INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
親子の葛藤/一通のメール
 JUGEMテーマ:




お子さんが登校拒否状態のお母さんからメールが来ました。
ぼくのメルマガの古い読者の方です。

このブログと関係のある部分を抜粋してご紹介します。

このメールをきっかけに、親子関係についていろいろ考えていきたいと思います。



**
(前略)
多くの人が読めるようにと
ブログで提供してくださっていること
本当にありがたく思います。
本だったら機会を逃していたかも知れないからです。
 
 
そしてタイムリーなことに、
私自身、
 
「世の中からはみ出したら」と、
「引きこもり」
 
ということが、今まさに自分に起こっていることなので、
余計に興味を持ちました。
 
 
 
実は自分の末の娘(15歳)が
現在不登校の真っ只中で、
大変な日々を送っています。
 
 
 
世間的に見ると大変そのものなのですが、
今現在、私は娘と大きな喧嘩や葛藤を経て、
とても落ち着いています。
 
 
 
不登校はもう2年にもわたるのですが、
今までゆっくりと身構えていたのが
 
(内心はもちろん不安だらけでした)
 
8月の一ヶ月でものすごいぶつかり合いがあり
 
(ちなみにうちは母子家庭なので
私が主に娘のストレスのはけ口となります)
 
それをきっかけにして
ここにきて私がかなり積極的に娘の問題に取り組む運びとなったのです。
 
(今までは娘自身乗り気でなく、
時期がまだ早いかと思っていたのです・・・)
 
 
 
それで自分のアンテナをいろいろと張り巡らせてみたら、
いろんな考えとの出会いがあるある。
 
ほんの短い間に、
こんなにも自分は間違った先入観を持っていたのか、とか、
 
(実は私自身高校のときに不登校気味になったことがあり
頭ではわかったような気になっていたのです)
 
本当に多くの気づきがありました。
 
 
 
うまくまとめることができませんが、
究極はそれは母親である自分の問題でもあると思いました。
 
 
私も一緒に考えを改めていかなくてはならないなと
すごく感じたんです。
 
 
 
自分もずっと生きにくさを抱えながらら生きてきて、
そんな私が子供を育てている。
知らないうちに私の生きにくさが
子供に投影されているんじゃないかと
思います。
 
 
もしかしたら全然お門違いなことを言ってるかもしれないんですが、
 
「分際を知る生き方」とか
「心をはかるものさし」とか、
 
そういうものへの考え方が、
私はずっと偏ってきたと思います。
だから自分はずっと苦しんできた。
 
 
 
で、ここに来て子供が2年も学校へ行かないという事態になって、
こうならなかったら、またこの8月の大騒動がなかったら、
まだまだ子供にいろいろと欲ばっていたと思うんです。
 
 
でも、ぶっちゃけ究極は
 
「子供が自分で納得できる人生を歩んでくれたらそれでいい」
 
 
というところまで、いろんなものがそぎ落とされてきました。
 
 
「自分に納得できる生き方」
 
って点では、実は私自身できてるのか?っていうと
今まで疑問でした。
 
 
それはなぜかと言えば、
上にあげたような
 
心を物質的なものさしではかろうとしている、とか、
分際を知る生き方がどういうものなのかが、
いまひとつわかっていなかったからだと思うんです。
 
 
 
そして今まさに子供も
「分際を知る生き方」に迷い迷っています。
村松さんが書かれている内容と同じことで
嘆いています。
 
 
自分はどうしてこんな家庭環境に生まれたのか、とか、
自分はどうしてもっと可愛く生まれなかったのかとか、
自分にはどうして何も得意なものはないのだろう、とか、
自分はどうして周りのみなが一目置くような存在じゃないのだろうか、とか、
 
 
・・あげればきりがないくらい、自分の悪いところを挙げては
それは私(母親)のせいだ!とぶちまけてきます。
 
 
もちろん私にできることは、
心から、いつか自分で気が付いて
自分で人生をよくできるように・・・と願うことだけです。
 
 
でもその前に
母親である自分はどうなのか?と振り返ると、
この歳(45歳)になっても
情けないくらいに自分を卑下して
苦しんで生きている。
 
 
これはいったいどういうことだろう???
 
 
子供の一件があってようやく、
自分の問題でもあること、
ずっとひそかに悩んできたことの元々の出所が
いろいろなもののお陰で
わかってきた気持ちがしています。
 
 
 
・・・と自分は強く感じています。
 
 
 
子供が言う、
「自分が生まれてきた意味がわからない」
という言葉。
 
 
私は自分でどうとらえていたんだろう?と思います。
私もよくわからずに生きてきたと思います。
 
 
 
小さなころに親に存在を認めてもらえないと、
自分がもてなくて
周りの価値観に揺さぶられてしまうんですね。
 
 
 
私はずっと、他人に認められるってことばかりに
重きを置いてきたと思います。
 
 
 
他人のことが気になって仕方なかった。
他人からの評価がずっと気になっていた。
 
 
でも今、娘の問題に一緒に向き合って、
そこってすごく大事なポイントだぞって思います。
 
 
誰のための人生か、
自分の人生をどう生きるべきか、
きっと軸がぶれていると
ずっと苦しいままなんだ・・ということに
子供を通して
教えてもらっている気がします。
 
 
だから、やっぱり困難は起こるべき意味があるんだなぁと思います。
こんなことでもなかったら
わかろうとする糸口にさえ
出会えなかったと思います。
 
 
 
・・勝手なことばかり書いてすみません。
 
 
 
こうして書かせてもらうだけでも
気持ちが落ち着くので不思議な感じです。
 
 
 
・・・という紆余曲折があって、
村松さんにはとても助けられています。
 
 
 
それを伝えたくて。
 
 
 
本当にありがとうございます。
 
 
 
村松さんの著書を読ませていただいてから、
出直してきます!!
 
 
 
これからも書いてください!!
楽しみにしている皆さんのために!!
そして私のために!!



***
(メールは以上。以下、村松コメント)

そうですね。

子どもが屈折してしまったのに、「自分には何の責任もない、子どもが悪い」という親がいたら、もうそれだけで子どもは出口のない苦しみに閉じこめられてしまうでしょう。
言葉で言わなくても、そう思っているだけで、同じことが起きます。

しかし、あなたはきちんとぶつかりあって、一つの方向を見出したようです。
だんだんよくなりますよ。

よいきっかけを与えてくれたので、明日から親子のあり方について書いていこうと思います。

とてもシンプルに考えられるようになると思います。


**
 多くの方に読んでもらえるようにワンクリックお願いします。

家族 / comments(0) / trackbacks(0)
Comment








from. /
Trackback
この記事のトラックバックURL: http://kokorogadaiji.jugem.jp/trackback/66