INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
どうしたら自分を愛せますか? 3(自分を育てる方法) 
JUGEMテーマ:恋愛/結婚


自分を愛するには「自分」について真剣に考えないといけません。

前回、こう書きました。

**

「2,000円の生活費があるとします。
1,000円を自分を責めるのに使う。
850円を自分を責められることから守るのに使う。
残りは150円です。

他の人は2,000円のエネルギーで生きているのに、わずか150円のエネルギーしか自分のために使えないのです」

**

こういう状態の場合、自分はどこにいるでしょうか?

1,000円の部分でしょうか?
850円の部分でしょうか?
150円の部分でしょうか?
それともそれを合わせた全体の2,000円でしょうか?

世間では、この2,000円の混乱状態を自分と呼ぶことが多いでしょう。
しかし、自分を愛するときには、150円の分だけを自分と考えるのです。

その理由はこういうことです。
私たちが生まれ、育ったのは自分の力ではないのです。
精子と卵子が結合して生命として誕生する。
それは神様の力、自然の力です。
そして、両親が愛し合ったのは、両親の力です。
育ててくれたのも親です。
それから学校の先生にいろいろなことを習います。

こうして考えると、外の影響を受けたことばかりで、生まれ育つ間には何一つ自分でしたことはないのです。

では、どうすれば自分が何かをしたと言えるようになるでしょうか?
いつから自分を持ち始めるでしょうか?

ちょっと考えてみてください。

とても単純なことです。
単純すぎて誰も言っていないことかもしれません。



その答えは、

1.自分の動機で何かをすること
2.その結果を自分で受け止め評価すること。

この2つです。
簡単で当たり前のことでしょう?

1について。  
意外に私たちは自分の動機で何かをしていません。
親に言われたから。先生に言われたから。会社の仕事だから。世間ではみんなそうしているから。

そういう他人の動機だけでも一定の期間生きていけるのです。
でもあるとき、ふと苦しくなります。
他人が要求することとは何か違うことを自分が求めているような気がする。
そういうことは若いときに確かめてみるべきなのです。

あまりに長いこと自分の動機で動いたことがない人は、自分が何を感じているのか、はっきりつかめなくなってしまいます。

2についても同様です。
言われたことを言われたからする。
言われた通りにする。
言われたことを守れば責任は発生しません。
言われた通りにしないと、不良になります。

評価も親がします。
先生がします。
世間がします。
自分自身が評価をくだし、受け止める時間はありません。

いつも誰かが評価してくれる。
評価を待つようになる。

自分自身で受け止めるという習慣がなくなってしまうのです。

誰かがほめるか、評価してくれないと不安になる。
自分が何をしているのかわからなくなる。
それで、すぐにモチベーションを失ってしまう人が多いのです。

僕だって、こういうブログを書いたら誰かに褒めてもらったり、しっかり読んだ感想なり意見なりの反響がほしい気持ちはあるのです。
実際は反響は期待の100分の1もないです(笑)。
それでも書くのはやめない。
それは書く理由が自分の中にあるからです。

僕はかつて「自由とは自分の理由で生きること」と書きました。
他人が評価してくれなかったらやめるんだったら、それは自分の理由とは言えません。

もちろん他人の評価の中には、していることに意味があるかどうかの指標も含まれています。
それを重視する人は多いでしょう。

たとえば作家や画家で、作ったものが片端から売れて行くなら、作る人にはたいへんありがたい。
それでお金を稼げば世間も評価するでしょう。

中には「お金の儲け方を教える」といってお金を儲けている人もいます。
中身は何もない俗流錬金術ですが、それでも何万人、何千人というファンがいます。

僕はそんなことは書けないし、書きたくないのです。
だからこれでいいのです。
他人の評価を得るために自分を変えられない人もいます。

ゴッホの絵の話を持ち出すのはあまりにベタですが……まあ、そういうことです。
自己評価が絶対ではないけれども、世間の評価もまた絶対ではありません。
僕も自由に書くけれども、世間の評価を期待していないわけではありません。
そういう割合の「塩梅」がその人の生き方のバランスをとって選択肢を広くします。
オール・オア・ナッシングで中間がないと非常に生きづらくなります。

自分で行動し、自分で評価する。
それを一定以上の割合でしないといけない。
そして、他人の評価もある割合でしか受けつけないことです。

芸術教育はとくにこの認識が重要です。
絵を描くことなど、絶対他人が評価してはいけない。
とくに子どもの絵はそうです。

勇気づけたりヒントを与えるのはいいけど、評価してはいけない。
自分で描いたものを自分で受け入れて、次にどうしようかと考える繰り返しが必要なのです。

他人が評価するのは、そのサイクルを破壊することなのです。
僕も子どもの頃、二度に渡って先生の評価ですごく迷わされました。
二度目のときなど、すっかり絵に嫌気がさしてその後30年くらい絵を描かなかったのです。

小中学校の美術の先生というのは、悪くいえば「作家になりそこねた人」ですから、謙虚にしていただきたいのです。
評価することよりも、子どもに絵の楽しさを教えることです。
子どもに絵を描かせて描くことを好きにさせるだけで、とてもいい仕事なのです。

いろいろなケースを書きましたが、元に戻りましょう。

自分の理由で行動する。
自分で自分のしたことを評価し受け止める。

これが一つのサイクルです。魚で言ったら「尾頭つき」です。

美術教育だけではなく、日本の教育にはこのサイクルがありません。
動機も評価も全部誰かが持って行ってしまいます。
中間の面白くもない努力だけが生徒に残されます。

しかし、教育がおかしいといってもよくなった試しはありませんから、自分たちはどうすればいいのか、という話をしましょう。

わたしたちが、他人の理由で行動するのに慣れてしまったこと。
これが「150円」の原因です。

150円というのは、先ほどの

**
「2,000円の生活費があるとします。
1,000円を自分を責めるのに使う。
850円を自分を責められることから守るのに使う。
残りは150円です。

他の人は2,000円のエネルギーで生きているのに、わずか150円のエネルギーしか自分のために使えないのです」

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このことです。
この150円のエネルギーでは自分を愛せないのです。
では、どうすればいいでしょう?

この150円を投資するのです。
わざわざお金の比喩にした理由はここにあります。
投資とは、先ほどの「尾頭つき」のプロセスを小さなことでいいからしていくことです。

難しい言葉では、「投企」、あるいは「自己投企」と言います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/投企
Wikipediaの説明では、「投げる」ほうはあっても回収する、評価するほうがあやふやですね。

僕はハイデッガーなど面倒くさくて読めませんが、同じようなことを言っていると思います。
ハイデッガーの場合は、150円のことを「主体」というでしょう。
そこから話がどんどんややこしくなる。

私たちが生きていくのに役立てるには、150円でいいのです。
話を進めましょう。

150円を投資したら2割ついて180円で戻ってきます。

実際の投資話では、2割つくと言われたら騙されると思ったほうがいいです。
でも、この話の比喩では本当です。
損することもないし。

この投資で失敗するとしたら、誰かに否定されたときなのです。
しかし、自分自身を投資するのに本来人に干渉されるべきではありません。
もし干渉する人がいるなら、その人に見つからない小さなことから始めましょう。

何度か投資していくうちに、150円は複利で増えて行きます。
150円で2割だと30円ですが、500円だと100円利子がつきます。

だんだん自信がついてきます。

どうしてそんなに利子がつくかというと、
「本来自分のものであったものを取り返している」
からなのです。
自分の行動はもともと自分のものですからね。
自然に戻ろうとしているエネルギーがあるから、そちらには大きく転がるのです。

自分が雪だるま式に増えて行くわけです。
こうして150円だったものが、2,000円のうちの1,000円近くになりますと、「自分は自由だ」という感覚が芽生えます。

自分が愛せるのは、この自由な自分です。
他人の動機や評価でまぜこぜになった自分ではなく。

自分自身が外からの影響と対等になったくらいから、そのような変化が生まれます。

それでも自分自身はまだ半分。
自分はさらに1,000円を越えて全予算の2,000円に近づいてきます。
9割以上が自分のものになると「自由」という状態から、僕が「自然」と呼んでいる状態に移行し始めます。

全く別の変化が起きます。
日々の予算が2,000円であったものが、じわじわと増えて行くのです。
内部の割合ではなく、枠組み自体が拡大して行くのです。
このブログのタイトル「自然の道」とは、そういう意味です。

しかし、このことに深く立ち入るのは今はやめておきましょう。

「どうしたら自分を愛せますか?」がテーマでした。

まず他人の影響と自分を分ける。
次に自分自身を育てる。
そうすると、自分自身を自然に愛せるようになる、ということが答なのです。

「自分探し」が一時期流行りましたが、これからは「自分育て」で行きましょう。

*********

ワークショップ「自然の道」『アートの日』のお知らせ。
自分育てに最適であります!

2015年5月23日14:00
東京都
豊島区目白3-2-9-4階 東社協保育士会会議室

久しぶりに書道をやります。
参加費 3,000円。

腸の感覚を使って書道をします。
自分でやってけっこう面白かったので、みなさんにも楽しんでいただけると思います。
初めての方、歓迎です。


第一部

内臓ダンス+マンダラ+書道。
内臓ダンスで喚起した感覚を使って書を書きます。

面白いものが書けます。

いわゆる書道とは全然基準が違います。
だからしたことがない人でも大丈夫。

習っている人も、違う感覚から書を見直す機会になるでしょう。

筆という道具、墨という液体、これがあると白い紙に無限の広がりが出ます。
お手本のように書くのではなく、そういうアートとして、書を見直します。

必要なものは用意しますので手ぶらで参加できます。

**

第二部

この日の特別イベントとして、終了後、僕が習っている陶芸「サカイ工房」の展示を見に行きます(一部のみ参加も可)。

すぐ隣の池袋駅直近のギャラリーでなので、移動は5分くらいです。

実用的な陶器がほしい方、販売もしているので、けっこう掘り出し物があります。
陶芸のプロではありませんけど、皆さん個性的な作品を作ります。

もちろん、僕の作品もあります!

**

第三部

中華懇親会。

展示を見るのは20分前後。

興奮さめやらぬまま、池袋でおいしい中華を食べて懇親会を予定しております。
予算は食べて飲んで2500円。

内容盛りだくさんです。
ぜひご参加ください。

懇親会参加の方はその旨、お知らせください。

お申し込みは、entry@hiden.jpまで。

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Comment








読みました!
お返事すごくうれしいです。

ありがとうございました。
from. ぱんだ子ぱんだ / 2018/08/19 11:46 PM
コメントに気づかず放置してしまいました。
詠んでもらえるかわからないけれど。

悲しみは忘れていいのです。
生命の本質にネガティブなものはありません。

自分に悪い言葉で働きかけないように
from. 村松恒平 / 2018/05/28 7:50 PM
こんにちは。
私は自分でいうのもなんですが適度に自信を持っています。
そして適度に楽しみ好きなことをやって生活をしています。
でも生理前の数日間に強い悲しみに襲われます。
家族の関係からくる悲しみだとわかっていますが、どんなに悲しみを味わっても悲しみはつぎから次へとやってきます。
こころのはじっこに真っ黒な穴がっぽっかり空いていてそこから黒い煙がもうもうと上がっていて私はそこにまきこまれてしまいます。巻き込まれないためにスポーツをして体をうごかして脳内の物質をたくさんだします。そうすると解決しますが、そうやって悲しみを忘れてしまうことがとてもいけないことのようにおもってしまいます。それで悲しみをただみるように努めています。なんだかわからないけれども悲しいのね、と見つめています。それでも悲しみをわすれてしまうことがとてもいけないことのように感じてしまうのです。悲しみは忘れてしまってもいいのでしょうか。
from. ぱんだ子ぱんだ / 2017/12/02 11:05 AM
アート系でしょうか。

自分の夢は自分で育ててくださいね。
作ることに楽しみを見いだしてください。
from. 村松恒平 / 2015/11/03 4:05 PM
このblogを読み、どうして自分が夢を目指さなくなったかわかりました。

専門学校の先生達に夢や自身の作品を貶されたから、夢をめざす気力がなくなったんだな、とこれで気づかされました。

本当にありがとうございました。
from. megumily / 2015/10/20 10:31 PM
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