INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
T君からのメール
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今朝起きてみたら、5月にセッションをしたT君からメールが来ました。
昨日の記事を読んで書いてくれたようです。
一部をご紹介します。

**

村松さん。
 
 
ふと気にすれば、過去に抱え込んでいた「よく分からない」という苦しみが今の自分にはありません。
'メールを送る'行動を起こしたのは、今でも良い事だと思いますし、その一歩先の村松さんとの関わりも良い転換期の始点のような気がします。
改めまして、ありがとうございます。本当に、生きている間に巡り会えて良かったです。(ちょっと大げさかも(笑))
 
少し前はそのまま最近のことをメールしようと思ってました。
でも「心が大事」でセッションのことが書いてあった、読んでみたら心の中で「ウッ」って声が出てきそうでした。
昨日(9/3)の、
 
>このようにして、1時間半で、言葉の定義や使い方のごく一部を補正するわけですから、残りの部分は再計算して確かめていく必要があります。
>そういう時間は本人自身のものです。
>セッションが終わってからの日常の時間にそのプロセスは進みます。
>だから、1〜2週間くらい経って、再計算が進み、消化された頃にメールをもらうとだいたいの様子がわかります。数ヶ月、あるいは1年以上が経ってまたメールをくれる人もいます。
>そういうのを読むのも楽しみです。
 
のところで、村松さんとのセッションで自分は何をされたかぼんやり分かったような気がしました。
と言っても、それは言葉以前のところで感じ、ただ受け入れたんだと思います。まだ言葉を思い浮かべることは出来ても、言葉で表せていませんから。
 
 
もう村松さんが色んな形で言っていますが、自分は整理する準備、実際に整理する手前まで来たのだ。村松さんに連れて来てもらったのだ。
ここからは、今からは自分でどうにかするんだと、そう思いました。
それと、これからについて“やり直そう”“仕切り直そう”と思いました。
 
今こうして人に話すという形で書いても、このことになんらおかしいと思いません。
自分の過去だけど、自分だけど自分じゃない別人の過去だと思っている。だから、何も知らない、何も分からない、子どものようにただ一点以外は何もない状態から生きることを始めよう、と思っています。


(個人的な内容なので中略)

今一度言わせて下さい。村松さんありがとうございます。
上の文を書いたおかげか、何か少し心がほっとしたような安らいだようなそんな気がします。
ああ、これが理解していくことで自分が変わる、ということですね。
自分の中ではとても大きいことでしたので大か中感動ですかね? でも人から見たらとっても小さいことですし、「他の人にとっては小感動。自分にとっては中感動。」ってところかな。
 
何か、このメールを書く前に書こうと思っていたことが、わざわざ村松さんに聞く事でもないんじゃないかって思ってきました。
自分はこうこうこう思ってます。これから時間がかかっても何とかやっていきます〜、みたいなこと書こうと思ってました。
・・・別にいいですね、当たり前のことですから(笑)

(後略)
*

以上のようなメールです。T君ありがとう。

心は本来、形の固定されないもの。エネルギー、あるいは場(磁場のようなもの)としてとらえられるものです。

でも、悩みは心そのものではありません。悩みは時間とともに堆積するのです。
たとえば、心という川の流れに、誰かにイヤなことを言われて、一本の言葉の杭が刺さったとします。
それを放置すると、そこに流れて来た水草やら、ビニール紐やら、いろいろなものが絡まっていきます。
これが「恨み」というものです。
恨みで川の流れは淀んできていますから、勢いを失い、恨みはますますいろいろなものを巻き込んでいきます。
こういうことをかつて日本人は知っていましたから、恨みは「水に流す」という知恵がありました。
それは相手のためだけではなく、自分自身の精神衛生、すっきりした生き方のためでもあったのです。

今は、恨みを自分の心の真ん中に据えて生きているような人がいます。
「人を呪わば穴二つ」といって、いいことはないのですがね。
そうこうするうちに、心の川には砂洲ができてしまったり、川の流れ自体が削がれて弱まってしまったりするのです。

そうして時間をかけて堆積してしまったものは、解消するにも時間がかかります。
でも、解消する方向に働き出すか、ますますそれを堆積させていくかではまるで心の軽さが違います。

もともと川の流れには勢いがありますから、原因になった杭自体をえいやっ、と抜いてしまえば、全てはいっぺんに流れていきます。

しかし、整理を始めてみないと、埋もれてしまって杭がどこにあるかがわかりません。
どこにあるかはわかっても、いろいろなものが絡みついていて、それをどけないと抜けない、ということがあるのです。

心は自由であるのがいいのです。
でも、自由というのは、ある達成された状態ではなくて、自由でありたいと思って、その方向に歩み出した人は、もう自由なのです。
自由とは、そういう永遠のプロセスです。
自由に向かっていくか、いろいろなものに絡め取られていくか。

人は自分で方向を選ぶのです。


**

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Comment








優しいですか。
ときどき非情だと思われたりもします(笑)。

でも、私はいつも自由であろうとしている人の味方です。
from. 村松恒平 / 2009/09/05 12:17 AM
今日のイラスト、いいですね。
村松さんのコメント、優し〜い(T.T)。
from. / 2009/09/04 8:37 PM
おっけーぃ!
from. 村松恒平 / 2009/09/04 5:06 PM
恨みのメカニズム、とてもよくわかりました。
実体と結びつかない、だから虚しさだけが空回りしてたのですね。

決めました。

水に流します。

ありがとうございました。
from. / 2009/09/04 5:02 PM
恨みは、あなたの心の中だけにあって実体と結びついていないのです。

10年も20年も前のことを恨んでいる人がいます。
当人がもう周囲にいなくても、恨みは消えません。
知らないところでじつは相手が死んでいても、恨みは消えません。

……ということは、恨みは実体と結びついていないのです。
あなたの心の中に独立した幻影としてあります。
幻影であるから、現実によって補正されることはありません。

恨みを抱き続けるかどうかは、相手ではなく、あなたが決めるのです。
あなたの心の中に自分自身のコントロールが利かない部分がある。それがいろいろなことに干渉してきます。それを放置しておくかどうかです。

(もし、その相手が今もあなたに悪さをしているなら、それはまた別の現実的次元で対処しなくてはいけません。しかし、そのことよりも先に心を整えます)

長年恨みを抱いて来た人は、恨みと実体が分離できない人が多いのです。
恨みのために大量のエネルギーをロスして、苦しんできたので、そのことが無意味だったと否定したくないのです。
パチンコでスると熱くなって、途中でやめられないのと似ています。

相手に報復したいという気持ちはわかりますが、もし、相手が悪意を持っていたり、その人も強い恨みを抱えていたりすれば、本人もバランスを崩して苦しんでいたり、自滅したりするものです。
そういう実体も恨みを抱いている限り見えてきません。

恨みは一生モノですよ。
大事に取っておくと、一生働き続けます。

私はこうして説明することはできますが、決めるのはあなた自身です。




from. 村松恒平 / 2009/09/04 3:46 PM
恨みが出来上がる過程を「杭」という言葉でわかりやすく教えてくださってありがとうございます。

「水に流す」という言葉は昔からよく聞きます。
言い換えると「許す」ということにつながると思うのですが、
しかし許してしまうと相手が付け上がるのではないだろうか、と思うこともあります。


喧嘩両成敗という言葉があります。

しかし、それにしても理不尽な。そういう場合に喧嘩両成敗という考え方は、ひどく私たち人間を苦しめます。
そのようなときは、「水に流す」ということは結局自分の敗北を認めることにつながる、そういう意識が私の根底にあります。
そして、なんともいえない惨めさに打ちのめされます。
from. / 2009/09/04 12:06 PM
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