INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
yumiさん、その後
  話題を呼んだ「yumiさんからのメール」の続編です。

しかし、意外な展開があります。
なんとyumiさんは男性であったのです。

これは男性だと見抜ければ、大したものだったでしょうが、すっかりだまされました(笑)。
読者の皆さんも違和感を感じなかったと思います。

以下は2通目のメールとそのお返事です。

**

村松様、こんにちは。
 
1ヶ月ほど前、
yumiというHNで相談メールを送らせていただいた者です。
 
丁寧にお答えくださり、ありがとうございました。
 
 
すぐにお礼のメールを差し上げるべきでしたが、
急に、非難・拒絶されることに対する恐怖心が強くなったのと、
嘘をついていたことの引け目から、かなり遅くなってしまいました。
 
嘘というのは、僕の性別のことです。
 
「yumi」というHNと、「私」という主語を使っていましたが、実は男です。
 
傷つくのが怖かったのと、自分の現状を認めたくないという思いから、
「yumi」という仮の人格を使ってしまいました。
 
あの時は、そうでもしないと、恥ずかしくて相談なんてできませんでした。
 
そのために、村松様の分析を狂わせてしまったかも知れません。
 
本当に申し訳ありませんでした。
 
 
村松様のお返事を読ませていただいてから、とても複雑な心境です。
 
予想もしない方向からの分析で、とても動揺しています。
 
 
一読して、胸から熱いものが込み上げてきて、泣いてみたり。
 
冷静に読み返してから、
自分と”人並み”との間に、とてつもない距離を感じて絶望感を抱いたり。
 
こんな分析は、一面の真理に過ぎず、
ちょっと本気になれば自分の問題なんてすぐに解決できると考えて、
意識から遠ざけようとしたり。
 
心中、とても忙しいです。
 
 
村松様の分析は、だいたいにおいて、
僕にすんなりと当てはまりましたし、納得もできました。
 
 
まず、僕の”対人恐怖症”について、
 
>対人恐怖は現れ、症状であって原因ではありません。
 
という部分は、確かにその通りだと思いました。
 
僕は中学2年くらいから対人関係に苦手意識を持つようになりましたが、
そのころは、今ほど人を恐れてはいなかったように思います。
 
むしろ、
中学のときは、対人恐怖より、不安症状の方が問題でした。
 
急に、
「自分は気が狂ってしまうのではないか」
と思って強い不安を感じることが時折ありました。
 
そのようなときは、授業中に調子が悪いといって教室から抜け出したり、
頭がおかしくなりそうだといって親に訴えたりしていました。
 
あと、一番ひどかった時には、気分が憂鬱になって、
ごはんが砂の味しかしなくて、喉に通らなかったことがあります。
 
本当に砂の味です。比喩ではありません。砂そのものです。
 
あの頃は、脳内麻薬に酔っていたんだと思います。
このままだと本気でどうにかなると思ってなんとか意識を切り替えました。
 
それから、高校の時は出席が滞りがちでした。
 
特に、体育が嫌で、保健室で寝ていたり、わざと遅刻して休んだりしてました。
 
高校3年の時は、
明らかに出席日数が足りていなかったと思うのですが、留年にはならなかったです。
 
 
それから、
意識と無意識の分裂も理解できます。
 
精神分析では、
たしか、カレン・ホーナイという人が、
神経症の原因は意識と無意識の葛藤にある、
みたいなことを言ってたように思いますし。
 
認知療法でも、
デビット・バーンズという人が、著書の中で、
「あなたの不安は、丸いねじを四角い穴に押し込もうとしていることを
 身体があなたに知らせていることなのかもしれません」と述べて、
意識と本心が食い違っていることが、不安の原因になりうることを指摘しています。
 
自分自身を振り返ってみても、
確かに、僕は、友達を作ることまで”人がみんなしているから”という理由で選んできました。
 
大学での友達も、本心では、一緒にいたいとは思っていませんでした。
 
誰かと一緒でないと、
ひとりぼっちのダメな人間になってしまうので、
そうなりたくない一心で友達を作ろうとしていたんだと思います。
 
進学したのも、大学で法律を学ぶことに決めたのも、そうです。
 
僕は、高校のときの進路決定では、全く悩みませんでした。
 
「数学が苦手だから文系」
「文系なら法律か経済」
「経済は数式が出るから法律。よしっ、決定」
「あとは学力相応の大学を選べばいいだけ」
 
いたって単純な話でした。
 
何か、暗黙の価値観に突き動かされていたことは事実だと思います。
 
 
しかし、”その人”が誰なのかはわかりませんでした。
 
時々、過去のことを掘り返しては、両親に対して、
憤りや、恨みに近い感情を抱くことはありますが、
どちらも強い言葉の人格には該当しないと思うのです。
 
母は、恐怖心がとても強い人で、
半同居状態の祖父母には全く意見できないほどです。
 
父は、朝早くから夜遅くまで仕事に行っていたので、
それほど影響はなかったと思います。
 
そもそも、僕の周りに、高学歴ですごく優秀な人なんていません。
 
それに、小学校で、2年近く不登校だった時も、
ちょっとした内戦状態はありましたが、
最終的には、自分の意思で学校に復帰しました。
 
親に引っ張られたりとか、そういったことはありませんでした。
 
まあ、”その人”を特定することはあまり重要なことではないかも知れません。
 
 
すみません、ここまで書いてきて、自分が何を言いたいのかわからなくなりました。
 
自分の無意識はメールを出したいとは思ってなくて、意識の方が書いているのかも知れません。
 
今、自分がとんでもなく愚かなことをしているように思えます。
 
 
本当に言いたかったのは、
「確かに、自分の中の支配的な要素が、本心を抑圧してる部分はあるけれども、
 一方で、単に臆病なだけで行動できていないという部分もあるのではないでしょうか」
ということです。
 
その場合、単に、ちょっと勇気を出すだけで問題は解決してしまうのではないでしょうか。
 
無理に頑張るのは、強引に失敗体験を重ねて、
事態をますます複雑化することになるかも知れませんが、
自分が今持っている力でも普通にできるように、
問題の捉え方を変えるということはできないでしょうか?
 
 
村松様がよく言われますように、
現在起きている現象というのは、数年前の結果が現れているのであって、すぐには変えられない。
 
変えられるとしたら、それは、数年後の未来だということはわかります。
 
(もし、そんなこと言ってなかったらすみません。僕の勘違いです)
 
しかし、僕は、大学も奨学金と、経済状態が苦しい人向けの授業料免除で、
通えたくらいで、実家は、控えめに言っても、あまり裕福ではありません。
 
なので、経済的に自立しながら、本質の部分を成長させる必要がありそうです。
 
それとも、僕が性別を誤魔化していたという事実に大きな意味があり、そのことで、分析自体も変わってくるのでしょうか?
 
 
実際、自分が道を踏み外しているような気がします。
 
時折、現実を思い出して、こうして焦る気持ちになるのですが、
普段は、自分でも驚くほどゆったりしています。何の問題も抱えていない人みたいです。
 
たぶん、問題から意識的に逃げているんだと思います。
 
さっき、経済状態が苦しいと書きましたが、実は、本心では、
「親がなんとかしてくれる」「自分はこのままでいい」と思っているのでしょう。
 
毎日、正午以降に目覚め、1日の大半をネットで過ごし、
社会に出ずにアフィリエイトとか投資とかで生計が立てれたらなあと夢想し、
たまに気が向いたら、認知療法の本を読んだり、思考の書き換えの練習をしています。
 
村松様のアドバイスに従って、外をぶらぶらしてみたりもしましたが、長くは続きません。
 
確かに、外をぶらぶらしたりするのは楽しいですが、
自分がどんどん堕落する方向に向かってしまうみたいで怖いです。
 
たぶん、3回生のときの就職活動時期に、
怖いことから逃げてしまったのがいけなかったのだと思います。
 
それに、両親が、せっかく僕のためにとお金を払ってくれた、
生協主催の「公務員講座」も、途中で止めてしまいました。
 
今では、頑張る気力も、意思すらもありません。
 
本心では、頑張りたくないとすら思っています。
 
自分に鞭を打つのも嫌です。逃げれるだけ逃げたいと思っています。
 
 
これは、意識と無意識の分裂なのでしょうか?
 
それとも僕のただの怠惰なのでしょうか?
 
また、ただの怠惰であった場合、どのような対策が有効でしょうか?
 
村松様のお考えをお聞かせ願いたいです。
 
 
論旨が何度も変わりましたが、最終的にお尋ねしたいのは、ここの部分でした。
 
 
言葉について、大切なお話をしている最中に、このようなメールを送ってすみませんでした。
 
今の流れがひと段落着いた後にでも、お返事が頂けるとうれしいです。
 
 ***

●以下、村松

お返事までだいぶ時間が経ってしまいましたね。

男性であったとは、すっかり騙されました。

女性に化けることで、どうしてより安全になると感じるのか興味深いです。

しかし、それよりも大切なことは、最初のメールより、2回目のメールのほうが正直に近づいているということでしょう。
つまり、一皮剥けた、ということができます。
「張りつめた感じの女の子」が一皮剥けて、「弱々しい男の子」に変わりましたね。

前提が違っていれば、分析が間違えるのは仕方ありません。
パズルでも、一つヒントが違っていたら、解けなくなるか間違った方向に誘導されてしまいます。
しかし、読者には感じるところがいろいろあったようなので、それはそれで有益でありました。
最初のやりとりは一皮剥けるための必要な儀式であった、として次の段階に進みましょう。

2通目のメールに感じることは、あなたがたいへんな恐怖を感じているということです。

一つは世の中に出ることに対する恐怖です。
以下の部分など悲痛な感じがします。

*

>今では、頑張る気力も、意思すらもありません。
 
本心では、頑張りたくないとすら思っています。
 
自分に鞭を打つのも嫌です。逃げれるだけ逃げたいと思っています。

*

どうあるべきだと要求されることはわかっている、という言葉が多いですね。
ここは心のことを扱うフィールドなので、世間とは違います。
どうあるべきだ、という要求はありません。

生き方を考えるには、一度、どうあるべきか、ということを全部取り除いて、自分がどうありたいかを感じてもらうことからしか始まりません。
しかし、どうあるべきだ、という観念は具体的な外からの要求ではなく、いつの間にか心の一部になってしまって分離できないことが多いのです。
外の凸を恐れているうちに心が凹になってしまうのです。

この比喩でいうと、心は○がいちばんいいのです。どこも凹んでいない、円満です。

私が要求がすることがあるとすると、なるべくあるがまま、素直、正直、ということがいいのです。

というわけで、上記は、こうあるべき、という言い訳を取り去ると

>頑張りたくない。
逃げだしたい。

と要約することができます。

その気持ちは私は否定しません。そこから考えていきましょう。

しかし、そうすると、その後の具合が変なのです。

*

>それとも僕のただの怠惰なのでしょうか?
 
また、ただの怠惰であった場合、どのような対策が有効でしょうか?
 
村松様のお考えをお聞かせ願いたいです。

*
私に怠惰であると結論づけることを暗に要求しているようです。

しかし、本人が

>頑張りたくない。
逃げだしたい。

と言っているのは、怠惰とは違うものだと思います。
怠惰は、ただだらしないだけで、逃げ出そうとは思いません。
逃げるのも面倒くさいから。
せっつかれて、働かないより働くほうが面倒がないと思えば働くのです。

したがってあなたのは怠惰ではありません。

それよりも、私はあなたのもう一つ恐怖を感じるのです。

それは自分の中に精神的な病気を認めることです。

あなたは最初のメールで、いちいち引用しませんが、数回に渡ってカウンセラーを否定しています。
体験によってイヤな思いをしたからではなく、一度もかかったことがないのに否定しています。
カウンセラーを否定することをバネにして私を持ち上げてくれています。

たしかに私は精神医療の専門家とは、出発点も立場も違います。
あまり、専門家にかかることを勧めていません。

この際、私の立場をはっきりさせておきます。
私はうつの大部分は「考え方」や「言葉」の構造を変えることで軽減するであろう、と考えています。
投薬についてはかなり否定的です。
しかし、大部分というのが、どのくらいの割合で、とか、どこからどこまでが可能か、などということは、ここで一般論では言えません。
だから、私としては、ほとんどが投薬という結論になる医療は勧めませんが、最終的な判断はご本人とご家族や親しい人でしていただくしかないのです。
医療や薬品に強く依存する人を否定することはできません。
私のブログを読んで、心が軽くなった、といってくださる方がいればそれでいいのです。

そういう私の姿勢を見て、専門家にかかりたくないあなたは、この人なら自分に都合のいい理屈を考えてくれるのではないか、と思ったのでしょう。
病気ではないけれども、急いで社会に出ていかなくてもいい、というようなことを私がいえば、いちばん都合がいいのでしょう。
あなたは性別を偽っていたし、そのように意識的にか無意識的にか私を利用していると感じました。
相談的な内容のメールには、比較的早めに対応していたのですが、今回はずいぶん時間がかかってしまいました。
どうも返事を書くことに気乗りしなかったのです。頭の中では返事の内容はほぼ固まっていましたが、私の内心が何か書くことにグズグズと抵抗していたのです。

さて、働くことができそうもない、イヤだ、というのは、わかります。わかるというのは、ある程度切実さも想像がつくし、心について考えるという私の立場からは否定しないということです。しかし、それと同時に専門家のカウンセリングを受けるのもイヤだ、ということになると、あなたはたいへん難しい立場に自分を置いていると思うのです。

つまり、椅子に座ることもできず立つこともできない中腰の姿勢のように、あなたはとても不自然な中途半端な姿勢で、ぶるぶると震えながらがんばろうとしているように思えます。
私に言えることはそれはよくない状態に見えるということです。

あなたは自らの症状を病理的に診断されることをたいへんに恐れていますが、その恐怖があなたのエネルギーを奪っています。
あなたはまずその恐怖から解放されなければ、何もできないでしょう。

上に書いた専門家に対する私の立場は「うつ」に限ります。統合失調症など、先天的な原因を持つ病気については、同様のことは言えません。
きちんと診断してもらったほうがいいでしょう。
まずなるべく信用できると思う人を探して、それでも信用できなければ、セカンド・オピニオン、サード・オピニオンを受けてもいいでしょう。しかし、それ以上は無用です。

私が言いたいことの中心は、医者に委ねよ、ということではなく、あなたの中の恐怖や不安を払拭したほうがいい、ということです。

数年前は私は、大病で入院して3度の手術を受けました。お医者嫌いな私としては、イヤでイヤで、なんとか逃げだしたいと思いましたが、どうにも逃げ切れませんでした。
それなりにたいへんな手術でしたが、命の危険があるという手術ではありません。
でも、私の不安や恐怖は大きなものでした。

そして、気づいたことは、不安や恐怖は実体と対応していない、ということです。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」というでしょう。
枯れススキが、幽霊に化けてしまいます。

不安・恐怖が手術そのものと別のものと分かっても、それだけで不安も恐怖も去りませんでしたが、耐えやすくなりました。不安・恐怖は私の頭の中、心の中だけにあるもので実体ではないと理解しただけで、軽減され、逃げ道ができたのです。
手術の実体の苦痛を1という単位としますと、不安・恐怖は5にも10にも増幅します。
そして、逃げ続ける限り追いかけてきます。

死の恐怖も同様です。死は人が誰でもが通過する一点です。
しかし、それに関する恐怖や不安は無限大に増幅されるでしょう。

実体と恐怖を分けること。これが大切です。

恐怖は苦痛そのものです。
実体と出会わないで逃げ回る限り、恐怖は増大していきます。

それが、もう逃げるのはやめたらどうですか、というのが私からの提案する理由です。
案ずるより産むが易し、という諺もあります。さらに
この言葉を調べたら面白い英訳がありました。
Fear is often worse than the danger itself. 
ここでは、Fear=恐怖という言葉が直接使われています。

さらにあなたが専門家の診断を受けた結果について書いておきます。

あなたが何らかの先天的な病気であると診断された場合。
あなたができることと、できないことの限界がはっきりします。
できることに怖じ気づく必要はなくなり、できないことに挑んで消耗することも必要なくなります。
また医療的な対策も講じられ、場合によっては公的な支援が受けられるでしょう。
また家族とその結果を共有することができます。
不安の中であれこれ迷うのではなく、具体的にどうするべきかの選択肢がはっきりします。

あなたが先天的な病気ではないと診断された場合。
あなたは大いなる不安から解消されます。
何年もの間、つきまとってきた恐怖から解放されます。
恐怖と不安で消耗・浪費していたエネルギーを建設的な方向に振り向けられます。

どちらにしても、すっきりとシンプルになれます。

私としては言えるのはここまでです。
あとは、自分で選択してください。

もし、診断を受けたらまたメールください。


**

 多くの方に読んでもらえるようにワンクリックお願いします。


心理研究会、月一回開催中です。
4月は新学期。体験入会可(入会金不要 参加費5,000円)にします。
日程はまたお知らせします。

ツイッターで村松bot始めました。
名言を一日4回乱発しています。
単純なのから難解なのまで、中味はけっこう充実していると思います。

ツイッターの中でkouheimuramatsuで検索してくださぃ。

生村松はmuramatsukouheiです。
(綴りの違いに注意)

研究会のお申し込み、質問やセッション、その他なんでもは、kokoro@hiden.jpまで。
私の著書はアッチ→


























JUGEMテーマ:
読者から / comments(0) / trackbacks(0)
Comment








from. /
Trackback
この記事のトラックバックURL: http://kokorogadaiji.jugem.jp/trackback/169