INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
引きこもり脱出1 大感動より小感動
JUGEMテーマ:

「引きこもり気味の人が自分をネットやテレビのモニターから引き剥がそうとしたら何をすべきか」

第一に私は「図書館通い」を勧めます。

「なんだ、インターネットと図書館ではあまり変わらないではないか」と思う方もいるかもしれません。そういう方のために、前回【心には物質的モノサシは使えない】という法則を挙げておいたのです。
「あまり変わらない」の「あまり」の部分が、心にとって大変大きいのです。
その「あまり」の部分にどれくらい多くことが詰まっているか、一緒に観察しましょう。

他にも方法はありますが、図書館のいいところは、まず第一にお金が全くかかりません。
第二に、人とほとんど口を利く必要がありません。引きこもりで当面人と接点を持ちたくない人にも入りやすいのです。

図書館通いの利点をネットサーフィンと比べていきましょう。

まず図書館まで移動する、こと。

徒歩でいけるといちばんいいです。
歩くということで、血行や神経が刺激されます。

老人や病人が寝たきりになると、いっぺん衰えるという様子を見たことがあるでしょう?
歩くことは、じつにさまざまな身体の調節機能と関わっています。
そして、身体の調子が悪ければ、考えもネガティブになります。
血の巡りがいい、ということは、感覚も新鮮になり、頭も冴えるということです。

ネットをしていると、眼と神経に異様に負担がかかりますけれども、他の部分は使いません。全身の血行が悪くなり、肩や首の凝り、腰痛などが出てきます。

まずこのような身体に関わる差があります。

それから、外の空気、光に触れるということがあります。

家の中というのは、変化に乏しいのです。

新しい電化製品が来たり、少しずつは変わっていますが、ずっと近くにいれば変化に気づきません。
また自分の部屋があるなら、そこにも変化がありません。
引きこもりの人は部屋の模様替えというものをしないはずです。

なぜかというと、部屋は心の比喩、アナロジーだからです。

いつもきれいにしている人は、心の中も片付いているので、行動的なはずです。
いろいろなものが堆積している部屋にいる人は、心の中にもいろいろなものが溜まっています。
(だから部屋をきれいにするのが可能であれば、図書館通いよりもっと直接的です!)

私の部屋も超雑然としていますが、お客さんが来たり、パーティをやったりするときに極端に不快でない程度に(お客さんはどう思うのかわかりませんけど)片付けます。

部屋のアナロジーの話はまた機会があれば詳しく書くとしまして、そういうわけで、引きこもっていると毎日見ている景色も同じで、心に刺激がないのです。

そして、家族ともあまり話をしないケースが多いでしょう。
あまり突っ込んだ話をすると、言い合いになってしまうので、お互いにごく表層的なことしか言わない小康状態というケースが最も多いように思われます。
(そうでなければ、どんどん関係が悪くなっていく途中です)

だから、家の中には、心に対する刺激が少ないのです。

町を歩けば、新しいお店ができていたり、古い店がつぶれていたり、いろいろな変化を眼にします。このケーキ屋、ちょっとおいしそうとか、あの店は老夫婦でやっていたから、続けていけなくなったのか、とか、ちょっとした心の動きが生まれます。

そういうのも、感情が動く、感覚が動くので、「感動」と呼びたいのです。
心をいつもちょっとずつ動かしておく。
人の中にあるものは、動かさないと固くこわばっていきます。
心も同じで、いつも小さく動かしておくと凝ることがありません。

難病ものの映画というのは、作る人の気持ちも観る人の気持ちも全くわかりませんが、あれは「大感動」に分類されます。「大感動」というのは、嘘っぽいのです。
劇中人物に感情移入すると、その人が死んでしまう、というドラマ作りは、一言でいうと、「安易」という言葉になります。

しかし、それでも大感動を求めるのは、ふだん小さな感動をしていないからだろう。
大感動でグリグリと動かさないと動かないのは鈍った心です。

お店だけでなく、人の姿も面白いものです。その人の生活感情が表情やファッションに浮かんでいます。きれいな人、くたびれた人、あぶない人、じつにいろいろな人が観察できます。

それから緑の植物。大都会でもけっこう植物がありますね。
緑というと一つの言葉ですが、じつにさまざまな緑があります。
絵を描くようになって一段と面白く感じるのですが、色というものはとても不思議なものです。濃さ、明るさ、色味にあらゆる段階があります。

パソコンやテレビモニターに映る色は、いかに再現性がよくても、本当の色ではありません。現実の色は光の加減によって、刻々と変わります。

それを緑と呼んだとたんに、たった一つの名前になってしまうのです。

家から図書館まで歩いていく、それだけでいろいろと心が動くのです。
それには誰も注目しませんが、決して小さなことではありません。

目的意識だけを見ていると、図書館に行くまでは無意味な、モノトーンな時間になりますが、心という視点で見ると、その間にもじつに多彩なことが起きています。

このことだけで、だからどうだ、という大きな変化があるわけではありませんが、軽視しすぎてはいけません。
心という範囲で起きる現象はすべて関連しています。

物質世界で小さく見える要素が、心の中ではどれくらい働いているのか、これは注意深く観察しなくてはいけません。







 
心のエネルギーの法則 / comments(2) / trackbacks(0)
Comment








心けっこう凝っちゃうでしょう?

このヒトはライオンだと想像されます。
from. 村松恒平 / 2009/08/28 11:11 AM
心が凝っちゃう という表現と 最近の変な絵がなんだか好き。
from. てくてく / 2009/08/27 11:06 PM
Trackback
この記事のトラックバックURL: http://kokorogadaiji.jugem.jp/trackback/54