INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
【セックスはマネジメント】

【セックスはマネジメント】

前回書いた広くつきあおうというおつきあいには、必ずしもセックスも恋愛も含みません。
セックスの話は愛を考えるとき避けて通れません。
しかし、セックスが絡むと話がややこしくなるので、ガツンとまとめて書いておきます。

現代では、セックスは単なる欲望でも、本能でもありません。
それは多大なマネジメントを必要とする「何か」です。

マネジメントとは、お金に変えるという意味ではなくて、自分の目的や方向性によって管理・制御しなければならないもの、という意味です。

たとえば、女性が多くの男性とセックスしようとすれば、避妊に気をつけなければなりません。
また男性同士の嫉妬もうまくかわさなければなりません。
つきあった男性をストーカー化させるのなどはもっての他です。
たいていの場合、世間の評判も気にすることになるでしょう。

これらをうまくやるのは、高度なマネジメントが必要でしょう。

それと対極には、セックスは男性を結婚につり上げるための餌と考えている「安売りしない派」がいます。
こういうことを書くとどうしても通俗的になりますが、ここでは一つの類型として取り上げます。
というのは、欲望に基づく人の行動はとても類型的で、さほどオリジナリティはないのです。

「安売りしない派」は、自分の若さ、美貌、魅力といったものは、売り時があり、時期が過ぎれば衰えてしまうと考えています。
だから、株でいうと、いちばん「高値で手放す」ことを狙っています。

高値で手放す、ということは、結婚相手に値打ちがある、ということです。
それは心がきれい、とか、やさしいとか、そういうことではなく、収入が多い、お金持ち、かっこいい、背が高い、学歴が高い、という人と比べて自慢できる価値になっていきます。
そういう外面的、物質的なことにこそ客観性があると考えています。

これはマネジメントそのものです。

これは愛にまつわることでも、恋愛にまつわることでもなく、セックスにまつわることです。

この愛についてのシリーズで、最初に愛はリラックスを前提にする、と書きましたが、これは全くリラックスしません。
まるでビジネスです。
アンディ・ウォーホルは「セックスはビジネスだ」と言いました。
この彼らしい言葉の真意も、言われた文脈も知りませんが、言い得て妙。
まさにこういう姿勢にはビジネスという側面があります。

また恋愛でもない、というのは、こういうパートナーの探し方には、「比較する」という行為がつきまとうからです。
パートナーとしては、年収300万円よりは、600万円のほうがいい。600万円よりは1,000万円のほうがいい、ということになります。

恋愛は、このように比較するものではなく、オンリーワンのものです。
そういうものを愛というひとくくりの箱に入れているから話がややこしくなります。

前者のフリーセックス派と安売りしない派、多くの女性はこの両方の要素を持っているでしょう。
この両極の中間あたりで、揺れている人もいるのではないでしょうか。

もちろん全く違うところに力点がある人もいると思います。
ただどちらにしても、セックスにはマネジメントが必要だということです。

恋愛を純粋なものと考えていると、このマネジメントをなりゆき任せにしてしまうこともあるかと思います。

愛は純粋でいいけれども、セックスには知恵やマネジメントが必要、それがこの項で言いたいことです。
そして、愛とセックスはレイヤーが違う。
それをいっしょに考えると、混乱してしまうでしょう。

【恋愛、結婚、セックスは全く別のもの】

僕がほとんど初めて編集者らしきことでギャラをもらったのは、人類学者の西江雅之さんのインタビューのテープ起こしでした。
その中で、彼は「人類全体を見渡すと、恋愛とセックスと結婚は、必ずしも結びついていない」と言っていたのが今日まで印象に残っています。
アフリカのある部族では、ごく年少のときに集団的に最初のセックスを済ませてしまう風習か儀式があり、それは恋愛とも結婚とも関係ない、ということでした。
そもそも人類の半数は一夫一婦制でない、ということも言っていました。
これは、ずいぶん前の話ですが、イスラムもヒンズーも一夫一婦制ではないですからね。
今日でもそうかもしれません。

僕らは日本以外では、主にアメリカやヨーロッパの映画を観て世界観を作っていますから、どうしてもキリスト教下の一夫一婦制のもとで恋愛や結婚をイメージします。
しかし、それは人が作ったルールに過ぎません。

人が作ったルールである、ということは、空間や時間がズレると違うということです。
国や民族、宗教によって違うだけではなく、時代によっても違います。

先日、バリ島で僕が聞いた話で印象的な話があります。
バリの空港の送り迎えなどしてくれるドライバーの友人がいますが、彼が言うには、「一時期、一人でバリに来る女性とは100パーセント、セックスできた」というのです。彼のほうから強引に誘うようなことはなく、向こうから食事などに誘ってきたというのです。
ところが2000年を境に「5パーセントくらい」に激減したというのです。

まあ、男としてちょっとくやしい話ですが、それは置いときまして、時代の変化が、気分、行動、モラルなどの大きな変化を生むという一つの例だと思います。

バブルの崩壊は、もう1990年頃だったようですが、まだ回復に希望を持っていたり、すみずみにまで波及していなかった。
しかし、2,000年くらいには、女性の気分もたいへんな低成長型にチェンジしていったということでしょうか。

ここで言いたいことは、恋愛、結婚、セックスについて何も当たり前のことはない、ということです。
ただ時間と空間の文化的要素が支配しているということです。
それからだんだん自由になりましょう。

自由になるというのは、何も反発したり、攻撃的になる必要はありません。
日本の今の時代の雰囲気に適応してうまく行っているのなら、それでいいのです。
ただ当たり前とされていることで、自分の感覚にそぐわないものがあったら、それを広い視点から本当に必要か考えることです。

何かを我慢しているということは、それだけで愛を阻害しますから、自分の感覚で納得いかないことにはとことん対処することです。

小さな違和感でも放置しておくと、やがて大きな悩みやトラブルになります。





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