INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
大きなリュック、小さなリュック
話は、「親子の葛藤/一通のメール」からの一連に戻ります。
ややこしいですけれども、こういう進行も一つの心のアナロジーなのです。
集中していても、緊急の割り込みがあったり、話が脱線したり。
それでも、中心と方向性を見失わないこと。
これがライブで書いていることの醍醐味であります。


…なんちて。

本論。

母娘のセッションは一度したことがあります。
最初、娘さんのほうが来ました。
お母さんが外国人と再婚したことで、たいへんな孤独を味わい、あれこれとショックな事態があったのです。

それからお母さんのほうも会いたいと言ってきました。

母娘いっしょではなく、個別に会うことにしました。
いっしょに会うと、からみあった関係ごと持ち込まれてしまうのです。
これは容易に解けません。
だから、別々に会ってそれぞれの言葉の構造(つまりこれは心の見えている部分の構造です)を整理するということをしたのです。

いろいろ話を聞いて、私はやはり関係そのものがたいへん窮屈だと感じました。
次のようなビジョンが見えたのです。

何か荷物がたくさん入った大きなリュックを背負って母娘が山道を歩いている。
ところが、このリュックは背負うところは二つありますが、荷物を入れる袋は一つなのです。
だから、歩調が合わないとひっばりあったり、押し合ったりして、二人ともたいへんに歩きにくいのです。

このような絵が浮かんだので、へたくそな絵を描いて、こう言いました。
「お母さん、今、こういう状態でとっても歩きにくいでしょう? 一回リュックの中のものを全部出して、整理しませんか。いらないものをずいぶん背負っているかもしれません。同じものがいくつも入っているかもしれません。そういうものを全部捨てて、二人それぞれの小さなリュックにしましょう。お母さんはお母さんの荷物、娘さんは娘さんの荷物を背負って山を登るほうがずっと気持ちがいい。それで、いっしょに歩く山道もあっていいし、そのうち、行きたい道が分かれても、それぞれのリュックなら歩いていけるでしょう」

いろいろな話をしたのですが、お母さんはそのことがいちばんストンと腑に落ちたようで、ずいぶん表情が晴れやかになりました。娘さんも20歳に近い年齢だったので、そういう時期だったのです。
その後、私が知る限りでは、この母娘関係はほどよい接点を見出して、娘さんも元気になったようです。


メールでいただいた2年間不登校の15歳の娘さんの話でした。
年齢は若いですが、彼女は今、必死で自分を確立しようとしているのです。

お母さんが大きなリュックをバラして、それぞれのリュックに背負い直す時期かもしれません。


具体的にどういうことかといいますと。

今、起きていることは3年前に根っこがあると書きました。

そうすると、今変えられるのは3年後のことなのです。

その3年間をどう使うか、娘にあげてしまうのです。

もともと高校に行かせるつもりだったでしょうか?

もしそうだったら、高校に行くはずの3年間、何をするか考えなさい。それまでは養ってあげる、ということです。そのあとは家を出て独立するか、相応の生活費を入れてもらう、ということが前提になります。
そして、高校の学費や進学にまつわる費用はなくなるわけですから、目的によっては何かまとまったことをするためのお金も出してあげる。
そういう時間とお金の範囲の中で、何をするか考えなさい、とボールを渡してしまうのです。

甘やかすのではありません。家にいてダラダラしているようだったら、家事などをきちんと分担させないといけません。

親がそれくらい大きなシフトチェンジをすると、子どもも自分の生き方をじっくりと考えます。

しかし、考えている途中で干渉すれば、子どもは自分の道を見つけられません。

一度そこまできちんと突き放す、ということが、別々の小さなリュックを背負うということです。



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Comment








酒鬼薔薇のような存在は、わざわざ作ろうとしてもなかなか作れるものではありません。

実際の因果関係はどうあれ、親は十分につらいと思うのでね。

世間の野次馬が自分の好奇心を正義と勘違いするのは、大間違いです。松本氏の断言はすばらしいと思います。
from. 村松恒平 / 2009/09/16 10:12 AM
過去に、酒鬼薔薇事件があった時、
ダウンタウンの松本氏が雑誌の取材に答えて「親の責任はゼロ」とコメントしていたのを思い出しました。

たしかに、日本のニュース(=日本人の多数派の考え方?)では、すぐに「親の育て方が悪かった」という方向に持って行きがちですよね。

親が原因ということにしておけば、第3者は責任を感じなくてすみますし。

でも、親から受け継いだものでもない、本人の生まれ持った性質や、社会や地域全体の問題もあると思うのです。

それでも「親の顔が見たい」「子供の荷物は親が背負って当然」とすべて家庭内の問題にするのっておかしいだろう、と、松ちゃんは言いたかったのかな…と思いました。

私はさすがに、親の責任は「ゼロ」だとは思いませんが、あれから10年以上経った今でも、「親がちゃんとしつけさえすれば子供は問題を起こさない」という考え方は根強いですね。

親の接し方や育て方で、子供の心の問題を軽くする手助けはできても、親の力で100%問題をなくしてしまうことはできないですよね…できると思っていたら、それこそ、一人の個人として子供に失礼なことですね。
from. てっぺい / 2009/09/16 8:47 AM
日本は「親の顔が見たい」という社会なのですね。
地域共同体も、親子の関係も従来のようではないのに、「親の顔がみたい」メンタリティは健在です。

だからといって、マスコミが「知る権利」を振り回して親を追いかけ回して謝罪させたがるのは、よくありません。下品で暴力的です。
しかし、マスコミを操っているのは大衆の心情なのです。

子どもは親の私物ではないので、一人の個人としてもっと尊重されなければいけないでしょう。
from. 村松恒平 / 2009/09/15 2:57 PM
多くの母親というのは、どうして、娘の荷物を背負いたがるのでしょうか。

私の母は「全身全霊をかけて家族の面倒をみたい」といいます。それがかえって子どもの重荷になるのですけどね。

「私って何もできない子なんだ」と思う気持ちを育てるだけだとおもうのですが。

あるいは、明らかに本人のミスなのに、他人が勝手に謝ってしまい、むりやり問題を終了させようとする人もいます。
(賛否両論あるかと思いますが、たとえば、犯罪を犯した成人の行為を親が出てきて謝罪する、とか。反省するのはいいのですが、公の場で謝罪するのはどうなのだろう?と思います。……色々あっても、成人したら本人の責任だと、私は思うのですが。私が無責任だといわれてしまっても、仕方がないですね)
from. / 2009/09/15 2:19 PM
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