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 〜ナチュラルに生きる方法論序説
【首相の器】山本太郎の政治家としての天才性 その3
山本太郎の見ている世界の広さは類がない。

視野が広いということはよく言われるが、太郎氏の場合は、広いだけでなく深い。

またその視界には曇りがなく、乱視や盲点がない。

そこに懐の深さと寛容性がある。

*

れいわ新選組の比例候補特定枠は2人とも全身麻痺である。
1人は障害者、1人は難病。

この人たちは誰の目にも入らない。当事者だけが苦しんでいる。

しかし、太郎氏については「見えない人たち」ではない。

障害者を候補者に立てることは、各党も始めている。しかし、全身麻痺となると、その視線は通り過ぎてしまうだろう。まさに候補者として、議員として活動する障害はたくさんあるわけだから。

太郎氏はそこを選ぶ。彼らが議員になれば、一悶着も二悶着もあるだろう。
それでこそ彼らは「見える人たち」になる。

与党議員は自らの差別感情を隠すのに苦労するだろうし、何人かは失敗するだろう。

日本には精神的なものも含めて障害者は900万人もいるとどこかに書いてあった。
だから、その人たちが国会に「見えない」のはおかしいことだ。
単なるセンセーショナリズムではなくて、今まで起きていなかった当たり前のことが実現するのである。

*

大西つねきさんという人も、大した人物で、フェア党という名前で自分で政治活動をしていて、すでにたくさんのファンがいる。

しかし、彼はれいわ新選組の公募に応募したことを事前に動画で語っている。「受け入れられなければ独自でやるしいっしょにやれればそれに越したことはない」的な。

公募で落ちたらかっこ悪い的なレベルの心の動きはない。
そして山本太郎はもちろん彼を受け入れた。

太郎氏の世界は、このように人を全部吸付け、引きつけ受け入れてしまう。

*

視野の広さは空間だけでなく、時間についてもある。
未来を見通し、シミュレーションしてすばやく判断する能力は尋常ではない。

れいわ新選組の名称については、変だという人がいる。
これは与党が「令和」と連呼できなくしたのだと書いていた人がいて、なるほどと思った。

「元号が変わって新しい時代が来た」的なあまり中身のない話は、与党有利であろう。
中身のない作文にたいへん便利な「令和」をあらかじめ独占してしまったわけである。

アベや与党候補者が令和という言葉を使えないと思うと愉快で仕方がない。

太郎氏はこういうことを見ている気がする。
深謀遠慮ともいえるが、動体視力のよさともいえる。

太郎氏が政治家としてフル回転で働いているのは幸せなことだ。
日本は変わる。
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