INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
村祭の中のダンス
村祭にダンスを観に行く


この旅の前半は、毎日のようにバリダンスを観に行って、生意気な? 素朴?な 感想を書いていた。
なにしろ、バリにいても、別にスポーツや遠出するような観光もせず、固定的にすることはないので、とりあえず評判のいいグループはこの際、全部観てしまおうかと思っていた。

ところが、ツイッターでやりとりをして知り合った能楽師のNさん(お会いしたことはない)から、「バリダンスはぜひ祭の中で観てください」という強いお勧めをいただいた。
「仏像だって寺で見るでしょう」と。

これはもっともな話で、僕にはほとんど叱責のように聞こえた。
ルドルフ・シュタイナーは、絵画や彫刻は建築から独立したと言っている。
このことは、日本の社寺や、ヨーロッパのそれを見ればわかる。
建築起源であると同時に、神仏への信仰が起源にある。
しかし、そのことを感覚は忘れて、宙に浮いたような芸術観が生まれてくる。
本来のものがそこにあるのなら、それを観るべきであるというのは全く正論だ。

とはいえ、ツテもないし。
着ていくバリの正装もないしな、とおっくうに思っていたら、こちらの日本人のお知り合いを紹介してくれた。
バリの画家の奥さんであると紹介されたKさんに電話をかけると、親切にすぐに情報を調べて、連れて行ってくれるドライバーまでセッティングしていただいた。
その晩にあるという。

さあ、困った、正装はどうしようと思っていると宿の人に話が通じていて貸してくれるという。
あれよあれよというまに、すべてがトントン拍子に整ってしまった。
神事はうまく行くときはこういうものである。

空模様もたいへん怪しかったが降らなかったし、やはり自分は行いがいいなと思っていると時間になっても迎えのクルマが来ない。
正装して街角に立っているので、うれしいような恥ずかしいような羞恥プレイめいた時間である。

途中、一台のクルマが止まったので、これかと思って「Muramatsu!」というが、反応無く先方は「テンパール!! ?」と叫ぶ。テンパール? デンパサール? 違うな。なんだかわからないうちに、通り過ぎてしまった。
やがてモンキーフォレスト通りの一方通行を大きく一回りしてやってきたのが同じクルマだった。
テンパールは、templeだったのである。

こちらのヒアリングもひどいが、バリ人の英語はときどき相当癖がある。
そして、こちらは「村」とか、「祭り」とか、「ダンス」という言葉だったら反応したと思うが、「寺」は想定していなかった。
そして、先方はその時点でMuramatsuの名を知らず、こちらも彼の名を知らなかった。
そんなわけで約20分のロスタイム。

ダンスには間に合ったが、このせいで席はふさがってしまい、最初から約一時間半ほどは立って観ることになった。

会場はクルマで15分ほどの隣村。
広い空き地が駐車場になっている。
トライバーのレジュンさんはいい人だが、携帯電話がひっきりなしにかかってくる。
正装した人々でいっぱい。
お寺には300 〜500人くらいの人がいるのではないか。
地面に座ってお祈りをする。

バリでお祈りをするのは5〜6回目だろうか。
聖水を受けて清めてもらうという気持ちがあれば、難しいことはない。
前の人のすることの真似をするだけで十分に間に合う。
誰かに先導してもらわないと入りづらいかもしれないが、座ってしまえば異邦人に対する排他的な雰囲気は少しもない。
機会あれば体験すべし。

バリのお祭は、日本のような露店はないし、飲み食いはとりあえず見当たらない。
お祈りと芸能、そしておしゃべり。
バリ人は信心深くお酒飲まないね、たぶん。

タイ人の信仰は、現世利益的なものを強く感じるが、バリはそういう感じではない。

ダンスの会場に行くと、すでに席は埋まっていた。

子どもがいっぱいステージの前に立っている。あるいはステージの上に座っている。
子どもから老人まで会場にいっぱい。

踊りが始まった。

地元の小さな子どもたちが上手に踊る。
「村一番の美少女」(僕の勝手な想像)もいる。
たぶん観ている村人たちは、「そろそろうちの子よ」とか、「そろそろ誰それんちの・・ちゃんが踊るわよ」とか、かなり知っているのではなかろうか。
そういう反応や応援は観て取れないが、日本の学校の運動会などよりはるかに濃厚なはずだ。

いわゆる緊張感とか、アガるとか、そういう様子は観て取れない。一人の小さい子どもなど、踊りの最中もステージを歩いたりして大きくとがめられることもない。
ステージ入り口の幕からこちらを覗いてにやっと笑う子どももいる。
だから、踊りもうまい下手はあるかもしれないが、おおきなミスはなく、みんな集中している。

しかし、ちと不安が募りだす。舞台上には立派なガムラン楽器が置いてあるのに、音楽がCDかテープのようなのだ。音質はいいけど、これでは見に来た甲斐がない。
そう思っていたら、半分ほどプログラムが済んだところで赤い派手な服を来たガムラン隊が現れた。そこらに座っていた子どもをおろして、ようやく演奏が始まる。

想像するに、あまり曲数が多いと練習しきれないのであろう。
小さな子どもたちは慣れた演奏で踊るほうがいいかもしれない。
ガムラン隊人数が多い。30人近くいる。舞台の半分を占める。
いい演奏だ。

ダンスのクライマックスでは、若い男女三人ずつが踊った。
それが違う曲で2セット。

それまで小さい子どもが踊っていたのに、若者が出てくると舞台か狭い感じ。
そして、手足が太くて逞しい男性と年頃の女性が恋のかけひきとわかるダンスを踊る。

これが二つともよかった。

あるいは実際に恋仲のカップルがいるかもしれないし、ダンスのパートナーと恋が生まれるかもしれない。そういう想像を掻き立てる。

踊りという言葉は、そもそも「男を取る」と書いて「男どり」なのだ、と民俗学を専攻していた大学の先輩が言っていた。あるいは「雄捕り」とか「雄盗り」とか表記してもいいかもしれない。

その説はその後一向に聞いたことがないが、たぶん本当だと感じる。
もともとダンスにセクシャルなものは含まれていたはずで、それが象徴化されたり、秘められたりすることで洗練されていったのだろう。

村娘が祭の夜に踊りで恋しい男性を誘惑するなどの場面を想像すると素敵ではないか。

この夜のダンスはそれほどセクシーではないけれども、男女がひきつけあってはつれなくする、という恋のかけひきは面白い。とくに大男がまじめに踊るのは、ユーモアがあって、楽しい。

最後のダンスには、この村で新しい恋が生まれて、家族ができ、子どもが生まれてずっと村の繁栄が続いて行く、というメッセージが感じられた。

最初の頃、ざわついていた子どもたちも、ガムランやダンスに集中してじっと見入っている。
そういう子どもたちがガムランやダンスを習い始めるのだろう。

レジュンさんに話を聞くと、ダンスやガムランは全員が習うわけではないようだ。親が習わせたりするわけでもない。習いたい子が自然に習い始める。それが自然につながっている。

レジュンさんに「ガムランは難しい?」と聞くと「かなり」とうなずいていた。
「あなたもするの?」と聞くと「二曲弾ける」というようなことを言っていた。
覚えるのはやはりたいへんなんだ。
楽譜ないし。

半分期待していた神秘的な熱狂はこの夜はなかったけれど、村の共同性が息づき、継承されていく中心であり、受け皿である芸能の力を観たなあ


祭の間は降らなかったけど、帰って着替えて食事に出たら、土砂降りに出会った。
やはり雨も祭は避けると見える
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