ココロを哲学するサイト
ある返信/政治と文学をめぐって
『銀河の家』の中のあるコメントに対する返事。
とくにコメントはつけません。



*****さん


率直な言葉をありがとう。

『不安であることの正しさについて』は、はっきりとした意志として、原発の「語られ方」に対する批判でした。
今もその意志は変わっていません。

厳密に考えると難しい線引きになるかもしれませんが、原発の今後や、事故の対処について僕らは何かの決定に直接関われるわけではありません。
すると何ができるかというと、語られ方について関わるということです。

そこにおいて、僕は言論を分裂させ、拡散させるのではなく、統合させること。なるべく少ない議論で本質に至ること、というようなことを考えていた気がします。
焼け石に水かもしれませんし、議論を少なくしようとしても、ぎゃーぎゃーと騒ぐ声を一つ加えただけかもしれません。

どのように説明しても、この部分はどうなんだ、と取り出されると、たぶん大幅に逸脱していると思います。

僕の中に文学があり、芸術や哲学もあるように、政治や社会もあります。
もっと私的で雑多な欲望や方向性もあります。
その中で政治が突出して現れる場面もあります。

「文学というのは、永遠に結論を保留するための形式なのです」

と僕はたしかに書きました。

そういう意味では、

政治や法律は「つねに選択し、決断していく」形式なのです。

秘伝のメルマガでは、文学や表現の枠組みで語りました。
それは一つのメルマガのコンセプトであって、僕全体のコンセプトではありません。

ただし、僕は、いずれGOLD2012にも書こうと思っていたのですが、文学、哲学、芸術、政治、社会、教育といったものを別々のものとして扱おうというのではなく、「一つの部屋」に統合しようと思っています。
そういう意味で*****さんの語ったことは、たいへんいいところをついています。

僕の中では、原発に関する議論も哲学も芸術もつながっています。
しかし、そのつながり自体について毎回明示することはできないので、断片化することがあります。
それからあきらかにそういう説明では収まらない突出した政治性を現したものもあります。

総じて、現時点でこのことに関して、僕は論理的にも、感情的にも***** さんを納得させるために整合性のあるきれいな理屈を言おうとしておらないのです。そう思って読んでください。
ただ、触発されて書きたくなったので、僕のほうからの眺めはこうですよ、ということを書いています。

とにかくブログに関しては、僕自身の衝動としてあのときは「書かざるを得なかった」ものです。僕は原発事故に震撼していたのです。
いちばん最初に震撼したものだから、今は少し落ち着いています。
でも、四号機の倒壊が危険云々と言われると、当時の感覚を思い出します。

ツイッターに関しては、反原発ツイートを激しくやり過ぎてある知り合いからリムーブされました(笑)。それでもいいと思っていました。3.11は、僕にはさまざまな事柄のパラメーターをゼロにリセットするできごとでした。
だから、僕が発言することで、友人が友人でなくなったら、それはふるい落としてかまわないと思っていたのです。

そのようにツイートするのは、必ずしも人に影響を与えようと思っているだけではなくて、僕自身の認識運動でもあります。

「これは一体何なのだ」という、日々浮かび上がってくる知らなかった現実やニュースを消化し続けるのに、何かしら書く必要があったのです。
RTは必ずしも主張ではなく、メモ、要確認であったりもします。

あまり詳しくは知らないのですが、サルトルは「現実参加(アンガージュマン)」ということを言って、デモや運動の先頭に立ちました。
つまり、「哲学者や文学者だからといって、この場面で部屋に閉じこもっていていいのか?」という意味で、当時とてもかっこよかったのです。
しかし、やがて過度の政治主義に陥って、存在がやせ細っていったと言っていいと思います。
社会の危機にあって、なにも直接的に発言しない文学者や学者がいいのか、発言や行動をするべきなのか。二つの道があります。
どちらがいいというのは、簡単に語ると間違いそうです。
しかし、3.11 以降、ある人の言動に何の変化もないとすれば、それは現状維持のほうに自分の重りを乗せていることになるだろうと僕は思います。

とはいえ、僕は本当に政治には適性がないので、そちらの方向には踏み込まないでしょう。
もはや、いろいろな人が声を上げ始めているので、あまり僕がつけ加えることはないのです。
反原発を一つの運動としてとらえるなら、この言い方はずいぶん傲慢に聞こえるかもしれませんが、これは物書きとしての本能であって、誰もがいうのと同じことを言うなら、存在価値を失ってしまうのです。

僕の子どもの頃は、サッカーをすると、ポジションも何もあったものではなく、わーっとみんなボールのほうに走って行ってしまうのです。
そうすると、広大な人のいないスペースが生まれます。足の遅い僕はいつもそういう場所に立っていました。
僕にとって書くことは、ボールを追いかけることよりも、誰もいない場所を探すことです。
そうすれば、人より機敏でなくても、チャンスにつながるボールが来ることがあります。まあ、そういう感じでぽつりとピッチに立っています。

ツイッターやブログでは、何を書いて何を書かないというようなことは約束できないのですが(自分で自分を縛りたくないのです)、GOLD2012では、何かを批判するより、未来につながる創造的な原理について書くつもりです。




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Comment








その国民性の話、とても面白いです。
ドイツ人のところで笑ってしまいました。
ベルサイユ宮殿もトイレがなくて庭でしてたとかいうから、フランス人も当たっているのでしょう。

国民性というのは、短期間では、たぶん大きくは変わらないですね。

でも、原発に対する日本人の意識だけは、もっと早くはっきりと変わっていってもらいたいものです。

腐った権力構造はこやし、ですか。
本当にそれくらいたくましく意識が育ってほしい

from. 村松恒平 / 2012/01/27 12:39 PM
西洋に、<見えない「論理」に対するきちんちした作法>はあると思いますが、たぶん国によって違います。、誰だって、自分の問題より他人の問題の方が見えやすいでしょうし、いいところは、それを築くために乗り超えた長い歴史があるから、すぐに物まねしても<付け焼刃>になると思います。


<肥溜めは そっとしておけ、 かきまわせば なお 臭くなる>

というフランスのことわざを、昔、日本で見つけたことがありました。

フランス人に訊いて見ると「そんなの、聞いたことない。」と答えます。が、これは日本の<臭いものには蓋をする>と関連があるように思います。

私はお茶を教えてますが、大雑把に言わせて貰うと、

フランス人は、肥溜めがすぐそばにあっても、目の前の花の香りを楽しめるタイプ。肥溜め見ても気にしない。

ドイツ人は、肥溜めがはるか遠くにあっても、かすかに臭うと、目の前の花の香りを楽しめず、わざわざ、かき回しに行って、なんとか改善できないかと頭を悩ますタイプ

スイス人は、その中間で、花も肥溜めも両方匂って、楽しむことも悩むこともできず、感覚失って行動力を失うタイプ

日本人は、肥溜めに蓋をして、その上でお祭りするタイプ
(たまに蓋が開いても、すばやく閉めて、見なかったことにする。)


全員がそうとはもちろん言えないけれど、今まで見てきた、だいたいの感想です。

ドイツはナチズムに懲りて、独裁政権にならないよう、あちこちの都市に役割分担をして、ネットワークが行き届いています。会議には反対意見と賛成意見を同席させて、お互いの改善策がみつかるように、とことん話し合うようです。
若い女性や主婦でも、政治や税金の行方に目を光らせていて、『政府にお任せ、警察が守ってくれる』などという態度ではありません。(だから、あんまりかわいくない。)
どんな主義を主張しても、仕事を追われることのないのが、素晴らしいところ。(ただし、論争は、けんかにしか見えない)

スイスも島国のように周りの国から自国を守り通し、小さな国なのに4ヶ国語。首相は一人ではなくて、5人くらいでの会議がテレビやラジオで放送され、国民投票で、国の法律を変えることができるのだそうです。(そこのところは、民主主義)

情報がオープンだと、隠蔽は難しいけれど、多くの大衆は、マスコミとお金で騙せます。(日本の福島原発が冷温停止できたんだってさ、と聞けば、良かったねーと喜ぶ人々は、西洋にも多いと思います。)


話が元に戻って、肥溜めをかきまわすドイツ人が鬱陶しくて、フランス政府は、花の香りを楽しめるよう、国民を誘導したのかも・・・肥溜めがどんなものかも、国民はよーく知ってます。


<腐った権力構造>とは、<滅びつつある権力構造>でもあります。まだ腐っていない人間は山ほど居ます、(まだ未熟なだけです)<腐りかけの強大すぎる権力構造>は新しい世界を創る人々の肥やしとしての必要悪かも知れません。

日本にも、西洋人にはまだ見えないけれど、素晴らしい精神性があります。

<銀河の家GOLD2012>の展開、楽しみにしています。

from. ひろ / 2012/01/25 2:40 AM
一人で折り鶴カードを配り続けている活動すごいなあ。人それぞれ表現や領域が違うとはいえ、僕には真似できません。

>驚いたことに、数百人が、それぞれ全員、まるで口をそろえたように、「ここであんな大事故が起こったら、私達も福島の人達と同じ運命だ。正しい情報は隠されて、被爆するしかない!」恐怖の混じった目でと言ったのです。

「ここが日本よりましだなんて思わないでね!バカな人達(たぶん政治家と絶対安全な大手企業と利権にたかる依存者たちと専門バカ)はどこも同じよ!」と40歳過ぎた人達は窘めます。

*

やはりドイツの人たちは、冷静で論理的だと思いますね。
日本とドイツと立場が逆であれば、日本人の大部分は決して「自分たちも同じ」とは思わないでしょう。

そして、とてもよく何が起きているかを認識しているのですね。

そういう人々が、同じだとわかっているのに、そういう事態に対して「何もできない」と認識しているというのはすごいことです。

この差は日本人は権力構造という形で物事を認識したがらないでことから来るでしょうか。
それを剥き出しにしてしまうと、ぎすぎすするから曖昧な情緒にくるもうとしますね。
曖昧にしておけば、自分はそちらの仲間だから被害者にならないだろう、と多寡をくくっているようです。

権力構造があるということを透視しようとすること自体が、左翼であったり、特殊であったりする、そういう未熟さを日本は脱するでしょうか。

日本では、議論自体が妙な磁場の中にあって、少しも生産的ではないのです。
では、生産的な議論はありうるのか、とか、どうすればできるのかとか、そういうことに僕の考えは立ち戻ります。

そうすると、日本における「個」性のあり方という、ひょっとしたら明治、大正以来のテーマに立ち戻らなくてはいけない。

すると自由というものを確立しなくてはいけない。
それでGOLD2012、という流れなのです。

アメリカはとにかく、ヨーロッパには、もう少し目に見えない「論理」というものをめぐるきちんとした作法があるように思っています。
それはどうなのでしょう?

だからといって、ヨーロッパ諸国が正しく、いいことをするというわけでもなさそうですが。



from. 村松恒平 / 2012/01/22 11:55 AM
今、多くの人がみんなそれぞれ、<一皮剥けて、次への準備段階>だと思います。穏やかに、力を蓄えている様子です。

海外に居て、テレビもラジオもないのでU−TUBEで様子を観てると、日本のテレビにも正しい情報が流れ始め、(福島原発の、3月半ばの爆発で、海外ではキセノンがチェルノブイリの2倍以上検出されていた。とか、津波の前、地震ですでに配管が損傷されていた。など)コメント書いた後見つけました。

原発に関して私も落ちつぃてますが、私には、こちらで仲間や話し相手が多いのに、日本では馬の耳に念仏唱えるよりも空しそう・・・と思うと、つい、日本に居た頃を思い出して、頑張っている人々が気の毒に思えてきました。

こちらの、西洋人たちの励ましのエネルギーを伝えたい。と思ったのですが、カード配り始めた頃の覚悟を、コメント書いた後、思い出しました。

福島で事故が次々と起こり、ちょっと原発を知っている人にはあきれるほどの嘘を付き、みなお互い責任をなすり付け合いながら、政府からも東電からも福島住民からも、いつまでたっても加害者が現れないので、恥ずかしくなって「大気中や海を汚染して世界中に迷惑かけたので、、怒っている人にはお詫びをしよう。何千回でも頭を下げよう。」と思って始めたことを、今まで忘れていました。

苦情は一軒もありませんでした。

驚いたことに、数百人が、それぞれ全員、まるで口をそろえたように、「ここであんな大事故が起こったら、私達も福島の人達と同じ運命だ。正しい情報は隠されて、被爆するしかない!」恐怖の混じった目でと言ったのです。

「ここが日本よりましだなんて思わないでね!バカな人達(たぶん政治家と絶対安全な大手企業と利権にたかる依存者たちと専門バカ)はどこも同じよ!」と40歳過ぎた人達は窘めます。

「中国が凄いし、貧しい国も原発始めるから地球上の汚染は覚悟しなくちゃならないけど、自分の住んでる国が原発から離れるのは嬉しい。福島の人々には本当に気の毒だけど、世界中の大勢の人々が、本当の事を見極める目を持てたと思う。」

「日本は、これからだね。政治家とか、警察が本当は何してるかとか、大勢の一般人が世の中全体の動きを、覚めた目で見れないと民主主義の国にはなれないと思う。」

というのが、私の周りの人々の意見です。

要するに「今まで平和ボケしてたんですねー」ということです。
私自身も含めて。

でも、原発反対に疲れてしまった人々は、ひと皮剥けて、国境も消えてしまったような、落ち着いた覚めた眼で、毎日の小さな出来事に驚きと感動を交え、若い人々の成長を見守りながら過しているのです。


村松さんの本、まだ読んでいませんが、村松さんが書く書かないではなく、ただ漠然と全体的に・・・、原発を動かししている世の中のシステムを、まだ多くの日本人が知らない内に、政府に丸め込まれそうなのが悲しかっただけです。

福島は世界中から注目されていて、多くの人達が、政治家、大手企業、マスコミの嘘を、「自分達国と同じだ!」と気が付きました。

日本人は素晴らしい国民です。

日本特有の<和の心>を、私は西洋で伝えようと試行錯誤しています。

また、長くなってしまった。
from. ひろ / 2012/01/21 6:18 AM
僕は原発のことを書かない、と決めたわけではありません。
ただ書きたいという衝迫がないのです。
『不安であることの正しさについて』のときは明らかに、今までにないほど、書く理由とモチベーションがはっきりとありました。

そして、あの一冊の本に僕の書きたいことはすべて書いてしまったのです。
トトイレを流したあと、タンク式のトイレはしばらく水圧がないでしょう。
あの状態です。

そして、今、僕は「見えない原発」のほうを相手にしています。
「すべての原発的なるもの」、それはほとんど地球支配層の原理です。
これを変えるには、何十年もかかるかもしれません。
その前に日本や地球がほろびたり、僕が死んだりするかもしれませんが、これをかんとかしたい、というドンキホーテ的な挑戦を始めたところです。

対抗原理ではなくて、全く異質な原理を芽吹かせ育てたい。
それがGOLD2012です
from. 村松恒平 / 2012/01/19 2:10 PM
長々と書いたので、コメントが途中できれてしまいました。

去年5月ごろの西洋人たちの、原発事故の反応を、当時日本人に伝えても判ってもらえないと思ってましたが、半年以上過ぎた今なら危機感をもってもらえるかも?と思って書きました。

今まで「私は・・」だった西洋人が「私達は・・・」に変わったのがおどろきでした。

「もう一度ひどい事故が起きないと目が覚めないのよ」と、あきらめムードでつぶやかれてますが、事故なしに目覚めて欲しいな、と思います。
from. ひろ / 2012/01/18 7:05 AM
原発騒動、終わってしまったのですね。

20年余り前、私は、原発をはじめ、環境汚染や利権社会の日本に嫌気が差して日本を離れました。

昨年の大津波と原発事故で、『これで日本人が覚醒する!原発はこれでおしまい。全てが明るみに出てくる!』と直感しました。『さようなら、飼いならされた依存者たち、もうあなたがたのことは考えない、本腰入れた人達を応援する』とも・・・

福島原発事故で、「毎時400ミリシーベルト」にゲッ!とし、年間20ミリシーベルトに法律が変わったあたりから、居ても立っても居られなくなり、折鶴のミニカード(開くと鶴が羽を広げる2011、3、11の日付け付き)を、電車の中、街中、公園を散歩する人々に手渡しながら、「福島の事故を忘れないでください」とお願いして彷徨いました。

カードは、自分で手渡したものだけでも、夏までに1000枚を超え、数百人と話し込んで(ほとんどが見知らぬ人)充実した毎日でした。(その後、募金活動をする人々、原発反対運動の署名のお礼用などにも渡して、5000枚以上が手渡されました)

3月半ば過ぎ、あちこちのドイツ人が、すがるように、「福島の原発から100キロ以内の幼い子と若い女性を、一ヶ月!どこか遠くに避難させて欲しい!一ヶ月過ぎたらまた戻ってきてもいいから、今だけ!何とかして!」と私に訴えて、人脈もお金もない私は「他の日本人を探して欲しい」と力なく答えることしか出来ませんでした。

ラジオたねまきジャーナルの年末特集を一月に聞き、『ドイツのグループが、福島の母子達に、一ヶ月間沖縄で過せる費用を提供した』と聞いて、ウルウルとしました。ヤッタネ!とも。

3月は、ドイツ人たちは、まるで自分の身に降りかかった災難のように慌てふためき、日本人は、なんだか他人事。西洋でこちらの男性と結婚している日本女性でさえ、そんなドイツ人たちを「神経質、大げさ」とバカにしていました。

なんだか、水から熱湯に入ったカエルと、温泉から熱湯なので危機感が麻痺したカエルみたいでした。

普段の行動範囲、南ドイツ、スイス、東フランスでカードを手渡しながら、国民性の違いを感じました。
ほとんど、全員に近い人々が原発反対だったので、癒されました。
政府、大手企業、マスコミはどこも同じなんだとも知りました。
資本主義なのだから命よりお金なんですよね。

西洋人達の、意識の高さと思いやりの深さに、心を癒されましたが、日本で、まだまだ少なすぎる原発反対者や、無反応な東京人に嘆く福島の女性達を、U−STRIEMで見ると胸が痛みます。

政治家を動かせるのは、民間人なのです。

おとなしく、従順そうな日本人をテレビで見た西洋人は以下の3つの意見に分かれました。

「役人達の横暴を許していたら、ロシアのようになってしまうよ!なぜ叫ばないの?なぜ立ちあがらないの?」
「日本はこれからロシアのようになってしまうんだね。素晴らしい伝統と美しい心の国民がいるのに、残念だー」
「日本は民主主義の国だと思っていたけどロシアみたいだったんだね、知らなかった!だからあんなにおとなしいのか・・」

以上、昨年5月までのドイツ女性たちの意見でした。
事故の後も原発推進のため、情報隠しのチェルノブイリが話題になっていたのでしょうね。(中国もアメリカも似たようなものでは?)

5月末で、西洋では原発関連の情報は打ち切られました。

ドイツでは10年前の政策、2022年までに、スイスでは、新設は止めて2034年までに原発脱却との政策を、原発反対者達は<敗北>と受け取っていました。

「電力は足りているのよ。お金さえあれば!今すぐ全部止めることができるのに!」と、仁王立ちで、こぶし握り締めて嘆いているドイツ女性を目の前に、『もしかして、日本のほうが早く全廃できるかも・・・』という期待が頭をよぎりました。

第二次大戦中、「人一人の命は羽毛より軽い」から、戦後「一人の人間の命は地球より重い」に逆転。80年代「モーレツからビューテイフルへ」と豹変できるのだから、期待できます!

とにかく、今、世界中で一人ひとりの意識が変わりつつあると実感します。

日本で行動を起こしている人々、意識を変えようとしている人々に、<どうか、乗り越えることができますように!>と遠くから応援しています。

折鶴のカード活動は今も一人で続けています。
西洋では、安全設計を考えるなら、他の電力の方が原発よりも安上がりという常識が定着しつつあり、フランス人の若者たちが立ち上がりつつあります。

なんだか、とりとめなく書き連ねてしまいました。

<心が大事>に原発関連の話題は、もうあまり出ないかもね
from. ひろ / 2012/01/18 3:03 AM
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