INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
答 エネルギー的な見方
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前にも書いたように、「分際を知る」というのは、上から目線で言われると反撥したくなるような言葉です。しかし、「分をわきまえる」というのは、かつては庶民の美徳であったのです。
そんな古いカビの生えたような道徳を物置から引っ張り出してくる必要があるのか、と思うかもしれません。しかし、日本語の独特の言い回しには知恵があることが多いのです。

固まった結論を押しつけられる道徳は御免ですが、心のエネルギーの制御という観点で、「分をわきまえる」ということを捉えてみましょう。

今の時代は、どういう時代かといいますと、簡単にエネルギーが拡散してしまう時代なのです。
私が関心がある領域でいいますと、物を書くという本筋以外に、テレビ、ゲーム、映画、DVD、マンガ、小説、音楽、アート、お酒、グルメ、カラオケ、ダイエット、囲碁、将棋、麻雀……細かく分けていくともっとあります。

電子機器の時代になって、電源タップも大型になりタコ足配線になったでしょう。
それと同様に人の心からもエネルギーが多方面に微弱電流のようにダダ漏れしているのです。

お金も同様です。携帯の通信費など、毎月数千円という人が多いでしょう。本を5,000円分というと、なかなか買いませんが、いつのまにか引き落とされている費用というものには人は鈍感になりやすいのです。

最近テレビで家計費の節約物をときどきやりますが、お金を貯めよう、余裕を出そうとしたら、まず出費の見直しからするでしょう。
それと同じで心の出費を見直さないと、日々を送るのが精一杯で、新しい創造的な活動に回るエネルギーが出ないのです。

>肝心要の進みたい人生の方角もわからないまま、自分の基準もわからないまま、今に至ってしまいました。

これは何か一つに、自分の関心、エネルギー、時間、お金を注ぎ込まないと出てきません。どんなこともある一定量以上の自己投資をしないと、その楽しさも奥行きも、また自分に合っているかどうかもわかりません。

しかし、つねにエネルギーが多方面に漏れて余裕のない状態であれば、半歩は近づいても、2歩、3歩とその世界に歩みいることはできません。
そうして傍観者でいるうちに簡単に何年も経ってしまうのです。

私はそのように心のエネルギーの世界でものごとを見ます。そういう観点と社会的成功とか、お金が儲かるということは別次元なのです。
ただし、エネルギーがダダ漏れ状態では社会的に成功するということもないでしょう。

>無名の大学から世界に冠たる大企業に入社してどんどん出世していく、とか。あるいは、矢沢永吉のように、ロックで成り上がり、大スターになる、

無名の大学から大企業に入るには、何か強力な意志力とアピールが必要でしょう。
たとえば、食品会社に入りたくて、1年生のときから、有名なラーメン屋を渡り歩いてアルバイトしていたとか、ですね。

そうすると、一般にはその人がしたことを見るかもしれませんが、私はその人が捨てたことを見ます。どれだけ多くを捨ててエネルギーを制御したか。
人が遊んでいるときも、時間やお金をただの気晴らしのためには使わず、自分の本筋と結びつかないことは捨ててしまう。
それができる人には、頭脳が優れている人以上にある面で期待できます。
大手企業が無名大学の学生を取るとしたら、そういうところを見ると思います。

矢沢永吉にしても、成り上がるには音楽しかなかったという状況があったでしょう。いわゆるハングリーであった。そして、今でもハングリーで在り続けているでしょう。

矢沢にしても、ミック・ジャガーにしても、普通の人の望む以上のものは全て持っています。だけど、ロックンロール以外はいつでも捨てられる。そうでなければ、あの若々しい身体は維持できません。

彼らをビッグにしたのは、欲望しょうか?
それは多くて半分でしかありません。
その影にあるものは制御です。

彼らはその気になれば、セックスもドラッグも美食もつねに思うままに手に入れることができるでしょう。
しかし、彼らは小室哲哉や、のりピーのように放埒に陥って破滅したりはしません。

「分をわきまえている」人というのは、じつはエネルギーをムダにしないという意味でたいへん強い人なのです。
自分を実力以上の存在に見せようとしたり、手にあまる役割や仕事を引き受けてしまえば、破綻しそうなものを必死に繕わなければいけませんから、たいへんなエネルギーのムダ遣いをします。
そういうことは一切しないで、必要なときにエネルギーをドンと出せる人が何かを成しとげます。

>私の知人は「俺は全然もてねえし、女はみんな態度がでかくて気に食わないからマンガやアニメの女の子でいいわ」と言っています。

これは「分をわきまえている」というより、もう単なる怠惰ですね。女性とつきあうより、アニメの女のコでダダ漏れしているほうが楽でいいわけです。
女性というのは、男にとって、「わけのわからない現実」というものだと思うのです。
男は女にさまざまなものを投影しますが、たいていの場合、ことごとく間違っています。実際につきあってみると、そこには全然別のリアリティがあります。

そういうところに妙味も人生修行もあるわけですが、たぶん、今の若い男性のある層には、そういう試行錯誤の機会が少ないのでしょう。
そういう環境であって、しかも、アニメやマンガの世界には、男性が投影した通りの女性がいますから、そちらに流れてしまうわけです。そういう仲間もたくさんいて、孤立感もありません。

つまり、投影した通りのものが現れるので、そこに心理的抵抗は生じません。
これはエネルギーの節約とは違います。
成長期には、抵抗や摩擦があって心が発達するので、そういう現実の代わりに、都合のいい幻想を与えていると、そもそも心が開発されていない未発達の状態で放置されることになるわけです。
したがって、節電する以前に発電量が少ない状態なのです。

女性とつきあう試行錯誤をした経験もなく、発電量も低いのでは、リアルな女性とつきあうのは、山登りの経験がない者が突然崖を登れと言われるようなものでしょう。
そういう意味では、その人は実際に女性と付き合おうとしても、たいへんだと思います。

でも、それは「分をわきまえる」以前ですね。何でも実際にやってみたときに、体験から自分の分をわきまえるということが出てくるので、最初から怠惰や臆病で行動しないのであれば、自分のことはわかりません。 


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