INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
占いと占い依存(1) 意識と無意識12
占いと占い依存


私たちの社会は、一見合理的な秩序によって運営されています。
しかし、人は自然科学や合理性では割り切れない志向性をおおいに持っています。
そういう非合理の世界は、合理的な秩序によって辺境に追いやられます。

占い、神秘主義、オカルト、宗教、スピリチュアリズム……そういう非合理の領域が生命力を失ったことはありません。
これからも、科学の進歩によって非合理が一掃された、ということにはならないでしょう。
合理主義の世の中になって、科学がいくら進歩しても、宗教は相変わらず強い力を持っています。
オウム真理教には高学歴のインテリがたくさんいましたね。
合理的な思考を頭脳にインプットすればするほど、ころりと簡単に非合理に逆転してしまうのです。

光が強くなればなるほど、闇のコントラストもまた強くなります。

ここで、非合理と呼んでいるものは、今までの記事で無意味とか無意識と呼んでいたものにとてもよく似ています。というより、一つのものの違う現れ方ともいえます。

さて、占いとは、このような合理性と非合理性の境目、波打ち際の遊びです。
非合理性の世界から取り出してきたものを実生活の役に立てたい、というわけです。

占いというのは、一種の因数分解です。
たとえば、私たちはある人を見るときに、会社の課長で、結婚していて、子どもが2人というような社会的な属性で見ています。

しかし、星占いなどを見れば、「あの人は意外にこういう性格で、……当たっている〜」「たしかにこういところがあるねー」とか、そういう社会の枠組みとは違うところで、その人の姿をあれこれと想像することができます。

自分の運命であれば、努力してもどうにもならないと諦めかけているところに、「金運は吉」とか「ステキな彼との出会いがありそう♪」とか「仕事運が開けそう」とか書いてくれる。
占星術は、順番に回っていますから、万人向けに書けば、ある人がずっと悪い、ということはないのですね。
そういう日常と違うところから感覚を揉みほぐしてくれるところが魅力なのです。

しかし、それは波打ち際の遊びだからいいので、次第に沖のほうに出ていくと、溺れたり、もっと沖に流されて帰れなくなったり、鮫に食われたり、遊びでは済まない事態になってきます。

大学時代、先輩の実家の親は気学を信じているという話を聞いたことがあります。
引っ越しをしようと思ったときに、方位が悪いので、一度違う方向に引っ越してからもう一度引っ越すというのです。

バカバカしいほどのお金とエネルギーがかかると思いますが、本気なのです。
そういう人はけっこういるはずです。
それだけの犠牲を払っても、それを上回る運気をもらえるという実感があるなら、他人がとやかくいうことではありません。

しかし、私はごめんです。
人生をややこしくするものは必要ありません。
知らないほうがいい。

この話を聞いたときに、占いというのは究極的には、自分の判断や感覚を捨てて従うというところまで行ってしまうのだな、と知りました。

テレビや雑誌で面白半分に「今日の運勢」を見ているときとは違う深淵があるのです。

(続く)



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