INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
嘘をつく心と自己改造セミナー 認知の歪み2
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この「認知の歪み」の10か条は、使いようによっては有益な道具であると書きましたが、それはナイフやフォークが道具であるというのと同義で、他にも金槌や鋸のような道具も必要な場面があるかもしれません。
そのように限定的な意味です。

心の断面図としてよくできている、と私は書きましたが、これはある断面に見えた断層であって、それが役に立つのは何段階も先です。

まず読むのが第一段階。
性格に理解するのが第二段階。
次に、あ、自分にもある、と受け止めるのが第三段階。

しかし、素直にいくとは限りません。心はつねに嘘をつきます。いつも自己合理化しようとする力も働いています。いちばんの欠点は見過ごして、ささいな点を問題にするかもしれません。
そういう狡猾な動きをするのが心です。
このような嘘を自分で見抜くのは、難しいものです。

どうして心は嘘をつくのでしょうか。
これを一つの比喩によって語ってみます。

将棋崩しというゲームを知っていますか?
将棋盤の上に駒を箱からひっくり返し、音をさせないようにとっていくという遊びです。
最初のうちはいいのですが、そのうち、他の駒の重さが乗った駒を動かそうとすると、崩れて音がしてしまいます。

心も同じように積み重なっている部分は動きたがらないのです。
そこを動かすと、全部がガラガラと崩れて来そうでコワい、という無意識の力が働くのです。

つまり、心のエネルギーの流れ方の回路が変わってしまう。その恐怖が強いと、不自由でつねに心の内部の軋轢が高いのです。
いっそ、ガラガラと崩してしまえば、平らになって楽になるのです。
ときどき強烈な体験をして、なにかふっきれたようになる人がいます。
しかし、それは自分が予想したり許容したりする範囲を超えて、なにかの体験をいやおうなく受け入れたということによるものです。自分の頭の中で考えることでは、つねに現状維持的な範囲の中での思考になります。

ある種の洗脳的なセミナーは、こういう原理を利用しています。
一人の参加者を取り囲んで、いっせいに心理的に個人を攻撃するのです。
「心が狭い」とか、「人の眼を見ない」とか、「言葉に自信がなさそうだ」とか……いろいろあるでしょう。
囲まれた人は、いちばん言われたくないと思っていた言葉を次々に押しつけられて、パニックになり、やがて積み上げていたものがガラガラと崩壊するわけです。

そのあと、大部分の人の心はたぶん軽くなると思いますが、もっと再建不可能に崩壊してしまう人や、決定的な傷を負う人もいるかもしれません。危険な方法です。

私たちは、人の欠点を間近で見ても、よほど親しくなければ、忠告しようとは思いません。
ただ遠巻きにして接点を少なくしようと思います。
忠告しても、多くの場合、逆恨みされたり、かわされてしまったりするだけでしょう。

だから、日常の場では、そのような心理的なゲームの場とは違って、人に直接つきつけられることは少ない。いくらでも自分自身から眼をそらしていられるのです。
眼をそらしているのだけれども、じつは無意識は見ています。
それを心理的用語でいうと、抑圧しているのです。
そのように無意識は知っていて、意識が眼をそらしている領域が多いほど、心理的恐怖は増大します。

*
話がどんどん流れていくので、自分でもどういう展開かわかりません(笑)が、あとは、とりあえず次回。


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心理学というもの / comments(2) / trackbacks(0)
Comment








自分の心に客観性を持つのは難しいことです。
from. 村松恒平 / 2009/09/21 6:15 PM
将棋倒しの例え、自分との駆け引きといったところでしょうか。
from. 泰三 / 2009/09/21 12:35 AM
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