INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
ムービーの再生、その後

先日来た読者からのメールを紹介します。

これは


ムービーを止めろ!

http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=83


の続きです。

これは去年の9月のエントリーです。

約5か月間が開いています。


言葉の時点で頭には入っても、それをいわば身体化するのには時間がかかります。

自分を縛っている見えない細い糸がぷつぷつと切れて行く感じです。


少しずつ楽になっていっているのですが、自分の変化にはなかなか気づきません。

そして、あるときはっと大きく変わっていることに気づくのです。


そういう変化が本物です。


やりとりの回数ではなく、それを消化する時間を私は重視しています。


対人恐怖症のyumiさんとのやりとりがきっかけになっていますが、じつはこのyumiさんの件にはじつに意外な展開がありました。

しかし、それは少し先の話に回すことにします。


いつまでも解消されない悩みや、心身的な症状があるときには、それはたった一つできごとではなくて、しこりのようなものが折り重なった層になっているということをこのメールから読み取ってください。

そういう堆積した地層を自分で薄皮を剥がすように剥がして行くしかないのです。

堆積させてしまったものも、自分自身です。


誰でも心に弱さはあります。

しかし、私の観察するところ、こういう堆積を生み出すものは、弱さそのものではなくて、弱さを認めまいとする心、弱さを過剰に守ろうとする心、弱さを隠そうとする心なのです。

一つ嘘をつくと嘘に嘘を重ねなければいけなくなるように、一つそういう過剰防衛的なアクションを起こしてしまうと、意地でもそのラインを守らないと、最初から弱さを認めるより恐ろしいことが起きそうな気がするのです。


素直ということは、世の中で思われているよりもずっと値打ちがあります。

水泳で力を抜けば浮くように、弱さも弱さとして受け入れてしまえば、何かが助けてくれます。


何か、というのは、神様であったり、周囲の人であったり、自分自身の深い力であったりします。

でも、自分自身が恐れて、いらない力みがあると、力はうまく流れ込んできません。


恐れを克服するのはむつかしいことです。

しかし、方向性を見失わず、時間がかかるということを知って、焦ったり投げだしたりしなければ変わっていきます。


一枚剥がせば、次の層はより容易に剥がすことができるでしょう。

このメールはそういうプロセスにあるものです。



***


こんにちは。


以前、ブログに書かれてた「ムービーを止めろ!」について、時間経過とともに気がついたことがありましたので、再度ご報告します。


対人恐怖症のyumiさんのメールに対する村松さんのお返事が、わたしの個人的な経験にも当てはまる部分があり、そこに触れられたことで一気に加速して気がつきました。


村松さんのお返事のどの部分かといいますと、


>yumiさんは、幼い頃からつねにその人から正しい結論を先回りして与えられていたのでしょう。

それも暗黙のうちに結論を強制されるのです。

それが焼き付いてしまって、その人からされたことをコピーしてしまった。

そして、yumiさんの意識、言葉の体系が、自分自身の無意識に対して、同じようにするようになってしまったのです。



>yumiさんの中のその人は「そうするのが当然だ」という形で結論を言うのです。

冷静な論理のつらなりの中に、こういう無言の前提の圧力がうまくはめ込んであるので、反発しづらいのです。

その人はたぶん、高学歴、高収入で、決断力、判断力、実務処理能力に富んでいます。

反面、弱いもの、劣ったものに対する関心や同情心は希薄です。


というところです。


わたしはいます。こんな人が。


そして、わたしが仕事中によく頭の中で何度も繰り返す言葉は、この人の言葉です。


かつて言われた、もしくは言いそうな言葉。


「他の人はちゃんとできるのになんでできないの。


そんなこともちゃんとできないなんて。○○お姉ちゃんはちゃんとできるのに。


上手くやるやり方すらわからないの?」


こんな言葉がインプットされて、仕事場で一緒に働く人の顔をみると自動的にこの言葉が再生されていくのが、この前、スローモーションのように見えました。


そのときに、いままで怯えていたのは、わたしが自動的に再生しているムービーなんだ。目の前の人が、不満そうな顔をしてたら、即それはわたしが至らなかったからだと思うクセがついてたけど、それはちがうかもしれない。

むしろ自分の行為を罰するために他人の言動を利用してきたみたい。いままでこうやって、自分で自分を傷つけてきたのだな。

でも、もういいかげんいやになったから、止めよう。



そう気がついて、一週間経ちましたが、すごく楽なんです。


たぶんそれは、他人の反応をみて、わたしのここが至らないからこうなるのだ。こうしなきゃ。という無駄な努力がないからだと思うのですが、いままでより格段に楽です。まさに、軽いのです。



依然として、人は怖いですけども、わたしが勝手に怖がってるんだと、それがよくわかったので、それだけでも全然ちがうのです。



まとまりがなくて、すみませんが、ムービーがムービーであることの認識がよりはっきりしたことで、気持ちにかなりの変化があったことをお伝えしたくて、メールしました。



ではでは、ブログの更新を楽しみにしています。


(メール了)


**


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読者から / comments(8) / trackbacks(0)
Comment








途中で送信したようなコメントで申し訳ございませんでした。

>少し一般論でツッコミ過ぎました。
私も自分の情況を書かずに感情だけを書き残してしまいました。
こんなにも少ない情報なのですからわからなくて当然だと思います。

自殺が重なったのは今から3年ほど前になります。
そのときと同時に体調が優れなくなりました。
苦しい心の状態を何とかしたくネットで検索していたところこのブログに行き当たりました。
過去のコメント欄にありましたが、全ての情報をシャットダウンしたら良くなったという体験談を読んでびっくりしました。
誰とも会わない自分はダメな人間だとおもっていたからです。それだけでも嬉しかった。

ちょうど塞ぎこんでいた時期に色々という人たちと出会いそのことをも引きずっています。
今回の質問はそこのことを書きました。
次の更新を楽しみにしています。
from. / 2010/03/10 4:19 PM
身内の相次ぐ自殺……?

それは想像以上にヘヴィーですね。
少し一般論でツッコミ過ぎました。

何より傷を癒す時間と環境が必要ですね。
自分を大切にしてください

from. 村松恒平 / 2010/03/10 3:31 PM
掟を破って返信してくださってありがとうございます。

なかなか、先生の言っていることがピンとこなくて、心の中がもやもやしています。

>あなたにどのような不運が見舞い続けているのかわかりませんが

私の場合は身内が立て続けに自殺でなくなりました。
そこに病を発症してしまって。


あ、わかりました。

つまり
身内が自殺したから私の人生は悲しいものになったんだ。
悲しい気持ちが玉結びのようになって,
なかなか解けなくって、
私をくるしめる。
それは身内が自殺したせいだ。

と思っている。

そして
こんなに辛い思いをしたのに誰もわかってくれない。
追い討ちをかけるように嫌味を言ってくる。

みんないじわるだ。
という甘えた気持ちをもっている。

癒されたいという気持ちが強すぎて、他人にどっかり寄りかかっている。

from. / 2010/03/10 12:34 PM
私はあまり運命という言葉を使いません。
カルマということはよく考えます。

運命だと他人のせいになりますが、カルマだと自分のせいになります。

しかし、自分のせいだということは、自分で変えられるということです。

私は自分で変えられる領域について考えます。
変えられないことについては悩みません。

あなたが物事を運命のせいにしている限り、自分で変えられない領域を過大視することになります。

幽霊を怖がる人は、人より幽霊を見ます。
見るから怖いのではなくて、怖いから見るのです。

あなたにどのような不運が見舞い続けているのかわかりませんが、そのように心で「運命」というものを作ってしまえば、それは生命を持ち始め、つねに作用します。

暗い顔をして、「自分が暗いのは自分のせいじゃない。他人のせいだ、運命のせいだ」と思っていると、人は突つきたくなるのです。

口に出さなくても、自分からは何も解決しようとせずに「お前らのせいでオレは暗いんだ」と責めているわけですから、先に攻撃しているに等しいのです。

そういう気持ちを抱いている限り、いじめられますよ
from. 村松恒平 / 2010/03/10 12:10 PM
すみません。どこにコメントしたら良いのか迷いつつ……ここに書いています。

辛いとき、弱っているとき
追い討ちをかけるように嫌なことが起こったり、理不尽なことを言われたりします。

最初は本人の受け取り方なのかな?と思っていました。
でも、それだけじゃない、やはり理不尽だ、と思う出来事もあります。

そういう時
運命に人格があるように思えてきます。

人によっては、そういう情況を「悪魔がきた」「魔物をよこした」「神は見放した」と言うのではないか、と思うのです。

私は運命に人格があるんじゃないかな、と思っています。

運命に翻弄(なんて大げさ!!)されるときに、身を助ける言葉の呪文。それはなんだろう?といつも考えています。

村松先生は運命に人格がある、と思われますか?
(これは質問コーナではないので、無視してくださってもかまいません)
from. / 2010/03/10 10:27 AM
こうさん
それはいい傾向かもね1
from. 村松恒平 / 2010/03/08 12:35 AM
村松様への関心がどんどん薄れてます。
書かれることに揺さぶられることもほとんどなくなりました。
誹謗中傷の類ではありません。
自分にとって必要のない人・内容に変わりつつあるということは、良い傾向なのかなと捉えています。
from. こう / 2010/03/07 6:58 PM
>一つ嘘をつくと嘘に嘘を重ねなければいけなくなる

たぶん、ここでおっしゃりたいこととは直接関係がないと思うのですが、これは的確な表現だなと思いました。

自分自身が気に入らない、本当の自分では社会に受け入れられないと思っていると、知らず知らず「理想の自分」「本来あるべき自分」を演じてしまい。

いつのまにか、自分で自分が訳分からなくなります。

このブログ共通の用語で言うなら自由を失った状態でしょうか?

何をするにも、こう発言したら、こういうことをしたら、他人はどう思うだろうか?

どう振舞ったら相手の気分を害さずにすむのか?

どんなことをしたら人はすごいと褒めてくれるんだろうか?

どんなときにも、真っ先に(自分の頭の中の空想上の)他人がどう思っているのかを、そしてそれだけを考えてしまいます。


from. O.M / 2010/03/06 8:11 PM
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