INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
ビジネスと犠牲
ビジネスの都合で家庭生活や個人生活を犠牲にする人は多い。
ビジネスや経済はそういう「ちょっとした犠牲」をときどき要求する。
「ちょっとした犠牲」が積み重なっていくうちに、明らかな優先順位の輪郭となる。

考えてみれば、「犠牲」とは神に捧げられる牛である。
つまり犠牲を捧げているうちに、それは神に似てくる。
ビジネスマンは信者に似てくる。

経済が国際化することで、ビジネスはカネに拝跪する巨大なる一神教と化した。

いま放射能によって、子どもたちの生命・健康・未来が脅かされても、多くのビジネスマンが動じないのは(すべての、とは言わない。しかし、多い。先日飲み屋で隣の客と少しばかり口論をした)それが犠牲だからである。
平然としていることで、自らの信者としての忠誠と信念を示すチャンスなのである。

与謝野馨経済財政担当相を見ているとそう思う。
会見で、原発のリスクへの反省がないのではとの質問に「そう思っていただいて結構だ」と語った。
信者としては大変立派だ。
オウム幹部が麻原の指示であれば殺人を厭わなかったのと同等の信仰レベルである。

そして、僕らはどのように「無神論」であれるか。
あるいは「多神教」の「異教徒」であれるのか。
その神がいなければ、やがて僕らも一神教の引力の中に吸収されてしまうかもしれない。


**
緊急!

「自由になるためのアート」ワークショップ
http://art.hiden.jp/

明日7月17日午後2時より。ごく少人数なので、ゆっくり話せます。遊べます。
ドタ参可能です。明朝10時までに申し込んでください。
サイドバー用
- / comments(4) / trackbacks(0)
Comment








「心が大事」というのは精神的なスローガンではなくて、そこから社会の構造やデザインを生み出して行くものと考えています。

それを僕が実行するのが「ココロブランド」というわけ。
あるいはこれを読んだ人が勇気づけられて何かを始めてもらえればうれしいのです。

しかし、あのような事故が起きてさえ、本質的な反省に向かわない社会に対して、自分の非力をつくづくと感じています。

非力は非力のままで受け入れ、目に見えない何かに働きかけていこうと思っています。
from. 村松恒平 / 2011/08/11 10:20 AM
お返事いただけてとても嬉しいです。
ありがとうございました。

私たちの神様がカネだなんて嫌ですね…

まずは精神的に生き延びること、自由であり続けること、
そこにチャンスがあるのですね。

そのために「言論の自由」という権利がとても重要だな、
と改めて思いました。

ウェーバーさんの言う経済システムの『鉄の檻』
(※社会学的な知識があるわけではないのですが…)
の中に囚われているのだとしても、
その中で「心が大事!」といつまでも叫び続けたいです。
from. まめ / 2011/08/04 1:35 PM
まめさん

資本主義のシステムは、宗教の総体であって、やはり神はカネでしょうね。

カネのあるところにカネが集まる、と言われますが、この神は一極化の自己運動をしているのです。
そこに人々がさまざまな儀式や戒律を作り出しながら乗っかって踊っているのです。

無神論では無理で、多神論的にさまざまな価値を併存させていくことができるかどうかだと思います。
僕が書いていることはそのための基礎的な考えです。
しかし、それも社会の中で具体化するのに時間がかかります。

原発事故が起きても人の意識は容易に変わりません。

カネが一極集中しすぎて、一神教が自己崩壊してしまう、というところまで、大きく本質的な構造の変化はないかもしれません。

それでも、いま、いろいろなことが大きな曲がり角に来ているのは間違いありません。
まずは(精神的に)生き延びること。
自由であり続けること。

そこにしかチャンスがありません。

未来のプログラムは見えないけれども、いまの自分を大切にすることです


from. 村松恒平 / 2011/08/03 3:24 PM
神というもの、犠牲について、考えてみました。
まとまりきらないままなので…もっと突き詰めたいです。偏っていたり間違っていたら、ぜひアドバイスをください!
今の日本の社会の秩序を維持するもの=資本主義であり、神とも言えるものはそのシステムなのではないでしょうか。愛や救いとしての神様というよりも、生と死の両面を司る手の届かない存在としての…。
そこで、新たな社会システムのビジョンもパワーもないままに、一般の人を巻き込んで一指導者が革命を扇動するようなことになったとすると、システムによる弾圧により多くの犠牲者が出た上に革命は失敗に終わり、人々はより強固なシステムに支配される…そんな悲劇にはなりえないでしょうか。ちょっと悲観的すぎるでしょうか。
生きているということは秩序が維持されていること、と考えるとそこには神様の存在があり、社会が存続するためにはなんらかの秩序が必要になる、と考えると、神様なしの社会はありえないのでは、と思ってしまいます。
今外国に住んでいて日本の情報には疎いのですが、日本について社会について、村松さんの文章に大変刺激を受けて、深く考えるようになりました。
革命!なんて言わないでも、地震と原発事故に既に大きな打撃を与えられたのだから、それが社会(神様?)を変える力そのものになるのだと思いたいです。

from. まめ / 2011/08/02 12:23 PM
Trackback
この記事のトラックバックURL: http://kokorogadaiji.jugem.jp/trackback/219