INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
人を分類すること
 シュタイナー教育における「胆汁質」「多血質」「粘液質」「憂鬱質」という4分類についてコメントをいただきました。

私はこの解説を何度か読みましたけれども、あまり頭に入っていません。
こういう分類は、ユングやクレッチマーもしているし、野口晴哉は体癖を九つに分けています。また血液型や星座占いなども、ある種の人を分類する手段です。

こういう分類のややこしいところは、つねに「混合型」が存在するところです。
典型的な**型というのはいいですが、**と**と**の混合だとか言い出すと、その話のほうがややこしくなって、本質を見失いやすいのです。

また西洋人の作った類型ですので、日本人にどれほど顕著に顕れているかもわかりません(これは否定ではなくて、純粋にわからないのです。誰も真剣に検証していないと思います)。

ユングは類型を作りましたが、顕在的に強く表れていない要素は、潜在的に強く持っている、というようなことを言っていまして、結局、人の中にはあらゆる要素がある、という考えなのです。

またニーチェは「父親の性格と母親の性格の相克が、青年期の受難をなす」(ウロ覚え)ということを言っています。つまり、成長期には一人の若者の心の中で両親の性格の違いが喧嘩をするということですね。

つまり、人の中にはあらゆる性格があって、それが複合し、葛藤し、時期によって強くでる面がある、と理解すればいいわけですが、そういうふうに総合すると、こういう分類はほとんど役に立ちません。

人が人を理解するというのは、面倒くさい時間がかかることなのです。
こういう類型を好む人は、それを省略したい、もっと便利にしたいと考えているのです。
しかし、便利にしたいということ自体が心から遠ざかる性質のものなのです。
心のことを面倒くさがらない、この一点の心がいちばん大切です。

たとえば、この4類型だけを頭に叩き込んで子どもを見たり、教育現場に言ったりしますと、うまくあてはまらないケースに頭が「???」となって、身体が動かなくなってしまうでしょう。普通の人が気づくこともおろそかになって、自分の頭の中だけでパズルを解こうとしているようになってしまうでしょう。

人の心を見るには、言葉を媒介にしては遅いし、現実ではない「現実」を捏造してしまうことになるのです。

たとえば、人の血液型と星座を聞いて話す内容やつきあい方を変える人がいるとしましょう。
そうすると、その人にとってはうまく行ったり行かなかったりの試行錯誤があって、「何かうまく行っているような気がする」状態になるかもしれません。
でも、実際はその人の類型に沿った物語に自分をあてはめているだけで、周囲には「何か深い話のできない人」と思われているかもしれません。

シュタイナーは教育は芸術だと捉えています。人の魂と向かい合う芸術です。
たとえば、木彫で仏像を彫る人は、たいてい「自分が仏を作るのではなく、木の中にいる仏様を掘り出すのだ」と言いますね。
そうでなければ仏像は彫れないのです。

それと同様に、魂にも独自の形があり、展開があり、物語があり、結実があると考えるのです。
一人一人の子どもに対して、その最善の環境を作り出してやること。それが基本になります。

私は「花は種のときから赤い花が咲くか黄色い花が咲くか決まっている。だから、赤い水をやったり黄色い水をやったりせずにただ透明な水をやって、環境だけを整えてやればいい」といつも説明しています。

人為的なものを持ち込むよりも、ありのままを見てやればいいのです。

教育は芸術という観点に立てば、当然、教育者は芸術家でなくてはいけません。
教育する側がまず自分の魂を開発し、自由な精神に立たなければいけないのです。
教育熱心な親というのは、「自分を磨くことはさておき、子どもだけは優秀ないい子にする」と張り切ることが多いわけですが、それは自己犠牲のように見えてエゴです。

自分に自信のない親がコンプレックスから英才教育などすれば、最初は子どももそのドラマにつきあってくれるかもしれませんが、いつか必ず破綻します。

シュタイナー教育は、シュタイナーの壮大な世界観の一部であって、シュタイナー教育に携わる人はシュタイナー思想の全貌に理解を持とうとしなければいけません。
そういう総合的な理解があって、気質の分類も役立つこともあるでしょう。

大切なことは目の前の人と向き合うことです。
それを省略するために、都合のいい部分を切り取ってはいけません。

シュタイナー教育の基本方針は、低年齢で知育をしてはいけない、ということですが、日本には小学校のお受験勉強をさせながらシュタイナー幼稚園に通わせるという親がいると知人から聞いて呆れました。
笑っていいのか、怒っていいのか、よくわからないのですけど、日本には、体系的な思想というものを根本的に信用せず、あっという間に骨抜きにしてしまう力がありますね。



**
 多くの方に読んでもらえるようにワンクリックお願いします。


心理研究会第一回は、そろそろ定員と書きましたが、一人キャンセルが出ました。12月19日18時〜です。よろしければご参加ください。

質問やセッションのお申し込みも、kokoro@hiden.jpまで。
私の著書、売ってます。
          アッチ→







先天的・後天的 / comments(5) / trackbacks(0)
Comment








読んでみて気づきましたが、(自分を含め)分類好きな人はすごく多いですね。

血液型、長男長女、勝ち組負け組…。

たまに話のネタとして、ひとしきり楽しむにはいいかもしれないですが、おっしゃるとおり、ラクなぶんその場の結論がそれ(出来合いの分類)に引きずられてしまいがちなので、
>「何か深い話のできない人」と思われても仕方ないですね。

かなりがっちりしたストッパーになるお話でした。ありがとうございます。

(※ずいぶん前になりますが、メールのお返事をいただきありがとうございました。該当記事にはお礼を書き込ませていただきましたが、だいぶ日が経って埋もれているかもしれませんので、この場を借りてお礼申し上げます。)


from. MT / 2009/12/09 4:03 PM
村松さん

個人的に興味をもっていた気質に先天的・後天的の両方がある云々と聞いていたことと、村松さんの記事に偶然にも「後天的」という言葉を見つけたことで、

> しかし、自由になる以前に、自分の生まれつきのものと、後天的なもの、これを意識、区別できなければいけません。

という部分の続きがわかるかもしれない、ひょっとしたら気質とつながる何かもあったりするかもしれない、と勝手にわくわくしてしまっていました。気質についてこちらで議論したいなどと思っていたわけではないのです。すみませんでした。

これからも心から楽しみにしています。よろしくお願いします。
from. NS / 2009/12/09 3:25 PM
 シュタイナーは以前紹介して頂きました。少し読んでみましたが、不思議な人ですね。
 彼の公演を読むと、彼の生まれ育った背景まで見えてきそうな、エネルギーというかリアルな個性を感じます。そのパワーに結構戸惑ってしまいました。ただ、人間のことが大好きなんだなぁ、とは感じました。

 心のことを面倒くさがらない。というのは、放っておいてもいけないし、無闇に手を加えて駄目にしてもいけない、という意味に受け取りました。後ろのほうが盲点であり、意思が試されるところなのですね。
from. 海巳 / 2009/12/08 6:43 PM
邪魔ではないですよ!

何に関心があるか、具体的なきっかけをいただけるのは助かります。

ただ、あまり個別的な気質論は私の範疇ではないのです。

from. 村松恒平 / 2009/12/08 4:33 PM
村松さん、お返事ありがとうございます。


気質の分類は、ただ分類して、自分はこういう性格だとか、あの人はこういう性格だと決めつけるためのものではないと思っています。4つの分類とはいっても、1人の人がひとつの気質しか持っていないというものではなく、1人のなかに4つすべてあるのだといいます。まさに「人の中にはあらゆる性格がある」と考えているのです。このことを昨日コメントに書かなかったので、すみませんでした。


たとえばわたしは憂鬱質か粘液質かなと思っていましたが、親しい人といるときは多血的にもなるし、子どものころは意外と胆汁ぽいところもあった気もします。胆汁質の強い人でも、多血質の人といっしょにいれば多血的になってくるとか、夜ひとりでいるときは憂鬱的になったりといったようなこともあるようです(だからきちんと書くとすれば、「あの人は胆汁質だ」と言うよりは、「胆汁質の傾向が強い」と言ったほうが誤解がないのかもしれません)。


どんな環境で、どんな人と一緒にいて、どんな時間帯のとき、どのように反応するか、によってその人の気質があらわれるので、いろいろな状況のもとでの反応のしかたを観察していないとわからず、だから見分けるのが難しいのだと思います。要するに「面倒くさい時間がかかる」ということです。少なくとも、誕生日や血液型のようなデータがあればすぐわかるというものでないことだけはたしかです。そして、わたしはこうであの人はこうだからと決めつけて悪口を言ったり遠ざけたりするためにあるのではなく、むしろおたがいの気質を理解しあえれば足りないところを補い合えて、人間関係に役立つものだと思います。



> 私は「花は種のときから赤い花が咲くか黄色い花が咲くか決まっている。だから、赤い水をやったり黄色い水をやったりせずにただ透明な水をやって、環境だけを整えてやればいい」といつも説明しています。

という部分や、そのあとに書かれていることは、まさにシュタイナーの気質の考えに通じるというか、そのままのように感じました。


> シュタイナー教育は、シュタイナーの壮大な世界観の一部であって、シュタイナー教育に携わる人はシュタイナー思想の全貌に理解を持とうとしなければいけません。

そうですね。とことん理解しないといけなくなりますね。
そして、いい考え方だと信じても、それにこだわってしまうのもまたよくないですね。
わたしも少し「気質」にこだわりすぎていたようです。

「目の前の人と向き合うこと」
これを大切にしなければ、どんな考え方を知っていても意味がないですね。


ちなみにわたしは気質を専門的に勉強したわけではなく、人間関係や自分の性格に悩んでいるときに、ある方のメルマガやブログで気質のことを知ってから気質の考え方をおもしろく感じるようになった、というだけの人間です。


やっぱり村松さんの邪魔してしまいましたね。気を取り直して、次回からの村松さんの「先天的・後天的」のお話を心静かにお待ちしています。
from. NS / 2009/12/08 12:53 PM
Trackback
この記事のトラックバックURL: http://kokorogadaiji.jugem.jp/trackback/131