INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
自由な人、不自由な人  意識と無意識9
考える、という言葉に値する創造的作業とは何か? ということをときどき考えることがあります。

たとえば、些細なこと。
お昼をラーメンにするか、カレーにするか、というのも考えるといいますね。

その結果、「昨日のお昼もラーメンだったから、今日はカレーにしよう」、と決めることもあるでしょう。

これは一見、論理的に見えるかもしれません。
しかし、2日続けてラーメンを食べてはいけない、ということの根拠は別にないわけです。

こんなへんな理屈があるよりは、「店の前を通ったら、いい匂いがしたからカレーにした」というほうが、行動としては健全なのです。

え? どっちでもいい?

そうでしょうか(笑)。

意外に世の中、こういう根拠のない理屈が見えないルールになっているのです。

うちの亡くなったおばさんは、麻雀が大好きでしたが、旦那さんにはいつも遠慮していました。いっしょに遊んでいても、帰ってきそうな時間になると、さっさとやめてしまうのです。

その他にも、いろいろなことで、おじさんには遠慮して譲っていました。

おじさんは折り目正しいまじめな人でしたが、やさしい人で、そんなに遠慮しなくても怒ったりしなかったと思うのです。
おばさんの遠慮と、おじさんの実像との間には、かなりギャップがあったような気がします。

しかし、そういう姿勢を一生貫いたのは偉いと思います。

かつての家庭の中の女性たちは、妻として母として、さまざまなものを役割として引き受けて耐えてきました。
それで一生耐えられるのならば、すばらしいと思います。
中途半端に自分を出して夫婦が不和になるよりもずっといいでしょう。

しかし、耐えられないのに我慢して、いつもブスブスとくすぶり、ときどき爆発する、というのはよくない。

だったら、自分の好きなようにやってみたほうがいいのです。

本人が我慢しているつもりが、相手にとっては全然見当違いのことがあります。
「こういうことをしたら怒られるのではないか」「こうしたら、変に思われるのではないか」「世間の人はこうしているのではないか」いつも自分のしたいことよりも先にそのことを考えてしまう習慣はたいへん危険です。

というのは、「相手のためにこうしてあげている」という意識が生まれるからです。
そこに恩着せがましさが生まれ、次にその恩を相手が感じていない、という恨みが生まれます。

「自分のしたいことをしていない」→「誰かのために犠牲になっている」→「そのことに対する感謝が感じられない」→恨みがたまる

こういう図式があるわけです。
結局、自分のためにも生きていないし、他人のためにも生きていません。

こういう人は自由な人とは相容れません。
こういう人から見れば、自由な人は自分勝手な図々しい人に見えるでしょう。
自由な人にとっては、こういう不自由な人は、自分の足を引っ張りかねないうっとうしい存在です。

自分のしたいことをしない限り、自由ではありません。

したくてもできない、という人もいるかもしれませんが、本当に時間にもお金にも何の余裕もない、浪費していない、という人はそんなに多くないはずなのです。

では、なんでお金や時間をしたいことのために使わないのか?

それは生きていく理由を人のせいにすることに慣れてしまったので、じつは何がしたいかよくわからないのです。

それで、テレビのCMに煽られたり、流行に流されたりすることで、その不在を埋めているのです。

自分が何をしたいか知るためには、しばらくそういう既成の価値観をインプットしたり、それで動くのをやめなければいけません。
そうしてじっとしていると、最初、心の中がすごくノイジーな状態になります。
いつもそのノイズは鳴っているのですが、いつもは聞こえていません。
インプットしなくなったから聞こえるのです。
静かな環境にいると自分の耳鳴りが聞こえるようなものです。

それでも、じっと耐えていると、ようやくか細いぼやっとしたメッセージが聞こえるようになります。
はっきりと聞き取れなくても、その声にしたがって動いてみることです。
そういうふうにしていると、最初にあるかないかあやふやだったメッセージが次第に明瞭なものに感じられてきます。

それが無意識と仲よくなる方法です。

誰もがみんな自分自身のために生きるようになったら、日本はとても生きやすい国になると思うのです。



**
 多くの方に読んでもらえるようにワンクリックお願いします。


**
質問やセッションのお申し込みは、kokoro@hiden.jpまで。

心理研究会の申し込みも、kokoro@hiden.jpまで。

私の著書もタメになります。読んでくださいね。
          アッチ→






 
意識と無意識 / comments(1) / trackbacks(0)
Comment








>誰もがみんな自分自身のために生きるようになったら、日本はとても生きやすい国になると思うのです。

賛成
from. / 2009/10/21 1:42 AM
Trackback
この記事のトラックバックURL: http://kokorogadaiji.jugem.jp/trackback/106