INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
人の自然性 意識と無意識10
 「みんなしたいことをすればいいんだよ」(したいことをしなさい、というときに非合法なことは含みませんけど)というと、「そんなことをしたら大混乱になる」という反応をする人がけっこうたくさんいます。
いつも我慢して生きている人です。

こういう人は、自分が我慢しているからいろいろなことがうまく回っていると感じています。
したいことをすると言ったら、人は盗みや、痴漢や、殺人や、その他のあらゆる破壊的でふしだらなことをすると思っているのです。

世の中は、無秩序で人と人は衝突しあい、収拾がつかなくなると思っています。

しかし、したいことをすることは無意識を大切にすること。無意識を大切にするということは、人の精神を本能的、生命的自然的なものに近づけていくことです。

本能とはどういうものかを見てみましょう。
たとえば、蟻や蜂は、本能にしたがって見事な巣を作り、集団生活を行っています。
空腹でないライオンは、シマウマと同じ水場で水を飲み、シマウマも怖れることはないといいます。
肉食獣は他の動物を殺しますが、自分の生存に必要な分だけです。
人間のほうがはるかに意味なく残虐に他の生物を虐げるということはよく言われることですね。

二つの概念を比べてみましょう。

1.人の自然性は本来調和の取れたものである。

2.人の自然性は本来不調和なものであり、それを理性によって押さえているから社会生活が成立するのである

2はとてもたいへんそうでしょう?
つねに自然と理性のエネルギーがぶつかりあって、エネルギー的にたいへんな浪費をすることになります。
そして、ついに調和的な時代は来そうにありません。

心というものの面白いところ、おそろしいところは、心の中で思っていること、頭の中に抱いている概念が、現れることです。

いわゆる「願望は実現する」なんて本があるでしょう。
心に強く念じ続けたことは実現するという……。
あれは副作用があってよくないのですが、ある程度、そういう現象は起きるでしょう。

だから、2のような概念を持っている人は、つねに心の中にエネルギーがぶつかりあう軋轢を抱えることになるのです。
そして、理性が自然をねじ伏せるということは、意識が無意識をねじ伏せるべし、という考え方です。

したがって、心のエネルギーを省エネして、より本質的なものに使うべし、という私の立場からは、1が正しい、ということになります。

これはたぶん議論の枝分かれが無数にあるところでして、具体的な疑問が呈されていないのに、私のほうから一つ一つそれに検討をくわえ、反駁するということはできません。

一例を挙げますと、心理学者の岸田秀氏は、「人間は本能の壊れた動物である」と規定しています。本能が壊れ、自然性からはぐれてしまったところから人間の精神生活は始まっている、という観点から氏はさまざまな興味深い著作を書いています。

私の考えでは、人は本能が壊れていません。
本能をより高度なものに変換して生きているのです。
本能を土台にしたり、素材にしたり、エネルギーにしたりして、より高度な能力を開花させているのです。
つまり、人は生物であり、動物であり、哺乳類であり、その土台の上に人であるのと同様のことです。
人になったからといって、動物でなくなるわけではないのと同様に、本能からも完全に切り離されてしまうわけではありません。

こういうことが議論になると、とかく水掛け論になるのですが、さきほど書いたように、人には考えた通りのものになる方向性があります。
だから、なるべく自由で調和的で人を快適にする概念が正しいのです。

人は考えた通りのものになると同時に、無理なものをあてはめようとすると、必ずそこからはみ出そうとする性質もあります。
それが人というものの面白さです。

だから、人について考えるときは、なるべく無理のないスムーズな概念、ストンと腑に落ちる概念を受け入れたほうがいいのです。
学者や知識人が言ったことでも、なんとなく腑に落ちないことは鵜呑みにしてはいけません。

というわけで、人はしたいことをしても、それが本当に自分の内側から出てきた場合は調和的だととらえたほうがいいのです。

我が魔術師クロウリーは、「人は自らの軌道を持った星である」と言っています。
地球は太陽の回りを公転していますが、他の星とぶつからないでしょう?
宇宙は広大だからです。

人はその星のような存在なのです。
みなさん占星術が好きな人が多いでしょう。
だったら、自分の軌道を感じなければいけません。

生きていてガツンガツンと人と衝突するのは、自分自身の軌道から逸脱しているのです。
軌道から逸脱した同士がぶつかりあっているのです。
それは、本来の軌道に戻りなさい、というメッセージです。
もっと自然に自分自身の道を見出すならば、誰もその行く道を阻む者はありません。



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Comment








こんにちは。
みんながしたいことをすればいい、得意な人が得意なことをしあえば、すべてうまくいく、と私はいつも思っていて、幸運なことに、周囲も同じように考えている人が多いので、みんなそれぞれ得意なことをして、たまにはやりたいことのためにちょっとの無理をしたり、がんばったりもして、それで大体のことはうまく回っていくのですが、時に、そういう提案をすると、みんなが好きなことをしてうまくいくはずがない、と却下される場(特に不特定多数を集めたような場)があって、そのことに納得がいかないことがありました。
けれど、「いつも我慢して生きている人です」と聞いて、はじめて納得がいったような気がしています。
でも、私は、そういう人を見ていて、我慢する代わりに自分で選択する責任を放棄している?と感じることがあるのですが。
なかなか本当のところはわかりません。

そして、私は大体幸せに生きているのですが、何故か、人に、「私幸せなの〜」と言うのがいつも憚られてしまうのです。
不幸をアピールしてからでないと、「今幸せなんだよね」というひとことを言うのが申し訳ない気になってしまいます。
いつも、変だなあ、と思いはするのですが。
どうしてそうなってしまうのかが、わかりそうで、もうひとつわからないままなのです。
多分、客観的に見て、特別私が何かに恵まれているというわけでもないのですが。


私も、人は本能が壊れていないと思います。
けれどみんな、本能を信頼していないものだなあと感じることがあります。
信頼されていないものは、役に立ちにくくなってしまうとも。

from. 桜沢麗奈 / 2009/10/25 1:59 PM
毎回興味深く拝見させていただいてます。
そして、いま私たちが必要としている大切なことを、発信してくださって本当に感謝します。
こんなことを言うと「なんて傲慢な人だ」と怒られてしまいそうなのですが、無意識と意識のお話、「そうそう、そのとおりだ」と、納得する内容ばかりです。
以前の私も、この回に書いてあるとおり「自然を捻じ曲げて」生きていました。でも心の病を発症して自分のやりたいことを正直にやり始めたら、風通しがよくなりました。
そのとき「人間の本能を馬鹿にしてはいけない」とつくづく思いました。本能は生きるためにあるのに、本能をないがしろして生きていました。私は私を殺し続けていたのだとおもいます。

>生きていてガツンガツンと人と衝突するのは、自分自身の軌道から逸脱しているのです。
軌道から逸脱した同士がぶつかりあっているのです。
それは、本来の軌道に戻りなさい、というメッセージです。
もっと自然に自分自身の道を見出すならば、誰もその行く道を阻む者はありません。

昔ある宗教者と喧嘩をしました。
その人がいつも言っていたことは「自分がやりたいことをするときは、みんな反対する。そうやって、神さまは自分を鍛えてくださっているのだ。自分の行く道が本当にやりたいことなのかどうか、確認させるために」
あるいは
「皆、反対意見をいうのは悪魔の口上に載せられているのだ」

私はその意見がどうしても腑に落ちませんでした。それこそ私よりも(一応は)役職も上で、学識も学歴もあり、目上の引き立てのある人でした。でも「おかしいな」と思ったのです。都合の良いことは神の試練、都合の悪いことは悪魔の口上。都合よすぎるじゃないか、と。そして「やりたいことをやるときに、必ず邪魔が入るのもおかしい」と。
そのときその方と話していて気がつきました。
この方は「自分から相手に、喧嘩を吹っかける行為や言葉を投げかける」のです。
挑発するのです。実際何回もいらっ、とすることがありました。そして(今思うと)上手く喧嘩にのってしまったとき、相手が「ほっ」とした顔をするのです。
本人は無意識でやっているので注意しても全く理解できません。それよりも私のことを「悪魔の手先だ」といい、その後もその一点張りでした。
……結局その方とは絶縁しました。

その後ー最初の話にもどりますがー私がやりたいことを始めたとき、誰も邪魔する人はいませんでした。むしろ肯定的な言葉をかけてくれたり、応援してくれたりしました。もっとすごいのは、その「やりたいこと」を深めるきっかけが「むこう」からやってきてくれたことです。

私は「あの宗教者と同じように好きな事をやっているのに、どうしてこうも風通しがちがうのだろう」とずっと考えてきました。でも今回先生が明快に説明してくださったので、目の前の霧が晴れ、気分も爽快です。
ありがとうございました!
from. / 2009/10/21 8:11 PM
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