2009.09.23 Wednesday 18:37
JUGEMテーマ:心
何度かお話したことのある女性から、以下のようなメールをいただきました。
*(以下メール)
心から見た過去と未来 認知の歪み4 へのコメントです。
コメント欄に書くのは気恥ずかしくなったのでメールで送ります。
過去はムービーに過ぎないと実感できたらだいぶ楽になりそうな気がします。
というのも、いま怖いと怯えているものは過去のムービーを勝手に再現しているからという自覚がある、でもいつまでも上映中なのにうんざり。だからです。
過去のムービーを見たくないと目をそらすと視力が落ちます。(明らかに世界がぼやける)
ちなみに、視力がぐんぐん落ち始めた時期と、すごく頑張って社会適応した時期が一致するんですよね。ついでに足が太くなった時期も。
なので、過去のムービーの自動再生がなくなれば(少なくなれば)視力もよくなるかなー。足細くなるかも。という期待とやじうま精神もあるんです。
続きを楽しみにしています。
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●村松コメント●
視力が落ちたり、足が太くなったり、というのは、面白い現象ですね。
いや、面白がってはいけないかもしれませんが、かなり興味深いです。
ムービーといっても、映画館でやるわけではなくて、いきなり自分の要る部屋のテレビがすごい音量でイヤな映像を流し始めるような感じでしょう。
そんなテレビだったら、修理するか、コンセントを抜いて捨ててしまうかしますね。
心の中で起きた現象はどうすればいいのか?
まず、そのムービーという構造を理解して、それは自分ではない、異物であると認識することです。
過去が自分ではない、ということは言いづらいことですが、それが自動再生されてしまう機構自体は完全に異物であるといえます。
異物であると認識すれば、人体に異物を排斥する働きがあるように、心も次第にそれを排除します。
時間がかかるのは、このシステムが脳内麻薬と結びついているからです。
このシステムが発動するたびに、苦痛が生まれます。そして、苦痛を緩和する脳内麻薬が出るのです。
この脳内麻薬に中毒して、人は自分の苦痛を手放さなくなるのです。
SMは、まったくこういう原理です。
そこまでシステムを理解すれば、この自動的機構は異物として客観化されます。
そうすると当然排除する力が働きますが、いわゆる「深く食い込んだ」状態においては、遅々とした歩みになるでしょう。
そういうときに、本当に排除的なプロセスが働いているか不安になると思いますが、そこでいっぺんに投げ遣りになってはいけません。
認知の歪みでいう「オール・オア・ナッシング思考」ですね。
ちょっとうまくいかないと、積み木でもすぐにグシャグシャに崩してしまう。
そういうふうに「どうせダメなんだー!」と投げだしたい心が第一の関門です。
とにかく、時間がかかります。というのは、そういう状態に根を生やすにも時間がかかっているからです。
しかし、それに対処しようとする気持ちがある以上、遅すぎません。
年齢がいって心が硬化してしまうと、異物のはずのものも一体化してしまって人格の一部になってしまいます。そうなると、本人にも他人にも手がつけられません。
第二の関門、それは出てきたときにいじらない、ということです。
ムービーという比喩を使いましたが、ここではアブクという別の比喩を使いましょう。
水面があって、下のほうに泥が堆積していて、そこからボコリっと、ガスが浮かび上がってきた。そういうイメージです。水面でアブクがパンと弾けて、中の有毒ガスが漏れる。臭くてイヤな感じ。
それは人への怒りの爆発であったり、爆発できない恨みであったり、自己嫌悪であったり、いろいろです。
このとき、「ガスが抜けた」と思うことが大切です。
悪いものが出ていった。
それは戻りません。
オナラやゲップをしても、体内に戻らないでしょう。
出たということは軽くなったということです。
手術のあと、ガスが出ないとお腹が苦しいでしょう。
それと同じです。
抜けると楽になります。
ところが実際に何が起きるかというと、「またやった」という自己嫌悪に陥るのです。
そして、言葉で自分を責めます。
しかし、そうして責めることで、同じ事を繰り返さなくなることはありません。
そうでしょう?
したがって、自分を責めることは無益だということが確実に言えるのですが、それ以上に有害なのです。
最初に書いた「泥」というのは、簡単にいうと無意識のことです。
そこからせっかく異物があがってきたのに、言葉で自分を責めると、もう一度それを抑圧してしまうのです。
わかりますか。ここはとても大切です。
ガスとして上がってきたときには、それは異物なのです。
しかし、それを出るに任せないで言葉で干渉してしまうことで、再び自分と一体化してしまうのです。
アブクがでてきたときに、それを否定せずに出るに任せること。
他人事のように、「あ、出た」と思ってください。
それができると、4回5回と繰り返すうちに(それくらい繰り返すことがあります)、少しずつ毒ガスが薄れているのに気づくでしょう。
それが私が知るムービーへの唯一効果的な対処法です。
このように、心には何が正しいかを知ることと、それをストップすることには、全く別のプロセスがあるのです。
「これは間違っている」とわかっていてもやめられないことがたくさんあるでしょう。
「わかっちゃいるけどやめられない」という歌の通りなのです。
認知の歪み10か条も同様なのです。
とてもよくできた分類ではあるけれども、それを生かすためには、やはり心をいろいろな角度から眺める経験を積んだほうがいいのです。
「わかっちゃいるけどやめられない」
このことは、現象としては誰でも知っていることですが、その現象を注意深く見ていくといろいろなことがわかります。