INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
モノと念
執着や欲望の話はなかなか難しく、書きあぐねています。
今回は、ちょっと中休みで久しぶりにいただいたメールを紹介します。

***
村松様

お久しぶりです。
以前、「認知の歪み」を取り上げていただいた**です。
かなりの時間を割いていただいてありがとうございました。

その後もブログは欠かさず拝見していますが、自分で宣言した内容(ブログを印刷して10回以上読む&『神様学』を手に入れる)がなかなか実行できなくてこんなに時間が経ってしまいました。

このへんで勝手に中間報告させていただきます。

やっと、『ほとんどすべての人のための《神様学》入門』を、ネットで申し込み→入金→ダウンロード→印刷、の作業が終わりました。
これから読むぞ!という所です。

”心理学は読まない話 認知の歪み1〜8”のほうも、印刷して、マーカーでラインを引いたりしながら今で3回読みました。

こうして縦書きに並べ替えて見開きにすると、すでに1冊のテキストですね。
ブログなのにすごいクオリティー…といまさら感動しています。

全体を通して読んで、最初にハッとしたのが「心は嘘をつく」という事でした。
私は、それまで、嘘といえば他人に対してつくもので、自分の心の中では嘘などつけないものだと思い込んでいました。

でも、そういえば、例えば、建前の意見を言っているうちに、いつの間にかそれが自分の本音だと思い込んでいる事がありますね。初めだけチラッと「これは私の本音ではない」と頭をよぎるのですが、一瞬で消えていきます。心がすばやく偽装工作をしているのでしょうか。

また、2〜4を読んで、過去を思い出す時、確かに、ここを認めると自分には都合が悪いな〜という所をスルーしていることにも思い当たりました。さらに、その「あ、今、都合の悪いことをスルーしたぞ」という通報をもみ消していることにも…。

でも、「自分が自分に嘘をつくわけがない」と思い込んでいると、その事にも気づかず毎日を生きてしまいますね。

今回はっきりと、「心は嘘をつくんだよ」と言っていただいて、それを前提に考えてみると、心の動きがずいぶんクリアに見えるようになりました。少なくとも、「あ、今嘘ついた」と気づけるチャンスができました。

ブログの紹介文にある、「ゆっくりと確実に効きます」。そのとおりです。

さて、他にも、「心理学上の認知療法は有効であるものの、あくまで一つのツールとして使う」等、前半は比較的理解できてきたのですが、後半の「投影をやめてみる」は、私にとってはかなりの難関です。

まだ、今の自分の感覚では、「やっぱり投影は必要なのではないかな」「投影をやめるなんてできるはずもない」という所に立っています。
ちょうど、「投影」を「化粧」に置き換えてみるとぴったり来ます。
「素顔で人前に出るなんてありえない」という感じでしょうか。
なので、蓑をはがせない蓑虫の例えはよく理解できたのですが…。

でも、あと7回読んだらまた何かが見えてくる気がするので、これから引き続き挑戦してみます。
いつになるか分かりませんが(汗)また報告させていただきます。

From *****

P.S.

今の、「霊」の話題を読んでいて、質問したいことが出てきたのですが…お時間あれば触れてくださいませ。

「モノ」に、霊あるいは思念が宿る、という考え方をどう思われますか?
「ルイ王朝の呪われた宝石」的な話や、人形の髪が伸びる、形見の品が命を救ってくれたなど、モノに魂が宿るような話は昔から多いですよね。
私は、それを思うと、アンティークの指輪やぬいぐるみなど、可愛くてもなんとなく怖くて買えないのです。
電車の忘れ物市で傘を買うくらいならできるのですが、高価な物になると、何か手放したくなるようないわく因縁があるんじゃないかと疑ってしまってダメです。
地球環境のことを考えると、何でも新品という生活は良くないと思うのですが。
フリーマーケットなど、売り手から直接買うならば割と平気なので、「元の持ち主が分からない」ところに恐怖の原因があるのでしょうか。
村松さんは、モノはあくまでもモノだと思われますか?

【村松コメント】

心が嘘をつく、というのを自分の感覚でとらえたのは大きいですね。
そこからまたいろいろ展開すると思います。

モノにつくものは、私は「念」と呼んでいます。
じつは、霊より念のほうがずっと強くて恐ろしいのではないか、というのが私の感覚です。

念は生のエネルギーですからね。
モノがそういうものを伝える媒体になるということはありえます。

絵画が画家の思いを伝えるように、長年使った食器や万年筆に所有者の思いが入っていても不思議ではないと私は思います。

私は陶器は好きですが、骨董は買いません。
使った人の思いや、保存されていた時間を持ちこみたくないのです。
やはり知らないのは不安ですね。

たぶん筋のいい骨董屋では、何かお清めのようなことをしてくれているとは思いますが。
「呪いの**」みたいな話はたくさんありますから、何かあるでしょう。

陶器だったら、作家さんの作りたての新作を買うのが好きです。安くて(個人の展示で買えばデパートなどよりおおむねよいものが安いです)、作家さんを勇気づけることもできて、しかも、作家さんと仲よく話すこともできる、というメリットがあります。
そして、使っているときも、作った人の顔を思い浮かべられるので、温かいエネルギーが流れます。

そういうモノの力が心に干渉してくるときはたしかにあります。

だから、パワーストーンのようなものもたしかにエネルギーの干渉があると思うのですが、そういうものに依存する、ということで崩れているバランスのほうが、差し引きするとはるかにマイナスだと思います。
そういうスピリチュアル系ではなく、食器でも衣類でも、自分が気に入ったものなら高くても思い切って買ってしまう。そして、それをずっと大切にするという人はモノといいエネルギーの交流ができると思います。

とはいえ、買うだけは買って大切にしないと、ただの買い物依存になってしまいますのでご用心。



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メールのお返事を下さってありがとうございます。

ずっと、パソコンに向かうまとまった時間が取れずにいて、やっとお礼のコメントを書くことができました。

モノと「念」について、村松さんと、割と近い感覚だったので、なんだか安心しました。

今展開されているテーマはいよいよ深くて広いところに入ってきた様相ですね。

ちょうど、海で、足のつかないところに泳ぎだした時のような感じがしています。


心理研究会、遠方なので参加できませんが、もし機会があれば是非、地方開催もお願いしたいです。
from. MT / 2009/12/03 10:55 PM
 モノに心があるような気がする……というのは僕が時々感じることなのですが、そういう話ともつながる話題でしょうか。
 例えばミッキーマウスの人形を用意してきて、誰かがそれにぐさっとナイフを刺したら、僕はそれがただのモノだと分かっても凄い嫌ーな気分です。想像力が働くからでしょうか。
 でも、それは感覚としてモノの痛みを感じるというより、実際に自分が痛くなるような、そんなイメージです。イメージというか、実際にそうなのかもしれません。「痛そうだ」と思っているのは僕ですから。
 こうしてモノと僕の間を心がいったりきたりしているように、時々思います。
 何か思ったことがあったら取り上げてもらえると嬉しいです。
from. 海巳 / 2009/11/17 6:15 PM
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