INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
あけましておめでとうございます/自由と十牛図とメルマガ


みなさま、あけましておめでとうございます。

昨年2011年は、3.11の年。
他のどんなできごとに代表させることも、象徴させることもできない年でした。

では、

1. 2012年はどんな年になるでしょう?

2. 2012年をどんな年にしますか?

この2つの質問の違いがわかりますか?

1は、外からくる影響です。
もしときどき予想や警告がなされるように、日本にまた大きな地震や災害が来るなら、僕らはそれをふせぐことができません。
またもっと大きなレベルのできごと、国や行政が何か理不尽な決定をし、実行に移しても僕らがそれをすぐにとめるのはたいへんに難しいことです。
身の回りで、運がいいこと、悪いことが起きる。それも自分が関与できないからこそ「運」です。
それが1の「どんな年になるでしょう?」です。

2は、内側から来る自分で変えられる範囲のことです。
何を読み、何を話すか。どこへ行き、誰と会うか。何を食べて、何を食べないか。
僕らが変えられる範囲はあきらかに存在します。

2012年は、僕にとって、この1と2をはっきり分離させる年です。
自分の「可動性」を確認してできること、したいことをします。
それを僕は自由と読んでいます。

「自由とは自分の理由で生きることだ」と僕は何年か前に書きました。
1に翻弄され、1に対応することにせいいっぱいであれば、それは自由ではありません。
他人の理由で生かされていることになります。
2012年はまた「洗脳」という言葉がよく使われましたが、もしあなたの行動が「洗脳されたもの」や「教育されたもの」であったとき、自分自身で選択したつもりでも、それは自由ではありません。

自由な行動は、生命の芯から出ます。

僕はずっとそういうことを考えて来たけれども、教育から来たもの、先入観、既成概念を一枚ずつ脱ぎ捨てるのは、時間がかかります。脱ぎ捨てるためには、その本質を理解しなければいけません。
「自由なんてめちゃくちゃで、何やってもいいんだから、なろうと思えばいつでもなれる」と考えている人がいるとしたら、その人がいちばん自由から遠いのです。

自由はプロセスであって、目的地ではありません。
目的地は「自然」です。
あるがまま、ということです。

禅に十牛図というものがあります。
これは牛と人に関わる十枚の図からなっています。
それぞれの図に短いタイトルはついていますが、全体は判じ物のようです。
詳しくは検索してください。

これには多様で深遠な解釈があると思いますが、僕はとても現代的に単純に解釈しています。

子どもが牛を探し出します。
これはいわゆる「自分探し」です。
本来の自分を見つけるプロセスが始まるのです。

本当の自分は牛の形をしています。
それをなんとか見つけ出します。
そして、牛に乗って家に帰ります。

これによって、本来の自分と表層の自分が一体化した境地を現しているのです。

ところがやがて牛を忘れます。
そして人もいなくなります。

本来の自分を探そうと発心し、やがてそれを探し出し一体化した挙げ句に、表層の自分も本来の自分もいなくなってしまいまます。
表層の自分と本来の自分という区別がなくなったときに、内側も外側もなくなってしまう。
自分と世界という対立した二つの世界もなくなってしまうのです。

自然はこの境地です。

しかし、十牛図で今の自分ではない本来の自分いるのではないかと気づいたときに、旅(プロセス)が始まったように、自由を探すというプロセスを経なければ「自然」には至りません。

自分→自由→自然

僕はこれを一連の言葉として捉えています。

2012年。僕は自由に生きるということに加速がついて来たと感じています。
そうでないと間に合わないとも感じています。

間に合わないというのは、具体的な期限ではなくて、今しないなら、いつするの? ということです。
Now or Never!

もうご存知の方がいると思いますが、昨年末で文章のメルマガを終刊して、今年は新たに有料メルマガを出します。
これが僕の「今年の抱負」に当たるものでしょうか。

『GOLD2012+銀河の家』
http://maga.hiden.jp/gold2012/

ここで僕が書くものは、自由になるための地図と磁石、水筒にお弁当にバナナ、リュックに登山靴のようなものです。
山を登るためのエスカレーターのようなものではありません。
山登りをする人は、ベテランから注意やコツや必要な持ち物を聞くでしょう。
僕自身もまだ山頂には到達していない。
景色を眺めたり、危ないところに注意しながらいっしょに登りましょう、ということです。
ハウツーではあるけれども、ライブであって、まだ死んでいない(知識というのはよく「死んで」いるのです)、そういうものを書きます。
つまり、死んだ偉い人の保証付きのブランドを推し頂くのではなく、リアルタイムで悪戦苦闘して紡ぎ出される知恵の生成の現場に立ち会ってもらおうという趣旨です。
わからなければ質問をすることもできるし、触発されて、自分の意見や経験を述べることもできるのです。

有料なので、僕の文を読むのに、対価、犠牲を払ってくれる少数の読者に対して書いていきます。
そういうスタイルがこれから書こうとすることには必要なのです。

今年はSBA(象徴的身体調整)というまた別の大テーマもあるのですが(僕の発明物なので検索しても出て来ません)、これについてはまだ短く説明することができません。

要するに、2012年、村松恒平はしたいことがたくさんあって、元気です。
自由を求めてどんどん行っちゃいます。

どんどん行っちゃうわりには、普通にさみしがりなので、みなさま、できることなら本年もおかわりなくよろしくお願いいたします。






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