INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
意見と思考停止
 既存のコードやモードに乗るというのは、一種の思考停止である、ということを前回書いた。たとえば、政権末期の鳩山首相を批判するのは、誰にでも、それこそ、中学生くらいの知識や経験があればできた。


批判するためのキーワードはそこらへんに転がっていたからだ。

モードに乗った意見というものは、一見立派に見えるけれども、大したものではない。


死刑制度や原発に対する賛成反対も、最近流行の嫌韓国、兼中国のような主張も、そのモードに入って丸一日もネットを検索すれば、いっばしの小イデオローグになれないこともない。

モードというのは、ファッションの用語でもあります。

最新のモードを身につければ、おしゃれになる。

それと同様に左翼のモードも、右翼のモードも、エコロジーのモードもある。

つまり、蓑虫が蓑をまとうように、人はさまざまなモードをまとうのです。


人が何かを「考えている」というのは、この「モードに入っている」ことを指すことが多い。

数学であれは、数学のモードに入れば、全員が同じコードで考えるから、同じ結論が出る。

しかし、ある政策の是非とか、抽象的な事柄、さまざまにコードの拾いようがあるものは、議論というの別々のモードで進行するから一つの正しい結論に収束するのが難しい。

したがって、おおむね同じモードの人が同意しあうか、異なるモードの人が不毛な論争をするかどちらかしかおおむね起きない。


そういう前提で、意味のある言論とは何なのか、ということを改めて考えなければならない。

考えなければならない、という一連の中の「考え」という言葉についても考えなければならない♪

最初にモードに乗ることは思考停止である、と書いたけれども、思考することがいいことなのかどうかも考えなければならない♪


と、考えることについて考える、ということを始めると、とんでもなくややこしいメタ考え、というものなる。

……という収拾のつかないところで、今日はおしまい。

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