INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
絶対の価値
近頃は、みんな忙しいので、ちょっと会いたい、ちょっと呑みたいと思っても、アポイントメントを取っていないと難しいですね。
最近は若い人も忙しいので、同じような状況ではないかな。
以前より職場や学校の人間関係も希薄になっているようだし。

でも、誰かに会ってちょっと話したいという気持ちは、突然来たりする。

何か自分の不安な部分を話して、相談したり、人はどうかと聞いてみたかったり。
あるいは、すぐれた友人と会えば、その相手が自分を友人として認めてくれることで自分がやっぱりオーケーと思えたり。
そういうちょっとした確認がほしいときがあります。

学校の成績でも、絶対評価と相対評価ってありますね。
私たちは、生命として絶対的な価値を持っています。
生命としてはいつも1であって、0,5でもなければ、2でもない。1つ命が無くなっても予備にもう一つある、という人はSFの世界にしかいません。

その生命が、ご飯を食べて生きているというのは、それだけで立派なことなのです。
植物も動物も、生命として生きています。
そして、必要最低限しか他の生物に干渉しません。
ライオンがシマウマを喰い殺すのも生きるのに最低限必要なだけだと言われますね。
生命に善悪の基準はありません。エゴイズムもありません。
それを人からどう見られるか、ということも気にしません。

人も同様で、生きているという絶対的な基準はみんな持っているのです。
衣食住が足りないと、人も真剣に考え、必死に行動します。第二次大戦後、物のない時代には、人々はいまとは全然違う真剣さで生きていたと思います。
衣食住が足りてしまうと、人は動かないで考え始め、心の悩みが増え始める、という傾向があるようです。
毎日のご飯の心配で自殺するという人はあまりいません。
それ以外、それ以上の何かの価値に執着して、命という基準を失ってしまうのです。

つまり、それが相対的な価値です。
他の人と自分を比べます。
誰々は自分より頭がいい、美人だ、人気がある、お金がある、育ちがいい、才能がある……、ということを比べるのです。
つまり、自分自身の外にある価値のモノサシで自分を測り始める。

自分以外のものを投影しはじめるといってもいいでしょう。
自分でないものを投影して、自分の持っているものを測ろうとする。
これは、あまり意味ないのです。
私はイチローのように野球がうまくないし、キムタクのようにかっこうよくない。
そういうことを言っても意味ないでしょう。

しかし、そういう考えはいくらでも増殖できるのです。
もっと身近な人に対して、どうしてあいつばかりが人気があるのだろう、とか、どうしてあいつが評価されて出世するのだろうとか。
そういう考えを持つ人は少なくありません。

そのような投影の世界に入っていくと、人は絶対評価の世界からはぐれてしまうのです。

だから、ときどき自分のことを他人に認めてもらわないと、自分の価値がぐらぐらと不安定に感じるのです。






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