INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
知識の身体化ということ
 生きた知識、死んだ知識ということをもう少し考えましょう。
私のいう生きた知識とは、言い換えれば「身体化した知識」のことです。

クルマの運転のうまい人は、他のクルマや電信柱のすきまなど、20センチほど余裕があれば、きれいにすり抜けますね。
運転の下手な人だとガチガチに緊張して、どこかを擦ってしまったりしますが、上手な人は、私たちが歩いているとき、走っているときに、電信柱とぶつからないのと同じように、
自信を持って簡単に通ります。
これはドライバーが、自分の身体の意識をクルマの輪郭にまで拡張し、クルマを「身体化している」と言えるのです。

身体化は分析すれば、あるいは動物やロボットにさせようとすれば、たいへんに難しい機能になります。しかし、かなり高度な身体化機能を当たり前に持っています。

知識にもこれと同様のことがあるのです。
「頭に入れる」といえば、頭脳的ですが、「腑に落ちる」「身に付く」「骨身にしみる」などの言葉があるように、日本人は身体の深い部分まで入って、消化され一体化される知識や経験を貴いものとして来ました。

こういう知識のあり方というのは、クルマの比喩でいえば、「自分の命を守るもの」「飯の種になるもの」「世間や人と上手にやっていくためのもの」というような優先順位になるのではないかと思います。いわゆる世間知ということにも近い(この言葉、変換されませんでした)。

小回りが利いて、余分なものがなく、他人との距離感もしっかりしている。
こういうことが日本人の本性であったので、身に付いていない抽象的な知識というものをバカにする、あるいは敬遠するという性質があるのだと思います。

だから明治維新から140年ほども経っているのに、一向に西洋の概念の本質は入って来ないのです。

しかし、一方で日本人的な「知識(広義の知識、ということになるかもしれませんが)を身体化することを尊ぶ」という文化も学校教育などによってかなり破壊されて、どちらつかずになっているのです。

いらない知識はぶよぶよとたくさん抱えているけれども、身の処し方は未熟であるから、精神的に弱いのに、お互いにがつんがつんと衝突しやすいのです。

もう死んだ知識は、みんなで「死んでる!」と指さして捨ててしまわないといけないのです。

**
 多くの方に読んでもらえるようにワンクリックお願いします。

心理研究会、第二回は来年1月上旬or中旬頃です。
2時間みっちり心の話。そのあと打ち上げ。ぜひ、ご参加ください。
質問やセッション、研究会のお申し込みは、kokoro@hiden.jpまで。
今日も私の著書、売ってます。
          アッチ→


先天的・後天的 / comments(0) / trackbacks(0)
Comment








from. /
Trackback
この記事のトラックバックURL: http://kokorogadaiji.jugem.jp/trackback/138