INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
登校拒否の心の背景
JUGEMテーマ:

子どもが登校拒否になったらどうしよう? 
これは親なら一度は心配することではないでしょうか。

私は娘が生まれたときに、覚悟を決めました。
「子どもが行きたくないなら行かせないようにしよう」
そう決めるととても気楽です。

もちろん、素直に行ってもらったほうが面倒がなくていいのですが。

なぜそこまで考えたか、というと、自分が学校が嫌いだったからです。
大嫌いではないし、楽しいこともあったけれども、6対4くらいで嫌いだった。
休みの日はたいへんな解放感でした。

低学年のときに「行きたくないっ」と言ったことはあるような気がしますが、私のときは、まだ登校拒否なんて言葉はなかったので、一蹴されて諦めました。
当時から欠席がちな子どもはいました。
しかし、やはり、言葉ができたことで「公認された」、という面があるように思います。

自分がそういう子どもであったから、娘が登校拒否になっても不思議ではないかな、とそのときの対処まで考えたのです。

「子どもが行きたくないなら行かせないようにしよう」
というのは、どういうことかといいますと、子どもに自由な選択で学校に行っているという意識を持たせたかったのです。

水の入った洗面器に誰かに顔を押しつけられたら、誰でもパニックになります。
5秒も経たないうちに窒息しそうな恐怖でジタバタするのではないでしょうか。
でも、自分で顔をつけて息をどれくらい止められるか測るなら何十秒も平気です。

だから、親としては、行くのが当たり前だ、とか、行くべきだ、という圧力は一切かけないでおこうと思ったのです。
子どもが学校に行かないといったら、たいていの親は、「行くのが当たり前だから行きなさい」と叱るか、「なぜなの?」と問いつめるでしょう。
でも、私は「あっ、そう…?」といって受け入れようと思っていました。

幸か不幸か、娘は幼稚園も含めて、ずっと学校が好きでした。
家よりも学校にいるほうが楽しいようでした。

これは、私が「子どもが行きたくないなら行かせないようにしよう」と考えたことと少しは関係があると考えています。
もし、親が「子どもは学校に行くのが当たり前」と考えていたら、それは、言葉や態度ににじみ出るわけですから、子どもにとって、学校は「行かなくてはいけないところ」になってしまうわけです。

学校に行く人生と、行かない人生と二つあるとしたら、二つのうちの半分の面積しか自分のフィールドではなくなってしまうのです。
これは狭苦しいものです。
人はあるところに閉じこめられたら、必ず外に出たいと思うものです。
出入り自由だと思えば、落ち着いていられる。
親の心のフィールドが子どもの心の活動のバックヤードになります。

親が「学校に行くのは当たり前」と思っていたら、学校に行きたくない子どもは、その中でなんとかやって行こうとします。
しかし、うまく行かない子どももいます。それで苦しんでいます。
親に「もう行かない」と宣言したときは、よくよく苦しんだ後なのです。
その根っこは2年も3年も前にあるかもしれない。

子どもに今起きていることは、3年前の影なのです。
だから、親が必死になって「今」を否定しても、何も変えられません。
しかし、親は唐突に言い出したことにびっくりすることも多いでしょう。
子どもの気まぐれとして否定したり、説得したりしようとするでしょう。

そこでもう親と子どもの物語は、大きなギャップがあります。
ズレてしまって重なることがありません。

心という観点からみると、登校拒否はそのように見えます。

学校教育というのは、教育の中では、大量生産品なのです。
家庭で教える、家庭教師が教える、師弟関係の中で師が教えるなど、教育にもいろいろな形があります。
また独学という手段もあります。
しかし、どれもあまり手軽ではないので、お金も手間もかからない便利な手段として学校教育を選択することになるのです。

だから、工場のような大量生産の教育からは、はみ出すこどもがいる、ということを当たり前の事実としてみていかなくてはなりません。

(親子の話、続きます。それから「世の中からはみ出したら……」のコメント、見てください。大事なことが書いてあります)



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そうか。今、不登校ですね。

登校拒否というと、登校する、しないの間に壁を作ってしまうので、私の書いた主旨からも、不登校という言葉のほうがよいですね。

娘さんは、「なんとなく学校に行く」、「親が期待しているから行く」から、「自分の意志で行く」に内部のプログラムを書き換えたのです。
自分の基準で判断できる頼もしい娘さんだと思います。

本当は高校に上がるときに、「高校に行きたいのか」という意志を怖がらないで、確認したほうがいいのだと思います。

「行くのが当たり前」、「みんな行くから」で、高校3年、大学4年を決めてしまうのは、諸悪の根源です。

……といいつつ、我が家はできませんでした(笑)。
from. 村松恒平 / 2009/09/10 10:21 AM
秘伝のメルマガで「心が大事」のブログを知りました。今では「不登校」という言葉で言われていますが、長女が高校2年生の時に「登校拒否」になりました。親として高校を卒業してほしいので、娘に学校へ行くことを言いましたが、休ませることを決めてから1ヶ月後に登校するようになりました。
from. araya / 2009/09/10 8:33 AM
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