2009.09.21 Monday 18:04
過去はムービーに過ぎない、と書いて、なんとなくモヤモヤと納得できない人もいるのではないかとテレパシーで(笑)感じています。
もう少しそのことを書いてみましょう。
過去・現在・未来と私たちは、いつも3つセットで語りますが、では、未来を見てみましょう。
時間論には、じつにさまざまなものがありますが、私たちのごく一般的な時間感覚に従えば、未来はまだ存在しません。しかし、その存在しない世界に対して、私たちは想像したり、期待や不安を抱きます。
過去も同様なのです。過去という世界はもう存在しません。
私たちは未来に対して想像するように、過去に向かっては記憶を再現します。
未来への想像が現実そのものでないように、過去の記憶の再現も現実そのものではありません。
記憶が正確でないことは多々あります。
自分の都合がいいように変形していることもあります。
記憶はつねに編集されています。
20歳であれは、20年間、24時間全てのことを覚えているわけはないので、記憶していることと、その人は特別な関係を持っているのです。
たとえば、非常に厳格な親に育てられた場合、イヤな思い出や恨みだけが心に残っていることがあります。
しかし、親が老いて人格が丸くなり、あるいは衰えて弱さを露呈したときに、ふっと、今まで強調されていた面と違う面を思い出したりします。
私たちは、未来を変えられるでしょうか?
私たちは自由な選択肢をもって、それを意志的に選択していると思っていますが、それはたしかでしょうか。
いつも決まり切った選択肢しか選べないから、私たちは私たちではないのでしょうか?
そんなふうに子どもの頃、哲学したことはありませんか?
未来は変えられるけれども、過去は変えられない。
それが私たちの通念です。
しかし、心という視点で見たときに、そういう固定観念自体がかなり怪しいものだ、と私は思っているのです。
心というのは、徹底的に「今起きている」ことなのです。
今起きているのでない以上、過去も未来も等距離あるのです。
(ますますモヤモヤした…? 続く)
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