INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
yumiさんからのメール(後編)
 


■村松から yumiさんへのお返事■


yumiさん、メールをありがとうございます。

非常に冷静で明晰な文章で、たいへん多くのことがわかりました。


私はコメントにも書きましたように、対人恐怖症についてのケーススタディをほとんど持ちません。

したがって、yumiさん場合が世に言われる対人恐怖症という症例にあてはまるかどうかも判断できません。

また病名をつけるということは、事態を限定し固定して、自由なアプローチを妨げることにもなります。

だから、いったんこの対人恐怖症という言葉の枠を外して、yumiさんのケースだけをお話させていただきます。


そうすることによって、いわば、yumiさんを客観的な分析の俎上に乗せてしまう部分があるのですが、それはこのブログでの相談という性質上、また匿名でのやりとりであるという点で理解していただきたいと思います。

私が書くことは、yumiさんの表層的な意識が、今現在望んでいる答とはかなり違うかもしれません。

私はこのように書くのがいいと判断するのです。

意のあるところを汲んでいただければと思います。

これから書くことをもし理解納得していただけるようであれば、すぐにyumiさんの中で顕著な変化が始まると思います。



**


yumiさんの場合は、私が観察するところの一つのケースに典型的にあてはまります。

名付けるならば「凍った時間」のケースです。


一人の人の中に複数の時間が流れているということが想像できますか?


その中の一つの時間が、ある時点で凍り付いてしまっているのです。


yumiさんの場合は、単純に二つの時間です。二人の人物がいます。


一人は冷静で支配的な母親。

一人は涙を溜めて立ちすくんでいる少女です。


少女は立ちすくみ、母親に泣いて訴えたいのに、母親は早足で少女を置いて歩き去ってしまいます。

母親は決して振り返りませんし、立ち止まりません。

少女は涙を止めて追いかけなくてはいけません。


そういう二人がyumiさんの中にいます。




**


これはいわゆる二重人格ではありません。

二重人格は、どちらも顕在的な意識に現れてきますが、yumiさんの場合は役割が決まっています。


意識がつねに母親であり、無意識がつねに娘です。


意識は言葉という光の当たる部分、無意識は言葉の光の当たらない部分である、という私の意識・無意識の定義があります。

(すでに書いたでしょうかね?)


娘は幼すぎて、自分の気持ちを表現する言葉を持ちません。

母はつねに冷静で正しい判断をしているという自信を持っているので、反論や口出しの余地を与えません。

結論だけを口にします。

したがって、娘は言葉を発することができないまま、母に従うしかないのです。


yumiさんの言葉は、完全にこの母親をコピーしています。


コピーというのは、実際にyumiさんのお母さんがこのような性格であると想像されるからです。

あるいはご両親がこのような性格をわかちもっているのかもしれません。

心のことを考えるのは別に当て物ではありません。

だから、お母さんかどうかはわかりませんが、そういう冷静で支配的な母親の要素というのは、自然に発達するものではありません。

誰か強い影響力を持った人のコピーと考えるのが妥当です。

ここでは、その強い影響力を持った人を「その人」と呼びましょう。


yumiさんは、幼い頃からつねにその人から正しい結論を先回りして与えられていたのでしょう。

それも暗黙のうちに結論を強制されるのです。

それが焼き付いてしまって、その人からされたことをコピーしてしまった。

そして、yumiさんの意識、言葉の体系が、自分自身の無意識に対して、同じようにするようになってしまったのです。

いわば強い性格がプリントされてしまって、それが意識で機能し、支配しているのです。


yumiさんの本心は、ある時点で強い言葉の人格に押さえ込まれてしまったのです。

具体的に見て行きましょう。


>小学校で、2年間近くの不登校を経験し、


この時期です。

本当はこの時期に、泣いて甘えたり、反抗したりしたかったはずなのです。

しかし、どちらの隙も与えてもらえなかった。

だから、無言のまま、不登校という形で表現したのです。


そして、学校に復帰するときには、「その人」に同化するという形でとりあえずの解決に近い形をとったのでしょう。


そこからyumiさんの本心は発達することをやめてしまって、そのときの時間に留まっているのです。

だから、思春期を脱するどころではないのです。

こう書いていますね。



>私は、現在大学4回生ですが、

22歳にして思春期すら脱しておりません。

 

自分の人生を、自分で決断するという精神が希薄で、

アルバイトもせずに、親の仕送りだけでのうのうと生きています。

 

就職活動すらしていません。



この文から多くのことが読み取れます。


>自分の人生を、自分で決断するという精神が希薄で、


これはつねに親から結論を与えられてきたからです。

その人は、自分で決断するチャンスを与えずに、「ぐずぐずしている」とyumiさんをジャッジしてきたのです。


そして、この文章全体がずいぶんyumiさんを突き放しています。


>22歳にして思春期すら脱しておりません。

>自分で決断するという精神が希薄で、

>アルバイトもせずに、親の仕送りだけでのうのうと

>就職活動すらしていません。


この口調のはしばしにある軽侮は、母親が娘のことを母親仲間に謙遜卑下していうときのものです。


そして、さらに22歳になったらアルバイトくらいはするものだ、という断定を含んでいます。

しかし、大学卒業までアルバイトをしない学生はいくらでもいます。

まして、対人恐怖があるのならやむをえないことです。


yumiさんの中のその人は「そうするのが当然だ」という形で結論を言うのです。

冷静な論理のつらなりの中に、こういう無言の前提の圧力がうまくはめ込んであるので、反発しづらいのです。

その人はたぶん、高学歴、高収入で、決断力、判断力、実務処理能力に富んでいます。

反面、弱いもの、劣ったものに対する関心や同情心は希薄です。


それがyumiさんにもコピーされています。たとえば、


>1度目は塾の講師。

 

マイナー過ぎる個人塾です。



この文章は目立ちます。

マイナーな個人塾はいいですけれども、どうしてマイナー「過ぎる」のでしょうか。

これは自分に対する謙遜だけではない要素を含んでいます。

塾は大きいほうがいいものだ、という前提があきらかに暗黙の価値観としてあります。


だから、意識のyumiさんは、その塾をやや低く見積もっているのです。

ところが、実際にはインターホンをならせないほど緊張してしまいます。


ここで、はっきりと二人の人物がいることがわかるでしょう?


意識ではさほど高く評価していないにも関わらず、もう一人のyumiさんはあがってしまう原因。


それは、無意識の内側のyumiさんは、まだ凍ったままの時間にいるからです。


>悪戯をして、これから怒られる子供?


G・I・グルジェフという人は、人を人格と本質とに分けて考えました。

その分類でいくと、yumiさんは、人格は大人なのですが、本質が柔らかい子どものままなのです。


もう一カ所だけ文章からみましょうか。



>まあ、こんなところです。

 

2度目は、、、、

3度目は、、、、

などと繰り返しても、

退屈なだけでしょう、後は推して知るべしです。



ここでまた、娘を謙遜卑下するお母さんの人格が出てきました。

すごく苦しくて恥ずかしい辛い体験だったと思うのに、他人事のようにクールです。


多くの人は、一度ダメだったら、辛くて二度とはチャレンジしないものです。

それを意識のyumiさんは、自分を駆り立てて三度もチャレンジしています。

無意識がいやだ、辛いと言っていることと完全に分裂しているのです。


これは、嫌がる子どもに無理にお稽古ごとをさせる親と同じです。

手を引っ張り、背中を押して駆り立てても、ますます嫌いに苦手になるだけです。


強引に失敗体験を積み重ねると、ますます事態は複雑になります。

そういう解決法はダメです。


そもそも知らない場所で物怖じするというのは誰にでもあることです。

私もこう見えても(どう見えるか知りませんが)たいへん内気で小心です。

立派なホテルのロビーなどに行くと、ちょっと緊張したりします。

慣れない場だと、カップを持つ手が震えたりとか、誰でもあるのではないでしょうか。

ただ年を取って、いろいろ経験を積むと、少しだけ様子がわかって普通に振る舞えるようになってきます。


場慣れ、ということを少しずつしていくことが大切ですよね。


しかし、yumiさんは場慣れをす前に、アルバイトの面接といういきなり高いハードルに挑んでしまいました。

これは、相手に自分の価値を認めさせて、お金を払ってもらうという場ですから、いちばん緊張レベルが高いのですよ。


それでダメだった、という体験を重ねると、それがインデックスに入ってしまいます。そのインデックスは、何かのときに、あのときもダメだったから、今回もダメなのじゃないか、そもそも自分という人間はダメなのではないか、といつも簡単にひっぱり出されることになるのです。


そうなると、何が起きるかといいますと、話すべき相手と対面しているのに、自分の内側ばかり見ていることになるのです。

アルバイト先にいったら、仕事場はきっちり整頓されているか、人間関係はどうか、働きやすそうか、自分の能力をうまく活かせそうか、細かい条件は折り合うのか、いろいろな情報がいっぺんに入ってきます。そういったことを肌で感じながら話すのです。


ところが、そういうことが苦手な人は、自分ではダメではないのか、嫌われたり、見透かされたりしないか、そういう心配ばかりに心理的なエネルギーが流れる癖がついてしまっています。

外に向かうべきエネルギーが全部、自意識に向かってしまいます。自分は変に見えるのではないか、ということばかり気にしていたら、やはり変に見えてしまうのです。

そういう様子が相手にも見えてしまうので、悪循環になるのです。


いわば、そういう癖が絡まって塊になってしまったのが対人恐怖なのでしょう。

この結び目をゆっくりほどいてやらないといけません。

焦ってぎゅうぎゅう引っ張るとますます強い結び目ができてしまいます。

対人恐怖は現れ、症状であって原因ではありません。


対人恐怖そのものを相手にするのではなく、上に書いた母と娘の分裂を見つめることで解決が見えます。


*


じつは解決の道筋はたった一つしかありません。

凍り付いた時間を解凍して、少女のほうのyumiさんを大人にしてあげることです。


そのためには、まず意識のほうのyumiさんはさんには、しばらく黙って見守っていてもらわなければいけません。

本心のyumiさんが自分で行動して、小さな成功体験を積み重ねなければいけません。


>自分で決断するという精神が希薄で


と書いていますが、本心が自分で決断するまで、じっと待たなくてはいけません。

じりじりと焦って口を出したり、遅いとか、それはダメ、意味がない、とか評価してはいけません。

それから、自分のしたいことをしなければいけません。

世間並みのことをしようと思ってはいけません。

人と自分を比べてはいけません。


こういう禁止は意識のほうのyumiさんに言っています。

今までは、「人がみんなしているから」という理由で行動を選んできたはずです。

友だちを作るのまで「人がしているから」では楽しくもなんともないでしょう?

そもそも会っても楽しくなければ、それは「知り合い」であって「友だち」ではありません。

そういう行動はますますギャップを深めます。

「友だちを作る」ことではなく、「友だちと愉快な時間を過ごす」、「友だちを好きになる、うちとける」というミッションに変えてみてください。それがしたいのかどうか、心によく聞いてみてください。

ほしくないうちは友だちなんか作らなくていいです。

一人で行動してください。


前に書いたかもしれませんが、一人でも家には籠ってできることで完結するのはダメです。

ネットは人に会わなくても済むようにするシステムなので、解決を促しません。

むしろ、自己完結してしまう回路を作り出します。


小さい用事でもいいから外に出ることです。

映画やお芝居を見に行くとか、散歩する、山に登る、絵や音楽を楽しむ。

それから習い事はいちばんいいです。

陶芸など私もやっていますが、基本は土と自分の対話ですからね。


子どもの頃、得意だったこと、したくても親に認めてもらえなかった習い事があればそれをするのがいちばんいいです。


世間並みのことをするのではなく、自分のしたいことをしなさい、と言われてもすぐに何も出て来ない人は多いのです。

そんなことは考えたこともなかった、という人がけっこういます。

そういう人は宙を見つめてぼかんとしてしまいます。

機能が発達しないまま止まってしまっているのです。


今の世の中は、学校に行く、進学する、テレビを見る、ゲームをする、マンガを読む、DVDを見る、ネットを見る、となんとなく要求されていることや、みんながしていること、流行っていることで時間を埋めていけば、簡単に埋まってしまって時間が足りないくらいになります。


それを全く空白にしてしまって、自分は何がしたいのだろう? と一回も考えることなく成人してしまう人が多いのです。


私の時代には、「退屈」という言葉がもっと若者の間で頻繁に使われました。

時間はあるけれども、お金はさほどない。何をしていいのかわからない、何か面白いことないかな、といつも飢えていたのです。

若者はそのような時間の空白を持て余していました。


しかし、今の時代はその空白を黙っていても何かが消化しきれないくらいの情報量で埋めてくれます。


だから、改めて自分が何をしたいのだろうと考えると、初めてぽっかりとした空白と出会う人が多いのです。


だから、すぐにしたいことが出て来なくても、急いてはいけません。

とにかく小さなことを思いついたらやってみる、ことです。

少女は最初は聞き取れないほど、か細い声で何かいいます。

いつも聞いてもらえないので、声を出せません。

yumiさんの中のその人も聞くのに慣れていません。

だから、じっと耳を傾けなければ聞こえないでしょう。


曖昧に聞こえる小さな声でも、それを実現してあげることです。

小さな実現があれば、次はもう少ししっかりした声が聞こえるようになります。


 RPGというゲームをしたことがあればわかりますが、最初は小さな経験値でどんどんレベルが上がります。

yumiさんは、すでに大人の意識と二人連れのパーティなので、自分に与えるミッションを間違えなければ(つまり、やりたくないことをすること、それからその時点でハードルが高すぎることをすることです)、すごい勢いで少女の部分が成長します。


半年くらいの間に顕著な変化が現れるでしょう。


これはじつは、とても単純な力学です。


*


しかし、心の中でもう一つの同時に別のできごとが起きます。


「解凍」が進むに連れて、凍っていたさまざまな感情が蘇ってくるのです。


流すことができずに溜めこんでいた涙や、押さえ込んでいた怒りの炎、言おうとして言えなかった言葉、そういうものが湧き上がってきます。

あるいは、支配していたその人への反抗心、これもはっきり形に現れます。

こういう凍った感情は、何十年経っても消えません。ただ凍り付いているのです。


解凍された感情がでてくるのは悪いことではありません。

それが解けてでてくれば、正しいプロセスを進んでいると言えます。

ただ、そこに過去の思い出したくないような事柄がいろいろからんでいて、傷が癒えるには時間がかかります。

私はそれを「小骨が突き刺さっている」、と呼んでいます。

精神が生き生きとした力を持ち始めれば、相対的に小骨の影響力は小さくなります。

それは正しい方向に進んでいけば時間の問題です。


決して焦ってはいけません。


これにさらに現実のプロセスという三番目の要素が絡んできます。

家族との関係と経済的な要素です。

なるべく余裕を取って、第三の要素が他のブロセスを妨害しないようにしないといけません。


yumiさんの場合は、経済的な自立を決して急がないことです。


短くて2年、できれば3年、あるいはもっと長く親にぶら下がるつもりのほうがいいです。

焦ると、結局、失敗と自己否定のループを強化してしまいます。


その間、語学の勉強をするなり、茶道や華道、料理の修行をして花嫁修業のふりするなり、親が納得し、人に言いやすいような形を作ってあげるほうがうまくいくでしょう。


実生活でこれ以上の干渉を避けつつ、解凍作業に必要な時間と空間を手に入れなければなりません。


解凍のプロセスは単純ですが、それにまつわるさまざまなことは、ほどけていくのにそれなりの時間がかかるのはやむを得ないことです。


一通のメールから私が申し上げられるのは、以上のことです。


具体的な事柄については、可能であれば、一度セッションに来られるといいと思います。


この記事はコメント不可としますので、感想や疑問などあれば、メールで受けつけます。



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