INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
嗅覚と視覚とクラヤミ食堂とトーキングヘッズと現代美術   意識と無意識5
 先日のコメントに

>私は遠い記憶を鮮明に呼び起こすものとして「香り」の不思議な存在を挙げたいです。

と、具体的にレポートしてくれたものがありました。
今回はここから話を始めたいと思います。

香りと記憶の不思議な関係は、昔から言われています。
誰がいつ命名したのか、はっきりわかりませんが、プルースト効果、という言葉で検索するとたくさん出てきます。

嗅覚は、五感の中で他の四感と違って、脳の中の情動的な部分、記憶を司る部分、古い皮質の部分に結びついているようです。

しかし、脳科学に還元するのではなく、私は心の領域で一つの話をしましょう。

嗅覚の一つの特徴は記号化されていない、ということです。

最も記号化されているものは、視覚です。

いま、このブログを読んでいるあなたも、文字というものを読んでいるわけですが、それはもともと視覚刺激なのです。
視覚的な刺激に意味を持たせて、たいへん高度な意味伝達をしているわけです。

文字だけではなく、デザインされたシンボルでも、交通標識やトイレなどは一目でわかります。

しかし、嗅覚に対して、「右折禁止」というようなメッセージを送るのはたいへんに難しいものです。もっと原始的なのです。

つまり、視覚情報はたいへんに強く「意味」に訴える力があるのです。
意味の世界というのは、つまり、意識の世界、言葉の世界とほぼ同じものです。
(厳密に同じものと言っていうのは、微妙。ちょっと考え中…)

クラヤミ食堂をご存じでしょうか?

目隠しをして、視覚情報なしで食事をするという企画です。
この企画は大反響、大人気で、短期間の開催なので、参加は抽選になっているようです。

こどもごころ製作所/クラヤミ食堂

たとえば、目隠しして、エリンギなんか食べたら、なかなか何を食べているかわからないのではないかと想像します。
すぐに当たる人は感度のいい人だと思います。

知り合いが集まる席で、たまたまいろいろな銘柄があったので、ビールの目隠しテストをしたことがありますが、自信たっぷりの人も芳しくない成績でした。
ブランドやパッケージのイメージで、みな好き嫌いを決めていますが、目隠しをして飲み比べると、思ったよりずっと味の差は微妙なのです。
つまり、私たちは、ブランドイメージを飲んでいる部分がかなりあるのです。

ふだん私たちは、目で見て、エリンギという意味を確認しています。
だから、エリンギを食べている、という意味や先入観がある分、感覚を発動していない可能性が高いのです。

闇の中で正体のわからないものを食べると、名前のない、意味の定着していないものと、素の感覚で出会うことになります。
そのときに、自分も本来の生き物としての本能に近いものを部分的に発動するのだと思います。そういう状態の中では、自分が会社員だ、OLだ、医者だ、弁護士だというような肩書きも無になるでしょう。

そういう遊びです。

名前がないものと出会うと、自分も意味の世界から離れて名前がないものになります。
肩書きも名づけられたものであり、意味ですからね。

つまり、

人間的・人工的なものは意味・意識の世界に属しています。
生命・本能・自然は無意味、無意識の世界に属しています。

この概念がわかりにくいのは、「無意味だ」というのが、意味の世界、日常の世界の中では、否定的な意味を持って使われるからです。

しかし、無意味にも意味がある、というと、意味がわからなくなってしまいますが、無意味というのは人に必要なのです。

トーキングヘッズというバンドに『ストップ・メイキング・センス』というアルバムがあります。これは「意味づけするな」、直訳だと「意味を生成するな」になりますね。
これは、先ほど書いたエリンギやビールと同じ事です。
「これは××である」と決めてしまった途端に、人はそのものの本質と出会わなくなってしまうのです。

以前に悟りについて書いたことと似ているでしょう。

名前をつける、ということは、その対象を差異、差別の世界に置いて分別するということになります。

現代美術などを見ると、保守的な人は「意味わからない」と言うでしょう。
それは現代美術としては正しいのです。
意味がわかってしまったら、それは芸術ではなくなってしまうのです。
意味でとらえきれないものを前にして、クラクラする感覚を味わう、というのが、現代美術です。
そのときに、作品の無意味に対応して、意味にとらわれていない自分というのが垣間見えるのです。

だから、現代美術は単純に意表を突かれてびっくりするのがいいのです。

しかしながら、現代美術を言葉で語ろうとすると、とたんに意味になってしまいます。
評論家などは知的な文脈にあてはめて語りますから、何か難しい理屈があるのか、と勘違いするのです。
評論家がそのように知的になるのはいいのですが、作家がそういうものを本気にすると、とても貧しい作品ができます。

そういう目で見ると、現代美術は誰にでもわかります。
(そして、たいていの作品は面白くありません(笑))

ちょっと難しいかもしれないので、簡単にしておきます。

頭で感じるのが意味で、身体で感じるのが無意味(意味以外の領域)です。
心を元気にするためには、身体で感じたことを大切にしていくことが肝心です。

*
おまけ

クラヤミ食堂のシェフ、たかはしよしこさんには、『達磨』の出版記念バーティにケータリングをお願いしました。
クラヤミではありませんが、おいしかった!
私の演奏風景もチラリと載っています。

たかはしよしこブログ


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『達磨』やその他、私の著書も読んでくださいね♪
意識を超えて、無意識を刺激します!
                    アッチ→



意識と無意識 / comments(5) / trackbacks(0)
Comment








左!
from. 村松恒平 / 2009/10/15 6:46 PM
私は勝手に向かって右側かなって思ってました!^^どちらかなぁ〜?
from. / 2009/10/15 4:42 PM
なんか感じた時 言葉にしようと思ってもなかなぴったりした言葉が見つからな〜い、無理して言葉にしようとすると、しっくりこな〜い。で、ついいつも短め。か 長過ぎ。か 擬音多め。
んー難しー。

from. てくてく / 2009/10/14 9:54 PM
村松さんは、右ですか、左ですか〜?
from. / 2009/10/14 9:48 PM
村松さんのお顔が逆光のためはっきりと確認できませんっ!残念!(笑)

無意識を刺激するために、もっと著書を拝読したいです!

順位下がってしまってますが、私のポチッは効いてないのかなぁ〜??

from. / 2009/10/14 5:57 PM
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