INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
恨み/霊界のシステム
 昨日、禁を破って(笑)、ぽんさんのこんなコメントに反応してしまいました。

*****

>ただ恨みの感情だけは、エネルギーとして保存される可能性があります。


保存。
生きている今でも、自分は恨みを保存しています。
恨みを表現したくとも、相手がもうこの世に存在しない。
相手に届かない気持ちを表現したい、という欲求を、どう収めればよいのでしょうか。

生きたまま浮幽霊になっている気分です。
 
 ******
 
 ここにとても大切な内容があるからです。
 
 非常にはっきりしています。
 恨みを捨てたいとは書いていないのです。
 
> 気持ちを表現したい、という欲求を、どう収めればよいのでしょうか。

これは収まりません。
それはもう自分のもので相手のものではありません。
表現しても収まりません。
たとえ相手に復讐することができても収まりません。

恨みを持っている人は、必ず「捨てたくない」か「捨てられない」のです。

これは、そこに過剰にエネルギーを投資してしまっているので、ゼロに精算したくないのです。

株の世界では「見切り千両」と言われます。
自分の買った株が下がった場合、損を出しながら切ってしまう。
未練を持って、これをしませんと、株は半額以下まで下がるようなこともあります。
そうなると、売るに売れない「塩漬け」状態になります。

それと似ています。しかし、株はまだ回復する可能性がないわけではありません。
しかし、恨みは自分が捨てようと思うまで、なくなりません。

心を扱うときには、目に見える物質を扱うとき以上に言葉は正確に焦点を絞って使わないといけません。

ですから、最初の問いは

「恨みは捨てないのですか?」

です。そして、この時点で素直に「捨てる」という人は皆無に近いです。
そう言えるくらいだったら自然消滅しています。
そして、「捨てる」と決められれば、その先はさほど難しくありません。

次の問いは、

「では、いつまで恨みを捨てないのですか? あと5年? 10年? 死ぬまで?」

**

今日は死んだ後、恨みがどうなるか、ということについて書きましょう。
「講釈師 見てきたような嘘を言い」という言葉がありますが、私も死後の世界を見てきたわけではありません。
死後の世界を語る書物は古今東西たくさんありますが、じつはその本質はかなり共通しています。それを総合して、なるべくシンプルなわかりやすいものとしてお話します。

霊の五感もない、記憶もない、自分というものもかなり失われている、という基本状態から始めます。

まず霊は肉体を失ったので、五感で得ていた楽しみを失います。
直接的に言えば、食欲や性欲です。
これはもう満たすことができません。
食べることやセックスを楽しむことはいいのですが、それに執着してしまうと、その執着だけが残ります。

生きているときと同様に飢えや渇きを感じるのに、それを満たすことができないで苦しむのです。
これがいわゆる餓鬼道とか、ある種の地獄に形象される苦しみです。

霊というのは、死後肉体を離れ、比喩として「上昇」していきます。上下左右の「上」には神様がいたり、おおよそ人はいい意味をこめていますね。
本来、死後上昇していくはずの霊が、見えない鎖で地上につなぎとめられている。その鎖の部分が執着になるわけです。

もう死んだら食べ物は必要ないのですが、それがわからないで、必死に地上にとどまろうとする。それがたいへん苦しいのです。
執着してはいけない、ということを肉体があるうちに学んでおかなかったことがそういう形で現れます。

こういう強い執着があって、上昇していかない霊が、文学や絵画でも、いわゆる幽霊、亡霊のような形で描かれています。
こういう霊がどうしたら上昇できるか、というと、もう必要ないということを自ら理解しないといけません。
弱い執着なら自然に薄れていくでしょうが、強い執着は火のようにメラメラと燃えて、最後の最後まで苦しみつくし、焼き尽くすようにしないと解放されません。

食欲、性欲など肉体的な渇望は、最も低いレベルで、そのあともあります。肉体のレベルではなく、心のレベルで、金銭欲、名誉欲、支配欲など、あらゆる霊界では不必要な欲望が焼け落ちるのです。そういう不要なものを捨てるに従って、霊は高みに昇っていきます。

だから、恨みも、死んだら終わりではなく、外に地上的な対象を求めている限り、ジリジリと自らを焼くような苦しみを肉体がない分だけ純粋に味あわなければいけません。

物質的な人生観では、どんなに苦しくても死ぬまでだ。死んだらチャラにできる、と考えられるわけですが、このような世界観だとそうは行かないわけです。
苦しまないで済むからと練炭自殺をする若い人もいますけれども、自殺は殺人と同様の最大の罪ですから、死後たいへんな苦しみを受けることになると言われています。

霊的な世界観というのは、生のサブシステムなのです。
コインに表があれば裏があるようなものです。
すばらしい演劇があれば、裏方さんやスタッフがいて、舞台裏も楽屋もあり、練られたシナリオがあります。

霊的なシステムがどのようなものか正確にこうだというのは難しいものです。
しかし、人の生というドラマは、演劇よりも何倍も複雑なものですから、それを支えている背後の精密なシステムがない筈がない、というのが私の考えの基本です。
そういう見えない世界を人はたくさんの書物で語ってきました。
くだらない読むに耐えない本もたくさんあるのですが、読むに値する深遠な書物もあります。それがほとんど共通のことを語っているのです。

霊界が生を支えているシステムであるとすれば、自殺はシステムの意志に反する行為になります。だから、そっちへ行くと苦痛であるという設計になっていて不思議ではありません。
そういう合理性を突き詰めていくところから、本来道徳律というものは生まれてくるのです。

だんだん本格的に抹香臭くなってきたので、これくらいにしますが、この程度のことを理解していると、雑な宗教にころりっとだまされることはありません。

そして、最初のコメントの話に戻りますと、つまり、恨みというものを抱いていたら、どこかで清算をしなければいけない。
誰かが取ってくれたり、自然消滅することはありません。
それは生きているうちに自分の意志で捨てたほうがいいということです。



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霊の理解 / comments(9) / trackbacks(0)
Comment








自分のしたいことをしていれば、他人を恨んでいる時間もエネルギーももったいなくなりますよ♫
from. 村松恒平 / 2014/10/15 11:11 AM
コメントを書いてから5年が経ちました。
5年の間に私を取り巻く世界は大きく変わりました。
とくに、震災と原発事故のことは言葉で表現できません。


その後、恨みを捨てると決めたら悪夢を見るようになりました。
なので、しばらくは自分の心の傷と向き合うようにしました。それから2年後の
震災からなにかが私を動かすようになりました。体を鍛えるようになりました。体力がついて、社会復帰をするきっかけになりました。
だけど、恨みは手放せませんでした。

どうしてか。

恨みを持っていると楽しいからです。

悲劇的な私に酔えるからです。

それは、わたしが私の人生を自分の足で立っていないということでした。

わたしはいまこのたのしみを気がついたら捨てるようにしています。そして自分がやりたいと思うことはやるようにしています。充実した生活が恨みから私を引き離してくれます。

そうすると、時々恨んでいる相手を愛したくなります。ゆるしたくなります。

こんな感じで生きています。

from. ぽん / 2014/09/11 6:20 AM
これらの文章のルーツは複数あります。

それらを30年くらい心の中で発酵させながら、自己観察やさまざまな経験と照応させたものです。
したがって、もはや出典という形で取り出すことはできません。

読者が自分の心と照らし合わせてもらうことでより確かなものになります。
from. 村松恒平 / 2010/06/11 6:55 PM
はじめまして

ここに、書かれてる内容は、見てきたかのような表現が
多いのですが、何かの本を参考にされてるなら
引用として書いた方がいいかもしれません。

主観ならば、断言できる理由、を書いた方が
説得力があると思います。

日記ならばいいのですが、公開している以上
読んだ人がわかるように、かつ、参考になるような内容を
書かれた方がいいと思います。

霊的なシステムを図を元に、説明していただければ
嬉しいです。
from. 上島ひかり / 2010/06/11 3:26 PM
村松様

>すごい言葉ですね!
村松様のご指導のおかげです。

てくてく様

まさに本に書かれてあるとおりです。
from. ぼん / 2009/11/11 3:29 PM
うわっ7777!!!!
ドリーン・○ー○ューさんのエンジェルナンバーという本ではこの数字は「おめでとうございます!あなたは、聖なる導きにじっくり耳を傾け、その叡智を実りのある行動に移しました。あなたは今、そのご褒美を収穫しています・・・・・」とありましたよ。興味あったら続きは本探してみてくださいな。
うわ〜い 
from. てくてく / 2009/11/11 12:26 PM
見返り。
すごい言葉ですね!

また報告してくださいね。
from. 村松恒平 / 2009/11/10 3:53 PM
村松様

禁を破ってくださってありがとうございます。
ブログを3回ほど読み返したあたりから、自然と涙が出てきてしまいました。

>そこに過剰にエネルギーを投資してしまっているので、ゼロに精算したくないのです。

そうなのです。
でもわかってはいるのに、上記の事柄の肌なじみが悪く、私の体・こころの中に浸透していってくれませんでした。

もっと、違う言葉で簡単に言い表せないものだろうか。
心の深い場所でうずいているものに焦点を合わせてみて、気がつきました。

私は見返りを求めていたのです。

見返り。

見返り、という言葉がしっくりきました。
あれだけ苦労したのだから、あれだけ時間を無駄にしたのだから。
その見返りをください。

見えない何かで横っ面を思い切り殴られたような、激しい衝撃を受けました。

今まで激しく憎み、恨み、努力してきた日々が遠のいていきました。
これから、ずっと、
こんな虚しい努力をし続けていくのか?
そう思ったとき、そんな無駄な生き方はしたくない!とはっきりと思いました。

そうしたら、自然と涙がぽろぽろ出てきて気持ちが楽になりました。

だから、恨みは捨てます!
いりません!

これから一ヶ月間、自分がどう変わっていくのか様子を見ていきたいと思います。
横っ面を殴られたような衝撃が、きちんと私のこころのそっこで生きつづけるのか。
一時の激しい感情の揺さぶりで、舞い上がっているだけではないのか。
そのことを確認したいのです。

ありがとうございました。また、報告してもいいでしょうか?

追伸
一回目の送信のとき、スパム防止のための
暗証番号打ち込みの数が、
7777
でした。
from. ぼん / 2009/11/10 3:11 PM
もう20年近く前ですが、恨みを生じた年齢まで退行して当時の恨みを叫ぶ、というプライマル・スクリーム的なワークショップを受けたことがあります。
言えなかった恨みや出せなかった感情を思いっきり出してしまうと、恨んでいた相手も不完全で弱い人間であったことに思い至り、自然と赦す気持ちになりました。
from. Mr.Spice / 2009/11/10 2:16 PM
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