INNER LIFESTYLE DESIGN
 〜ナチュラルに生きる方法論序説
家族の心の膠着3(堪忍袋の話)
お互いに「相手のほうが悪い」と思いこんで、膠着する、これが第一の事態。

第二の事態は、そこで生まれる不満、不和、怒りの感情が蓄積されることです。

これについて見ていきましょう。

*

近頃は、頭に来てキレた、 という言葉には、正常な回路がプツンと切れた、というニュアンスを感じます。

しかし、かつてはよく「堪忍袋(かんにんぶくろ)の緒が切れた」という言い方をしたものです。

昔の人は、自分の中にある、「堪忍」と書いた袋に、不満や怒りを貯めていたのです。

本当に物質的な考えに慣れてしまっている人は、心には形がないのに、そんな袋がどこにあるのだ、というかもしれません。(そういう人がいることを私は恐れます(笑))。
心の中は、そういうものが「ある」と思えば「ある」ようになるし、「ない」と思えば「なく」なります。心にはそういう「物質とは違う」性質があるのです。

かつての人は、そういう我慢の袋が自分の中にあるのを感じ、それが一杯になって、もう中のものを吐き出さずにいられなくなると、「堪忍袋の緒が切れた」といって爆発させたものです。

考えてみれば、こういう堪忍袋の文化が成立するには、いくつかの条件があります。

*ちょっとしたことなら自分が我慢して、場を丸く収めて、和をもって円滑に生活していこうという姿勢がある人がいること

*堪忍袋の緒が切れたときには、あとさき考えず、腹の中にあるものを全部吐き出す姿勢

*相手の堪忍袋が切れたときには、いろいろ今まで腹に収めていてくれたことがあるのだな、とある程度畏まって聞く姿勢

こういうメンタリティが今は少なくなってしまいましたね。

さて、堪忍袋ですが、そこにいろいろなものを入れておいても、いつの間にか消化されてなくなったり、あるいは、相手の別のいい面で帳消しにされたりして、うまく回っていたのです。
ときどき「緒が切れて」も、そのときに全部吐き出して、クリア、リセットされるので、また空になるのです。

胃袋と同じで、堪忍袋もある程度、縮んだり膨らんだりする柔軟性が大切です。

しかし、現代では、「我慢が美徳」というようなことを家庭でも、学校でも、世間でも教えなくなりました。我慢するより、その場その場でクレームをつけて解決することが大切というわけです。

企業ならクレーマーに根気強く対処してくれることもありますが、個人が個人に対してクレーマーになり、お互いにクレームをつけあったら、泥沼になります。

このときに、堪忍袋というものがきちんと形成されていないと、小さな不満も溜めておくことができません。
それ以上に困るのは、きれいに吐き出すということもできないのです。

したがって、不満は心の中に滞留します。











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