ココロを哲学するサイト
ある返事 災難と主体性
久しぶりです。
これは、『銀河の家』という会員制の掲示板に書いたある人へのお返事コメントの転載です。


*

災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。
死ぬ時節には、死ぬがよく候。
是ハこれ災難をのがるる妙法にて候

これは良寛さんの有名な言葉ですね。
これは災難にあった知人にあてた手紙の一節だったような。

出口王仁三郎も

「虎に食われない妙法は、虎に食わせてやることだ」といって、腕を突き出したといいます(人に聞いた話で細部はたぶん違う)

どちらもさりげなく凄まじいことを言っています。

つまり、災難を避けようとすれば、主体性を失って、より不自由な状況に追いやられると言っているのです。

僕が3.11事故後、数日間毎朝震えるほど不安であったのは、事故後すっかり変わってしまった世界への(何も変わらない世界でもあります)同調、チューニング現象であったと思っています。

いま、僕はシフトを終えて、まったく創造的、主体的な状態にあります。
しかし、ここで再び大きな震災やそれに伴う事故が起きたとき、まだあれをしておけばよかった、もっと速く対応すべきだったと思い当たる可能性があります。
しかし、それは間に合わなかった、ということで仕方ないでしょう。

僕がいちばん警戒しているのは、自分の中にうらみが残る、ということです。
東電と保安院に代表される推進派の人々は、今に至るも何の責任もとっていません。
その事態に対して、政治的、社会的になんとかするのは、とてもむつかしいことです。

だから、せめて僕はいまのうちに「馬鹿野郎、原発には反対だ」ということを書いておくのです。
書かないで心のうちに溜めておけば、それはうらみになります。
死んでも成仏できません(笑)。
いわば自分の心の健康のために馬鹿野郎、と言っているわけで、それは聞きたくない人がいても仕方ないことです。

3.11以後、何も自分の生活を変えず、何の批判も口にしない人たちもたくさんいます。
鈍感な人もいるし、もの言えば唇寒し、と思っている人もいるでしょう。

でも、僕は平然としているように見えるそういう人たちの中に、主体的でないものがあるのではないか、と感じるのです。
当然目に入っているものを見て見ぬふりをする心理的な機構が働いているので、無意識に抑圧された部分の圧が高まっているはずなのです。

それが当人の心を壊すように働くこともあるだろうし、家族への八つ当たりになることもあるだろうし、橋下支持のような社会的なムーブメントになることもあるでしょう。
僕はどちらにしろイヤだなあ、と思っているのです。

今回の事故に関して、

1.最悪の事故だ。
2.二度と起こしてはいけない
3.そのためには、事故を起こした責任者はきちんと裁かれる必要がある。

この3点だけは、全国民が一致してもいいと思うのですが、なぜか議論はここを素通りして、もっとややこしい分裂化個別化の方向に向かうのです。
マスコミが隠蔽したの、嘘ついたの、いろいろ言われますが、じつはこの素通りが最大のミスディレクションであるかもしれません。

この3つが素通りしたまま、話が進むなら、日本はまったく本質的な議論ができない国ということになってしまうで
しょう。

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Comment








気色の悪い日本人を思い出せて良かったし、西洋で、エゴ主体の人達に、NOと言える勇気を習いました。こちらでは、世間体より、個人個人の良心が主体ですから。(エゴか?良心か?)

NOというより無視の方が効果あり、とも知りました。

自分の中心を守れる人は、視野が広くて生き生きしています。

そんな日本人達との出会いを楽しみにしています。




こちらの人は、<アメリカ>と聞いただけで、ゴキブリに触ったような顔をするので、今まで訊ねることが出来なかったけれど、スイスもドイツも、ベトナム戦争が始まるまでは、アメリカを見習う方向だったそうです。

「スイスの兵隊は、日本と同じく、国民を守る事はできないけれど、武器を使わず、お金で戦争してる。痛手は受けたけれど、今のところ勝ち続けている。」とスイス人。
「ドイツは、EUになってから、近隣国の支援などで、アメリカが直接たかれなくなったから、アメリカはEUを潰したがってる。」と、ドイツ人。
中国人のお金持ちが、世界中の土地を買いあさっているのは、(そして、個人の資産を中国政府が取り上げる可能性があるのは)一般人は、40年以上前から知っていて、「ドイツはいつか、中国になるんじゃないかと、ハラハラしてたけど、まだ無事だねえ。」と、私と同年代の女性が話していました。

原発が、どんな毒物を製造しているか、西洋人は、一般人でも、40年前から知っています。(インターネットもなかったのに!)自分達の電気が何処から来ているか、各家庭が知っているのです。

西洋人は、歴史を、テストの為の年号の暗記ではなく、物語のように、当時の国民の感情を交えて習うのだと感じました。

国民一人ひとりが、自国の歴史と相手国の狙いを知っているのは、心強いです。
まっとうな取引ができますからね!

今は、インターネットで、政治の裏表、歴史など、情報がオープンなので、特に若い方達には、事実と歴史を知っていただきたいです。あとは、個人個人の良心にお任せします。

from. ひろ / 2012/04/09 5:24 PM
増えていると楽観できるかはさておき、主体的に生きていると、気持ちのいい面白い人たちとは出会えますね!!
from. 村松恒平 / 2012/04/08 12:46 AM
主体性は、一度失って、もう一度取り戻さなくては、いけないのかも知れません。

いつ、何故、どの様に、主体性を失ったか、自覚すれば、自分の癖が解って、エネルギーの漏電を防ぐ道が、人それぞれ、自覚できるのでしょう。

個人も、地域も、国も、世界も・・・・

主体性を取り戻したら、見えなかったシステムが見えてきます。

アル中の人に毎日お酒を買い与えるのは、善ではありませんから、中毒している人には、不親切にもなるでしょう。

依存から抜け出せないようなシステムが世界にはびこっています。欲望に溺れて、煽られて、力を失ってしまうのです。(不便さや、苦しみを避けようとするからでしょう。)

そんな人達とは無縁な人々も、増えてきていると思います。








from. ひろ / 2012/04/07 10:13 PM
たしかに、今僕たちを覆っている洗脳、迷妄、見えないシステムが取り払われたら、みんな目つき、顔つきが変わってくるでしょう。

目に浮かぶようです
from. 村松恒平 / 2012/04/06 8:53 AM
2000年以降、<戦わずに勝つ>を実践していましたが、福島原発で、トラウマが表に出ました。あのまま日本に居ても無力だったと、納得できたし、無気力、無関心、無知な日本人のおかげで、日本を離れる勇気が出たのだから、恨みは手放しました。

私は政治に無関心でしたが、2010年秋、ドイツの政権が、半年近く<原発廃止の延長>をした頃、周りの知人の目が魚の腐ったような目に見えました。(日本人を思い出しました)
日本も、政策が変わると、国民が生き生きして来るかもしれません。

気の狂った世界の権力者達とは無縁の人達との出会いが、海外で増えました。

原爆も原発も、人の命の大切さとは無関係なものなので、海外で、一生活動を続けます。が、余生を楽しむことにします。

今まで許せなかった物事を思い出しながら、過去の自分を癒していくことにします。

これからも、沢山の真実が明るみに出てくるでしょうね。

自分が今居るところを、もっと大切にすることにします。

from. ひろ / 2012/04/05 5:30 AM
福島の事態は残念ながら終わっていません。
ガレキのこともそうですが、これから放射能障害も含めて潜在的な事態が、次々に露出してくると思います。

そして、もう一個大きな地震が福島に来れば日本は壊滅です。

その流れの中で、東電とその周辺の人々のしたことは許されるものではなくなっていくでしょう。
法的な裁きまで行くと思っています。

法的な裁きは個々の復讐の替わりにはなりませんが、原発推進は善であったと誰も言えないところまで、事態ははっきりすると思います。

時代は流れだしたら速いものです。

戦うか戦わないか、ではなく、どう生きるかを考えています。
3.11以前とは違う生き方にシフトして生き延びる、ということが僕の第一の優先順位です。
生き延びる、というのは、精神的にもです。

過去に人災も含めて大災害はたくさんありました。
そのときにも庶民には何もできなかったのです。
今回は何かできると考えるべきかどうか。
ずっと考えてきました。

そして、全体を変えようとすることより(全く何もしないとは言いません)、自分が覚醒して、新しいシフトに入ることが大切だろうと今は思っているのです。

そういう動きが重なって行かないと、すべてはムラビトたちの手の内に帰っていきます

from. 村松恒平 / 2012/04/04 12:28 PM
ある抑圧があります。

抑圧から自由になる。
抑圧から解放される。

同じにように見えるけど、実はちょっと違うような。
抑圧があっても、自由は創造できる。少なくても自分の中では。
でも、抑圧があっても、解放されるのか・・・。

言葉遊びじゃないのですが、

自由と解放
絆と連帯
友達と仲間
不満と怒り

なんか、話がずれて申し訳ないです。さらに、ずれますが・・・。

僕は最近、原発・東電・国に対しての不満が、怒りに変わってきました。
でも、日本人は怒りを表に出すのが得意じゃない、というか怒るなら、先に進もうよ、みたいな見せかけのプラスイメージにすり替えられてしまう。
そして悲しいかな、僕も日本人です。
しかも困ったことに、日本が好きです。

怒りをぶつける対象は、はっきりしてます。
そして僕は、過激ですが彼らを敵と言い切りたい。
未来を脅かす、生命を脅かす敵です。

敵と戦わず、敵の思惑通りの和平を結ぶ。それより、なにより敵は誰だ、どこだ、いたっけ?のていたらく。
戦わずして、昨日の敵は今日の友なんて言えません。

では、どうやって戦うのか。欧米とは違う、日本人ならではの戦い方ってあるのか。どうせなら、目に見える形で敵に戦いを挑みたい。ダメージを与えたい。

日本流の敵との戦い方。それは果たして、あるのでしょうか。
支離滅裂な話になって申し訳ありません。
「不安であることの正しさについて」を読んで、普通の感覚というか、感情というか、体からフツフツと湧き上がる情動に、まっすぐに向きあうことは間違っていないと思いました。

「怒り」を「恨み」にしたくない。僕もそう思ってやみません。









from. 多田 勉 / 2012/04/04 11:31 AM
自由は創造するものです。
だから、どこにでもあります。
可能性として。

でも、それはお金にも宝石にも似ていない。
貯めておくことも、何かと交換することもできない。
人もうらやましがってくれない。
それは最初の価値だから、他のものと交換することによって価値のものさしに参加することがない。
だから見過ごしてしまいます。

それに気づけば、たった今、僕らはそれになることができます。
from. 村松恒平 / 2012/04/03 10:11 PM
自由は、どこに、あるのでしょうか?

誰も見たことのない、幻の獣みたいなものでしょうか。

見たら最後、食べられてしまうから、誰も本当の姿を知らないみたいな。
でも、食べられたら、本当の自由が待っているのかもしれませんね。


from. 多田 勉 / 2012/04/03 4:16 PM
日本人にもなれないし、外国人にもなれない、それが自由人かもしれません。

僕は311以降、そっちのほうに向っています。
from. 村松恒平 / 2012/03/27 10:21 AM
西洋で、原発反対者と話しましたが、「人はこうあるべきだ」と言った人は一人もいませんでした。「私はこう思う」「私はこうしている」デモも、自主的に参加して、せいぜい家族か、友人2・3人です。それが集まって数万人です。(もし、誰かが旗を振るなら、人は集まらないでしょう。)

ドイツ語圏の人達は、「自分はこうあるべきだ」から「自分はこうする」に変わりました。出来ないものは、即、方向転換して、新しく手がかりを探すよう、アンテナをめぐらせて、行動的で柔らかくなりました。これが覚醒というものかな?と思いました。

たった一年で、大きな変化を見せてもらいました。
遠い国の原発事故を受け、多くの人、一人ひとりが、自分が加害者であり、被害者でもあるように振舞い、政府や大手企業は何処も同じ!というショックで震えながら、政治を動かしました。

日本人なら、例えば中国や韓国が、福島のような原発事故を起こしたら、きっと汚染を怒るだろうし、自国の原発を止める方向に向けたかどうか?少し疑問です。

日本国民に正しい情報が行き届いていないみたいなので、
1、最悪の事故でなく、チェルノブイリよりずっとまし。
2、二度と事故を起こさないような原発を作ります。
3、責任者は津波です。一部の外国人が、地震もだとデマを流しています。
権力者は裁かれません、法律を変えてでも。
という風になるのかも知れません。

日本のマスコミのデマが、海外の原発反対運動者達を駆り立てたように見えました。無駄なものって、ないのですね!

私は、日本を見捨てて正解だったとは思いますが、日本人は好きです。自分の意見を話したり、決断力を養う機会が少ないのが、残念です。

日本の良いところは、今後も伝えていくつもりです。

自分で決断するためには、選択肢が必要です。
人それぞれ、本人にふさわしい情報を受け取るのでしょう。
情報は、自分の内側からも、受け取ることができます。

海外で、一人で生きるのは、圧力との戦いみたいなもので、理解者が一人もいないし、言葉も通じない中、鍛えられましたが、自分はどう生きたいのか?他人は何をしたいのか?を観察する力がつきました。(圧力も、たまには役に立ちます。同調するかしないかは、本人のじ自由です。)

もう、日本の社会は、忘れていくことにします。





from. ひろ / 2012/03/27 7:17 AM
日本人には同調圧力がある、ということがよく言われますが、僕は「人はこうあるべきだ」と思うことも同調圧力の分岐に過ぎないと思い至りました。

正しい文法は「自分はこうする」だけなのです。

自分はこうする、と動いた人だけがよい感化を与えるのです。

しかし、感化を与えることが目的になっては、それはまた同調圧力であります。生きたいように生きるだけではないのか、と思うようになりました。

from. 村松恒平 / 2012/03/26 11:33 PM
昨日、東電の柏崎原発が定期感検査で止まり、泊原発は5月に停止予定と聞いて、泣きました。

この国はおしまいかな?と思っていたけれど、ゴミの製造が一時期中断すれば、方向転換の可能性もあります。

<日本を出たことのない日本人と、本質的な議論なんて、期待できない。絶対無理!言葉が通じてもダメ!>とは、日本に滞在した西洋人から、20年以上前から聞いてました。

自分自身の主人でない人達に、相手の主体性を認めることは不可能です。今所属している組織の奴隷は、所属する組織が変わればそこに隷属してしまうので、戦争では自決を要請するしかなかったと、聞いたことがあります。

「グループを生かすことに関しては素晴らしい民族だけど、一人ひとりがアイデンテイテイを持って個性を生かしながらの話し合い(民主主義)が出来るようになるまでに、3世代かかるでしょう。」と、西洋人は答えてくれました。

犯罪者の作った国や組織にこのまま隷属するならば、日本はもう<無責任で誠意のない人達の奴隷>として、自分をごまかし、本質が見えない人達の集団として、エネルギーを消耗し続けるしかないのでしょう。

原発の一時停止が実現して、国民が立ち上がれますように!
from. ひろ / 2012/03/26 3:12 PM
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