INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
先天的なものと平等
 > しかし、自由になる以前に、自分の生まれつきのものと、後天的なもの、これを意識、区別できなければいけません。

前回のコメントで以前に書いたこのことの続きがない、とリクエストをいただきました。

たしかに先天的、後天的ということについて前回も書いたほうがいいかなと思ったのです。
というわけで、予定を変えてこちらのことを書きましょう。

先天的とは生まれつきのもの、後天的とは生まれた後からインプットされたものです。
しかし、先天的、後天的という言葉は世の中で以前ほど使われなくなったように思います。

このことの背景には、ひょっとしたら悪しき平等主義のようなものがあるのではないかと疑っています。
つまり、生まれつき才能や素質に大きな差があるという事実を言ってしまうとミもフタもなくなってしまうから、それがタブーになっているということです。
徒競走で全員同時にゴールさせる学校があると話題になったことがありますが、それと似た現象があるのかもしれません(本当にそんな学校はごく一部でしょうが)。

こういう発想は、一見、人に優しいようで、後からたいへんなしわ寄せが来ます。
つまり、生まれたときはみんな同じような素材である、という思想になりますから、家庭環境や、本人の努力や、教育の質や内容が問われることになります。
そうすると、勉強ができない子どもや、やる気がない子どもは、本人の努力が足りないといって厳しく責められることになります。

しかし、たとえば、スケートでもピアノでもサッカーでも素質が重要であるように、勉強だってかなり素質があります。成績だけが単純に努力の問題にされてはたまったものではありません。

こういうふうに人が均質なものとして扱われますと、人が工業製品のように良品と不良品に振り分けられていく環境になっていくのです。
選別やいじめや格差が広がってしまって、不良品に振り分けられてしまった子どもには救いがありません。

人は生まれついたときから違うのです。

ロールブレイングゲームでは、最初に職業を選択するものがあります。戦士だとか魔法使いとか僧侶などですね。そうすると、ある部分は強いけれども、ある部分は弱いというパラメーターの振り分けにより、個性が生まれます。
最初に10の力を与えられているとすると、戦士は力が5、防御が3、知恵が2、魔力が0というように振り分けられます。
これに対して、魔法使いは魔力の数値が高くて、力や防御はからっきしダメという設定になっています。
だから、ある意味、数値は偏っていても平等なのです。

しかし、人の場合は自分で数値の振り分けはできません。
また全体の数値自体が(能力だけをみれば、です)、ある人は最初から15持っていて、ある人は8しか持っていない、というようなことがあります。
頭がよくて、スポーツもできて、顔やスタイルもいい人がいます。天は二物を与えず、といいますが、何であの人は全部持っていっちゃうんだろう、という人もいますね。

これを合理的??に説明しようとすると、カルマの思想というものにつながってくるのですね。
前世、前世の前世、そのまた前世……と連綿とつながる因果によって説明しようとするわけです。
そうなると、すべてその人の過去が作り出したものだから自己責任になります。
不平等とは呼べなくなるかもしれません。
しかし、では、いちばん最初はどうなっていたのだ? という鶏と卵のような疑問はでてきます。
また不慮の事故や、さまざまな自分の不運をカルマと感じるのはいいですが、他人の不幸も指さしてすべて過去の因縁であると、カルマで説明しようとすれば、傲慢で冷酷な人間になりかねないでしょう。
たとえば、極端な場合、生まれつきの障害などに対してカルマで説明しようとすれば、たいへんな差別問題となり簡単にヒューマニズムの領域を逸脱してしまいます。

市民社会で公然と語れるような内容ではなくなってくるわけで、宗教集団のような閉鎖的な場でしか語られることはないのです。
つまり、危険思想です。
しかし、火薬でもある種の薬品でも刃物でもそうですが、危険なものが有用でないかと言ったらそんなことはない、という面があります。これがたいへんにやっかいです。
その性質をよく知っていて、しかも使う人間が善意であることが条件になります。

通俗的な好奇心の範囲で耳目に入ってくるものは、だいたい悪質なものだと思っていればいいでしょう。とくに先方から積極的に勧誘してくるものはダメです。
訪問セールスや押し売りにロクなものがないのと同じです。

このように市民社会の表面には現れて来ないモノが突然を人を飲み込んで洗脳してしまうことがあります。ヒューマニズムというのは思想として多分に雰囲気モノであって、意外に骨格が脆弱なものなのです。
世界にはまだ人権も平等も存在しない国がたくさんあります。
むしろ確立されている国のほうが少ないかもしれません。
誰かが保証してくれるアプリオリなものとして考えるのではなく、選択してそれを支えるということが必要です。

……話がまた大幅にズレてしまった気もします(笑)。

次回、軌道修正ができますかどうか… 
先天的・後天的というカテゴリーしばらく続けてみます。



続く

**
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先天的・後天的 / comments(3) / trackbacks(0)
Comment








詳しく内容を聞いたことはありませんが、「シュタイナー教育」を謳っている幼稚園や保育園も見かけますよね。

生まれつきの気質を見極めて尊重しつつ、教育の中で「後天的に」生まれ持った以外の良い性質も身につけていきましょう…という趣旨なのでしょうか。

from. / 2009/12/08 8:42 AM
村松様

さっそく取り上げていただいてありがとうございます。


「先天的、後天的」について質問した理由は、「4つの気質」に興味があるからでもあります。ルドルフ・シュタイナーが人間の性格の特徴を分類した「胆汁質」「多血質」「粘液質」「憂鬱質」の4つです。

たとえば、憂鬱質の子どもはひとり遊びが好きで、何を考えているかわからないために、お母さんが子育てに一番悩む気質だといわれていますが、生活をするなかで一時的に胆汁的になったり多血的になったり粘液的になったり、違う気質の傾向が後天的に身に付いてくる可能性もある、とのことです。

というように、気質は後天的に変えることができる(育っていく)そうなのですが、先天的な気質は変えることができないのだそうです。

先天的な気質はどのようにして決まっているのだろう?という疑問はありますが、それはちょっとおいといて……(前世と関係あるのかな、とわたしも思いましたが、それをどんどんたどっていったらどうなるの?と、それこそ「鶏と卵」のような疑問になってしまったので)。

村松さんの書かれた
> しかし、自由になる以前に、自分の生まれつきのものと、後天的なもの、これを意識、区別できなければいけません。
という部分の「後天的なもの」には、好ましくない方向へ変わったものも含まれていると思います。むしろ、好ましくない方向に進ませた悪影響や、そういうものに流されやすい状態を憂えていらっしゃるのだと思います。

そのような状態を解除というか修正して、先天的なもの(生まれつきの気質)を自分で認識して、生活していくうえで生かすことができれば、自由になれる……ということではないかと解釈しています。

気質というのもなかなか見分けることが難しいそうですね。見分けられる人は、その人のからだつきや動きですぐわかるそうなのですが……。村松さんの考える「意識、区別」のしかたはどのようなものか、おうかがいできればと思ったのです。

今後も楽しみに、しっかり読ませていただきます。よろしくお願いします。
from. NS / 2009/12/07 11:40 PM
村松様

さっそく取り上げていただいてありがとうございます。


「先天的、後天的」について質問した理由は、「4つの気質」に興味があるからでもあります。ルドルフ・シュタイナーが人間の性格の特徴を分類した「胆汁質」「多血質」「粘液質」「憂鬱質」の4つです。

たとえば、憂鬱質の子どもはひとり遊びが好きで、何を考えているかわからないために、お母さんが子育てに一番悩む気質だといわれていますが、生活をするなかで一時的に胆汁的になったり多血的になったり粘液的になったり、違う気質の傾向が後天的に身に付いてくる可能性もある、とのことです。

というように、気質は後天的に変えることができる(育っていく)そうなのですが、先天的な気質は変えることができないのだそうです。

先天的な気質はどのようにして決まっているのだろう?という疑問はありますが、それはちょっとおいといて……(前世と関係あるのかな、とわたしも思いましたが、それをどんどんたどっていったらどうなるの?と、それこそ「鶏と卵」のような疑問になってしまったので)。

村松さんの書かれた
> しかし、自由になる以前に、自分の生まれつきのものと、後天的なもの、これを意識、区別できなければいけません。
という部分の「後天的なもの」には、好ましくない方向へ変わったものも含まれていると思います。むしろ、好ましくない方向に進ませた悪影響や、そういうものに流されやすい状態を憂えていらっしゃるのだと思います。

そのような状態を解除というか修正して、先天的なもの(生まれつきの気質)を自分で認識して、生活していくうえで生かすことができれば、自由になれる……ということではないかと解釈しています。

気質というのもなかなか見分けることが難しいそうですね。見分けられる人は、その人のからだつきや動きですぐわかるそうなのですが……。村松さんの考える「意識、区別」のしかたはどのようなものか、おうかがいできればと思ったのです。

今後も楽しみに、しっかり読ませていただきます。よろしくお願いします。
from. NS / 2009/12/07 11:38 PM
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