INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
直観と直感
 (PC だましだまし使えたので更新します!)


ここ数日、なんで人を分類するということが自分の感覚から遠いのか、ということを考えていました。

その結果、考え至ったことをご報告します。
それは「直観」ということを重んじるからです。

「直観」と「直感」違う字なのをご存じですか?

同じく「ちょっかん」と読むので見過ごしている人が多いと思いますが、直観は直感とおおいに違います。
直感はなんとなく「勘」という言葉とつながるところがあります。「勘」「直感」という場合、経験や知識と混合して結論が出る場合があります。

しかし、直観は、経験や知識のフィルター一切なしで対象とつながることをいいます。
「そんなことが可能なのか」という議論が当然ありまして、そうなってくるとたぶん厳密な定義が必要な哲学の領域に入っていくのですが、ここでは簡略にします。

純粋な直観とは、つまり悟りとか、霊感とか、啓示とかに近い概念が本筋なのです。

しかし、ここでは知識を媒介にしない、という点を重点にしてこの言葉を使ってみたいと思います。

知識を媒介にする、というのはどういうことかといいますと、たとえば、ゴッホの絵を見るときに、この絵は何年に描かれた絵で、そのとき彼はどういう生活状況、精神状況にあったか、というようなことに照らして絵を見ることです。
展覧会などに行って解説をていねいに読んでいると、下手をすると、絵を見ている時間より文字を読んでいる時間のほうが長くなってしまいますね。
ゴッホに関する解説、知識というのは、いくらでも世の中にあって、また資料に当たれば、新たに生産可能なものです。
知識の世界も奧が深く切りがありません。

知識を身につければつけるほど作品の良さがわかる、という立場が現代では支配的なようです。
しかし、一切の予備知識なしで絵の前に立って、全身がジーンと痺れるように感ずる。ゴッホが遠い人ではなく、身近にその息吹さえ感じてしまう人もいるでしょう。

ふだん自分はこの二つの対照的なあり方のどちらを選んでいるのか、ちょっと立ち止まって考えてみてください。

(続く)

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Comment








直感と直観。勘(経験的なもの)が介在しているか否かのご説明がとても分かりやすかったです。きっちりと使い分けてはおりませんでしたので勉強になりました。
ゴッホについては結局調べることはせず、たぶんこうだろうなぁと感じることがあって、その後はほうっておいたのですが、村松さんが書いていらっしゃるのを読んで、感じていたことをより強く信じられそうな気がしました。
こういうこと(感じる・考える/ 直感 ―→ 他者による保証)を繰り返していく内に、しまいには他者の基準から外れて、ものを直観できるようになりそうな気がしています。
from. | | / 2009/12/15 4:44 PM
直感と直観。勘(経験的なもの)が介在しているか否かのご説明がとても分かりやすかったです。きっちりと使い分けてはおりませんでしたので勉強になりました。
ゴッホについては結局調べることはせず、たぶんこうだろうなぁと感じることがあって、その後はほうっておいたのですが、村松さんが書いていらっしゃるのを読んで、感じていたことをより強く信じられそうな気がしました。
こういうこと(感じる・考える/ 直感 ―→ 他者による保証)を繰り返していく内に、しまいには他者の基準から外れて、ものを直観できるようになりそうな気がしています。
from. / 2009/12/15 4:40 PM
なんで分類なんてするの そもそも、
っておもうんですよね いっつも。

目の前にひとがいる。
ぼくはそのひとと出会う。

じゃー、そのひとをそのまま見るだけです。
それだけじゃないですか。
それしかなくないですか。
観る。

化粧はファンデーションを塗ってからするもので、
化粧をきめた顔にファンデを上塗りするひとはいませんよね。
(ってこの喩えはヘタか。^^;)
from. わからぬ わし かわらぬ / 2009/12/14 10:39 PM
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