ることができているなと感じます。
 
 
一口に親子と言っても
皆さんいろいろと抱えているんだなぁ・・・って。
 
 
 
まだちょっと自分をことを書いてしまうのですが、
 
実は私は小学生低学年の頃からずっと母親が体が弱く、
学校から帰ると何の予告もなく
母が入院の準備をして
あれよあれよという間にしばらくいなくなり、
大きな手術をして長く入院をし、
退院してきたかと思うと
ある日突然、学校へ帰ると両親が
病気に効くという治療を求めて
また荷物をまとめて・・・
 
そんな感じで母親がいない寂しさを感じる
小学生時代でした。
 
ときどきはどうしようもなく寂しくて、
母が死んでしまうかもしれないことが怖くて
こっそりと泣いてました。
 
 
悲しいことが多すぎて、
悲しくならないように工夫しながら
生きているうちに、
気が付いたら悲しいときにも
悲しいと素直に言えない意地っ張りになってました(笑)。
 
 
過去にこだわるのは意味のないことなんでしょうけれど、
そのときの寂しさが
ずっと埋められずに大きくなってしまったのかなと思います。
 
 
そのときは自分の寂しさが一番の興味だったのが、
自分が大人になるにつれて、
やはりだんだんと
周りの人の気持ちとか、立場とかも
想像できるようになってきますよね。
 
それが大人になるってことなのかも知れないけど、
それでもまだ自分が寂しかった気持ちを忘れられてないのは、
かなり私が自分中心な人間だからなのかな?って思います。
 
 
でも、その大変な時期、両親は30代から40代、50代くらいで、
まさに今の自分の世代、
もしくは、もっと若い頃だったわけですよね。
子供も小さくってさぞかし大変だったろうなぁとか、
親はずっとすごく大人に感じてたのに、
今から思えば30代の若造だったんだなぁとか。
 
 
そうして自分が育った頃と、
今時分が体験していることがちょっとリンクすることがあって、
そしてまた今70代になっている父親と
(母はもう他界したので)
この先どのくらい一緒にいる時間があるのだろう、とか、
 
 
小さい頃父に可愛がってもらったことを思い出したり、
小学生の頃、小さかったのに大変だったねって
自分をねぎらってあげたい気持ちになったりとか、
父も病気の母の看病とか、商売がうまくいかなくて大変だったことや
私が不登校のときに心配を掛けたこととか。
 
 
今まで自分の思いを言えなくて、
沸々と怒りを抱えていた父との関係が年とともにだんだんと
予期しない変化を見せてきて
私のものの見方や自分の人生の捉え方が変化していくのと平行して
ずっとわだかまっていた親との関係も
今後かなりいい方向へ変わっていくような気がしています。
 
 
子供を産むとき、この先の人生でこんなことが待っているなんて、
全く思いもしませんでした。
何とお気楽に産んだことか(汗)。
人生って本当にいろんなことがありますね。
 
 
あ〜、長くなってしまいました。
 
 
村松さんの大切なお時間を割いてくださって、
ありがとうございました。
 
 
全然まとまっていませんが、
今思うことを書いてみました。
 
 
こんな貴重な機会をいただけて
本当に嬉しく思います。
 
 
 
ではまた細切れの時間を見つけて
村松さんの本とブログを
読ませていただきますね!
 
 
いつかもっともっと
腑に落ちることがたくさん増えたら
嬉しいなと思います。
 
 
 
村松さんのお話を
これからもどんどん読ませてくださいね。
 
 
思いはちゃんと届いています!!^^
 
 
ありがとうございました。


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Comment








■てくてくさん

やほ。


■下のコメントの方

コメントありがとうございます。
私の体内統計(つまり目分量)では、世の中の3〜4割くらいの方が親に対するある程度以上の不満やうらみを抱えているかもしれません。

たいへん多いです。

ところで、人生について「問題」という言葉を使うのはあまりよくありません。

私もときどき使いたくなって、言い換えに苦労しますが、使わないようにしています。

問題という言葉は、生の全体の中から、問題と呼んだ箇所を切り離してしまいます。
そうすると、問題は問題としてより固定されてしまうのです。

よく観察してみてください。

問題ではなく、「変化していく相」として見ていくことが受け入れるということです。

from. 村松恒平 / 2009/09/29 9:39 AM
この女性のメールには
いくつも共感する文章がありました。
私と年齢も近いせいかもしれませんが。

今、ご自身が「インナーチャイルド」の癒し←癒しという言葉はあまり好きではないのですが、を必要としているのかもしれないですね。

私も(?)機能不全家族で育ってきたのですが、じゃぁ 健全な、理想的な家族って世の中にどのくらいあるのでしょう?と思った時に、殆どは、大なり小なり何か問題を抱えているんじゃなかろうか?というところに辿り着きました。
そして、その時、未熟な親も、意志薄弱な自分も すべて赦そう…という気持ちに至ったのです(ごく最近ですが)
まだ完全ではないのですが、時間をかけてゆっくり消化して、昇華していけばいいかな、と。

人って死ぬまで、何らかの形で親子の問題家族の問題と向き合いながら生きていうかなきゃならないものなんですね。

自分のプログラムをこなしていく、というか
与えられた課題みたいのを、ひとつひとつクリアしていくことが、生きていくことそのものなのかなぁ…とか。

村松さんは深いところにいらっしゃる、というフレーズ、大きく頷きました。

村松さんの著書を読ませて頂きながら、沢山の気付きを頂いている私です。

これからも、この女性や私のような読者をワクワクさせてください。

このブログにはお宝フレーズがギッシリ詰まっているので、日々、宝探しのような気持ちで読ませて頂いてます。

ありがとうございます。

※長くなり、失礼しましたm(__)m
from. / 2009/09/28 8:33 AM
なんか 嬉しいねっ ☆☆☆
from. てくてく / 2009/09/27 10:42 PM
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