INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
良寛さんの自由
 良寛さんは、子どもと無心になって遊んだという逸話で有名です。鞠をつくのが大好きだったとか、隠れん坊で子ども以上に夢中になって、子どもがすっかり帰ってしまったあとでも隠れ続けていたとか。

禅僧として、相当な学識もあり、修行も積んでいたはずですが、子どもと遊ぶときにはそんなことは邪魔にしかなりません。
むかし、「教養が邪魔をする」という言い方をしましたが、持っているものがかえって心の動きを邪魔してしまうことはよくあることです。
「自由とは失うものが何も残っていないこと」とジャニス・ジョプリンも歌っています。

良寛さんは子ども以上に子どもになれた。
子どもと遊ぶときには、学識も修行も全く連動しないのです。
これが自由人ということです。
連動がないことが自由である、というわかりやすい例です。
最初に自由とは精神の領域のことだ、と書いたのはこのことです。

良寛さんの庵の下に竹が生えてきた、という逸話もありますね。
私は子どもの頃、その竹のために床を切り取ってやった、というお話として読んだのですが、いま調べると、実際は、床を突き破って伸びるままにしていたらしいです。
そして、今度は竹が天井にぶつかってしまった。
こちらは破れそうにない。
それで天井に穴を開けるために近くにあった蝋燭で焼こうとして、庵ごと火事にして燃やしてしまったというのが元の話らしいです。

……バカですね。
これは子どものような大バカ(笑)。
子ども向けの本には危なくてそのまま書けない。
これが禅です。

禅の逸話というのはとても変でとても面白いものが多いので、私は大好きです。

本人も大愚と号していたので、自覚も立派なものです。

良寛さんの言葉として有名なものに以下があります。

>災難に遭うべき時節には災難に遭えばよく候
死ぬべき時節には死ねばよく候
これ災難を逃るる妙法にて候

今までこのブログでは、相対的な価値を空間的に並列していましたが、これは時間的なものです。

災難が訪れたとき、それまでがいかに恵まれていたかを思い出して嘆く、ということを人はするわけですが、これはよいときに比べて今が悪い、という比較、すなわち相対的な価値なのです。

また早く災難から抜け出したいと焦る気持ちも、同様に比較なのです。

そういう相対的な価値を新たに生み出すのではなくて、今生きているという一なる生命の絶対値に戻りなさい、というのが災難に遭ってしまいなさい、ということです。

災難と向かい合えば、必死の力が出ます。
しかし、逃げてしまえば、過去はよかった、未来はいいだろう、と心のエネルギーは今に向かわずに拡散して、かえって災難は長引き、苦しみは増えます。
災難そのものと、災難が生み出す心理的な苦しみの間に連動を作り出してはいけない、ということです。

数年前に病気をして入院手術をしたときに、私はこれを具体的に知りました。
手術はどう考えても苦痛です。
「何日に手術します」と宣告されると、憂鬱になります。
できれば手術なしで済ませたいのですが、そうもいきません。
手術の苦痛をあれこれ想像して不安になったりイヤな気持ちになるのは、商品の代金の他に消費税がつくようなものです。
ヘタをすると、消費税のほうが代金よりも高くなってしまいます。
どちらにしてもに避けられない苦痛なのだから、考えてもムダです。

言うは易し、行うは難し。
恐がりなので、全く想像しないわけにはいきませんでしたが、心が苦痛を作りだしていると理解したら、事前の苦痛や不安はかなり軽減しました。
すぐに「まな板の上の鯉」になれる人は、ずっと苦痛が少ないでしょう。

そういう構造を理解することが大切です。
理解しただけで、心はエネルギーの流れを変えるのです。

だから、あまりがんばる必要はありません。
ただ理解するだけでいいです。










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