INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
人に期待してはいけない


最近、自己観察して発見したこと。

「人に何かを期待して報いられないことほど消耗することはない」


ふだんあまり精神を消耗しないような生き方をしているのに、先日妙にぐったりと疲れたので、これは何なのだろう、と考えたのです。


そうして省みると、他人にあることを期待していた部分がありました。それが全然思惑通りに動かなかなったのです。

他人に期待していると、報いられないときに(期待を「裏切られた」、ともいいますよね)、怒りや悲しみ、落胆などの精神エネルギーがでます。そして、さまざまな連想が働き、今度はそれを抑え補正しようとするエネルギーが出て、多量のエネルギーが相殺、浪費されるのです。

そして、人に寄りかかろうとして姿勢を崩していますから、そのあと、自分の姿勢を立て直すのも難しいことです。

人によっては、期待を裏切られたという不平不満や恨みを抱えたままになるでしょう。


最初から一人ですくっと立っているのに比べると大きな違いになります。


つまり、人は他人に(家族も含めて)何も期待しないほうがいいのです。

もちろん、生きるということは他人の恩恵は大きく受けるわけです。

それは感謝して受けるがいいのです。

しかし、期待してはいけない。


期待しないということは、ゼロベースということなので、よいことをしてもらったときに人に感謝ができます。

期待すると、期待に応えてくれることがゼロベースになるので、感謝より不満が生まれるのです。

すごく大雑把にいうとですけれどもね。


人に期待する、ということを過剰にしていきますと、確実に心のエネルギーがうまく流れないようになります。

エネルギーの流れがねじれてくるのです。それが、ねじれたまま固定されてしまうと、(つまり、うらみつらみをもったり、人のせいで自分の人生がダメになったと考えるとです)、さらにそこにいろいろなものが溜まっていって、より複雑な様相を呈するのです。


というわけで、人には何か期待するのは、非常に心にとって悪い、ということを自分の心で感じたのです。


そして、ひょっとしたら、心にとってそれがいちばん悪いのでは? と思うようになりました。

それよりも心にとって悪いことは何だろう? 

と考え始めました。


さらには! 


それ以外に心に悪いことは存在しないのではないだろうか?

というところまで、現在、私の中で仮説が広がっているのです。


この「心が大事」ブログでは、じつにさまざまな現象、領域について書いてきています。

しかし、多くの言葉を使って書くことは目的ではありません。

できればたった一つの原理に帰一したいのです。

数学でいえば、公理とか、定義とかの、一つか、あるいはごく少数の出発点を設定して、それですべて説明がつくように心理的概念をすべてゼロから構成しなおしたいのです。


とても大胆なことを言っていますけど、実際、心理学というものは分裂しすぎて力を失ってしまっています。

さらに専門用語や概念や領域がたくさんあって、たいへん難しくややこしい。でも、それを全て足し合わせたところで大したことができないのです。


そうして、そのような専門性があるがために、人々は心を専門家任せにして、人が自分でモノを考えないようになっているのです。


自分の心を自分で知るというのは大事なことです。

だったら、心を考えるのに、分裂せずに一つで、単純な原理からスタートしていて、特別な専門用語を使わないものを作ろう。

それがこのブログの趣旨なのです。


というわけで、「人に期待しない」ということは、その出発点としての要素に値するのではないか、といま考えているわけです。

人に期待しない、というのは、あまりにも部分的なことではないか、と思われるかと思いますが、これはボジティブに言い換えれば、「自分の生命を自分の価値で生きる」ということです。

いわば生きる価値の自給自足のようなことです。


しかし、「自分の生命を自分の価値で生きる」では、入り口としてあまりに抽象的なので、「そうですか」で終わってしまって実際的でもないし、ダイナミックでもありません。

「人に期待しない」であれば、誰でもそこから考え始めることができると思うのです。


この仮説の検証にぜひ皆さんの力を貸していただきたいのです。


いま、現在消耗している人、落ち込んでいる人、そういう状態を思い出せる人、それは「人に期待したからではないか?」とちょっと考えてみてください。

もちろん、自分が落ち込んでいるのは違う理由だ、というコメントも大歓迎です。

むしろ、そちらが大切です。


なぜ人は消耗するのか。落ち込むのか。

それを一つの原因で解けたらすばらしいけれども、そんなにうまくいくでしょうか。


みなさんのコメントお待ちします。


(人に期待しない、ということにはいろいろ付随的な説明が必要ですが、それは次回以降に致します)

 

**


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自分・自由・自然 / comments(22) / trackbacks(0)
Comment








あ、それから、松村ではなく村松です
from. 村松恒平 / 2012/11/28 9:48 PM
素直に自分自身の心で生きましょう。

否定形にしなければそういうことです。

そうすると、「それができれば苦労はない」と否定形が返ってきませんか?

>脳は否定型を素直に受けとることが出来ないと聞きます。

脳と心は違います。この話は長いのでしません。
そして、このような書き方は非常に頭脳的です。

「僕は素直に受け取れない」と書けばいいのです。
そうすると、自分の心の話になります。

あなたはいろいろなものを読んで、人の影響でこんがらかっているようです。
まず誰かが言ったことよりも、自分がいま何を感じているかを自分の言葉でつかまえることが大切です
from. 村松恒平 / 2012/11/28 9:47 PM
池谷裕二氏の本に出てくる言葉の意味が分らず調べていたところ、こちらのサイトにたどり着き、現在の悩みに近しい『人に期待してはいけない』とのタイトルが気になり読ませて頂きました。

松村さんは「期待しない」をポジティブにいいかえると「自分の生命を自分の価値で生きる」と書かれていらっしゃいますが、私には抽象的すぎて心に留めがたく感じてしまいました。
また他人の価値感があるからこそ、自分の価値感が存在するのではないかとも思いました。

脳は否定型を素直に受けとることが出来ないと聞きます。
「期待しない」と意識すると、いったんは期待をした上で、それを打ち消すことしか出来ないとの意味です。
実際に「期待」を意識に登らせない、すばらしい表現があるのではないかとモヤモヤしています。

お知恵をお貸し頂ければ幸いです。

私は「諦める」に行き着いてしまいました。
諦めれば、期待することもないでしょう。
が、期待したいのです。人を諦めたくはないです。
from. かとうまさし / 2012/11/27 11:31 PM
スターさん

人に期待するのをやめると風通しがよくなってすーすーします。

期待する人たちの群れから離れると快適です
from. 村松恒平 / 2012/10/10 5:24 PM
21で気付きました。
昔から祖父、両親などが人に期待する癖がありました。それを受け継いで自分も他人に期待してました。
でもやっぱり駄目だったかということが生きてきたなかで確実です。
それで今日人に期待するのはやめようと決意しました。勿論思い期待してたときは心の浪費は半端じゃありません。(最近は期待なん30%ぐらいでしたが、今日もって期待するのやめます。)

他人が根拠もなく人に期待するから自分も期待してしまうんですよね。それが悪いんです。多分同じことを繰返してしまう人は癖になってるんですよね。

気付けて助かりました。
他人に期待することをゼロパーセント期待しません。
from. スター / 2012/10/01 8:16 PM
そうです。人に期待することは執着することです。

種着を捨てるなら、善も幸福も捨ててしまったほうがいいです。

人も植物や動物と同じ生命です。
生命として健全であるという物差しに戻れば、善悪も幸、不幸もありません。

人間という尺度に客観性を持たせようとすることは善意の無駄づかいです。

そこから一歩踏み出した世界が面白いのです
from. 村松恒平 / 2012/06/01 5:13 PM
私は今日、人に期待しないことを気付きました。
まさに、心労につながると。
世の中、基本的に自分のことしか考えてない人が多数。その現実をしっかり受け止めると、人に期待はできない。
逆に期待しない分だけ、良くしてもらったことが目立ち感謝の念が芽生える。
結局、人に期待するということは、「我(執着)」ではないかと考えます。我がある限り、幸せにはなれない。
人に与えることが本当の幸せかと思われます。
from. ryo / 2012/05/31 9:49 PM
mintさん

20代で気づいたのはよかったです。
ある年齢を超えると頭でわかっても変えられなくなります。
そこで消耗していた分の精神力を善用してくださいね。
from. 村松恒平 / 2011/05/31 5:47 PM
人に期待しない事。
20半ばになり初めて気が付けた言葉です。
この「人」には他人だけではなく「自分」も私の場合は当てはまります。
自分に大いに期待して、人に期待されるのが嬉しくてそれが自分の価値でした。失敗したり批判されたり期待通りの人間じゃなければ酷く自分を責めて絶望しました。
他人にも自分が相手を思った分だけ見返りや愛情を期待して上手くいかないと一人で悲しくなったり怒ったりと、沢山の無駄なエネルギーを消費していたんだなぁと感じました。
自分自身を偽ってまで他人に過剰に気を遣ったり親切にするのは「これだけ貴方に優しく傷つけないように接しているのだから貴方も私の期待に応えてガッカリさせたり傷つけないで」と恐ろしいほど自己中心的で身勝手な思いが隠れていたなんて。
一人で嫌な感情を作って感じて疲れていたんですね。それがピークに達してついには体調を崩してしまい、初めて自分の内面や感情に向き合い「あぁ、こういう事だったんだ」と時間はかかりましたが気付けたのは大きかったし良かったです。
from. mint / 2011/05/26 5:34 PM
「希望をもつことは、本当に良いことなのか」
そこまで戻るのか!と驚きました。とんでもなくおもしろいです!

当たり前のことかもしれませんが、人との関係の中で「期待」をしてしまうのは、
ともに時間を過ごし、何かを受け取ったり与えたりする中で、
自分という存在が、少しでも居心地よくなっていくことに「希望」を抱くから…かな、なんてことを考えました。
そういう希望がもてない相手と、長く関係を続ける気になるかなあと思うと、なんだか無理っぽいのです。
でも、「心地よい」と感じる方向は人によって異なるので、
自分の期待する方向へとそぐわせるのはむずかしい場合もあり…。
より「確かな期待」をもって、お互いの希望を育てていきたいのなら、
もっともっと相手のことをしっかり見なきゃいけないのかなあ、と考えたりしました。
その時点で大きく失敗しているから、心の消耗が激しくなってしまうのでしょうか。

今までで一番心が消耗したのは、「当然わかってくれている」と思っていた人の理解が、
実はさっぱり得られていなかったことを知った時でした。
当然通じているはず(と期待していた)のものが通じていなかった時の地面が揺らぐ感じは、ほんとうに目が回るものでした。
今までの安心感は、大いなる誤解によって成り立っていたすてきな関係ゆえだったんだな…と、深い学びに。
我知らず、期待していました。心から。それでひどく頭打ちました。
でも、今となっては、「では、またここから…」と思える気がするのです。時間をかけよう、と思えます。

「心が大事」では、どんなにこんがらがって見えるテーマでも、
いつも驚くほど鮮やかな着地を見せていただけるので、やはり毎回それを期待してしまいます(笑)
その期待がかなわなかったことは、一度もありません。
おもしろすぎて、いつか心理研究会に参加させていただきたいです!
from. 雫 / 2010/02/06 11:17 PM
じつにいろいろなコメントありがとうございます。
とても考えるタネになります。

一つ一つお返事できないので、本文の中で有形無形でお応えしていきたいと思います。

本日の記事もさらに進んだコメント募集中です。
よろしく。
from. 村松恒平 / 2010/02/06 1:29 PM
 期待してはしないほうがいいと言われましたが、僕はこのコメント欄に他の人がどんなことを書き込んだんだろうと期待してしまいましたよ。村松さんも「コメントお待ちしています」と期待してませんでしたか?
 腹が減った時に美味しい焼き鳥の匂いのするお店の前を通りかかったら、「ももタレ・・・。ネギマ・・・」と期待してのれんをくぐったりしてしまいませんか。人は生きている限り期待をすることを止められないものだと思います。
 期待しないで傷つかずに済む、自らの姿に期待していませんか?期待が叶っては嬉しくなったり、期待以上のことをしてもらって喜び狂ったり、全く期待が外れてがっかりしたりと忙しい。人はそういう愚かさも持ち合わせたもんなんだと構えたほうが、気楽に生きられるんじゃないでしょうか。
 「期待」と言っても、「君のこれからに期待しているよ」と笑顔で励ますものもあれば、怠け者が他の誰かがやってくれるだろうと心の中で期待するものと様々ですが。期待するかしないかというよりも、まずはその中身を細かく分けることから始めたほうが良いかもしれませんね。
from. 泰三 / 2010/02/06 10:47 AM
私も同感です。
何も期待しない、と言うと聞こえが悪いかもしれませんが、自分の人生を自分で引き受けるのか、自分の分の人生の責任を誰かにも背負わせようとするのか、ということなのかもしれないと思っていました。
期待しない、というのがゼロベースなのだとしたら、期待してしまっていると、100から始めることになってしまうので、あとは引き算ばかりです。

期待がない人間関係なんて、と私もよく言われるのですが、私は、深い心の繋がりは、依存という要素がなくても作れると思います。

でも、ふとした隙ができたときに、自分の分を誰かにもかぶせようとしてしまう、それが、私にとって、「私の望みを叶えてくれることを他の誰かに期待する」という依存状態なのだなあと思います。
でも、それをしたくなる瞬間は、やっぱり確かにあるのです。

わかっているのに、たまにそれをやりたくなるのはどうしてなのだろう、というのが、今のわたしの疑問であり、課題です。
from. 桜沢麗奈 / 2010/02/06 9:57 AM
私は結婚して数年が立ちますが、夫婦喧嘩のほとんどは、相手に期待をしてそれが叶えられないときに生まれる気がしています。では、相手に期待をしない夫婦関係なんて成り立つのか、といわれると考え込んでしまいますが。
女の人はよく「君を幸せにするよ」という言葉にほだされて結婚します。だから最初から「幸せにしてもらえる」という期待があるわけで、それが結婚後の不平不満につながるのだと思います。
女の人も「おう、相手を幸せにしてやろうじゃないの、私が。」という心意気をもてれば、もっとずっと潔くて楽になれるのに。
「ではどうすれが、現実的に、相手を愛しつつ、期待をしないで生きていけるか。」というテーマを、村松さんに掘り下げていただきたいです。
from. Kaori / 2010/02/06 6:50 AM
こちらの文章を拝見したときに

期待をしていない人間から
期待以上のことをしてもらったときに
わたしはどんな笑顔を見せるのだろう。

そんなシチュエーションを考えたことを
思い出しました。
from. はい がしみや / 2010/02/05 10:45 PM
 なるほど、丁寧に自分の苛立ちを追っていくと、人への期待が根にあるような気がしてきました。
 僕の場合「これをやらなくちゃー」という圧迫感が一番力を奪います。でも、嫌ならやめればいいわけで、それができないのは「人からどう思われるか」というのを、ほとんど無意識に、強迫観念として考えているからかもしれません。
 失望する対象が「人」ではなく「自分」のことのほうが多いかも、と書こうと思ったのですが……よく考えると「自分」が嫌いになるのは、自分よりも偉い基準として「人」の基準を採用しているからかもしれない。
 「人に」という部分は村松さんがあえて具体的にしたのだと思いますけど、とにかく「期待する」ことからくる失望感は、根っこに置いてもいいものだと思います。

 問題は、雫さんが仰るように、期待することは人にとってベースにある希望のように思われることですね。
 期待はできるだけしないように、というのは厳しい。なんというか、「精進料理を食べれば健康になれる」みたいな、「分かるんだけどー!」という実感があります。
 でも、人への期待でただれてしまった胃を修復する意味では、重要だと思います。
from. 海巳 / 2010/02/05 8:20 PM
書き込みを終えてから、ふっと閃きににた思いが脳裏をよぎりました。
メモがてら書き残しておきます。
私の場合ですが、人に期待しているとき、その人と一体化しています。
だから、私の言ったことはあなたもわかるはず、という甘えた態度に繋がるのです。
一体化したがる人の期待は、失望につながりますけど、
自立した人の期待は、希望に繋がるのではないか、と思います。
from. ひまわり / 2010/02/05 5:59 PM
昔私はものすごく、見返りを求めていて、誰かに愛して欲しくてたまりませんでした。
その根源を探っていくと「誰かに話をきちんと聞いてもらいたい」という欲があるんですね。
ありきたりの言葉でいうと「私を丸ごと受け入れてほしい」という奴です。

でもそれが適わぬ願いだと気づき
(こういうのは親でないとできません。他人だと双方つぶれる)
人間多少の溝があったってかまわないじゃん。
と思うようになりました。
多少の溝があったほうが、上手く回っていくんですよね。
家庭も職場の人間関係も……。

過去を振り返ってみると、一番辛かったとき助けてくれたのは「言葉」でした。
人ではありませんでしたね。
そのときの人は自分の過去と、私の過去を比べて「ほうら、私のほうが大変なんだからさ、ぐちぐち言わないの」と切り捨てていました。
私の表現方法がおかしいのか、と色々と工夫しましたがダメでした。
私は「誰かに理解してもらえる」ということを期待していましたけど、これも適わぬ願いなのだ、と、言い聞かせています。

それはある意味本質を突いたことなのですけど、
それでもときに寂しいなあ、と思うときがあります。
これじゃあ、この世になぜ大勢の人間が生まれて生活している意味がない。人と関わる必要がなければ、人は増える必要はない……と。

私の意見は極論ですから、やはり、人に過大な期待をしているのだと思います。
過大な期待をせず、6割程度の期待で済ますと、いいのかもしれません。

from. / 2010/02/05 4:59 PM
徒労感、というのは期待の裏返しでしょうか。
無駄とわかっていること、価値を感じないことをさせられる等も消耗します。

あと先ほど、これは違う!と言うのをひらめいたのですが、他の事をしているうちに忘れてしまいました。
思い出したらコメントします。
from. Mr.Spice / 2010/02/05 3:52 PM
わたしも、期待さえしなければどれほど楽か…!と感じていました。
期待をやめれば長生きできる、とさえ思います。
ただ、村松さんにお聞きしたいのは、期待したりされたりしない人生は、楽かもしれないけれど、やはりさみしい気がするんです。

投影はぜひやめたいのですが、期待はどうなんでしょう…。
期待する心は、希望でもある気がします。
from. 雫 / 2010/02/05 3:30 PM
「期待される」ことに精神的消耗感を覚えてきた、また覚えるタイプかと、自身を判断しております。
「なにやらせても、すぐできちゃうんだね」と言われ続け、結局そのことが恋人との別れの原因になったことがあります。早い昇進を遂げたのも器用だからだと思っております。
とてもゆかりのある方から「あなたは、尻切れとんぼね。とても、もったいないわ」と言われたのは、12歳の時でした。以来変わらず、器用貧乏で飽き性です。また、褒められたり期待されたりした途端、放棄したくなるのです。「なんだ、これぐらいで良いんだ」と自己完結させてしまっているようです。また失敗を恐れている場合もありそうです。失敗の結果、自身は勿論、期待している人を失望させるんじゃないか、そんなことを恐れているようです。仕事上の期待には必ず応えるために実行するので、心身消耗が激しいです。勝手に期待を背負って自分を追い立ててしまっているところもありそうです。

「期待して」消耗させられたことは少なかったように思います。それは期待しないように努めているからかもしれません。極近しい者以外はほとんど信用しておりませんから。他人には、信用して完遂を期待するよりも、命令して完遂させてきたケースが多いです。それが良いとは少しも思っておりません。とても嫌です。疲れ果てます。
from. 虎南 / 2010/02/05 3:08 PM
人の延長かもしれませんが、環境、自然現象、神への期待が裏切られて消耗する人もいるような気がします。居ないかな?
from. Mr.Spice / 2010/02/05 2:27 PM
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