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 〜ナチュラルに生きる方法論序説
⬛️ウヨも納得?! ウヨの完璧分析 1.なぜウヨは大半がバカなのか。

左翼は理論、理性に依拠しているから(正しいという意味ではない)、理論闘争、分派がある。
ウヨは、心情に依拠しているから、内ゲバ的なことがほとんど起こらない。
雑なこと、間違ったことをいっても、同じ心情を共有しているもの同士として、微笑ましくスルーする。
頭が悪くても一途に信じ込む心情こそが尊いのだ。
どんな妄想も冷笑されたり、矯正されたりしない。
考えが次第に深くなっていったりもしない。
妄想と確信は深まる。

したがってウヨの世界では、バカでも居場所がある。

左翼はマルクスを読まないと威張れない(近頃はほとんど誰も読んでいないと思うが)。マルクス読まないまでも、なんとか体系的に世界全体を理解しようとする。
間違うと善意でやっていても、徹底的に叩かれる。
バカと義理人情は抑圧される。
義理人情を無理に権利に置き換えようとする。
ここに左翼の居心地の悪さがある。

左翼には『資本論』のようなバイブルがあるが、右翼にはない。
いや、あると思うが読まれないだろう。
本居宣長や平田篤胤、賀茂真淵をウヨの誰が読むだろう?
読んだとしても原典がすでに理論体系的というより心情的であろう(読んでないから知らないけど)。

本を読むとすると、ポップ右翼書である。これらの著者は心情を鼓舞すればいいのであるから、いい加減なことを吹きまくっている。
百田某や、田母神某(いまやウヨ界でも信用失墜かもしれないが)の言説をみれば、いかにすぐに調べれば嘘とわかる不正確なことをいっても、整合性がないことを言っても、その世界では信用を失わないか、むしろ、人気が上がり続け支持され続けるかがわかる。

これらのポップウヨの言説は、ネットでこそ批判されるが、著書では批判されることがない。左翼は読まないし、右翼同士は相互批判しないからだ。
どんなに間違っていても、妄想的でも「その志や善し」というわけだ。

たとえば、ウヨになりたてのまだ妄想が頭の芯まで沁みていない、頭の切れる櫻井よしこがウヨ仲間の事実誤認や言っていることの矛盾をばっさばっさと切り捨てたらと想像してごらんなさい。それは強い。もうズタズタになってしまうでしょう。それをやったらもうウヨではない。櫻井よしこはサヨの朝鮮人になってしまう。
こう考えると、ウヨの相互批判はまったく存在しないことが理解される。
批判した途端にウヨの外に出てしまうわけだから、その途端に相互ではなくなってしまう。

籠池さんへの手のひら返しをみれば、ウヨを抜けるということがどういうことかわかる。
それまでちやほやしていたものが、超法規的に拷問的で理不尽な監禁をされてしまう。
少しでも逆らおうとした者は仲間ではなくなる。
友人も支援者もゼロになる。
「彼の人物はすばらしい」という人は1人もいなくなる。
個人のオリジナルな価値はなくて、ただウヨの同志であるから価値がある。

サヨ、反体制派のほうは、相互批判で疲弊していく。
反反原発とかいって、中には、「自分は原発にはいちばん反対だけど、反原発運動は頭が悪すぎて我慢ならん。中でもデマがいちばん有害だ」とかいって、反原発の間違いを叩いて回る人がいる。
それを専門にやっていて、自分自身が原発に反対だということは、まったく表明しない。自分のタイムラインでは、全然関係ない自分の趣味や飲んでいるビールを載せている。
それってどちらかというと、原発推進派を利するだけだけれども、本人はそうは思っていない。つまり、敵よりも自分に似ていて、捉え方や方法論が違う人間のほうが憎い。間違いが許せない。
それくらい反体制派は相互で仲が悪くなって屈折していく。
それは新左翼の内ゲバ以来の伝統なのです。
まあ、こちらもバカですな。

サヨはさておき、ウヨ。

そして多くのウヨは、ポップ右翼書すら読まない。ネットで必要な主張のテンプレートは一通り以上揃うからだ。ネトウヨという所以である。

もともと左翼嫌いという心情は十分にあるので、これでテンプレートやパターンさえ与えられれば、左翼やリベラルに対する嫌がらせの書き込みは十分にできる。
彼らの多くは匿名であるので、論争らしい論争はしない。
都合が悪くなったら、沈黙、無視、スルー、論旨のすりかえなどをすればいい。
ちょっかいを出して嫌がらせをできれば、彼らは正義を執行したと感じられるのだ。短い言葉で相手を苛立たせ、本気に怒らせれば大満足である。
自分よりも知識があり、自分より賢いだろう人間が本気になっていることを邪魔して存在感を示せればいいのである。
それだけで自分は賢いし、正義の人間だと思える脳なのである。

彼らが守るのは、自分の心情であって、理論の体系性ではないから(元々理論も体系性もないから)、論争としてアンフェアであることなどは気にもとめないどころか、むしろ美意識に適うのである。

かつて右翼の宣伝カーはスピーカーの音質が例外なく悪かった。あれも美意識だろうと思うのである。自分より賢く自由で穏健で豊かで平和な人々の生活感を逆なでできればいいのである。

なんというルサンチマンであろうか。
でも彼らの心情を他に受け入れてくれるところがないんだから仕方ないのである。

とにかくスピーカーの音質は悪い。言っていることは悪意に満ちて、無責任支離滅裂。それでも仲間がいる! 日本という大きな美しいものに帰属していて、つまはじきにされない感じがある。(感じがあるだけで本当は超孤立している!)
自分はバカでも、有名人や地位のある人、自分より頭のよさそうな人も同じことを言っているので安心なのだ。
そういう意味で、ウヨ文化人はウヨが寄ってくるのでお金や仕事になるのだ。

このようなウヨの言説の育成に政府が何億か何十億かわからない予算を注ぎ込んで、とにかくすごい量に増幅している。だいたいネット工作費などは数百万もあれば相当な効果が出そうなものである。それを電通や博報堂のマージンが相当あるにしても、何億も注ぎ込んでいるのである。

いわば戦艦がサヨという島に向かってバンバン艦砲射撃をしているのである。ウヨはそれに混じって、ピストルで人を後ろから撃つという具合で、誰でも安全に簡単に参加できるのである。これほど安易に自己主張できる場は他にないと言っていい! 
自己主張といっても、自己というほどのものはない。ただのテンプレートだが、それでも気持ちいい。
ウヨほどオリジナルという概念から遠いものはない。誰が誰か見分けがつかない。相互批判がないので、洗練されることもないし、より自分の本質に近づくということもない。したがってイトミミズのようにだいたい似たようなことを言いながらウヨウヨしている。
先に進もうと思ったら、妄想の度を深めていくしか道がない。

ウヨがこんなに発生するのは日本社会がバカを孤立させるからいけないのです。
学歴社会もどんどん根深くなって、もはやめったに問題意識にすら上らなくなっている。
そして、 IT社会も目端の利く商才のある人間はチャンスがあり、成功するかもしれないが、そこでも以前より激しい選別がある。
そこで落ちこぼれる人々にどんな希望があるか。

バカは孤立し、絶望し、バカなだけでなく精神的にも貧しくなり、ネトウヨに光明を求めるのです。ネトウヨになるとさらに激しくバカになる。でも気持ちよくなれる。
バカ養成強化ギブスなのです。
日本社会自体がバカ養成社会、しかし、大量のバカを生産したとき、これが流動化して、不満が溜まり、社会主義化しては権力者にとっては困る。
そこでウヨという存在形態が求められる。
しかも左翼は利口ぶってバカをバカにするから、こわくて近寄れない。それでより安易なウヨに人は流れるのです。

バカというのは、交換可能な存在として扱われるすべての人のことです。
そこに悲しみや怒り、わだかまりがある。
「なんか違うんだよ!」と叫びたくなる。
そのときにたとえば、過去にはパンクロックという反抗のテンプレートがあった。
でも、そのテンプレートは難しい。勇気や行動力がなければいけないし、3コードでも楽器が弾けなくてはいけない。創造性もいる。努力もしなければいけないし、人前にもでなくてはいけない。ウケなくてもめげてはいけない。

これをウヨと比べてみればわかる。
まず体制翼賛だから、反抗のようなこわいことをしなくてもいい(本人たちは赤化と朝鮮人の陰謀が世界をおおい、自分たちは勇気ある少数派だと思っている。しかし、もっと奥底では体制側だという安心感がある)。
簡単だから努力いらない。匿名だから勇気いらない。卑怯なほどいい。ネット上に書くだけだから、ひきこもりでもできて行動力いらない。人とうまくつきあえなくでもいい。楽器弾けなくていいし、文章力も人を不快にさせればいいだけ(性格が歪んでくるので簡単)。創造性いらないし、勉強もいらない。自分で考える必要ない。ネットで仕入れた嫌悪や憎悪を吐き出せばいい。

この文でバカをたいへんバカにしたが、筆者も大して頭がいいわけではない。普通くらい。ただ長いこと自分でものごとを観察して考えてきたので、この程度の文章は書ける。
人のテンプレートは使わない。

ここでいうバカとは、最終的には、オリジナリティのなさ、のこと。
お前は誰だ? と聞いたときに精神に「ウヨ」という属性以外に活き活きとした領域がない。
ネジが利かなくなることを「バカになる」、というでしょう。
交換可能でない自分が愛しくない人は、バカになったネジと同じなのです。
人がオリジナルでなくなって、交換可能な存在に自らなったとき、それをバカというのです。交換可能なのに自分の主張があると思い込んでいるのはね。

純粋に頭の良さという意味でいうならば、人はピンからキリまでグラデーションなのです。
その中で筆者はわりと真ん中辺だろうと思うのです。
ですから、バカになろうと思えばなれた。チャンスはあったし、じっさいバカなときもあったし、今でもかなりバカですが、それでもネトウヨは「救いようのない」バカだと思うのです。
つまり話し合いのできないバカで、人の話を聞いて少しずつ賢くなるということがないのです。
仲間内の情報だけで外の話を聞かないから、世界が一面的に見える。宗教と同じ。より純粋なバカか狂信者になるしかない。

ウヨの人は長い文章を読む力がない。
たぶんこの文章を読み取る読解力はない。
読解力があっても、理解したら自分の価値観が崩壊してしまうから、ますますもやがかかったように頭や心に入ってこない。

それでももしここまで読み進むことができたウヨの方がいたら申し上げたい。

ウヨは脳と心を蝕む。

自分でバカバカしくなってやめるしかないんだよ。
君は外から言ったって聞きはしない、「手のつけられないバカ」なんだからね。
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