INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
世の中からはみ出したら……
JUGEMテーマ:

いつの時代も、世の中の価値観とうまく同調できない人はいます。

程度問題だと思いますが、1つのクラスに3〜4人はいるでしょう。それから、大人しく授業を聞くような、うまく順応している大部分のまじめタイプがもちろんいて、その中間で、不良でもないけど、まじめとも言えないのが、私の時代にはクラスに4〜5人居たものです(私はこの中間層だったでしょうか)。

授業に全くついて来られない生徒もいました。
授業がつまらなくて、遊びたくて仕方ない、というタイプもいました。早熟すぎて、先生のいう言葉の浅薄さを見抜いてしまうようなタイプもいました。こういうタイプもわりと不良化するのです。
そういういろいろなタイプがいましたが、今のように多動症なんて病名はなかったのです。
病気自体がなかったのか、名前がなかったのか、よくわかりません。

とにかく、40人のクラスがあれば、10人くらいは学校ではややおさまりが悪いはみだし部分を持っていたのです。

今、そういうはみ出した子どもたちが、だんだん居心地が悪くなっているのではないか、と想像します。
はみ出した者同士の横のつながりもあまりなくて、バラバラになってしまっている雰囲気がすごくありますね。

そうすると、はみだした人は、なんとかはみ出していないフリをしないと、いじめられたり、仲間はずれになったりする。このブログのコメントを見ていても、そういう恐怖心を感じます。
平均値からはみ出したくない、ヘンに思われたくない、ヘンでありたくない、という恐怖です。

でも、どうしても多数派にうまく順応できない人は、各種オタクや、引きこもりや、コスプレイヤーなど、さまざまな存在形態を取るのでしょう。
でも、結局、一人になるのがコワいのは同じなのです。

アゲ嬢というのが流行っていますが、あんなに髪を盛り上げて誰も奇妙とは言わないのです。
みんなでやっているから。
みんなで渡ればこわくない、ということです。
誰もやらないのに一人でやったら、私はエラいと思いますが、世間は思わないでしょう。
かつてのガン黒とかもそうですね。
一般の中では目立って浮いても、その仲間の中では溶け込めるのです。
そういうふうにみんな仲間を見つけてツルんでしまいます。

ブランド商品を買う心理について、かつてこんな解説を聞きました。

「ブランドものを買う人は、ブランド商品のバッグを持つことで目立ちたい。けれども、またブランド商品をおおぜいが持っていることで価値観として目立たずに埋没したいのだ」

いちばんメジャーな枠組みはどうも居心地が悪いので逸脱したい→それであるグループに入ることで自己主張する→しかし、その中で突出して目立ちたくはない→その小集団の中で順応しようとする

こういう流れがあって、結局、狭い小集団に逃げ込むのですが、その中でも、ムラ社会のようになって、ボスができ、掟ができ、不文律ができたりして、その中で異物として排除されることを恐れいなければいけないことになったりします。
こうなると、話も人もみみっちくていけないのです。
もちろん、居心地のいい小集団だってあると思いますけれども。
ある中学生のグループの中では、メールが来たらすぐに返さないと仲間外れにされる、というような記事も読みました。
そういうのって耐えられないですよね?

そんな中にいたら、心の安定もないし、いつまでたってもその人独自の価値観など育ちません。

ドロップアウトするときは、とことん距離をとることです。
「一人になること」を恐れないでください。

一人になって、自分は何がしたいのか、何に向いていて、何に向いていないか、しっかり感じ取るのです。
早くそれを知った人は人生が充実します。

そして、自分の時間を有益に使ったほうが、やがて、ずっと意味がある人との出会いができるでしょう。
自分を確立するためには、しばしの孤独も甘受しなければならないこともあります。




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心のエネルギーの法則 / comments(6) / trackbacks(0)
Comment








その話も大切だねえ。

獣も傷ついたときは、何も食べずにじっとしていると言います。
外からのインプットを遮断すると、内側の力が湧いてくる。

何かを食べると、その消化にもエネルギーを使うからね。

だから、引きこもってもネットとゲームばかりしているというのは、反発力が生まれない状態なのです。

あなたの場合、きちんと閉じた、あるいは閉じざるを得なかったのがよかったんだね。

人は孤独な時間をバネにしてしか何かを創造することはできないと思っています。

孤独バンザイ!
from. 村松恒平 / 2009/09/09 4:32 PM
こちらこそ、コメントをありがとうございました。

先生と読者の方を勇気づける?ええっ?と驚いてしまいました。
勝手な体験談を垂れ流しにしてしまった、と少しばかり反省していたからです。


私が立ち直った道筋のたとえが心に沁みました。

私は、無意識に轍を消していたのですね。
人間は結構タフですね(笑)

孤独になったことで何か良かったのか、書き忘れていました。

孤独になることで情報の整理が出来ました。
おかげで振り回されることが無くなりました。

うつ病になったとき、テレビも本もネットも何もかも見ること読むことができなくなりました。
音楽も聴けなくなりました。

ところが、ただ廃人のように眠っているだけなのに、五感がさえてくるのです。

自然の色鮮やかに目を見張ったり、味覚が敏感になってインスタントものが苦手になったり(今はこの頃よりも鈍感になりましたが、それでもジャンキーものは苦手です)
街中の雑音がうるさくて、山や雑木林の中でムシの声を聞いたり……

倒れる前の私とは正反対の嗜好になりました。

そのことがさらに直感を磨き上げていったのかもしれません。

この項の「孤独」の大切さを、改めて感じます。

……そういうわけで、孤独バンザイ!
from. / 2009/09/09 2:06 PM
コメントありがとうございます。

具体的な体験談は、言葉に力があって、書いている私も、また読者も勇気づけられます。

長い間、心が苦しい環境にある人は、それが当たり前だと思ってしまうのです。
人生とは重く苦しいものだ、と。

でも、心は本来、いつも負担を抱えているものではありません。
ずっと不快であれば、何かを変えていくように行動しなければいけないのです。

それに気づくかどうか。

気づかなければ、ジリジリと心に負担が溜まっていきます。
あなたの場合、そうしてうつ病になり、極限状態になったときに、直感が働いた。
直感を信じることができたのですね。

自分で自分を切り替えられた。
これが一つの要素です。

もう一つが、

>今までの環境と一切縁を切らざるを得ない情況になった

ということにあると思います。

地面を馬車が通ったあと、轍(わだち)というものができて、後の馬車はそこを通らざるを得ない。
家族関係は、それと似ていて、悪い関係ができてしまうと、そこから抜けることができません。
何か月間か、完全に絶縁しないと、この轍は埋まりません。
一回完全に切れてしまえば、双方がお互いに関係を客観的に見直し、違う接点を意識的に再び作ることができます。
しかし、関係を保ったまま、少しずつ改善する、というのは不可能に近いのです。

その二つの点で、この体験談は、理想的な、といったら悪いけれども、よい例だと思います。

*
愛という言葉は、執着と混用する人が多いので、私はあまり使わないようにしています(笑)。

少数派は、思っているより少数派ではないかもしれないですね。
でも、多数派ばかりに光が当たるので、バラバラに存在して、つながりも勇気も元気も持てないのです。

少数派が勇気を持てる仕組みや動きを同時多発的にいろいろなところで作っていきたい、というのが私の漠然とした夢です。
ただそのためには、少数派がもっと勇気を持って動き出してくれないとダメです。

「心が大事」はその理念の部分を書いているのです。
from. 村松恒平 / 2009/09/09 1:40 PM
昨日の、メルマガ読者の方のメールを読み「あ……」という言葉しか出てきませんでした。

「あ……」という言葉の中には色んな思いが含まれています。
心の中に様々な思いが並んでいる、と言ったほうがしっくりきます。
その、「様々な思い」の一番先頭に立っているのは「私もそう」という、共感する思いでした。

「自分を卑下している」

この方と同様に私もずいぶんと卑下して生きてきました。
自分を認められないと、子どもも家族も認められません。
さかのぼって行くと、私の親も自分を認めることができませんでした。

でもある出来事(私の場合はうつ病の発症でしたが)がきっかけで
まったく正反対の生き方を歩むことになりました。
それは私が決心して舵をとった、というよりも周りの情況が舵取りを教えてくれた、という感じでした。
でも、舵取りの最終判断者はこの私なわけで……判断を迷う、私の背中を押してくれたのは私の「直感」でした。

今まで私の「直感」は少数派に属していたために否定されたり批判の対象になってきました。
批判するときいつも「もっともらしい言葉」例えば「子どもは親の言うことを聞くものだ」「子どもは親を愛するべきだ。だから何でも言うことを聞け」「愛しているんだから、何をしてもいいと思って(虐待を)してしまったのだ。こんなに愛してもらって、ありがたいとおもえ」「これ以上文句を言うと見捨てるぞ」など、
今にして思えば「意味不明」な言葉でがんじがらめになっていました。
(どうやら「愛」という言葉に振り回されてきたように思います)

しかし、うつ病を発症して今までの環境と一切縁を切らざるを得ない情況になったとき
私は初めて自由になりました。

不思議なことに、縁を切った後、私の周囲には「肯定する言葉」で溢れるようになりました。
私のいっぷう変わった「直感」を「面白い!」と褒めてくれる人たちと出会う機会が増えました。
「それはできません」「いやです」という私の気持ちをきちんと受け止めてくれる人と出会う機会が増えました。

いつの間にか、自分のことを愛せるようになっていました。
家族も愛せるようになり、今は平穏に暮らしています。
(実は、どうしてこんなに変わったのか今でもわかりません)

そして「愛」という言葉の本質を見ることが出来るようになってきました。

孤独になる、ということは一見嫌なことですが孤独になることで自分の価値をもう一度立て直すことができました。
うつ病も発症したときは苦しかったのですが
でも、発症しなければ命がけで人生の方向を転換することはできませんでした。
自分の中にすばらしい感覚が眠っている、ということにも気がつかず、一生懸命、人の顔色を計算して、多数派を演じていかなければなりませんでした。
そんな一生を送るということを考えると、ぞっとします。

そういうわけで……少数派バンザイ!
from. / 2009/09/09 10:01 AM
目つきがいいよねー♪
from. 村松恒平 / 2009/09/08 12:06 PM
今日の絵は、特にハマる〜 うひゃうひゃ です。
from. てくてく / 2009/09/07 11:03 PM
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