INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
不安であることの正しさについて
僕らは不安であっていいんだ。
それは僕らの中の危険の感知装置が鳴っていることだから。
自分で量りきれない恐怖があるときに僕らは不安になるだろう。そして、僕らは今存在する危機に対して、その可能性の正確なサイズや輪郭をつかめないでいる。
その不安は僕らのものだ。
警報を切ってはいけない。

かつては煽動のプロがいて、大衆の不安を煽って暴動を起こしたりしたこともあったろう。しかし、僕らは暴動は起こさない。せいぜいささやかな買い占めを、それができる地域でしているに過ぎない。
僕らは誰かに煽られて不安なのか、僕ら自身の芯の部分から出てきた不安なのか。

僕はまだ原発事故がもっと軽微なものでおさまるという希望を持っていた数日、毎朝、身体が芯から震えだすのを押さえることができなかった。
夜、安らかな眠りから覚めると、現実のほうが悪夢に似ていた。ここまでくらいで収束するだろうというはかない期待は、毎朝、あっさりと、そして徹底的に現実に踏み越えられ、踏みにじられていた。それを受け止めるのに震撼せざるを得なかったのである。

不安を増幅してはいけない、というのは、政府や既存の権力が望むことだ。なぜなら、不安は人々を駆り立て、秩序を破壊することがある。
けれども、今、政府が恐れていることは、人々がどこかに殺到して怪我人や死者が出ることではない。暴動が起きることでもない。
そうではなくて、原発政策が根本的に覆されることだ。
今すぐ原発を止めろ、という人が増殖することだ。
彼らは事故に寝るヒマもなく対応しながらも、今もそこを必死に守ろうとしている。

いや、他の心配だってしているだろう。政府のこのような対応は十分にわかる。
しかし、そのような秩序は民間人が全員で相互監視して守るようなことだろうか。

昨日、たいへんに落胆したことは、僕のタイムラインでは、なんと呼べばいいのだろう、知識人(古い言葉だが、ここでは仮にそう呼ぶ。知識を蓄積し、高い判断力を誇る人々、文化人とか、文筆や言論で身を立てている人、オピニオン・リーダーとでも呼ぶべき人々)がいっせいに『AERA』誌を攻撃していたことだ。
そして、『AERA』誌も、恐れをなして、とっとと謝罪してしまっただ。

『AERA』誌の最新号は、防毒マスクをつけた男性を表紙にして、 「放射能がくる」という特集タイトルを大きく打ち込んでいる。
これのどこがいけないのか、じつは僕にはよくわからなかったのだ。
針小棒大は、マスメディアのつねである。
だって、東京にだって少量とはいえ、セシウムとヨウ素が来たではありませんか。別に嘘をついているわけではない。
これが不安を煽るという。

しかし、じつは、それはすでに本質的にめちゃくちゃ不安だということなんじゃないのかと思う。
その不安をむりやり沈黙させて押し込めようとしているから、この表紙が抑圧された無意識が生み出した怪物のように恐ろしいのではないのか。

僕の想像力は、この表紙なんかより、何十倍も痛ましいもの目を背けたくなるものを僕の内部に幾度も幾度も取り込んできて、僕に悪寒を起こさせた。
僕は僕の等身大の身体や生活を守ることだけをうまく考えられなかったんだ。東北地方はここ数日、僕の身体だった。それが無惨に犯されるのを眠りから覚めるたびに目撃したのだ。

地震と津波は天災だ。誰を恨むこともできない。
しかし、原発事故は人災だ。
僕はその二つをくっきりと分ける。
天災を日本人は何度も乗り越えてきた。しかし、これほど大きな人災は歴史上に少ないだろう。天災の傷の上に人災の傷がつく、そのいわば二重の層に深手を負った日本の身体の回復力に僕はそんなに簡単に楽天的になれないのだ。

だからといって、人を萎えさせるような絶望的な言葉を投げようと思っているわけではない。
ただ、待ってほしい。何かドンマイドンマイというのが早過ぎやしないか。少なくとも僕は希望的なことをいうのはもう少し後にしたいんだ。
重傷の病人だって苦しいときに苦しいという。辛いときには辛いという。こわい、不安だ、思い切り訴えたっていいだろう。立ち上がるとしても、そこからだ。
まだ事態の全貌は見えていない。テレビという恣意的に選ばれた光があたった部分以外、僕らは何も見ていないんだ。

みんな人は不安を煽ることが怖いという。けれども、『AERA』誌たたきに対して多くの人が横並びに一致して、けしからん、といい募ることのほうが僕にはずっと怖い。

昨日、僕はツィッターでついに「別にいいんじゃないの?」と言い出せなかった。
恐ろしかったのである。
ここに書くことだってオソロシイことではあるけれども、とりあえず、「黙れ」と遮られることなく自分の考えを一通り書くことができる。
それでも理解されず、攻撃を受けるのであればそれは仕方ない。モノを書くというのは怖いことだ。

日本の知識人は横並びだ。
銀行みたいじゃないか。
今回の『AERA』誌を批判した中には、石原都知事の非実在ナントカに反対した人も当然いただろう。
だから問いたい。
表現の多様性は大切だからそれを守るのではないの?
雑誌には表現の自由はないの?
公的機関は規制してはいけなくて、素人が集まって袋だたきにするのはいいの?
自然発生だからいいの?
自然発生は止められないから仕方ない?
でも、そこで知識人、言論人まで足並みを揃えてしまう状況が僕には恐ろしい。
そこで言論の多様性を保証するのが、言論の人の機能だろう。
同じことをいうなら一人だけいればよろしい。

激怒する人から、寛容な人まで、鉛筆の2BからHまでのように揃っていて、人は自分の同調する態度を選べるではないですか。

雑誌だってそうなんだ。超楽観的なのから、超悲観的なのまで、まじめなものから、不謹慎なものまで、多様な言論があればいい。
ところが今回の『AERA』誌は空気を読まずに突出してしまい激しく裁かれることになった。

ときどきそのバッシングの場を参考に覗きにいって、恐ろしいアドレナリンの噴出ぶりにおそれをなして帰ってくるんだけど、何でそんなに興奮するのか、本当に僕にはわからない。

じつは僕は全く今回の『AERA』誌に興味がない。内容について詳しく知る気も弁護する気もない。自分の選択した表現をすぐに引っ込め、とっとと謝罪してしまう『AERA』誌を擁護する必要もないであろう。ただ人がどうして怒るのかがわからない。

……理由を知りに、また覗きに行ってきた。そうか。「恐怖心を煽った」というんだ。
ということは、みんな意識のレベルでは、まだそこまで恐怖していなかったということだ。そして、無意識の中ではち切れそうになっていた恐怖のエネルギーが噴出したのであるな。

そして、ここから風評被害が生まれて野菜や牛乳が売れなくなるだろう、というようなことまで言うんだな。

しかし、恐怖心が生まれるのも、野菜が売れなくなるのも、もともと放射能が放出されたという現象に根源がある。そして、どう考えても放射能が放出されたのは原子力発電を「安全だ安全だ」と保証し、強弁して推進してきた勢力に責任がある。

そして、その放射能の放出によって、野菜が売れないどころではなく、多数の直接的な死者がこれから出るのだ。きちんと報道はされないが、現場ではもう死者が出ているだろう。

ところが、放射能を放出させた責任に対するバッシングはほとんど見ていないのだ。
『AERA』誌が恐怖心を煽った責任を比べれば、前者が無限大に大きいはずなのである。

前者に対する怒り、責任の追求の言葉は、ある限られた人たちの特殊な言論であり、燃え上がることもない。
原子力に対して正確に警鐘を鳴らす言論がそうであったように、今に至るも、そういう言論は、やや特殊な言論として浮き上がっているように見える。
どうやら、原発に対して怒るより、『AERA』誌に対して怒るほうが我々の日本人のメンタリティでは簡単なのである。それに人々は乗ってしまう。
何歩か譲ってそれは仕方ないことだとして、いとも簡単にいつも判断力を売り物にしている知識人までが同調してしまうことに驚き、落胆している。

東電の社員は現場で命を削ってがんばっている。それには悲痛の思いを感じるとともに、敬意を表する。
しかし、だからといって、東電が犯罪的な事態を引き起こしたのではないということにはならないし、今回の責任を逃れるものではない。

そこにはたいへんな利権構造があり、それがすべての冷静な議論を封殺し、日本の発展と安全を大きく阻んできたのだ。
そういうことの構造を事をわけて説明するのが知識人の責任であろう。

知識人といって、全体に敷衍しているが、私は違う、という方もいるかもしれない。全体を語るには僕の視野は十分でない。
僕がツィッターでフォローしウォッチングしていた一人の人物の話に絞ろう。
この人は、さらに僕を落胆させた。

野菜の風評被害に対して、どこかで流行っているらしい「原発コワいコワい病」という言葉を肯定的に使ったのだ。
焦点は政府、東電や保安院(その他誰を指差せばいいのか正確にはまだわからない)の責任というような方向からどんどん遠ざかって、放射能を過剰に恐れる人々を嘲笑するところまで早くも流れているのだ。

「原発コワいコワい病」という言葉には、原発に対して素直にコワいと発言することを抑圧する力がある。
しかし、僕は怖い。壊れた原発以上怖いものがどこにあるか?

この言葉に「平和ボケ」という言葉を思いだした。平和でボケでいられる以上の幸せがどこにあるんだろう、と僕は思うが、それは人それぞれであろう。
僕がこの言葉を聞くといつも疑問に思っていたのは、「では戦争になると本当に人々は覚醒するのか?」ということであった。
戦争で自らの身体や家族を失った人々の映像や写真を見るたびに、「この人たちは覚醒しているのかな」と疑問に思ったのである。

しかし、今回の事態ではっきりわかった。危機に対して覚醒するのは、一人一人の個人ではなく、国家の翼賛体勢である。
それが誰が表立って音頭を取るわけでもなく、あれよあれよ、という間に形成されてしまったことに僕は驚くのである。

不安を煽るということを許さない自警的感情は、すぐに不安であることを許さない、という事態につながっていく。
しかし、全員の心をそのように一つに塗り込めていくことは危険である。
不安は自然であり、この危機に不安を持たないことは不自然である。不安ではない、ということを強制すれば、その感情はいずれなんらかの形で暴発する。
あるいは一人一人の心がこわれ、あるいは集団的な行動を誘発する。

全員が日常の仕事が手につかないほど不安になれば、経済にも影響しようが、そのような極端なことを言っているのではない。それぞれが自分の身体感覚でこの危機を受け止めたほうがいいということだ。

原発が怖いのは、現実であって病気ではない。
放射能が怖いのは、警戒であって、妄想ではない。
知識人の役割とは、そのように現実をすみやかに風化させて、扱いやすい無害な言葉の順列組み合わせにすることではない。まして情報や理解が十分でない大衆をあざ笑うことでもない。

ここに至って原子力や物理の専門家がでてきて、次々に今回の事故はある限定的な事態でしかない、というような発言をする。
チェルノブイリよりずっと小さい、とか……。
この人たちには、この事態を予見できなかった恥じらいというものがない。そして、福島近辺では大きな犠牲が出るであろうことに対する身体的な反応、想像力がない。
冷静で科学的であることが売り物なのだ。

しかし、今回の事態に警鐘をならさなかった人、容認し、むしろ推進した人たちの専門性というのは、なにほどのものなのか?

東電や保安院、その周辺の学者たちには、推定すれば、僕の何万倍もの専門性があるだろう。
しかし、原発の危険性は過小に評価されていた。あるいはもっと悪くは誤摩化されていた。
僕には何も専門性はないし、反原発的な勉強も少しもしなかったけれども、これは危ないということはわかっていたし、ときおり発言していた(まあ、何の影響力もなく、個人的に書いてほぼ完全にスルーされるのだけれども)。
正しい結論に至った無知と、災厄を招いた専門性の山ほどの集積、この2項を比べたとき、「科学的」にいって、その専門性の価値というものをどのように評価すればいいのだろう?

この事態に至って、僕だって専門家の意見には目を通し、参考にする。
しかし、専門家でない人間が発言すると、不安を煽りパニックになり、危険だから、すべて専門家の意見に委ねろ、という論調が強くなりすぎると、「へー、また委ねるんだ?」と感心してしまう。
僕たちは委ねて来たでしょう?
十分に委ねて来たでしょう?

『AERA』誌がこのようにバッシングされたのを見れば、メディアの論調は同様の事態を恐れて今後ますます横並びなるであろう。
そして、国内には、一つの論調しかなくなる。
その一つしかなくなった論調が一斉に危機を書き立てるような事態があったときに、本当のパニックは起きる。

本当に大丈夫だ、大丈夫だという論調に一本化しないといけないのだろうか?
外国人たちは、いっせいに日本から逃げたしている。そこには、それなりの認識と基準があるだろう。
それを臆病だ、過敏だと笑い捨てて、日本にたった一つしかない論調を信じていればいいとは、僕には思えないのだ。

僕は数日前からあまりテレビを見ないようにしているので、ここに書いたことは、主にツィッターその他のネットウォッチングから影響を受けている。
ネットの世界は完結した言葉の世界であって、僕らの本当の生活感情や身体は、このように薄っぺらに流れて行くものではないだろう。そのことを信じる。そちらに本当の芯がある。
この芯にこそ働きかけていかなくてはならない。

そして、忘れてならないのは、これらは、主に「首都東京が安全か否か、不安になる必要があるか否か」、という議論なのである。
福島の原発の近くに今もとどまらざるを得ない人たち、その人たちの不安、恐怖、失望、危険、飢えや寒さ、窮乏は、議論の対象ではなく逃げだすことのできない現実である。

そして、それは明日の僕らの現実であるかもしれない(次の地震が来るかもしれないのだ)。
今の支配的な言論は少しもその現実とつながっていない。
うわごとに近い。
むしろ、僕らは絶句して立ち止まるべきときに、こうして語り続けているのではないか。
ふと、口をつぐむと、身体の内側から震えてくる。
そのことのほうが、千万の言葉より、今の現実とつながっているように思う。


僕らは不安であっていいんだ。
それは僕らの中の危険の感知装置が鳴っていることだから。
警報を切ってはいけない。





■昨日のネット・ウォッチ中の最もお勧め。
前半は、放射能の現実的なあり方(短期的には怖くありません)、後半は日本再生への[希望]に満ちており、勇気づけられます。

田中優さんのust http://bit.ly/eEjgkR















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Comment








ネットもせず、新聞も読まず、テレビもつけず。
ほんとうに何も知りえないんだぁ…ほおぉぉ
感心した。
最新号を買った先の店員は、なにも教えちゃくれなかった。
タケノコをすすめたおやじは、なにも教えちゃくれなかった。
鰹をすすめたおやじは、なにも教えちゃくれなかった。
薬を処方してくれたドクターは、なにも教えちゃくれなかった。
選挙カーの叫女は、声を限りに、なにも教えちゃくれなかった。
古本屋のおやじは、魚に出たな、と言った。
自ら知る術を絶てば、世話焼きにでも出くわさない限り
なにも得られないのかと思うと
楽であり、恐ろしそうだ。


得意先で社長さん相手に御用聞きをしていたら
見知らぬ男がひとり入ってきた
二時間経っても戻らなかったら、警察に電話してください
そして男は、道を挟んで四軒目にある組事務所の方へ歩いて行った。
それはそれはほんとうに、トボ、トボ、とした足取りだった。
アホな奴やで
社長さんが教えてくれた
昨晩男はここの道で、まさかそれとも知らず、
路上駐車中のヤクザの車にむかって、感情たっぷりにクラクションを鳴らした
キチガイみたいに鳴らしおったんや、なあんも知らんと、アホやで
滅入った。このアホに心底滅入った。
知らんもんが悪い。


三月十二日の朝、この組が、四トンのパワーゲート車を二台、事務所の前に停め、
物資を積み込んでいたのを見ていた。
そして、阪神淡路のとき、配偶者の避難所にいち早く救援物資を届けてくれたのが、
地元大暴力団だったという話をおもいだした。
この手の話を聞くなり思い出すとき、いつだってスッキリしない。
動機よりも結果だけ求めて、納得してればいいんだろう。
別に知る必要もない事実だ。


輸入品の原産地表示の話を知ってる、かな?
中国産を日本産と表示 → 輸入許可されない
中国産を無表示 → 輸入許可される
法的には、「嘘をついているか」、「ただ事実を語っていないだけか」の違い
北欧製の銀スプーンの大量に並べられた商品棚に、中国で生産された原産地表示のない同型の
銀スプーンがすぐ横に陳列されていても、買う側の勝手な思い込みなんだから、たぶん良いのである。


近所のスーパーの青果コーナー
段ボールの札にマジックで「徳島産ネギ」と書いてある。
並んで立っている徳島産ネギからいいところをみつくろってたら、別口のバーコードシールの
貼られたのがいくつも出てくる。ちっちゃく中国産と書いてある。
紛れこませてても、嘘ついてないんだから、たぶん良いのである。


知っていたらどうしていたんだろう
知らないままならどうなるんだろう
知らぬが仏で良いのか悪いのか、知ったが地獄や煩悩で良いのか悪いのか
断定なんてできやしない。はあぁぁぁぁ、世の中つまらないねー とってもスリリングだねー
ん?じゃあ、つまらなくないかー


うちの配偶者は、空也上人像をピョロロロと呼ぶ。
ピョロロロと呼ばれれば、ピョロロロとして見てやれなくもない。
なに真に受けてんのよ、ピョロロロが言ってるだけじゃない
そっか、ピョロロロ如きに、なに本気で受け止めてたんだろ あははは うふふふふふ




あーーーーーーーー
from. bk--kuma / 2011/04/06 5:11 PM
放射能で亡くなる人はこれから出て来るかもしれませんが、野菜が売れなくて自殺した人が出た事の方が早かった。
チェルノブイリにだって、今も住んでいる人達がいる。貧しいから、他に行く所がないから。事故の重大さを煽るだけで、日本からの被災者受け入れを考えもしない諸外国も冷淡だと思います。今海外に逃げられるのはお金持ちだけ。お金の問題なんて本来どうとでもなる筈の事なのにそっちを優先して貧しい日本人を放置する。
放射能が人を殺すんじゃない、人が人を殺すんです。
from. ななみ / 2011/04/02 1:55 PM
放射能を放出させた責任って、国や保安院や東電にあるんでしょうかね。バッシングがあまり見られないのは、安価な電力をさして疑問も持たず消費してきた我々自身に責任があると感じている人も多いからではないでしょうか。
from. スーモ / 2011/03/29 9:34 AM
科学者はデータに基づいてしかモノを言わない。確率が百万分の1であっても、「起こらない」とは言わない。しかし、一般の人は「ある」か「ない」かしか判断できない。「ほとんど無い」といっても「全くないわけではないんだ」と恐れる人がいる。メディアはこの「ほとんど無い」可能性を題材にするところがあるように思え、無知な大衆の恐怖に漬け込む。

科学は万人に開けている。誰が何を言ったかだけで判断するのがイヤだったら、自分でデータをとって、どれだけ影響があるか調べてみればいい。専門家を批判するのであれば、自分で勉強したらいい。

デマや風評などに流され、買占めなどに走り、社会の迷惑を顧みずに身勝手な行動をとる愚か者は、社会の不利益が同時に個人の不利益であることを知らない真の愚か者である。社会の安定あって、個人の安定が実現される。我慾に駆られて個人主義に走るものは自らも滅ぼすことを知ったほうがいい。

不安も根拠のある不安であればそれもよかろう。しかし、メディアに煽られて、他人の迷惑を顧みずに行動する愚か者は、無知ではなく、無智である。
from. 川口 / 2011/03/27 9:35 PM
私もAERAの表紙に不快感を覚えた一人です。おっしゃるように不安であることは正しいのかもしれない。それも表現の自由かもしれない。でも、あれを表紙にしたその心根に、私達に警鐘を鳴らす意図があったのか?それよりも「インパクトがある」「話題になる」という意図の方が大きかったからいともあっさり謝罪したのかなとも思うのです。浅かったんではないかと。今でもやはり嫌です。表現の自由が保障されるならば、やはりあれを不快だと思う自由もあると思います。まして、不安を感じている方々にとっては見たくないものだとも思います。

現場でまさに自らを危険にさらして従事されている方々のお気持ちを思うから「不安」や「不満」を口にすることが申し訳なく思えたり「いけないこと」だと批判されたりもするのかもしれません。ただ、解決に向けて現場で取り組まれている皆様のご苦労は尊いということと、人々に正しい情報を伝えているかどうかを常に疑って見つめることは分けて考えた方が良いように思えてきました。

一週間前までは、東電や政府はある程度正しい情報を流してくれているのでは?と思っていました。海外の記事を読んで「大げさなのでは?」「恐怖心をあおる言葉をわざと選んでいない?」と。ただ、なじみのない単位を自分なりにいろいろ読んで照らして、客観的に理解していこうとしていくちに、このところよく分からなくなってきました。チェルノブイリ原発で退避を命じられている地域に関する本を読んでいると、ひょっとして私達は知らされていないことがあるんじゃないか、と思うようにも。
ツイッターもその他の媒体も、自由にものを言えるからこそ、あらゆる方面からの発言を目にします。批判も賞讃も、批判への批判も批判への賞讃も、賞讃の賞讃も賞讃への批判も。私達は何を正しいと思えば良いのか?なんだか分からなくなってきました。
from. りんご / 2011/03/27 8:44 PM
「ネット・ウォッチ中の最もお勧め」田中優さんの講演聞きました。
愕然としました。今まで原発反対派に懐疑的だったわたしが、「原発やめろ〜」って叫びたい気分(笑)。
ぜーったいに自然エネルギーの発電のほうがいい。波力発電なんて素敵。日本は海を入れると広いっていう考えに、目からウロコだった。なんて素晴らしい資源を持っているんだろう!

ところでkubtakさん、
「建屋爆発にともない4人亡くなっている」というのは、まったく知りませんでした。もしかして、3/12の「一号機爆発で作業員4人負傷」のことですか?英語がわからないので、なかなか海外の情報を検索するのは難しいです。

わたしがネットウォッチで見つけたurl
http://takedanet.com/
原発緊急情報など
良いと思いました。
from. lvg / 2011/03/26 1:44 PM
原発緊急情報など
良いと思いました。" data-count="none" data-lang="ja">Tweet
なにか戦争の作られ方を、体験しているような気がしています。
楽観論はヒーロー視され、厳しい真実を言うと非国民扱い。私の知り合いは次第にオカルトチックな楽観論までツィートし始めました。日本独特の空気と言うプレッシャーが、「言ってはいけない」雰囲気を作って、本来庶民を救うために発せられた言葉がバッシングを受け、権力に都合のいい言葉のほうが庶民に受け入れられる。風評被害の言葉もおかしい、原発の被害ですよね。
戦争もこうやって作られたんだろうなあって、実感しています。
from. たかし / 2011/03/24 5:35 PM
たかさごやさん
日本の情報は隠蔽されているので、海外の情報をご覧下さい。
ちょっと前ですが、5人と発表されていました。
建屋爆発にともない4人亡くなっているところまでは国内情報でも追いかけていたのですが、その後発表されなくなりましたね。
from. kubtak / 2011/03/24 2:54 AM
そうだよね!
from. 焚き火 / 2011/03/23 3:19 AM
>防毒マスクをつけた男性を表紙にして

原発事故現場では防護服着用で作業しているわけで、現在起こっていることを象徴する絵としておかしくない選択だと思います。
付近住民は被爆の危険があるとして避難を強いられていますしね。
記事の内容は、取材した内容を整理して伝えるという正道ぶりでした。
from. nessko / 2011/03/22 8:57 PM
勇気ある発言、ありがとうございます。
自分自身が感じていた不安を、ずばり言い当ててくださって共感しました。
東京にいると、一見普通どおりの生活を取り戻しつつあり、まるでもう済んだことみたいにしていますが、何か違う、そうじゃないだろう?ってここ数日違和感を感じ、そして今まで感じていあ不安とは違う種類の不安を抱いていました。
多くの人とシェアしたいです。
from. 清水由美 / 2011/03/22 8:38 PM
冒頭から、何度も何度もうなづきながら、共感の大きさに感動しながら読ませていただきました。
不自然でおかしな「冷静さ」よりも、もっともっと今心で感じている「恐怖」や「危機感」に目を向けようと、その感覚は間違っていないんだと、微力ながらまわりに訴えて来たこの1週間でした。メディアやそれを真に受けた周囲の論調がどんどんそこから離れていることに、恐ろしさを感じています。
共感できるご意見がこのような分かりやすく明確な文章で書かれていることを、とてもうれしく思います。ありがとうございます。
from. ai / 2011/03/22 8:33 PM
今、一番欲していたことばでした。

まわりとの温度差を感じて、ナーバスになりすぎているのだろうかとずっと思っていました。ことばにならなかった思いがここで表されていて、不安なのに落ち着きました。

ありがとうございます。



from. F / 2011/03/22 5:22 PM
たいへん面白く読ませていただいて、誰が書いているんだろうと思って、びっくりしました! 1990年代になりますが(おぼえていらっしゃるかわかりませんが…)インターネットの原稿ではお世話になりました。ルウルウの「ラブマニア」とか「恋愛ディクショナリー」などで。

村松さんがお元気そうで嬉しいです。
そして私も集団バッシングみたいなのには恐れをなしているほうです。テレビもうつらない環境でツイッターとインターネットだけ見ているので……。
from. マダムルウルウ / 2011/03/22 2:41 PM
私も同感です。このような文を書かれることに敬服いたします。
from. lx / 2011/03/22 8:58 AM
知識人からは最も遠いかもしれない、肉体労働者です。
原爆コワイコワイ病を肯定する人の感覚が理解できません。
もし、本当に怖くないのなら、何故、最も電力需要の多い東京湾にでも建設すべきです。
送電ロスもバカにならない遠方で発電して、エコだなんてよく言えると思います。
実際の行動が、原発が危険であることを証明していますね。
from. 少伯 / 2011/03/22 7:54 AM
これまで、ブログやツイッターをフォローするということに興味がなかったので、今回の震災のニュースがらみで少しだけ誰がどういう言葉を発信してるかちらちら見えて、それに対してちょっと怖いなと思っているのは。
何だか、戦時中の非国民探しに似た空気なんじゃないかなー、ということ。
何故、みんな人が発信したことばを否定するのに躍起になるのでしょう。
自分の考えに当てはまらないものがあれば、こいつバカだなーと思って立ち去ればいいのに、ヒステリックな捨て台詞を残していくのは何のためなのでしょう。匿名だから?
自由に表現されたモノを私たちは取捨選択すればいいだけなのに。
これが連鎖すると、この「ブログ」も炎上するのですか?
批判じゃなく、純粋な疑問です。
すみません、趣旨に合わないコメントで。
ブログを読んで共感する部分が多かったのに、うっかりコメントを見てしまって、ここ数日の疑問が膨らんでしまったので。
長文申し訳ありませんでした。
from. ふっこ / 2011/03/22 7:53 AM
原発が100%安全などというのはそもそもあり得ないのに今までリスクに目を背け過ぎていました。資源小国が巨大なエネルギー需要を満たすには他に選択肢がなかった。我々はリスクを取って原発の恩恵を享受しているという自覚を持つべきです。
今回のAERAの件はそのリスクを殊更過大に煽動的に表現したという点において責められるべきです。リスクを等身大に伝えるのがジャーナリズムの役目ではなかったでしょうか?今後脱原発に向かうのならエネルギー消費の縮小というガマンと火力発電によるCO2増加を認容できるのか?という選択を正しく報道すべきでしょう。
コスモクリーナーがあれば・・
from. sei / 2011/03/21 10:31 PM
 “現場ではもう死者が出ているだろう”というのはどのような根拠から?
 確実な情報がおありなら提示してください。

 こういうのが一番困る自称知識人。
from. たかさごや / 2011/03/21 10:30 PM
一つ言えるのはAERAを叩くのも表現の自由ですよ。「こんな不安を煽る雑誌は良くない」っていうのを誰が言っても禁止されるべきことではありませんよ。誹謗中傷にない限り。
そして、貴方が不安はあっても構わないという意見は一つの意見にすぎません。もちろん不安を伝染させるのもよくないというのも一つの意見です。
どちらが正解なんてのはありません。ただ、不安を煽るからと言って表現の自由を禁止すべきではないし、又不安を煽る表現を嫌う事も個人の自由なのです。
それではさようなら
from. マキト / 2011/03/21 9:13 PM
あなたの意見も間違っていないと思います。
私は福島県民なので、東電に対しては相変わらずもどかしい程の怒りを抱えていますし、今回のアエラの記事にも怒りを覚えました。
生憎知識人のフォローをしていないのでそんな盛り上がりをしていたとは知らなかったのですが、人の思考が見えない流れに制限されてしまうのは良くないですね。
たくさんの意見があってこそ、冷静に自分の意見を見なおすことができるのではと思っているので。
ツイッターは皆反射で書き込んでいるので元々一つの意見に流れていきやすい風潮はあると思います。
ツイッターから離れた媒体で書いているのは正解なのでは。
恐怖心を持ちつつ冷静になる、そんなことが必要なのだと考えています。
長文になってしまい申し訳ありませんでした。
from. Null / 2011/03/21 6:42 PM
manimani さん

リアリティのある写真です。
from. 村松恒平 / 2011/03/21 2:03 PM
http://bit.ly/gZ6uQ0
海外ではこのように報道されている。AERAが原発のかわりにAKB48特集をやっていても風評被害が消えるわけではない。
from. manimani / 2011/03/21 1:55 PM
海外ではこのように報道されている。AERAが原発のかわりにAKB48特集をやっていても風評被害が消えるわけではない。" data-count="none" data-lang="ja">Tweet
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