INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
現代うつの一傾向
心の話は抽象的になるので、少し現実と接点のある話をしましょう。

私は、ぽつりぽつりと、うつ傾向の人の相談を受けることがあります。
そこで感じた顕著な一つの傾向を書いてみます。

もとよりうつ病と呼ばれているモノの全体像は僕にはわかりません。

うつという症状のカテゴリーを作っておいて、原因はさておき、いろいろなものをそこに放り込んで分類しておく、ということが起きている気がします。
したがって、症状は同一、あるいは酷似していても、原因はいくつか全く違うものに分類できる、というのはありそうなことです。
たとえば、文学者の北杜夫氏は躁鬱病でしたが、躁鬱のうつは、かなり器質的なもののようです。しかし、現代のうつは、かなり後天的なものが多いように思われます。
そのようにはっきり種類の違うものが、とりあえず、うつという領域に放り込まれているという気がします。

したがって、これから書くことは、僕の観察し得た一つのパターンであって、うつ全体を包括できるものではないでしょう。そのことをまずお断りしておきます。

*

そのパターンというのは、他人に対して心を開くか閉じるかの両極端しかない、ということです。

うつ傾向というのは、基本的にあまり人に接したくないものだと思うのですが、しばらくそうしていると、焦りが出たり、あるいは、他の現実的な理由で、「がんばらなくちゃ」と世の中に出ていきます。

そのときに、僕が見ると(ときどきいろいろな人の日記などで観察するのですが)、たいへん無防備に出ていくのです。
全部閉じていたのが、全部開いて出ていくのです。

だから、あっという間に、いろいろなショックを受けて潰れてしまいます。
そして、ああ、やっぱり自分はダメだ、と思いこむのです。
(ここにも反復され、強化されるパターンがあります)

このことを一つの例で説明しましょう。
どういうことかと言いますと、僕らがまぶしい光に目を向けると虹彩が収縮します。
また目を細めます。
また昼と夜、陽光と照明とでは、光の強さのレベルが違うので、光を関知する細胞自体が夕方に入れ替わります。

そのように、多重構造で、人は自分の中に流れ込んでくるエネルギー量を自然に制御しているのです。

ところが、うつ傾向の人の一部は、他人に対して100パーセント近く閉じるか、100パーセント近く開くか、かなり極端でその中間がないのです。

では、最初からそういう制御機能がないのか、というと、そんなことはないのです。
ある時期に何かのきっかけでロックしてしまった人が多いようです。

このロックの原因については、ここで短く書くのは難しいのです。
しかし、現状、なぜ制御が利かないかということはわかります。
ちょっときつい言い方をしますが(よかれと思って言うのです)、自分のことだけ見ていて他人を見ていない人が多いのです。

「自分」と「他人」の世界があるのですが、他人というのは「自分でない人たち」「顔のない人たち」の全体として一塊に見えているようなのです。

他人といっても人それぞれ違う思いを抱いています。
それなのに、その思考・行動パターン、何を喜び、何を怒るか、という一人一人の性質を全然見ていないのです。

だから、ある人が自分に辛いことを言ったときに、「なぜこの人はこんなことを言うのだろう?」という疑問にはならずに、「他人は自分を傷つける」とか、「自分はダメだ」とか、世界全体が自分を否定していると感じてしまうのです。
そんなふうに感じたら、誰でもやっていけません。

これは、いわば走ってくるクルマの距離や速度を目測せずに、車道を渡ろうとするようなもので、ドカンドカンと目に見えないいろいろなものに衝突されるのは当たり前なのです。
本人はクルマを見ずに何を見ているかというと、「前回もクルマにはねられた。今回もはねられるのではないだろうか?」とクルマを見ずに自分自身の内面を見ているのです。

そういうことを理解するだけで、同じことを繰り返さなくて済むようになる人がたくさんいます。

次回は、こういう場合の具体的な対処法を書きましょう。



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