2012.03.12 Monday 10:26
久しぶりです。
これは、『銀河の家』という会員制の掲示板に書いたある人へのお返事コメントの転載です。
*
災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。
死ぬ時節には、死ぬがよく候。
是ハこれ災難をのがるる妙法にて候
これは良寛さんの有名な言葉ですね。
これは災難にあった知人にあてた手紙の一節だったような。
出口王仁三郎も
「虎に食われない妙法は、虎に食わせてやることだ」といって、腕を突き出したといいます(人に聞いた話で細部はたぶん違う)
どちらもさりげなく凄まじいことを言っています。
つまり、災難を避けようとすれば、主体性を失って、より不自由な状況に追いやられると言っているのです。
僕が3.11事故後、数日間毎朝震えるほど不安であったのは、事故後すっかり変わってしまった世界への(何も変わらない世界でもあります)同調、チューニング現象であったと思っています。
いま、僕はシフトを終えて、まったく創造的、主体的な状態にあります。
しかし、ここで再び大きな震災やそれに伴う事故が起きたとき、まだあれをしておけばよかった、もっと速く対応すべきだったと思い当たる可能性があります。
しかし、それは間に合わなかった、ということで仕方ないでしょう。
僕がいちばん警戒しているのは、自分の中にうらみが残る、ということです。
東電と保安院に代表される推進派の人々は、今に至るも何の責任もとっていません。
その事態に対して、政治的、社会的になんとかするのは、とてもむつかしいことです。
だから、せめて僕はいまのうちに「馬鹿野郎、原発には反対だ」ということを書いておくのです。
書かないで心のうちに溜めておけば、それはうらみになります。
死んでも成仏できません(笑)。
いわば自分の心の健康のために馬鹿野郎、と言っているわけで、それは聞きたくない人がいても仕方ないことです。
3.11以後、何も自分の生活を変えず、何の批判も口にしない人たちもたくさんいます。
鈍感な人もいるし、もの言えば唇寒し、と思っている人もいるでしょう。
でも、僕は平然としているように見えるそういう人たちの中に、主体的でないものがあるのではないか、と感じるのです。
当然目に入っているものを見て見ぬふりをする心理的な機構が働いているので、無意識に抑圧された部分の圧が高まっているはずなのです。
それが当人の心を壊すように働くこともあるだろうし、家族への八つ当たりになることもあるだろうし、橋下支持のような社会的なムーブメントになることもあるでしょう。
僕はどちらにしろイヤだなあ、と思っているのです。
今回の事故に関して、
1.最悪の事故だ。
2.二度と起こしてはいけない
3.そのためには、事故を起こした責任者はきちんと裁かれる必要がある。
この3点だけは、全国民が一致してもいいと思うのですが、なぜか議論はここを素通りして、もっとややこしい分裂化個別化の方向に向かうのです。
マスコミが隠蔽したの、嘘ついたの、いろいろ言われますが、じつはこの素通りが最大のミスディレクションであるかもしれません。
この3つが素通りしたまま、話が進むなら、日本はまったく本質的な議論ができない国ということになってしまうで
しょう。
これは、『銀河の家』という会員制の掲示板に書いたある人へのお返事コメントの転載です。
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災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。
死ぬ時節には、死ぬがよく候。
是ハこれ災難をのがるる妙法にて候
これは良寛さんの有名な言葉ですね。
これは災難にあった知人にあてた手紙の一節だったような。
出口王仁三郎も
「虎に食われない妙法は、虎に食わせてやることだ」といって、腕を突き出したといいます(人に聞いた話で細部はたぶん違う)
どちらもさりげなく凄まじいことを言っています。
つまり、災難を避けようとすれば、主体性を失って、より不自由な状況に追いやられると言っているのです。
僕が3.11事故後、数日間毎朝震えるほど不安であったのは、事故後すっかり変わってしまった世界への(何も変わらない世界でもあります)同調、チューニング現象であったと思っています。
いま、僕はシフトを終えて、まったく創造的、主体的な状態にあります。
しかし、ここで再び大きな震災やそれに伴う事故が起きたとき、まだあれをしておけばよかった、もっと速く対応すべきだったと思い当たる可能性があります。
しかし、それは間に合わなかった、ということで仕方ないでしょう。
僕がいちばん警戒しているのは、自分の中にうらみが残る、ということです。
東電と保安院に代表される推進派の人々は、今に至るも何の責任もとっていません。
その事態に対して、政治的、社会的になんとかするのは、とてもむつかしいことです。
だから、せめて僕はいまのうちに「馬鹿野郎、原発には反対だ」ということを書いておくのです。
書かないで心のうちに溜めておけば、それはうらみになります。
死んでも成仏できません(笑)。
いわば自分の心の健康のために馬鹿野郎、と言っているわけで、それは聞きたくない人がいても仕方ないことです。
3.11以後、何も自分の生活を変えず、何の批判も口にしない人たちもたくさんいます。
鈍感な人もいるし、もの言えば唇寒し、と思っている人もいるでしょう。
でも、僕は平然としているように見えるそういう人たちの中に、主体的でないものがあるのではないか、と感じるのです。
当然目に入っているものを見て見ぬふりをする心理的な機構が働いているので、無意識に抑圧された部分の圧が高まっているはずなのです。
それが当人の心を壊すように働くこともあるだろうし、家族への八つ当たりになることもあるだろうし、橋下支持のような社会的なムーブメントになることもあるでしょう。
僕はどちらにしろイヤだなあ、と思っているのです。
今回の事故に関して、
1.最悪の事故だ。
2.二度と起こしてはいけない
3.そのためには、事故を起こした責任者はきちんと裁かれる必要がある。
この3点だけは、全国民が一致してもいいと思うのですが、なぜか議論はここを素通りして、もっとややこしい分裂化個別化の方向に向かうのです。
マスコミが隠蔽したの、嘘ついたの、いろいろ言われますが、じつはこの素通りが最大のミスディレクションであるかもしれません。
この3つが素通りしたまま、話が進むなら、日本はまったく本質的な議論ができない国ということになってしまうで
しょう。
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