2009.09.18 Friday 09:40
認知の歪み
以下のようなメールをいただきました。
認知の歪み、についてです。
認知心理学、認知療法というものがあるのですね。
なお、文中にでてくるメルマガとはこれのことです。
プロ編集者による 文章上達 <秘伝>スクール
(文章のメルマガですけど……)
*
(以下メール)
こんばんわ。
以前からメルマガを読ませていただいています。
「秘伝」の1巻にも質問を載せていただいていたりします。
先月、ブログを始められたと聞いて、早速お邪魔しました。
が、内容があまりにも好きなジャンルだったので、片手間にざっと読むわけにいかず、
主人が送別会で遅くなる今日になって、やっとじっくりと読ませていただきました。
ああ、ほんとに好きなんです、こういう話をするのも読むのも。
でも、なかなか日常生活では、人とこのレベルまで話し込む余裕がなくて。
これからも時間の許す限り、読ませていただきたいです。
現在話を進めておられるテーマとは少し離れますが、
今、私は、「認知の歪み」についてすごく関心があるのです。
メンタルヘルスのカテゴリで開設なさっているのでご存知かとは思いますが、「認知の歪み」とは、心理療法で使われる「考え方の悪いクセ」のようなもので、10のパターンに分けられるそうですね。
自分がものごとを必要以上に辛く感じたり、うまくいかない気がするのは、この「認知の歪み」があるせいではないかという気が前々からしていて。
最初に概要を見た時には、どれも自分には当てはまらないように思ったのですが、よくよく考えるうちに、そうではなさそうだと気付いてきました。
例えば、10のうちの一つに、「〜ねばならない思考」というものがあります。
私の場合、家事、育児、ママ友関係、夫との関わり方。
今は働いていないので、この辺がメインの人間関係になるのですが、これがうまくいかない時には、自分の中に「○○な自分(妻・母親)でなければならない」という思い込みがあるようです。
なのに、理想どおりにできない(したくない)
→できない自分は駄目だと嫌な気持ちになる
→その嫌な気持ちから逃れたいけれど、やっぱりできない
→自分に対してイライラや焦り、周囲に対しては「〜のせい」「〜してくれないから私はできないんだ」という不満を持つ
→やつあたり、けんか、ストレスによる体の不調
…という道をたどっているように感じます。
もちろん何もかもこの通りではなく、最悪のルートを書いたので少し極端ですが。
でも、自分で、ノートにこのフローチャートを書いたあと、反対側のページに、
違う展開を書いてみたんです。
「〜ねばならない」を「〜できたらもっといいんだけどね」に変えてみました。
〜できたらもっといいけど、今はしたくない、余裕がない
→でも今は仕方ない、罪悪感を持たないようにしよう
→ちょっとだけでもできればよし、できなかったらまた次やってみよう
→自分は「ねばならない」から解放されて気が楽になり、周囲へは、「今はできない、ごめんね」と一歩下がった態度が取れる
→対人トラブルが減る
以上、専門家から見たら間違っているのかもしれませんが、自分なりに考えた「認知の歪みの修正法」です。
ネットで見ても、「認知の歪み」について、「○○思考とはくいうものです」と例が一つ二つ書かれている程度で、修正法まで噛み砕いて書いてあるサイトはほとんど見かけません。(それをすると、商売が上がったりになってしまうのかもしれませんが)
もし、お時間が許せば、村松さんのブログで扱っていただけたらなぁと願っております。
あと、質問ですが、毎回添えられている絵は村松さんのものでいらっしゃいますか…?
(どこかに説明が書かれていたらごめんなさい、見つけられなくて)
すごくほほえましいのですが、本文との関連とか、これは何だろう?とか、違った意味で考えさせられていますので(笑)、また記事にしてくださるとうれしく思います。
では、これからも全国の心の畑を耕し続けてくださいね!
またお便りいたします。
●村松コメント●
「認知の歪み」知りませんでした。
こう見えても心理学の本はほとんど読まないのです。
通俗的な本は、断片的であてはまらないケースがたくさんあるし、専門的な本は、難しい専門用語ばかり多く、学者によっては文章がヘタで、回りくどい割には何が言いたいのかわからない頭が痛くなる本が多いのです。
だから、私は心理学の本を噛み砕いたり、翻案したりしてこのブログを書いているのではないのです。
元になっているのは、自分自身の観察、経験、人とのつきあい、それからさまざまな読書体験ですが、そのなかに心理学の文献はほとんど入っていません。
それより、私にとっては宗教や神秘主義の文献があるルーツになっています。批判力と共感力、それからもちろん理解力があれば、このような書籍は、人間に対する興味深い理解の宝庫です。
いわば、魔女のスープのようなドロドロの不気味でときには偽物っぽく、ときには毒薬のように危険な原液です。
万人にはお勧めしません。
しかし、面白い。
心理学になってしまうと、また濾過しすぎの薄味になってしまって面白くもないし、役に立たないのです。
前置きはさておきまして、「認知の歪み」です。
ググりますと、いちばんにこんなページが出てきます。
このページはわかりやすいのではないでしょうか。
この内容は、心に元気がない人について、私が観察してきていずれ書こうと思っていたこととかなりかぶっていて、驚きました。
うれしいような、うれしくないような。
うれしいというのは、考えていたことが共通な認識に出会って裏付けられたことであり、うれしくないのは、発見したと思ったことにきちんと先行者がいて、なんだ、と思ったことです。
この認知心理学の創始者は外国人ですが、この心理は日本人にも全くよくあてはまります。
ある心の断面図として、使いようによっては、かなり有力だと思います。
メールのやりとりでは、この10か条についての解説をお望みでしたが、門外漢の私がするのは筋違いなので、仁義としてもできないし、モチベーション的にもできません(やればかなり上手に書けると思いますけど(笑))。
しかし、このメールをきっかけに周辺のことを書くのは面白いので、次回から考察していきましょう。