INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
子育ての大原則!
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昨日、「登校拒否」と書きましたが、今は「不登校」というのだ、とコメントで教えられました。書いている主旨からも、不登校という言葉のほうがいいです。さかのぼって修正しませんが、今後は不登校という言葉を使います。

このことからもわかるように、私は現実的なケースを追いかけて、それをデータとして積み重ねて物事を理解しようとしてるのではありません。
あるべき理念をなるべく明確に言語化することによって、理念から逸脱したものをはっきりと照らしだそうとしているのです。

そのことがわかりやすいように、今日は子育ての大原則について書きます。

*

私がいつも言うのは、子どもは生まれついたとき、一つの「種子」だということです。

植物のタネをイメージしてください。生命力に満ちていて、可能性だけがあり、その中心に魂があります。
タネを割っても、根も茎も葉も花も入っていません。
それらは目に見えない力でプログラムされているのです。

それが家庭という土壌に植わったときに、発芽していくのです。

いちばん大切なことは、タネの段階で赤い花が咲くか、白い花が咲くかは決まっているということです。

白い花が咲くタネに一所懸命赤い水をやっても赤い花は咲きません。

では、親は何ができるのか?

環境を整えてやることだけです。
水、太陽、土壌。
それは親の愛情です。
愛情といっても、何か思いついたときに、ときどきスゴいものを与えるのではなくて、いつも子どもを見ていて、途切れなく、ムラやまぎれもなく継続するのが上等な愛情です。

子どもの自然な発展に干渉するのは、多くの場合、愛情ではなく、親のエゴの投影です。

カーリングというスポーツで滑らせた石の前を箒で掃くでしょう。私はいつもああいう姿を思い描きます。
親は子どもに奉仕するのではありません。親は親で自分として生きます。
でも、片眼で子どもに危険がないか、整えてやったほうがいい環境はないか、いつも見ています。
そういう関係が子どもがいちばんのびのびと育ちます。

受精した卵子というのは、たった一つの細胞ですね?

そこから細胞分裂を繰り返し、人の身体の部分ができていきます。
骨、神経、内臓、脳、眼球……
複雑精妙なもの、それも全然違うものが分化発展していくわけですが、それが一つの生命体として数十年を生き続け、さらに独自の精神活動まで形成していきます。
これはもう神秘以外のなにものでもありません。

そこに人が干渉する余地はありません。人が干渉すれば、この過程は歪められてしまうだけです。

では、人の精神はどうでしょう?

精神もまた独自の発達プログラムを内蔵しています。
それに干渉してはいけません。

子どもは一人では育ちません。
親が赤ん坊に話しかけてやらなければ、子どもは言葉を覚えません。
そのことで精神が発達のプログラムを持っていないと考えてはいけません。
話しかけてやることは私のいう「環境」です。

もし、発達プログラムが内蔵されていなければ、話かけても言葉は覚えません。
サルに話しかけても、彼らは話せるようにならないのは、プログラムが内蔵されていないからです。

そういうプログラムに沿って、適切な刺激を与えてやることがいちばん大切です。
でも、さほど難しく考えることはなくて、テレビなどの外の影響が入ってくるまえは、子どもがニコニコ笑うようなことをしてやればいいのです。

ボクシングの亀田兄弟とか、卓球の愛ちゃん、プロゴルファー、フィギュアスケートなどなどで活躍する選手で、親が英才教育を施したケースも最近目立ちます。
しかし、そういうことに簡単に憧れてはいけません。

それは、たまたま赤い花が咲こうとしているところに、親が赤い水をかけたという幸運なケースです。
才能、運、親の指導能力にも恵まれて、トップクラスになったケースはテレビに出て来ますが、途中で折れてしまった99パーセント以上のケースはテレビで扱われることがありません。

私の知り合いでも、あわよくばプロゴルファーに、と思って育てた娘が途中でグレてしまったという話を聞いたことがあります。
親の期待に一度乗ってしまったら、子どもはそれに答えられないとき、たいへんな自己嫌悪を味わうことになります。

習い事をさせるのはいいですが、結果を求めすぎてはいけません。

子どもの環境のために、植物の比喩でいうと、温室を作ってやれば大輪の花を咲かせることもあるでしょう。
でも、最初から小さな花を咲かせるプログラムの子もいます。
劣悪な土壌でもたくましく育つけれども、肥料をやりすぎると腐ってしまう子どももいます。

親の眼は、テストなどの結果を見る眼ではなく、子どもの性質と可能性をいつも見ている眼でなくてはいけません。

では、しつけはどうするの?
という話はたぶん次回。


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家族 / comments(3) / trackbacks(0)
Comment








花さん

子育ては手作り料理ですね。正解も不正解もありません、成功と失敗は……少しはあるかもしれませんが、背伸びや高望みをしすぎなければ大丈夫。まあ、相場というものがあって(笑)上でもなく、下でもなく。その親なり、その子なりに、育ちます。もっと安心して育てたほうが、子どもも安心しますよ。


TOKOさん

>気を抜かず、手を抜かず、力を抜いて

いいですね。気を抜いて、手を抜いて、妙なところで力が入るお母さんもいます(笑)。
お母さんが手を抜かずに育てた子どもはいい子になるのではないかな。
過干渉という意味ではなくてね。
from. 村松恒平 / 2009/09/11 2:33 PM
子育てをカーリングに例えられている箇所、
とても納得しました。

>親の眼は、テストなどの結果を見る眼ではなく、子どもの性質と可能性をいつも見ている眼でなくてはいけません。

ホントですね。
その子の生まれ持った個性を見極め
それを生かしつつ、自ら育っていく力を信じることが大切なのでしょうね。

この頃は
子どもを産んだ限り、子育てというのは死ぬまで続いていくんだなぁ…と思っています。
ただし
どこかの地点で親子が逆転していくのでしょうけど、それまでは、気を抜かず、手を抜かず、力を抜いて…と肝に命じています。


from. TOKO / 2009/09/11 2:04 PM
考えれば考えるほど子育てって難しいですね。親の思うように、子供に成長すると世間では、子育てが成功したというのでしょう。子供にとってそれがいかに苦しいことかは、自分でも言えるし、わが子にもいえると最近実感しています。どこまでが、我儘で、どこまでが自主性か難しいです。

わが子を不登校にしたくなくて、育ててきた感が多分にありました。「休みたい」と親に発信してくれたことは、はけぐちとして捉えていました。正解も何もわからない子育てです。
from. 花 / 2009/09/10 9:45 PM
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