INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
苫米地英人氏を論ず / 虚無について
メルマガから転載。

超大作。
第一部は苫米地英人論。

第二部は現代を覆い尽くす虚無について。


『コーチングの徹底ネタばらし(後編)』



第一部
『苫米地英人氏は、多重スタンダードのつぎはぎであって、人をバカにしている』


コーチング・シリーズ第3弾として、予告通り苫米地英人氏について、書きま
す。

個人的には氏に恨みや批判があるわけではないのです。
個人についてあれこれ言及するのは、ややためらうのですが、氏も著書のたく
さんある影響力の強い有名人ですから、批評の対象となるのは仕事の一部とい
う面もあるでしょう。

もう一つは、コーチングについて語って苫米地氏に言及しないのは、
むしろアンフェアで失礼なのではないかと思ったのです。
氏について他の論に混ぜて断片的に評価することが難しいので、まとめて書く
ことにしました。

僕はここ2年ほどスポーツジムに通っています。
今はランニングなどの機械にモニターがついています。
便利なもので、それで運動しながらyoutubeが見られるのです。
昨年2015年に、これで苫米地英人氏の公開された映像はほとんど見たのです。
たくさんありますから、1日30分から1時間くらいみても何か月か見続けたと思
います。
ここで語ることは、それがベースになっていることをお断りします。
非常に限られた資料で語ってみるということです。
本については、『洗脳原論』を半分しか読んでいません。
あとは、インターネットの情報を一かじり。

映像は氏の語る内容が新鮮で面白かったので見たのです。
いわゆるコーチングの業界で、氏の存在や影響がどれくらい大きいのか僕には
よくわからないのですが、僕には透徹した理論が勉強になりました。

最初の僕の苫米地氏に対する印象は、胡乱、ウロンな人物ということでした。
しかし、話を聞いてみるとたいへん賢い、明晰で優秀である、まあ天才に類す
ると言っていいかもしれない、ということがわかりました。
また知見も広く、たぶん世の中の上の方や裏側にもあれこれ通じている。
時事問題に対するコメントも、非常に根源的に切れ味がいい。
TOKYO MXの『バラ色ダンディ 木曜日』という番組で時事問題の解説をしてい
ますが、数あるコメンテーターの中でも日本一明快で鋭いものです。
原発やTPPにも反対しているし、体制派ではないところもたいへんありがたい
のです。

そういう代え難い美点にも関わらず、やはりその存在自体の胡乱な印象はあま
り変わらなかったのです。
以下、そのことを書きましょう。

『苫米地英人氏は、多重スタンダードのつぎはぎであって、人をバカにしている』

という仮タイトルをつけたのですが、まあ、そういうことなのです。

*

苫米地氏の名前を初めて知ったのは、やはりオウム信者の脱洗脳のときです。
アメリカの有名大学のかなりよい待遇の教授職(具体的に覚えていません)に
つこうとしていたときに脱洗脳をしてほしいと呼び戻された、と氏は言ってい
ます。
脱洗脳に興味があったから職を棒に振ったのか、他のからみがあったのかは、
僕の知る範囲では語っていません。半分、強引に巻込まれたようなことかもし
れません。
しかし、これは、幸運というか、氏の天命であったのではないかと感じられま
す。

かなりの人数の脱洗脳に関わったようです。
洗脳の浅い信者から順にあてがわれたと言います。
これは世界的歴史的にも稀有な機会だと思います。
洗脳された人物が大量にいて、それを脱洗脳する環境があるということは滅多
にないことだと思います。
洗脳された人々たちの集団ならあちこちにいるでしょうが、彼らを集団から引
き離して1人1人脱洗脳していくお膳立ては、なかなかあるものではありません。

そういう意味で、この仕事が氏の本意であったかどうかは別として、今日の氏
のあり方をよしとするならば、幸運であったと思うのです。

もう一つの幸運は、アメリカのコーチングの大家、ルー・タイス氏との出会い
です。
いきなり呼び出されて、かなり親密に、いわばいきなり右腕としての仕事を依
頼されたようです。

もし、洗脳だけでコーチングという窓口がなければ、洗脳が専門の尖った変人
という世の中のポジションはなかなか変わらなかったでしょう。
コーチングというもう一つの枠組みができて、ずいぶん真ん中にでてきて、広
い間口で世の中と接点を持てるようになったはずです。

いわばルー・タイスという一大ブランドの(といっても苫米地氏から聞くまで
は知らなかった)日本の代理人として振る舞えるようになったのです。
苫米地氏のコーチング理論の骨子は、ほとんどルー・タイス氏だと思われます。
訳書が多くないので確認しづらいのですが、肝心の部分は苫米地氏が自分の本
として書いたしまったのでしょう。
しかし、苫米地氏の脳科学理論は、見事に明快に、このコーチング理論を裏打
ち、解説、展開しています。その件に関してはまったく申し分がありません。

では、どこらへんが多重スタンダードなのか、という話に移りましょう。

まず「洗脳」というものが、市民社会的にはかなりまずいものなのです。
つまりテクニックを知れば人を支配できてしまう、ということですからね。
一般人の反応としては、視野にも入れたくない反則技という感じではないでし
ょうか。
しかし、それを使えれば特権的な立場に立てる、と知れば、高い金額を払って
も手に入れたいという層もいるはずです。
それが氏の商売相手なのです。

苫米地氏はこれについて、「これから洗脳を悪用してくる層もいるので防衛の
ためにも洗脳について知る必要がある」ということを言っています。
これはかなり無理がある論理です。
アメリカでは、銃器を「自衛のために持つべき」という論理で売っていますが、
実際に犯罪に使われた件数に対して、自衛に使われたケースは50分の1なのです。
どう考えても自衛のために洗脳を勉強する人間はそんなに多くないのです。

洗脳という方法をリークしながら、それが防衛のためだ、というのは、矛盾と
いう言葉の語源を思わせるなかなかの逆説です。
そういうジレンマは、氏自身、最初の著書『洗脳原論』の頃は、シビアに考え
ていたと思います。

しかし、だんだんどうでもよくなって、節操がなくなって来たようです。

節操がないといえば、たとえば、有名なのは氏の商品の中には、『巨乳になる
音楽』というものがあるようです。
なんですか、それ? と公共の場でつっこまれても氏はヘラヘラしています。
なんでも音源に赤ちゃんの鳴き声がサブリミナルで入っているそうで、それを
聞くとおっぱいが大きくなるという仕組みらしいです。

僕はそういうの嫌いではありません。
しかし、これは学者や科学者のすることではありません。
実証の裏打ちがまったくないはずです。
この一事をもっても、氏は学者とはいえません。
しかし、本人はこのような通俗的な企画にもつきあうのは、「脳科学を普及す
るため」と言っています。

アメリカの大学に帰る気もなさそうだし、日本のアカデミズムの中心は彼のよ
うな存在を受け入れないでしょう。それで学者としての節操や境界線は必要な
くなったのでしょう。

*

また彼にはSMの性癖があると書かれたブログがあります。リンクしませんので
興味がある方は検索してください。
このブログ主は、ハプニングバーなる怪しい場所で氏と「50回は会っている」
と書いています。
美しい奴隷たちを引き連れていて、彼女たちを支配するのにどうやらマインド
コントロールを使っている、とかなり強烈なことが書かれています。

現在、そのようなブログがあるのは事実ですが、ことの真偽はわかりません。
もし、真であれば、マインド・コントロールで女性を支配し、思うがままにす
るなど、世間の道徳とは大きくかけ離れたことだと言えます。
性犯罪に近いと言えますが、しかし、もし女性も氏に興味を持って近づいたと
したら、合意の上であるかは否かはたいへん難しい立証になるでしょう。そも
そも催眠や洗脳に適合する法律があるのかどうかも僕は知りません。

男性が女性を洗脳によって思いのままにすることなどできるのでしょうか?
苫米地氏は、ある動画でこともなげに「できます」と断言しています。
洗脳の中でも比較的簡単な領域のようです。

ただそのあと、
「しませんけどね。だって面白くないでしょう?」
と続けています。

僕はこれを聞いてそのときは納得しました。
たしかに、これはゲームで言えば「無敵モード」です。
何でも思い通りにできてしまう。
面白くもなんともないでしょう。

しかし、しばらくして「待てよ」と思ったのです。
「無敵モード」でときどきは遊んでみたい人もいるでしょうし、いつまで遊ん
でも飽きない人もいるな、と思いついたのです。

「しません」と言っているのだからしてないかもしれませんが、仮にしていて
も「しています」と言ったら大問題になってしまいます。
したがって、していても、していなくても、発言は「しません」となるのです。
したがってこの言明には、意味がないことになります。

ここまで読んで気分が悪くなった人がいるのではないでしょうか。
洗脳の技術が導入されると、個人の意志の尊厳が薄紙のように弱々しく脆いも
のになってしまうのです。

この技術を、苫米地氏はセミナーで教えています。
ひとめ惚れさせる技術みたいな名称で、一人歩きを始めています。
どのレベルまで教えるかということはあるでしょうが、勘のいい人なら悪用で
きるかも知れません。

このように書くことが氏の宣伝になってしまいそうで、イヤなのですが、仕方
ありません。
氏は、人の欲望に迎合して利用するということにまったく節操や躊躇がありま
せん。

「年収一億円になるマインド・セット」などということもときどき言います。
結局欲につられて人が集まってくるのです。
氏はそれを十分に金儲けに利用しています。

氏の哲学的認識は、相当根源的で深いのです。ときどきびっくりさせられます
が、それには人は反応しないのでしょう。
氏の視点からは、日本人はバカ(氏に比べれば誰でも)と欲にかられた俗物に
見えているだろうと想像します。
そういう人間から金を巻き上げるのに躊躇がないのかもしれません。

実際、ネット上では、彼の高額なセミナーについての体験者の報告があります。
相当なお金をつぎ込んで借金を作ったが何も身に付かなかった、目が覚めるま
でに3年かかったというような記述があります。

「年収1億円になるマインド・セット」は大切かもしれませんが、いくら高額
なセミナーに出ても、セットできない人もいるでしょう。マインド・セットが
できても、他の条件が揃わなければダメでしょう。そもそも働いていないニー
トがセミナーに出ても儲かる道理がありません。
その他、いろいろな条件が必要だと思います。

また別の報告では、セミナーでは、まず弟子たちが指導をして彼自身は遅れて
くる、という書き込みがあります。
また会場は禁煙だけど、苫米地氏だけは葉巻を吸っている、という書き込みも
ありました。

そう書かれているということが事実なだけで、これも真偽はわかりませんが、
ありそうなことです。僕の想像はこうです。
これは、何十万かのセミナー料を払った人間に対して「お前たちは十分に金を
払ったつもりかもしれないが、オレにとってははした金だから、勘違いしない
でね」というメッセージなのです。
それをガツンと喰らわせて、心理的ショックを与え、そこからより高額なセミ
ナーに誘導するマインド・コントロールをかけていくのです。
しかし、そこにさらに「バカで俗物」である参加者たちへの軽蔑が透けて見え
ます。
もちろん優秀な人も中にはいるでしょうけどね。

苫米地氏が人をバカにしている、と感じたのは、別のきっかけです。
僕はYouTubeで動画を見ていたわけですが、噛んで含めるような調子で語る動
画では、同じ話の繰り返しが多いのです。
3回くらい同じ事を繰り返しているケースがいくつかありました。

明晰な氏にしてどういうことかと考えますと、一つには聞き手、リスナーと番
組の進行役を軽く見ているということのように思われるのです。
もう一つの理由は、この番組ではここまで語ろう、という情報内容を決めてあ
って、あまり早く本題に行きたくない。それまでは時間を稼いでダラダラする、
ということがあるようです。

話は基本的にうまいので、密度高く話そうと思えばすごい密度になります。
水道橋博士と宮崎哲弥の番組に出たときなどは、すごい密度の内容の濃い話を
しています。

そういうことを考えると、元々、知的なレベルの高い人々と洗練された高度な
会話をしていたい、という面が当然あるのです。
その一方で通俗的な欲望を手玉に取るところもあります。

このような二面性がどこから来たのか、と考えるといくつかの推論があります。
まず日本社会の通俗性に嫌気がさして、真面目にやることがバカバカしくなっ
たかもしれません。
あるいは、二面性は氏の元々の資質かもしれません。

やはり洗脳という技術は、トランプでいえばジョーカー、ワイルドカードなの
です。
ババ抜きでは、悪役の嫌われ者。
七並べでは、両面的。
そして、別のゲームではオールマイティ。

これが通常の倫理観を超越させてしまい、二面性がきれいに花開いた、という
当たりが僕の本命の推測です。

正確にいうと、二面性ではありません。
*学者・研究者としての知的卓越性があり、それが狭い範囲に留まらず、世の
中の裏側にも精通していること。
*洗脳と脱洗脳の第一人者。
*ルー・タイスのコーチングの正統な(たぶん)継承者であること。

この3つは、それぞれ違う要素なのです。
1人が1つだけ持っていても十分に存在感があるし、仕事にもなるでしょう。

しかし、ここにもう一つ
*通俗的に金儲けに走る男

というキャラクターがいちばん中心にいると言えます。
しかし、あまりに多面的に過ぎるために、胡乱だと遠ざける以外には評価が難
しいことになっています。

『苫米地英人氏は、多重スタンダードのつぎはぎであって、人をバカにしている』

という理由はおわかりになったでしょうか。

僕は氏の中にすごい善意もあるような気がするのです。
氏のゴールは、「戦争と差別のない世界を作る」です。
ゴールは自分のことではないのです。
さすがに文句のつけようのない究極のゴールです。

しかし、この線に沿って自分の持っている知恵や才能を社会に還元する、とい
うことにおいては、表向き努力も成功もしているようにはあまり見えません。
あるいは、「戦争と差別のない世界を作る」は表ゴールであって、裏ゴールも
あるのかもしれないと勘ぐってしまいます。

たいへんな能力と魅力と多面性を持つ人物なので、評価が難しい面があります。
僕は僕の読者にはあまり深入りすることはお勧めしません。
著書を数冊読んだり、僕のようにYouTubeを見たりするのはいいですがね。
多くの人が胡乱な印象を持って敬遠するのは、正しいでしょう。

素朴に観察すると、そういうわりと普通の結論になりました。


**


第二部
『個の尊厳と4つの虚無』


●[大人の成長塾]の場合。

対比的に[大人の成長塾]のことを書きます。

苫米地論でお腹いっぱいかもしれませんが、もともといわゆるコーチングと
[大人の成長塾]がどう違うか、ということを強調する企画なので、僕として
はこれからが本番なのです(笑)。

[大人の成長塾]では、脱洗脳ではなく、脱教育ということを考えています。
教育も洗脳です。テクニカルに洗脳と呼べるかどうかの評価は苫米地氏に聞か
ないとわかりませんが、結果的に人の心を本来のあり方から逸脱させていくも
のです。

大学まで出ると、6,3,3,4の16年間、大きくいうと一つの思想に偏った教育を
受けるわけです。
文科省というフィルターを通っていて、日本の現代的価値観にどっぷり浸かっ
ているわけですからね。

日本の教育を無批判に受けてきた人は、自分に自信を持っていない人が多いの
です。
全員とは言いませんが、かなり多いです。
他人に評価され、他人と比べられることをずっと続けられてきたのです。

だから、自分がどう評価されるかをいつも気にして行動します。
自分で自分をつねに評価しようとします。
ところがその評価の基準は他人のものなのです。

生命的なものは、もともと自己評価しないのです。
植物も動物も、自己評価しないで立派に生きています。
植物が「自分は生えていいのか」と考えることはありません。
ライオンが「シマウマを食べていいのか」と考えることはありません。
先生や親に「お前はダメだ」と言われることも一度もありません。

全部肯定です。全部自己肯定して、うまく行かなかったところを自分で修正す
るのがいいのです。
ところが、日本の教育では、先回りして「あれはダメ、これはダメ、これはい
い」という結論を刷り込んで行くのです。
自分の体験から学ぶ、ということから遠ざけて、世の中一般と同調することだ
けを善とするのです。

それでは個というものが育たない。

だから、教育され終った人は、自分の生命の中心にいません。
他人にインプットされた判断基準のほうが自分より強いのです。
他人に評価され、それに慣れてしまったがために、他人が評価しない場合でも、
常に人がどう見るかという自己評価をしています。

最近、能を習っているのですが、謡のときに教わったことは、「自分の声を聞
かないでください」ということでした。
「ちゃんと声が出てるかな?」と確かめることは、謡うことと違うことにエネ
ルギーを割いていることになるのです。

習字や絵でもそうなのです。線を引いている最中に「ちゃんと書けてるかな」
と意識を動かしてしまうと、その分エネルギーが淀んでしまいます。
そのことは知っていましたが、やはり謡うときには、自分の声を聞いていまし
た。
応用できていなかったのです。

生きて行くのも同じなのです。
行動するときは、さっと動く。

反省はその結果が出てからでいいのです。
失敗したら、次回は同じ失敗はしない。
途中で「失敗するのではないか」と考えると、集中力が失われた結果、失敗す
る率が高くなります。

そういう心理的なクセが、人を生命の中心から外してしまいます。

「したいから、する」という単純な回路が錆び付いているのです。
そこに余計な心理的な葛藤や圧力が結びついています。

それが成長を阻害するのです。
成長点は自分の中心にありますからね。
成長のエネルギーの波に乗れなくなってしまうのです。

「三つ子の魂百まで」と言います。
生まれついた魂は変わりません。
その魂を育てていくのです。
知識や能力を足し算していくのではありません。
魂そのものが成長するのです。

成長するとは、サイズが大きくなることとは限りません。
人の本質的な成長は、よりシンプルに本来の存在に戻っていくのです。生きる
経験は、自分が何者であるかを知る過程なのです。
自分が何者であるかを知る過程で、より洗練され自由になります。

その自分を中心として、何を感じ、何を考え、何をするかを組織していきます。
知識もそうです。他人にインプットされた知識の断片や概念を要らないものを
捨てて、すべて自分を中心に再組織するのです。

教育によって、自分の生命のセンターから外れてしまっている人は、この編集
作業が思うようにできないのです。センタリングがうまく行っていないからで
す。

教育が知識を教えてくれるからいいものだ、と単純に考えてはいけません。
毒まんじゅうを喰うよりは、飢えていたほうが、身になるものを吸収できます。

不登校の子どもたちは、本能的にそのことを知っているのです。
だから、ご両親は子どもが求めているものが何かを探す精神的な旅に子どもと
共に出ないといけません。

遅れるとか、そういうことはないのです。何が速いかなんてことは人生にはな
い。
そうして子どもが居場所を見つけたときに、ご両親もまた成長しているのです。
そういうきっかけなのです。

[大人の成長塾]は、魂のあり場所にセンタリングをし直すことをいちばん大
切にしています。しかし、そのことは限りなく長い話になりますので、ここで
は扱いません。

ここでいう魂は、心とその生まれついての性質、くらいの意味でよいと思いま
す。
霊とかいうとまた話が難しくなりますからね。
ただ顔や指紋や声紋が1人1人違うように、生まれついての魂もそれぞれの個性、
方向性を持っていると僕は考えています。
花のタネが何色の花を咲かせるか決まっているように、みんなそれぞれの花が
ある。

それを気持ちよく発露できる社会がよい社会だと思っています。
シュタイナー教育などは、一つ一つの魂を発芽させる教育理念を持っています。
「教育は芸術だ」と明言しております。

しかし、日本の学校教育は子どもを一律なサイズ、能力と方向性を持った素材、
あるいは持つべき素材として扱います。工場生産の原料と同じなのです。均一
に製品を作ろうとしている。
規格はずれは、はじき出されます。大量生産の不良品と同じです。

僕が魂とか、個性とか、オリジナリティとかいうと、ときどき冷笑的なコメン
トをする人がいます。ちらほらいるので、ある比率でいるのでしょう。

こういう人たちについて語りましょう。
たぶん今の教育や世の中にすんなり順応した人たちだと思います。
頭がよくて、能力があり、それなりに収入がいい仕事があり、満足している。

そういう人たちは、一度も社会の枠組みからはみ出したことがないから、「自
分とは何か」と悩んだことがないのです。
外国に長く滞在すると、日本人としての自分を意識することがあります。
自己認識は異質性から始まるのです。
社会に同化してしまえば自分はなくてもいい。

日本社会と等質の人たちは、自分というものを意識する必要がないのです。
社会と一体なのですから。

でも、意見は持っているのです。
意見があるから「自分がある」と思い込んでいる。
「我意見あり。故に我あり」。

でも、意見なんてものは世間にいくらでも転がっています。
その中で自分の性質に合うもの、都合のいいものを蓑虫のように身にまとえば、
一丁上がりです。それは一つの傾向性を示していますから、それが自分だと思
えるのです。
でも、それは他人のものを上手に身にまとったに過ぎません。

本当に自分てなんだろう、と考えるのは、一体感から疎外されたときです。
うまく行っていた筈の人生で挫折を感じたときです。
ある人には、そういうときが訪れるかもしれないし、ある人は一生うまくやる
かもしれません。
それも一つの人生です。

[大人の成長塾]の対象は、そういう人たちではありません。

子どもの頃から、ちょっとはみ出していて、それは自分が悪いんじゃないかな、
と感じている人。学校教育では、評価されなかったけど、何か自分の可能性が
あるんじゃないかと思いながら、上手に発芽させられない人。
若いときには、もっと自分の方向が見えていたように思うのに、だんだん流さ
れてわからなくなってしまった人。
もっと自分の元々の可能性に戻って、感じたり考えたり行動したい人。

僕自身が微妙にはみ出して生きてきたので、いわばそのはみ出し部分とのつき
あい方は、何十年も考えてきたエッセンスがあるのです。

ようやく折り合いがついて感じること。
自分というのは、強化したり武装するものではなく、鍛えたり否定したり肯定
したりするものでもありません。ただそこにあるもの。一生つきあっていかな
くてはいけない他人。
でも、何者かいちばん知りたい人。
大切な人です。
自分とのつきあい方を知ると生きるのが楽になります。

自分を愛せない人。
自分を感じられない人。
自分なんてものがあるかないかもわからない人。
自分を否定して憎んでいる人。
そういう人がいまの日本には多すぎます。

自分とのつきあい方を知らないのです。

自分を愛せないまま成長することはできません。
なぜかというと、愛とは太陽の光のようなものです。
これなしでどんな植物も育ちません。
(もやし〜とか、例外はあるかもしれないけど)

自分を愛せない人が増えると、個の尊厳が軽んじられるようになります。

「個の尊厳」は、堅い言葉だからピンと来ないかもしれませんね。「個の尊厳」
は、外から見た言葉、社会的な言葉であって、内側から見ると、「人として楽
しく自由に創造的に生きること」です。

個の尊厳が失われる4つの虚無について書きましょう。
個の尊厳が失われた世界は虚無の世界です。
「楽しくない。自由でない。創造的でない」世界です。

一つは洗脳。
人が人を洗脳するときに、個の尊厳はありません。
お互いに洗脳しあうことを狙って相手を支配しようとする世界は、僕にとって
は虚無の世界です。教育も洗脳であれば、世の中は洗脳汚染だらけです。
テレビや映画もそうです。

MKウルトラ計画

https://goo.gl/Dg9vhu

CIAは、1950年代に洗脳に関わる実験をMKウルトラ計画と称して、集中的に行
いました。
LSDは、このときに開発され、使用されたようです。
それが後に、サイケデリック文化のシンボル的な薬として登場するのです。
共通項は変性意識状態です。

この計画の内容はきれいに揉み消されたようですが、その成果や人脈は、裏で
脈々と生きているとみるべきです。政治体制に不満を持たせないで支配したい
人、自分の商品を疑問なく何回もリピートして買わせたい人などにとっては、
夢の技術です。
研究に関わった人間は、引く手数多(ひくてあまた)だったでしょう。

彼らは引き取られた先でまた研究を始めたでしょう。

二つ目の虚無は暴力。

シリアの破壊された街の映像を見ましたか?
ドローンで撮影された街は行けども行けども爆撃で廃墟と化しています。
SFで見たような廃墟が現実のものとして生々しくそこにあります。

ここにもほんの1,2年前まで普通の生活があったのです。
日本に投下された原爆や東京大空襲もそうです。
あっという間に人の生命や生活を奪います。

やさしい人も気難しい人も、まじめな人もふまじめな人も、父親も母親も子ど
もも、祖父や祖母やペットも、何の見境もなく一瞬で命を奪われてしまいます。
死んでしまった途端に、戦死者何千人、何万人という数字になって個人性は一
切なくなるのです。

ISの台頭に底なしの虚無が増殖していると感じた人は僕だけではないでしょう。
暴力は人の小さな営みを全て無に帰してしまいます。

だからといって、暴力に人の本質があるとは言えないでしょう。

ジョン・レノンは数発の銃弾で生命を奪われました。
だからといって、暴力のほうが音楽より本質的だとは言えないのです。

人の営みは暴力の前にはあまりにも脆いけれども、暴力に対して暴力で対抗す
れば、ますます大切なものが失われます。それが底なしの虚無です。

虚無の3番目は経済です。

最近、好奇心7、研究3くらいの気持ちで、facebookで見かける無料でメールや
動画が見られる、というサービスに登録するのです。
一度試しにしてみてみたら、そんなに押し売り的なことはなかったので、最近
は安心してみています。
(アダルトサイトとか、怪しいのは知りませんから自己責任にしてください)

先日は、資産数十億、年収十数億という31歳の青年実業家のものに登録しまし
た。
内容の感想は、まあ、よくお金稼いだのね。いろいろな人がいるものだな、と
いうくらいでした。でも彼のしている講演の映像で、聞き捨てならない台詞が
出てきました。

郵便貯金を株式市場にぶち込めば、株は上がる、という話です。
郵便貯金は、日本で最も保守的な預金と言われていて、お年寄りの預金が多い
のです。
数百兆円というお金ですから、たしかに短期的に株は上がりますが、そんな分
かりやすくて動きの鈍い金は、海外のハゲタカのような投資家の餌食になって、
あっという間に溶けてしまいます。
安倍首相が年金資金を株にぶちこみまして、数十兆円の損失を出しているのと
同じことです。

郵便貯金は最も保守的であることで、日本の基盤となっているのです。
それを投機の資金に流し込んで溶かしてしまいたい勢力はずっといるのです。

しかし、年金にしても郵便貯金にしても、誰かがいいように使っていいお金で
はありません。
大切な預かり金です。

しかし、僕が呆れたのは、その傲慢ではありません。さらに暴言を吐いたので
す。

郵便貯金が動かないことに苛立ち、その31歳は「年寄りはバカだから」投資を
しない、バカ呼ばわりをさんざんした挙げ句、「年寄りは早く死ねばいい」的
なことを言うのです。
年寄りたちが老後の頼りにしている資金を株式市場に導入したくて、老人たち
は早く死ねばいい、というのです。
会場には軽く笑いが広がりました。同類が集まっていると見えます。
それが株式投資、経済というフィールドなのです。

既存の用語法では、「人間性を疑う」というところですが、僕はもう「人間性」
という言葉を肯定的に使うことは難しい時代に入ったと思います。

洗脳、暴力、戦争、経済は、動物にはありません。
だから、「人間性」とは人間にしかないこと。
人間しかしないことの中に底なしの虚無が生まれつつあるのです。

経済については、リーマン・ショックの引き金になったサブプライム・ローン
や、デリバティブ。今から研究してみれば、それがいかに愚かしいことか客観
的に見えるでしょう。
愚かしいというより、壮大な詐欺と無責任なのです。


サブプライムローンは、頭金なし。預金証明なし。収入証明なしで貸し付ける
ローンだったのです。しかも初期は金利ほとんどなし。
これなら誰でも家が買えるので、収入が少ない、不安定な人々が大量に買った
のです。
そのローンを証券会社が、債券として売り出した。
これはすぐに焦げ付くクズです。
ただし、他の優良債券と混ぜて商品を作った。
ここにたぶん高等数学を使うデリバティブという煙幕を張って人を騙したので
す。
クズだとわかっていて人に売りつけたのです。

3月公開の『マネー・ショート』という映画は、そのことを扱ったコメディだ
と町山智浩さんがラジオで話していました。

日本のバブル経済とその崩壊とかもありました。
景気の本質とは、上がれば下がる、ということなのです。
上がることだけが善で、下がると大騒ぎする、という態度が何も学習させない
のです。
このようなことを経済の本質とみることにいろいろ反論もあるかもしれません。
僕のいう経済はたぶん「経済の人」の「経済」とは違います。
「金融経済」というように限定すべきかもしれませんが、よくわかりません。
これを書いていて思いついたことなので、規定が厳密ではないかもしれません
が、論じてみましょう。

僕にとって経済とは、「お金の流れとお金が作り出すエネルギーの流れの総体
です」。

お金の流れには性質があります。

1, お金があるところにお金が集まる

2, お金がいちばん! 人々の生きる目的の優先順位の1位になろうとする

他にもあるかもしれませんが、とりあえずこの2つで十分です。
お金はつねに優先順位の1位になろうとします。
それは比重が軽いものが水に浮くのと同じように観察される現象です。

ということはお金は、つねに個の尊厳よりも優位になるのです。

実際に私たちは、経済が個の尊厳を犯している場合を日々目撃しています。
福島の核の事故とその処理。その後の老朽化した原発の再稼働の動きなどは、
「命より金が大事」というメッセージそのものです。

またブラック企業や非正規雇用の拡大、格差社会化の流れなども、まさに経済
の働きです。

「経済のプラスの側面はどうした? 経済がなければ生きていけないではない
か?」

というご意見があれば、ごもっともです。

しかし、心配しなくても、僕が批判したくらいでは経済はなくなりません。
強大なものに螳螂の鎌を当てているだけです。
で、別に経済を全廃したいわけではなくて、負の側面を検討して可能であれば、
経済をよりよいものに再定義・再編していきたいのです。

経済の言葉のもとは、江戸時代の「経世済民」「経国済民」という言葉に遡れ
るようです。
wikiによると、「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」という意味です。
今日の経済の他に「広く政治・統治・行政全般を指示する語」であったと書い
てあります。

これが、今日的な純粋な金をめぐる技術や、システム、数字を扱う経済という
言葉に転用されてきたのです。
僕は経済は、そんなに数学的に、あるいはテクニカルに純化してはいけないと
思います。
いま、東京で大きなビルを建てるときには、一定のスペースを広場として提供
しなければいけませんね。もし、施主の都合で建ててよければ、敷地いっぱい
の建物だらけになって、街にうるおいも余裕もなくなってしまいます。

経済も、それと同様に負荷をかけ、ハンデをつけてちょうどいい。
「経世済民」という観点が足枷(かせ)になっていてちょうどいいのではない
かと思います。お金が儲かった人や企業は人を救ったり、住みやすい世の中に
するために何かの働きをする。
それが義務や美徳になればちょうどいいと思うのです。

先日、友人と飲んでいて、彼が村上ファンドの村上さんと会ったことがある、
という話になりました。村上さんは金持ちになったら、いいことをしようと思
っていたそうです。
村上さんにとって、何が善なのか、そういう細部はわからないのですが、いざ
お金ができると「よいことをするのは諦めた」そうです。
巨大な金額になると、自分の善とか不善とかの思惑で動かせるものではなくな
ってしまうようです。

「まず大金持ちになって、そのあと、お金の力でいいことをしよう」と思って
いる人がときどきいますが、それは嘘だし、無理なのです。巨額の資金には想
像以上の思惑や圧力がかかるのです。

弱い者のことを考えていたのでは国際競争に勝てない? 
真剣に考えれば、案外別の道が開けると思います。

本来、富の再配分は税で金のあるところからとって、福祉を手厚くすれば、あ
る程度可能ですが、実際は反対の方向に進んでいます。
日本社会の経済的人間の間では、経済で成功したものを讃えて、生活保護を叩
くことが正義になっています。
貧乏人や努力をしない資質の低い人間に社会的資本を振り向けるのは無駄だ。
強い者を優遇したほうが国際的な競争力がついて、「日本」が繁栄するという
意見に先日FBで出会いました。

ある一定の割合でこういう意見の人たちがいると思います。あるいは今日では
支配的な意見かもしれません。立場が違うとしかいいようがないのです。つま
り、貧しい人、弱い人、怠け者の人には、個の尊厳を認めなくていい、という
意見です。それらは単に社会の重荷であり、認めれば、国際的経済競争に負け
てしまうというのです。

それが経済的な考え方の本質です。

弱い者を切り捨て、踏みつけて競争に参加していった果てにあるものは、限り
ない弱者の拡大です。そんなことを続けた社会が本質的な強さを持つとは僕に
は思えないのです。
人生が競争だけになってしまいます。
強者を自任する人はそれでいいでしょうが、競争が続けば、強者も弱者にいず
れ転落していきます。タコは自分の足を喰うと言いますが、それと似た自壊的
な方向性です。

考えを進めると「お金がいちばん!」の世界の第3の性質が出てきます。
短期的な視野しか持たない人のエネルギーが支配することです。
年金を株式にぶち込み、郵便貯金を溶かそうとする。
マイナス金利にする。
すべて目先の対応です。
少しでも株価が上がり市場がにぎわえばいい。

そのあと、社会がどうなろうと関係ない。
後は野となれ山となれ。
つまり、それが「お金がいちばん!」の性質なのです。

たいへん破壊的なのです。

語源の話をしたので、economyの話も。
経済というときは、経世済民関係ない、economyだ、という人もいるかもしれ
ません。
economyは、元々ギリシャ語が語源で、家政、家の管理のことだったと言いま
す。

もともと、家の話。とても小さな話だったのです。
僕はこういう比喩を語ろうと思います。

野山を流れる小川は、人々の生活を潤します。
しかし、いったん洪水になって暴れ河になれば、人の生活や生命すら押し流し
ます。
今の経済はもう洪水、奔流状態なのです。
小川も洪水も「水の流れ」ということでは共通していますが、人との関係はお
おいに変化します。
情報化や、金融スキルの多様化、国際化、資本の集中化などで、経済は奔流化
しているのです。
求められているのは「治水」の技術なのです。
スローダウンし、細分化する。流れを限定し、大切なものが押し流されないよ
うにする。
必要なところに行き渡るようにする。
「治水的な経済学」が必要なのです。

ところが実際の経済政策は、とにかく流動性を高めるしか能がないように見え
ます。
景気の上り下がりだけを見て一喜一憂するだけで、金がどこにどのように流れ
るか、ということには関心がない。自分の短期的利益に適えばいいという視野
に見えます。

それが安倍政権が株式市場で年金を溶かしてしまい(溶かすは博打用語です)、
青年実業家が郵便預金もぶっこめ、虎の子の貯金を守る老人は死ね、と叫ぶ理
由なのです。

教育(洗脳)、暴力、経済より個の尊厳を優先する、というのは、僕の精神の
基本的な立場です。

3.11以降の論争をずっと見ていて最近やっと思ったことは、人の基本的な立場
はほとんど変わらないということです。
変わらない以上、立場が違う同士の話し合いは意味がありません。
目的が違うゲームをしているのです。

囲碁と将棋では勝負になりませんね。

僕は「個の尊厳を守るにはどうすればいいか」、ということから考え始めれば
いいので、「個の尊厳を守るべきかどうか」という議論には加わる必要がない
のです。

平和を守るには、どうすればいいかということから考え始めるので、「戦争か
平和か」ということは考えなくていいのです。

戦争には個の尊厳がありません。
最も個の尊厳が失われる時間と空間です。

戦争という選択肢も持たなくてはいけない、という人は、国という単位に感情
移入しているのです。国という単位に同化しやすい人は、自分をなくしたい、
見たくないという人です。

国に同化するのを国家主義、あるいは全体主義と言います。
これが第四の虚無です。

僕の父は戦艦武蔵に乗っていて、撃沈され数日海を漂流しました。
通りかかる船に拾われて九死に一生を得ました。
ところが内地に帰る船を輸送船をバシィ海峡というところでまた沈められて、
再び海を漂ったのです。
父はそれでも生き残ったので、僕がいるわけですが、戦後ははっきりとした平
和主義、反戦主義者でした。

最近、ネット上の記事を見て驚いたのですが、バシィ海峡のことが書いてあり
ました。
父の輸送船が沈んだ海峡です。
ここを通る輸送船は7割が沈没させられていたというのです。
それでも平気で船を送り出す神経はどういうものでしょうか。

ネットには日本の戦死の7割は餓死だということが書いてあります。
補給を軽視したために、多くの兵士が餓死したのです。
作戦は軍部や官僚が決めるのでしょう。
いい加減なものです。

最近、マイナンバーが始まって、住基ネットは全廃だと聞いて驚き呆れました。

血税1兆円をドブに捨てた「住基ネット」〜元祖マイナンバー、あれはいった
い何だったのか?

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47571

この記事によると、住基ネットにかかった税金は一兆円。
マイナンバーも近い将来廃止するかもしれないし、その費用は住基ネットどこ
ろではない、ということが書いてあります。

税金の無駄遣いに何の痛痒も感じない。誰も責任を取らないような体制。
それが戦争すると、7割を餓死させ、7割が沈む海に帰還兵を送り出す、そうい
う体制になるのです。
命すら使い捨てにするのです。

戦争は勇ましい以前に、こういう粗雑な精神の指揮のもとに行われるというこ
とを強調せずにいられません。

戦争は人々の生命と尊厳を呑み込む虚無以外の何者でもありません。

僕の母は、戦争で妹を失っています。東京大空襲のときです。

自分の乗っている船が沈んで、生死の境目で二度も漂ったり、家族を爆弾で失
ったりした人の戦争体験があります。僕の両親は戦争を憎んでいました。

それに対して、国と同化して戦争を辞さない精神があります。
これが国家主義です。

国家主義者は個人の体験に同化しないのです。自分を失って国という集合に同
化します。

愛校心とか、愛社精神というものがありますね。
学校や会社に同化する、一体化することに快感があるのです。

大学の応援団は、真夏にも暑苦しい長い学ランを着て、重い旗を持って、ずっ
と立ちっぱなしで声を枯らします。苦しい自己犠牲を払うことで、愛校心を自
他に証明するのです。

愛社精神は、進んでサービス残業するような精神です。

こういうのを滅私奉公と言います。自分を滅して全体に自分を捧げるわけです。
個の尊厳を自分から差し出して失うことで何かを証明してみせるわけです。

僕は一度も味わったことがありませんが、そういうことには快感があるのでし
ょう。

愛校心や、愛社精神は、まだかわいいものです。
その人が好きなら、とめるわけにも行きません。

しかし、愛国心となると、そうも行きません。
愛国心を持つ人は、たいてい他の国を憎んでいます。
日本が好きで、他の国も好きな人は愛国者とは呼ばれません。
愛国者は、アジアの他の国を激しく憎み、蔑み罵倒することで、自分の愛国心
を際立たせ、証明します。
(日本に核爆弾を落としたアメリカを憎む愛国者はなぜかあまりいません)。

愛国心が困るのは、他の人間にも強制することです。
隣国との緊張が高まって、戦争に向かうときに、「戦争反対」という人間は邪
魔者なのです。

日本でも安保法制に反対したキャスターが3人がレギュラー番組を降板させら
れました。

「キャスター3人の降板が首相官邸の圧力によるものだ、と海外メディアは断
定した」

http://ysugie.com/archives/4892

言論がどうのというより、異物・異論を少しずつ潰して行くのです。

他国と戦争をしようというときに、「それはどうなの?」という意見は足を引
っぱるのです。
国民が「一丸となる」のが好きな人たちなのです。

いよいよ開戦が近づくと、戦争に反対することは「利敵行為」となり、「スパ
イ行為」となるのです。
いまの言葉で「在日認定」というのもとてもよく似ています。
そのようなレッテルを貼って、断罪し、排除するのです。

イメージが湧かない方は、『蟹工船』の作家、小林多喜二の死について知って
ください。

作家・小林多喜二 壮絶すぎる拷問死事件の真相

http://matome.naver.jp/odai/2142881833527510301

一人の作家が、反国家的であると見なされて、とても残酷に殺されました。

戦争状態に向かうときに、個の尊厳は最も軽視され、踏みにじられるのです。
このときも拷問は禁止されていましたが、作家を残虐非道に殺した者たちは警
察・検察・報道によって庇われ、一人として裁かれることがありませんでした。

全体に自分を投影・同化してしまう者と、個の尊厳を守る者の道は、やがてこ
んなにも分かれるのです。

いま、日本はとても大きな岐路に立っています。
僕の読者に殺す側に回りたい人はいないと信じます。
だからといって、殺される側にもなりたくないでしょう。

人を呑み込む虚無があちらこちらで増殖しています。
虚無はここに数え上げただけではありません。
他にもあって、これに4つと絡んでいるのです。

M・エンデや、宮崎駿さんにも虚無が人を呑み込むというテーマがありますね。

それに対抗するものは、個の尊厳です。
遠回りのように見えますが、それしかないのです。
「自由で楽しく創造的な生き方」、それを知らない人が全体主義に吸い寄せら
れて、麻薬のように中毒するのです。

今から自由に生きましょう。
今から楽しく生きましょう。
今から創造的に生きましょう。

たった今からです。

個に尊厳を感じるためには、自分自身に尊厳を感じなければいけません。

とても当たり前のことなのですが、まずそれを回復するところから始めます。
自分自身に尊厳を感じる方法を基礎づけていきます。

僕が[大人の成長塾]を始めたのは、そういうわけなのです。

思わぬ大作になってしまいました。

まとめます。

教育(洗脳)を含む4つの虚無が個の尊厳をおびやかしています。
そういう危機の中で、僕の[大人の成長塾]は、虚無の1つである教育の悪影
響を無効化して、生命の中心にセンタリングするためのものです。

何か1つの運動や政党が今の状況を救ってくれることはないのです。
1人1人が粒だって、自分の生命のまっただ中に向かっていくしかないのです。

あなたの参加をお待ちしています。




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